「行使」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 行使とは

2017-05-04

親がもう影響力行使できないんじゃね

2017-05-01

上下関係とは年金である

そうじゃないですか。今年老いた方々の為に年金を積み立てたら自分達も年金が貰える、という制度(貰えないかもしれないが)

同様で、先輩だの上司だのに尽くしておけば自分がその立場になった際に権力行使できる、と。

上下関係否定派だった私ですが、まぁあながち間違ってもないのかなぁ、と思ってしまった今日このごろ。

2017-04-22

ハラスメントRPG破綻

ある会社員です。平日は9:00から18:00、または週に3日程度2時間ほどの残業を経て20:00頃まで勤務し、土日祝日を休暇として過ごしています。尚、周囲の社員も概ね同様です。

弊社は年間を通じて一定割合休職者を有しています

そして傷病に掛かる規則で定められた療養期間、若しくはそれと異なる規則で定められた期間ののち、彼らは退職します。

彼らが休職に至る経緯に加え、私が勤務に伴う交流体験、観察により得た情報と、インターネットマスメディア就職以前の求職活動で得た情報を照らし合わせると、どうやら弊社では日常的に「ハラスメント」的な現象が発生しているのではないか、という考えに至りました。

それと同時に、社内ハラスメント類似した現象が発生する、とある環境を想起しました。

この環境の想起は言葉通り思いつきに過ぎないものの、これに擬え改めて以上の情報を再整頓すると、今まで不規則で捉え難かった様々な現象について一定規則性を見たと感じることができました。

記事を書くにあたっての調査統計などを行なっていないため、主観的文章です。

これはある会社員が書いたブログ記事です。よって「だ」「である」ではなく「思った」「感じた」の文章です。

以上をふまえ、楽しんで頂けたら嬉しいです。

ハラスメント見方

セクハラモラハラアルハラなど、ハラスメントを示す様々な言葉を目にすることから、その発露の形態によってハラスメントの捉え方が細分化されていることを私は知っています

しかし、そのようなディティールを得られずとも、今般そのシルエットを観察し、全てのハラスメントは「不適切役割強要であると捉えることができました。

ハラスメントを「不適切役割強要」と捉える考え方に基づき、シミュレーションを行ったのはRPGという環境です。

RPGとは

RPGロールプレイングゲーム略称であり、遊戯の一形態です。

日常会話の中では、フォールアウトやファイナルファンタジーなどのビデオゲームを指すことが多いのではないかと思いますが、ここではテーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)を指します。

実際のところ、私にはTRPG遊んだ体験がありません。ですので、TRPGプレイヤーよりもだいぶ不細工になりますが、以下の通りその概略を記載します。

TRPGの概略

TRPG複数人参加者との対話(セッション)により進行するゲームです。紙や鉛筆で記録を取りながら、ダイスなどを用いて様々な選択を行い、ゲーム物語の結末を目指します。

TRPGを楽しむにはいくつかのアイテム必要になります

まず1つめはゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役です。GMは他の参加者(プレイヤー、PL)に様々なノルマを課したうえで、ダイスの目を読み、彼らのセッション解釈し、結果として反映させることでその達成を助けます

次に、ルールブックです。これはそのゲームがどのような規則に従って進行するべきか記載された冊子です。GMはこれに則りノルマを課し、PLもまたこれに則りGMの課したノルマに応えようとします。

最後に、キャラクターシート(CS)です。これにはPLの担うべき役割特性記載されており、役割に応じた技能スキル行使することができます

TRPG労働には多くの類似点があります。なぜなら経営者管理者もまた、法律や社則等の規則に基づき労働者ノルマを課し、彼らの役割特性活用しながらその達成を助けるものからです。

異なるのは、TRPG参加者カタルシスを経て物語の決着をみることを目的とするのに対し、労働参加者社会貢献の対価として金銭等の利益を得ることを目的としている点です。

しかし、これはハラスメントシミュレーションを行うにあたっては些細なことです。

RPGとしての労働

(T)RPGを楽しむ自分想像してください。

このときとあるGM(ときにはPL)を併せて想像すれば、誰もが彼のせいでゲームを楽しむことができないと判断し、プレイ放棄したいと考えるでしょう。

彼はルールブックに違反し、CS記載されていない役割あなたに求め、その役割行使しないと見ればあなた方のセッションを歪めた上で結果に反映させます

労働の場に置き換えると、経営者ないし管理者規則違反し、労働とは無関係役割労働者に求め、その役割行使しないと見れば評価を歪めた上で待遇に反映させることになります

冒頭の「不適切役割強要」がこれにあたり、この一部ないし全ての過程こそがハラスメントであると私は考えました。

ハラスメントの渦中にあるとき労働というRPG参加者の1人である労働者は適切な利益を与えられていると言えるのでしょうか。そして、給与はその利益として換算して差し支えないのでしょうか。

待遇とは給与や休暇のみを指すものなのでしょうか。

ゲーム放棄

RPGであれば、ゲーム放棄することで不適切役割強要されることから解放されます。この場合ゲームの結末を見ることは叶いませんが、この達成をハラスメント不快感よりも優先するべきとはあまり思えません。

しかしながら、労働者にとって労働生活を維持するための資金を得ることを1つの大きな目的としています。また、社会的地位自尊心など、生活志向を決定づける様々な指標にも影響を及ぼします。

労働RPGひとつのサブシナリオに過ぎませんが、それと同時に、退場やコンティニューの叶わないメインシナリオである生活を左右する、重要なサブシナリオでもあるのです。

CSを持たない人

なぜ彼ら、ないし我々は不適切役割参加者強要してしまうのでしょうか。

RPGを楽しむとき、生身の自分が剣を持って戦う必要はありません。ルールブックにもそのような記載はありません。

RPG上で剣を持って戦うために必要ものは、あくまで剣を持って戦うキャラクターCSです。

CSRPGを楽しむプレイヤー分身であり、さらに言えばプレイヤー自身に剣が干渉しないようゲーム現実を隔てるパーテーションです。

もちろん、RPG上でキャラクターが得た財宝を実際に手にすることもまたありませんが、自分操作するキャラクターRPG上で成果を出せばプレイヤーとしても満足を得られるものです。

労働においても同様にCS必要です。

参加者がどのような特性労働力として提供するのか提示し、他の参加者ルールに従ってそれを承認しなければ、本来労働というゲームを進行することができないはずです。しかし、これを持たないままでのゲーム進行を可能にする方法があります

CSの代わりに、実際に剣を持って戦えばよいのです。

戦うためには相手必要になりますからCSを持った参加者に対しても剣を持って戦うことを要請すれば良い、ただそれだけのことです。

●我々は何をするべきなのか

適切なCSを整備することは円満ゲームプレイを行うには心強い武器となりますが、CSを持たない人と対峙するにはあまりにも無防備です。

ハラスメント対峙するとき、我々は何をするべきなのか。ハラスメント安全回避することは可能なのか。

残念ながら私にはまだわかりません。

ただひとつ思いつくとすれば、我々自身が剣を持って戦うことを我々一人ひとりが望まないことが、長期的な目で見たときハラスメント回避する方法ひとつになりうるのではないかということのみです。

