はてなキーワード: 道筋とは
要するに、職場にいる精神障害の人にはいろいろ配慮しましょうねという正論はわかったが感情がついていかねえよ
どうすれば折り合いが付けられるか、道筋でもいいから教えてくれという話。
いろいろ調べているけれども、答えが見えてこない。
職場に自己愛性パーソナリティ障害の症状にとても当てはまる人が入ってきて、最近辞めた。
http://kokoro.squares.net/psyqa1490.html)
いろいろうまくいっていたが、彼の承認欲求の強さや
自分が業務上の指摘を受けたときの攻撃的な態度が目立つようになり
なんか変な人だね
で片づけたかったが、いろいろと調べているうちに彼は
自己愛性パーソナリティ障害では無いかと思い(むちゃくちゃ当てはまる)
いくつか本や論文を読んだ。
読んでわかったことは不達
・端的に言うと私たちが彼を普通の人だと思っていたので全て間違えた対応をしていた(彼だけへの気遣いなど)
(ちなみにこうした要請は障がい者側の義務であると書いているものもあった)
私がそこまで落ち込む必要はないだろうなと思いたいのだが。
ただ、、、
彼の態度の悪さが他のチームメンバーに行くことを苦慮して
いろいろと気を回したストレスはとても重い。辞めて1週間たったけど
まだ生生しい感じが私の中にある。
この私の心の動揺を
というのは、正直負担が重すぎるのではと思った。
きっとうまくこちらが意識すればそんなに互いにストレスを感じずに済むのだろうけど
精神障害の人には特徴をこちら側が理解して特別配慮をしないという特別配慮をしたり
正直めんどくさいなあとか、こっちの負担は何かに還元されるのか?とか
いろいろ考えるGWです。
そういう、お互いさま みたいな考え方で目の前の人を思いやるとかはあるんだろうけど
マニュアル通りに心は動かないよ。
政治的左派、経済的右派に属するとされるリバタリアンと自称する私ですが、
・日本の左派政党はどいつもこいつも経済格差是正・社会福祉重視野郎ばっかりでクソだし、
・日本の右派政党は個人の自由より国家だとか明治以降の薄っぺらい伝統への服属を要求するクズしかいない。
んでもってどっちも憲法をないがしろにしたバカ議員ばかりでつらい。
・法人減税賛成
・消費増税賛成
・働き方改革賛成
・雇用流動化促進賛成
・放送法改革賛成(放送に政治中立不要、一方でベンチャーが放送に参入できる道筋を開いて)
・外国人参政権賛成
・大阪都構想賛成
・ふるさと納税反対
こんな感じの政党がほしいです。
せっかく憲法の日だし、自民党の4つの改憲論点でいうとこんな感じ。
・自衛隊合憲化・・・○(憲法に規定されない実力部隊がある方がおかしい。解体するか合憲化するかの二択だと思うので、どちらかといえば合憲化やむなし。)
・緊急事態条項・・・×最低(緊急事態宣言に賛成票を投じた政治家とその親族は4年後に自動的に死刑になるなら許容できる。それくらいの気合を入れて決議するならよかろう)
・合区解消・・・×最低(日本経済を苦しめる地方に票をやる必要がどこにあるんだ。これが通ったら東京都を100分割くらいすればいい)
なんていうか、投票先がないねん。自分はやや政治的左派のほうが強いから「もっともマシな政党に入れろ」の信条に従って過去の投票履歴は、みんなの党に一回入れた以外は民主党系に入れてるけど経済政策に不満たらたら。
「野党がこの時期まで森友学園問題をひきずっている」ことを叩いている人がいたけれど
与党も野党もgdgd質疑応答を乗り越えてなんとなく下火になってきたところで
改竄の事実が出てきたからこんな時期にまた燃え上がっちゃったんでしょうが。
同じことをやってきたのに、どちらかを叩くのはフェアじゃないよ。
上のこととは関係ないけれど、福田さんも事実とは異なるなら続けてほしい。
「マスコミのせいで業務に支障がでている」ことを世間に訴えられて、
問題解決への道筋を訴えられる立場の人なんてそうそういないんだから、
本当に何もしていないなら大変だとは思うけど頑張ってほしい。
ある界隈では口にした瞬間にその場の全員から石もて追われ二度とその界隈の住人とは見做されなくなる恐ろしいワードである。うっかり口にしようものなら村八分確定であり、女性同性愛者を意味するスラングを気軽に口にするポリコレ意識のあまり高くない人たちからもぶっ叩かれる究極のポリティカルインコレクトネスである。だが、以前うっかりこの言葉を使ってしまいフォロワーさんから非難の大合唱を浴びた人間として、少々自己弁護を口にしてみたくもなる。
私たちが見たいのは関係性である。しかし関係性が好きならBLだろうが百合だろうが区別なく摂取すればいいのに何故百合ばかりを求めるのか、と言われればそれはイケメンの男の子よりも可愛い女の子が好きだからである。いやイケメンの男の子も嫌いではないし同性としてこいつ性的魅力にあふれてんなとは思うが性的対象ではないのである。これは逆側もそうではないのか。BLを嗜まれるお姉さま方のけっこうな割合はヘテロセクシュアルであろう。関係性を楽しむとき、そこには当然に性的視線が介在している。
そしてその関係性には強弱がある。あるのである。一部の妄想力や発想力の逞しい方々は公式で何も会話していないキャラ同士の絡みを公式設定であるかのように信じて邁進することができるらしいのだが、公式から理由も分らずに押付けられたカップリングを大人しく受取って、理由も分らずに消費して行くのが、我々凡夫のさだめだ。とにかく、公式で「あっこれはガチで女の子にしか興味ありませんわ。そして両思いですわ」というキャラやカップリングもいれば(あーなたのうーたにーわたーしのーハーモニーかさーねてー♪)、「友達でも通用するし、男とくっついても違和感がないけど、でも××ちゃんと○○ちゃんが仲良くしてるのはいいなぁ……」という根拠薄弱なカップリングもあるのである。あるったらある。強いカップリングと弱いカップリングはありまぁす! 電磁カップリングとか重カップリングとかがあるのかどうかは知らない。
