はてなキーワード: 恋しくてとは
自分はアラフォーにあと一歩の独身のおっさん。童貞で、彼女はいたことがない。厳密にいうと彼女っぽい人ができたことがあったが、秒速で振られたのでやることをやってない。あまり世間では許容されない性癖の持ち主で、こっそり自分の欲求を満たすおかずを二次元、実写問わず集めてはソロプレイに励んでいた。性欲がつよくて、やることがないなら1日5,6回は抜いていた。彼女がいなくても性欲方面はそれで割と満足していた。
しかし30も半ばを過ぎておっさんになったからなのか、日課のオナニーが最近全然気持ちよくない。射精することはするのだけど、「んんんっきもちいいっ...!」って感じがなくて、ただ無の感じでピュッと出るだけ。全然満たされない。あれだけ一生懸命集めてきたおかず動画も二次元も、なんだか色あせて見える。昔みたいにドキドキしない。オナニーしてもしても気持ちよくない。
それで、試しに風俗に行ってフェラで抜いてもらったんだけどこれが実に充実感があるというか、気持ちよかった。それからというもの、現実の女が恋しくてしょうがない。どうにも人肌恋しい。別に風俗が初めてというわけではなく、いままでは半年に一度くらい何となく行くくらいだった。このままでは風俗にはまってしまいそうで大変危惧している。それに、風俗ではもちろん自分の性癖が満たされることはないのだけど、別に性癖満たされなくても気持ちがよければいいじゃんに傾きつつある。これは福音か悪魔のささやきか。
最近、慣れ親しんだ人と会話するのが苦痛になってきた。昔から人と会話するのが苦手だが、それがここ数年で酷くなった。
自分は空気の読めない子で、いつも話すたび相手が怪訝そうな顔をしていたり、会話が止まってしまうこともあった。
だけど会話はキャッチボール。相手の話す言葉を受け止めるだけじゃ、会話は成立しない。
いじめられた経験から、必死に集団に馴染もうと努力した。そうしたら、何とか返球出来るようになって、浮くことも少なくなった。
でもそれはハリボテで、変則的な言葉を投げかけられるとすぐ壊れてしまう。
だから、会話する度に相手を不快にさせてないか、変なことを口走ってないか不安で不安で仕方ない。しかも人と会話する回数が少ないから、余計に気になる。
へまをしてしまった時には死にたくなる。気にしないようにすればいいのだが、生憎私の心は一人立ち出来るほど強くない。
だから人間不信の今でも他者にすがろうとし、追い求めるのだろう。
例えば英語の授業の始めにあるようなHow are you?の問答みたいなものだ。
でも、それ以降の言葉は何も分からない。話題も経験も何もないから。受け答えが決まっていれば良いのに。話すことがとても怖い。
経験を積んでこなかったため、ちゃんと答えることが出来ず、つまらない受け答えしか出来ない。そんな苦痛から逃げ出して、また差が開いてく。懲りずに人恋しくて戻ってくるけど、実力差が違いすぎて苦しくなる。言い訳の繰り返し。
そんな悪循環。
寒くなってきましたね。
寒くなってくると、嫌でも思い出してしまうことがある。
あれから一週間、1ヶ月、半年、一年と経つたびに整理しようと文章を書こうとしたけど、いつも纏まらなかった
なぜか今なら書ける気がするので、書いておきたい
それで急にいつか必ず来る、吉野くんがやめた時のことを真剣に考えようと思った。
「その時が来たときは青いペンライト持って、KMBのときはユーキさんだけを双眼鏡で追って、新曲は3枚買って、タカシくんの歌を真剣に聞くのだ」
具体的なプランを据えて、私は推しの引退に備えられる優秀なオタクだなぁなんて誇らしげにしてた。
翌朝、起きて一番に見たのが吉野晃一が脱退するという報告だった
正直昨日の今日でこんなことある?って頭で自分は笑っているつもりだったし、「分かっていたことだから仕方ない」と落ち着いてるように錯覚してた。
ただ頭から順番に爪先まで急に血が凍ったみたいに冷たくなって、自分の意思で動かせない肉の塊になったのは感じていた。
きっと身体の方が正直だったのだと思う。
その日は学校があったから、動かないと思っていた肉の塊をなんとか人間みたいに仕立て上げて家を出た。
涙は出なくて、まだ悲しいも寂しいも腹が立つも感じることはできてなかった
今思えばよくやったなぁと思う。
脱退する、と未来形みたいな言い方だったけどもう仕事はなくて、今撮り終えたものの放送が終わればその時点でいなくなる
事実上の事後報告だった。
ファンと直接お別れする場がないどころか、何かの放送を通してメンバーが吉野くんを送り出す事もない
極め付けは脱退報告の謝罪文が、リョウガさんのものだったことだった。
何回読んでも分からない。
「方向性の違い」?
何も悪くないリーダーに謝罪させておいて自分は一言も発さずこのまま逃げるつもりなのか?
