はてなキーワード: 名探偵コナンとは
「1回」が途中で切れてたので別にした
1回しか出てない方が熱が入ってる紹介も多くて、個人的には気になる漫画が多い
・【小説】ライ麦畑でつかまえて / J・D・サリンジャー
・【映画】スタンド・バイ・ミー /
追記: コメントで教えてもらった創作物を追加しました。 まだまだ募集中
・【クラシック】ラプソディ・イン・ブルー / ジョージ・ガーシュウィン
・【クラシック】ローマの松 アッピア街道 / オットリーノ・レスピーギ
・【音楽】1001のバイオリン / ブルーハーツ
・【映画】最高の人生の見つけ方 / ジャスティン・ザッカム
・【小説】マルコポーロの見えない都市 / イタロ・カルヴィーノ
・【映画】プリシラ / ステファン・エリオット
・【TV】ドキュメント72時間 / NHK
・【映画】グランド・ブダペスト・ホテル / ウェス・アンダーソン
・【映画/小説】モーターサイクル・ダイアリーズ / エルネスト・チェ・ゲバラ
・【映画/小説】イントゥザワイルド(荒野へ) / ジョン・クラカワー
・【音楽】My Favorite Things / オスカー・ハマースタイン2世 とリチャード・ロジャース
・【音楽】AMBITIOUS JAPAN! / TOKIO
https://b.hatena.ne.jp/entry/4689518360501577570/comment/brightsoda
返信
賛否両論とされる作品は実際のところ単なる失敗作であることが多いって話をしようと思う
https://togetter.com/li/1443974
このまとめのツイ主は「ポニョのキャラがスピード違反をしていたからポニョが好きじゃない」と言う人を見たそうだ
これに対し「その程度の犯罪が許せないなら赤ちゃん用の絵本でも読んでろよw」みたいな超的外れな煽りをする人がわらわらいる(このまとめのコメ欄にはあまりいないが類似まとめの方にはたくさんいた気がする)
また、「そうだよね、因果応報は大事だよね」というのは実は足りない
例えば物語の現実と違う点を嫌がる人がいる じゃがいも警察と呼ばれる人などだ
それに対して「そんな細かいこと言うなよww歴史書でも読んでろ」とか言う人は絶対に許さない 理由は2で
また、「そうだよね、大きな嘘はいいけど小さな嘘はよくないね」というのは惜しい、大きさはたいてい関係あるが擬似相関にすぎない
じゃあ何なのか
答えはリアリティラインなどと呼ばれている…しかしこの言葉は意味がふわふわしており人によって捉え方が違う、だから私がここではっきり定める
ア:作者が現実世界と物語世界の世界観の距離を把握しているように見える
イ:作者が物語世界の世界観と物語中の個別の出来事の距離を把握しているように見える
(作者の本当の気持ちなどわかるはずがないのでそれらしく見えればいい)
この2つの項目はほとんど連動するから分けなくてもいいようなものだけど一応分けておく
これを守れば良作になるわけではなく最低条件にすぎない
今まで見た中で不快と言われる作品や大量のアンチと意味不明な信者を生む作品はすべてそれらの客観的な距離と作者の想定していると思わしき距離が食い違っていた(反例熱烈待望)
話がめちゃくちゃ過ぎて客観的な距離もわからないのは愛すべきクソなどと呼ばれ、不快とは言われない傾向がある
(愛されるクソと嫌われるクソをこんなに明快に区分けした人間初めてなんじゃないか…?)
ただそういう傾向があると言うことしかできない
わかりにくいのでまず項目を満たす例を挙げる
そして冒頭で「この世界は恐ろしい世界だ」ということをはっきり示している
これは作者が平和な現実世界と恐ろしい北斗世界の隔たりを把握していそうだということを示すので項目アを満たす
これは作者が平和なコナン世界と恐ろしい犯罪者の隔たりを把握していそうだということを示すので項目イを満たす
現実世界の世界観は時代により変わるので、それとともに物語世界との距離も移り変わっていく
すると作者が想定している(作者の時代の)現実ー物語間の距離と読者の感じる(読者の時代の)現実ー物語間の距離が食い違って項目アを満たさなくなってしまう
古い物語などで「時代的に差別的な描写があります」と注意書きがあるのはそれを防ぐためだ
(余談だけどメクラ→視覚障害者にするような修正はどちらかというと現代語訳に近いと思う)
具体例としてはサムライ8と妹の姉を挙げておこう
サムライ8は
主人公ほかメインキャラ達は義(現実世界ではクズとみなされるような精神)を持っている限り体がバラバラになっても死なない、という悪趣味さとグロさを併せ持った設定を作者が爽快王道バトルものだと思い込んでいるっぽいことが項目アに反している
妹の姉は
作者は「現在日本社会と似たような物語世界/物語世界基準で普通の姉や他の人々/物語世界基準から距離のある妹」という設定で「普通だった姉が妹に影響されて姉も物語世界基準から離れていく」という姉妹の関係性の話にしたかったんだろうと思われるが
こちらからは「現在日本社会とかなり違う物語世界(現代日本でヌードモデルの同意を得ずに描いてはいけない。妹が姉に許可を取っていないことが分かった時点であの絵は取り下げられて妹は注意されるはず)/物語世界基準で普通の妹や他の人々/嫌がってる姉」という設定に見える
ここで項目アとイに反しているせいで読者の認識が狂い「普通だった姉がひどい目に遭って変な世界に必死で迎合する」というかわいそうな話に見えてしまうのだ
この2つの項目を見れば「そうだよね、因果応報は大事だよね」と言う人がいる理由がわかる…物語世界基準で良いことをしたキャラが幸せになり悪いことをしたキャラに罰が下るのは、物語世界の世界観とそのキャラの言動の距離を作者が把握していることを示し項目イを満たすための定番で効果の高い方法だ
