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はてなキーワード: 明治以降とは

2022-10-14

伝統」と呼ぶだけなら別にいい

明治以降と言っても既に150年くらいの時間は経ているわけで、確かにそれは十分に「伝統」と呼んでもいいだろう。

但し「明治以降伝統」(仮に「新伝統」と呼ぶことにする)については、特に戦後の風潮と対比して「伝統から守るべき」「伝統から復帰すべき」という文脈

使われる事が多いため、そういう多くのケースでは揶揄されても致し方なかろう。


「新伝統伝統と見做す」そして「新伝統こそが正しい価値観である」という立場で語るなら、同時に明治期に「新伝統がそれ以前の(ダメな)伝統駆逐した」

という立脚点に立つ事になる。すなわち「伝統伝統から正しい」のではなく「その価値観が正しいから古い価値観駆逐できたのだ」とするしかない。

明治以降続いている価値観は確かに伝統と呼べると思うが、「新伝統」はあくまで「新」であって、「古い伝統駆逐されてより良い価値観が取って替わった」

という歴史認識に立たなければ、「新伝統こそが正しい」という立場は成立しない。

すなわち「新伝統」を推すことは、「伝統である自体には価値がない」という前提と本来表裏一体なのだ


もちろん「古くから続いているならば、続いているほど良い」という基準ならば、(賛否はあるだろうが)論理的矛盾はない。

但しその場合に「新伝統価値観が正しい」とするのはおかしい。「より伝統であること」が重要価値であるなら、「新伝統」は戦後的風潮に次いで

2番目にダメ価値観ということになり、殊更に「新伝統」を推す意味はない。

江戸以前(あるいは平安でも平城でもいいが)に還れ」という主張の方がより正しいことになる。

あるいは継続期間を重視して(あまり本邦では聞かないがバーク的な保守主義立場ではありえる)「新伝統」の優位を主張する立場なら論理的にありえるが、

もはや戦後-現在が、維新-終戦とほぼ同じ時間が経過した今日、「戦後価値観は、新伝統が風靡した期間と同じだけの時間の試練に耐えた」わけで、

これも現在では「新伝統」を推す立脚点にはなりえなくなってしまっている。


結局の所「新伝統こそ正しい価値観」とすなら、それは伝統性/持続性ではなく、その価値観の中身そのもので「他の価値観より優れている」と主張しなければ

論理的に成立しないのに、「伝統であること」に寄り掛かった主張をするから、その場合揶揄されてしまうということなのだ。


まあ実際には「新伝統伝統と見做す」という立場でなく、「実際にはそれは新伝統しかない」事を隠して/知らずに、なされている「新伝統推しが多いとは思うが。


https://anond.hatelabo.jp/20221012171926

2022-10-13

anond:20221012171926

元はと言えば、「『日本に○○な伝統はない』という言説がおかしい」ということだったはず。

明治以降の習慣も伝統とは言えるけど、「それ以外ありえない」と言ったら言い過ぎというだけ。

anond:20221012171926

我が社の伝統とか我が校の伝統とか、普通に明治以降だし

我がサークル伝統なんて数十年あったらいい方じゃね?

自分がいるより前から続いてれば伝統と呼んで差支えない

2022-10-12

anond:20221012171926

別に明治以降だろうが戦後以降だろうが高度経済成長期以降だろうが平成以降だろうが去年以降だろうが伝統って呼びたきゃ呼べばいいんじゃない

でも普通伝統ってのを持ち出すときにただ伝統ですって言ってるんじゃないよね?なんかカマトトぶってるけど伝統から変えちゃダメですって言ってるんでしょ

でもその伝統様はその時々に何かしらの理由で導入した「変えられたもの」なわけだ

であれば伝統というのは変えない理由にならないよね

なのに錦の御旗のように伝統を持ち出すのが滑稽だって話よ

明治以降文化伝統と呼んで何が悪いのか分からない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/akisumitomo/status/1579832232101179392

住友氏の「そんな伝統はない。江戸時代はこうだった」という論破テクニックは、あまりにも伝統の消去能力が高すぎると思うんだ。

  

ブコメは相変わらず「愛国保守の言う伝統って明治以降のやつなんだよな」と揶揄して終わりだが、では明治以降文化

伝統と呼んではいけない理由を教えて欲しい。

  

まぁ明治維新西洋文化が入ってきたので、それ以降は日本の伝統ではない、というならそれでもいい(この論者多し)

しかしその場合、推古の時代遣隋使大陸文化が入ってきた事をどう考えるんだ?

西暦600年以降の文化はすべて伝統ではない、ということでいいのか?