個人で更新してるブログで謝る可能性は充分にあったけど、公式の脱退発表での報告は本人のものであれよ。
そろそろ2年も経つし、すっかり忘れたつもりでも思い出す度に腹わたが煮え繰り返る感覚を思い出す。
朝からボーッとする頭で授業を受けているうちに頭が正常に戻り始める。
脳が回り始めるとだんだん疑問が生まれてきて、感情が沸き起こってくる。
悲しいとか寂しいとかより真っ先に悔しいとムカつくが溢れ出してきて、昼まではとにかく笑うしかないっていつもよりハイテンションだったのが、午後からは一言でも発せば大暴れしてブチギレてしまいそうで喋れなくなった
初めて涙が出たのは夕方実習が終わってやっと1人になった帰り道で、「お前が辞めても絶対超特急は東京ドーム行くからな」と思った瞬間だった
だって本当に、上がり目だったんだ
日に日に大きくなるキャパシティと分かりやすく伸びていくYouTubeの再生回数を見れば誰だって分かった
超特急が今一番最強の7人だってファンに思わせることができる人たちだった
そんなところにこんな最悪の水の差し方するなんて、推しとか関係なく許せなかった。
辞めることはわかりきってたくせに、いざ辞めると言われれば「もっと後でよかったじゃん」とか言ってる自分が滑稽だったけど、理性で感情は抑えられないものだと知った
そんな怒りは一週間も続いて、怒って泣いてを繰り返すうちに、ある日やっと寂しいという感情が湧いてきた。
好きなところを思い返したり過去の映像を見たりして吉野くんが恋しくて泣くようになった。
もう彼が楽しそうに歌う姿もクセ強すぎて目立つダンスも、MCのときニヤニヤしながら6人を眺める姿も何もかも見れなくなると思うと辛くて苦しくて寂しくて耐えられなかった。
早く彼のことを綺麗さっぱり忘れたかった
そう、脱退が発表されて初めて涙を流してから、私はずーっと吉野晃一という存在を忘却したかった
差し迫るテストに集中するのに、彼を思い出してる暇なんてなかった
好きだったこと、寂しいこと、怒ってること、悲しいこと、彼に付随してくる感情はどれも強すぎて私の心では受け止めきれなかった
心を守る正常な防衛本能だったと思う。だって彼を忘れてしまえばこんな不毛な感情は全部消える。
私にとってコーイチは初めて好きになったアイドルだったけど、その後色んなグループを好きになっていたから情報の海に飲まれようと思った。
ライブにもたくさんいったし、色んな番組見たし、雑誌もたくさんかって色んなところに散らばった好きな人たちを追うことで忘れようとしてた
私にとって、他のグループは超特急をグループとして特徴づけるための比較対象として見ている部分があったことに、そこで気が付いた気がする。
例えば後輩グループは超特急が切り開いた道を広げてくれる人たちだったし、もっと大きな事務所のグループは追い越す対象だった。
超特急は私にとってアイドルだったけど、いろんなアイドルを見ることによって超特急はやっぱりちょっと王道じゃないことを確認できた。
だから他のグループを見ていると、どうしてもこれからコーイチの脱退によって落ちるであろう超特急の人気のことを考えてしまっていた気がする。
その辺の時期の記憶はあまりなくて、ただ段々自分がアイドルの応援に疲れていることをなんとなく自覚していた。
特に、脱退発表直後から「自分は絶対コーイチがいなくなったことに引きずられない」と豪語していたくせに、日を追うごとに周りが好きなタレントを純粋に応援できていることを羨む気持ちが芽生えてしまっていることがつらかった。
あんなこと言ったくせに、自分はいつまでも彼を引きずっていることが恥ずかしくて言えなかった。
そうして私は、夏のある日ぷっつりとアイドルを見るのをやめてしまった。
情報が全く入ってこないアカウントで、いろんな二次元ジャンルに手を出してみたりした。
昔好きだった作品をたくさん見返して、今までちゃんとできてなかった勉強をして、私がドルヲタしてたことを知ってる周りの友達には何度も「休日何してるの?」と聞かれた。
本当に何してたかあんまり記憶がないけど、その間にもずっと吉野君のことは忘れたかった。まだ思い出してチクチク胸が痛んでいたし、考えることがなくなると吉野君のことばかり思い出してしまっていた。
早い段階で彼は個人での活動を開始していたけど、早く忘れたいから見なかったことにしていた。超特急が進むための一員としての彼が好きだったから、自分のために歌う彼は私にとって知らない人だった。
維持を張っていたから、今でも超特急のCDは絶対買っているしFCの更新も迷わずしているけど、現場に行くことはなくなってしまったし全ての仕事は追っていない。
今、二年目の冬にしてやっと、吉野くんが好きだったことを忘れ始めている
そして同時に、忘れることが怖くなってきている。
このままきっと私は吉野くんのソロの現場に行くこともないし、昔の友達に会って吉野君の話をすることもないと思う
十年引きずるだろうと思っていたけど、案外1/5の時間で記憶はなくなってきた
彼のどんなところが好きだったかは思い出せるけど、それで胸がぎゅっとなったりはしないし、彼の顔やかたちは鮮明に思い出せるけどそれで死にたくなったりはなくなった
きっと今思い出せることもいつかばやけていって消えるのだ
私が一番怒って泣いて傷ついて死にたくなったのはタカシ君のことをかんがえるときだった
まだ二人が実家に住んでいたとき、仕事で東京に行くのは二人だった
タカシくんが実家から東京に行くとき、泊まるのが吉野くんの家になった夜は二人だった
動物園に行った二人
初めて顔を合わせて、「めっちゃ真面目」「すごい人」と思い合った二人
最年長と最年少だった二人
凸凹だった二人
黒と白だった二人
月と太陽だった二人
背中合わせの二人
きっと気もそんなに合わなかったと思う
大親友でもなかったし、家族でもなかったし、師弟でもなかった気がする
だけど二人だった
日に日に歌が上手くなるタカシをいつまでも待っていた吉野くんと、いい加減並んだように見えるのにいつまでも吉野くんを遠い目標みたいに語るタカシくん
みんなが持ち上げるほど濃い仲じゃなかったと思っているけど、きっと蓋を開けてみれば私が思いもしない仲があったような気もする
ここが好きとか、こういうエピソードがあったから好きとかじゃなくって、二人が出会って一緒に歌を歌うことになって、超特急としてふたりが奏でる歌声が大好きだった
私は勝手に、タカシくんがおいていかれたと思った。捨てられた、放り出された、一人にされたって勝手に傷ついていた。
きっとそんなことはなくて、タカシくんは私が思うよりずっと大人でそうでなくとも五人が守ってくれた
だけど吉野くんがタカシくんと袂を分かつ決断をしたことが本当に本当にショックだった
色んな「ふたり」の別れを聞いたけど、こんなにつらいことはないと思った。
だってお互い話し合って決めた別れじゃなくて、一方の明確な拒絶なんだ。そんなの受け入れなきゃいけないのはつらすぎるし、そんなことを言い渡す方は最低だと思った。
不幸なんて比べれるものじゃないってわかってたけど、その時心の中で私は世界一不幸だと思った。
1・17に更新されたタカシくんのブログは、他のみんなと違ってまだ受け入れられていないのが感じられて涙が止まらなかった
カイくんがタカシをサポートするから安心して、って言ってくれたのがうれしかったけど、やっぱり吉野くんがいなくなることで一番助けが必要になるのがタカシくんなんだって思うと悔しくて悲しかった
