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はてなキーワード: 明治以降とは

2022-02-19

anond:20220219060943

近代以来っていうと日本では明治以降になると思うけど、

それなら戦後は「不敬罪」とかも無くなって自由は増えたんじゃない、一応。

現代の息苦しさは、ほぼ情報化社会の発達と比例している気がする。

世界中で見れる、即座に拡散する、いつまでも残る、など、

人間には本来正しく扱うことができないような機能実装してしまったためにこうなっているのかと。

やめなさい。

2022-01-16

anond:20220116224153

江戸時代噴火や大化もあったし明治以降震災空襲あったしいうほど守られてるか?

2022-01-14

にんにくって927年なんだな

明治以降だと思ってた

2021-12-21

今や松田聖子神田正輝は子無しとなった

将来遺産相続人は1番は親、2番は兄弟 いずれにも兄弟はいる、大企業関係者らしい

複数の子が皆死んだらさすがに怪しまれるので 子は沙也加一人だけにしておいた

子が死んでも当然かのように 手を回して不倫離婚問題を起こす

明治以降によくある話 絵を書いたのは国際金融イギリス電通かな

2021-12-20

乳=エロという概念明治以降根付いたものということを考えると

ロリポルノが社会蔓延すれば、女児を性の対象と見るヤツが増えるだろうことは容易に予測できて

ロリポルノ表現蔓延するのは社会とって害悪しかないと思うから

別に規制されてもいいんじゃね

いうて猥褻物陳列罪とか既にあるわけだし

2021-11-14

「屍山血河」の由来についての推測

https://anond.hatelabo.jp/20211113201646

横田だけど、ちょっとググったらそれっぽいストーリーが立てられたので共有しておく。



三行でストーリーをまとめると

・「屍山血河」という言葉を考案したのは大日本帝国陸軍文官で、陸軍教授地位にいた樋口石城なる人物である

・「屍山血河」は、旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を邦訳する際、邦題として発案された。

・この邦訳を読んだ人々が邦題熟語として認識。そのうち、司馬遼太郎小説内で多用したこと日本中に広がった。



「屍山血河」の由来はなにか。まず、中国語で言うところの「成語」にそれらしい言葉はない。

かといって「屍山」とか日常言語で使う単語という感じではないし、自然発生した四字熟語でもないだろう。

普通に考えたら、中国語以外の言語にある熟語を、明治以降文化人とかが邦訳するときに成語っぽく整えた、とかが一番ありそうなパターンだ。

しかし、「屍山血河」という単語辞書に載っているが、用例として記されているのは司馬遼太郎小説ばかりだ。後は三島由紀夫だが、司馬遼太郎の用例が古い。

辞書を作ったときにそれより古い用例が見つからなかった可能性が高い。

普通辞書の用例はその用法で一番古いもの採用する。だれか他の文学者創作したならそっちが採用されないのは奇妙である

もちろん、司馬遼太郎独自に考案したと考えるのは早計だろう。

司馬遼太郎勝手創作したとされていた史観や、事実関係が怪しい記述も、近年ちゃんと調べてみると「元ネタ」があるものばかりだったらしい。

もちろん、だからといって、それらが歴史的事実だというわけではなく、「元ネタ」を書いた人が勝手創作したり、誤認識していたということらしいのだが。

ともかく、司馬遼太郎は無から発想したり、自分説明なしに訳語創作するような人間ではないと思う。

用例として採用しづらい対象で、司馬遼太郎が興味を持つ題材の日本語資料で「屍山血河」を使ったものがあるはず。



この条件に合致しそうなのが "屍山血河" コステンコ 著,樋口石城 譯 [1]である

ちょっと調べてみると、これは旅順戦を記録したロシア軍人М. И. Костенкоの日誌 "Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"[2]の邦訳だ。

