はてなキーワード: 行使とは
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
答えとしては「好き嫌いの表明は自由だが、尊重されるのはそこまで」といったところだ。
評価されるものというのは、総体的に見て賞賛と批判が表裏一体の存在である。
でなければ、それはそもそも評価に値しない(賞賛も批判もするような代物ではない)。
故にそれが評価に値するという前提が共有されているなら、「賞賛することそのもの」や「批判することそのもの」に是非を問うべきではない。
ここを混同して、意思の表明そのものまで脅かしたり、脅かされたと認識する人も少なからずいるが。
主張の是非について語る上で重要なのは大まかに三つの段階がある。
一つ目は前の回答の「行使」だな。
先ほどもいったが、意志の表明そのものは自由なので是非は問えないが、それをどういった筋道で表明しているかには是非が問える。
ザックリいえば、法的に、道徳的に問題のない、正当な範囲内での手段で意志を表明することだ。
三つ目は「内容」。
例えば正しい筋道で行使された主張であっても、内容の是非は別の話だっていうケースもあるし、主張の内容に妥当性があっても筋道が成っていないというケースもあるということだ。
だが、これら段階を常に一纏めにして解釈する人もいるのだ。
筋道のせいで否定されようが、内容のせいで否定されようが、結果的にはその主張を否定していることに変わりないこともあって、意思表明そのものを脅かされたと混同する人が出てくるわけだな。
当然、前の回答で語ったように意思の表明そのものを脅かすというのは、行使する権利そのものを否定したときであって、その筋道や内容の是非について語ることは可能なのである。
ああ、そうだ。わざわざ言うことでもないかもしれないが、私の答えはあくまで教養を必要としない人向きの答えだから、ちゃんとした答えを手に入れたければ君自身が勉強することだ。
二人で決めた、とかじゃなくて不妊
何だかんだで子供ができなかったことも、それも人生とあきらめがついたつもりだったけど
以前は妻もよく「子供欲しかったなー」とか言ってたけど最近は言わないし(心の中はわからないけど)
なかなか休めないし、風邪で一人休んでもそれなりに大変な職場ではある
全国に支店があるぐらいの企業で就業規則的に育児休暇のシステムもあるし、
若手の男どもが当たり前の様に(当たり前の権利だけど)育児休暇を取り、
育休が明けても「子供を風呂に入れないと」と言って夕方に帰っていく
育休を取った人を「干す」様な余裕もないですし
(就職説明会に来てくれる人には、いい職場だよ、とアピールする…複雑)
自分はその権利を行使することは未来永劫ない、って思うと結構きついな
お互いカバーし合って、お互い休める様にしよう、って言うけど、
誰かが「子供の運動会だから無理」という日は独身者と同じ扱いで週末の仕事に入り
自分は気を遣われることはなく、一方的にカバーし続けるだけなんだよな
まだ心の底では整理がついてないんだろうか
こんなこと書くと叩かれるのはわかってるんだけど
お前みたいな意識の奴がいる限り…って
正直私は、2013年時点でオンプレミスの会計ソフトが既に自動仕分けに対応していたのか、それともクラウド会計が自動仕分けを強みに勢力を延ばしてきた事を受けて、
オンプレミスが後追いで自動仕分けに対応してきたのか把握できていません。
もし、おっしゃる通りにオンプレミス版会計ソフトが出願日以前に既に同様の自動仕分けに対応していたとすると、それがクラウド版になるというだけでは特許としての進歩性が認められる事は無いと思います。
結果的に、特許審査官は出願日以前に発売されていた会計ソフトが自動仕分けの機能に対応している事を確認できなかったという事になります。
(特許審査では、過去の特許文献だけではなく、既存パッケージやサービスのカタログ等でも過去に公開されているものがあれば拒絶の理由とします)
プロである特許審査官が明示的に出願日以前に同様の会計ソフトがあった事を明示し拒絶できなかったのに、ニュース上の特許解説だけを見て何の根拠も明示せず
「この特許技術は何十年も前からある」とか「オンプレミス版会計ソフトでも既に対応していた」というのは説得力に欠けると思うわけです。
それだけありふれた技術であれば、「この会計ソフトで○○年に同様の機能が提供されていた」とか「この文献に同様の技術が記載されていた」という根拠を明示すれば
