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2018-07-30

anond:20180730135908

声ありの中でも出番の格差があるのが問題

デレステカード枚数が飛びぬけて多い中野前川姉ヶ崎や、イベンド出演回数が多い本田佐藤といった面々いる一方

人気あるにも関わらず二年近くイベントカードもないフレデリカや一ノ瀬もいる

anond:20180730135908

声ありの中でも出番の格差があるのが問題

デレステカード枚数が飛びぬけて多い中野前川姉ヶ崎や、イベンド出演回数が多い本田佐藤といった面々いる一方

人気あるにも関わらず二年近くイベントカードもないフレデリカや一ノ瀬もいる

2018-02-16

アイマス越境NLがやっぱり苦手

時々話題上がるアイマス越境

前提として、765、346、315、プロはすべて同じ世界存在していてお互いに事務所存在認知していることにします。

なぜ、苦手なのか。

よく見かける意見と若干ズレるので個人的に短いながら書き綴りたい。

1.公式

まず、極論を言ってしまえば私は「公式で関わりのないキャラ」の二次創作生理的に受け付けない。

ジャンルにおいて、関わりのないキャラ同士のマイナーCPについても同様だ。

Jupiterや涼については、公式で言明もされておりなにより彼らのバックボーンは765がなくては生まれなかった。

Jupiterが765のキャラと関わることについては彼らにとっての大切な飛躍のきっかけであったわけなので越境とは捉えていない。二次創作で関わらせることについても嫌悪感もない。

2.それぞれのアイドルは都合よく置かれるオブジェクトではない

1でも言明したがことでもある。

一例を挙げてしまうなら346のきらりである

私はきらりが大好きだ。とても大好きだ。

そして315の神速一魂の玄武が大好きだ。とても大好きだ。

この二人をあげ理由越境NLでよく見かけるが個人的にはかなり納得がいかない。

きらりは背が大きいことにコンプレックスを抱いてはいるが、杏やPと合うことで大切な仲間を得た(恋愛感情を除くものとする)

これは杏やPとの出会い仕事での活躍、それらのバックボーンによって生まれきらりの自信やアイドルとしての輝いてく道筋があってこその尊さなのだ。

が、しかし。

そこにつけこむように都合よく

きらりより大きい男の人ならきらり女の子らしくよりみえるのでは?

きらりお姫様抱っこできるのはきらりより大きい男の人?

・315プロにそういえば190超えがいるのでは?

・年齢も近いしこれはいける?

上記のようなあまりにも勝手ユーザー想像による恋愛観をきらり玄武二次創作でつくられる。とてもではないが、耐えられない。

都合のいい設定のあるものを掛け合わせた感がとてもあるのだ。

龍と歌鈴についてもそうだ。

なんだかついてないドジっ子たち。というくくりでまとめられてしまう。

それぞれそういった思いで通じることもあるだろう。

しかし、公式で関わっていないのだ。どのように出会いどのように感情を抱くのか、そういった場面を想像するのは自由であるのは確かであるが(だからこその二次創作なのだろう)、本来キャラの根幹にある想いをねじ曲げているような可能性は無いのだろうか。

全部ひっくるめて、都合よく置かないでほしい。

リア充たちが男女が一緒にいると「つきあってんの?」「すきになっちゃえば?」というのをオタクは嫌っているのを私は知っている。

だが二次創作において越境を行う人達は同じ行為をしているのに気がついていない。

男と女、というだけで恋愛観に持っていくのはあまりにも稚拙である

3.では二次創作ほとんど見れないのではないか

まったくもってその通りなのである

公式で言明されていない、頭が固い、想像力がない言われてしまえばその通りだろう。だがしかし、受け入れられないものは受け入れられないのだ。

性的描写のあるもの恋愛感情要素の強いものなど当然耐えきれない。

しんげき、のような事務所内、ユニット内であれば私も楽しくほのぼのと見られる。

このライブの後もしかしたら感極まっちゃったのかな?泣いちゃったかな?もやもやした気持ちや乗り越えられたものはあったのかな?などの二次創作などはむしろ好物なのだ

創作Pの同人は見れるのか?と聞かれたことがある。

無理である

キャラモブなどの成人向けは?(枕営業ネタは?)

無理である

彼ら、彼女らは都合よくそこにある恋愛ゲームの素材ではないのだ。

4.余談

中の人が仲がいいから、中の人がこういっていたからというネタキャラに持ち込まれるのも私はとても嫌悪している。(例、姉ヶ崎ロリコン問題)(内田姉弟キャラ越境)

理由言わずもがななのだが、結局はキャラの根幹にないものを都合よく刷り込まれからである

楽しければいいじゃないか、という人達について思う。キャラがこうしているのを見るのが楽しい自分押し付けキャラ崩壊さているのは、それはキャラが好きなのではなく自分が見ている世界楽しいだけなのだと気がついてほしい。

そのためにキャラを都合よく使うのはやめていただきたい。

ライブでの中の人がまるでキャラになったような言葉を使うことについては?

→むしろ演者の人がそう感じてほしい、演者の人自身が演じている、と演者をとおしてキャラの思いが伝わればいい、と願っている限りその思いは大切に私は受け取る。

5.さいごに

彼ら、彼女らには仕事を通じて出会うことが今後展開として当然あるだろう。

その時はそっと公式を受け入れていこうと思う。

その時にもし、公式によって越境NLが実現したら、私は苦虫をかんだような顔をしながら公式を受け入れていくだろう。その時はその時なのだ

 
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