М. И. Костенкоは旅順攻防戦に少将として参加した後、戦後軍事法廷議長とかをやった、とwikipediaに書いてあった。

旅順戦の日誌は貴重な資料であり、ロシアで広く読まれた。これが邦訳され、1912年出版された。

しかしそれにしては邦題おかしい。おかげでググっても原著がすぐ出てこなくてちょっとイライラした。

"Осада и сдача крепости П.-Артур : мои впечатления"を機械翻訳すると、"旅順要塞の包囲と降伏:私の印象"となる。

実際、この本は1973年に田崎与喜衛に再訳されており、そのとき邦題は"旅順攻防回想録 "となっている[3]。

泥沼の旅順戦で主に大量の兵士、とくに日本兵が死んだ様子を描写して「屍山血河」と言っているのだろうが、戦闘記録の題名にするには文学的にすぎるだろう。

М. И. Костенкоが序文とかサブタイトル的な位置にこの単語を使っているのではなく、樋口石城が勝手につけた邦題である可能性が高い。

ロシア語でも Горы трупов (死の山)とか реки крови(血の川)という表現戦争表現する際、よく使うようだ。

熟語とまでは行かないが、並列して使われる例もググればそれなりに出てくる。

原著に直接この組み合わせが出てくるかはちゃんと調べていないので不明だが、本文検索してみたら、Горы труповは単体で積み重なった日本人死体表現として使われていた。

もしこの記録が文学作品だったらこの題をつけるのは適当かもしれない。



これ以降は完全に当て推量である

陸軍教授樋口石城がどういう人物なのかはググっても出てこないが、樋口季一郎の親戚とかだろう。しらんけど。

まあ、軍教授なのだ名家出身学者で、ロシア語を含む文系教養があって、仕事ロシア関連の軍事資料邦訳を大量にやらされていたのだろう。

から文学作品とかを書く暇もないので、やらされた邦訳仕事で、多少のオリジナリティを発揮してみたくなったのではないだろうか。

そこで少し文学風に気取って成語っぽい「屍山血河」という語を創り、戦闘記録の邦題としてつけたのだ。

それを司馬遼太郎資料として閲覧。そういう成語が既にあると認識戦争小説で多用。

小説を読んだ人間もそういう語があると理解し、大量の死者が出る戦争を語る際に一般的単語へと一気に昇格してしまった。

そしていざ辞書に載せようとすると、用例として明記できる古い例が司馬遼太郎以前にないことに気づく。

樋口石城の訳書も発見はされたのだろうが、題なので用例としては不適であり、スルーされた。

結局、遡れるのは司馬遼太郎小説しかなかったのではないだろうか。




無論、上記は全てネット上で手に入る資料の断片からの推測であり、だいぶお粗末なものだが、もし当たっていればなかなか面白いストーリーではないだろうか。

以上、「屍山血河」の由来について横田が調べてみました。

いかがでしたか

信じるか信じないかはあなた次第

[1]https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024298307-00

[2]https://www.prlib.ru/item/355295

[3]https://www.amazon.co.jp/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E9%98%B2%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2-1973%E5%B9%B4-%E6%A8%8B%E5%8F%A3-%E7%9F%B3%E5%9F%8E/dp/B000J9FK7A

2021-10-19

anond:20211019180807

でも、識字率はそれなりに低いにせよ、寺子屋やらあったか明治以降で急速な近代化できたんだぞ。

教育下地が無い国は、金をじゃぶじゃぶに投じても発展しないし。

ブラジルなんて、資源国だし工業化すれば日本なんか簡単に抜けるポテンシャル国土的にはあるのに、

いつまで経っても国民馬鹿からそのままじゃねーか。

2021-10-15

anond:20211014174246

少なくとも今の日本社会制度は「家=世帯」をベースに構築されていて、その「世帯」の名前が「姓」なんだ。結構根幹にかかわることなんだよ。

大した伝統じゃないとか言ったって、ちゃんとした社会制度が全国に広がった明治以降はそうなんだから行政サービスとか公共教育とか福祉とかなんにもなく、曖昧でよかった時代とは違う。

賛成派は自分の姓が大事…というけれども、それだって親のどちらかが犠牲になって姓を統一して世帯として活動してきたか愛着が湧いたわけで、別姓後の次の世代にとってそもそも「家の名前=姓」を大事にするという感覚はかなりロストするだろう。別姓派は、自分の姓を大事にしたかたから別姓にしたかったんじゃないのか?