競合する会社は特許を無効にする事もできる訳で、正式な審査手続きを経て特許が正式に認められた会社がそれを行使する事を「卑怯」とか「マナー違反」のように批判するのは違うのではないかと思い元記事を書きました。
もし、特許審査がザルで、何でもかんでも特許を認めてしまう事で係争コストや無効審判コストがビジネス上の不利益になっていると言うのであれば、問題視するべきは企業ではなく特許審査方法や特許法そのものという事になると思います。
元増田です。
そんな簡単に会社潰れるってことはないと思うけど、世の中そんないい会社ばかりってわけでもないし、ある程度は割り切りも必要かなと。
そんなにこの仕事が好きと言うわけでもないけど、やりがいはあるんです。
お金にはあまり結びつかないけど、客室清掃の現場責任者としてやっていることが少なからず質的な成果として得られるし。
会社から放ったらかしにされる分、かなり自由に出来るので、色々と楽しいんですよね。
あと、働いてるみんなの事も大事だし、メイドさんを含めたスタッフの何がしかの役に立ってたい。
色々と苦労してきたから、自然と現場に対して愛着も沸いてしまいましたしね。
なかなかこれは人生ではそうは簡単に経験できないと思う貴重さってのもあり、気持ちとしては辞めたくない部分もあります。
でも、出来るだけ早く辞めるつもりです。
その為に、あまり問題なく次の人に引き継げるようにもしてきましたし。
会社は会社の考えがあると思うし、うまくやれるならそれでやってもらったらいい。
ただ、別に私は愛社精神はないし、考え方も合わないし、しかしその考え方を押し付ける気もさらさらないというだけです。
所詮は雇われ人、こっちは辞める自由を行使すればいいだけだし。
その時間帯は通常でも座席に数名がまばらに座っている程度の混雑具合なのだが、その車両には人が一人しか座っていなかったのだ。
すると目の前に並んでいた数名が何かに気付いたように並ぶのを止め、別の場所へと移動していってしまった。
それを不思議に思って車内に乗り込むと、その疑問はすぐに解決した。
座っていたのは見るからに汚れた衣服を身にまとい、髪も髭も任せるままに伸ばしたままの若い浮浪者で、社内には鼻を指すような異臭が充満していたのだ。
わたしのあとに乗ってきた乗客は一瞬で顔をしかめるとすぐに別の車両へと移動していってしまった。
それを見ながらこれは誰かが注意しなくてはいけない問題だと思い、なんと声をかけようか彼の方に目をやると、彼の手に握られているものが目に入った。
彼がそれを意図していたのかは知らないが、料金と日付けが印刷された面がしっかりと見えるようなかたちで彼の手に切符が握られていたのだ。
山手線のように循環しているなら不正乗車が容易に疑われるが、これは都内を横切っていく地下鉄の車内だ。
手に握られている切符に記載されていたのは、進行方向に矛盾のない、わたしが乗り込んだ駅の3つ手前の駅名だった。
わたしは彼をどんな理由でこの車内から追い出すことができるのだろうか。
お互いが気持ちよく過ごすために必要な、いわば暗黙のルールだ。
確かに彼は匂いと不潔さという、公共の場において明らかなマナー違反をしていると言える。
しかし、世の中には容易くマナーを破る人間もいれば、自らのルールを押し付けてくる人間もいる。
どこまでのマナー違反ならば乗車を拒否することができて、どこまでのマナー違反であれば個人の持ちうる権利だと言えるのだろうか。
多くの人間にとって見れば、わたしはマナー違反の客をつまみだした英雄と称されるかもしれない。
しかし、彼本人にして見れば、それは世の中の常識を押し付けるという一方的な暴力にも感じられてしまうかもしれないのだ。
その生活が彼が望んで陥ったものではないとするのであれば、ここでわたしが彼を車内からつまみ出すことは果たして正義と呼べるのだろうか。
すぐに答えを出すことができないわたしは、とりあえず自らの行動の是非を問うためにも彼と同じ車両にいようと思い、扉を挟んで斜め前の席に腰を下ろした。
同じ権利を持つ者同士、追い出すことも出ていくこともおかしいことのように思えたのだ。
彼はそんなわたしのことなど気にする様子もなく、相変わらず切符を持ったままどこか一点を見つめている。
次の駅に差し掛かると、先ほどとは違い乗客は普通にこの車両に乗り込んできた。
しかし異臭に気がつくと車内を見回し、浮浪者がいるとわかるとやはり何も言わずに隣の車両へと移っていってしまった。
おそらく、乗り込むときにわたしが目に入ったことから、車内の異変を察することができなかったのだろう。