2017-04-16

当時白豪主義を採っていたオーストラリアは、有色人種への迫害政策を行っていた。反日主義者として知られていたウェブは、終戦後の1945年9月オーストラリア政府の依頼を受け、1942年日本軍ニューブリテン島ラバウルへの攻撃に際して、オーストラリアではテレビ放送映像を流したとのことであるが、沈められた日本の船から脱出した日本人捕虜)ら数百人を航空機から執拗な機銃掃射によって虐殺した上で、150名以上のオーストラリア人及び先住民殺害したとされる報告書を現地調査を行った上で発表した。

天皇の訴追を主張していたオーストラリア政府は彼を代表判事に選ぶことにより、天皇法廷で裁くという意思を表明したものと考えられる(法律上観点から見ると、本来事件告発に関与した者はその事件裁判官になることはできない)。

そのようなウェブ意向法廷における訴訟指揮でも表れた。裁判の開会の辞においては「被告達は嘗て、如何に重要地位にあったにしても、それが為に受ける待遇は、最も貧しい日本兵、或いは一朝鮮人番兵よりも良い待遇を受ける理由は見当たらない」と日本戦争指導者に対する敵意を露にした。

裁判検察側に有利になるように進められたケースが多々あり、検察側に不利な発言意見が弁護側から出されると、裁判長訴訟指揮権行使して遮ったり却下したりするといった場面がしばしば見られた。最も有名なのがアメリカ人弁護人のベン・ブルースブレイクニー及びジョージ・A・ファーネスの「事後法で人を処罰することは出来ない」といった旨の弁論に対しても、「全ての動議を却下する。その理由は将来闡明にする」として裁判を続行させたケースである。また清瀬一郎の「この裁判極東国際軍事裁判はいかなる根拠において実施できるのか」という質問に対しても「後から答える」とだけ述べて休廷し、その後回答することはなかった。また、中国で冀東保安隊日本人居留民に対して略奪、暴行凌辱殺戮など残虐の限りを尽した通州事件についても却下している。

法の不遡及は法の一般原則とされており(成立過程が独特な国際法上においても、必ず要請されるべきか否かは議論のあるところだが)、これを検討することな却下したことは訴訟指揮上大きな問題とされる。ただ、これは先に開始したニュルンベルク裁判訴訟経緯を踏まえた決断とも考えられる。

また、前述の通り、天皇法廷に立たせるべきとの見解を持っていたこから天皇戦犯にせず、占領政策に利用する意向を決定していたダグラス・マッカーサー命令を受け、裁判天皇責任が無いという展開に進めることを意図していたジョセフ・キーナ首席検事とは激しく対立していた[1]。

オランダベルト・レーリンク判事証言によると、ウェブは酒気を帯びた状態法廷に来ていたこともあったという。

1922年死刑廃止したクイーンズランド州オーストラリアの他の州の死刑廃止1968年から1985年)の判事であったウェブは、23年間にわたる判事生活死刑を言い渡すのは極東国際軍事裁判が初めてだったため、「極東国際軍事裁判所は、被告絞首刑に処する」の部分の口調はある意味の興奮があったという[2]。ちなみに、ウェブ自身被告人全員の死刑に反対票を投じている[要出典]。

2017-04-12

森友のこと質問たから質疑終了、採決な!

国会ウォッチャーです。

今日3つ目ですが、あまりのやりたい放題にちょっとびっくりしたので、書きます

竹下亘が、囲み取材で、

100万円の寄付をしたということが「総理に対する侮辱」だから籠池理事長証人喚問を決めた、とのたまっていましたが、今日のこれを見ても自民党議員内での安倍総理に対するおべっか、ケツなめはここまできているのかと正直驚きました。

 これも背景知識がないと民進党柚木議員が悪い、みたいにおっしゃるかたもいらっしゃると思いますが、今までの慣例から考えて、質疑冒頭に出席者に簡単に答弁を求めることはこれまでにも多々あったことです。また、予算委員会が終わり、森友学園天下り問題についての総理入りの集中審議の開催を与党拒否し続けているので、森友学園に関することを総理に答弁を求める機会は今のところありません。したがって、柚木議員が、総理入りの厚労委員会で、冒頭に総理質問すること自体は何も不自然ではなく、よくあることです。また議員には一般質問をする権利質問権が保障されているので、口頭での一般質問をすることも本当によくあることです。

柚木議員質問

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47024&media_type=fp

柚木道義

「先週の金曜日昭恵夫人と、プレミアムフライデーということで、ハンバーガーをお食べになり、大変結構なことでございますが、ただ、ぜひ公の場でご説明をいただけるようにお話し合いはされましたか総理から昭恵夫人お話はされましたか。あるいは総理が止めていらっしゃるんですか」

安倍晋三

「あ、重要広範質疑ということで、介護保険改正案について、出席をさせていただいている、非常に貴重な時間だと柚木さんにとっても貴重な時間なんだろうと、このように思うわけでありますが、この問題につきましては、今柚木議員から質問をいただいたことも含めてですね、もう何回も、既に何回も再三妻子、答弁をさせていただいているところでごぜぇます。(嘘。昭恵夫人と話し合ったかどうかは答えたことないです)いずれにいたしましても、従来より答弁をしているとおりでございますし、この問題につきましては、会計検査院調査結論を出す、それを待ちたいとこう思っておるしだいでございます

丹羽秀樹委員長

「質疑は議題の範囲内でお願いします(これもめったに言わない)」

柚木道義

「私も早く通告した質問に入りたいので、総理簡単なことですので、ひとつ答弁をお願いします。財務省森友学園との交渉記録データが、復元可能である財務省が答えている。財務省によりますと、今年六月システムが入れ替わる予定とのことで、このままでは証拠隠滅の恐れがある。ぜひ総理から一言結構ですから森友学園との交渉記録データ復元して公表するようにと、一言ご指示いただけませんか。」

丹羽秀樹委員長

柚木君に申し上げます、質疑は議題の範囲内でお願いいたします。」

この後安倍総理は答弁しないまま同様の要請柚木議員要請した後、質疑に入りました。

そのあと各議員の質疑ののち、維新河野議員の質疑終了後に丹羽秀樹委員長が、総理の退出を宣言し、緊急の理事会招集しました。

突然の質疑終局、採決の決定

時間ほどの中断の後、なんの説明もなく再開されましたが、中島議員阿部議員堀内議員河野議員から、いきなり採決する、ということについての苦情が述べられます

そして最後河野議員の質疑終了後

丹羽秀樹委員長

「三ツ林ひろみくん」

三ツ林ひろみマイク拾ってない)

「本法案の、質疑終局、終局討論省略、ただちに採決すべき」

野党議員

「せめて理事会開いてくださいよー」

「こんなのおかしいだろ」

丹羽秀樹委員長

「三ツ林ひろみくんの質疑終局等論省略、ただちに採決すべきとの動議に賛成の諸君の起立を求めます与党議員起立)。起立多数、よっとそのように決しました。これより採決に入ります。」