その弱々しい関係性の芽を大輪の百合の花に育てきるのが一流の同人作家だったりオタクだったりするわけだが、我々貧困な想像力しか持たぬ凡夫は惑うのである。あれ? この子とこの男友達って、いい感じじゃね……? などとヘテロフィルターがかかってしまうのである。大吉山で白ワンピ着て楽器吹いてイチャイチャしてたと思ったら普通に原作で男と付き合っていたりするのであり、では公式で否定されたから百合ではないのかと言われるとでもやっぱりこのふたりの関係性とか姉との繋がりとか眼鏡の先輩との絡みとかも恋愛感情に発展させていきたいよぉ! と二次創作がマルチバースであるのをいいことに色々な世界線をアラカルトでつまみ食いしたくなるのだ。凡夫は往々にして雑食になる。EMTEMTと言って天使と男が性交する薄いブックを購入することと天使とお姉ちゃんが百合百合する同人誌に手を伸ばすこととのあいだに特に矛盾はないのである。
この傾向に、最近の若い者がハマっている「そしゃげえ」というものが拍車をかける。これらのゲームではキャラクタはプレイヤーに向かって話かけてくる。そしてそうプログラムされているから当然なのであるが、彼女たちは同じゲームの女性キャラと仲良くするのと同時に、まるでプレイヤーに好意的であるかのような振る舞いを見せるのである。likeの範疇に留まっていればいいのだがどう見てもloveにしか見えない場合もあるし妄想力を働かせるとloveに聞こえてきたりもするし、一方では他のキャラとイチャコラしていたりするのだ。もー体触るのやめてよー。つまるところそこに現出するのは、「○○ちゃんが男とくっついていても女とくっついていてもどちらも公式設定として通用してしまいそうな世界」なのである。
そして頭の悪いオタクはマルチバースを統一するのが大好きである。某アイドルアニメにおいて赤髪ツンデレな医者のご令嬢のカップリング相手は小柄ツインテにっこにっこにーな上級生もしくは猫語尾の体育会系アホの子と相場が決まっているのだが、「あれ……? にこまき前提のりんまき、いいのでは……?」などと閃いてしまうのであり、これはりんまきに失恋モチーフの同人漫画が多いことからも容易に察せられる宇宙の真理なのである。秘めた恋心を自覚したときには既にふたりがにっこにっこにー(隠語)していたので恋を自覚するのと同時に失恋を味わい部屋でひとりで泣くCV飯田里穂のキャラはいて、それは間違いないこの世の真実なのだが、ともかくそういう風にマルチバースを統一したがるオタクの眼の前に「自分(プレイヤー)を好いている××」「別の○○ちゃんとイチャついている××」の2つの道筋が示されたらどうなるだろうか。加えて○○ちゃんの方も私に好意的な態度を取ってくれているのだ。
そう、「混ざりたい」のである。ようやくこの表題に辿りつけた。別々の世界線のままにしておくのもそれはそれで良いし、現に私は提督LOVE合同誌もBig Northな薄い本も持っているので、別々のままにしておいてもよいのだが、混ぜたくなるのである(はいここダブルミーニングです。テストに出ます)。自分と○○ちゃんの双方に好意を持っている××でいいじゃないか、という解釈を見つけ出してしまうのである。
「そういうのは『ハーレム』でいいじゃん」と言われるかもしれないが、ハーレムはそこに集められた女性同士の関係が良好であることを保証しない。極端な話どこぞの王侯貴族が作るハーレムなら同じハーレムの一員と一度も口を利かずに終わることもありうるだろう。そういうのも悪くはない、いやこれは欺瞞なのではっきり言うとある種の夢ではあるのだが、そういうのが見たければ素直にハーレムものを読みに行く。私はジェンガ艦橋を持つ姉妹がお互いに愛し合いながら私にもその愛情の一端を向けてくれる世界を妄想しているのである。私と彼女との関係だけが重要なのではなく、彼女ともうひとりとの関係性も尊いと思っているのであり、そのふたつの関係性をひとつの世界で縒り合わせようとした時に貧弱な発想と乏しい語彙を絞り出した結果として出力されるのが、忌み語として名高いかの5文字なのである。
この呪われし文字列は今や百合好きのあいだでの共通の敵となっており、普段はカップリング論争を繰り広げる諸氏もこの言葉が発せられた瞬間に一致団結するという驚異的な接着力なのでDIYに役立ちそうな語なのだが、発する側としてもそれなりに理屈があって言っているのである。しかし、ここまで摩擦を生む語である以上、「百合」とは棲み分けた方がいいという意見にも一理あろう。この5文字を聞いた瞬間に親を殺されたかのごとく怒り狂う人びとも、別にこのような関係性への志向を理解できないわけではなく、単にそれを「百合」と名指されたくないだけなのであろうから、共存はできるだろう。ただ私の中でそれらは連続的なもので、簡単に切り離したりできないんだよ、ということは伝えておきたかった。
当たり前であるが、上で述べた理屈は現実の女性同性愛者あるいは両性愛者のカップルに向けて「俺も混ぜろよ」と発言することを肯定するものではない。あくまで紙とJPEGで表示される女性のことを言っている(もちろんこの言明は、現実に女性2人男性1人で構成される愛のあり方を否定するものでもない)。また、そのような消費態度が現実の同性愛者に対して搾取的である、と言われるかもしれないし、実際に女性同性愛者の表象を簒奪しているという議論も成り立たないわけではないかもしれないが、バイセクシュアルやポリガミーのことを考えれば、男が混ざろうとするのはおかしいというのも別種の抑圧に与することになりはしないかという危惧はある(シスヘテロ男性が言っても説得力がないと言われたらまったくその通りであり、反論できない)。