ただしあくまで方法の1つに過ぎず本質ではないので批評としては足りない
「そうだよね、大きな嘘はいいけど小さな嘘はよくないね」というがこれは惜しい
作者が物語を組み上げるために注意して工夫して作った嘘=現実との距離は大きいことが多いが
単なる勘違いや手抜きで生まれた、作者の把握してないような嘘は小さくてしょぼいことが多いって話 だから擬似相関
「その程度の犯罪が許せないなら赤ちゃん用の絵本でも読んでろよw」などというのが超的外れなのは、現実世界と物語中の個別の出来事の距離の長さという項目アともイとも無関係なことについて喋ってるからだ
これ作品の評価とはあまり関係ないくせにわかりやすいのでこういう輩に使われやすくて困る
「どうしてもグロが見られない」「子供や動物が死ぬのは嫌だ」と言ってそういう作品を嫌がる人はいるが、そういう人はあくまで苦手だと言ってすっと離れていくことが多くて、嫌いだと本気で怒ることは少ないんだなーこれが
私が縦笛なめなめVRについて「まぁいいかな」と言ったのは「軽度の性的コンテンツ」とゲームの説明に明記してあるから
こういう表示には2種類の効果がある
1つ目は子供に触らせないこと
2つ目は「作者はこれを過激な表現だとわかっている」というアピール
この2つ目によって項目アの条件を満たしているので別に構わないと思った
https://b.hatena.ne.jp/entry/4689518360501577570/comment/junglejungle
犯罪が描写される場合には、汚らわしく卑劣な行為として描かれるべきである。
っていう条文があったのか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4689518360501577570/comment/brightsoda
返信
賛否両論とされる作品は実際のところ単なる失敗作であることが多いって話をしようと思う
https://togetter.com/li/1443974
このまとめのツイ主は「ポニョのキャラがスピード違反をしていたからポニョが好きじゃない」と言う人を見たそうだ
これに対し「その程度の犯罪が許せないなら赤ちゃん用の絵本でも読んでろよw」みたいな超的外れな煽りをする人がわらわらいる(このまとめのコメ欄にはあまりいないが類似まとめの方にはたくさんいた気がする)
また、「そうだよね、因果応報は大事だよね」というのは実は足りない
例えば物語の現実と違う点を嫌がる人がいる じゃがいも警察と呼ばれる人などだ
それに対して「そんな細かいこと言うなよww歴史書でも読んでろ」とか言う人は絶対に許さない 理由は後ほど
また、「そうだよね、大きな嘘はいいけど小さな嘘はよくないね」というのは惜しい、大きさはたいてい関係あるが擬似相関にすぎない
じゃあ何なのか
答えはリアリティラインなどと呼ばれている…しかしこの言葉は意味がふわふわしており人によって捉え方が違う、だから私がここではっきり定める
ア:作者が現実世界と物語世界の世界観の距離を把握しているように見える
イ:作者が物語世界の世界観と物語中の個別の出来事の距離を把握しているように見える
(作者の本当の気持ちなどわかるはずがないのでそれらしく見えればいい)
この2つの項目はほとんど連動するから分けなくてもいいようなものだけど一応分けておく
これを守れば良作になるわけではなく最低条件にすぎない
今まで見た中で不快と言われる作品や大量のアンチと意味不明な信者を生む作品はすべてそれらの客観的な距離と作者の想定していると思わしき距離が食い違っていた(反例熱烈待望)
話がめちゃくちゃ過ぎて客観的な距離もわからないのは愛すべきクソなどと呼ばれ、不快とは言われない傾向がある
(愛されるクソと嫌われるクソをこんなに明快に区分けした人間初めてなんじゃないか…?)
ただそういう傾向があると言うことしかできない
わかりにくいのでまず項目を満たす例を挙げる
そして冒頭で「この世界は恐ろしい世界だ」ということをはっきり示している
これは作者が平和な現実世界と恐ろしい北斗世界の隔たりを把握していそうだということを示すので項目アを満たす
これは作者が平和なコナン世界と恐ろしい犯罪者の隔たりを把握していそうだということを示すので項目イを満たす
現実世界の世界観は時代により変わるので、それとともに物語世界との距離も移り変わっていく
すると作者が想定している(作者の時代の)現実ー物語間の距離と読者の感じる(読者の時代の)現実ー物語間の距離が食い違って項目アを満たさなくなってしまう
古い物語などで「時代的に差別的な描写があります」と注意書きがあるのはそれを防ぐためだ
(余談だけどメクラ→視覚障害者にするような修正はどちらかというと現代語訳に近いと思う)
具体例としてはサムライ8と妹の姉を挙げておこう
サムライ8は
主人公ほかメインキャラ達は義(現実世界ではクズとみなされるような精神)を持っている限り体がバラバラになっても死なない、という悪趣味さとグロさを併せ持った設定を作者が爽快王道バトルものだと思い込んでいるっぽいことが項目アに反している
妹の姉は
作者は「現在日本社会と似たような物語世界/物語世界基準で普通の姉や他の人々/物語世界基準から距離のある妹」という設定で「普通だった姉が妹に影響されて姉も物語世界基準から離れていく」という姉妹の関係性の話にしたかったんだろうと思われるが
こちらからは「現在日本社会とかなり違う物語世界(現代日本でヌードモデルの同意を得ずに描いてはいけない。妹が姉に許可を取っていないことが分かった時点であの絵は取り下げられて妹は注意されるはず)/物語世界基準で普通の妹や他の人々/嫌がってる姉」という設定に見える
