はてなキーワード: 町おこしとは
16年前、私はポケモン出会いました。初めては銀でした。その後黄と赤をやり直した後パールまで抜けなくプレイし、大学受験をきっかけに離れました。
単刀直入に言います。ポケモンGOは悪いです。現代の問題という問題を根こそぎ掘り返してしまった罪があります。
今も規制だ規制だニュースが流れ、それに対しネットでは悪い面ばっか取り上げやがってと批判が飛び交い、町おこしに成功するなどの良い事例が担ぎあげられます。
どちら側も馬鹿野郎ですよね。これ。
悪いことばかりで偏った報道というなら、良いことばかりも偏った報道ではありませんか。
表の体裁だけは綺麗に整えて、裏のごちゃごちゃした汚い部分は封じ込めておく。よくあるブラックな体質そのものではありませんか。
良いことばかり話しているのは楽でしょうね。だって問題が起きないんですもの。悪いことを伝えなければ世は動かないんですよ。問題を解消するにはどうしたら良いのか、って。
そこで、ここがややこしいんですが、そもそも2重3重に絡みあった問題なんです。
まずひとつ、問題の解決法を探るのにとりあえず規制する姿勢がダメ。
ふたつ、すぐに良い奴らと悪い奴らにグループ分けして争おうとする姿勢がダメ。
みっつ、自分は違うからとかなんとかぬかして持論をぶっこみ続けてるのがダメ。
その他諸々。
学生さんたちの某シール何とかさんじゃないですが、なんでか意見交換だとか話し合おうとしないんですよね、いやもっと低レベルに、会話しようとしない。
これは自分らが何言ったって変わらないっていう諦観があるのかもしれませんが、良いところと悪いところ両方伝えないといけないのに、なんで片方しか言わないんですかね。思考が1ブロックしかないんですかね。
あと厄介なのが、そういう思考の偏った連中のほうが圧倒的に声がでかいんですよね。困ったことに。しっかり考えてる人は、一部の地位権力ある人を除いて声に出さない。何故なら叩かれるから。面倒なのに絡まれるから。
日本人全体がこうなんですよね。ポケモンGOが出る前のターゲットはオタクな人たちでしたが、あいつらもあいつらで叩かれれば吠えるし、吠えればその分引かれるんですよ。
言ったもん勝ちというのは許せないところはありますが、今の世の中そうなってるんですよ。反論してくるのを狙ってわざと炎上させてる記事もあるんですから。
じゃあどうしたら良いかって?まず事を荒立てないこと。そして、叩くより叩かないほうが有益であると明らかにさせること。
いい例があるじゃないですか。参議院選挙でオタク票と呼ばれた票を29万票もとって落選した結果、次の都知事立候補者がその票を取りに手のひらを返しましたよね。
ポケモンGOにしたって、鳥取県なんかは取り込むことで大成功したと言われますよね。
もちろん頭の切れるトップがいてこそこうなるかもしれないですよ。でもね、会話して、話し合って、その結果こうなったっておかしくないですよ。より良いものを求めて進化し続ける、それが人間なんですから。
会話のできない相手とこれは無理なので諦めましょう。いわゆる敵国とか、今で言えば日本人同士でさえそうですよね。話し合いで解決しないことは殴りあうしかないんですよ。
梅田の人の多さみてると、まだまだ大丈夫そうな錯覚するけど、仕事ない。
東京みたいに仕事たくさんあるわけでもなく、名古屋みたいに自動車でまだ大丈夫ってことでもなく。
USJに行く人は心斎橋で晩ごはん食べて御堂筋線で新大阪に戻ってということで、そんなお金を色んな場所に落とすわけもなく。
中国人の観光客ももうすぐ一段落しそうだし。爆買ツアーだと、予めきまったお店を案内して購入していくし。
GIGAZINEは大阪ネタにすると東京の人に馬鹿にされると思ってるのか、全国チェーン店の食べ物ネタの時しか意味ないし。
FC2の広告代理店も特に大阪って感じもなく。いやそもそも人雇ってって感じでもないし。
大阪からだと、日本相手にしてるとダメで、一気に世界を相手にしないといけない。
なんだけど東京くらい色んな国から人が集まってきてるわけじゃない。スタートアップがリクルートするならそりゃ東京選ぶよね、と。
何かしらイベントしようと思った時にキャパある箱もない。インテックス大阪、なんでニュートラムなんか接続してるんだ…。
地下鉄延長して、動く歩道つけるとか、それくらいやんないと会場広くても人捌けない。
関西国際空港がUSJの延長くらいにあれば、また利便性も変わったのに。
東京だったら駅周辺で、それぞれ個性作って開発されるけど、大阪ってそれなくって、どこも同じになっちゃってるんだよね。
森ノ宮とか、天王寺とかショッピングモールできても同じ感じ。イオンモールが出来るのとあまり変わらない。
東京の人からすると大阪ってセンスないんだよな。多分。別に日本にウケるセンスの良さがなくてもいいと思ってる。
そもそも日本のニュース系で大阪が話題になるのは、良いことでなんてない。ヤフーニュースにのるのは殺害事件や選挙の時くらい。
5年後は更にヤバイと思ってる。
新世界とか観光客来ないだろうってくらい寂れてる。あれでリピータ来るとかはないだろ。大阪は見るものないんだよ。色んなところで食べ歩きする町だ。
京都や奈良と手を取ればとか、東京の人は思ってるだろうが、距離が遠すぎるんだ。
山手線圏内に大阪と京都と奈良が入ってりゃよかったんだ。平城京と平安京をあんな場所に作ろうと思ったやつ出てこい。なんでもっと近くに作らなかったんだよ。
環状線の東西南北で、青龍、朱雀、白虎、玄武の象徴となるものでっち上げるとか。
駅ごとに外国巡り出来るようなものとか。オーストラリアだと新今宮とか、アメリカだったら弁天町みたいな。
深センくらい人工的に街作れないだろうか。24時間開いてる図書館で、自動で貸出できるとか。図書も深センの図書みたいに文学充実するのではなく、
仕事に直結するスタートアップに必要なプログラムとかハードの解説のものとか。iPhoneの回路図って日本語の書籍はないけど、中国語の書籍ならあるし、読めなくても回路図あればなんとかなると思う。