野党議員

委員長与党理事の言いなりなんですか?」

今日採決するなんて聞いてないよ」

丹羽秀樹委員長

「採決をいたします。、本案に賛成の諸君の起立を求めます。(与党議員起立)」

「起立多数、よって本案は原案のとおり可決すべきものと決しました」

野党議員

委員長公平中立にやってくださいよ!」

地方公聴会もやってないじゃないか

介護保険法改正は、与野党距離がそれほど離れているわけではないので、野党修正を呑む余地あるとのことで、わりと建設的な議論がされているほうなわけですが、突然の質疑の打ち切りということでめちゃくちゃ強引なやり方です。はっきりいって私の記憶にはありません。

 またこの介護保険法改正重要広範質疑ということで、公聴会を開いて、地方有識者意見を聞いたりとか、そういうこともよくあるわけですが、いきなりの終局宣言からの採決、これも見たことがない。中島議員から、「採決すると、その理由も、重要広範質疑の内容について」と説明があったとおり、どうも中断の間に、理事会で、「森友のこと聞いてきたから質疑打ち切り、採決する」との決定がされたようです。

宮崎岳志議員が、地方創生特別委員会で、このことについてコメントしていました。

曰く、与野党の筆頭理事(たぶん後藤茂之井坂信彦)の間では金曜日にも質疑を継続する予定であったこと、重要広範質疑に関わらない質疑をおこなったことから、質疑を続けられないと決定したという話がありました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47025&media_type=fp

ちょっと名指しするけど、丹羽秀樹後藤茂之田村憲久高鳥修一、とかしきなおみ、三ツ林裕巳ども安倍のケツなめるのもいい加減にしろよと思いますけども。

追記

一般的法案審議の流れ

委員会で審議される法案は、一般的には、

法案提出趣旨説明→質疑→討論→採決

という流れで審議されます

提出者が法案趣旨説明し、質疑をします。国会議員質問したり、政府民間から参考人を呼び意見を聞いたり、国会利害関係者を招き、公聴会を開いたり、逆に議員地方にいって地方公聴会を行うのも質疑です。質疑が十分に尽くされた、と委員長判断したとき委員長は質疑終局を宣言します。そののち、討論を行います。討論は、本案、修正案ともに行われ、それぞれ案件に対す賛否とその理由を論じます。その後、採決に移ります。採決においても、修正案の採決から行われ、修正案を否決した後、本案を採決することが多いです。

委員長が突然質疑終局を宣言する意味

野党議員が全員、公式野党維新ですら苦情を述べていましたが、もし野党議員修正案を出す準備をしていた場合、このような突然の質疑終了をされると、修正案の審議の機会がありません。その採否はともかく、提出する機会すら与えられないことになります。ですから審理日程については、与野党理事の間でしっかりと協議して合意した上で法案審理を進めるのです。こういった建前は、実はとても大切です。これをなし崩し的に行うなら、与党は、その多数を頼って、法案趣旨説明ののち、いきなり採決に入ることすら可能になるからです。国会の審理はその結果に関わらず、野党議員がどういう意見を述べたかということが記録されることも重要なのです。そういう大切な建前を、安倍が答えにくい質問をしたからという理由でとっぱらってしまった今回の採決の頭のおかしさは際立っているといえます

さらに追記

どうやら、長尾たかし議員高橋千鶴議員ツイートによると、

安倍委員会入りで、野党安倍質問時間全部やるかわりに、森友関連の質問はするな、と筆頭理事間で約束していたのを破ったからだ、といってるらしいですね。これを正当な理由だといいたげな長尾も大概だと思うよ。理事の間での約束事を破ったから質疑終了、採決だって?どこにそんなルールがあるんだよ。次回の野党の持ち時間減らす嫌がらせとかならまだ理解するけどさ。大体、こんな意味不明取引してる時点で、厚労委員会与党理事どもは、安倍委員会入りに泥を塗られたとか思ってんだろ?マジでおまえらいっぺん選挙落ちて頭冷やせ。

あ、あとすみません与野党筆頭はどうやら田村柚木のようです。

さらさらに追記

この件に怒った山井が、一旦合意していた共謀罪の審議入りを拒否したとのニュースみて「そらそうよ」と思ってたら、竹下一言謝罪して正常化したと受け入れただと。山井和則ホント何考えてるんだ?今回の厚労委員会のアホな行動も竹下亘は把握してなかったってことだろうが。そんなやつと協議して正常化したとか言ってんじゃないよ。戦うポイント間違えてんな。

さらさらさらに追記

厚生労働委員会森友学園のことを聞くな、とおっしゃるひとも多いわけですが、議員質問権が保障されている意義を考えて欲しい。ほとんどの委員会総理が出席していた一昔前ならいざ知らず、今では、各委員会総理入り審議がされる機会なんて一会期で1回あるかないかなわけですよ。直接的に総理大臣議員がやり取りできる機会は本当に稀なわけです。一方議員は各委員会委員であると同時に、国民代表ですよね。国民代表者としての議員が、ただ一回かもしれない総理大臣との直接対峙の場面で総理の言質をとろうとすることがそんなにおかしいかい?また法案提出である内閣閣僚能力や誠実性についての疑義というのは、ほとんどすべての委員会で質疑の対象となってきていたわけですから世論調査の結果にしたがって8割の人が納得していないという話題について説明をするように促すことがそんなに場違いだというなら、さっさと集中審議開かない与党問題なんじゃないですかね。

あと偏ってる、バイアスがーとかいってるやつはアホなんですかね?動画貼ってるんだから自分で見て自分判断しろよ。

あと、森友ばっかり聞いてるからかいってるのも「私は張られた動画も見ません」と宣言してるようなものなので、ちゃんと見たほうがいいよ。この手続きのほうが大きな問題だと思ったけれど、「自殺者全体が減っている中で、介護関連の自殺けが増えている中での介護保険負担の増額を求めるのはどうなのか」という質問に対して「アベノミクス自殺者が減っている(キリッ」とか答えられるすばらしい雄姿が見られるぞ。

一般質問権と質疑

質問権は国会法第74条、75条で保障された権利です。一般質問議長が許す限り、法案、議題に関わらず何を効いてもいいものです。本来質問と質疑は区別され、質問は書面(質問主意書)を持ってなされ、答弁も書面で行われますが、閣議を経るため返答が遅いものです。質疑は、議題に関することに関する疑問点の解消のために行われるものであり、口頭で行われます。したがって、柚木議員が質疑をさえぎられたことをもって質問権の侵害だといっていたこ自体には私は賛成していませんが、質問権の趣旨に鑑みて、現に議会運用上、質問権を口頭で行使することが是認されている状況下で、それを行使したことの非を以って、懲罰的に質疑を終了するという行為の愚かしさが問題だといっているわけです。

北朝鮮有事かというときに森友かよ、とか言ってる人のヤバさ

森友学園加計学園南スーダン日報問題昭恵夫人と付職員の行動の法的根拠のなさ、これはすべてガバナンス問題ですよ。有事にこそ一番求められるガバナンスの欠如の問題議論しないでどうするわけ?首相馬鹿みたいにうかつな発言のために黒いものを白いと主張しつづけて行動せざるを得ない組織を見せ付けられて、北朝鮮有事安倍政権が頼りになると思ってるわけです?すげー迂闊に下した判断のためにさらに誤った判断を下し続けるこの2月の状況を見て、そういう判断している人がいるのがちょっと信じられないです。