ここで項目アとイに反しているせいで読者の認識が狂い「普通だった姉がひどい目に遭って変な世界に必死で迎合する」というかわいそうな話に見えてしまうのだ
この2つの項目を見れば「そうだよね、因果応報は大事だよね」と言う人がいる理由がわかる…物語世界基準で良いことをしたキャラが幸せになり悪いことをしたキャラに罰が下るのは、物語世界の世界観とそのキャラの言動の距離を作者が把握していることを示し項目イを満たすための定番で効果の高い方法だ
ただしあくまで方法の1つに過ぎず本質ではないので批評としては足りない
「そうだよね、大きな嘘はいいけど小さな嘘はよくないね」というがこれは惜しい
作者が物語を組み上げるために注意して工夫して作った嘘=現実との距離は大きいことが多いが
単なる勘違いや手抜きで生まれた、作者の把握してないような嘘は小さくてしょぼいことが多いって話 だから擬似相関
「その程度の犯罪が許せないなら赤ちゃん用の絵本でも読んでろよw」などというのが超的外れなのは、現実世界と物語中の個別の出来事の距離の長さという項目アともイとも無関係なことについて喋ってるからだ
これ作品の評価とはあまり関係ないくせにわかりやすいのでこういう輩に使われやすくて困る
「どうしてもグロが見られない」「子供や動物が死ぬのは嫌だ」と言ってそういう作品を嫌がる人はいるが、そういう人はあくまで苦手だと言ってすっと離れていくことが多くて、嫌いだと本気で怒ることは少ないんだなーこれが
私が縦笛なめなめVRについて「まぁいいかな」と言ったのは「軽度の性的コンテンツ」とゲームの説明に明記してあるから
こういう表示には2種類の効果がある
1つ目は子供に触らせないこと
2つ目は「作者はこれを過激な表現だとわかっている」というアピール
この2つ目によって項目アの条件を満たしているので別に構わないと思った
https://b.hatena.ne.jp/entry/4689518360501577570/comment/junglejungle
犯罪が描写される場合には、汚らわしく卑劣な行為として描かれるべきである。
っていう条文があったのか
anond:20200801034304を見て思いついたが、結論から言うとそうでもなかった。
君といるなら(number24)
君と重ねたモノローグ(ドラえもん のび太の新恐竜) *公開前
君に届くまで(MIX)
君 君 君(銀の墓守りII)
君にふれて(やがて君になる)
君は友達 一番の恋 〜way to love you〜(フルメタル・パニック! ディレクターズカット版 3rd SECTION “イントゥ・ザ・ブルー”)
君、ヒトヒラ(宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第三章「純愛篇」)
君色に染まる(魔法少女なんてもういいですから。セカンドシーズン) *カバー
君といた空(蒼の彼方のフォーリズム)
君とボクの1日(ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかOVA)
君はソレイユ(ストライク・ザ・ブラッドOVA)
君への嘘(名探偵コナン)
君と彼と僕と彼女と(FAIRY TAIL)
君の待つ世界(まじっく快斗1412)
君と二人(断裁分離のクライムエッジ)
君の引力(恋旅〜True Tours Nanto 晴喜と葵編)
君の銀の庭(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語)
君だけを(緋色の欠片 第二章)
君の涙にこんなに恋してる(名探偵コナン)
君は(妖狐×僕SS)
君へ(中二病でも恋がしたい!Lite)
君+謎+私でJUMP!!(バカとテストと召喚獣にっ!)
君を守りたい(フリージング)
君がいるから(FAIRY TAIL)
君が主役さっ!(極上!!めちゃモテ委員長 セカンドコレクション)
君と太陽が死んだ日(学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD)
君の歌(COBRA THE ANIMATION)
君の胸にLaLaLa(ポケットモンスター ダイヤモンド&パール)
君がまってる(バトルスピリッツ 少年激覇ダン)
君が微笑うなら(COBRA THE ANIMATION)
君を守って 君を愛して(BLEACH)
君が残したもの(ToHeart2ad)
君=花(純情ロマンチカ)
君へと続く道(ポルフィの長い旅)
君がいる限り(キスダム)
君がいるから(史上最強の弟子ケンイチ)
君だけを…(僕等がいた)
君との未来図(タマ&フレンズ 探せ!魔法のプニプニストーン)
君のそばで 〜ヒカリのテーマ〜(ポケットモンスター ダイヤモンド&パール)
君が待っているから(機動戦士Zガンダム A New Translation -星を継ぐ者-)
君という名の光(CLUSTER EDGE)
君に届くまで…(陰陽大戦記)
君のこと(涼風)
君は僕に似ている(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)
君となら(陰陽大戦記)
君にこの声が 届きますように(金色のガッシュベル!!)
君を飾る花を咲かそう(モンキーターン)
君を見ている(ジパング)
君という光(名探偵コナン)
君と同じ青空(聖闘士星矢 冥王ハーデス十二宮編)
君に吹く風(フルメタル・パニック? ふもっふ)
君と生きていく(シスター・プリンセス Re Pure)
君よ 強くなれ(冒険者)
君のままで(こみっくパーティー)
君さえいれば(ラブひな)
君は魔術士?(魔術士オーフェン)
君さえいれば(中華一番!)