は~、スタートアップの街としてならないだろうか。Slush Asiaのようなスタートアップ系イベント開催できるくらい。
デザイン系で町おこしはできんと思ってる。お金持続的に投資されないし。アヒルちゃん浮かべてもお金にならないよね。あと日本で成功してる気がしない。
地方だと町おこしにアート絡めてっての、どこも上手くいってないし。
ビジコンが行われてるのは知ってる。でもSlush Asiaくらい、これから何か始まるんじゃないかってほどワクワク感がないんだ。
Lマガジンがセンス良かったんだが、ああいうので突破口開けないんだろうか
はてなも京都でダメであとに続くのなかったんだから、やっぱ無理なんかなー
こじれてるってのが大阪人の気質なの?ってはてブあったから答えると、
名古屋だと東京に距離的な関係なものなのか、別に東京に依存しなくてもやっていけるって気持ちがあるのか、反骨精神があるのか、
そんなところで東京に対してあまり気にしてないというのが、自分の感想。
じゃあ大阪は?というと、やっていけない。
そして、大阪でも東京に通用するような人がいるのだけど、大阪じゃなくて東京に行ってしまう。大阪を前面に出すと価値が上がるどころか下がるんだよね。
予想外に反応があって驚いてる。
他の地域で、もっと危機的な場所があるんだから大阪なんてまだマシって議論にはなってほしくない。
雇用統計も見ているので、大阪の失業率が減ってきているのも知ってる。でも給料安い求人しかない。
イオンで働き、イオンでものを購入し、イオンで葬式をあげる。延命はできると思う。
だが、5年後、10年後を考えてみるとどうだろうか。
東日本大震災で、このまま関東にオフィスを構えているとマズイということで、一時的に大阪にもオフィス移動してきたが、
結局仕事にならないということで東京に戻ったのではなかっただろうか。
なんとか保っている状態が、閾値超えたら、どんなに手を加えようがどうしようもなくなる状態にならないだろうか。
個人的には国内から資金が流れてこないんだったら、中国からでもいいと思ってる。
心斎橋や梅田周辺が中国ベンチャーキャピタルからの出資一辺倒になっても、活路があるならやるべきだろう。
レオパレスに住んでいるのが中国人ばかりになり、靴を脱がないでそのままフロアに上がるようになり、室内なのにガムがそのまま捨てられるようになり、
ゴミの分別も日本語で書かれているからということで守ることもされず、溢れでたとしても、
ダイバーシティ確保出来るようになれば、そのうち解決出来るだろうと思う。
ここまでブクマついたの久しぶりで驚いてる。
大阪の魅力を当人達よりも、アジア系の観光客の方がわかっているというコメントがあったのだけど、
わかりやすい魅力を5分くらいで説明できなければ、それは住んだ人にしかわからないということなので、
折角奈良や京都など観光資源が既にあり対応出来るだけの経験値もあるのだから、
そちらに任せてしまえば良いと思ってる。
両方出来れば良いが、そもそもお金ないのだから集中と選択はするだろう。
外国人に大阪で働いてもらって、京都や奈良に観光に行ってもらっていいし、
スタートアップ以外にも仕事はあるだろうとコメントがあったが、
給料が日本で一番高いと言われるキーエンスが大阪にあるのも知ってる。
食品関係は人手がいるし、人もまだまだいるから大丈夫だと思う。
危機感があるのは、斜陽になってきた時点で、トップがヤクザ系に取って代わられるかもしれないってことだ。
あとは心斎橋のアムウエイのセミナー会場兼、見本を置いている所があるのだが、
生活が出来なくなるそうとかで、手を出す奴がそこら中にいる。
私の体験談です。
ベンチャー、イノベーション、町おこし、若者支援・・・・素人参加型プロジェクトはニュースを眺めていると毎日一つか二つかは報道されていると思う。クラウドファンディングには彼らのプロジェクトでいっぱいだ。
ただ、誰もどうなったのか報道しない。美辞麗句を並べたプロジェクトの結果がどうなったのか誰も気にしない。いつのまにか人々の記憶から忘れ去られていく。
プロジェクトはどうなったのか?無作為に集められた人々は各々好き勝手なことを言う。そして、アニメのように醜く罵り合うようになる。建設的な議論は何ヶ月かけてもできない。もちろんばかばかしいと思った人から順に辞めていくが、もちろんアニメと違って、現実社会で死人が出ることは稀だろう。ただ、精神的におかしくなり心療内科に行く者も現れる。どんどん脱落していく様相はまるでデス・ゲームだ。主催者が美辞麗句を並べてマスコミに発表していたのが嘘の様に思えてくる。気付いたときには何もできないまま1年間が過ぎている。一方で主催者は別のプロジェクトを始めるための準備で忙しかった。そう。それはプロジェクトの宣伝効果で知り合った別の人間とはじめるプロジェクトだった。そして、主催者はだんだんと元のプロジェクトから引いていき、参加者も徐々にフェイドアウトしていった。風の噂によると次にはじめたプロジェクトも成果はほとんど出ておらず、マスコミに喧伝している成果は無名の会社にアウトソーシングされたもので、参加者たちの独力ではなかった。ようするにハリボテのような存在だ。もちろんそのプロジェクトも未完のまま、主催者は次のプロジェクトを開始している。まるで焼畑農業である。彼の足元には多くの屍体が蠢いている。
そのプロジェクトと縁を切って随分経つが、半年前に某県某市役所と仕事で関わることになった。そこには元◯◯(大企業)社員という肩書きだけで仕事を受けている怪しいコンサルタントが町おこしの企画を請け負っていた。美辞麗句を並べた町おこしのニュースはよく見るが、実態について報道しているものはない。サステイナブルな長期的経済効果が理想だが、短期的な経済効果すらも得れていないことがある。私が住む町に捏造された名物料理があるが観光客は誰も食べていない。報道はされているし、ガイドブックにも書かれているが町おこしのために掲げた名物料理を提供している店のほとんどは赤字だ。町おこしの、正確には「地域おこし」と言うそうだが、安倍首相が掲げる「地域創生」のために何百億円も税金が投入されているそうだ。胡散臭いコンサルタント達が税金を食い物にしている。そして、私が最初に関わったプロジェクトの主催者の近況を調べてみたら地域創生に関わっているそうだ。