一応こっちにも追記

約束した!っていうのはね、お互いが了承したときになりたつんですよ?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170413-00167571-toyo-bus_all

その理由柚木氏の発言が「発言は、すべて議題外に渉り又はその範囲を超えてはならない」と規定する衆議院規則第134条違反であるとともに、自民党が「法案以外の質問をするということは、審議が十分だということで、採決しても構わない」と判断したためだ。また11日午後に開かれた理事懇談会で、自民党民進党に事前に「法案以外の質問はしないでくれ」と申し入れてもいた。

首相への忖度強行採決

 だが民進党はこの申し入れについて「質問者質問権の問題がある。良識範囲内でやる」として留保森友学園問題についての柚木氏の発言も約10分程度に抑えられており、衆議院規則違反についても強行採決で封じられなければならないようなものはいえない。

2017-03-28

これRTしてる医者がいてびっくりしたんだけど

前にデマ拡散してた人だった。なんでアイマスについて追っかけてるときにこんなの見せられなきゃいかんのだ。

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326163520#tb

全くおかしくない。

それがおかしいというお前はまともな判断ができなくなっている。

証人喚問安倍とか一部アホが言ってるような犯罪者を取調べが目的ではない。

国政調査権行使しているに過ぎない。犯罪捜査とは別の概念

2017-03-18

報道しない自由」を許してはならない

日本メディアには「報道しない自由」が溢れている。なぜこうも「報道しない自由」が行使され続けるのか。それは国民マスコミには報道の自由編集の自由があるからと半分諦めて抗議をしないかである。なぜ抗議しないのか、それは国民が「自由」という言葉意味をよく理解していないからだ。

自由定義を難しく考えれば、その説明は本一冊では足りないくらいである。しか私たちがよく使う自由意味は単純に「束縛されることな勝手気まま」という意味殆どである。それではなぜ勝手気ままにできるのか、それは世間で正しいと認められているか自由勝手にできるのだ。公園散歩するのは自由だ、なぜならそれは世間で正しいと認められているかであるしか私有地勝手気ままに散歩することはできない。

報道においてはまだ正しいかどうか分からないことも多いが、多分正しいであろうと判断して報道している。しかしもしその報道が間違っていたならば謝罪責任を取らねばならない。自由とは常に正しくなければならないし、責任が伴うものである。つまり自由意味とは単純に“正しい”と考えればいいのだ。自由とは正しいか自由なのです。

おかし報道に対して抗議をすればいつも「報道の自由がありますから」「編集の自由ですから」と返事が来る。しか自由という言葉にひるまずに「その報道は、その編集は正しいのですか」と聞き返せばいいのだ。「報道しない自由」に対しても放任せずに「それを報道しないことは正しいことなのですか」と追及すればいいのだ。

例えば中国圧政に抗議してチベットでは百人以上の坊さんや尼さんがガソリンを被り焼身自殺をしている、世界中国圧政を知らせたい一心からしか日本国内マスメディアでは中国に遠慮して殆ど報道されることはない。欧米では知られているのに日本人ほとんど知らない。これに対して私たちは「これを報道しないことは本当に正しいことなのですか?」と強く抗議すべきなのだ

基本的自由なんて言葉無視すればいいのです。「報道の自由だ、編集の自由がある」とマスコミが言っても「ハイハイ日本には自由保障されています、どうぞ、どうぞ自由気ままに報道してください、しかしその報道は本当に正しいのですか?間違っていたら責任を取ってくださいね」と反論すればいいのだ。

皆さんも「報道しない自由」を見つけたら「それを報道しないことは本当に正しいのですか」と抗議、追及してください。「報道しない自由」など絶対に許してはならないのです。

デモは少数者のための仕組みではないのか?

デモを行なう中で動員数を誇示したり、街中で大声で怒鳴り散らかしたり、大通りを塞いだりすることは、多数者でなければできないことのまさにそれであり、社会に生きる人々の自由闊達生活妨害しようとする行為であり、およそ投票に並立する民主主義権利行使であるとは思えない。

デモとはこのような、議論否定しようとするものとは正反対のものであり、数がものを言う投票では示すことのできない、多数派とは異なる有用意見を持った少数の人々が自分の考えを発信する場であり、そういった有用意見政治に取り入れて民主主義を豊かにするための仕組みではないのか?

多分今まで俺が日本で言う「デモ」に違和感を感じてきたのは潜在的にこういうふうな考えをしていたからだろう

どうにか、ああいう風な「デモ」が続けられることも、デモ存在否定されることもなくなって、デモ投票に並ぶ民主主義の柱として根付くようになってくれればいいんだけどな

意見お願いしま

2017-03-16

しょうがないだろ、個々人が自分自由行使して選んだ結果が今の出生率

極論すれば自由制限するか少子化を受け入れるかの二択でしかない

まあ自由制限なんか今更無理だろうけどね

いつまで条件さえ整えば喜んで産むなんて甘い考えを捨てないつもりなのか

2017-03-15

自分にとって良い人と悪い人という意識

多くの人が良い人と悪い人というのは「自分にとって」の「良い人」「悪い人」ということを意識すれば世の中もっと上手くいかいかな?と思った。(あくま個人意見

もしくは人々の共通認識としてあれば蔓延している人に対する不信感は緩和されると思っている。

犯罪者を悪い奴と感じるのは自分に都合が悪いから。いつ自分の物や労力を奪われるか、奪われたら自分の都合が悪いから。

ブラック企業経営者犯罪者と同じ。人の時間と労力を奪うから。確かに企業経営危機を何とかしないと行けないのかも知れない。しかし、生命危機を感じて他人の物や金品を奪うのは犯罪定義されている。

人の人生、労力、時間を奪うのも犯罪者として定義されうる。日本では(日本だけじゃないけど)過労死ライン長時間労働合法となっている。時間や労力は形としてわかりにくいが、極端な話でいうと奴隷行使犯罪とみなすことと同義

いやなら辞めろが出来るのがおおきな違いか(他にもあるけど)

しかし、歴史を見て現在までに労働時間が短くなってきたのも事実

人々が働き過ぎず働かなさ過ぎずの意識を常に持ってれば大丈夫か。

一時的長時間労働もやむ終えない場合はある。災害救助で生命危機が迫っている場合国内ね衣食住が満たされておらず、増産が急務な場合残業もコレを条件にした方が良いのではないか。そうでないと一部の人に都合がよく、一部の人搾取される理不尽残業を認めるのと同義だろう。

だいぶ話がずれたけど就職先が見つからない30前半の増田愚痴です

2017-03-13

自分仕事が好きだと認めざるを得ない

ここ数年、わが社でも残業減らせキャンペーンがはられ、残業が非常にやりにくくなった。もちろんサビ残もだめ。

これまで文句いいながら残業していたけど、これはこれで辛い。

仕事をやりきれない。

やるべきと思っていることがやりきれない。

明日の、次の準備ができない。一回やったことをまとめて次回のために資料化する時間がない。

毎日もやもやしながら帰途につく。

残業減らせキャンペーン後に入ってきた新人は、残業になるといって仕事上司に押し戻す。

上司残業といわれると弱いみたいで引き取って帰ってくる。

新人、そこは頑張れよ!