ていうか文字使ってる時点でnot伝統だよなぁ

漢字中国から伝わるまで日本文字はなかったんだから

  

批判すべきは偽史伝統悪用だと思うんだが、伝統認識のもの否定する人が多くて理解に苦しむ。

2022-09-08

anond:20220908090126

明治以降列強侵略に対抗するため、個々の藩ではなく国の単位日本統合する必要があったため、全体主義的な政治手法がとられてきた。

そのため、自由民権運動共産主義は、ずっと弾圧されてきた。

結果、全体主義が行き過ぎて起こった敗戦

その反省から戦後共産主義が隆盛。

それに危機意識を持った右翼政治家が、鉄砲玉として統一教会勝共連合)を導入。

一方、社会主義運動は結局仲間割れテロ社会的共感を失い失速。

なのに統一教会けが元気に残ってる。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-09

anond:20220809172640

イギリス日本君主制歴史を同次元で語るとかアホ丸出しやん。

「君臨すれども統治せず」の原則市民革命を経て市民ブルジョアから発せられたものだし、武士による軍事政権のおかざりだった時期や薩長のような封建領主クーデターもどきで上から押し付けで成立した明治以降立憲王政と同列に語れるわけねえだろw

そもそも日本明治以降参考にしたのは国王大権を認めるプロイセン憲法だし、イギリスと何の類似もねえよ。

思考が浅いんだよね。

2022-08-07

霞提越水洪水と思えないのは現代常識のため

長浜市高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040

 

洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷河原が水没しているのも洪水なのだ

から記事の「河川敷も水没」っていう記述文句言うのもおかしいのである

 

川と人間活動地が堤防で仕切られているという常識最近のもの

そもそも河川堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。

人類文明有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節に洪水で肥沃になった土で農業をするという方法もあった。

田んぼというのはこの最たるもので、田んぼに適した土地というのは要するに河川の氾濫原だ。水も引きやすいし度たびの洪水でぐちゃぐちゃで栄養豊かな土のある平地。

そもそも低地での河川というのは思いっきり出鱈目に蛇行したり枝分かれしたり三日月湖が残って沼になったりと無茶苦茶な流れ方をするもんである

例えばこれは熊谷の昔の河川状況を地質から推定した地図だが、見よ!この荒川の出鱈目ぶりを!

https://maps.gsi.go.jp/#13/36.175990/139.352903/&base=std&ls=std%7Clcmfc2&blend=0&disp=11&lcd=lcmfc2&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

 

そもそも真っすぐな箇所なんて皆無だったのだ。真っすぐな箇所は全て明治以降工事したもんだ。

そのままじゃしょうがいからこのうちのある程度真っすぐな河道を選んで繋げたのが今の荒川だ。しか江戸初期まで元荒川を流れて幸手とかをぐちゃぐちゃにしていて開拓邪魔なので切り替えられたのだな。

それでも蛇行しまくりで氾濫起こしてばかりの川から田んぼ集落をを防御しなきゃならない。

そこで河道から1km近く離れた箇所に低い堤防を築き、その堤防の中の田んぼや家の人は洪水の際は泣いてくれやとしたのである。これを「堤外地」と云う。堤防の中が堤外なんだな。

こうすると水の流れが弱まるし遊水地効果で水位の上昇も抑えられるから堤防に対する攻撃性が低くなる。

で、この広い堤外地があってそこが浸水すると当然泣く人も多く出るというのが当たり前の状態だったのを近代治水で無くして来た、というのが今の状態なのだ

 

から外地浸水するのを「洪水じゃない」と考えるのは現代治水が頭にあるからなのだ

一方で霞提というのは近世からある訳で、こっちは「堤防で全てが守られるのが当たり前」じゃない時代のものなので、そのせいで水没した土地を見て「これは洪水じゃない」と言っちゃうわけだ。

現代のものを見て現代価値観を援用するので、被害が出て泣く人もいる状況を「洪水じゃないし問題ない」と処理しちゃうのだ。

という訳であれもちゃん洪水です。

以上の理由から河川敷が水没するのも洪水であるのはお分かり頂けるかと思う。堤外地があるのが当然だったし今も残るので「洪水」は堤防の向こうこっちを隔てないのでありますよ。

 

地役権近代制度

地役権の事を書いてる人もいるが、これは河川工事で誰かの田んぼを遊水地にする時に設定するものだ。

例えば先の荒川でいうと、熊谷彩湖までの河川敷というのはとても広い。特に鴻巣の辺りは河川敷が2km以上あるのだな。広すぎ!