もちろん、何かを始めれば失敗もするし成功もする。当たり前のことだ。しかし、美辞麗句を並べて始めたプロジェクトの多くが行方知らずだ。失敗したのか成功したのかもわからない。参加者達の多くは主催者の無責任さのために傷ついていく。そして、それらに税金が投入されていることさえあるのだ。
アニメの迷家を見ていたら寒気がして居ても立っても居られなくなって書いてしまいました。過去のプロジェクトで出会った人たちと登場人物を重ねてしまいます。素人同士の議論や主催者の無責任な言動がほんとうにそっくりです。笑えない。
問題点として以下があげられる。
といったところか。
地元としては、中国人観光客のように、大量にまとめ買いしてくれる客の方がいいはずである。
実際日本橋にいくと、バスに乗ってまとめ買いする中国人によく合う。
日本橋が既に地元大阪人が買い物に行く場所という感じではない。(梅田にいく)
少しでも人が集まってくれればということで、辞めるにやめれない状況なのだろうが、望んでない客ばかりが集まってしまって困っているといったところか。
前回、今回のを見ていると、悪い箇所が目立ってしまい、やっぱり地方は治安が悪いという悪影響の方が大きいような気がする。
☆(007)ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル
33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマン
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司
☆儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバーグ
陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング
☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ
父が子に語る世界歴史〈2〉中世の世界 ジャワーハルラール ネルー
☆クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史
コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平
竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン
子どもの難問 野矢 茂樹
☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン
☆アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) ドナルド・B・クレイビル
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子
統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ
☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子
☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子
林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二
フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤 隆
オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン
コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ
話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき
Rules of Attraction Bret Easton Ellis
生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴
△ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本 孝
まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード
足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校
ホテルはメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也
「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田 勝
ファンタジーを読む (岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2) 河合 隼雄
メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生
(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太
☆☆津波の墓標 石井光太
鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司
☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子
「金縛り]の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐 (PHPサイエンス・ワールド新書) 福田 一彦