姓がそもそも国家制度としてあまり重要じゃなくなれば、それこそ守る価値すらなくなると思っている。え?姓、変えたきゃ変えりゃいいやん。なんなら結婚関係なく変えたきゃいつでも変えられる。それぐらいまで価値を落としたとき成功すると思うが、それは別姓推進派が描いているイメージじゃないと思うんだよな。

そのためには完全に個人ベース住民データベースが構築され、それが世帯なのかどうかはその条件でクエリーしたときだけ出てくればOKぐらいまで意識と台帳を再構築しないといけない。で、おそらく賛成派はそこまで社会制度を再構築するという気概意識もなければ知恵もビジョンもない。ただ自分の姓が大事。いや別姓OKにするってことは姓そのもの大事にする必要がないようにするってことなんだよ。たぶんそこがわかってない。それが透けて見えるからあんまり賛成できないんだよな。

もっとも反対派もそこまで反論できる人もいないし、なし崩し的に別姓にして、エイリアスもなんもない制度になってただボロボロになるんだろうなあ、って思う。

2021-09-27

anond:20210927163710

かに人口統計が始まったのは17世紀から18世紀ヨーロッパから江戸時代人口推計をする手法は普及していなかっただろうなあ。

人口統計日本で始まったのはヨーロッパ学問移入された明治以降でしょうね。

どうやって江戸時代とか縄文時代平均寿命推計したんだろうな。

2021-09-18

自民党総裁候補に絡んでネトウヨ的なものTwitterでよく目に入るようになっている。

"夫婦別姓は、本当に、絶対ダメなんです!メチャメチャ丁寧に説明しますので!~夫婦別姓の恐るべき社会~" と題された竹田氏の動画、もう吐き気を催すほどに話し方も内容もひどいのだが、がんばってだいたい見てみたので、感想がてら考えたことをメモしておく。

https://www.youtube.com/watch?v=4RwRZpYyCas

絶対ダメなんです!メチャメチャ丁寧に説明しますので!」と言ってるわりには、特にダメ理由など理由立てて話していないし、家制度戸籍関係や、明治憲法下の家制度現在夫婦の姓の問題関係など、に触れもせず整理もせず「日本の伝統」でごり押ししているので、聞くに値しなかった。「選択夫婦別姓通称の拡大でなぜだめなのか」という問いについては「通称の拡大はなぜ選択夫婦別姓でだめなのか」と対称に返されて終わりである。それに「日本の伝統」でごり押しでは議論にならない。もちろん、日本家系重要文化であることは論を俟たない。特に地方の名士については、是非とも残し、引き継いでいくべきだと考えるし、そういった家の歴史の記録を国家戸籍制度をうまく使うことで支援できるのならばよいことだと思っている。

しかし、(偽家系図が流行するなど家系というもの価値が置かれた)江戸以前からくそれと、夫婦別姓の話は別であるということは、法務省サイトでも、

Q5 夫婦が必ず同じ氏を名乗ることになったのは,いつからですか。

夫婦が同じ氏を名乗るという慣行が定着したのは,明治時代からだといわれています

https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html

掲載されている通りである。そんなに家の歴史大事ならば、家の歴史を残す支援をすべきであって、明治以降に作られた国家管理の便宜的な仕組みである夫婦同姓を過剰に重要視し、個々人の尊厳喪失と手間の増加を強いるべきではない。