上司も、そこは上司権限行使して残業させろよ!!

と、ぷりぷり怒ってたら、そもそも同期もその新人と同じことしていた。

え?まじで??

帰れるんだったら帰るの??あとは上司仕事???

でも上司だっていっぱいいっぱいだし、どう考えても業務回んなくね????

????????

今まで仕事嫌いだと思っていたけど、周りほどに割りきれない自分がいる。

というか、周りの人たちの仕事嫌いが、自分が思っている以上だった。

相対的には、仕事が好きな部類に入ってしまうのだ、私は。

やだーーーー!!!!!

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170306234749

言いたいことはわかるけど、これは十把一からげにはできない案件じゃ?

時給が発生しない範囲での会社との関わりを持ちたくない若者は多いし、なにより労働者権利である

その権利行使しない人のほうが不思議に見える。

私は人と話すのが好きだけど、無駄なかかわり合いはしたくないと思う時もある。

参加したほうが社会的には上手く回ると思うけどね。

安っぽい居酒屋なら行きたくないけど、焼肉なら連れてってくれよ。

まぁなにはともあれ個人尺度を人に当てはめて論説したとしても、人それぞれという域をでない。

2017-03-01

借金玉氏の「残業禁止強者ルールなのでは、という話。」について

「ウァァ!」

「どうも、効率の悪い人です」

については、特にありません。

生産性効率…なんですかね?」

および

創造性は時間単位では計測できない気がする」の前半は、後回しにします。

創造性は時間単位では計測できない気がする」の後半および

残業禁止強者ルール

「で、どうしますかね」

の部分が重要です。ざっくり要約します。

システム化されてる大企業と、中小零細企業は違う。中小零細企業は、たくさん働かないと勝てない。

残業禁止では、資本装備率が高いほうが勝つ。「弱者」はたくさんはたらかないと勝てない。この構図は、「大企業中小企業」に限らず、「定型発達/発達障害者」も同様。

長時間労働には問題があるため、「長時間労働させろ」とは言えない。具体策はない。残業禁止で失われるものがあり、損する人がいる。

大企業資本装備率が高くて労働生産性が高い、これは直感的にもそうでしょう。

ここにもそんな記述がありますhttp://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h20/h20/html/k2120000.html

まず大企業と同じ利益率を出したり、定型発達と全く同じ成果がだせなければ、すぐ倒産解雇になるわけではないので、「勝つ」という2値的にも見える表現はやや注意が必要です。

次に、大まかな構図としては、「大企業中小企業」と「定型発達/発達障害者」は同じでも、細かく見れば大きな違いがあります

たとえば資本装備率労働生産性が低い企業でも、一人当たり人件費をさげてたくさん雇うことができれば、理屈上は残業をなくせます

また、後述しますが「創造性」に関しても違います

そして、じゃあどうするかについてですが、「社会企業がどうあるべきか」とかは、広範で複雑なので今回は考えません。

就労意欲があり、能力的に就労ギリギリ発達障害者で、残業したい人はどうすればいいか」に限って検討します。それ以外の発達障害者についてはわかり手氏なんかがきっと考えてるんじゃないの??

法務局氏と借金玉氏のやりとりでは、「職場理解配慮を求める」ことがどの程度現実味があるかということが、重要論点になりました。

もし残業ふつうにおこなわれている会社では、そのまま残業すればいいし、残業をあきらめてもなんとかなる場合はそれでもいいでしょう。

ほかの人が残業していないなかで、黙ってサービス残業すると、企業にとって大きなリスク負担になるときがあります

労務管理上の問題以外にも、生産効率に関する情報不正確になることや、セキュリティや機密管理上の問題も生じます

そのような問題が起こるような企業では、発達障害者配慮する余裕もあるでしょうから理解配慮を求めるほうが現実的になるでしょう。

また、発達障害であることを理由にして配慮を求めることには、発達障害者に対する特例であることを周知することにより、それ以外の人への残業拡大を防ぐこともできるので、反感をかいにくい可能性があります

さらに、障害者雇用促進法には、障害者に対する合理的配慮が定められています実効性は知りませんが、無許可サービス残業がさまざまな問題を引き起こすような企業は、遵法精神が高いでしょうからいくら意味があるかも。

もっとも、管理がしっかりしてて遵法精神が高い企業では、「例外的残業を認める」なんてケチ配慮じゃなくて、もっとよい配慮が行われる可能性もあります

職場特性の見極めがたいせつですが、どれを選んでもダメ職場もあります

重要なのはここまでです。以下、後回しにしていた細かい点について。

業務の中の非効率を除去していって効率化するのは絶対必要だろ、とかその辺はわかる。

生産性向上って単純作業じゃなくてそういうのが中心でしょう。

機械化やら人件費の安い海外やらに対抗する策が「手を早く動かす」って、本当にそれでなんとかなるの?負け戦じゃね?って思うわけですよ。

「手を早く動かす」は、生産性向上のなかではダメな方だけど、機械化やオフショアへの対抗策としては、「手を早く動かす」は「残業」に比べればずっとまし。

ブログ書いてて思うんですが、かけた時間エントリ評価はまるっきし比例しないです。僕のブログで一番のヒットだったエントリは、正味45分で書きあがってますが、全く評価されていないエントリに5時間かかってるなんてのもザラです。そういうもんだと思います。僕も文章書いて長いですから、「効率よく字数を埋める」は苦手じゃないんですよ。下請けの████で他人の████を書いている時なんかは完全にこのモードですので、字数ベース生産性は非常に高い。でも、本当にそれって生産性ですかね?

で、なんですよ。単純な知的作業さえもAI化していく世界で、人間がウォー出来るエリアってもうこの「創造性」以外にそんなにないと思うんですよね。長期的にはこのエリアすらAIが殴りこんで来て尖った棒で我々を追い出すのかもしれませんが、それでも今のところ。(自動ブログ書いてPV集めて広告貼るAIはてな支配する日も来るのかもしれない)

意味がわかりません。とりあえず「(ブログなどの)創造性の領域では、かけた時間と成果がまったく比例しない」かつ「AI化が進む世界で、人間活躍できるのは創造性の領域だけ」と解釈します。

時間と成果が比例しないなら、短時間でも成果を出すことは可能で、人間AIに勝てる唯一の分野なら、その仕事には価値がある。

したがって「創造性の領域では、とても高い労働生産性が期待できる」が導けるのではないですか。創造性の領域では長時間労働必要ってのと真逆でしょう。

実際には上記の2つの主張は偽であり、創造性が重要領域では長時間労働必要かもしれません。創造的な分野では、人材管理評価がきっと難しいでしょうから、少数精鋭がいいはず。そのため長時間労働になりやすいかも。

わかり手氏の記事で、発達障害者は出力が安定しないとありましたが、創造性が重要になる領域では、健常者であっても出力が安定しないの可能性もあります。そうだとすると発達障害者が背負うハンデはすくないのでは?