「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬
秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子
「町おこし」の経営学―ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム
☆なぜ富士宮やきそばはB-1グランプリの覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦
中小都市の「B級グルメ」戦略―新たな価値の創造に挑む10地域 関 満博
習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ
メディア展開もなく、単純にビジュアルだけで魅力を出している年寄りキャラなんて見たことないが。
あったとしても、そういうキャラを作成すること自体がかなりの能力を要する作業で、地方の町おこしくらいの予算でできるものではないだろうな。
そこで出るならお前よりくまモンとかの方がいいんじゃねえの
まあでもこの辺の方が萌えキャラより遥かに人気あるし金も稼いでるよな
萌えキャラで町おこしってもうとっくに飽きられててオタクですら大して金落とさないのに
今更企画するのって未だオタクブームが続いてると思ってるオッサンがやってるのか、公私混同のオタク職員がやるのかどっちなんだろう
地元の人が楽しい祭りと観光客を呼べる祭りを両立するのって簡単な話じゃないし、
海上花火大会とか、地元の人も楽しめるイベントはいっぱいあるやろ。
結局の所、全ての人に恩恵があるような町おこしの方法なんてないし、
だからこそシーズンや流行が過ぎても安定してやっていけるように
いろんな強みを持っておかなければならない訳で。
どのサイトを見ても楽しそうで現地の人も大歓迎ムード、町おこしに一役買っているとオタクを褒める内容ばかりだ。
実際そのアニメは出来がよく、普段アニメを見ることのない自分でも楽しめた良作だと思った。
当日はあいにくの雨だったが朝から現地入りし、会場まである地元民の車に同乗させて頂いた。
そこで何気なく「やっぱりアニメ効果は凄いですか。見渡す限り男性ばかりですね」と言うと、
事前情報として聞いていた地元民は協力的で喜んでいる、とは真逆の答えが返ってきた。
「そんなの、一部のお店と青年会だけですよ。
住むわけでもないのに騒ぐだけ騒いで、過疎化した町に何の恩恵もないです」
実際町を見ると、一部の商店街は所狭しとオタクが群がって歩いているが、店の方はただ店番が座っているだけ。
やる気のある?店もあるにはあるが、ほぼ八割の店がなんらアクションなく道行く人をじっと椅子に座って眺めている。
町おこしの観点から言えば、今売れるだけ売ってその資金を元手に改装をし事業展開をし、来たる日の為に延命を図るべきなのだろう。
しかし気まぐれに訪れ、いつ来なくなるともしれないオタクの為に借金を背負えるほど店主達は若くはなく、
跡継ぎがいるわけでもなく古い寂れた店構えのまま、ただ言われるがままにアニメキャラのパネルを置いて座っている。
オタクに迷惑はかけられることはあっても、金が入ってくるわけでも未来があるわけでもない。
そもそも本来こういった地方商店の休業日は日曜日なのだが、店の前を歩くオタクの為だけに、パネルを見せて写真を
撮らせるだけの為に日曜でも店を開けているという。
「知人の娘はコスプレしないんですか?とセクハラを受けるので接客業をやめました。今は水戸に住んでいます
このお祭りもこれだけオタクが多ければ地元民は誰も来ない。駐車場も使えないしステージは朝から占拠される」
雨合羽を着込んだファンが所狭しと並んで座っている。自分はそこの町の高校の演奏が聞きたかったが断念した。
「普通、地元の祭りなんて傘があれば十分なんですけどね…Aさんの町のお祭り、雨合羽持参で来る人なんています?
当然のマナーって言われるんですけど僕らのマナーはむしろ、見たいショー以外は退くのがマナーですよ」
もうこれは地元民の為の祭りではなかった。見渡す限りオタク。それもテンションの高い成人男性ばかり。
「税金を納めている地元民が楽しめない祭りなんですよ。儲かっているのはここに屋台を出している店と宿泊業と交通機関だけ。
それだけで後の364日を賄えると思いますか?364日を支えている地元民は今日一日じっと耐えるだけです」
早く去ってくれと願っていると彼は言った。
宿泊施設に勤める奥様からもお話を伺ったが、似たようなため息混じりの口調だった。
愛想笑いが辛いという。
「俺の嫁なんですよ!とか言われてもなんて返せばいいんです?気持ち悪いですねとも言えないし
この人たち全員独身なの?ってゾッとします。目がもう普通の人間の目じゃないです
ありがとうございます、と言うだけです。ここが好きと言われても好きなのはテレビの中のこの町でしょうに」
ましてやディズニーランドのキャストでもないし、演出を手伝う義務もない。
自分が見る限り、地元民の半数の目は死んでいた。愛想悪くふるまう住人も多かった。
でもそれはきっと彼らのせいではない。それだけの理由があるのだ。
聖地最高!と叫ぶのはいいが、本当に、本当にオタクが思うほど歓迎されているのか。
僕が上京したいと思うようになった原体験は中学時代にあると思う
当時オタクの世界に浸かり始めた僕の住んでいた地域では民法が2局、フジと日テレしか映らなかった(今もケーブルテレビに加入しない限り2局のままだが)
当然深夜アニメなんてまったく観れないので
書店で取り寄せてもらっていた月刊のアニメ雑誌の中にある「○○アニメ化!」なんて記事は遠い世界のものだと諦めていた
今のようにネット上で気軽にアニメが見れるサービスは普及していなかった、もしくはあっても知らなかったし、我が家はスカパーにも入っていなかった
そんな日々を送る中購読しているアニメ雑誌のひとつの記事が目に飛び込んだ
やったぞ!フジテレビならうちの県でも映る!