一方で、個人的には「姓」というものにそこまでこだわるのもあまり共感できないので、

Q4 なぜ,選択夫婦別氏制度の導入を希望する人がいるのですか。

…(1)代々受け継がれてきた氏を大切にしたいという感情を持つ人が増えていることから一人っ子同士の結婚のような場合に,氏を変えることが事実上結婚障害と…

みたいなのも、わかるようなわからないような。たまたま元カノが2人くらい連続して(苗字のサーチサイトの言うことなのでそんなにアテにはならないが)全国で10軒以下で苗字を維持するのが条件ということだったので、母に「俺苗字を妻のものにするかも」と言ってみたら「長男なのに!」とえらく憤慨され、「は?」と思ったり、弟も最近似たような状況がありやたら(父より)母に反対され、まあ「自分が捨てたもの他人が捨てずに済むのが許せない」に近い感情であることは見て取れるのだが、どちらにするにせよ、この、元カノしろ母にしろ女性側がこだわるというのは、最近よく見る、よく体感する状況で、「問題にぶち当たる側がより強い感情を持つパターンなのだと思う(これに名前ありますか?)。「日本人」のアイデンティティ日本から移民の方が強く持っていたり、「科学とは何か」ということについて科学実践であるということが自他ともに自明視されている理系より境界領域文系人間の方がよく考えていたりするのも、似たようなメカニズムだと思っている。当の竹田氏もjawpによると著作旧皇族が語る天皇日本史』などで自身が「旧皇族である」と自称してのちに論争で「私がいつ皇族自称したのか、その根拠を示してほしいです」と言っていた話が書かれているが、そういう微妙立場いるからこそ、家系感情的なこだわりを持っているのだろう。(←「動機」の推測は議論においてなすべきではないが、これはどういうひとがどういうこだわりを持つかという「動機メカニズム」について考えることで、自分の「動機の偏り」を明示するための段落である

まり、たぶん、男だから皇族との関係など十分に薄いからというのもあるけど、そもそも選択夫婦別氏制度」反対側にも賛成側にも、感情的には「どっちでもええやん…。…まあだからこそ"どっちでもいい"ことを支持する"選択的"夫婦別氏制度を支持するけど」という気分で、私は「選択夫婦別氏制度にとりあえず賛成である

途中、名前毎日変えられたら犯罪し放題、みたいな関係のない話が差しはさまれているけれど、それは個人犯罪歴をどのようにトラッキング社会的に共有するかという問題である。姓の話と全くと言っていいほど関係がない。姓名がユニークIDとして機能しないのだから名前犯罪トラッキングに使うことには問題があるし、この苗字日本人っぽくないとか誤謬をよくやらかしている界隈っぽい考え方である。どんな名前を使っていようが、契約をするとき相手詐欺に関する犯罪歴が見れるとかは今後社会実装されてほしい。そして、家に迷惑をかけないということが犯罪抑止力になると思っているのだろうが、そんなものは姓がどうとか関係なく常習的に犯罪に手を染める層ではとうに底が抜けているし、親が犯罪であるから不条理偏見さらされる人たちを見てマジで最悪な考え方だと思っている。

他に「根無し草」という言葉が出てきて、オルテガの déraciné あたりに由来しているんだと思うんだけど(それを YouTubeコメント欄竹田氏のオリジナルだと思って称賛しているコメとかあった。そういう層が騙されるんだろう)地域コミュニティを「根」として考えたオルテガのそれと、日本独自文化だと言っている家制度の「根」を同一視して喪失問題にしているのは、日本には地域コミュニティなど再興しえないという意図なんだろうかねぇ(そんなに考えてないだろう)

2021-09-11

川崎のかなまら祭の危機

川崎奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクチンコ神輿が有名なやつだ。

あのピンクちんこ奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統危機だ。

 

女装クラブエリザベス奉納した神輿だった

あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋新宿にあった女装クラブエリザベス奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料奉納して金山神社を支えていたと思われる。

このエリザベスはアント商事という会社運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。

 

下着商社だった

アント商事は元々女性下着商社だったのが、どうも通販下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。

 