確かにその浮浪者は臭かった。掘り下げるまでもない浮浪者特有の匂いは、一駅を通過しても相変わらずに鼻を突いたままだった。
もちろんその匂いは耐えられるものではなかったが、しかし、その疑問と向かいあいたい一心で、わたしはその場を離れることができなかったのだ。
そうこうしている間に電車は次の駅に到着した。
すると浮浪者の彼は立ち上がり、車外へと降りていった。
どうやらここが彼の目的地だったようだ。
やはり、彼は自らの権利を全うしたに過ぎなかった。
ならばわたしがするべきことは何だったのだろうか。
くさいということを理由に健康的な食事で培った肉体で彼を車外に追い出せば、それは正義という名の暴力と同一だ。
混雑していた車内であれば遠慮を促すこともできたかもしれないが、全く混雑してないこんな状況であれば多くの健康的な乗客は車両を移動すれば席からあぶれることなく済む問題だ。
お金をわたしてシャワーを浴びろといったところで、そんな支援を継続的にできるわけでもないなら明らかな偽善だ。
それにもし彼が空いている時間帯を選んで、迷惑を最小限にしようと考えていたのであれば、これ以上のない気遣いだったと言えよう。
結局のところ、何かを嫌だと感じたなら自らが避けて通ることしかできないのであって、それが嫌ならその場にい続けることしか出来ないのだ。
なぜなら、そこにある権利は対等であり、等しく切符代を払った電車の乗客でしかないのだから。
もしこれが異臭ではなく、人前でのメイクや、折りたたまれないベビーカー、イヤホンから漏れる大音量の音楽、大声の通話、座席の独占、床への座り込み、匂いの強い飲食、大きく膨らんだリュックサックなどだったらどうだっただろう。
今まではそんなこと一つ一つに嫌な顔をしてきた自分ではあるが、今回のことを受け入れられたのだからこれからは全てを受け入れることができるだろう。
わたしの行動が正しかったかどうかは分からないが、そういうことに寛容である世の中であって欲しいと思う気持ちが芽生えた出来事だった。
そんなことを考えていると、締り際のドアに若い女性がギリギリで駆け込んできた。
間に合った安心感と走ったことによって上がってしまった息を整えるように大きく息を吐いてから深呼吸をした直後、驚きと恐怖と怒りと嫌悪が複雑に入り混じった視線をわたしに投げかけてきたのがわかった。
わたしではないと言いたかった。しかし、この状況を簡潔に説明できるような時間も余裕も話術も持ち合わせていなかったわたしは、困惑の視線を返すことが精一杯だった。
すでに怒りに支配された靴音を響かせながら隣の車両へと移っていく女性の後姿を目で追いながら、浮浪者が降りたあとは自らも車両を移る必要があるという知見を得たことに取り残された車両で一人唸っていた。
あのなぁ……
さっきから無茶苦茶なんだよ。日本語の読解力もかなり怪しいけど、そもそも根本的に権利ってものを勘違いしている。
あんたが国に権利を主張したいなら、権利により与えられるものがあるなら、然るべき手続きを取れば国は動いてくれるよ。ただ、基本的に手続きは自分でやる。やりたくない人は司法書士とか雇ってやってもらう。
だから「伝える権利」は意味不明なの。「権利の行使」がもたらす結果、そこら辺があんたの話からすっぽり抜けてるんだよ。そのコストをかける理由とかね。
http://togetter.com/li/1058947
これ。ここでコメントしている奴らは、みんな偽善者。何も知らない。
自分は、既に数年、週に一度路上生活者(ホームレスって言葉が好きじゃない)の支援活動をしている。といっても、二三時間のお手伝いといったところ。
まず、最初に言っておくと、役所、特に都内の区役所に排除傾向があるのは確か。都庁そばの新宿中央公園は、少し前まで夜中に眠れたけど、今はダメになっている。ベンチに寝ていると、警備員が注意しに来るのも日常茶飯事。それも、普通の身なりの人が寝ていると何も言わないのに、ホームレス風の人は狙い撃ち。椅子を減らし、そこで挙げられたような寝にくい仕切りの椅子を増やしているのも確か。オリンピックに向けて路上生活者排除傾向は確実にある。
公平を期して言うと、一方で役所が路上生活者向けの生活支援をしているのもある。実際に役所の委託先になっている施設に行くと、都庁の職員なる人が「家とかを世話するので、介護の仕事しませんか」と声をかけてくる(怪しいのも多いので、声をかけるてくるのは注意する必要があるけど、これはちゃんとした話)。でも、成果が上がっているとはいいがたい。生活保護も、入れららた先の施設の利用費が高額で、月に3万程度しか余裕がないらしい。これじゃ、社会復帰も無理。