もうかれこれ15年くらい前の話になので正確に覚えてはいないが
そのアニメは別に原作が好きだったわけでもないし、内容に興味があったわけでもない
アニメ雑誌やネットで話題になっているあのキャラやこのキャラの「現物」を見ることができなかった僕にとって、そのフジテレビ系列てで放送する深夜アニメは、(オタク)社会と自分を繋ぐ蜘蛛の糸のような儚い希望だったのだ
で、迎えた放送当日
だいたい予想つくと思うけど
新聞のテレビ欄に載ってなかったのを「アニメだから載せないんだろう」と超解釈して夜更かししていた僕の目の前に突きつけられたのは
その後「いや…全国の小学生が夢中になったポケモンやデジモンですら再放送しかやってなかったじゃないか…きっと一週遅れでやるに違いない」
そしてうちの県ではこのアニメはやらないんだと気づいた時僕に残ったのは強烈な憎しみだった
うちの県で放送してくれないフジテレビ?アニメ会社?側に対する憎しみもあったが
それ以上にフジテレビの電波に乗って確かに来ているはずのアニメをあえてカットする地元に対しての憎しみが強かった(現実的にはそんな単純な理屈ではないが当時の僕にはそう感じられた)
そう言われている気がした
その反面簡単にオタクコンテンツを浴びるように触れることができる東京には
僕みたいなキモヲタでも存在を許される場所として強烈な憧れを抱くようになった
あのときの想いは、見きれないほどの深夜アニメが放送されている東京や関西に住んでも、ネットでアニメ見放題の時代になっても、そしてなんだかんだで地元に戻ってきてアニメなんかまったく観なくなった今でも残っている
アニメの経済効果が無視できなくなり、町おこしアニメなんか作ってアニメに媚びたり
放送してないアニメの映画が田舎ではまずありえないほどの観客動員数を記録しブッチギリで映画ランキング一位をとっていたりするのをみて
「ざまあみろ」
という気分になっている
(そもそも15年前だったら県内の映画館では例のアイドル映画は放映されることはなかっただろう)
…とまあ長くなったけど
碧志摩メグについて、公認として認定した志摩市の行政の方たちや、何が悪いんだあんなの秋葉にあふれてる絵だろうと言ってる人達に、どうやればこの違和感が伝わるのか考えてみた。
君に届け!
例えば『裸祭り』。
全国的にいろんな地域で行われていてニュースでも流れるので志摩市行政の方もご存じだと思います。
男性(氏子)がふんどし一枚の裸で行う勇壮な祭りで、神事でもあります。
「うちの町おこしをしたいなあ…」とある日その町の行政担当者が考えます。売りとしては『裸祭』だろうと、そこらへんは課内でも一致。
「結構観光客も来るし盛り上がるイベントなんで、これをうまく使ってPRしよう!」と決定するわけです。
課内ミーティングでいろんな意見がでます。近郊からだけじゃなく全国から。さらにいうと、今はやっぱりグローバル。世界中から観光客を呼びたいね。とか。
このあたり、どこの行政も同じようなことを考えてるんじゃないでしょうか。 多分碧志摩メグを募集したり公認した志摩市行政担当の方も同じような考えがあったように勝手ながら推測しています。で、志摩市の行政担当者の方は、キャラクターを決めてポスターなどに掲載しPRしよう、という方向に落ち着いたんではないでしょうか。で、そのキャラクターを選ぶ際の選び方に、私は違和感を感じるわけです。
その違和感について、裸祭のある町の行政担当者の場合で説明させていただきます。
碧志摩メグに関して私が主に感じる違和感というのは、この裸祭の例で言いますと、その町の行政担当者が町おこしのために裸祭のアピールをすることにして、世界的に有名なゲイ専門誌にPR広告を打った、というようなものと同じではないかと思うのです。
効果は、どうなんでしょう?まあ仮説なので、効果はあるとしてこの件についての裸祭町行政担当者の言い分を聞きますと。