君に触れるだけで(るろうに剣心)
君、微笑んだ夜(快傑蒸気探偵団)
君がいない夏(名探偵コナン)
(見つからず)
君の中の永遠(機動武闘伝Gガンダム)
君らしく(ピンクパンサー)
君を好きでよかった(ここはグリーン・ウッド)
君にまた逢う日(冒険!イクサー3)
君に止まらない 〜MY GIRL,MY LOVE〜(魔神英雄伝ワタル2)
君の夢のために(名門!第三野球部)
君が通り過ぎたあとに -Don't Pass Me By-(タッチ3 君が通り過ぎたあとに)
君の手をとり(チロヌップのきつね)
君はトランスフォーマー(トランスフォーマー ザ☆ヘッドマスターズ)
君をとばした午後(タッチ)
君がいなければ(タッチ)
君にWoo...!(よろしくメカドック)
君は何かができる(キャプテン) *2005年版、2006年版でも使用
(見つからず)
君は走れ 君は歌え(どんべえ物語)
(見つからず)
緒方恵美さんはいい声優だと思う。実力ありで実績がきちんとある声優だろう。声も好きな人は好きだろうし、人気もあるだろうな、と感じてはいる。それを分かっているという前提で読んで欲しい。
緒方恵美さんが好きな人は読まない方がいいだろう。何となくタイトルでも察するだろうが、この文は緒方恵美さんについてのモヤモヤしか書いてない。
私はアニメ業界にあまり詳しい訳では無い。好きになったアニメを見て、そこから声優について調べたりするようになるタイプだ。あるいは原作を知っていて、それをアニメで見るタイプだ。
私の家は別に母親や父親は漫画やアニメが別段大好きな人ではなく、私がある意味オタク初代みたいなものだ。それにアニメにハマったのも少し遅く、同年代のオタクより遅れてオタク業界に足を踏み入れた人間である。
だからなのか、「緒方恵美さんの声をほぼ聞かないで生きてきた」オタクなのである。記憶にはなかったが、幼き頃に見た『カードキャプターさくら』に出てたと聞いて、あ、そうだったかと認識したレベルだった。でも正直、好みかと言うとそういう訳ではなく、普通かなレベルだった。
しかし、そんな私に転機が訪れた。
漫画の1巻発売当初から追って来た漫画がアニメ化し、その主役の少年役(影があって、少し色気を感じる)を緒方恵美さんがやることになったのだ。私はあまり声を知らないのもあって、ある意味、新鮮で楽しみだった。
しかし、公開されたPVを見て、違和感を感じた。私はその少年の声を、高山みなみさんであてていた。オタク特有なのか分からないが自分の頭で漫画を再生する時にあてていたのだ。高山みなみさんといえば、近年オタク女子に爆発的に人気な名探偵コナンのコナン役だ。それと、ゲゲゲの鬼太郎の5期の声も演じている。私はコナンと鬼太郎を見ていたので少し大人びた少年声=高山みなみさんのイメージが強かった。(現在、コナンはもう見ていないが)
だから、少年役も高山みなみさんであてていたのだが、別にハマっていれば今まであててた声じゃなくても私は構わなかった。しかし、何回聞いても違和感はあった。
なんというか、癖が強すぎるのだ。
色気もあるし、声質としては間違ってないと思う。だけど、なんか癖が強い。聞き取りづらいせいなのか、高め声になると掠れ気味になるのが原因なのか分からないが、ひたすらにコレジャナイ感が加速した。でも、初めたばかりだし、アニメをやっていく中で寄せられるだろうと思ってはいた。がしかし、やはりアニメの最終回目前になってもやっぱり違和感は残ってはいた。アニメの最終回は未だにビデオにとったまま、見れていない。
その漫画のアニメ化にあたって、1番はキャラデザや作画が心配だった。だけどそれは難なくクリアし、あとは心配ない!と思っていたのに、まさか声優で問題にぶち当たると思っていなかった私は愕然とした。今まで、声優に違和感を初めは感じつつ、最終回目前になれば「結果、この人でよかったよね」となっていたのに、なぜかその少年の声だけはそうならなかった。
私は感じた。
だから、これは私の好みの問題であって、文句を付けるもんじゃないと反省し、自衛をするしかないなと思った。しかし、そんな私に更なる攻撃が仕掛けられた。
最近、同人女の漫画がTwitterで流行っている。そこに出てくるイケメンな女性がいるのだが、「〇〇さん(登場人物の名前なのであえて伏せておく)のCV.は緒方恵美でしょ」という文が目につく。
断定を!しないでくれ!!
わかる、緒方恵美さんだって言うのはわかる!確かに緒方恵美さんはエヴァに出てるし、かっこよかったり、どこか影がある役だったり、色気のある役やったりもしてる!だから、多くの女子の心を掴んでるんだ、それは事実だ、私もそこは否定しないし、すごい才能だと思う!でも、だからって、「かっこよくてどこか影のある女の人」の声を全部、緒方恵美さんだろみたいな断言みたいなのを見るとこうモヤモヤが止まらない!!