あと、“男性向け”百合と“女性向け”百合を分けようっていうのは、私はあまり賛同しない。薔薇とBLは棲み分けているというが、近年腐男子という存在がそれなりに登場するようになっており、その中には男性同性愛者も一定数いると聞く。彼らにとって薔薇/BLという壁は窮屈なものなのではないか。というか百合好き男性の界隈で好評を博す作品にはプラトニックな作品が多く(私も好きだ。新米姉妹の部屋の居間に置かれた時計になりたい……)、女性の百合好きに好まれる作品とどのくらい違いがあるかというと、正直あまり違いがあるようには見えない。だったら無理に分ける必要もないように思う。“男性向け”百合と“女性向け”百合とのあいだに強固な壁はなく、なんとはなしのグラデーションの中で共存しているのだから、あえて「こちら」と「そちら」に分ける意味もあるまい。性描写の有無はR-18シール貼ればいいわけで。というか性描写で区切ろうとすると「百合とレズは違う!」とか言い出して「清らかな女の子同士の百合」と「レズ」を切断してレズビアン差別に加担する百合好きが出てくるというお排泄物みたいな現状があるからそこで区切るのは害が大きい。腐女子の“学級会”はよく揶揄されるけど、ほんと百合界隈もたまにはちゃんと“学級会”する必要があるんじゃないかと思うよ。
なんの話かというと、型月厨のお前らロード・エルメロイII世の事件簿読めよ、イスカンダル大好きなウェイバーちゃんマジ尊すぎんぞ、という話でした。というかあの作品はグレイちゃんが師匠に向ける思いも尊すぎてミステリ部分はガバガバだけど人間関係部分は尊さの塊なんや……
murishinai 「混ざりたい」だと、すでに成立してるカップル双方の思いを無視して割り込む感じがあるので良くない。この増田はポリアモリー的な物を目指してあるのであるから、もっと別の表現を探して使うべきだ。
なるほど「混ざりたい」への違和感の原因はそこだったのか! と目ウロコ。確かに日本語の語感としてはそうですね。
jet-ninjin 女性向けの夢にあたる概念は男性向けでは何て言うのかな。オリキャラ女主はよく見るが男性向けでオリキャラ男主ニーズあるのかな…。
というか、女性向けと違って男性向けでは所謂「夢」がデフォルトなので特別な名前がついてないという事情があるような(デフォルト、というのは実際の頒布数に占める割合ということではなく、「男性向け同人誌」と言ってパッと思い浮かぶのが百合じゃなくて女性キャラと男性がイチャコラしてる本、みたいな、イメージの問題です)。男性向けのえっちな本の多数派は百合ではなく(もちろん百合もありますが)女性キャラと男性(もちろん既存キャラである場合も多いですけど――キョン!AVを撮るわよ!――モブおじさんとか整備員とか用務員とかの所謂「竿役」はオリキャラのことが多いんじゃないかなと)がえっちなことをする本であったりするわけで、男性向けでの「俺の嫁」は文字通りの「俺の嫁」なのです。
seachel 長くてよく分からんけど夢女子と腐女子兼ねてる子は女にもよくいるので、自分自身すらマルチバースと捉えたらいいのでは? Aカプを愛でる増田、Bカプを愛する増田、夢男子の増田…みたいな切り替え方式。
この切り替えというのが難物というのはあるかもしれないですね。私にとってそれは全部連続性を持ったただひとつの私で、はぁこのカプ尊い同居してる部屋の目覚まし時計になりたい……という私と○○ちゃんとイチャラブしたい私というのはあくまでグラデーションの両端でしかなく、その真ん中を厳密に切り分けるのはなかなか難しいのですが、切り分けていかないとムラハチを食らうしこんなこと言ってる私も鶴賀学園の主将と副将に混ざりたいとか言われたらイラッとするので(ザ・自己中の極み)、場の空気を読んで穏便に使い分けて生きていきたいなと思いました。
人生において大切な事は何でしょうか
それとも大きな志でしょうか
国家資格は大切ですぜひ取りましょう
国家資格ではその資格を持っていないと法律でその仕事ができないと言う仕事もあります
有名なところでは医師免許や弁護士免許それに看護師免許等あると思います
現在は電気で動いていますその電気に関する資格を取得することも1つの道になると思います
電気の資格はあまりメジャーではありませんがとても有益な資格です
では資格試験は受験して合格して受かると言うそういった道筋しかないものでしょうか
実は認められた学校に通っているだけで取得できる資格もあります
将来について考えるときは具体的な仕事を明確にしてその仕事に必要な資格を取得するにはどういった学校が有利なのか考える必要があるでしょう
では勉強だけしていれば良いと言うことでしょうか
そういうわけにもいきませんね
あまり気負う必要はありませんが周りの人の様子を見ながらわからない時は聞いたり調べたりしながらきちんと対応しましょう
働き方にもいろいろあります
がむしゃらに働く人
きっちり働く人
いろんな人がいます
重く受け止めているからこそ、旧人類のした「生命をもてあそぶ」という愚行を責めていないだろう。それは仕方がなかったと言っている。それを重く受け止めた上で、現人類は別の道を行くと言ってるだけだ。
旧人類は「リセット」したんだよ。現人類は「リセットはしない」と言っている。そのことをもっと重く受け止めろ。
団塊世代は高度成長期という比較的過ごしやすい時代を生きていたのに後生のことは考えていなかったから批判されている。ナウシカたちの死ぬか生きるかの世界とは全然違う。雑な例を出すな。あと「ナウシカが正義」なんて一度も書いてないだろ。「ナウシカもそうするしかなかった」と書いてるの。
ナウシカは選択の是非を問われる立場にいたし、それまでの功績がどうであろうがその1点については人類滅亡まで問われ続ける。それは揺らぎようのない事実。
あなたはいつも「~なのは疑いようがない」とか「~は揺らぎようのない事実」とか書いているけど、根拠がないんだよ。「○○だと思う。なぜなら私がそう思うから」でしかない。毎回そうだ。
違う。未来への道筋を残すために今を生き残る必要があるの。現人類はあなたの言う「未来を作る確固とした意志」の上に今を選択した。
一方の旧人類は自身の改善を諦めた。旧人類は「未来の今を生きる人間のため」に新人類を作ったんじゃない。道筋なんて作ってないの。自分たちに絶望し、自分たちと未来との繋がりを切って捨てたの。旧人類が未来に残したのは音楽や詩だけ。卵には旧人類の積み重ねなんて残っちゃいない。
あなたは「旧人類の絶望が分かる」と言うが、これが理解できていないようでは全然分かってないんじゃないの?