「男性(ノンケ)の裸を性的な目で見る方々にとっては、裸祭はそりゃー生でみたいでしょう。だって男がふんどし一枚でたくさん目の前にいる祭りですよ!? 自分も男だから、女の人が裸で押し合いへし合いする祭りがあると言われればかなり興味を持つので、ゲイの人達の気持ちもわかります。しかも全世界のそういった嗜好の方を対象にすればかなりの数がこの町に呼べます。当然観光客としてお金を落としてくれるわけです」
「ただちょっと裸祭を性的な目で見たり、ふんどしお尻ばかりを写真をとったり、氏子(ふんどし一枚の男性)にたいしてナンパをしたりにやにやとからかいの言葉をかけたりするようなことがあっても、町おこしのためですから!氏子の方も我慢してくれると思うんですよね」
「まあからかいの言葉といっても、『いいからだ!』『写真とらせてクダサイ』『いいヒップだねえ』とかそんなもんですよ、多分……まあ海外のゲイのかたですので、当然体格もよくガチムチ系も数多くいると思います。嫌がらせの暴言を吐く人もいる……かもしれませんが、まあそこは町おこしのためなんで氏子には我慢と自衛してもらうってことで。これ、どうですか!?いいアイディアでしょう?」
……って裸祭町の行政担当が言ったとして、志摩市行政担当の方は違和感を感じないでしょうか?たとえば……
(1)「いやいや……いくら全世界にPRできて観光客がお金おとしてくれるっていってもね、あれは祭りであって性的に誰かを楽しませるために裸でいるわけじゃないでしょう?」
(海女さんも同じですよね)
(2)「しかもあれは、神事ですよ。真面目に皆やってるんです。そんな本質を知ろうともしない裸目当ての冷やかしをされると、祭り自体の価値がさがります」 (おっしゃるとおりです。海女さんも楽な仕事ではなく伝統としての価値もあります。PRに使いたいのなら行政がまずその価値を理解して大事にしてください)
(3)「それに祭りに参加してる裸の男性(氏子)だって嫌でしょう。自分は男好きでもなんでもないのに、勝手に知らない男からそう言う目で見られて、不愉快だし失礼ですよ」
(まさにそれです。海女さんに対してとても失礼ですね)
(4)「あとね、別にそんな裸祭を性的な目で楽しむ人だけにターゲットを絞ってPRする必要がどこにあるんですか?あの勇壮な祭りは、ノンケの男性だってお年寄りだって楽しめますし、子どもも女性も、性的な視点からではなく楽しめる祭りですよ。なのに、性的な目で楽しむ人だけにPRしていると、他の層は面白くないでしょう。裸祭を見に行こうかと思ったとしても、でもゲイの人向けの祭りだしやめておこうかってなりませんかね」
(海女さんの碧志摩メグもそうですね。私は女ですが、なぜ私に対して海女という仕事をPRする価値がないと志摩市行政が思ったのか、さみしいし不愉快です)
どうでしょうか。性別を反対にしてみたら、男性諸氏にも少し感覚がわかりませんか?
でも萌え絵というのは基本的に対異性の恋愛感情や性欲を刺激する目的に特化して作られたものです。
(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)
私は女ですが、(大きな目、上目づかい、長い髪、細い腰に大きな胸。媚びるような表情)←この辺のことを女にされても特に何も感じません。なぜ意味もなくそんな恰好表情をしているのかと逆に気味悪く思います。
ストーリー性のないイラストなら特にそうです。 碧志摩メグの場合は、対男性に対して性的にアピールしているわけです。
女性子どもは無視ですか……とも思います(裸祭町の例でいうと(4)に該当します)
海女さんも不愉快だろうなと思います。(裸祭町の例でいうと(1)(3)に該当します)
そして海女という職業に対する価値を、媚びるだけの仕事であると貶める恐れがあると言う意味では(2)が一番罪深いんではないでしょうか。
裸祭の意味が、単なる男の裸が無料でたくさん見れるそういう嗜好の人にとって嬉しいイベントに成り下がることについて、何とも思いませんか?
そういう嗜好の方が、この祭りに興味を惹かれるのはわかります。
ですので、そう言った風俗やそう言った雑誌で存分にご覧になればいいんじゃないでしょうか。
わざわざそれを目的としていない裸祭でそれを実行するのではなく。
普通の話しですよね?