こんな終わり方は嫌だった。ずっと嫌だ。
二人の物語は、きれいでなくてもいいからせめて終わらせてほしかった。
かなわないと知りながらも、今でも二人が終わらせてくれるのを待ってる。
吉野くんのことを好きになったのは彼が我慢できないくらい楽しそうに歌う姿を見たからだ。こっちが笑っちゃうくらい、馬鹿みたいに楽しそうにステージで歌い舞う姿は誰よりもかっこよく見えた。
しゃべるとおもしろくて、もっとしゃべってるところを見たいと思った。
日本語の曲もバラードも全く聞かなかったけど、この人とタカシくんが歌うならずっと聞いていたいと思った。
好きな理由なんていくらでも後付けできるからあんまり意味はないけど、アイドルが嫌いだった私がこんなにも人を応援したいと思わせてお金も時間も感情も捧げるようになったのは吉野くんのせいだってことは事実で、それが何より私にとっての影響の大きさを示していると思う。
大好きだった。きっと今も大好きだ。だけど、それを確かめることはもう怖くてできない。
これから先、誰も応援できないとは限らない。きっと浮気性で人間観察が好きな私だから好きなアイドルができて、自主的にコンサートも行けるかもしれない。
もしかしたら、その人のために何かしてあげたいと思えるような人が現れるかもしれない。
だけど、きっと吉野くんのことみたいに全てを投げ出して好きになることはないだろう。
それは初めて好きになって、一番長く見ていたからでもあるけど、なってはいけないとも思うからだ。
きっとあれは私にとっては毒で、あなたにとっても重荷だった。だからそんなことはないと、明言しておきたい。
そうして世界に、吉野晃一が私という人間の中では世界一の存在であり続けるということをささやかながら伝えておきたい。
ずっと悔しいから言えなかったけど、せっかくだから最後に言っておこう
吉野晃一くん、どうかこれから先あなたが幸せでありますように。
微塵も思えなかったあの日から二年が経って、やっぱりあなたが幸せじゃないと誰も報われないと思うから。
そんな不純な動機だけど、あなたにとっても私にとってもこれから比率が小さくなるあの大好きだった時間は、やっぱり本当だったと思うから
それを忘れたくない、と思う今なら幸せになってほしいと心の底から願える気がする
あなたにとっての幸せが私にはわからないから、あなたがそう思える形に落ち着けますように。
っていうのを一か月前に書いたんだけど、マジで今回の炎上でなにもかもぶち壊されました
大嫌いだと思えば思うほど好きだったこと、今もまだ実は好きなことを思い出す
大好きだった時間を否定しなきゃいけないのがつらくてしんどいよ
赤の他人に入れ込むことのこわさを知ったよね
少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。
私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。
何時間もやる連中の気が知れない。
映画が好き。
私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。
(いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話)
自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。
ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚人に勝てないし、星のカービィはかわいいキャラクターの動きを見るのは楽しいが見てるとボタンがうまく押せないし、
ファイナルファンタジーはお話があったので兄がプレイしているのを後ろで読むのは好きだったが戦闘やレベル上げが始まるとくそ面白くなくて見なくなり、そうなるといつの間にかシナリオが進んでいて結局話についていけなかった。やるにはやるが面白いと思ったことがなく、ゲームをクリアする達成感なんて得られたことはなかった。
とにかく、ゲームは男の子が好きなもの。女子によさはわからない。そういう割りきりをしていた。
初めて自主的にゲームを買ったのは高校生の頃だった。新聞の一面広告。
クーロンズゲートというゲームだった。主人公らしきサラリーマンの実写の顔部分がライターかなにかであぶってあり、焼けて穴が開いている。
1997年2月27日の新聞。クーロンズゲートが明日発売されるという全面広告がある pic.twitter.com/hDwVHpxADp— ぴざろぼ (@pizarobot) June 2, 2013
写真の背景になっている香港、特に九龍城塞のこともこのとき初めて知った。
それまで自分は新しくてきれいな場所やモノが好きだった。おさがりのカバンや勉強机は嫌いだったし小汚い祖母の家は嫌いだった。
建物も街も新しいほうがいい。
だけどそのゲームのデザインは「臭くて異臭を放つグロテスクで暗く汚い街」を全面に見せていた。いわゆるデカダンスとかそういう美学と初めて会ったのがこのゲームだった。
汚い街でもゲームなら歩ける。
今思えば、サラリーマンの顔が焼け落ちていたのも主人公はあくまでプレイヤーといいたくてそう言ったデザインだったんだろう。実際ゲームは主人公の姿かたちの明言は一切なく、始終一人称視点で進むものだった。
ぞわぞわした気持ちで、気が付いたら予約購入していた。よくわからないものに高校生が一万円弱の出費(初回特装版)。どんな話なんだろう、これはどこだろう、とにかくこれが何なのか知りたかった。
どうやらこのゲームをするのにプレイステーションが必要らしかった。
当時は人気商品でなかなか入荷しなかった。
ゲームソフトはその後たしかすぐ手元に届いた気がするが、プレステ本体を手に入れるのにはそれから半年前後かかった気がする。
この値段ですといわれたものを言い値で買うのは初めての経験だった。
本は中古屋で買っていたし、映画はなるべく安くなる日を選んでいた、バイトもしていない高校生が万単位のものをポンポンと。今思えばケチの私が、異常だった。あれはなんだったんだろう?
今思えば妙な突き動かされ方だった。
実際初めてプレイしたゲームにはいろいろ苦労したが、私はそのゲームを何とか一年半かけてクリアした。
世の中ではこのゲームを香港返還前にプレイし終わるのが目標みたいに騒がれていたが、コントローラーを握るのがほとんど始めてみたいな私には無理な相談だ。とにかく自分のペースでやった。
なぜこんなに時間がかかったのかというと、それは主に敵の出るダンジョンが怖かったからだ。
よくyoutubeにホラーゲーム実況チャンネルが軒を連ねているが、見るのとやるのでは怖さが違う。自分でやりたくない人が実況動画を見るのだなと思った。
ひたすら人気のないダンジョンをたった一人だけで、進む怖さ。
私はその時はゲームをプレイしているわけではなく、そこに、本当に、自分が風水師として香港を歩き回っていたように感じた。
クエストをこなすと人に感謝された。たまには、「余計なことを」と感謝されなかった。
高校生が実感したことのない大義と任務と達成感がそこにあった。中毒になった。
新しい街に踏み込むと、探索にわくわくした。