これはこの広い河川敷洪水時の遊水地にする為で、大正工事がされた。

すると当然この中の家の人は田んぼ洪水時に水没しちゃうし、家を建ててもパーになるから建てられない。

こういう時に地役権設定がされるのだ。

地役権は元々、あんたの土地を使わせてほしいから金出すよ、でも工作物とか建てないでくれよって時に、登記簿に設定する民事契約の事だ。水路引かせてとか通路引かせてっていうのが多い。

河川場合は「この土地洪水で水没するって使い方させてくれ」っていう国と地主契約だな。

一方、霞提は近世の仕組みだから、わざわざ地役権設定する動機っていうのがないので、補償を受けらるようにはなっていない可能性が高い。(農協共済で救済されるが)

 

という訳で、堤外地と遊水地、地役権といった概念時代背景がごっちゃになって、古いものを見るのに現代基準を拡大しているのが誤解の原因と思われる。

色々トリビア

これだけじゃなんなので細かいトリビア開陳すると

 

古い堤防の跡は結構残っている

昔は河川から離れた個所に堤防を作ったと書いたけど、その跡は住宅地の中の一段高い土地として残ってる事が多い。

宅地化すると土地を均す事が難しくなるのでちょっと高い土地っていうのが残り易いのだな。~~曽根なんて名前地名があるところはあやしいぞ。

こういう土地ゲリラ豪雨の時にも浸水しにくくてお得なんだけど、その近傍は水がせき止められるので水位が上がりやすく注意が必要だ。

 

外地は実はあまり浸水しないが…

外地であっても浸水しにくい箇所と水位が上がりやすい箇所がある。

例えば荒川彩湖下流の笹目橋付近が狭いのでその下流は水位が上がり難い。また熊谷彩湖中流域の堤外地に家やサーキット教習所がある所もあまり浸水しない。40年くらい水没しなかった箇所が殆どだ。

それで当初は水没して困るものは置かなかったのだが、段々とエアコンとか高価な家電設備とかを置くようになってしまい…

そこへ台風19号ですよ。当然電気モノは全滅で結構な損害を出したと聞きます

 

横提を電車が走る

近世の霞提に対して、近代治水では横提というのを使う。

広い河川敷普通堤防と直角の堤防を築いて、洪水時に河川敷の方の流れが連続しないようにする。遊水地機能をアップさせて下流の水位が上がるのを遅らせるようになってるわけだ。

例えば荒川を渡る川越線は鉄橋を渡る前に土手を走るが、実はこの土手、新たに作ったものじゃなくて横提の上を走っているのである

 

江戸川区、洪水警報が発令されてからじゃ逃げられない

江戸川区の殆ど荒川破堤時には浸水地域になると区が警告して話題になったことがあったが、荒川上記構造により豪雨発生時から水位が最大となるのに1日以上余裕がある。

荒川堤防のかさ上げ工事を行っているが、ネックになるのが鉄道の鉄橋で、鉄橋の部分だけ堤防が低い状態になっている。

まり水位が上がると一番危険なのが鉄橋であり、越水破堤する場合は必ず鉄橋付近から起こる。

以上の為に、水位が上がると鉄道が不通となるので、サイレンがなってからでは電車で逃げる事が出来ないのである

必ず前日に決断せねばならない。

 

最近まで二子玉川には堤外地住宅地堤防の切れ目があった

多摩川二子玉川駅の真下から南に掛けて、堤防住宅地の外側にある箇所があった。

たここには煉瓦造りの堤防の切れ目があった。

元々ここは料亭芸者屋敷などがある地域で、大正近代的な堤防工事をする事になったら「堤防で川が見えなくなる、商売あがったりだ」と反対されたのである

そこでここを堤外地として堤防を築造して、交通の為に堤防に切れ目を入れた。洪水時になりそうなときは2枚の板を入れてその間に土嚢を投入する(角落しという)。

角落しが間に合わない場合ニコタマ全域洪水である。堤外地料亭群は全部水没して流されてしまうが契約なので仕方がない。

ところがこの料亭群は戦争で早々に潰れて宅地として売りに出されてしまい、危ない住宅地が出来てしまった。

この為に10数年前から新たな連続堤を作っている。つまりこれまでずっとニコタマは水害的に危険地域だったのだ。

 

信玄提あまり残ってない

霞提の代表格は信玄提なんだが、甲府盆地河川近代化が進んで殆ど連続堤に改修されてしまっている。土地利用が制限されるので発展の障害なっちゃうので仕方がないな。

支流に幾つか残すのみである

2022-06-28

政府節電呼びかけに反対してる人が多いが

個人的は悪くないとおもってる

なぜかとゆうと日本の歴史上、節電節約倹約が言われない時期はなかったかである

江戸時代以前は幕府守護地頭から

明治以降政府皇室から倹約がもとめられたのである

たとえば味噌汁は1日1杯まで、薪は1日何キロまでといった具合である

ことさら今の時代に呼びかけをされて奇異な行為ではない

しろ日本人伝統尊重した行動だといえるだろう

https://ceron.jp/url/www.sankei.com/article/20220628-LUHG7WMTLVNJ7DSI7PZSDZPRCA/

京都っていうか歴史的な街はだいたいクソだよ

歴史を売りしてる街ってクソな人間とクソなシステムが存続しがち。

古い町並みのために景観規制してるところの人間警戒レベル

みんななんで憧れるのかわからん

街は新しければ新しいほど気のいい人が多い。

明治以降開拓したところの住人は懐が大きい。

みんな、注意深く見てほしい。

2022-06-21

anond:20220621180753

日本に対するスタンス

ビゴーの身長は160cmと欧米人としては低く、当時の日本人成人男性の平均とほぼ同じであった。清水勲は、このことで威圧感を与えずに日本人の中に入り込むことができたこと、また日本人の目線と変わらない絵の構図を獲得できたことを推定している[48]。

ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館日清戦争を扱ったもの小学校中学校高校などの社会科歴史教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされている。これについて清水勲は、ビゴーは条約改正を尚早と考える点では居留地外国人と同じスタンスに立っており、日本人の非近代的な側面を強調することでそれをアピールしようとした際に、貧相な容姿と非近代性をこじつけることが読者の理解を得やすいと考えたからだとしている[49][注釈 7]。

ただし、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。子守の少女鉢巻きを巻いた姿で遊ぶのを目にして「鉢巻きは赤ん坊の顔に髪が触れないための工夫で、少女が遊ぶことで赤ん坊も楽しめるという点で日本の子守は悧巧である」と感服したという日本人の証言が残されている[注釈 8]。女性については『トバエ』の中で「日本で一番いいもの、それは女性だ。(中略)日本女性に生まれたのだから、どうぞ日本女性のままでいてもらいたい」と記し[52]、絵においても上流階級の人々は別として、風刺の少ない絵を描いた。後には日本女性結婚している。この背景として、日本女性がビゴーの求める日本的なもの江戸情緒を伝える存在だったからだと清水勲は記している[53]。

1898年頃と推定される詩画集『横浜バラード』には、日本への幻滅(糞尿を運ぶ荷車の悪臭や、外国人には高額をふっかける日本商売人)が歌われ[54]、離日直前に刊行した画集1899年5月』では条約改正後の日本に対する外国人不安ストレート表現されていた。しかし、フランス帰国後も亡くなるまで日本に対して愛着を抱き続けた。また、日本軍をよく知っていたビゴーは、日露戦争当時のフランスで「ロシア圧勝」という世論同調しない数少ないフランス人でもあった[55]。

欧米における日本描写ステレオタイプとなった「つり目で出っ歯」という姿はビゴーの風刺画にも登場するが、その点について清水勲は「当時の日本人は現在に比べて国民全体の栄養状態が悪く、小柄で出っ歯の人が多かった。そうした日本人の姿が1867年パリ万博で直に欧米人の目に触れたことと、ワーグマン、ビゴーなどの来日外国人の絵や当時の写真などの影響とによって広まり欧米人日本人観の一要因となったのではないか」といった意見を述べている[56]。

一方、同じくステレオタイプとしてよく登場する眼鏡については、ビゴーは「一般的に言って、日本人の視力はたいへん悪い。日本では様々な形をした、また様々な色をした眼鏡をかけている人に出会う」と記している[57]。清水勲は当時の日本人が「栄養状態が悪かったせいか、また家屋の作りから来る照明状態の悪さから視力がよくなかった」ことと明治以降印刷物を読む機会が増えたことで、眼鏡を多くの人が使うようになったのではないか推定している[57]。ただし、ビゴーの絵に眼鏡をかけた人物は必ずしも多くない。清水も、昭和期以降の欧米での日本人像に眼鏡が多く出る理由には昭和天皇や東条英機といった眼鏡をかけた要人がいた影響を指摘している[58]。ビゴーが庶民スケッチした絵では男女を問わず様々な人相・年齢・職業人物を描き分けている。

清水勲は「ビゴーは反日家なのか親日家かと聞かれることがあるが、答えはもちろん親日である」と述べている[59]。

及川茂は、帰国後のビゴーは、当時フランスで見られたインドシナなど他の風俗と混交したようなでたらめな日本描写を快くは思わなかったが、それに立ち上がって抗議するような形での感情日本に抱いていなかったとしている[39]。及川はビゴーが「日本をエキゾチストではなく、生活の一部として生きてきた人間」であり、「日本と対決したり競い合ったり摩擦を感じたりするのではなく、あればあるがままに、なければなしでもやっていけた」という[39]。滞日当時の日本は「そこで生活していれば批判対象であり、揶揄の種であった」が、それはビゴーが初めて知った日本とは別物であったとする[39]。帰国後のビゴーにとって日本は「いつも優しくそこにある国」で、素朴で自然暖かい日本自分の心の中にしまっておきたいという感情故に、ジャーナリズム挿絵画家という職を捨てざるを得なかったと指摘している[39]。