これらの点も大企業中小企業の違いと、定型発達と発達障害者の違いという、二つの違いの間の違いです。

濱口桂一郎氏の記事について

その「特権」を行使できない総合職女性たちがいわゆる「マミトラック」に追いやられていくという姿は、「平等」という概念の複雑怪奇さを物語っています

マミトラック」はあっても「発達障害者トラック」はおそらくありません。それは借金玉氏が望んでもたどりつけなかった地位であり、借金玉さんからみればマミトラックこそが「特権」なのでは?

濱口氏の記事は、単体でみれば重要だとしても、借金玉氏の主張がそれに回収できるわけではないと思います

2017-02-25

男叩きを気にする必要はない

男が唯一女性より優れている暴力性を行使できるのだから

切り札最後まで取っておくもの

http://anond.hatelabo.jp/20170224151556

就職口の可能性があるとき私自身は、できるだけ意図的女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男性逆差別行使しているのである女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないかである

  

とか言った日本フェミニスト思い出すな。

実際、日本女性が受けている死ぬよりも辛い拷問のような生活を思えば仕方ないのないこと。

男が本当に男尊女卑について反省してるなら、女性人類誕生から受けてきた差別贖罪を男はするべきだよね。

中国韓国で大虐殺を働いたことですらちゃんと謝ることができないネトウヨ日本人には無理だろうけど、そうじゃないはてな民ならできると信じてるよ。

2017-02-23

優しい人であるって?

これまでの人生、優しさというものに疑問を感じずに生きて来た。

自分のび太ADHDというのもあり、いじめられたり、無視されたり、また一度自分と遊ぶ約束をしても、友達が別の子に誘われたらあっさり断られるような存在だった。

当時は自分はどうしていつもこういうポジションなのか、悩んだ。

自分に原因があるのかもと思って、ちゃんとしている子のしていることを見ては、ああしてみたらこうしてみたらと試行錯誤もした。

でも、大人になりADHDと分かり、その特性を知れば知るほど、自分がそういうポジションだった理由がわかった。

今でもいじめではないものの、仲良くしていたはずが、あっさり縁が切れることがあったりする。

自分の取り柄といえば、優しいことだと思っていた。

相手気持ち立場に立って、自分だったらと考え、相手気持ち理解するように努めたり、

自分ADHDからこそ、ちょっと変だと思うことも、相手特性やいろんな環境の違いなども考え、尊重するように努めたりして来た。

友人が困っていたら、話を聞いたり、手を差し伸べたり、そうやって人と人は優しさでしか繋がれないと思って生きて来た。

優しい=いいこと

優しくない=よくないこと

という子供の頃に教えられた、人に優しくしなさいという当たり前の教えを、疑いもぜずに生きて来た。

自分がされて来たことを振り返ると、優しくない人は多いけれど、

それは優しくない側がよくない行為をしたということであって、

優しい人間でありたい、優しいのは良いこと、長所という考え方で当たり前だと思っていた。

しかし、最近になってふと思った。

世の中の優しさというものは、自分メリットがある場合しか使わないのではないか

例えば、誰かに優しくして、その優しさが自分にとって得になる場合は優しくするが、

優しくしたところで、自分にとって得がない場合は、優しくしない方を選ぶのではないか?と。

そう考えると、無視なども、自分にとって得しない相手に対しては邪険に扱っても良く、

自分メリットがある人間に対して、優しさを使って、もっと得をしよう、という考え方なのではないかと。

そうなると、社会的弱者障害者発達障害者など)に対して優しくしてもメリットなどはなく、

現在そういった社会的弱者に優しくする人は、いわゆる建前上実施している社会福祉による収入の得られる者のみであって、

無償で、優しくするのが良いという理由だけでそういったメリットのない相手に対して理解し助けるといった優しさは机上の空論なのではないか

正直者は馬鹿をみる、とか

優しい人間は損をする、というようなものがこの世の本質であり、

人々が多様性を認め、尊重し合うことを良しとするような考え方は所詮理想論であって、不可能ものではないのか?

「人に優しくしよう」

大人子供にそう教えるが、なぜメリットもないのにそんなことを言うのか。

事実、他の子おもちゃを奪う、自分のしたいようにやる子の方が生きやすく、得をする社会であって、

本音ではそれをわかっていながら建前上、一応そういった声かけをしているだけ、と言うことなのだろうか。

もし、メリットのない優しさなど損で不利なものであるとするなら、

自分も得にならない優しさなど捨て去るべきなのだろうか。

相互関係ではない、一方的な優しさだけを持って、

世の中の優しさには期待せずに生きるというのはあまりにも過酷すぎる。

ソクラテスは言った。

人は道徳的でない行いをしている時、実は内心傷ついていると。

メリットのない優しさを切り捨てることは道徳ではない行為ではないのだろうか。

そういう優しさを行使しない分、税金を納めて社会的弱者を守る福祉事業支援しているのだから良いということなのだろうか。

長年信じて来た、優しさというものを捨て去ったら、

自分は一体、何を心の活力として生きていけば良いのだろう。

2017-02-18

JASRACが来た

はてなからこのような連絡が来た。

このたび、ご利用のブログ記事に対し、一般社団法人 日本音楽著作権協会JASRAC)の調査部より、同協会著作権管理する楽曲歌詞無断転載されており、著作権侵害に相当するとして削除要請を受けています対象となる記事楽曲および楽曲JASRAC作品コードリストは、添付ファイルとしてお送りいたしますのでご確認ください。著作物作詞者・作曲者音楽出版社アーティストは同協会作品データベース検索サービスJ-WID (http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/)でJASRAC作品コードによる検索によりご確認いただけます。お手数をおかけいたしますが削除につきご検討ください。また、掲載されている情報権利侵害に該当しないため、削除にご同意いただけないという場合にはその詳細な理由をお知らせください。

私のブログ、1日のアクセス400くらいなんだけどJASRACさん、細かくチェックしてるなぁ。確認した所、たしかに何個かの記事は、CDが発売されていない頃の耳コピとは言え、歌詞をそのまま書いている記事だった。これはすぐに削除した。今後もこういうものは扱わないことにしようと思う。

アニメOPED歌詞を扱っているブログは、連絡が来ないうちに対応したほうが無難かもしれません。

しかし、他の「空耳歌詞とか「英語歌詞自分和訳したもの」とか「替え歌」の記事までダメって言われてた。

これはちょっと納得行かない。歌詞を公開することが目的ではなく、ニコニコなどで盛り上がった空耳ネタを残しておこう、というだけの記事で、これによって本当の歌詞を公開しているサイト著作権者不利益になるわけではないし、そもそもJASRACにそこまで取り締まる権利があるのだろうか。

じゃけん、一度だけ抗議してみる。

尚、削除にご同意いただけない場合に、ご説明いただいた理由は、申立者にそのままお伝えすることとなります。ご説明に開示を望まない事情がある場合、あるいは開示できない箇所がある場合はその旨もあわせてお知らせください。7日以内に削除あるいはご連絡をいただけない場合勝手ながら弊社にて当該サービスプライベートモードに固定するなど、送信防止措置をとることがあります。ご注意いただきますようお願い申し上げます