やり始めて数時間は町並みに圧倒されつづけ、その後数時間は不気味なキャラクターたちのセリフに魅了され、シナリオが半分も進んだころには再びぞわぞわした得体の知れなさに震えた。
これはもしかしてマスターピースともいえるとんでもない名作を手にしたのではないか?という興奮だった。
実際には、世間の評価は厳しく、「一部のマニアックなものが好きな人にカルト的人気を誇った」作品という扱いだったが。
あとから調べれば調べるほど、台詞や要素がすべてオカルト的、文学的、歴史的な裏打ちがあり、ゲームの攻略本には荒俣宏が何ページもコメンタリーを載せていた。
今のゲーム業界で当たり前になっているオープンワールド(自分で自由に散策できる世界)がはやるのはこういうことなんだろうと思う。
画面の向こうの世界へは肉体の隔たりがあるはずなのだが、脳は単純で勘違いをする、ここにいると。
ゲームをクリアした後も、あの世界、あの自分の立場や仲間たちが恋しくて「香港に帰りたい」と何度か思った。
実際、啓徳空港が閉鎖するとニュースで聞いて、いてもたってもいられなくなり、初めてバイトをして、一人で旅行会社を見つけて香港へ行った。
写真を、フィルムで15本とって帰った。現像に出すと全部で三万はした。
これでしばらくはホームシックにならずに済むかも、とすら思った。
高校生活は退屈で何にも覚えていないが、香港で孤独に活躍し世界を守ったことは覚えている。
少なくとも、私は、ゲームは疑似体験そのものの楽しさだと思っている。
ゲームメイカーが作った世界でもう一つの自分の可能性を体験する。
風水師の自分、どこかの国の王族である自分、アンドロイドの自分、人間以外の何かである自分……。
PS4のCMのコピーが「できないことができるって最高だ」だったんだけど、これを見たときニヤリとしてしまった。
わかるわかる。そういうゲームをやった後って、夢の中でも飛び始めるんだよね。自分がね。
「デトロイト」をすると、何度も人の命を自分が預かるシチュエーションに陥る。
選択肢を求められると、自分がどんな人間なのかを考えさせられる。そしてその結果を見ることができる……。
不思議なのはゲームと分かっていても、人を犠牲にしたり殺す選択肢を選ぶときは心が痛むことだ。
「ファイナルファンタジー15」をしたときは突然できた「昔からの友達」と、一緒にキャンプして初めて訪れる街を散策して、楽しかった。
「CALL of DUTY4:MODERN WARFARE」でうまく敵を倒したとき上官から「beautiful!」と褒められて本気で照れてしまった。
誰かの選択を客観視して、共感したり、理解しようとしたりする。
ゲームが映画と違うとすれば、映画は途中で寝落ちしたとき、しょせん他人の人生だから目が覚めた時にすでに登場人物は決断し、エンドロールが流れているが
ゲームは起きたときまだ問題は目の前にあり、「さあどうする」と選択を迫ってくることだ。
自分が一体どんな決断をしてどんな装備を選んで進んだかを、ほかの人と話したり、ほかの人のプレイ実況動画を見ることで比較して楽しむ遊びも残されている。
「デトロイト」や今度発売される「デス・ストランディング」はCG技術の向上でほとんど実写と見まがうばかりだ。
一本の映画を見ている気分になるし、プレイするとうっかり自己体験と混同しかけるほどだ。
デトロイトをプレイしたときは私はしばらく現実に戻ってくるのに苦労した。
登場人物に実際の俳優がモデルにされることもあるし、シナリオを映画の脚本家が手掛けることも今では珍しくもない。
俳優にとっても映画とゲームの内容は変わらなくなってきているのかもしれない。
『DEATH STRANDING』TGS2019 ノーカット プレイ映像 (9月14日のステージイベントより) https://youtu.be/D10J89jgZHc
シューティングやRPG、アクションその他のジャンルに関しては省かせてもらったが、
そちらが好きな方の意見も読みたいのでぜひ誰か書いてほしい。
モンスターハンターなどヒット作だと、会社で別部署の初対面の人と突然ゲーム仲間になれたこともある。
就業終わり応接室や居酒屋で同じゲームをプレイする共有体験は本や映画以外ではスポーツ位しか思い浮かばない。
eスポーツというくらいだから、スポーツに近いのかもしれない。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0187779
70歳を超えた父が最近どうも物忘れが激しいのでマインクラフトをプレゼントした。
モノ作りが好きな父には、モンハン(狩り)より、木を切って家を作るようなゲームが好きだろうと踏んだからだ。
予測は大当たりで、父は寝食を忘れてはまってしまい、母が食事で読んでもなかなか来ないといって、ゲームを与えた私が変わりに怒られてしまった。
半年後に実家に戻ったら、父はゲームの中でそれはそれはでかい光輝くピラミッドを作っていて肝が冷えた。
自分の墓かよ。
そりゃわたしだってあの人と付き合いたいとかセックスしたいとかそういうことを思う日はあるけれど、ただ漠然と彼氏がほしいなんて思うことはぜんぜんなくて、だからこんなふうに「やっぱりユウちゃんも彼氏とかほしくなるよねえ?」とか言われると正直どう答えたらいいのか返事に困る。「いや、あのね、彼氏がほしいってわけではないんですけど……」なんて説明をしてもこの人はたぶん理解しようとしないだろうし、「もったいない」とか「男に求められるうちが華だよ」とかいいだすんだ。すこし肌寒くなってきたこの頃は特にこういうタイプの交通事故が起きがちで、苦手な誘い文句は寒さによって誘発されているんだと気づいてからはわたしは冬がきらいになった。うそ。マーガレットハウエルのコートが着られるからすき。
「やっぱり人肌恋しくなるよねえ」なんて言ってグラスを傾ける彼は、わたしの輪郭を「肌寒くなってきたから人肌恋しくて年上の彼氏がほしいおんにゃのこ」に落とし込めたくて、その強引さにむしろ感心してしまう。この人は駅に設置してあるような電光掲示板の営業をしているとさっき言っていたが、やっぱり営業職ってこういう強引さが必要な仕事なのだろうか。きっとこの人は恋人のことも雑に抱きしめたり、下着やTシャツなんかも適当にまるめてたんすの引き出しに突っ込むタイプなのだろう。勝手に彼の暮らしを想像してしまったのだけど、話を進めていくうちにどうやら既婚者のようだということをなんとなく匂わせてきた。サブリミナル効果みたいに何気なく「妻」というワードを放り込んできたときはびっくりしたけど、びっくりしたリアクションをこちらに取らせまいとする勢いにまたびっくりする。びっくりするリアクションがなければびっくりしたことにならないとでも思っているんだろうか。わたしは意地が悪いのでちゃんと説明させてやろうと、あ、えっと、結婚されてるんですか?と聞く。んーまぁおれのことは別にいいじゃん☆ってさっき散々自分の自慢話をつづけていたくせに既婚者であることは別にいいじゃん☆なのか。
じゃあさ、ユウちゃんはどれくらい彼氏いないの?という質問の意図ってわたしにはいまいち理解できなくて、とりあえず正直に答えてみるものの「えーなっがいねぇ、さみしくならない?」って返ってきていろいろ後悔するが、っていうかその「彼氏いなくてさみしい」という突破口しかねえのかお前には。えーじゃあユウちゃんはどんな男性がタイプ?って聞かれることもそもそも屈辱で、お前とこういう話をしてもわたしには得もなければちっとも楽しくもないのだけど。あーでも、もしかしたら徳は積めているのだろうか。これを耐え忍ぶことで来世のわたしの鼻が橋本奈々未ちゃんみたくなれるならこのまま続けるけど、たぶん世界はもっと残酷であるし、いずれにせよだいじなのは今世である。
おれはねぇ…背の小さい子がすき。カギ括弧つきの(ユウちゃんみたいな)が透けて見えているけど、たぶん見せているんだろうけど、そんなもんに反応するわけにはいかないので「へえ」とだけ返す。1へえ。背の小さい女の子ってねえ、守ってあげたくなるんだよ男の本能かな。2へえ。背ぇ小さくて得したことない?3へえ。ねぇ話きいてる?え、はい。
ユウちゃんって時々ぼーっとする癖あるよね。そういうところが可愛いとおれは思うけど、気をつけたほうがいいよ、おれは怒んないけどさ。これにまた「へえ」と返すのがお笑いのセオリーだとわたしは松本人志に学んだつもりだけど、男性を怒らせることの恐怖心には抗えず「すみません、、、笑」なんて女の子らしく微笑んで愛想を振りまいてしまう。ここはNSCでもなければM-1グランプリの3回戦ではないのだ。そういえば金属バットは準々決勝に進出できたのだろうか。iPhoneでナタリーをひらけば確認できるけど、そんなことも許されないまま時間が過ぎていって、わたしはここでなにをしているんだろうと、悲しくなってくる。
すみません、、、笑。って愛想をよく微笑むことが女の子らしい振る舞いなのだと、結局自分もそう思ってるんじゃないか。頭ではわかっていても、Twitterに歯切れのいいことを書き込んでも、コミュニケーションのなかにその価値観を取り込めない。特に年上の男性と話すと、古い意味での女の子を演じてしまう。
そんなことを考えながら山手線にゆられ、なぜかいまわたしは片耳イヤホンでBOOWYを聴かされている。たぶんあと5回くらい死なないと、わたしはカネコアヤノちゃんみたいにはなれない。大事なのは今世だっていうのにさ。
肌寒くなってきて欲情しているのも、悪い意味で雑に抱きしめたいのも、いつだってあんたたちのほうじゃないか。
翔び出た精液みたいな白いイヤホンコードが、わたしとお前をつなぐ。山手線の夜窓に乗客たちが映っている。わたしはまた笑っている。諦め顔のよくできた歯車のように、灼けつく陽差しが、わたしたちを狂わせている。
私はゲーマーだ。
お気に入りのソシャゲ絵師をSNSでフォローし、二次創作イラストも気が向けば見る方だ。
そうする内に流れてくるようになった、所謂バズっている面白い系ツイートには腐女子のものも少なくなく、腐女子の限界オタクっぷりに多少の共感と爆笑をする日々だ。
一種のエンターテイメントとして、腐女子を見ているのだと思う。
さりとて私もキモオタの一端を担っているので、どう足掻いても譲れない一線みたいなものが出てくる。
私の愛するキャラクターを、二次創作BLで女の子のようにされてしまったり、そもそも身体を女の子にされてしまったりするのは、許せるものではない。
特に、幼少期から慣れ親しんできたジャンルのキャラクターでやられるとショックが本当にでかい。
なら見なきゃ良いじゃんという話になるのだが、ツイッターくんは最近他人のいいねをTLに垂れ流すので、嫌でも目に入ってしまうのだ。
元々二次創作BLへの耐性器が小さい私が二次創作BLを浴び続けた結果、アレルギーのようになってしまった。
限界までブロックしているはずなんだが、消せども消せども何処からともなく湧いてくる二次創作BL。
ちょっと気になるジャンルをのぞけばそこらかしこに転がる二次創作BL。
なんなんだあの生命力は。
と言うわけで、pixivだけの頃や、手書きブログで腐向けの絵をタグで回避できた頃、個人サイトの時代が恋しくてたまらないことが、最近よくある。
ただ、彼らと話すと大概疲れる。
突然堰を切ったように過去のトラウマを溢れ出させるのも。今それ関係なくない?驚くし疲れるわ。
こちらの機嫌を伺うように、何かとすぐ「ごめんね」と言うのも、本当に申し訳ないけど不気味。なぜなんでもないタイミングで謝るの?
嫌われないか不安だから、つい謝ってしまうと彼は言っていた。昼夜問わず働きに出ている母。誰もいない部屋が寂しくて、人肌恋しくて仕方がなかったのだと、訥々と語るのを、遠い国の物語みたいに私は聞いていた。初めて耳にする、知らない世界の話だった。
自分が我慢すれば、その人は自分から離れていかない。そう思ってつい謝ってしまうとも言った。
でもそんなのって、相手を馬鹿にしている。「ぼくが謝れば万事丸く収まります」って、話し合いを避けているに他ならない。意見を交わすと言う行為自体を軽く見ているその姿勢が、心の底から理解できなかった。
それに私は、あなたを怯えさせるようなことは何もしてない。いちいちトラウマを引き合いに出されて勝手に怯えられたりなんかしたら、はっきり言っていい気はしないよ。
何が面倒って、こういう意見を差し向けることすら躊躇われる点である。恥ずかしげもなくトラウマを開示した以上、彼は私との関係において弱者だ。
弱者を追い詰めるような指摘を迷わずできるほど、私は堂々たる人間じゃない。
どうしても乗り越えられない過去があるとか、思い出すたび心がヒリつく記憶があるなら、私に愛やゆるしを希う前に、専門機関でカウンセリングを受けるべきだと思う。
人の迷惑を考えろよとまでは言わないけれど、ちょっと付き合い切れないや。
そういう気持ちをすべて飲み込んで、「もう色々無理」と言ってブロックした。可哀想な彼に何を言ったって無駄だから。
私の知らないところで幸せになってね。
別に不幸な自分に浸りたいわけじゃないけど、一生一人で生きていけばいいような気がしてきた。
社会が独身は悪って風潮作るから頑張ってきたけど、俺にとって『恋人がいる』って状況がイレギュラーすぎて、一人になるとホッとするからこっちが心地いいんだと思う。
幸い友達も多いし仕事にも恵まれて金には困ってないし、趣味も多くて週末の予定は大抵何かで埋まってるし。
同年代の友達が次々結婚しても次から次へと若い友達できるし、友達は所詮友達だから一人で遊ぶ術もある。
みんなに、「恋って何?」って聞くと、美味しいものや綺麗な景色を見たとき「あの人とこの時間を共にしたいな」って思うことだよって言われてあーって思ったけど、特にそういうシーンなかったわ。
ディズニーも好きだけど行く人いないなら行かなくてもいいし、豪華な食事も食べる人いないなら松屋で全然満足だわ。
恋ってうまくいかなきゃ周りの自称恋愛マスターにやいのやいの言われるし、アドバイスっていうか人格否定じゃん?それ?
言動とか服装とか気を遣ってればなんとなく彼女くらいできるけど、なんか疲れる。
ラインの文章考えるのもダルいし、かと言って気抜くと仕事の愚痴言っちゃうし。
ていうか本心は仕事の愚痴だけいいたいんだわ。それをヨシヨシって言って欲しいんだわ。けど俺は相手にそれできる心の広さないから、ギブアンドテイク不成立。はい終わり。
やっぱめんどくせーから一人でいいな。って毎晩布団の中で考える。
人肌恋しくても寝たら治るし。
最近知ったのだが、「良い人間」というのは、他人の誕生日は覚えているが年齢は覚えてない人間のことを言うらしい。
その理論で行くと、年齢だけ覚えてる俺は一体どうなるんだろうか?