そのツイートが大量に見られる訳では無いが、やっぱり定期的に湧いてくるし、同じ轍を踏まんようにしても踏んでしまう。私の自衛が弱いのだろうか。もういっそうのこと、名前ミュートワードにした方がいいのか。ちなみにこの漫画以外にもそういうタイプの人間が出ると「緒方恵美でしょ」ってコメントが必ず出てくる。
言ってる方は、「裏切るタイプのイケメンボイスは櫻井孝宏」みたいな感覚で言ってるんだろうなとは思う。そういうふわふわ〜とした感覚で言ってるんだろうなと言うのはわかる。「緒方恵美でしょ・・・(悶え)」みたいなのもあるんだろうな、という気はする。だけどやっぱりモヤるのだ。
アニメ化の一件でモヤモヤしてからやけに緒方恵美さんの名前を見るようになった。緒方恵美さんを叩きたいわけではなく、彼女のすごい才能を感じつつも、やはり私は彼女の声を好きにはなれないんだろうなと思う。人間的な話は知らない。私は声優に関していえば人柄ではなく、声の好みとかで判断してるので人柄は知ったこっちゃない。だから、そういうのは含まずの話だと思って欲しい。
正直、いちオタクの戯言に過ぎないので、軽く読んでもらいたいところである。ここまでとっちらかったことを書いたのはあまりにもモヤモヤして捌け口を探したかったからというのもある。なんせ、私の周りには「緒方恵美さんの少年声がタイプ!」みたいな友人しかいないからだ。
――新千歳空港国際アニメーション映画祭に取材に行ったのですが、ラトビアや韓国から来た監督に、なぜ日本アニメは世界で人気があると思うかという質問をしました。そしたら、「あなたの言うアニメはジャパニメーションという一つのジャンルにしか過ぎない」と言われ、世界にはそれ以外のアニメーションがたくさんあると逆に指摘されました。
その通りです。日本のアニメーションの中にジャンルが一個しかないのはおかしいと思いませんか? だって今は、『名探偵コナン』まで同じジャンルに入っているんですよ。名探偵コナンは少なくとも子供向けとして始まったはずなのに、いつの間にか同じ「隙間向け」のジャンルに入ってきているじゃないですか。おかしくないですか?
ないんですよ。子供向けは全滅しましたからね。夜7時台のテレビアニメーションから子供アニメ全くなくなりましたから。映画で作られているのは、『ドラえもん』、『アンパンマン』、『ポケットモンスター』、『妖怪ウォッチ』、それから『プリキュア』など。これって、何年同じものを作っていますか? 20年ですか、30年ですか。ドラえもんは50年です。
この3ヶ月、ほとんど家で過ごしていたんだけど、せっかくだから自粛期間中にやってたことをまとめてみた。こうして書いてみると意外といろいろやってたかもしれん。みんな何やってた?
やりたかったけど、やってなかったゲームを一通り。デスストランディング、十三騎兵防衛圏、デトロイトビカムヒューマン、スパイダーマン、ff7リメイクなどなど。十三騎兵面白かったなー
○ 名探偵コナン一気見
小学生の頃は好きだったけど、話が中々進まないから途中で諦めてたコナン。ネットで検索して、黒の組織が絡んだストーリーだけをHuluで観た。って言っても、それだけでも軽く200話くらいあるし、映画もあるし、なおかつアニメ追いついてしまったから、最新刊までコミックスで補完した。映画一年後めっちゃ楽しみ。
○ 散歩
ラジオを聴きながら散歩。これはコロナ前から日常的に行ってるけど、普段はタイムフリーで深夜ラジオを聴いていただけだったのが、昼のラジオも時間がある時は聴くことが増えた。スーパーに昼飯の食材とか買いに行く時とかちょうど良い。もちろんマスク付けてるよ。
○ 自炊
以前は全くしなかった自炊だけど、コロナ禍になって、外食をするのがNGになってからはひたすら自炊をしている。パスタとかありきたりなものはもちろん、味付け卵とかサーモン漬けとか、鶏もも味噌漬けとか、漬け置き系を作ると普段の食卓が楽になることを覚えた。燻製とかも楽しい。コンビニ飯とかジャンクフードを全然食べなくなったから、寝つきとか寝起きとかよくなった気がする。あくまで感覚だけど。あと、普通に節約になる。
○ ジョギング
まあ、そりゃ太るよね。ってことでジョギング。もともとめっちゃ痩せ形(175cm/54kgくらい)だったんだけど、体重計に乗ったら63kgまで増えてた。このままだと太る一方だと思って、現状をキープするためにジョギング。形から入るタイプだから、ナイキのオンラインショップで一式揃えた。ラジオ聴く時間も増えるし、ちょうど良い。この前やっと5キロ30分切った。(ツライ)
○ Twitterの消去
前は暇さえあればTwitterを見るような生活をしていたけれど、コロナ禍になってからは一切見なくなった。理由は、雑音にしか聞こえなくなったから。知らない人の意見なんてそもそも知らなくて良いし、興味があることは自分で調べるし、話題になってるツイートはYahooトレンドで分かるしね。むしろストレスかなり減ったかも。
うーん、ざっとこんな感じだと思う。もっとあるかもしれないけど、大きく覚えてる限りだとこの辺。
ちなみに、早く出社したくてたまらない。家だとすぐベッドで仕事しちゃう。気付いたら眠くなって大変。リモートワーク向いてないことに気づいた。
思いついたことを書くだけ。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。ドラゴンボール、スラムダンク、キングダムとかチェンソーマンとか色々。約ネバもかな?