私は最初はあなたに期待していたんだよ。「きっと別の方法が取れる」かのように書いているから「確かに選択肢は多い方がいいな。どんな手段を考えているんだろう」と読んでみたら「~は揺らぎようのない事実。~は恨むだろう」だ。
別にあなた一人がそう思うだけならそれで何の問題もないよ。でもその思考をもって他人を責めたり、他人の思考を代弁する気なら、それなりの根拠が必要だろう。
繰り返すが、私がここまでで一番納得いかないのは、あなたにはまともな根拠がないこと。あっても簡単に反論できてしまうものしかないことなんだよ。
ここでもう一度これまでにあなたが出してきた疑問点について書いてみたい。
ない、と私は書いた。それは物語から読み取れることであり、また「ある」とした場合矛盾が生まれるからだ。
1.現人類と新人類は共存できない。なぜなら現人類は新人類を簡単に滅ぼせる力を持っており、新人類は簡単に滅ぼされるほど弱い。
2.よって旧人類は、現人類をそのまま生かしておくことは考えていない。唯一の抜け道は現人類の新人類化。
3.しかし、新人類化=感情をなくした人間=「そんなもの人間ではない」と私は考える。
4.「それもまた人間である」派に「そんなもの人間ではない」派を止める力はない。あなたにその力がないように。
5.結果、現人類は旧人類の技術を受け入れない。墓の技術は使用されない。
現生人類が奇跡的に新しい環境に適応できる確率と、墓と和解する、墓の技術を使って適応できるよう変わる、新生人類と共存の道を歩む確率なら後者の方が高いことは疑いようがない。
同意しない。私はナウシカが言うように、血を吐きながらでも現人類の中から浄化された環境に適応できる人が現れると考える。なぜなら自然界の中で生き多様性を身に着けた人類の生命力は、頭空っぽの新人類には想像できないくらい強いからだ。
一方の新人類の生命力は恐ろしく弱い。あなたが言うように、敵を殺すぐらいなら自分で死を選ぶからだ。捕食して栄養を得る能力を持つ単細胞生物(粘菌)にすら及ばないのだ。墓所の技術で栄養はなんとでもなるし、不死身にもできるが、実際は寿命が設定されて次の卵と変わるだけだろう。一種のウイルスか、卵が寄生虫に乗っ取られるか、いずれにせよ同じ体に作り変えられたら現人類は一緒に全滅する。
なによりそれらの方法を検討している余裕がない。墓は現人類の存続を現在進行形で脅かしている。墓所を生かしておけば先に現人類が滅ぶ。そして何度も言うが現人類は滅びを選ばない。
現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。
上にも書いたけど、あなたは旧人類の思考を理解できていないと思うよ。または「あなたは理解できた」かもしれないが、現人類の大多数には理解できなかったんだよ。そしてあなたには理解をしてもらえるだけの説得力がない。
全滅してから言え。
とかまだ言ってるし。人類は「今は絶滅しない」道を選んだんだよ。あなたの言うことは聞かない。
絶滅するしかない、という案を取るか取らないかはその時の人類が決めることだ。あなたが「現人類には絶滅してほしい」「新人類に希望を」と言ったところで現人類を説得できなければかなわないじゃないか。
私は、あなたの疑問に一つ一つ反論を出し、その根拠を書いてきた。なのにあなたはなんだ?パチンコが~とか本来日本人は~とか雑な例はいらないんだよ。疲れてたのは分かるけどさ。
私は、一応は人類としての回避策を出しただろ。現人類が踏みとどまり、どうにか戦争と自滅を回避し、新人類を受け入れられるだけの余裕を持てればよかったと。しかし今回はかなわなかった。私自身がその場にいても、協力らしい協力もできず、ナウシカに託すくらいしかなかっただろう。
多様性のない新人類はそのままでは王蟲のようにはなれないし、あの時点で現人類に新人類を受け入れる余裕もない。ナウシカが滅ぼさずとも現人類に滅ぼされる。
罪をかぶるなら全人類が被るべきであって、最後の決断をゆだねられたナウシカではない。あなたは自分なら罪をかぶらずに済んだのにと思っているようだがあなた自身も現人類であり、新人類を救えなかった一人だ。
私は先日、
「ナウシカは一人の人物ではあるけど、結局はそこに至るまでの過程を現人類が選択したんだよ。あなたならその時破滅を止めるために何か協力できただろうか?」
と書いたが、一番聞きたい回答はこれについてなんだ。あなたは、自身がどうすれば今回の悲劇を止められただろうと思っているのか。
「ナウシカがこうすればよかった」という例についてはこれまでに書いた通り「それはできそうにない」と私は思う。なので、ここではあなた自身、いや個人でできることなんてたかが知れてるので、あの場の「人類が」どうすればナウシカの行動を止めることができたか?ということについて聞いてみたい。
で、私は今後三週間くらい忙しくて増田を読んでる余裕がなくなる。もしこのダラダラと長い駄文に回答してくれる余裕があるなら、急がないんでのんびりどうぞ。
(実は上記以外に、もう一つ追加で文章を書いていて、長いので別記にした。anond:20180303232700 忙しいだろうし余裕があるときにでも)
とりあえず全部読んだ。
が疲れていて細かい返信ができない。
ナウシカ最大の責任は「『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』」
これに正しく答えられなかったところだ。
「その場限りのプーは気楽でええですねん!」
先のことを考えず今その瞬間でベストな選択をしてきた結果、墓所までたどり着いた、
だからナウシカは正しいことをしてきた、というのは結果論に過ぎない。
旧人類の長い歴史を顧みればその時代に当然ナウシカのような人間が一人や二人い無かったという方が難しい。
旧人類だって殺してでも生きなければ生き抜けない時代なんて経験してる。
その経験の果てに新人類の卵を作ったんだということをもっと重く受け止めろといっている。
歴史は繰り返すけど俺らプーだからパチンコ打ちにいくぜ!って連中にまじめにしろなんて言ったところで通じるわけがないよな。
特にそれまでパチンコで食っていけたパチプロのカリスマみたいにナウシカに言ったところで通用するわけがない。
墓所がナウシカと出会ったことが墓所最大の失敗であり敗因であったというならまさにその通りだろうよ。
でも墓所側が提供する環境に適応した改造手術と同レベルの救済の道をナウシカが示さない限りはナウシカの責任は残り続ける。
ナウシカは選択の是非を問われる立場にいたし、それまでの功績がどうであろうがその1点については人類滅亡まで問われ続ける。
それは揺らぎようのない事実。
迎えられない朝がきたときに、そのとき「今を生きる現生人類」は歴史を知ってナウシカを恨むだろう。
それは当然のことだろうよ、今しか生きてこなかった人間のツケってのは、
日本で例えるなら今を生きてきた団塊世代たちのせいで貧して今を生きたいはずの若者が背負わされてる姿だ。
説得力もなにも、今を生きるしか頭にないやつには、そりゃ未来なんて永遠に存在しない「今」だろうな。
そして、今しかいきれないというのなら過去の積み重ねという未来への道筋を自分らの功績かのように語るんじゃない。
未来を作る確固とした意志もなく、ただ過ごしてきた時間を過去として語るのは愚かですらない、単なる無知だ。
本来日本人は自分を犠牲にしてでも「家」、つまり一族の未来を重視する人間だったんだが
半端なアメリカ文化が到来してからは自分を守るもの、守るべきものという一族・家庭は崩壊して弱体化してしまった。
今を生きるのがずっとその先うまくいくなんてのは、宗教だよ。
特にずっと上手くいってきたナウシカがそういっても、それこそ説得力がない。
全滅してから言え。
自衛隊の格闘技の本の中で、プロの自衛隊の教官が重要な示唆を残している
「護身やその他で重要なことは90%を危機回避や予防に努めるべきであり、実際の体を鍛えたり動かしたりする部分は10%と考えるべき」と
色々な状況を加味してみても、攻撃する側が攻撃する判断基準で唯一共通しているのは「自分が一方的に相手を攻撃出来て反撃されなさそうと思われている」ところだそうだ
これ、ネットリンチとか集団ヒステリーで少数や一人の人間つるし上げる今の日本社会の構図への対処法として一番重要なところなんじゃないか
確かに、ネットや周りでエラソーに講釈垂れてる人間も、実際にヤクザや極左とか、六本木あたりにいる半グレとか総連の施設にカチコミかけたりましてやそんな存在に攻撃なんて絶対にしないもんな
寧ろ強いとかヤバいと程よく思われたら、そういう連中は阿ってくるともあるし、そうなると色々と参考になる道筋も立ってくるというものだ
前提として、765、346、315、プロはすべて同じ世界に存在していてお互いに事務所の存在を認知していることにします。
なぜ、苦手なのか。
よく見かける意見と若干ズレるので個人的に短いながら書き綴りたい。
1.公式厨
まず、極論を言ってしまえば私は「公式で関わりのないキャラ」の二次創作が生理的に受け付けない。
他ジャンルにおいて、関わりのないキャラ同士のマイナーCPについても同様だ。
Jupiterや涼については、公式で言明もされておりなにより彼らのバックボーンは765がなくては生まれなかった。
Jupiterが765のキャラと関わることについては彼らにとっての大切な飛躍のきっかけであったわけなので越境とは捉えていない。二次創作で関わらせることについても嫌悪感もない。
2.それぞれのアイドルは都合よく置かれるオブジェクトではない
1でも言明したがことでもある。
私はきらりが大好きだ。とても大好きだ。
そして315の神速一魂の玄武が大好きだ。とても大好きだ。
この二人をあげ理由は越境NLでよく見かけるが個人的にはかなり納得がいかない。
きらりは背が大きいことにコンプレックスを抱いてはいるが、杏やPと合うことで大切な仲間を得た(恋愛感情を除くものとする)
これは杏やPとの出会い、仕事での活躍、それらのバックボーンによって生まれたきらりの自信やアイドルとしての輝いてく道筋があってこその尊さなのだ。
が、しかし。
そこにつけこむように都合よく
・きらりより大きい男の人ならきらりも女の子らしくよりみえるのでは?
・315プロにそういえば190超えがいるのでは?
・年齢も近いしこれはいける?
上記のようなあまりにも勝手なユーザーの想像による恋愛観をきらりや玄武を二次創作でつくられる。とてもではないが、耐えられない。
都合のいい設定のあるものを掛け合わせた感がとてもあるのだ。
龍と歌鈴についてもそうだ。
なんだかついてないドジっ子たち。というくくりでまとめられてしまう。
それぞれそういった思いで通じることもあるだろう。
しかし、公式で関わっていないのだ。どのように出会いどのように感情を抱くのか、そういった場面を想像するのは自由であるのは確かであるが(だからこその二次創作なのだろう)、本来キャラの根幹にある想いをねじ曲げているような可能性は無いのだろうか。
全部ひっくるめて、都合よく置かないでほしい。
リア充たちが男女が一緒にいると「つきあってんの?」「すきになっちゃえば?」というのをオタクは嫌っているのを私は知っている。
だが二次創作において越境を行う人達は同じ行為をしているのに気がついていない。
男と女、というだけで恋愛観に持っていくのはあまりにも稚拙である。
まったくもってその通りなのである。
公式で言明されていない、頭が固い、想像力がない言われてしまえばその通りだろう。だがしかし、受け入れられないものは受け入れられないのだ。
性的な描写のあるもの、恋愛感情要素の強いものなど当然耐えきれない。
しんげき、のような事務所内、ユニット内であれば私も楽しくほのぼのと見られる。
このライブの後もしかしたら感極まっちゃったのかな?泣いちゃったかな?もやもやした気持ちや乗り越えられたものはあったのかな?などの二次創作などはむしろ好物なのだ。
無理である。
無理である。
彼ら、彼女らは都合よくそこにある恋愛ゲームの素材ではないのだ。
4.余談
中の人が仲がいいから、中の人がこういっていたからというネタをキャラに持ち込まれるのも私はとても嫌悪している。(例、姉ヶ崎ロリコン問題)(内田姉弟キャラ越境)
理由は言わずもがななのだが、結局はキャラの根幹にないものを都合よく刷り込まれるからである。
楽しければいいじゃないか、という人達について思う。キャラがこうしているのを見るのが楽しい自分を押し付け てキャラ崩壊さているのは、それはキャラが好きなのではなく自分が見ている世界が楽しいだけなのだと気がついてほしい。
ライブでの中の人がまるでキャラになったような言葉を使うことについては?
→むしろ演者の人がそう感じてほしい、演者の人自身が演じている、と演者をとおしてキャラの思いが伝わればいい、と願っている限りその思いは大切に私は受け取る。
5.さいごに
彼ら、彼女らには仕事を通じて出会うことが今後展開として当然あるだろう。
その時はそっと公式を受け入れていこうと思う。
その時にもし、公式によって越境NLが実現したら、私は苦虫をかんだような顔をしながら公式を受け入れていくだろう。その時はその時なのだ。
男女比1:9の化粧品会社で働いているので、自然と同僚の恋愛事情が聞こえてきたりする
長い間聞いてると、結婚出来ない女性は株で損する人と同じ動きをしていると思った
投資先の会社の事を調べずに雰囲気で買うと、まぁ失敗か大して増えない
結婚出来ない女性も、友人の紹介や焦りでとりあえず付き合うタイプが多い
キッカケはなんでも良いけど、本格的に付き合う前に情報収集は必要
株を持っていると、配当や優待が貰えるが、失敗する人は優待目当てで大して得をしない事が多い
同じように記念日やデートでも大したお祝いや盛り上げが無いのに付き合い続けても良い事は無いし、そもそも良い相手では無い
もちろん、ちゃんと調べて将来性のある会社の株を数年間持ち続けるのは良い事だけど、そうじゃ無ければ塩漬けするくらいなら損切りして他に投資した方がプラスにはなる
なにより塩漬け推奨している面々は体力が違うし、塩漬けしている傍ら他に投資している
結婚出来ない女性も、相手が余り理想の男性じゃないと分かってもダラダラと5年10年と付き合い続ける傾向が高い。さっさと次に移った方がお互いにとってプラスだ
信用取引ならともかく、普通取引なら中長期的なビジョンは必要だ。ここまで上がったら利確、ここまで下がったら損切り程度から、買い増しや売りのなんとなくのビジョンを建てておくと急な相場にも慌てないし、損をしない
結婚する女性は~~までに結婚の意思とかをハッキリさせる。みたいな見極めのタイミング等をシビアにしている。出来ない女性は基本現状しか見ず、ビジョンがあっても5年とかでスパンが長いし、損切りのハードルも激甘
男性側のハッキリとしない返答すら許したり、9年目になってやっと最後通告をしたりと、とにかく甘い
なんだって、トレンドになる前に投資をすれば儲かるし、イナゴでは損ばかりである
結婚出来ない女性は、そもそも結婚に向けての活動の開始が遅すぎる。20代は「仕事は楽しい」とか言って、適当に過ごし、30代になってから本格的に活動を開始する。20代の頃から付き合っていても、結婚を意識し始めるのは30代になってから
とにかく遅いし、トレンド株に投資しても儲けは微妙でむしろ何かしらの不祥事でナイアガラの可能性が高い。結婚する女性は20代には相手を見つけ、結婚までの道筋を相手とちゃんと決めてたりする。取り組むのに早すぎるのは無い
SNSでうさん臭い煽り屋も多いけど、四季報なりIRなり株主総会等の会社発信や新聞や個人投資家の情報は重要だ。それこそチャートも見ずに社名程度で買う人は損だけする。たくさんの情報を吟味して、上手く使う事が成功の早道だ
同じく友人や同僚の意見を聞き入れず、自分の感覚だけを信じる女性は結婚出来ない。もちろん酷い友人はわざと逆の事を言ったりもするだろうが、ちゃんと信用できる友人や親族すら無視するのは失敗の元。
あと、意外と同僚はまともに答えてくれたりする。既婚の先輩とかは実体験も踏まえて忠告してくれたりする。結婚出来ない女性はとにかく人の忠告は無視するし、むしろ言われるほど反発する
暴落したり、下がりきった株がもう一度上がると信じている。損切り出来ないのでいつまでもボロ株を持ち続ける
同じく、長年付き合って失敗したにも関わらず、もう一度チャンスがあると信じている。35過ぎた女性の市場価値はとにかく低い。もちろん、同じくらいの年齢の男性を捕まえて数年後に結婚も出来るだろうが、そんなの奇跡だ(晩婚化とは言われているが、付き合い始めは主に20代メイン)
そもそも30代の男性が同い年の女性を選ぶ利点は無い。子供が欲しいと思っている人には特に。40近くの未産婦の自然妊娠率はとても低い。DINKsになるなら別に良いけど、男性で最初から子供要らないなんて言う優良物件は稀だ。言うのは大概事故物件
ハッキリ言うなら、自分のどっちつかずで30代半ばで独り身になった女性はよほどの魅力か運が無ければ理想の男性と結婚出来ないし、40越えたらそもそも男性と結婚すること自体が難しい。同年代の男性側に同い年の女性を選ぶ理由が無いからだ
小学生の頃、同級生の女子は、やっぱり男子よりも大人びていて、僕らよりももっと早く色々なことを経験しているように見えた。
中高生の頃は、同級生の男子には目もくれず、少し上の先輩や、学校の外と関わりを持ち、僕らの知らない世界を知っているように見えた。
大学生の頃になると、その感覚は近づいたように思えて、実はもっと離れていることに気付いた。僕たちは気を遣われていたのだ。
社会人になった頃には、彼女たちはすでに人生のある程度の道筋を決めているように見えた。僕らがまだ右往左往している中で、彼女たちは自らの責任と覚悟を自覚しているようだった。
そして30代になった今は、彼女たちはすでに違うステージにいるように見える。僕が独身であることも大きいけど、結婚している、していないに関わらず、彼女たちはずっと大きなものを背負っている。
そんな感覚は、この先も続くのだろうか。
営業1年経験、向いてないと判断されて事務(法務2年、審査査定2年目)配属。
大学のサークルでは美術系やってて、イベント運営や取材の窓口やってたことも伝えた。
けど、営業はぜったい向いてないと思った。
私の代は基本全員営業配属。一部の例外(出向とか、英語力買われて外資部門とか)は
広報や宣伝に携わりたい気持ちが抑えられなくて、自分の経歴を正直に話すべきか迷ってる。
以下は会社には未報告。
大学生の頃、まずイラストレーターとしてデビューして、雑誌にコラム連載を持ってた。
漫画賞も取ってデビューしてて、今でも会社に黙って読みきり載せてもらったりしてる。
正直、浮き沈みの激しいフリーのイラスト業界でうまくやっていける自信がなくて、
会社のごく一部の人は確定申告とかの関係で知らせてるんだが(副業は黙認してくれてる)、
「そこまで道筋ついてんなら、なんで会社勤めしてんの?」と言われる(多分、嫌味ではなく)。
今の感情としては、愛社精神も出てきたし、この特技を生かせる部署で会社に貢献したい、
という気持ちが強い…。
「大学のサークルでやってました~」程度じゃ通じないことがわかったから、はっきり
エビデンスを揃えて人事に伝えるべきか。
それとも思い切って退職して、この道を進むべきか。
正直、サブカルでエキセントリックで刺激的な人たちに囲まれて暮らしてきたから、