人生で初めて留年というものをした。大学じゃない。高校2年でだ。
経緯は色々あるが、ざっくり話すと
「小学生不登校youtuberよろしく学校行きたくねぇななんて思ってたらあっと言う間に出席不足」
といったところだろうか。
自分でもどうして学校に行きたくないのか分からない。が、学校に行くと尋常ではないほど疲れる。
そんな感じだっただろうか。
このまま3年まで持つかな~と気楽に構えていたが、1ヶ月もかからない内にそれが2日になって、3日になった。
学校に行って、翌日は死んだように眠る。14時間とか。そして動悸を頭痛を抑えながら学校に行って、また休む。
1ヶ月くらいは死んだように過ごしていただろうか。
色々なことを考えた。学校に行くメリットに、言い訳、んで今後。
それで結局、毎日「学校行った方が良い」という結論に行きついてネットを見る。勿論学校に行くとまた精神科のお世話になるから行かないが。
これは不登校にしか分からない感覚だと思うが、「学校に行きたい」というよりかは「「学校に行く」をしたい」という感情がふつふつと湧き上がってくる。
翻訳すると、「そこに存在するだけで価値があると見なされる状態になりたい」といったところだろうか。
学校に行くと、それだけで「何もしていない」という虚無感から逃れることができる。
学校に行っていた頃は考えもしなかったが、今考えるとこれが学校の一番大きな役割なんじゃないかと思う。
まぁ、そこまで分かっていても、学校には行けない。日に日に増す虚無感に苛まれる一方で、この心の平穏が恋しくてたまらない。
学校に行っていた頃の死んだような生活よりかは、今はよっぽど手に命を掴んでいる感触がする。
感情的だと笑い飛ばしてもらって構わない。理性で動けたらそもそも学校なんて休んでないからな。
周囲からも、「良い子だったのに、どうして?」と言われる。
勉強はしていなかったが、成績はそこそこ良かった。
その言葉を聞くたびに、自分でもどうしてだろうなと不思議に思う。
そして同時に、「これからどうするの? 大学行くの?」とも聞かれる。
大学に入った所でまた同じ様に引きこもりになったらと考えると、勉強する手も自然と止まってしまう。
何をするべきなんだろうか。理系だしAtCoderでも始めてみるのが良いんだろうか?
そんなことを書いていたら、もう空が夜に濁っている。
動いていないから腹が空かない、その事実がどうしようもなく苦しい。
どうやら俺はこのまま無能として腐っていくみたいだ。
ここまで書いて気付いたことがある。
「良い人間」ってのは年齢を覚えていない訳じゃない。年齢を把握した上でそれより低く言う人間のことだ。
これを覚えれば俺も少しはランクアップできるだろうか。
かつての私は、黄色い声援と共に男性アイドルに目を輝かせていた同級生が嫌いだった。
見た目もたいしてカッコよくもない(と思っていた)し、当時聴いていたマイケル・ジャクソンやクイーンをはじめとした洋楽のように、私にワクワクを与えないと思っていた。当時の記憶から類推するに、彼らの容姿や歌が嫌悪とともに目に映っていたのは、"色恋を絡めた男性性をアイドルに求めるファン"というフィルターがあったからだったように思う。
要するに「男性アイドルに恋愛性を持った夢を抱くファンが大多数を占めるコンテンツ、キモっ」ということである。
そんな私が、ファンが気持ち悪いという理由から嫌煙していた男性アイドルというコンテンツに目覚めたのは、ごくごく最近のことである。
YouTubeプロモーションの一環として、某大手事務所のデビュー前のグループが豪華なPVを引っさげて鮮烈に登場したのである。煌びやかで美しい楽曲とPV、プロモーションCM中に見せる溌剌とした笑顔とは対照的な凛としたパフォーマンス、デビュー前にも関わらず華のあるそのグループに興味を持ってから、その"沼"に沈むまで、さほど時間はかからなかったように思う。
2018年3月からYouTubeチャンネルを開設し、ネットでの活動を解禁した5つのグループはそれぞれに素晴らしさも放つ輝きも異なり、企画の多くは彼らアイドルを身近なキャラクターとして認識させ、その一喜一憂に私は心踊らせた。どのグループも個性的で面白く、日々更新される動画は心の癒しとなっていった。
その中でも、一際私の心を掴んで離さなかったのは5つのグループの中で最も平均年齢の高い、所謂お兄さんグループであった。
落ち着いたビジュアルながら、歌、ダンス、アクロバット、舞台と様々なジャンルで高いレベルを維持し、キレのあるパフォーマンスは数多の先輩からも高い評価を得ているという職人のような6人グループ。キャラも濃く、個人でも多方面で活躍し、YouTube企画内でもほぼ全員がMCなどをそつなくこなす安定感ある彼ら。すぐさま過去の動画を含め、すべての動画を視聴した。
すべてのパフォーマンスは、5グループの中で最も長い結成期間が培った強い絆と固い結束に基づいた"6人だからこそ"の唯一無二の輝きがあった。
6人で掴み取る夢のデビューはもちろんの事ながら、メディア露出、ライブ、舞台など、彼らの活躍に期待し、また、気付けば様々な形で応援をしていた矢先。
突然の増員が発表されたのである。
"6人だからこそ"の夢は一瞬にして崩れ去ったように思えた。増員発表以降、気持ちの整理がつけられず、YouTubeを見るのをやめた。Twitterやニュースサイトなどで集めていた最新情報も見なくなった。本人達からの、本心でのコメントが欲しくて、渇きで死んでしまうのではないかと思うほど、心が枯渇した。増員メンバーは3名おり、みな年下で、最年少は15歳という事も、私が胸ときめかせた"6人だからこそ"のパフォーマンスに影響するのでは...と不安になった。何日経っても「彼らの気持ちは?」「彼らが望んだのか?」「あの6人の作り上げる世界はもう見れないの?」「強みであったアクロバットのクオリティはどうなるの?」「なんで?なんでなの?」といった焦りに似た混乱がこびりついて離れなかった。
それほどまでに、"6人"が作り出す世界は私を魅了していた。
単独ライブ、映画、舞台の情報も増員とともに解禁され、日に日に露出が増える彼らが恋しくて堪らないけれど、急激な変化に心がついていけない日々が続いた。
幾つかある彼らのオリジナル曲の中でも、特に好きな曲があった。以前に行われた単独ライブのパフォーマンス映像で心惹かれた楽曲であった。迫力あるアクロバット、キレと安定感のあるダンス、男前な歌声、振り付けに込められた7人目の意味...魅力をあげればキリがないパフォーマンスの素晴らしさ。何度見ても飽きない彼らのイキイキとした姿がフラッシュバックし始めるようになった。
そして、彼らの輝きを拝めない日々に、ついに私は根を上げた。この飢えは辛すぎる。6人が頑張ってきた積み重ねの先にある今を見逃し続けることは出来なかった。
9人体制になってからの未視聴動画や購入したものの読めていなかった雑誌、ファンクラブ限定のブログ、地上波出演の録画映像を貪るように摂取した。新しく加わった3人の過去の活躍や魅力も調べ、出来うる限りの手段で"9人になった彼ら"を受け止めようとした。
この時になって、『6人だった時点で彼らは完成していた』と思い込んでいた事に気がついた。長い下積みを経験し、後輩のデビューを幾度となく見送ってきた6人は、高いスキルとパワー、その愚直なまでの努力で彼らの世界を完成させたのだと信じていた。完成したパッケージで、満を持して世に出るものだと信じて止まなかった。増員メンバーはその世界を壊す存在で、元々いた6人は今まで作り上げてきた世界を壊されてしまったのだと思っていた。
増員メンバー3人は強い個性と6人が持っていなかった輝きを持っていた。あるメンバーはメリハリあるトーク、圧倒的な親しみやすさ、メンバーみんなに対する熱烈な愛情を感じる言動でグループの見せ場を増大させていた。また別のメンバーはモデル経験も豊富なスマート高身長イケメンながら、可愛げのある天然炸裂のキャラクター、クールに見えて笑いも作り、今までのグループには無い独特の雰囲気を醸し出している。弱冠15歳の最年少メンバーは子供っぽい溌剌さがあり、落ち着いた雰囲気だったグループに新たな風邪を吹き込んだ。年上のお兄ちゃんに寵愛される息子のようなキャラながら、グループのレベルを僕のために下げさせないとまで言っていた。
そして、私自身が何より驚いたのは、増員によって元々いた6人がより魅力的に映るようになったことだった。
底抜けに明るい彼は濃いキャラクターを引っさげた切り込み隊長としてパワーアップし、知的な彼は年下が増えたことで賢いお兄さんポジションを確立し、顔が良いリードボーカルの彼は人数が増えたことで美しい歌声がより目立ち魅力的に見えるようになり、ロイヤルな彼はメンバーのトークスキルが拡充されたことでセクシーボイスで繰り出すお茶目な一面をより見せるようになり、一見すると無骨なエースの彼はグループのレベルの指標となる存在として圧倒的な存在感を見せるようになり、元々の可愛らしい性格とのギャップを強く引き立たせ、3枚目キャラで最年長の彼はMCなどのまとめ役での優しさ溢れる進行が目立つようになり、時折見せる恥ずかしさを微塵も感じさせずにやり切る突き抜けたリアクションも他の追随を許していない。
こんなに魅力に溢れた6人だったのか、と増員後に気付かされたのであった。
9人体制では初めての単独ライブや、その後のアイドル番組で行ったパフォーマンスも勿論チェックした。語彙が吹き飛ぶほど心が震えた。とにかく最高だった。"あんなに好きだった6人"を軽く飛び越えて"9人だからこそ"の世界が色鮮やかに広がった。元々いた6人をもっともっと好きになった。増員メンバー3人も大好きになった。こんな化学反応が起きるとは想像もできなかった。