商事はこれはニッチ需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学安定的生存圏って意味だよ。

しかもこのニッチ下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。

そういう判断1979年エリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。

 

ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。

 

学生運動70年代から民俗学の隆盛

金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。

んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語マルクス主義が萎んだあとに小さな物語日本伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄いい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。

当時の金山神社宮司民俗学インスパイアされ、自身神社の昔の姿、江戸時代伝統的な祭り再現しようとした。特に性的信仰っていうのは明治以降国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避ナンセンスだ。

それで大根男性器、女性器、いやそんな言葉忌避はしちゃいけないな。ちんこまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現民俗学表現からあしからず

 

エイズ疫病退散としてのスポンサーリング

1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。

そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿寄付ってわけやね。

あの屹立するピンク怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿オフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密趣味っていう暗さもある。

んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。

因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。

 

男の娘ブームに押される

15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。

しか男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。

因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。

 

そういう情況エリザベス運営会社のアント商事2020年2月廃業してしまった。コロナ最初期だ。

祭もコロナ自粛

一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察道路使用許可出してくれないからな。

 

なので同社廃業ピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。

 

って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。

あと、他の男根神輿は健在だからちんこ消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。

 

最後にお詫び

なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。

最後に、はてな事務局諸兄には民俗学必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題クリックバイトになった事をお詫びしたい。

どうもすいまんこ

2021-09-08

anond:20210908152924

細部にこだわるのは趣味じゃないし、たとえが悪かっただけかもしれんが

女性誌というものが発刊されるようになった明治以降女性作家女流詩人女流歌人なんて山程いるぞ

まず第一に今の女子学生家事や農作業に追われて抑圧されているわけじゃないし、

しろ家庭が裕福で職業選択の自由を持っている学生のほうが「金にならない」学問を選びがちだしな

 

となると3行目以降の

「興味の男女差がなくなるってことは、世の中がフラットになってるってことで、基本的には良いこと」

というのも疑問に感じる

興味の男女差がなくなるのは良いことって、本当にそう思うか?

好きなことより賃金を優先しなくてはならない、貧しい国の考え方のように感じるよ

2021-04-27

anond:20210427100836

明治以降天子様のお住まい東京なのだよw   

そして、天子様のお住まいに一番近い駅は東京なのだよ。

わかったかね? そういうことだ。

2021-03-31

anond:20210331163515

刀が指揮官を表すものっていうのは明治以降認識だよ。

刀は足軽でも装備しているのが普通。というか刀はおびただしいほど出回っていてすべての男が装備しているのが普通だった。

槍は「長さをそろえる必要があったので」支給される場合が多いが、使える場面がむしろ局所的(戦の序盤か早期に決着がつくときには集団が密集しているので強いが、だんだん長引いて来ると雑兵士気が衰え撤退も増えるので槍の特性があまり生かされなくなってくる)。

また足軽そもそも槍で人を倒すのではなく槍衾で敵の動きを制御して誘導する役割だった。足軽は大した戦闘訓練も受けていない場合が多いからもっぱら補給戦闘補助。

実質的戦闘員は場面によって槍も日本刀も使う。だが槍はかなり重いので早期に決着がつかない場合はとてもじゃないがいつまでも使えるものではない。そういう実践的な視点がないと槍長いじゃん強いじゃんという短絡的なもの見方しかできなくなる。

2021-03-26

伝統のふりをしているが明治以降に広まった歴史の浅い風習

初詣元旦に好きな神社に行く「初詣」が定着したのは明治中期の鉄道会社キャンペーンによる。)

除夜の鐘1927年NHKゆく年くる年」の前身ラジオ番組が「除夜の鐘」を放送したこときっかけで日本全国に広まった。)

おせち正月料理を重箱に詰めるようになったのは明治以降で、それが全国に広まったのは戦後デパート業界キャンペーンによる。)