金融の意識高い男子or腰掛キラキラ女子と、全然話が合わなくて、身の置き所がない。
悩んでる。
どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。
感情に理由をつける場合、解決手段を模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています。
例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由が必要になってくるわけです。
あくまで平和的解決、若しくは健全な事態の収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるものが理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快な感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます。
現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。
全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます。
現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手にストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います。
こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクストの押し付け等の不透明なルールに基づいた他者を排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います。
そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。
相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全な事態の収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え、相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒の応酬、これらは全て威嚇行動です。
先程述べた「威嚇行動」と別の平和的解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます。
また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識の齟齬はあるはずですが、自身の改善を促し問題の起きるキーそのものを消化する可能性をもたらしてくれます。
私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間のゴミ、世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄へ無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚、地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中、意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。
彼女と出会ったライブのことは、今もわりと鮮明に覚えている。夏の、そう暑くない日。狭い6畳一間の自室でやることもなくだらだらしていた僕のところに、友人が突然訪ねてきた。車に乗れという。断る理由もなかったので着いていくことにし、車内でどこに行くのかと聞くと、あるアイドルグループのライブで、それも年に一度の規模であることを知らされた。正直、存在としてかろうじて知ってはいたものの、曲なんてまともに聞いたこともなかったし、メンバーもほとんど知らなかった。とりあえず車内で一曲だけ、それもぼんやりと覚えることしかできずに会場に着いてしまった。恐怖。緊張。何一つグッズを身に付けることもなく、ペンライトを一本だけ借りて知らないコールとともに迎えたオープニング。正直、セットリストの曲はほとんど覚えていないし、覚えた曲はわりと序盤で出てしまったし、会場の隅っこで大して盛り上がりもしないし、迷惑な観客だったと思う。そんな中で、僕は、彼女の一途なまでに一生懸命な一挙一動に、目を奪われていた。誰ひとり、手を抜いているわけではなかった。その中でも彼女は、群を抜いて一生懸命で、だれにもない輝きを放っていた。帰りの車内で彼女を推すと宣言し、友人との会話もそこそこに、ひとり静かに興奮していた。彼女を、応援したい。その思いが、燃え上がっていた。
それからは、次々とライブに通った。彼女にまつわる情報や記事や、ちょっとした映像や、その他もろもろにいたるまで、調べに調べた。遅ればせながらのファンである自分にできることをひとつでも多くしたかった。資格試験に追われながら通った冬の二日間、たった一日の休みで行った夏、フェスの1ステージ、さまざまな地方公演、どこでも彼女は一生懸命で、そして仲間思いで、グループの中心で、誰よりも真摯にステージに立っていた。わちゃわちゃした、楽しさのかたまりみたいなステージで、みんなが海に飛び込んで思い思いにはしゃぐ中、彼女は波打ち際で髪を振り乱して跳ねまわり、それでいてみんなが遠くに流されないように、しっかりと見守っていた。
彼女はその特徴から、グループの顔としての性格をライブ以外の場面では背負うことが多かった。いろんな場所を自由に泳ぎ、また重い責任を自ら引き受けているようでもあった。その姿はどこか、ステージの上の彼女とは違って見えた。どちらがいい、悪い、というものでもなかっただろう。きっと、彼女のできる一生懸命のひとつだったのだろう。そのことには気付かず、僕は違和感のまま、いつしかメディアに登場する彼女を追いかけるのをやめてしまっていた。結局、ステージに立っていない彼女に会うのが怖くて、ほとんど、接触に行こうともしなかった。一度だけ彼女と撮った写真はもうほとんど、見返すことすらない。