海女さんも同じです。
萌え絵を見て恋愛感情や性欲を刺激されるのは当然で全然いいんです。男性向けとして他の層に対して配慮された特別の場所であれば。
でも志摩市の公認というのは、そういう場所ではないですよね。にも関わらずそれを志摩市が音頭取って煽ってるのが問題なんです。
萌え絵も悪くありません。
それを見て、かわいいと思ったり恋愛感情や性欲を刺激された方も悪くありません。
なんだよ女は無視かよと不愉快に思った人も、特に悪くないでしょう。
萌え絵は私も好きです。ギャルゲーもストーリーがいいものならしますしアニメもみます。ですが、行政が、海女という職業のPRとして公式認定するにはあまりにも偏りすぎています。 子どもにも説明しづらいですね、あれでは。
秋葉原のギャルゲーの絵としてはかわいいしいいんじゃないでしょうか。特に文句は無いです。「こんな海女いねーよww」とは思うと思いますが、萌え絵が好きな男性からお金をとるという目的にはかなっているので。ただ、コンビニや学校など子どもや女性の命着く床に堂々と置くのは控えてほしいですが。
やはりTPOやPRの意味、そして自分達の立ち位置や公共性について考えずに適当に町おこしをしようと考えた安易な志摩市行政が一番ダメダメなんではないでしょうか。
今回の騒動でPRできたかもしれませんが、正直マイナス方向のPRですよね。
海女さんまでも本人の意向を気にせず組織のために利用する、男社会のずうずうしさ、女の意見を尊重する気がないのががとりわけ目立つ案件で、観光客のほとんどを占める女性の反感をかったのは言うまでもありません。
結局は男性からは仕事の内容とかそう言うのは関係なしに、ああいう風に性的に見られてるんだなあという認識がひろまっちゃったので。
やり直しは恥ずかしいことではありません。
ぜひ認識不足を謝罪の上、再考し素晴らしい志摩市海女さんのPRを検討してください。
※もちはもちや。志摩市行政担当者さんは、予算獲得の方面にがんばり、PRの目的、ターゲット、方法、マネタイズの仕方などについては、専門家をその金で雇った方が良いと思います。
※裸祭=男の裸を誰にアピールするのか、という問いについて、どう答えますか?
女の裸のアピール先は男性なので、多くの人は普通ひっくり返して、男の裸のアピール先は女性と思われるかもしれません。
ですが、私は違うと思っています。
女性は特に興味もない男の裸を見たいとは思わない人が多いです。
女から見て、興味のない男からの性的な視線に対する不快感を男性に理解してもらうには、
男(ノンケ)から見て、ガチムチのゲイ(タチ)からの性的な視線について想像した時の不快感が、近いのではないかと思います。
体力や力が自分より上回るタチの存在から、ネコとして性的な目で見られている、という構図から考えると上記が近いと思ってます。
元記事 http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.html
要するに知覧の町おこしじゃなかった特攻隊関連資料の世界記憶遺産登録を目指す動きの中で出てきた話だと思うよ、たぶん。はてサの俺が言うんだ、間違いない。
上の記事読めば以下の引用切り貼りクソ文は読まなくて済むよたぶん リンク踏むの面倒な人むけに俺の論旨に沿うよう二つの記事を恣意的に抜粋しつつ書くよ
特攻隊員の遺書や手紙だけでなく、交流のあった女子学生や子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争の記憶」1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。
私たちの目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。
悲惨な戦争の記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます。
(霜出勘平・南九州市長)
プロジェクトアドバイザー、M・G・シェフタル静岡大学教授、もうちょい具体的に語る
今回の申請の中核的な概念に、総力戦の問題があります。(中略)第二次大戦のあらゆる悲惨なもの、火に包まれた都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為、強制収容所、原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います。狂気が私達全体を覆ってしまった時期です(中略)また、それが国家のプロパガンダによって推進され、人々が相互に憎悪しあい、愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧の資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います。
総力戦の惨禍の諸相を記録したものの一つとして特攻隊員らの手記などを捉える、それは世界が記憶にとどめるべき遺産たりうる、というところですかね、アウシュビッツと知覧の差異ではなく共通項にこそフォーカスし連携しようという発想もここから出てくるわけですたぶん。個人的にはその志には賛同するものであります。それが実をともなったものになるかどうかはまだ分かりませんが、昔見た知覧特攻平和記念館の展示に特攻作戦の立案者指揮者どものケツを蹴り上げる内容なんて無かった記憶しかないので個人的にはいまいち期待薄ですがまあうっすら期待はしなくはないです
なお、オシフィエンチム市とのやりとりがすんで9/21(国際平和デー)に先方の市長を招いて友好交流協定を締結するという段になってからの地元の反応
「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメさんの孫、明久氏は「戦争の“狂気”といえば共通する面もあるが、アウシュビッツと全く違う。知覧は知覧で良いと思う」と話した。
http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n2.html
党県連関係者は「地方自治体の取り組みに干渉はしないが、アウシュビッツと異なり、知覧は決して『忌まわしい過去』ではない。(以下略
いや、そもそもプロジェクトアドバイザーに「人類の暗い過去」呼ばわりされてるんですが、それは
これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料が必要なのです。