成長前の主人公がそういう風に書かれるのは、少なくとも文法成立の初期の頃は、子ども(クソガキ)のふるまいを誇張して描いていたからだと思う。
元はそういう子ども向けのコンテンツで、読者は主人公のふるまいや考え方に感情移入していた。
具体的な対象者は、まずは小学校低学年くらいの階級構造があやふやな時期の子ども全体。彼らの世界は上も下も決まってなくて、全員がわがままで、ボスザルになれる可能性を秘めている。
次に、小学校高学年くらいの、ボスザルに憧れることができるレベルの、ガキ大将文化圏の強者群。ここでナードや賢しらぶった子ども(=ガキ大将文化圏における弱者)はふるい落とされる。
中学校以降となると階層構造はどんどん細分化されていって、真の意味で感情移入できる人間はごく一部である。
その頃には二次性徴とか諸々により価値基準が変わってきて、ガキ大将主人公に感情移入できてる奴の方がやばいわけだが、それはここでは置いとく。
中学生以降になっても(むしろなったからこそ)そういうガキ大将主人公の漫画を楽しめるのは、他人事をフィクションとして楽しめるようになるからである。だから女子中学生もジャンプを楽しめるわけだ。
感情移入とはいかないまでも、まぁ話は面白いしいいか、ってなものである。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
個々の能力にもよるだろうが、小学生くらいだと感情移入できないと物語を楽しめない子が多いだろう。(感情移入がほとんど無くとも物語を楽しめる小学生は、漫画雑誌など読まなくても他のフィクションを楽しめるのだ)
つまり、今の小学生はジャンプの主人公に感情移入できないのである。
ジャンプの王道(やエロ)を楽しくありがたく読んでいるのは、中学生~中年のお兄さんやおっさんなのである。しかし、彼らも感情移入して読んでいるわけではない。(そういう人間もいるかもしれないが・・・)
ちなみに、ナードと賢しらぶったガキと女の子、お姉さん、おばさんは、名探偵コナンを読んだ。基本は頭脳戦である。コナンはアンチガキ大将な者たち(今やそちらの方が多数派である)を取り込んで覇権を取れたのだ。
また同時に、お姉さんやおばさん、爽やかな男子諸君はスポーツをやる作品を好んだ。乱暴ではないが、パワーが正義であり、勝ち負け目標がはっきりさせやすい。そういえばコナンもボールを蹴ることがある。
不幸なのは、スポーツものが今どきのほとんどの人間にとってファンタジーであることだ。とりあえず野球やろうぜってな時代ではないので、真っ当なターゲットは食指を伸ばさず、結果としてスポーツものは非公認ソフトBLとして扱われることになった。
ここで鬼滅である。
炭治郎(主人公)は作中で関わった人物のほぼ全員から愛され慕われている。
主人公が普通に頑張っていたらみんなにモテモテ、などというとまるでなろう小説のようだが、炭治郎は精神性も行動も実に真っ当であり、納得感があるのだ。
炭治郎は無知な田舎者だが(そこが"王道でありながら"と言われる所以かもしれない)普通の社会性はあって、道徳面では模範的とすら言える。人として備えているべき慈愛に満ち、努力家で、真面目ながら寛容。
彼は人間としてシンプルに魅力的で、そばにいてほしいタイプなのである。
不思議なことに、フィクション(特に少年漫画)において最初から人間として魅力的な主人公というのは中々いない。なぜか。
主人公はどこかしらに問題を抱えていて(社会常識がないとか非モテであるとか)、それを解消していくことが成長であると、文法によって決められたからだ。漫画ではなくとも、物語というのはそういうものである。
良い映画の主題は「自分は何者なのか」という問いかけに収束すると何かで読んだ。これは人々が普遍的に感じている(感情移入できる)哲学的な命題であって、映画の中では様々なドラマを経て主人公なりに「自分は何者なのか」という答えを見いだす。
それに依ると、鬼滅にこの主題はほぼ存在しない。主人公の家に伝わる教えによる未知の能力というフックは途中に入るものの、その話題は全く重視されていない。
炭治郎は、そんな大げさな悩みを持ったりしない。「俺はこんなものだ」と割り切って「自分にできることを真面目にやろう」なんて考えている。目的は常に「妹を人間に戻すこと」という、哲学的でも何でも無い現実的な物でしかない。
インターネットの影響は大きい。宣伝だとかバズだとかの話ではなく、インターネットが人々に与えた影響だ。
今やネットによって全世界基準で自分の順位のようなものが何となく分かってしまうようになった。自分より強い奴は山ほどいて、社会に向かって怨嗟の声を垂れ流している情けない大人もいっぱいいる。
「自分は何者なのか」が主題として機能しなくなってしまった。「俺はこんなものだ」と思わざるを得ない社会なのだ。
今の子ども達にとって、どうあがいても未来は暗いのだ。それがもう嫌と言うほど目に見える今の世界で、獣が人間になり大望を成し遂げるというフィクションはファンタジーに過ぎるのである。
一方で、目標に向かって自分ができるだけのことを精一杯やっている炭治郎の愚直さは真似できそうである。そして、作中ではその姿がひねくれた大人(柱)たちを無言のうちに説き伏せ、主人公を応援する側にシフトチェンジさせる。
今の時代、大人も子どももみんな人間関係に疲れている。努力が報われ、ついでに周辺環境を居心地良く改善していく姿は誰にとっても魅力的に映るだろう。
慈愛に満ち、努力家で、真面目で、他者に寛容な人間というのは、既存の作品では大体理不尽な目にあってきた。
それがモブであれば理不尽に死ぬ役だし、ネームドであればトラウマを負って冷笑系とか陰のあるタイプになった。それらの作品の主人公はわがままであり、理不尽に負けない強い者であって、慈愛や寛容は弱さであった。
炭治郎は、物語の最初の最初に理不尽な目にあって復讐を誓うわけだが、それでも慈愛と寛容、真面目さを失うことはなかった。むしろ、それしか持っていないと自分で言っている。
炭治郎の師匠たる鱗滝さんは、初見の炭治郎のことを評して「こいつは優しすぎてジャンプ主人公にはなれない」というようなことを言っている。(曲解ではないと思う)
その鱗滝さんの薫陶を受けた最も優秀な弟子であるところの錆兎は、炭治郎とは真逆で非常にマッチョなジャンプ主人公思考である。「男なら死ぬ気でやれ!優しさなど不要!」みたいな感じのことを言いながら急に殴りかかってくる。
炭治郎はその錆兎に努力の上で勝利して修行編は終わり、かくして時代に即した新タイプの主人公が生まれたのである。
彼は修行の後の最初の試練で打ち潮(修行によって身につけた特殊な技)を繰り出し、「俺にもできた。修行は無駄じゃなかった」と涙する。いい話である。
アニメ派の人にはネタバレになって申し訳ないのだが、錆兎が死んだ理由は他者を生かすためであった。古い主人公時空に生きる錆兎は、慈愛と優しさを持っていたが故に理不尽な死を遂げたネームドキャラだったのである。
鬼滅が女性人気を得たのもむべなるかな。
自分の子どもでも彼氏でも旦那でも父親でも、乱暴で直情的な猿よりも真面目で優しい男の方がいい。(比較論である。個人の趣味は置いておく)
男は猿だった時代を楽しむこともできるわけだが(何なら郷愁を感じもする)、ほとんどの女の子は猿に迷惑をかけられたことしかないだろう。なお、一応言っておくとワイルド系とかオラオラ系と猿は違う存在である。
旧来の主人公的な存在といえば、伊之助はまさにソレである。どうやって感情移入するんだと思うかもしれないが、たぶん昔の子どもは彼に感情移入できていたのだ。
実際、伊之助はサブキャラとして一つの人気を確立している。普遍的な人間的成長のカタルシスを端々で見せるからである。ほわほわ
ただし、伊之助には旧主人公的でないところもある。それは顔が良いことである。
伊之助は全く以て迷惑で嫌われ者の要素しかないキャラなのだが、顔の良さがギャップになるのか、女性人気が結構高い。実際、アニメの実況では14話で顔が出た瞬間に手のひらを返して興味を持ち始めた人を結構見かけた。
顔がいいだけの生意気なガキが、成長して徐々に素直になっていくのである。そりゃ人気もでる。
一方で、旧来の猿型主人公というのは特段美少年だったりはしない。たぶん、見た目は本質的な魅力ではないという思想があるんだろう。男はロマンチストなのである。
炭治郎は今のネット時代に即して「自己を保ち、できることから愚直に始めなさい」と示した。そうすれば、今の自分なりに良いところまでいけるはずだし、周辺環境をよくできる(かもしれない)というわけだ。
元々時代に即しておらずいびつだった"王道"にメスを入れて見事解体して見せた鬼滅であるが、果たして続く作品は出てくるだろうか。
視野が広くなったが故に個人レベルではむしろ可能性が閉塞されたネット時代である。この時代に生きる子ども達に未来への希望を与える作品が現れれば良いと思う。
名作傑作と言われている割には響かなかったなあという駄文
・青山作品はかつてハマってコナンは50巻近く、まじ快は3巻まで、YAIBAは全8巻のうちの真ん中の一部以外は集めた。
・劇場版コナンは全部見たわけではないが、こだま作品、銀翼、紺青が好き。確か水平線上、鎮魂歌、純黒は見た。
・相棒や科捜研の女は多分見たこと一度はあるとは思うけど、よく見てて好きだったシリーズとしては記憶してない。100の資格を持つ女や紅蓮次郎や法曹系の女主人公のが好きだった。
正直これコナンでやる必要あるかなと思った。ベイカー街の亡霊と同じくやりたい題材のために、名探偵コナンを利用した匂いがした。問題は、ベイカーはコナンファン・ホームズファンの中でも賛否わかれるところはあっても一般受けは良く対象もあくまで子供であるのに対し、執行人は対象が大人で一応コナンの推定ファンの年齢層だろう子供を捨て去っている節があった。正直良い意味で心動かされたのが、①毛利家(園子緑さんも含む)の描写、②少年探偵団がストーリー上意味があって足手まといではない、③ポアロのお姉さんの変なジェスチャー、④カーアクションで電車の側面を走るところ、⑤博士が有能(クイズだけや場所や道具提供だけではない)……くらいしか思い出せない。あと車のCGが結構目に入った。
まず、ストーリーに燃えるところがあまりない上に大人向けで暗い。公安警察が元警察官で、現有名探偵(背後のコナンという強力な協力者が目当て)とはいえ、一般人を巻き込んで拘束するようなことはどうなんだろうと思う。警視庁や地方警察所属警察官を好感の持てるキャラクターに描いてきた本シリーズにて、公安関係者にキャラクターとして好感が持てなかった。公安の歴史を考えれば好感を持てないキャラクターというのは考えられることではあるが、純黒の風見のあまりの無能さにキュンとしただけに残念に思った。すべての元凶は公安といってもいい物語であったが、燃えるところが少なく、対象を大人だけに振り切らないでほしかった。犯人の動機が協力者を失うことになった公安に復讐するためであるが、犯人も協力者もコナンも安室自身の正義の上で行動している。正直安室登場後のコナンに関してはあまり正義を問われたくないが、正義は一つではなく難しいものであるだけにコナンでやるのならストーリー自体もう少しは明るくした方がいいのではないかと思う。公安という立場をメインに出してきただけに難しいものではあるが、あまりの視覚的物語的暗さになんだかなという気分でいっぱいだった。正直自家用のテレビで見たが、夜設定とはいえ画面的にあまりにも暗いと感じた。またゲストキャラクター(いつもの芸能人枠)の弁護士の方のラストシーンで激昂するところがあるが、彼女もそれまでに公安の協力者として暗躍する中で監視していた対象に惹かれたものの、事件が起こり協力者に協力を頼んでいた中で自殺される。そのまま協力者を続けていたら実は公安によって、自殺していたとされていた恋人は生きてましたなどという自身の判断によるものであれど公安に人生を振り回されているのは、哀れみの感情をいだいてしまった。しかし彼女も暗さを増長した一因である。
次に犯人サイドの事情や処理に面白みがないなと思った。ここでは犯人の協力者は含むとする。推理モノやサスペンスで個人的に楽しみにするのは、犯人の動機が大きい。犯人が犯行を起こす動機が、同情する余地があったりカリスマ性があれば正直娯楽として好きになってしまう。犯人の処理もそうだ。ただ今回の犯人周りはつまらなかった。犯人の上司に対して火傷負わせ他のが犯人と分かったときはよくやったと思ってしまったが、協力者の生存を知らされて諭されてすぐパスワードを言ってしまったりコナンの言葉にすぐ諭されてしまったりというのは、尺の問題が大きいかもしれないがやった規模や抱えていた自身の正義に対して描写が薄いなあと思った。協力者の方は結局自分の正義感に酔いすぎて就職できなかっただけで死んだと思ったらなんだかんだのうのう生きてたし、あと正直ミスキャストで演者に対してキャラが抱えているものが大きすぎて演者が頑張っている分ちょっとなあと思った。おそらくもっと丁寧に描写されていたら協力者の生存に残念だとは思わなかっただろう。正直犯人サイドのキャラクターとしての描写があんなに有名作なのだからもう少し掘り下げしていると期待していたために残念に思った。犯人よりも公安の傍若無人さの方が印象に残り、それがクライマックスの燃え上がるはずのところでうまく自分には火が付かなかった。
またクライマックスで少年探偵団が活躍するところと安室とコナンが活躍するところがある。少年探偵団が足手まとい過ぎない(足手まといの例:水平線上)、灰原が原作のスペックから考える必要以上に出しゃばらない(一応薬学が専門のはずなのに薬学以外で博士よりも活躍している場面など)、博士が有能(ただの見守るお爺さんや道具・場所・クイズ提供者じゃない)など個人的には好きだと思った。ただ、何も知らされずに衛星探査機を子供たちが迎撃するというのはどうなんだろうかと疑問には思ったが。目暮警部をはじめとするいつもの警察関係者のポーズに近いのもあるとは言えど、子供に危ないことをさせないために止めるのに慣れているだけに、博士以外ためらう姿が絵として見られないのが少々残念に思った。まあコナン・灰原以外の事情を知る大人が公安関係者だけなことはあるために納得は行くが。今回は探偵たちの鎮魂歌のように実は危険な目にあっていたし、その状況を対処したのは少年探偵団という描写だった。彼らなら事情を知ったうえできちんと対処できる(例:天国)という期待があっただけに、実は自分たちで破壊した探査機を間近で見られなくて悲しむ姿に言ったうえで協力してもらってもよかったんじゃないかなと思った。
毛利家の描写(園子緑さん含む)は結構好きだった。近年のコナン映画は蘭にとりあえずアクションさせ、雑でも新一と叫ばせればいいという個人的な偏見がある中新一を必要とする理由(おっちゃんの逮捕)がわかりやすく、コナンから蘭への愛情もちゃんと尊重している(安室がコナンから蘭への感情に言及している)など、蘭の扱いがラブコメ中心ではない映画にしては良いと思った。純黒の蘭の存在意味が無に近いのを最近見返したので、思っていたよりはよかった。コナン映画といえば蘭に精神的デバフをかけるのが恒例ではあるし、よくそれで叩かれている(空手強いのに騒ぎすぎとか)のを考えると新しい精神的負荷のかけ方だと思った。小五郎を蘭が疑うというのは14番目の標的でもあったが、今回は異例の起訴という事態に陥っているため精神的に弱っても不自然ではないと思う。妃さんも身内には弁護できないという状況でおっちゃんのことを考えているのが伝わってきてよかった。エンディングの毛利夫妻はやっぱりこうでなくちゃと思った。園子は不安な欄に付き添ってあげているいいやつだし、緑さんも毛利家のことを思っている(正確には妃さんのことだろうけど)し、色々と手助けしてくれたりしてよかった。正直毛利家がこの映画の視覚的にも物語的にも癒しとなっていたところあった。
あと途中で車が泣き顔に見えるほどズタボロになっているのがかわいそうだけど、頑張ったねって感じで好き。カーアクションで電車と真っ向から衝突し、電車の側面走ったりと本当お疲れ様だった。最後はもう廃車確定なのかもだけど、MVPは君だったよ。
総括すると、「名探偵コナン」の傑作として持ち上げられていた割には基本的に物語が暗くてスンって気分でいた時間が多かった。ベイカーみたいに「名探偵コナン」としては異色という認識だとしても、それまでの認識していたコナン像と違ってたぶん困惑しただろう。これがコナンでなければもうちょっと先入観に踊らされることなく、楽しめたのかな。正規の駄作とまでは言わないけど、公安や警察方面に明るくもなく、コナン知識に自信があるわけでもない身としてはもうちょっと説明が欲しいなと思った。例えば、なぜ犯人が共犯者を選んだのか、共犯者は自殺した()あとどうしていたのか、コナンがスマホに盗聴アプリを仕込まれていたことを博士に調べてもらって知っていたのなら調べてもらう際にバレなかったのか、NAZUは侵入された後に犯人によってパスワード変更されるまで(された後も)何もしなかったのか、警察(公安)以外の省庁のお偉方が無能に見えたけど本当に何もしてないのか、犯人の上司(公安検察の人)が結構嫌なだけの不美人に描かれていたけど何か信念とかはあったのか、あのあと女弁護士はどうなるのか、あたりの説明は欲しいなと思った。小説を読めばいいのかもしれないけど、こだま時代の疑問点はあっても雰囲気とかでだいたい満足みたいなのに慣れすぎてて手を積極的に出す気にはなれないんだよなあ。世間評価のわりにあんまり響かなくて残念だった。安室というよりも公安の降谷を見るための映画だなと思った。だけど映像やアクションでごまかすんじゃなく、降谷という人についての描写をもうちょっと色濃くやってくれたら今よりも好みの作品になってくれたかもしれない。