最近知ったのだが、「良い人間」というのは、他人の誕生日は覚えているが年齢は覚えてない人間のことを言うらしい。
その理論で行くと、年齢だけ覚えてる俺は一体どうなるんだろうか?
人生で初めて留年というものをした。大学じゃない。高校2年でだ。
経緯は色々あるが、ざっくり話すと
「小学生不登校youtuberよろしく学校行きたくねぇななんて思ってたらあっと言う間に出席不足」
といったところだろうか。
自分でもどうして学校に行きたくないのか分からない。が、学校に行くと尋常ではないほど疲れる。
そんな感じだっただろうか。
このまま3年まで持つかな~と気楽に構えていたが、1ヶ月もかからない内にそれが2日になって、3日になった。
学校に行って、翌日は死んだように眠る。14時間とか。そして動悸を頭痛を抑えながら学校に行って、また休む。
1ヶ月くらいは死んだように過ごしていただろうか。
色々なことを考えた。学校に行くメリットに、言い訳、んで今後。
それで結局、毎日「学校行った方が良い」という結論に行きついてネットを見る。勿論学校に行くとまた精神科のお世話になるから行かないが。
これは不登校にしか分からない感覚だと思うが、「学校に行きたい」というよりかは「「学校に行く」をしたい」という感情がふつふつと湧き上がってくる。
翻訳すると、「そこに存在するだけで価値があると見なされる状態になりたい」といったところだろうか。
学校に行くと、それだけで「何もしていない」という虚無感から逃れることができる。
学校に行っていた頃は考えもしなかったが、今考えるとこれが学校の一番大きな役割なんじゃないかと思う。
まぁ、そこまで分かっていても、学校には行けない。日に日に増す虚無感に苛まれる一方で、この心の平穏が恋しくてたまらない。
学校に行っていた頃の死んだような生活よりかは、今はよっぽど手に命を掴んでいる感触がする。
感情的だと笑い飛ばしてもらって構わない。理性で動けたらそもそも学校なんて休んでないからな。
周囲からも、「良い子だったのに、どうして?」と言われる。
勉強はしていなかったが、成績はそこそこ良かった。
その言葉を聞くたびに、自分でもどうしてだろうなと不思議に思う。
そして同時に、「これからどうするの? 大学行くの?」とも聞かれる。
大学に入った所でまた同じ様に引きこもりになったらと考えると、勉強する手も自然と止まってしまう。
何をするべきなんだろうか。理系だしAtCoderでも始めてみるのが良いんだろうか?
そんなことを書いていたら、もう空が夜に濁っている。
動いていないから腹が空かない、その事実がどうしようもなく苦しい。
どうやら俺はこのまま無能として腐っていくみたいだ。
ここまで書いて気付いたことがある。
「良い人間」ってのは年齢を覚えていない訳じゃない。年齢を把握した上でそれより低く言う人間のことだ。
これを覚えれば俺も少しはランクアップできるだろうか。