2022-06-20

これだけやれば日本変わるだろ

平和9条撤廃軍隊保有兵役復活

平和9条なんて時代遅れ平和平和だ叫んで平和でいられる時代は終わった

平和主義撤廃したくないやつは自分が死にたくないだけの、ポジショントーク野郎大義がないチキン野郎

もしくはこのまま平穏にやり過ごしたい、逃げ切りたいだけの老人

今の時代人間の命よりも、未来日本が存続してることの方が重要だったりする。それが大義

ロジックでわからないやつは靖国神社を参拝して、遊就館見てこい

サイバーセキュリティホワイトハッカー育成、サイバー戦争の準備などの拡充

日本アメリカからウクライナ戦争で協力求められたけど何も出来なかった。

そして今、めっちゃいろんな国からサイバー攻撃受けてる。なんとかしたほうがいい

平和9条待たずして、戦争の準備しましょうってこと

教育見直しネットリテラシー金融リテラシー教育はやろうとしてると思うけど、これは重要なので継続

そして韓国語第二外国語として必修にする。理由日本人にとって一番習得難易度が低い言語で、これを習得すれば英語など

他の言語習得メンタル的なハードルがさがる(と思う)。それに韓国台湾と同じく、もし戦争になったら貴重な同盟国になりうる。

それにちゃんとその言語文化を学んだ外人に対して無下にはできないのが人間日本人が韓国言語文化を学んで、韓国語で話しかければ

向こうも無下にはできなく、友好的なコミュニケーション捗る。ということで韓国語勉強する

そしてガンダムスラムダンクナルトジョジョ進撃の巨人ドラゴンボールなどのアニメオタク文化を必修にする

これらのうちのいくつかを選んで選択式の科目にし、外国人にもちゃんと語れるようにする。

日本明治以降思想とか、神道とか仏教とか掘り下げて学習する。単語を覚えるのではなく

ちゃんとした歴史を学ぶ。昔の日本人の精神性の良いところを継承する努力をする

正直日本人は日本歴史日本人について何も知らなすぎる。歴史検証も全くしてない

それでいて無宗教かい宗教を信じてる。。哀れすぎる

老人は免許返納、ついでに選挙権も返納

新しい時代を創るのは、老人ではない!

あとがき

おお、コメントwwww

もっと爆釣したいwwww

2022-05-06

anond:20220506143450

江戸時代も一致や打ちこわしあるし南北朝~戦国は乱世だし明治以降も反乱やらクーデターあるし

日本人は不満があっても社会を変えるのではなく、現実逃避に走るという国民性」というのは幻想だと思うがな

2022-04-27

そもそも女子学生というもの存在したの自体明治以降だし昔は女子の進学率も低かったので

女子高生が性的特別価値のあるアイコンとしての意味を持つの男性生来的なものではなくて後天的刷り込みなのではないか」という疑問は至極真っ当だと思うんだが。

そんなに制服姿の女子学生が至高ならば低学歴の男もみんな女学校通いのお嬢様突撃してた筈だけどそうはなってない訳で

2022-04-26

anond:20220426124408

そこらへんはまあ武士政権以降長らく政治を預けてしまったゆえの反動産物やね

でも明治以降天皇が実際に政治を切り盛りしてたわけではない

2022-04-20

anond:20220420221040

「天は二物を与えず」っておそらく大して古いことわざではなく、明治以降の混乱期のどこかで優秀な家系人間が死にまくったり遺伝子セレクション曖昧だったりした時期に言われた言葉なんじゃないかと思うわ。江戸時代は安定が長かったからむしろ「天は二物を与える」のが当たり前だったんじゃないかと推測する。

調べてみると芥川龍之介は言ってたらしいので、多分明治末期くらいの発祥じゃないかなあ。知らんけど。

2022-04-18

作中に戸籍が出てくると萎え

ハンターハンターとか進撃の巨人とか、明治以降日本舞台じゃないファンタジー世界なのになんで戸籍!?ってなって一気に冷めてしま

戸籍なんて家族単位で編まれてる国民管理方法を使ってる国ってかなり珍しいやろがい、世界スタンダードなのは戸籍じゃなくて出生とか結婚とか死亡とかの人生イベント個人毎に編まれ身分関係登録簿やろがいって

ちな今日だとスパイファミリー

2022-04-09

日本史知識中学まりなのでわからんこと

鎌倉殿みてて思ったんだけど、知識中学まり江戸時代以前さっぱりわからんわ。

戦国から幕末大河ドラマでだいたいわかる。

明治以降世界史との絡みでなんとなくわかる。

鎌倉幕府とか南北朝とか室町幕府とかよくわからん

恥ずかしながら、40歳にもなってるんだが、中学知識で止まってる。

幕府っていうから江戸幕府みたいなちゃんとした政治体なのかと思ってたら、鎌倉幕府ってのは武士組合みたいなもんな?