ちなみに以前の会見での「お前んとこのリヴィジョニストどもは元気してるよなあ?」と言わんばかりのツッコミには
ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います。平和会館の中ではそれには全く触れられていません。(中略)そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツの記者)
桑代参事:南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。
シェフタル教授:(前略)取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも、個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。
ー中国が慰安婦関連の資料や南京事件の関係の資料を登録しようとしています。それについてみなさんのご意見はどうでしょうか。(ロイター)
シェフタル教授:私の個人的な意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代の歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います
霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市の首長が言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います。
この時点で自治体さんサイドは右巻きの連中のケツ舐めてる認定を下す事に吝かではない(はてサ的には)のですが、大丈夫でしょうかと不安になるところですが、
ー(前略)おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイスの記者)
霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております。
おう、頑張れよとささやかなエールを送らせていただく次第であります。
単に「南九州」て言うと熊本宮崎鹿児島の三県だよ、でも何か鹿児島で「南九州最大の」みたいな謳い文句だと「九州最大規模(福岡除く)」みたいなイメージが個人的にあるだよ、ちなみに鹿児島の地元紙は南日本新聞だよ、福岡あたりが西日本名乗るのと同じようなもんだよ!「南九州市」って大雑把過ぎね?って言われても、北九州市だってじゅうぶんおおざっぱだしそもそも川辺郡の川辺市知覧町と指宿寄りの頴娃町の合併で生まれたクソ地名の一つに過ぎないんであまり気にしないでね!加世田あたりが先に「南さつま市」名乗っちゃったから大きく出ないとね、仕方が無いね。ちなみに南さつま市にも万世っていう「最後の特攻基地」があったけどまああんま有名じゃないよね、いまでも航空自衛隊基地ある鹿屋なんかも特攻基地だったんだけどね、知覧だけが群を抜いてメジャーだよね、ていう話は「「知覧」の誕生」に詳しいからみんな読んでね!っていうか知覧と言えばお茶ですよ鹿児島県って静岡に次ぐ茶生産県なんだけどみんな知ってた?溝辺空港から鹿児島市内に向かう高速バスからも霜防止のでかい扇風機が立ち並ぶ茶畑が見えるよ、あと知覧は全国津々浦々にある小京都ズの一員でもあるよ、まあ知覧で一番のおすすめは薩摩英国館だね、トライフル食おうぜ
趣味つながりの友人?で、元上級公務員の昭和ヒトケタ生まれの男性がいる。
先日趣味の集まりの後でちょっと飲んでたのだが、昨今の一部の公務員や自民の政治家の極右化はバランス感覚がなさすぎて恐いという話になった。
インターネットでささやかれているような極右のバックグラウンドになってる宗教法人の話なども。
オジサマ曰く、ぼくらのような戦前生まれは、たまに「紘」の字が付く名前の人がいるが、自分たちが学び仕事につく時期は戦後民主主義化であったこともあって、
某「紘一」さんなどは、「八紘一宇」から取られた紘一という自分の名を「いやお恥ずかしい名前で」と自己紹介するようなこともあったらしい。
それを昭和ヒトケタの友人は、「まだ客観性やバランス力が残っていた頃」と言っていた。
それが、なぜいつの間にこんなにガツガツと極右化しているのか。
保守層というのは、身も蓋もないいい方をすれば戦前から既に豊かだった人が大半だろうと思うが、
揺らがない豊かさを背景に、鷹揚に、時代の変化を気にせずにいられたのだろう、と。その前提が崩れつつあるのかも、という話が面白かった。
彼らの多くはもうずっと都会者のような顔をして東京で暮らしては居ても地盤は地方であることが多い。
彼らの現在の金と地位の源泉は地方にある。「地元の名士」「郷土の誇り」「名家の末裔」だったりするからだ。
地方が衰退することで、この源泉が揺らぐ。
例えば、彼らの子供や孫が、自分たちの家業(政治や行政、地元企業等)に興味を持ってくれない、という形で「時代の変化」が突然具現化したりする。
もう一つ、目に見えて彼らの危機感を煽るものは、祭りの寄付金らしい。
地元の神社の祭りの寄付金を集めるのが大変だ、大口の寄付を出してくれていた名士や名家が居なくなる、法人化してつながりが薄れる。
当たり前のように、神社(場所によっては寺)などを求心力の中心として行われてきた地元の祭りが、「町おこしのイベント」のようになる。
この流れには問題が隠れていて、要するに地元の神社の後継者や維持管理の問題があるらしい。
ここで出てくるのが神社本庁である。宗教法人神社本庁については、興味があるならググっていただければ何となく雰囲気がわかるかもしれないが、ちょっと怪しい宗教法人という側面がある。
インチキな壺を何百万で善良な呆け老人に売りつけて、という危うさでは全然ないのだが、例えば天理教は胡散臭いと思う人がいるなら、歴史の長さはその辺の明治新宗教と実質大して変わらない。
まぁそれはともかく、明治時代に神社庁という公の役割を持ったという経緯もあって、地方の後継者難の神社は、宗教法人神社本庁にお願いして後継者を探してもらったりすることもあるらしい。
その土地に根を張って仕事をしている人たちにとっては、「神社がすたれる」というのは、割と心に重くのしかかる事実らしく、
その辺りから、バランスを失って極の方に取り込まれていくのでは、というのが、私と趣味友のオジサマが、酒飲み話で適当に出した結論だった。
別の話っぽい、地方衰退と政治・行政組織の右傾化が繋がったのが、酔っ払いどものたわごととはいえちょっと面白かったので、メモ代わりに増田に。