この時になってやっと、増員発表後の『凄まじい不安感』について思い返すことが出来た。
あの不安感は、『大切な思い出を無かったことにされてしまうんじゃないか』という気持ちだったように思う。それは、増員によって"変わってしまった存在"が今までと同じグループ名を冠して、これまで6人が築き上げてきた歴史を上塗りしてしまうのではないか、これまでの6人の努力をなかったことにしないで!という気持ちからくる不安や悲しみだった。
だが、事実は想像と大きく異なり、6人の歴史も努力も尊重された上で、「9人で乗り越えてみろ、君たちならできるだろう?」と言わんばかりの高いハードルが用意された"だけ"であった。過去からの延長線上の現在に用意されたそのハードルは、今まで数多くの高いハードルや立ち塞がる障害を乗り越えてきた6人と新たに加わったパワフルな3人に対する絶大な期待の表れであり、『立ち止まるな』という激励なのだろうと思った。
そして、私の抱いていた『綺麗な思い出のまま壊れないで存在し続けて欲しい』という思いは、大好きな6人に立ち止まることを求め、進化や飛躍を拒絶し、彼らの成長を信用してない姿勢だったのだと気付かされた。
増員発表から3ヶ月が過ぎた。
高いハードルに臆すること無く、凄まじいスピードで走り続けている彼らからは、想像もできない世界の広がりを日々与えられている。
今はまだ荒削りのチームワークやパフォーマンスは、見る度にその精度を高めている。
結成8年目を迎えようとしているグループが、新鮮な感動を生み出し続けている。
彼らはこんなに強かったのか、と都度驚かされる。
未来の活躍に期待は膨らむ。もっと色とりどりの世界を彼らなら見せてくれるはずだと、心から信じられる。
彼らに出会えて、本当によかった。
あと数ヶ月で渡米して一年になる
正直、もうこれ以上頑張ることが出来なくて、帰ろうっていう気持ちがある
表面上はうまく振る舞えているかもしれないが、心の奥深く底では、もうこの地にいるのがしんどくて、日本が恋しくて、日本で働くことが恋しい
思い返すと、最後の最後まで自分が渡米したいのかどうか迷っていたんだと思う
VISA面接の前日、無意識に半分わざと寝不足になるような一夜を過ごして、
面接時は面接官が何言ってるか全然わからなくて、半分蕩けた頭で返事をしていた
approvedって言われた瞬間に、approveされた安堵の気持ちと、
面接の後、その足で会社に向かう途中でよくわからなくなって半泣きだった
この会社は僕に渡米してほしいということを望んでいて、それは察知して
僕もその時はなんとなくチャレンジしたいなって思って「はい」って答えてた
面接日が近づくにつれ、正直半分後悔し始めていた
あと、渡米してからその時から色々状況は変わってて、正直それがしんどいと思う部分も多い
一方でもうここで少し頑張りたいって気持ちもある
渡米したい日本のソフトウェアエンジニアは山ほどいることを感覚的に知っている
その中で、運良く自分はそのチャンスを手に入れることが出来て、他の人達から見たら、今めちゃくちゃ幸せな環境で働いているんだと思う
ここであと数年踏ん張って頑張れば、自分の市場価値はめちゃくちゃ高まるだろうし
自分にとってもその後、仮に日本に帰ったとしても、更に難しい、自分の問題解決欲求を満たす問題にチャレンジできるんじゃないだろうかと思う
でも、キャリアも大事だけど、自分の生活が一番大事なんじゃないかなとも思う
自分の精神的な安定があって、その上に身体的な健康があって、その上にキャリアとかお金とかそういうのがあっていいと思う
キャリアを優先した結果、身体や心が壊れてしまったら元も子もないとは思う
僕は良くも悪くも、自分勝手な部分/自分がやりたいことと、逆に誰か/会社の望むことをちゃんとやるということのバランスがまだ上手く取れていない部分があって
会社って組織なので、組織の一部として組織全体がうまく回るように個を殺して動かなければならない部分があるのはわかってる
一方で、俺は俺の人生を死ぬまでちゃんと楽しみたいんだから、俺がやりたいことは全部やりたいし、やりたくないことは極力避けたいんだ、という感情もある
昔、インターネットでとあるものを作ってたのもあって、「一人で」なにかの作品を作って色んな人に見てもらうのは嬉しかった
自分に陶酔して自分のベストの作品を作り、それが評価されるから尚更嬉しかった
そもそも組織の人間としてコードを書き続けることはあんまり向いてないのかもしれないともこれを思い出す度に思う
この気持ちは贅沢な悩みでもある、それはわかってる
タイトルが全てです。
おとなしく従おうと思います。
以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。
疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。
再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。
キチガイの勘違いや被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。
1.経過
父は素面のときは過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言で暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。
また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。
しかし、小学生の頃には担任に発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います)
変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙なラインだと自己認識しています。
(※母に、子供は日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています。
私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります)
(※家族親戚一同からは地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)
就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、
生来の不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活や業務に困難を抱えるようになりました。
一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、
それがとどめとなってか、
結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。
診断は双極性障害の2型です。
上手くコントロールできなくなりました。
復職と失敗を繰り返した結果、
現在は会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。
2.実家の現状
私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。
なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代に入院歴もあったことを知りました。
それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイだからなのだと信じていました。
(※母の疾患に関する詳細は省きます)
父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。
般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。
また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。
彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。
(部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)
(そもそも何故か私は部活動自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)
我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。
(遅くなりましたが、私は一人っ子です)
ただし、ストレスの発散方向は、
父→母→私で固定されていたので、
直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。
もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリーは悪化したため、
そのヒステリーを受ける私の精神的ダメージは結局増大するのですが。
また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。
(なんで母と結婚したんだ?)
私が帰省したとき、父は明らかに母に精神的DVを振るっていました。
正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣に諌める元気はなく、
(そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。