よくも悪くも、変わらない新年だった。正確には、はずだった。グループを、大きな不幸が襲った。僕ですら、受けた衝撃は未だにどこか残っている。ましてや彼女たちなんて、どうしようもなく計り知れない。それでも、ツアーは淡々と決まり、粛々と予定通り始まった。正直、延期しないかな、とすら思っているなか迎えた初日、完全に楽しむ準備ができていなかったことは、一つの事実だった。自分の気持ちというよりは、彼女たちが背負いすぎてしまっているのではないか、そんな不安があった。楽しそうな、今までに見てきた彼女たちしか見たくない。わがままだとはわかっていても、せめてステージの上でだけ、楽しい夢を共有していたかった。明らかに異質で張り詰めた空気の中、幕が開いた。勇壮なテーマ曲とともに、彼女たちが登場してくる。胸を張って、堂々と。翳りはどこにもなかった、とはいえ、まだ一息つけただけにすぎない。まるでサーカスの綱渡りを、一番大切な人が、しかも命綱なしで渡っているような、祈ることしかできない感覚。次々に歌われる新曲を聴きながら、思いを振り切るようにずっと彼女の表情を、動きを追った。きっと何もないどころか、乗り越えたような顔をしているに違いない、そんな見込みすら、彼女の一生懸命さには甘かったのだと思い知らされた。無理やり変えさせられるこの状況、それすら彼女は乗りこなそうとしていた。僕は安心するとともに、彼女たちの幸せを願うことしかできなかった、その無力さを思った。
ツアーは続き、最終日を迎えた。この日が山場になることは、タイトルからも明らかだった。乗り越えるべき壁と、登った先に見える風景。それを確かめるための日々が、確かにここにあった。そしてまた、徐々に彼女の変化が、かたちとなって現れていた。とはいえそれがどういう意味を持つのか、僕にはわからなかった。彼女なりの戦略であり、そう振る舞うのが「正しい」と信じて疑わないようでもあり、その圧倒的な説得力は、信じることしか与えなかった。
夏が来た。一年に一度の、楽しい夏祭りだった。最初に行ったときよりもみんな、歌もダンスも上手になっていたし、楽しくならない理由はなかった。そしてその通り、僕は思いっきり楽しんだ。
余韻の残る翌日、彼女から発表があった。予告されたときはまだまだ、祭りのあとの甘い気分の中にいた。一人の仕事が増えていたし、それに関することなんだろうな、くらいにしか思っていなかった。そんな中発表されたのは、彼女がグループを卒業する、ということであった。
大きな衝撃を受けたことは覚えている。ステージの上の彼女はどこか永遠だと思っていたし、彼女はそのぐらいの輝きを放っていた。そのことが、事実でなかったと改めて思い知らされた、その衝撃だった。とはいえ、不思議なことに、悲しみとか怒りとか、そういった行きどころのない感情は湧いてこなかった。彼女はいつでも一生懸命で、いつでも正しい。これまでもそうだったように、これからもそう、という信念が、確かにあった。
それからの彼女は、今までの変化を、よりはっきりと押し出してきた。それは、自分が周りを照らすこと、そうして周りのメンバーの魅力に、しっかりと気づいてもらうこと。自分が道を示して、また自分がいなくなったあとの、その道筋を作ること。そのために一生懸命になっている、そう感じられた。今まで以上に、自分が目立てばまたそれが、グループのためになる。そういった覚悟すら引き受けているようだった。
そうして一日一日、彼女の卒業までの日々が近づいてきた。悲しさはもちろんある。とはいえ、アイドルファンでもある彼女が、アイドルである自分を楽しんでいる様子は、見ていて微笑ましくなるほど楽しいし、どうしようもなく嬉しい。彼女はきっと、自分のグループの、一番のファンでもあった。あってほしい、という夢くらいは抱かせてほしい。
これから、最後の幕が上がる。その最後のステージが、どうなるのかは見当もつかない。ハチャメチャで、楽しくて、彼女たちがこれからもずっと幸せでいてくれますように。
あわててドッペルに連絡を入れる。
「もしもし」
「ドッペル、いまどこにいる?」
「家にいるよ。この時期になると親がなぜか外出させてくれなくて」
「よし、今日はそのまま家にいて、誰が来ても迎え入れるんじゃないぞ」
「サンタも?」
「サンタは訪ねるとき、わざわざ住人に尋ねたりしないんだよ。合法侵入なんだから」
「それもそっか」
ひとまず、これで時間は稼げる。
ツクヒを見つけだし、サンタの暴露話を思いとどまらせなければならない。
だが、そんなことができるのだろうか。
俺は少し冷静になって、“本当の意味で根本的な問題”について考えた。
『いずれドッペルも分かることだ、マスダ! 止められると思うなよ』
実際問題、ツクヒを止めたところで、ドッペルもいつかはサンタの存在に気づく日が来る。
その日がいつなら良いのか、誰も正確な答えは知らない。
仮に答えがあったとして、そこまでして隠す意義があるのか。
そもそも、サンタなんて虚構の存在を作り上げて、それで俺たち子供を騙して何の意味がある。
ただツクヒを無粋だからといって止めるのは、本当に正しいことなのか。
俺はその答えを出せない。
それでも心のどこかで、ツクヒを止めなければならないという思いが歩みを止めさせないでいた。
俺自身が迷っているのに、仲間たちを呼んで協力を仰ぐのは憚られた。
アテもなく、俺は一人でツクヒの捜索を始める。
別に悪いことをやっているわけじゃないけど、あいつがやってると何だかすごく胡散臭いな。
「おや、マスダくん。クリスマスだというのに浮かない顔ですね。プレゼントのアテが外れたとか?」
「そうじゃないよ。あんたこそ他宗教の文化に参加するなんて大丈夫なのか?」
「生活教は、他の宗教に寛容です。それが人々の生活を彩るものであれば、文化や風習においても同様なのです。だからクリスマスを祝っても何ら問題ありません」
「随分とフットワークが軽いんだな」
「まあここだけの話。新興宗教は歴史のある信仰や、科学などの体系と真っ向から戦うと排除される運命しかないので。柔軟剤入り洗剤のように、しなやかでクリーンであることに努めないとやっていけません」
好き勝手やっているように見えて、宗教って割と不自由なんだな。
俺は、それがまるでサンタみたいだと思った。
「俺たちのクリスマスには、主とかは出てこないけどさ。なんというか、サンタって信仰そのものだよな」
思わず吐露してしまったが、我ながら教祖相手に何を言っているんだか。
「ふーむ……確かに。サンタは、信じることの尊さを学ぶ上では大きな存在ですね」
だが教祖は意外にも真面目に答えた。
「時に虚構というものは、人々が何かを学ぶことに大きく貢献しています。基本的に嘘は良くないことですが、それでもサンタという存在を守ろうとするのは、そこに何か大事なものがあるからでは?」
「プレゼントとか?」
「まあ……それもあるでしょうけれども。私の立場では、そういったものに明確な答えを出すわけにはいかないので……」
たぶん、俺がツクヒを止めようとしているのも、そのためなんだ。
答えはまだ出ないけど、道筋は見えたような気がした。
「よし、クリスマスが過ぎるまでに何とかしないと」
ん、どういうことだ?
「クリスマスの時期は宗教によって異なるので、別にテキトーにやっても大丈夫です」