・二礼二拍手一礼(一般の参拝客が行うべき「正式作法」とされて広まったのは戦後、あるいは平成以降であるとも言う。)

いただきます(食前の挨拶としては、軍国主義教育を通して1930年代ごろから普及していったと思われる。)

正座明治以前にも存在はしたが一般的でなく、正座正式な座り方とは見なされていなかった。「正座」として広まったのは明治以降である。)

六曜明治以前にも存在はしたが一般的でなく、本格的に普及するのは明治に入って太陰暦から太陽暦に切り替わって以降である。)

信楽焼の狸(明治期の陶芸家藤原銕造が製作したもので、全国に広まったのは1951年昭和天皇信楽焼の狸の和歌を詠んだことから。)

他にある?

2021-03-16

宇部高等学校的シン・エヴァンゲリオン考察

いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。

私はエヴァTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前ことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)

エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。

宇部山口県瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史文化も無縁のところだ。

宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。

庵野さんは地元進学校宇部高校出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長キャッチフレーズは「国立300、野球甲子園」。ちなみに、ノーベル賞本庶佑さんは宇部出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理ユニクロ柳井さんも宇部高。

そんな文化不毛受験偏重宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンゴジラも低迷していた。

庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。

短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。

だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らし高校生活は、灰色鬱屈とした、愛せない時間空間だったのではないか

漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部時代自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。

ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカー宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。

2021-03-12

あなた達の政治運動には迫力が足りない


https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=730608&comment_sub_id=0&category_id=256

小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員部落解放同盟広島県顧問

 解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である自分政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。

 上のニュースの人は、かつて解放同盟事務方トップだった方だ。昭和7年に広島県東部被差別部落に生まれ中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。

 私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。

 私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。

 それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。

 私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。



 さて、表題意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。

 言葉どおりの意味だ。特に伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。

 企業ごとの組織率は低下し、労働者組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋希望(半強制退職蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というもの事実上消滅していてもおかしくはない。

 また、高校大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校ルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子ども大人のいいなりになっている。

 反対に、成功しつつある政治運動もある。

 近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせ公共の場告発することをいうようだ。

 日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。

 LGBT社会運動も、社会価値観を変革しつつある分野のひとつだ。

 大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から同性愛者としてのカミングアウト文学活動デモ行進芸能界での活躍自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。

 以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイレズビアン人達を描けなくなっているだけかもしれないが。

 これらの成功している政治社会運動には、共通する点がある。

 相手の痛いところを突いていることだ。

 この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。

 特に組合関係団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。

 意図的給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。

 それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。



 話が逸れた。

 相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。

 高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味

 その教師は、部落に住んでいる人間馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。

 どれだけ悲惨生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。

 家族食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。

 さて、その男言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。

 その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。

 このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかからない。しかし、協力をしたかった。

また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。

 次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。

 さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。

 翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区解放委員会役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたかである

 その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったこから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。

 この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。



 今度は、少し規模の大きい話をしよう。

 それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落生活文化的環境改善するという一連の政策国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。

 K君の事件きっかけにして、私は解放委員会正式に加入し、高校社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。

 ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。

 寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。

 当時、私が所属していた団体幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。

 発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。

 彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。

 とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話からまり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。

 後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。

 数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。

 まずは、各自治体の教育委員会オルグ実施した。

 あの時のK君のように、各市町の教育委員会庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識もつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。

 庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。

 場所関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所入り口だろうと、学校門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所関係なかった。

 かつて、私たち基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。

 議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。

 これまでと同じように、これまでと同じだけの金額子ども達への教育活動個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。

 私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。

 それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。

 「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。

 さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。

 私たち勝負に勝った。

 相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。

 上記場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内支部巡りに最も時間を要した。

 人が集まり相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察通報されることだ。特に要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。

 今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対暴力行為脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。

 私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動オルグ最中通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。

それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治社会運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。

 時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間政治運動はできない。それだけのことだった。

 ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。

 県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。

 逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。



 最後になる。

 相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーデモを挙げたい。

 アウンサンスー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?