この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)
現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います。
入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。
あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。
3.懸念事項
下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。
もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。
まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、
父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢の限界は来るでしょう。
次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります。
正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からのDVによって悪化しているのではないかと私は考えております。
しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。
ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。
療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。
再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、
無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。
3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます。
私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。
また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります。
父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、
母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。
(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)
あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。
雑多なところで言えば
・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある
などがあります。
全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。
ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。
先程、父と2時間くらい会話した結果、
5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、
文章に吐き出せて良かったです。
肉体は疲れ果てました。
パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医に相談したことはありません。
流石にこの状態では色々と怖いので、主治医に頓服の精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います。
主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。
お金がないのは仕方がない。
カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、
・カウンセリングできる病状ではない
・傷を掘り起こすことで悪化する
のでやんわりと断られました。詰んでる。
実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、
父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。
私は父が怖いです。
しばらく前に、母の蔵書の目立つところに
『「子供を殺してください」 という親たち』
が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。
余談ですが、この話の最大の被害者は父です。
娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。
私の将来の夢は、
解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老いて死ぬことでしたが、
それも果たせそうにありません。
(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、
最後に。
初めて生活が少し楽しくなりました。
初めて泣かない日ができました。
挨拶をしてもしなくてもランダムで罵倒されることがないのは、とても快適でした。
残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。
東京、趣味に関するショップやイベント、コミュニティが豊富だし、
社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。
私の様子を見ておすすめの心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。
もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、
家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。
手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。
都会、楽しいです。
主旨も何もないメチャクチャな駄文を吐いてしまって申し訳ありません。
以上、乱文失礼いたしました。
追記(1223-1910)
誤解を産んでしまったならごめんなさい。
証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます。
彼氏や旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。
まだ私がうんと若かった頃、上野駅の14番線ホームが恋しくて仕方がなかったのです。年末年始の間に帰省していた彼が帰ってくるのを待ち遠しく思って、ずっとホームの前で掌に白い息を吹きかけながら待っていたくらいに。当時は夜行列車がよく走っていたもので、東北から彼を乗せてやってくる夜行列車をいつもより早起きして待っていました。夜行列車が出発していく夜はとても寂しいのに、やってくる朝はどうしてこんなにも眩しいのでしょうか。もう目はあまり冴えてはいませんが、その時の朝日のことは未だに鮮明に覚えています。
毎年1月4日に彼は上野駅の14番線ホームに降りてくる。それを今か今かと待つ私。そんなことを数回繰り返したのち、いつしか私は彼と夜行列車に乗るようになりました。がたんごとん、と列車が大きな音をたてる度に「あぁ、彼はこの音を聞きながら一人で夜行列車にのっていたのかしら」と思って、寝そべった彼の横顔を眺めていました。それも数回繰り返したのちに、今度は三人で夜行列車に乗るようになりました。彼とよく似た瞳をしたやんちゃ坊主が静かに寝てくれないものですから、何度も周りのお客さんに謝ったのも今ではいい思い出かもしれません。
それから長い長い時間が経った後、彼も、夜行列車もいなくなってしまいました。そして今では当時のやんちゃ坊主が私を飛行機に乗せてそこへ連れていってくれます。がたんごとん、はもう聞けないのだけれど彼が眠っている場所に近づけば私の胸もがたんごとん、と少し変な音で高鳴ってゆく。もう私もこの胸の鼓動がいつまで続くのか分からない歳になってしまいましたが、どうか彼のもとへは夜行列車で行きたいと夢見ています。
○朝食:なし
○夕食:カツ丼
○間食:トマト
○調子
むきゅー!
例によってゲームのモチベーションは低いので、東方卓遊戯を見てた。
なんか色々ここ最近、人恋しくて、あまりゲームを黙々とする気分じゃない。
増田でこういうことやると怒られるんだけど、なにか交流企画的なことをやろうかしら。
何か興味のあることや、オススメかなにかがあったら教えてくれると嬉しいな。
今のこの人恋しさだと、ハードごと買うのはすぐには無理だけど、持ってるハードのソフトを買うぐらいならしちゃいそう。
(お給金もうすぐだし)
●スイッチ
7、8、9面を攻略中。
ポリゴンが強いんだけど、ビンゴボーナスがノーマル技のパンプで、持ってる技がシャドーボールだったのでひらめきを繰り返した。
ところが、まったくノーマル技が出ず、手持ちが尽きた。
このゲームのかえんほうしゃ、射程が短過ぎて使いものにならん……
うーむ、ただでさえも低いモチベーションが、一気に落ちた。