御恩と奉公っていうなんとも概念的な。

今改めて考えると恩賞という形で略奪した土地を公平分配する約束で成り立つ生活協同組合みたいなイメージを受ける。

室町幕府もっとよくわからん

初期は南北朝に挟まれたり、中期は鎌倉と京で対立してたり、後期は家系の中で対立してグダグダ。上がグダグダから下がしっかりしてるのかと思ったら、そうでもない。官僚制度も議会みたいなのもろくになく、やっぱり鎌倉と同じでただ利害関係で動いてるイメージ

とかなんとか描き散らかしといて、ホントに知らんでもいい時代な気もする。

他の国との絡みもないし。

政治的には色々あったけど国内グダグダで、特筆することもないけど、新しい発明文化的には後世の基礎になった時代、くらいの理解じゃダメ

2022-03-20

anond:20220320153511

先祖様が戦国大名の人は江戸時代はお侍やって明治以降公務員とか堅い職業やって地方エリートになってたりする

マッチングしない男女の祖先大名の部下の部下の部下の臨時の部下ぐらいよ

2022-03-17

ゼレンスキー大統領国会演説の予想

ゼレンスキー大統領オンライン国会演説テーマが米では911真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。

おいおい、日本にはもっと相応しいテーマあるじゃんよ。

日本ロシアソ連)に侵攻された事があるでしょが。

 

8/15以後も続いた戦争

第二次大戦は8/15の日本降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。

時系列

 

8/6 広島原爆投下

8/9 長崎原爆投下、ソ連日ソ中立条約破棄、満州に侵攻

8/11 南樺太侵攻

8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令英米攻撃停止

8/15 玉音放送

8/18 占守島の戦い

8/22 三船殉難事件

8/23 占守島武装解除

 

と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘継続し軍民に被害が発生した。

日ソ中立条約破棄は日本降伏に追い込んで戦争終結させる為だからあいいとしてもだ。

だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。

8/22 三船殉難事件というのは樺太サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦留萌増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。

2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。

 

ゼレンスキー大統領が米議会真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。

 

米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島ソ連にあげるってな密約がされたのな。

その上でソ連釧路-留萌ライン以北の占領計画勝手に立ててこういう行動をしていた。

占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領スターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画頓挫されたが、それが無かったら北海道上陸されて占領されていた可能性が高い。

 

で、投降した軍人軍属シベリア抑留ですよ。

 

領土拡張原則違反

無条件降伏した日本第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。

でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾青島日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則戦後処理がされたからだ。

ところがこれには例外があった。それがソ連ですわ。

 

サンフランシスコ講和条約日本近代以降の武力武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的占有範囲基準にして領土を決めている。

だがその例外千島列島で、ここだけはヤルタ会談密約根拠になってるわけよ。ソ連けがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。

レーニンさん、帝国主義って資本主義必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?

SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約千島列島の扱い自体領土拡張原則に反してるからだ。

 

引揚者の困窮問題成田空港問題

終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。

資産放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。

でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。

で、日本土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代社会問題化したわけよ。

最終的に1967年引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。

そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。

当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由満蒙開拓団引揚者入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地から猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。

国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。

成田新幹線接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。

地主抵抗したのが原因で千葉の広範囲地主左翼シンパなわきゃない。

成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街中通るが、実はあれは山林、農地開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。

から激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体接続路線ちょっと事情が違う訳だ。

 

それもこれも引揚者戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。

 

ソ連の悪行忘れた日本

からゼレンスキー大統領とそのスピーチライター日本の歴史良く知ってたら、多分原爆被害と共にこういうソビエトロシア行為を訴えるのではないかと思うのだ。

今のロシアがやってる事は満州建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気研究読めよって感じなのだ

その一方で戦後の時流を無視した領土拡張主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。

…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらいかもな、と思ったりもする。

2022-02-24

尺八についてもうちょっとだけ書かせてほしい(追記あり

anond:20220222220135

これを書いた尺八増田です。

ホルン元増田さんが追記で「ディスったつもりはない」と仰っておりますので、この議論に関してはこれ以上反論も補足もいたしません。

ただ一点、元増田さんには「あのような書き方をすれば尺八(またはマイナー民族楽器全般)がディスられたと感じる読み手が私を含め一定数居る」ということだけはご認識いただきたいです。

それより私が驚いたのは、はてなの中でどのようなきっかけであれ尺八という楽器にここまで注目していただいたということです。

特に面白い」「勉強になった」「尺八吹いてみたくなった」等のコメントは予想外で本当に涙が出るほど嬉しく、励みになりました。

これが元増田さんへのツッコミという形ではなく単発のエントリだったとしたら、たとえ同じ内容でもここまで反響を頂けなかったと思うのです。

こんなチャンスはもう二度と来ないと思うので、今回の件をきっかけに尺八に興味を持っていただいた方に向けて、もう少し書かせてください。

尺八マイナー楽器であることは十分承知していますが、少しでも楽器としての魅力をお伝えしたく、なるべく専門用語を使わずお伝えさせていただきます

尺八楽譜はどうなっているのか?