で、実際の路上生活者はどんなのかというと、鈍くて、不器用で、それでいてプライドの高い、使いにくいやつばかり。中には、とても実直でまっとうな人もいるけど、全体では少数。身なりは汚いし、頭のイカレたやつも多い。人の話なんてまるで聞いてないだろといううやつがたくさん。支援で食料とか衣服を渡しても、「あんがと」の一言があればいいほう。公園に住んでいる奴の中には、公園の職員とけんか腰にやっている奴もいる。てめえは勝手に公園に住んでいるだけのくせに。
役所や近隣住民が彼らを排除したいと考えるのも、よく理解できる。
でも、一番忘れられているのは、「彼らは目の前で生きている」という現実。彼らに選挙権他、ほとんどの権利は行使できない。だって家がないから、彼らはそこに存在しないことになっている。身分証明書だってなくしている奴もいる。こうなると、彼らは政治的には「存在していない」。だけど、彼らは目の前で「生きている」。地にはいつくばって生きている。
支援なんて、週に数時間。だけど、彼らは24時間365日ホームレス。このギャップは大きい。ましてや、「こんなことは人権侵害ザマス」なんて、高い飯食いながらコメントしているなんて、ちゃんちゃらおかしい。ほとんどギャグ。本当に意見言いたかったら、現場来いよ。そこで彼らの持つ「どうしようもなさ」をもっと身に染みて感じろ。いやでも生きている彼らをちゃんと受け止めろ。
自分は、「ホームレスのいない社会」も結構だけど、「ホームレスでも生きていける社会」のほうがもっとまっとうだと思っている。落ちこぼれる奴なんて、いつだって出てくるんだから。それらとうまく付き合って、やっていける社会のほうが、よっぽど健全だよ。
あえて書かなかったけど、実は元「当事者」です。つっても、春から夏にかけての数か月。冬の厳しい時期を知りません。いろいろあって、今はネット環境を維持できるくらいの生活はしています。
だから、「お前ら現実わかってない」とちゃんと言える。ただ、みんなに「ホームレスになれ」と言うつもりはないし、だから「現場に来い」というくらいにとどまっている。でも、公園の冷たい土の上で椅子をどこかから持ってきて会話していると、とてもつらくなる。「雨降ったらどうするんだろう」という思いでいっぱいになる。逃げ場を探すだけでも大変だった。
だから、「もしホームレスが家の前に来たらどうするか」といえば、「シャワーくらい貸してやる。余裕があれば下着くらい買ってやる」といえる。でも、それをしないのは、どこかの時点で「出て行ってくれ」と言わざるを得ないから。そう言われるのがつらいのはわかっている。支援をするなら、十分動ける集団でやるのが正しい。個人で頑張っちゃダメ。
「彼らがなぜホームレスになるのか」といえば、ひとえに「性格」。人と仲良くなれないし、意地張りすぎ。きれいな妥協点を知らないし、不器用。路上で不快な目にも合っているから、ますます人間不信も強くなる。普段そばにいる奴だって、いつ何するかわからないから、気も抜けない。
http://altavista.hateblo.jp/entry/2016/12/10/003830
実際両方やってたらシャドバがハースストーンをパクったかどうかなんて恥ずかしくて声に出せないレベルなんだが、どうやらわかってない連中がいるので。
なお、ハースストーンはMTGをパクったが、それはカードゲームという概念をパクったという意味であり、各種システムをパクったシャドバとは同列に扱わない。
偉大なるMTGが編み出したマナ・色マナの概念は豊かなゲームプレイの元とはなるが、土地事故であぼーんの元でもある。
ハースストーンでは毎ターン1マナずつマナが自動で増加し、10マナまで増え続ける事で序盤の小競り合いから10ターン目付近で巨大クリーチャー(または呪文)により決着をつけるという分かりやすいゲーム展開を生み出した。
各プレイヤーのターン中、対戦相手は操作によって盤面に干渉する手段は無い。お互いのやり取りを楽しむという意味では攻撃指定・防御指定・妨害呪文等を行使できればプレイの幅は広がるが、どうしても対戦時間の延長につながる。思い切って防御側は何も行動できない仕様となっている。
各ターンの持ち時間が比較的少なく、時間切れが迫るとアニメーションによって、切羽つまった感じとなる。
シャドバ=ターン終了ボタンが爆発?
これはそのまんま。
(追記:同じカードの中でもレアなキラカードがある。キラカードは性能は全く変わらないが他のカードが止め絵なのに対し、髪がなびいたりヨダレが垂れたり部分的なアニメーション演出がされている。)
ハースストーンやってたらシャドバのチュートリアルは不要なほど同じ。ほんと同じ。ボタンの配置や操作性とかもうほんとまじで。恥ずかしくないの?
シャドバにアリーナなんて無くても良さそうだがわざわざつけた。
途中で書いてて飽きて来たけど、やってたらわかるとしか言い様がないほどパクってる。
シャドバの開発者はハースストーンをどう和風に再構築するか?をベースに開発したのは間違いない。(ハースストーンはMTGを再構築したのでは無く、デジタルカードゲームを再構築した。)
結果として、分かりやすいインターフェース・ダイナミックな試合展開(ランダム性を意図的に排除し、強コンボによる爽快な戦い)+ログインボーナス・萌絵等、良いゲームとなっているが、シャドバがハースストーンのインターフェースを丸パクリしたこととそれはまた別の話。
ヒーローはあくまで「戦士・プリースト(感謝します)」といった職業を代表したキャラクターでしか無く、課金して別の名前・顔・セリフに変更できる(着せかえなので性能は同一)。
敗北するとヒーローが爆発する。
ヒーロの顔を選択すると周囲180度に漫画のようにセリフアイコンが表示され、それを選択すると「挨拶・感謝・煽り(感謝します)・反省」等のシンプルなセリフを表示可能。
カードを出したとき、カードが攻撃を受けたとき・死亡した等に、音声セリフなどが流れゲーム展開を盛り上げる(誰か怪我人はいませんか?)。
ダブって不要となったカードを使って、カードを生成出来る。コモンからレジェンドまで、生成出来ない限定カードは一切無い。
ゲーム場の背景は戦場だったりダンジョンだったり、賑やかしとしてモンスターや森などが動いている。
言っとくけどシャドバはシャドバでいいところ沢山あるからね。
本質的には楽して手っ取り早く皆からの注目と称賛を集めているように見えるというだけ。
著作権違反しているように見えても、
そんなに嫌だったら転職すればいいじゃない。
憲法には一つの企業に就職したら絶対に定年まで勤め上げなければならないなんて明記されてないし、法的にも何も強制してないし、それどころか職業選択の自由を日本は認めてんだからさ。
役員や役職を与えたいほどの技能を習得していたら諸手を挙げて受け入れてくれる企業だってあんじゃん。
もしあなたが特筆すべき技術も有していなくて、ただの社会の徒食者のような人間であるのならば、受け入れてくれる企業があるかは知らないけどね。
そりゃ主義主張ばかりが強くて、何の苦労もしなくて社会保障制度を蝕んでいく人間なんて、どこの企業もお断りだろうよ。
断られたときは自分を呪うか、自分がその程度の人間なんだときちんと認識して受け入れてください。
考えてもみてよ。
全く知らない人があなたの会社で「帰る家もお金もない…助けて」と声をかけてきた。
かわいそうだからという理由で受け入れたら、投資のために貯めていた内部留保を毟り取られるんだよ。
かといって、その人は労働をするわけでもなく、ただ会社の中で腹が減った、娯楽が欲しいと大声で叫び続けるんだ。
しかし、その人が営業上手でどこかで稼いできたり、あるいは積極的に特許を取ったり、雑務を協力的にしてくれるんだったら、受け入れて良かったと思うんじゃないかな。
そもそも営業上手で稼げるレベルなら、誰かに頼ることはしないのかもしれないけどね、つまりそういうことだと思う。
私程度の百数十時間程度の残業で、一体何人の労働時間を補填できるんだろうと考えときがある。
社屋などのランニングコストを考えたら、もしかしたら数人にも及ばないかもしれない。
その社屋を使って営業にも行くだろうし、接待にも出るだろうし、飲みにも行く。
海外赴任(ベトナム)の経験から、雨が降ったあとに外を出歩いても泥で裾が汚れないというだけでも、かなりありがたいと思っている。
ブラック企業に就職して、食べていく道を選んだのは君たちが選択した結果でしょ?
だれもブラック企業に就職しなければならない、毎日6時間残業しなさいと強制したわけじゃない。
例えば優良企業で働きたかったら、グーグルかどっかに就職して、将来はストックオプションを行使して数億円くらい取得したらいいじゃない。
それがダメかどうかはグーグルが決めることで、グーグルにとってあなたを従業員として受け入れる価値があるかは知らないよ。
もしかしたら、私は「ブラック企業死ね」という人のことが理解できないのではなく、理解したくないのかもしれない。
私は電通が好きだ。
そうであるからこそ、私は電通を良い方向に変えていきたいと思う。
小さな一個人ではあるけれど、もっと働きやすい良い企業にしたいから諦めたくない。
確かに斜陽な企業なのは間違いはないと思うけどね、働きやすい企業を作る可能性はゼロじゃないよ。
それでも「ブラック企業死ね」と言われるのであれば、それは私に対して「死ね」と言っているものと同様であることを知って欲しい。
ぐちゃぐちゃ書いたけどめちゃくちゃよくできてるし、普通に上位答案だと思う。★印以外は難癖だと思ってくだせぇ。
第1 設問1
1.
(1)
(2)
●建物買取請求権行使の主張が抗弁として機能する理屈はめちゃくちゃ難解(大江『要件事実ノート』107頁)なので、これでいいと思う。上位答案の中には結論だけ示すものも多かった(例:6~7位の人「本件において、建物買取請求の意思表示の事実はYが証明責任を負うから、Xに不利益な事実である。」)。
2.
●いいと思う。
3.
●俺は問題提起がここ上手くできなかったので大変良いと思う。
第2 設問2
1.
●訴えの利益の一般論としてはこれでいいのだけど、”現在給付の”訴えの利益の場合、現在給付の訴えであるということだけで訴えの利益が認められるのが原則(ただ理由は実はあんまりはっきりしてない)。なので一応、「①原則として訴えの利益あり、②だが例外として確定全面勝訴判決が既に下されてる場合は否定」とした方がいいと思う。ただ上位答案もあんま書けてないからどうでもいいのかも・・・。
2.
(1)
★急に「債務と責任」の話が出てきてぎょっとする。たぶん限定承認の判例に引っ張られたか。ただ自分でチェック入ってるのでたぶん分かってるんだろう。
★ここは、①既判力では解除の主張が遮断されないことを示した上で、②しかし既判力に準ずる効力によれば遮断できるよ、という流れにした方が書きやすく、かつ、読みやすいと思う。
★あと細かいけど、既判力が生じるのは「訴訟物たる権利法律関係」ではなく、「訴訟物に対する判断」。
(2)
●「執行可能性には既判力に準ずる効力が生じている」はちょっと意味が分からなかった。誰かの説なのかな。
●既判力に準ずる効力が作用する場面が、既判力と同じ(①同一②先決③矛盾)なのかは学説もよく分かっていないので、適当でいいと思う(ただ訴訟物外の判断の効力なんだから同一もクソもないよなぁ)。
(3)
●いいと思う。
3.
(1)
●1.で書いたところを参照。
(2)
●期待可能性で遮断効を調整する説はばっちり。ただ、「おやじが解除してたのを知らなかった」というだけで遮断効を緩和しちゃうのはちとまずいかも。既判力はかなりのキツマンなので、これに加えて「内容証明が届いてたくせに知らん顔して建物買取請求とか言ってんじゃねーよ!」って事情もほしい。ただもちろんこんなこと書いてる再現答案はなかったのでどうでもいいですはい。