多くの人が良い人と悪い人というのは「自分にとって」の「良い人」「悪い人」ということを意識すれば世の中もっと上手くいかないかな?と思った。(あくまで個人の意見)
もしくは人々の共通認識としてあれば蔓延している人に対する不信感は緩和されると思っている。
犯罪者を悪い奴と感じるのは自分に都合が悪いから。いつ自分の物や労力を奪われるか、奪われたら自分の都合が悪いから。
ブラック企業の経営者も犯罪者と同じ。人の時間と労力を奪うから。確かに企業経営危機を何とかしないと行けないのかも知れない。しかし、生命の危機を感じて他人の物や金品を奪うのは犯罪と定義されている。
人の人生、労力、時間を奪うのも犯罪者として定義されうる。日本では(日本だけじゃないけど)過労死ラインの長時間労働が合法となっている。時間や労力は形としてわかりにくいが、極端な話でいうと奴隷行使を犯罪とみなすことと同義。
いやなら辞めろが出来るのがおおきな違いか(他にもあるけど)
しかし、歴史を見て現在までに労働時間が短くなってきたのも事実。
人々が働き過ぎず働かなさ過ぎずの意識を常に持ってれば大丈夫か。
一時的な長時間労働もやむ終えない場合はある。災害救助で生命の危機が迫っている場合。国内ね衣食住が満たされておらず、増産が急務な場合。残業もコレを条件にした方が良いのではないか。そうでないと一部の人に都合がよく、一部の人が搾取される理不尽な残業を認めるのと同義だろう。