流派によって多少の違いがありますが、基本的カタカナ縦書き表記されます

基本となる音は5種類で、順に「ロ、ツ、レ、チ、ハ(リ)」となっています

このカタカナ音程ではなく指使いを表していますギターでいうところのTAB譜に近い表記です。ですので同じ音程でも指使いが違えば表記も変わりますし、逆に表記が同じでも尺八の長さが変われば出てくる音の高さも変わります

音の種類は替え指や特殊奏法を全部カウントするとおよそ30種類です。殆ど全ての音が西洋音楽12音に対応していますが、中には五線譜では表現できない替え指や特殊奏法もあります

足を使わないと出せない音がある

尺八の音域はおよそ2オクターブ半ですが、ホルンと同じく音域の高い音は正確に当てるのが難しいです。

しかも、高い音の中にたった一つだけ、なんと足(正確には太もも)を使わないと演奏できない音が存在するのです!足を使わなくても音自体は鳴ることは鳴るのですが、ピッチが上ずってしまい使い物にならないのです。

指使いや首振りだけではこのピッチのずれをカバーしきれないので、太もも尺八最下部の息の出る穴を塞いでしまい、首振りのくだりでご説明した「開口端補正」を利用してピッチを適正な所まで下げているのです!

指孔が5個以上の尺八もある

繰り返しになりますが、基本の尺八は指孔が5個しかありません。これによる最大のデメリットは「細かいパッセージが吹けない」ということです。

基本の音だけで構成されたパッセージなら吹けなくもないですが、半音特殊音が混じってくると、かなり厳しいです。そう考えると5孔で平然とジャズを吹きこなすZac Zinger氏はマジで化け物です。

このデメリットを克服するために、指孔を増やした尺八存在します。まとめて「多孔尺八」と呼んでいますが、メジャーものは6孔と7孔で、多いもので9孔があります

指孔が増えることで、本来であれば「首振り」や「指孔を少しだけ開ける」などの細かい動作必要とする音も指孔の開閉だけで出すことが可能になります

この多孔尺八を「邪道だ」と毛嫌いする奏者もいますが、私はこれにより尺八音楽表現の幅が広がるのであれば良いのではないかと考えます

プロ尺八奏者はどれくらいいるのか?

プロ定義曖昧なので何とも言えませんが、メディア複数回登場したり、CDを出したり、定期的にリサイタルを開催している奏者に限定すれば、国内で100~150人くらいではないでしょうか。

最近活躍している若手プロはその多くが東京藝大の尺八邦楽尺八専攻出身です。https://hougaku.geidai.ac.jp/

そんな中、メディアへの登場頻度が図抜けて高い現役プロ尺八奏者が2人存在します。一人は「和楽器貴公子」こと藤原道山氏、もう一人は「美人すぎる尺八奏者」こと辻本好美氏です。

辻本好美氏の演奏は、実は某テレビ番組で毎週必ず、それも何回も使われています。正解は以下の動画の1:55あたりから

https://www.youtube.com/watch?v=2NfBpCQ5VYQ

お二人とも人気実力ともに申し分ないですが、私が個人的に一番好きなプロ尺八奏者は小湊昭尚氏です。彼の演奏きっかけで尺八世界に興味を持ったと言っても過言ではありません。

小湊さんがYOASOBIの「夜に駆ける」を尺八カバーした動画は超絶オススメなので是非皆さんにご覧いただきたいです。先ほど紹介した「足を使わないと出せない音」や「首振り」も速いパッセージの中でバンバン使っていて、言葉がありません。

https://www.youtube.com/watch?v=LI0nzOKtTuk

ブヒョ〜」という尺八独特の荒々しい音はどうやって鳴らしているのか?

尺八と聞いて多くの方がイメージされる「ブヒョ〜」という荒々しい音ですが、あれは口腔内や唇の形状を変えることで敢えて乱気流を発生させ雑音を含ませていて、専門用語で「ムラ息」と呼んでいます

やり方は奏者によって様々ですが、基本的には舌の先端を下の歯の付け根あたりに巻き込んで通常より強めの息で吹き込むことで鳴らすことができます

このムラ息、曲中であまり多用しすぎるとうるさい演奏になってしまますので、ベースは綺麗な音で演奏し、ここぞという時に使用しています。ちなみに上記紹介の「夜に駆ける」動画の中では3:06あたりで使用されています

最後

本当はもっともっとお伝えしたいことがあるのですが、長すぎると逆に興ざめになってしまいそうなのでここまでにします。

ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました

尺八に関する質問があればトラバブコメにお寄せください!可能な限り追記で回答いたしますので。

尺八の魅力、もっと広がってくれ!

2/26 追記

皆様ありがとうござます。これまでに頂いたブコメからいくつか回答いたします。

尺八を始める時に必要な物は?