ダメだったら諦めて削除するし、もうこういうのもダメなら、今後は歌詞関係ネタは二度と扱わないようにしようと思う。


それだけ。別にJASRAC死ね!とか「僕は悪くない」みたいな話ではないです。

JASRACが私のブログの幾つかの記事について削除を要請するのは、多分正当な権利行使だと思うしそれについては文句がない。

ただ、いくつかの記事については基準が納得行かないので、一度ちゃんと確認してみよう、というそれだけです。

http://anond.hatelabo.jp/20170218004738

それくらいで人事権行使するような人間なら

むき出しの敵意見せるレベルの女課長とどっこいどっこいだろ

2017-02-16

いじめ

いじめが起きた時、どこで対応すれば妥当なのかがわからない。

いじめをした子の親がそのことについて把握していればいじめ大事にはならないだろうからいじめが起こるのはまず家庭のコミュニケーションの不足があげられると思う。

今は両親とも働いていないと経済的にゆとりのない家庭が多い。だとすれば家庭のコミュニケーションの不足の増加は近年の社会的な傾向でもあるだろう。

では学校対応できるだろうか?こないだのホッテントリ入りしてた先生エントリーを見ても明らかだがそんな余裕は学校側にもないだろう。

教育困難校に勤務してるけど、もう無理

スマフォの普及、SNSの普及で対応しなければいけないことが多すぎる。そして先生一人当たりが見なければいけない生徒数も多すぎる。

想像してみてほしい。自分先生で30人の生徒の面倒を見なければいけないとしたら。一人ひとりまで細かく対応するなんて無理、ってなるだろう。

では警察なのか?ウィキ定義だと

警察(けいさつ、仏: Police)は、実力を以て社会治安を維持する行政作用及びその主体をいい、社会安全治安を維持する責任を課された行政機関である

警察機能

警察機能には三つの基本的部門に分類することが考えられる。第一犯罪の予防や治安の維持などの行政警察活動を行う一般予防部門であり、第二に既に起こった犯罪捜査犯人逮捕などの司法警察活動を行う犯罪捜査部門である日本警察活動ではこの両者が区別されている。第三に反政府活動暴動騒擾調査や警戒、防諜などの公安警察活動を行う特別部門がある[4]。

また警察機能には通常の警察力で対処が困難な暴動騒擾などを鎮圧することを目的とする治安警察活動を行うものもあるが、これは広義には行政警察活動に含まれる。ただし市民人権に対して行使される公権力が強大であることから、分けて扱うこともある。

個々のいじめに対しては大きすぎる権力に感じるのだけれどどうなのだろう?成長過程の子どもにも学校いじめ警察が介入してきたというのは強い後遺症を残すのではないだろうか?

では教育委員会ウィキ定義だと

教育委員会(きょういくいいんかい英語: board of education)は、教育に関する事務をつかさどる行政委員会である

事務だったらそれも違うよな。では児童相談所

相談の種類

相談種別は、五つに大別される。

養護相談 父母の家出、死亡、離婚入院などによる養育困難、被虐待児など。

保健相談 未熟児虚弱児、小児喘息など。

心身障害相談 障害児、発達障害、重度の心身障害など。

非行相談 虚言、家出浪費癖性的な逸脱、触法行為など。

育成相談 性格や行動、不登校

児童相談所相談すればいいのかな?いじめを受けて児童相談所相談した例を知らないのだが、それで解決できるんだろうか?先生児童相談所連携がうまくいけば何とかなりそうだけれど。

2017-02-13

学校の「悪ガキ」どもを許してはならない。

子供は、ひとり一人は素直でよい子である、などと言う。

そんなこと当たり前である。十代でも極悪人はいるかもしれないが、いるにしても稀であるし、子供犯罪なんて、今のところ、たかが知れている。身体爆弾を巻きつけてゲームセンターコンビニ自爆して、何十人も殺した例は日本では、皆無である

子供の「問題的行動」は、結局のところ、学校という集団学習環境で、著しく学習妨害をする場合に限るのである

授業に無関心であろうと、寝ていようと、構わない。他の子供の学習邪魔をしないのであれば、なんとか見過ごすこともできる。しかし、他の子供の学習妨害をすれば、大問題である邪魔の仕方は、有形力の行使が多い。他の子供の怪我に直結する。

この程度の「悪人」は、全国津々浦々の小中学校には、ありあまるほどいる。さすがに高校大学では、あまり聞かない。

義務教育原則、退学・放校がない)の甘えがあるのか、玉石混交の悪い面が出たのか、それはわからぬが、このようなガキどもには、鉄槌を食らわす必要がある」と話す威勢のいい人は、現場を知らないだけで、実際は、このような子供が、学校では、異常に大切にされている。

学校不思議施設で、白黒を、はっきりさせない。問題行動を取る子供を、崇め奉る。「悪ガキ」を排斥しない。むしろ、おとなしくまじめな「よい子」を、排斥する傾向がある。

以上のことは、現場教員なら、思い当たるだろう。なかなかにハリポタ世界ではある。

感情魔法とでもいうべき、不思議な傾向である

一時期、手のかかった子供ほど可愛い、と言うのが流行った。さすがに今はない。

数少ない「問題の子供」に、手がかかってしまうと、他の大部分の子供に迷惑がかかる。であるのに、その張本人可愛いなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。

十代の悪人を、教員は、決して許してはならないのである

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211172708

つ「日本国憲法

第二十条

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

何が「特権」なのかはよくわかんないけど、公有地をタダで借りた町内会私費祠や鳥居建設すると神道特権を与えたことになるらしいから(砂川政教分離訴訟)、公費ムスリムによって聖句を唱えながら屠殺された肉をムスリム専用の調理器具を用意して調理して公立学校給食に出す」ってのはイスラーム特権を与えたことになるんじゃない?

2017-02-06

公人精神疾患アウティングについて

為政者精神疾患暴露されねばならない

為政者精神疾患については一般に、公益に重大な関わりがあるから、指摘されねばならない。暴露すること(アウティング)が必要である

それに対して一般に、私人プライバシーについては暴露されてはならない。「この人は境界性人格障害だ」とか「アル中だ」とかどころか、精神疾患に関わることですらない普通のこと、例えば「ゲイかもしれない」とか「親は生活保護受けている」とかも、あるいは「親は外国人だ」とか「ムスリムだ」とかも、暴露されてはならないのである。ちなみに、それをやっても憚らぬところに日本社会の異常と横暴がある。ついには国会にまで呼び出して「親は生活保護受けている」イジメをしたりする。吊るして見せしめにすることで「綱紀を引き締め」、民衆ストレス解消を解消し、腐敗し壊れた社会体制を維持するのであろう。

往々にして過去にも現在にも、侵略者暴君精神疾患をもっている。いまは既に殺されているカダフィにせよPTSD統合失調だろうということは指摘されてしかるべきであったし、カエサルシーザー)やチンギス・ハンやナポレオンにせよ精神的におかしいところがあったから飽き足らぬ侵略を行ったのである。たとえ既成権力構造を打破するという名分があったとはいえ、織田信長によるジェノサイドもいささか精神疾患じみている。ましてやアドルフ・ヒトラーについては言うまでもなくアタマがイカれている。