 武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。

 経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的思想制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。

 アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。

 民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義アピールする。

が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年デモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。

 民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念である世界各国から評価が低下することを気にかけず、民主派指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサン自然死を狙うメリットの方が大きい。

 もし日本が、ミャンマーのように危険状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?

 その問題に直面していたのが、私が生まれ時代よりもさらに昔、明治以降被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?

 多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的意味に限っては)被差別部落問題解決した現在に至る。

 あなた人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。

 40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。

 あなた幸せのあらんことを。

2021-02-18

anond:20210218203634

でも明治以降はだいたい授業時間足りなくてさらっと流されるよな。

明治維新日清日露太平洋戦争原爆2発・高度経済成長、とか

今の教科書だと「失われた30年」とかも教えるのだろうか。

2021-02-01

令和の次の元号、次の次の元号、更にその先の元号

社会保険関連の書類を見ていて、元号略称として使われるアルファベットに思いを馳せる。

明治以降は、M、T、S、H、Rの5つ。

明治の前の慶応がK。その前は元治のG、その前は文久のB。ここまではかぶってない。

その前の万延がMで明治かぶるので、文久以降かぶらないようにしてるもの仮定する。

AIUEOの母音はあり得る。安永や永禄、応仁など。

調べてみると過去「い」から始まる元号は無かったけど、S50やH15のようにI11とか書かれると判別が非常に難しいので実務上使いたくない。Oも同様。

残ったのは、AUEと、N、Y、W、Z、D、P

「じ」あたりをJで表記するかどうかも難しいところ。ローマ字は難しい。ヘボン式だと「ふ」もFになる。

「う」から始まる元号過去にはなかった。「う」自体元号の読みとしては2音目や最後で最多出現なのに。

宇宙元年とか宇宙天皇とかどうだろう。22世紀くらいに。宇宙世紀。

これも過去には無かったけど、ぱ行から始まる元号ファンキーでいい。

天平天保、天福など中程にぱ行が現れることはあった。

「乳瓜」でパパイアと読ませるとか。パパイア20年。パパイア天皇アフロっぽい。

2021-01-21

屋敷家ってどうやって千年間も没落せずにいられたんだろうか?

ネタバレ注意

鬼滅の刃』人気キャラ煉獄杏寿郎が弟に遺産相続させるにはどうすべきか

https://diamond.jp/articles/amp/260382

に、鬼殺隊の生命保険の話が書いてあって考えた。あんな死亡率が高い職業生命保険は無理では? 加入できるとしたら産屋敷生命保険くらいでは?

そもそも、産屋敷家って鬼殺隊や刀鍛冶たち(元、も含めて)を養っているけど、その金はどこから出てるの?

平安貴族家系とのことだが、当主が代々30まで生きられない上に、無惨から屋敷を隠し通している隠密ぶりを思うと、まともな経済活動政治活動も出来なさそうなのに。

平安から江戸時代まで

鬼すら殺せる武装勢力を抱えている以上、人間相手荘園とか分捕られる心配はなかったろうな。

大正時代と違って人々には「舐められたら殺す」がOSに組み込まれいるから、

・鬼を殺す

・お館様を守る

に反しなければ、一揆とか野盗とか殺すくらい問題ないだろ。

明治以降

鬼狩りに助けられた人から支援は、藤の花の家紋の家みたいな感じで色々あるんだろう。

政商とか貴族でも、スタンドを使うゾンビみたいな鬼滅の鬼に対抗するのはきつそうなので、恩を売る機会は山ほどありそう。

で、みんながみんな快くドネートするとも思えないので、鬼殺隊が決断的ドネートを求めたりしたんだろう。

応じないと、なぜか邸内の藤の木が切られたりしたかもしれない。

鬼殺の料金が払えないと「貴様を鬼殺の国に連れて行く」とか脅されるのかもしれない。

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