兎にも角にもまず楽器が無いと始まらないのですが、これには明確な回答がございます

ズバリ、「プラスチック尺八 悠」の一択です。初心者用の尺八としてはこれ以外の選択肢は無いと言っていいでしょう。価格は約16,000円です(昔はもうちょっと安かったんだけどなぁ…)。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00P2FXKRS/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_VR20JYRNZ0YEQJ2QWS28

ヤフオクメルカリなどで中古竹製尺八が売られていますが、初心者には高確率地雷となりますので絶対に手を出さないでください。実家の押入れに眠っていた尺八も避けた方が無難です。

理由として、竹製は太さがまちまちで本人の口に合わない場合があること、手入れがされておらず割れていたり調律されていない場合があること、作者がわからないのでクオリティ玉石混淆なこと、などが挙げられます

その点「プラスチック尺八 悠」はその名の通りプラスチック製なので太さ、仕上がりが均一で、乾燥などによって割れ心配がなく、プロ尺八奏者による監修もされております

もし竹製尺八が欲しくなっても絶対に一人判断して買わず、信頼できる師匠尺八奏者、製管師と一緒に選んでください。

尺八選びを間違えたために最初の段階でつまづき、「私には無理だ」「やっぱり尺八は難しい」と思い込んでリタイヤする人の何と多いことか。残念でなりません。

楽器以外に必要なのは譜面台、チューナー、露切り(管楽器でいうところのスワブ)、テキストくらいでしょうか。

譜面台は尺八用をお勧めします。蛇腹式で横に広がるので主に縦書き尺八楽譜を置くのに適しています

https://www.amazon.co.jp/dp/B000WMCB94/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_HKHG69Q886CJS94SFZAP

チューナー一般的ものであれば何でも構いません。スマホアプリでも大丈夫です。

露切りは購入すれば間違いないですが、自作手ぬぐいハンカチに紐とおもりを結びつけた物でも大丈夫です。

テキストについては後述します。

プラスチック尺八であれば楽器メンテナンス不要です。

練習後に露切りで尺八内部に付着した水分を拭き取って終わりです。簡単ですね。これも尺八の魅力です。

尺八の独学は可能なのか?

不可能とは言いませんが、できれば信頼できる尺八奏者から直に教わってほしいですね。

オンラインレッスンを開講しているプロ奏者も何人かいらっしゃいます。レッスン料は講師によって千差万別です。

流派師範などの肩書を持った方もいらっしゃいますが、師範プロではないので注意して下さい。実際にその人の演奏を聴いたり体験レッスンを受けたうえで決めた方が良いでしょう。

最近プロ奏者がYoutube解説してくれている動画もありますので参考になるかと思います

https://www.youtube.com/channel/UCzD1bRWJ6o9ECnHRUVGctMw/videos

初心者用のテキストですが、個人的オススメは「鳴るほどザ尺八」です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4991014433/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_Q2V39NSKQTAXAGBANXCG

著者の菅原仁義氏は現役のトッププロ奏者で、多くの若手プロ奏者を育成した実績もお持ちです。

もしあなた大学生であれば、「和楽器サークル」または「尺八サークル」に入会してください。懇切丁寧に教えてくれるはずです。

もし自分の通う大学にそうしたサークル存在しない場合、近所の大学サークル相談するのも手です。

社会人になってから尺八出会った私としては、同年代が集まって切磋琢磨できる環境練習時間がある大学生が羨ましくて羨ましくて仕方ありません。

一緒に練習できる仲間って、本当にかけがえのない存在です。小中高の吹奏楽部での経験があるからこそ、尚更そう思います

尺八人口はどれくらいなのか?

ホルン知名度のくだりでも少し話題になりましたが、国内唯一の和楽器専門誌「邦楽ジャーナル」によれば、現在尺八人口国内におよそ2万人とのことです。

他の楽器人口がわからないので、この数字が多いのか少ないのか、私には判断できません。詳しい方いらっしゃいましたら教えてください。

「夜に駆ける」動画尺八を持ち替えているのは何故か?

想像の通り、曲の調や音域に合わせて随時最適な尺八選択しているからです。そのため、曲の中で転調があると動画のような持ち替えが発生します。

尺八は一寸刻みで長さの違うものがあり、一寸長くなると出る音が全体的に半音低くなります

最も一般的な長さは一尺八寸(D管)で、次いで良く使われるのは一尺六寸(E管)、二尺三寸(A管)となります

ちなみにこの「一尺八寸」が「尺八」という名の由来になっているといわれています(諸説あり)。

足で塞ぐのは大甲のツの音であってるかな?

そうです。大甲のツです。

「夜に駆ける」動画では結構な頻度で使われていましたがこれは極めてレアケースで、通常の曲で使われることはほぼ無いのでご安心ください。

なんで和声とか発達せんかったのだろ?

尺八合奏用の「楽器」として使われ始めたのは明治時代以降で、それまでは禅宗の一派である普化宗虚無僧修行の一環として使う「法器」でした。

そのため、他の楽器合奏することが禁じられていたのが原因と思われます事実虚無僧が吹いていた曲はそのほぼ全てが独奏曲となっております

箏と三味線尺八合奏する曲がありますが、あの編成が成立したのも明治以降で、それ以前は胡弓という楽器が今の尺八パートを担っておりました。

さらに、当時の尺八現代尺八とは違い管の内部が漆で整えられておらず細かい凹凸があったため、音程や音量が不安定そもそも合奏に不向きだったことも原因かもしれません。

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