2017-03-01

借金玉氏の「残業禁止強者ルールなのでは、という話。」について

「ウァァ!」

「どうも、効率の悪い人です」

については、特にありません。

生産性効率…なんですかね?」

および

創造性は時間単位では計測できない気がする」の前半は、後回しにします。

創造性は時間単位では計測できない気がする」の後半および

残業禁止強者ルール

「で、どうしますかね」

の部分が重要です。ざっくり要約します。

システム化されてる大企業と、中小零細企業は違う。中小零細企業は、たくさん働かないと勝てない。

残業禁止では、資本装備率が高いほうが勝つ。「弱者」はたくさんはたらかないと勝てない。この構図は、「大企業中小企業」に限らず、「定型発達/発達障害者」も同様。

長時間労働には問題があるため、「長時間労働させろ」とは言えない。具体策はない。残業禁止で失われるものがあり、損する人がいる。

大企業資本装備率が高くて労働生産性が高い、これは直感的にもそうでしょう。

ここにもそんな記述がありますhttp://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h20/h20/html/k2120000.html

まず大企業と同じ利益率を出したり、定型発達と全く同じ成果がだせなければ、すぐ倒産解雇になるわけではないので、「勝つ」という2値的にも見える表現はやや注意が必要です。

次に、大まかな構図としては、「大企業中小企業」と「定型発達/発達障害者」は同じでも、細かく見れば大きな違いがあります

たとえば資本装備率労働生産性が低い企業でも、一人当たり人件費をさげてたくさん雇うことができれば、理屈上は残業をなくせます

また、後述しますが「創造性」に関しても違います

そして、じゃあどうするかについてですが、「社会企業がどうあるべきか」とかは、広範で複雑なので今回は考えません。

就労意欲があり、能力的に就労ギリギリ発達障害者で、残業したい人はどうすればいいか」に限って検討します。それ以外の発達障害者についてはわかり手氏なんかがきっと考えてるんじゃないの??

法務局氏と借金玉氏のやりとりでは、「職場理解配慮を求める」ことがどの程度現実味があるかということが、重要論点になりました。

もし残業ふつうにおこなわれている会社では、そのまま残業すればいいし、残業をあきらめてもなんとかなる場合はそれでもいいでしょう。

ほかの人が残業していないなかで、黙ってサービス残業すると、企業にとって大きなリスク負担になるときがあります

労務管理上の問題以外にも、生産効率に関する情報不正確になることや、セキュリティや機密管理上の問題も生じます

そのような問題が起こるような企業では、発達障害者配慮する余裕もあるでしょうから理解配慮を求めるほうが現実的になるでしょう。

また、発達障害であることを理由にして配慮を求めることには、発達障害者に対する特例であることを周知することにより、それ以外の人への残業拡大を防ぐこともできるので、反感をかいにくい可能性があります

さらに、障害者雇用促進法には、障害者に対する合理的配慮が定められています実効性は知りませんが、無許可サービス残業がさまざまな問題を引き起こすような企業は、遵法精神が高いでしょうからいくら意味があるかも。

もっとも、管理がしっかりしてて遵法精神が高い企業では、「例外的残業を認める」なんてケチ配慮じゃなくて、もっとよい配慮が行われる可能性もあります

職場特性の見極めがたいせつですが、どれを選んでもダメ職場もあります

重要なのはここまでです。以下、後回しにしていた細かい点について。

業務の中の非効率を除去していって効率化するのは絶対必要だろ、とかその辺はわかる。

生産性向上って単純作業じゃなくてそういうのが中心でしょう。

機械化やら人件費の安い海外やらに対抗する策が「手を早く動かす」って、本当にそれでなんとかなるの?負け戦じゃね?って思うわけですよ。

「手を早く動かす」は、生産性向上のなかではダメな方だけど、機械化やオフショアへの対抗策としては、「手を早く動かす」は「残業」に比べればずっとまし。

ブログ書いてて思うんですが、かけた時間エントリ評価はまるっきし比例しないです。僕のブログで一番のヒットだったエントリは、正味45分で書きあがってますが、全く評価されていないエントリに5時間かかってるなんてのもザラです。そういうもんだと思います。僕も文章書いて長いですから、「効率よく字数を埋める」は苦手じゃないんですよ。下請けの████で他人の████を書いている時なんかは完全にこのモードですので、字数ベース生産性は非常に高い。でも、本当にそれって生産性ですかね?

で、なんですよ。単純な知的作業さえもAI化していく世界で、人間がウォー出来るエリアってもうこの「創造性」以外にそんなにないと思うんですよね。長期的にはこのエリアすらAIが殴りこんで来て尖った棒で我々を追い出すのかもしれませんが、それでも今のところ。(自動ブログ書いてPV集めて広告貼るAIはてな支配する日も来るのかもしれない)

意味がわかりません。とりあえず「(ブログなどの)創造性の領域では、かけた時間と成果がまったく比例しない」かつ「AI化が進む世界で、人間活躍できるのは創造性の領域だけ」と解釈します。

時間と成果が比例しないなら、短時間でも成果を出すことは可能で、人間AIに勝てる唯一の分野なら、その仕事には価値がある。

したがって「創造性の領域では、とても高い労働生産性が期待できる」が導けるのではないですか。創造性の領域では長時間労働必要ってのと真逆でしょう。

実際には上記の2つの主張は偽であり、創造性が重要領域では長時間労働必要かもしれません。創造的な分野では、人材管理評価がきっと難しいでしょうから、少数精鋭がいいはず。そのため長時間労働になりやすいかも。

わかり手氏の記事で、発達障害者は出力が安定しないとありましたが、創造性が重要になる領域では、健常者であっても出力が安定しないの可能性もあります。そうだとすると発達障害者が背負うハンデはすくないのでは?

これらの点も大企業中小企業の違いと、定型発達と発達障害者の違いという、二つの違いの間の違いです。

濱口桂一郎氏の記事について

その「特権」を行使できない総合職女性たちがいわゆる「マミトラック」に追いやられていくという姿は、「平等」という概念の複雑怪奇さを物語っています

マミトラック」はあっても「発達障害者トラック」はおそらくありません。それは借金玉氏が望んでもたどりつけなかった地位であり、借金玉さんからみればマミトラックこそが「特権」なのでは?

濱口氏の記事は、単体でみれば重要だとしても、借金玉氏の主張がそれに回収できるわけではないと思います

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