なぜそうしたイカれた侵略行為が野放しどころかむしろ支持されるのか、そのことにも反省必要である。たとえばナチズムにせよ十字軍にせよ、主導者の精神疾患性ということのみならず、支持者や社会精神疾患状態にあるのであるイスラミック・ステイトによる、統治におけるファシズムと、テロリズムも、同様に、壊れている。

アベ晋三にせよドナルド・トランプにせよ、狂信的であることは言うまでもないが、そもそも言動からして精神疾患をもっていることが明らかに見て取れる。ちなみに、その精神疾患性がゆえに狂信に至り、狂信がさら精神疾患を高めるという悪循環である

信仰宗教)と政治は同根であった

なお、その狂信も信仰であるにはあろうが、信仰政治に持ちこんではならない。そもそもは信仰シューキョー)というのが統治のための手段であったのだから歴史的にみていわゆる「政教一致」は当然のことであった。なにせ信仰というのは、現実関係がなく、「ダメなもんはダメ」が通用し、社会の既成構造を堅持することが容易い。そして、政治意味不明になって腐敗してしまう。民は信仰により隷従させされ、国家家畜になる。その闇(病み)を打破したのが西洋近代革命である

ちなみに、その信仰政治への持ち込み(政教分離違反)についても、日本人には自覚反省がない。信仰シューキョー)を信条だと強弁したり、儒教教義道徳だと強弁したりして、平然と政教一致社会体制を堅持している。滑稽であるが、迷惑だ。実害がある。

為政者精神疾患に気がつけないことの危険

話が逸れたので戻すが、首相大統領のような為政者精神疾患をもっているのに指摘されないのは危険なのである。「精神的にかなりおかしい人だけど政治家にする」という、判っていて敢えてやるのならばまだしも。首相大統領だけではなく凡そ公権力行使者について同様で、公費でたびたび県の反対側にまで温泉旅行に行ってそれを批判されたら泣いて自転車で逃げる県議とか、SNS中高生言動が気に食わないからって脅す議員とか、精神的にどこか来している。

精神疾患をもった為政者の多くはおそらく、首でもくくったり、飛び降りたり、アル中になって失職して孤独死したり、形態はさまざまあれど、可哀想な終わりになってしまう。だから放置しているのは当人のためにもならない。しかし稀にそうした結末にならずに祀り上げられて横暴のかぎりを尽くすことがあるから、先述の通りの暴君が出る。いずれも、ためにならない。

思うに香山リカとか和田秀樹だとかだって、アベやトランプ精神疾患なんだってことは手にとるように判っているだろう。けれども、判っていてもそのことを公言しない。それは、一般アウティングを避けるべきだということが医師にせよ社会人にせよ必要であるからだろうし、真実暴露してしまえば社会から狩られるからかもしれない。大概の人は、狩られるのが怖い。勇気をもって人生と命を懸けて行動しないのは、エゴイズムなんだけど、残念ながら可哀想もので、怖いのだろう。

だがそうして「王様は裸だ」(自尊心が高いだけのアホの気狂いだ)ということを「ロバの耳」の如く人知れぬ山林の穴に叫んで埋めてくるようなことをしていていいのか。もしかするとそうしているうちに、王様は裸だということすら、誰にも判らなくなるかもしれない。そのとき国家社会も、自分自身のことすらも、自ら制御不可能になり暴走するのである。誰にも止められない

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203012956

リベラルの敗因なんてはっきりしている。「弱者には理想押し付けても構わない」って傲慢だよ。

リベラルを自認する人でも、ごく一部の夢見がちな人以外は普通に現実主義者でもあるから

実のところ強者モラルなんかあまり求めていない。求めても仕方がないとわかっているからだ。

から、例えば歌舞伎役者の性事情が乱れに乱れまくっていても、ある程度ならしょうがない、

あそこは元々そういう世界から、と心のどこかで受け入れてしまっている。

ここまではリベラルとか関係なしに、当たり前の話だ。

なのに彼らは、弱者に対しては割と平気で、寛容であること、誠実であることを押し付けようとする。

そういう姿が弱者の側からは二枚舌に映るわけだ。

たぶん、全体の利益を考えれば、リベラルの言うこと聞いた方がいろいろうまく回るんだろう。

非モテの男は優しく倫理的で無害である方がいいに決まっている。

しかし、弱者がそれに甘んじなければいけない道理なんて、よく考えてみると、実は全くない。

金がなくても選挙権があれば、それを自分の好きなように行使する自由はあるし、

非モテにも酒飲ませてレイプとかは論外にせよ、小手先技術自分を大きく見せる自由はある。

なぜ自分ばかりが、あいつらの理想押し付けられなきゃならないのか?

おそらく、EU離脱派にもトランプ支持者にも、そして恋愛工学の徒にも共通していると思うが、

批判する側がそうやって大上段から倫理を振りかざして否定してかかったって、耳を貸したりしない。

彼らはもう、そういうのに心底うんざりしているのだ。

まずこのことに気づかない限り、不毛コミュニケーションがこれからも続くことだろう。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.好き嫌い意思表明に是非は問えますか。

答えとしては「好き嫌いの表明は自由だが、尊重されるのはそこまで」といったところだ。

評価されるものというのは、総体的に見て賞賛批判が表裏一体の存在である

でなければ、それはそもそも評価に値しない(賞賛批判もするような代物ではない)。

故にそれが評価に値するという前提が共有されているなら、「賞賛することそのもの」や「批判することそのもの」に是非を問うべきではない。

だが、担保されるのは行使のみである

評価する人間は、評価される人間でもあるしな。

ここを混同して、意思の表明そのものまで脅かしたり、脅かされたと認識する人も少なからずいるが。

Q.内容の是非が問われているのに、意志表明そのものを脅かされたと誤解する人が出てくるのはなぜですか。

主張の是非について語る上で重要なのは大まかに三つの段階がある。

一つ目は前の回答の「行使」だな。

二つ目は「筋道」。

先ほどもいったが、意志の表明そのもの自由なので是非は問えないが、それをどういった筋道で表明しているかには是非が問える。

ザックリいえば、法的に、道徳的問題のない、正当な範囲内での手段意志を表明することだ。

三つ目は「内容」。

これは主張する内容の妥当性だとか正当性だとかだな。

例えば正しい筋道行使された主張であっても、内容の是非は別の話だっていうケースもあるし、主張の内容に妥当性があっても筋道が成っていないというケースもあるということだ。

だが、これら段階を常に一纏めにして解釈する人もいるのだ。

筋道のせいで否定されようが、内容のせいで否定されようが、結果的にはその主張を否定していることに変わりないこともあって、意思表明そのものを脅かされたと混同する人が出てくるわけだな。

当然、前の回答で語ったように意思の表明そのものを脅かすというのは、行使する権利のもの否定したときであって、その筋道や内容の是非について語ることは可能なのである

ああ、そうだ。わざわざ言うことでもないかもしれないが、私の答えはあくま教養必要としない人向きの答えだから、ちゃんとした答えを手に入れたければ君自身勉強することだ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん