はてなキーワード: bgmとは
世間的には高学歴と呼ばれる大学を無事卒業し4月から社会人になった俺!!
東証一部上場の業界中堅上位ぐらいのそこそこ良い会社に入社!!!
来る日も来る日もミスばかり!「これ前言ったよね?」「なんで確認しないの?」
いやァ~~・・・元々うっかりというか、適当なところはあるとは思っていたがさすがにこれは何か障害とか?そういう奴なのか?
と思い始めて色々調べてみるとADHD(注意欠陥多動性障害)という発達障害がヒット!!!
●集中出来ず、話をまともに聞けない
●部屋の片付けが出来ない
●ケアレスミスが多い
みたいなこと諸々・・・
これ、俺じゃん!
部屋とかグッチャグチャだし!
提出物なんかろくに出せたことが無いし!
夏休みの宿題とかギリギリになってちょっとやって半分ぐらいやらないし!
話とか授業とかずっと上の空で!
算数の授業全く聞いてなくて掛け算の筆算のやり方しばらく全然わからなかったし!
大学受験のとき話全然聞いてなくてSVOとかなんとか全く分からないまま受験終わったし!
事務作業とかで確認何度もしてるはずなのに数字の打ち間違えとかあるし!
しっかり聞いてたはずの会議とかなんか内容全然頭に入ってないし!
なんか気づいたら頭で全く関係無いこと考えてたり!
ハァ~~~この企画の商品お腹冷えなさそうだなあ~~お腹といえば腹筋だなぁ~~
マリオペイント!マリオペイントのオープニングって腹筋してる人だったよね?
ウーッホッホヤッホッホ!ウーッホッホヤッホッホ!マーリオペインッ!ワッ~~~~~
そういや戸高一生って人がBGM担当してるんだっけ?そーいやどうぶつの森のけけソングって奴がマリオペイントのBGMだったなあ~~~
こんな思考回路!やばい?やばくね?でもこんな人っていっぱいいるとは思うんだけどね・・・
ぶっちゃけ甘えって言えば甘えだとは思うんだけどねえ~~~
なんやかんやでとりあえず行動してみよう!そう思って生まれて初めて心療内科に行ってきました!!
一度目は簡単なADHDの診断アンケート、あと木の絵描かされたよ。話には聞いていたけど本当にやらされるんだね。
アンケートの結果、点数が高ければ高いほどADHDの傾向あるらしいんだけど、14点以上なら強いADHDの傾向あるんだって!
なんと俺は15点でした!やったぜ!
ADHDってのには不注意型と多動性型みたいなのがあって、その2つが併発してるのがほとんどらしいんだけど
俺は不注意型って奴の傾向が強く出てるんだって。
そんで嬉しいことにADHDは薬による治療が出来るみたいで、薬もらってきました。
しかしその薬が高いのなんの!やべえよ!2週間分で4500円!しかも本格的に治療を始めるとその二倍の量が必要になるとか!
でも、少しでも今の状況を改善出来るなら背に腹は代えられないのでとりあえず続けてみるゾ・・・。
でもやっぱ発達障害のせいにするってなんか甘えだよなあ~~~これって結局甘えな気がするんだよなァ~~~
正直障害のせいにして仕事が出来なくて思い悩んでいる自分の気持ちを楽にさせたいって部分があるんだよね。
はぁ~~~ミスばっかりで周りの人間からの信用も全く無いし俺浮いちゃっているしさあ~~~
俺頑張りたいんだよ。皆の役に立ちたいんだよ。上司とかもすっげーいい人だと思ってるしさ
俺のこと嫌っている先輩の役にも立ちたいんだよ。嫌われてるけど頑張って見返してやりたいんだよ。
でもなんかミスるんだよねェ~~~。話聞いてないでしょ?って言われるんだよなァ~~~
聞いてたはずなんだがなァァァ・・・
とりあえず!ネガティブはもう卒業だ!!薬による治療は始めたけど薬を飲んだからいいや!じゃなくて!
どうやったらミスがなくなるかも根本的に考えていこう!ポジティブに行こうぜ!俺!
必ず確認、スケジュールを書いた付箋ベタ貼り、後回しにしない!ミスをビビらずコミュニケーションをしっかりとる!
頑張るぞォォォ~~~!!!ADHDとしっかり向き合って、今の自分から脱却するんだ!
必ず見返してやるぞ~~~~!!!
下に行くほどヘビー。
→絵師になったりする。界隈を盛り上げてくれる。原作があるとこういう層が多い
→格闘ゲームが好きじゃなくて、そのゲーム自体が好きな人。ぶっちゃけ格闘なくてもいい。
・技とかコンボが好き
→カッコいい、見栄えがいい等。見るだけでも満足できる人。
・技、コンボがきまると嬉しい
→アクションゲーム等が好きな人。実は人間が相手じゃなくても良い。
→自己解決型というか、マゾ型というか…何かを身につけたい人たち。好戦的ではないはず?
・対戦が楽しい
→緊張感や試合が楽しい。駆け引きが楽しい等、勝負を楽しむ人。喧嘩になりにくい?
・勝つとうれしい
→承認欲求?優越感?ギャンブル的な面が増える。対人を研究し始める
・勝ち方を考えるのが楽しい
→フレーム、技、判定などを研究し始める。強キャラ、弱キャラ信者が誕生し始める
・勝つためにやってる、負けるとイライラする
→そろそろ初心者狩り等に墜ちる奴が発生。遊びじゃねえんだよ!
・ひたすら対戦する
劇場版『ハーモニー』の公開から一週間が経過し、『ハーモニー』LINEスタンプとか『ハーモニー』Tシャツといった危険信号を無視して戦場に足を踏みいれたオタクも大半が死んだ。不満はいろいろとみかけるが、もっとも多いのは「謎のピンクの日本」と「ラストの『愛してる』」のふたつのようだ。ところがどっこい、このふたつは同じものである。
賢明なる読者におかれてはマイケル・ラザフォードの『1984』を思いだしていただきたい。本作においてはビッグ・ブラザーの支配する全体主義国家がモノトーンに近い暗い色調で、対照的にウィンストンが恋人と逢引きするシークエンスが鮮やかな色調で撮影されている。原作ではこいつらが明るくて前向きの元気ハツラツの若者だったら全人類のハーモニクスはおきなかったといわんばかりの〈次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ〉の老人たちが、劇場版では思わぬ躍進をとげ、全人類の情報をにぎり管理する巨魁となっていた驚きはまだ記憶にあたらしいと思う。そう、劇場版『ハーモニー』の主題は全体主義との対決なのである。「『ハーモニー』のテーマは全体主義との対決じゃないだろ」といわれても、それは脚本を書いた山本幸治にいってほしい。となると日本がピンクの単色で描かれていた理由もわかろうというものだ。対照的に学生時代の回想は背景の自然を強調して鮮やかな色彩で描かれている。劇場版ではトァンとミァハはAからはじまりセックスまでしているのが、いかにも国家と個人の対立らしい。『1984』でウィンストンと恋人は逢引きするたびにセックスして、むしろセックスするために会っているのではないか、さすが1948年、現代の草食系の若者とはちがうと思うがそれはどうでもいい。
劇場版をみてなんで意識を消滅させるかわからなかった観客も多いようだが、それもそのはず、意識を消滅させる根本の動機である生命主義社会への違和感とか、生きづらさにたいするトァンの独白はばっさりカットされている。劇場版で意識を消滅させるのは、単純明快に「ヤツらに管理されない」という〈次世代~〉の老人たちへの反逆である。シュタウフェンベルクはその手先なのでもちろん同情の余地はないし『働きマン』の上司よろしく最後の最後で態度を変えてトァンをねぎらったりもしない。というわけで、根本的に意識を失いたくはないわけである。しかし〈次世代~〉の老人たちの管理支配体制を脱するために意識は消滅させなければならなくて、トァンが「でもミァハは、私が好きだったミァハのままでいて。愛してる、ミァハ」といってミァハを射殺するわけである。なので、『Ghost of smile』の歌詞も惜別を唄うものとなっている。死んで悲しむくらいなら殺すまえに意識を失っても生きていたいかどうか確認くらいしたらとツッコむのは無粋である。
では劇場版『ハーモニー』は原作とはちがうはなしなのかといわれたらそのとおりである。とはいえマーケティングを考えれば当然で、J・G・バラードにならった個人の精神世界がそのまま世界に直結する内宇宙(インナー・スペース)の物語でも、ノイタミナをみている女子大生に「生きづらいから全人類の意識を消滅させる」といったら、「ナイーヴすぎる」とか「周りがみえてない」とか「『ガキ使』をみれば意識が必要だってわかるよ」とかいわれて終わりである。もし「テクノロジーと情報過剰の帰結として自動車事故でセックスを疑似体験する」などといおうものなら、「なにそれ。キモ」といわれるのがオチである。
それでは劇場版『ハーモニー』が原作への理解にもとづいて制作される可能性はなかったのか。たとえばタルコフスキー監督である。リリシズムと内宇宙(インナー・スペース)への理解があり、ついでに日本通のタルコフスキーなら『ハーモニー』を完璧に映画化してくれるにちがいない。タルコフスキーなら映画を『007』さながらのニジェールのドンパチではじめたりはしないだろう。学生時代のトァンが自宅でふつうに起居するところからはじめて日常生活をしばらく撮影するにちがいない。そしてトァンと出会うシーンになるが、だいたいこんなカットのはずだ。
①ベンチに座るミァハ(遠い)
②トァンの後ろ姿
① ② ③
そこでミァハとの会話がはじまる。途中からキアンもくわわるが、ともあれえんえん一時間くらいずっと会話がつづく。そこでようやく十三年後になりキアンが自殺する。トァンも政府高官だとわかるだけで詳しい説明はないだろう。物語が淡々と進んでコーカサスに登攀し、なんか濛々たる霧に覆われて半分くらいみえなくなっているバンカーにはいる。もちろん内部は水浸しだ。ミァハとトァンの対話がはじまるが、水中に没している十字架を写すカットが意味深に挿入され、「ちょっと待ってくれ」といいたくなるが映画はとまらない。ミァハとトァンの対話がまた長い。そして最後で唐突にトァンがミァハを射殺し、瀕死のミァハをずるずると屋外まで引きずっていって、だんだん白霧が濃くなってゆきホワイトアウトする。ショットが替わり、チェチェンの広大な大地を少女が遠景に去ってゆくところを長々と写し、クレジットが表示される。BGMに思いっきりヘンデルの「メサイヤ」が流れ、オタクたちが「やっぱり宗教モチーフで全人類のハーモニクスが『最後の審判』に読み替えられてたじゃねえか!」といきりたつが当のタルコフスキーは原作者と同じく夭折していてこの世にいない。いたらいたでコーカサス山脈に撮影に都合のいい海や湖がないからブチ切れそうだ。というかミァハたちの会話がえんえんと一時間もつづく劇場版『ハーモニー』なんてどう考えてもつまらないし、正直なところ①②③とか書きはじめたあたりからどうでもよくなっていた。劇場版『ハーモニー』はあれはあれでいいと思う。
今やアニメのOP・ED曲やBGMを手がけ、声優にも曲を提供するようになった作曲家Mが
もともとPCゲームの音楽を手がけていたことはそんなに知られていない。
そのMのwikipediaのページは以前見た時はキャリアがPCゲームの音楽から始まっていることや
担当したエロゲ・ギャルゲー作品の一覧がファンの手によって詳細に紹介されていた。
最近、CMでMの名前を見かけた。学生時代にエロゲにハマっていた自分を思い出して懐かしいな、
なんて思いながら久しぶりにwikipediaを読んだら作品一覧にエロゲのエの字もなかった。
名前こそ変わったものの以前は「○○名義で担当した作品」という項目があった。
ページの編集履歴を遡って行くとM名義で「今後は○○名義の作品は載せないで欲しい」とコメントがついていて
エロゲ・ギャルゲの部分がごっそり消されていた。その編集が行われた時期はちょうどMが
アニメの音楽を手掛けるようになった時期とかぶる。正直そこまでしてエロゲの曲を作っていた過去が露見
続きです
デカリボンちゃんはトランペット奏者です、当然同じパートである香織先輩と麗奈の技量については熟知しているでしょう
香織先輩はもちろんのこと、デカリボンちゃんが麗奈の個人練習を聴いている姿も作中で描かれています
デカリボンちゃんはある意味では滝先生以上に二人のソロを聴き比べ、その力の差について知っているのです
だからこそ、麗奈に対し当日の再オーディション前、教室において頭を下げ懇願したのです、わざと負けて欲しいと
しかしそれも失敗しました、もはや麗奈が本番直前に心変わりして手心を加えてくれる、そんな望みしかありません、が……おそらくそれも叶わないでしょう
つまりデカリボンちゃんは演奏が開始される前、最初から香織先輩が負けることは分かっていたのです、そして決めていました、その結果に関係なく香織先輩に拍手しようと
実際、滝先生に拍手を促された時すぐさま拍手をすることが出来たのはデカリボンちゃんと久美子だけでした
別に反射神経が良いとか決断力があったとかそういうことではありません、この二人はもう始まる前から決めていたんですね、演奏の内容や結果に関係なく誰に拍手するのかを
ここまで、演奏が終わりデカリボンちゃんが香織先輩に拍手をすることまでは、ある意味でデカリボンちゃんの想像していた通りでした
しかし、その後、滝先生の問いと香織先輩のそれに対する答え、そしてそれを見たデカリボンちゃんが襲われた感情の波は、想像していたものとはおそらく違ったのでしょう
香織先輩の方が上手いと思っていたのに麗奈の方が上手かった、その驚きからでしょうか、それとも香織先輩に気を遣ったから?
そもそも騒動の原因って何だったのでしょう、部員たちは本当に香織先輩の方がソロにふさわしいと思っていたのでしょうか
もちろん原因の一端は間違いなくデカリボンちゃんの言動にあります、あれがなければこんな騒動自体がなかったかもしれません
しかし、振り返って騒動の最中、部員たちが口々に言っていることを聞いてみると、それは多くが滝先生への不満であることが分かります
つまりどういうことか、結局、この騒動の本当の原因は滝先生の実力制オーディションというやり方への不満であり、それがあることをきっかけに噴出したものでしかないんですね
4月、部員たちは滝先生に今後の北宇治高校吹奏楽部の目標を問われた時、全国を目指すことを約束し、ある種強制的にではありますがそのために努力してきました
久美子はこのやり方に対して大人はずるいよと言っていましたが、サンフェスの成功を経て部内の空気は大きく変わります
オーディションの開催を告げされた時、多くの部員はその決定に反感を抱いたように見えました
しかし部員たちにとって全国大会を目指すと約束してしまった以上、実力制オーディションに反対することは自分たちの言動に矛盾を生みます
オーディション自体は全国大会を目指すという目標のためには明らかに必要なことですから、それを盾にされると言い返すことは出来ないのです
更に、4月のあの頃、まだ滝先生のやり方に異を唱えていた部員も多かったあの頃とは、もはや流れ、部の空気が変わってしまいました
約束を人質に取られ、空気もそれを許さない、これでは誰もオーディションに反対など出来ません
ここに降って湧いたのが先生が麗奈を贔屓したのではないかという疑惑でした
つまり部員たちは疑惑それ自体よりも、そもそもオーディション自体に反対だったのですね
この事に部員達が自覚的だったかは人それぞれでしょう、しかし自覚的かどうかに関わらず、部員達は自らの不満をソロオーディションへの不服という形でしか表明することが出来ないのです
「オーディション自体が麗奈のためだったらしいよ」という生徒がいますが、まさにその気持ちをよく表しています、そもそも実力制のオーディション自体が間違いだったと言っているんですね
彼ら彼女らは部活動の方針の急速な変化、とりわけ上級生をも容赦なく落とすオーディションなどというものへの不満をここぞとばかりに爆発させているだけなのです
極端なことを言ってしまえば誰も香織先輩の方が上手いとは言っていないのです
だからこそ再オーディションにおいて目の前で香織先輩と麗奈の実力差を見せつけられた時、多くの部員は拍手をすることができなかったのです
香織先輩の演奏が文句無しに上手ければ、麗奈より優れていれば何の問題もなかったでしょう、しかし現実はそうではありませんでした
あの場面で、より劣った香織先輩に拍手すること、それはつまり実力制オーディションを否定することであり、滝先生に問われ約束した全国大会を目指すという決意自体を否定することになります
いくら影ではオーディションへの不満を言い募ろうと、あの場所で、部員全員の前で、さあどうするのかと問われればやはり反対など出来ないのです
しかしだからといって麗奈に拍手することも出来ません、集団の空気や流れというのは簡単に変わるものではないのですから
再オーディション開始前、麗奈は久美子に対し勝てば私は悪者になると言っていますが、まさにその通りあの時点で麗奈は悪者なのです
麗奈という女の子の言動を客観的に見てみると、先輩に向かって生意気な口を叩いたり、仲間を作らず一人浮いた存在であったりと余り好かれるような存在ではありません
もちろんキチンと謝るべきは謝り、その言動も悪意があったりするものではないので、好かれないながらも嫌われるという程のものでは無いのですが
あくまで部員たちの目線として見てみると麗奈に対して好意的になる要素は余りないことが分かります
物語を客観的に見ている視聴者は麗奈の方が香織先輩よりもトランペットの技術が優れていると知っているから?
それともオーディションにおいて滝先生は不正などしていないと知っているからでしょうか?
違いますよね
それは、あの麗奈の特別になりたいという想いを、久美子と一緒にあの甘酸っぱい告白を聞いてしまったからです
だから視聴者は麗奈に負けてほしくないと思うのです、久美子が麗奈のあの告白によって一瞬で心を奪われ麗奈に惚れてしまったように、視聴者もまたあの告白で麗奈に惚れてしまったんですね
そして久美子と視聴者にとって麗奈が特別であるように、デカリボンちゃんにとっても香織先輩が特別だったのです
再オーディション当日、選考開始前の準備時間、「私が負けたら嫌?」そう問いかける麗奈に対し久美子は言います
久美子「嫌だ……
いやだ!」
麗奈「どうして」
麗奈「そうね……」
久美子「麗奈は他の人とは違う、麗奈は誰とも違う。
人に流されちゃダメだよ、そんなのバカげてるでしょう」
――――「響け! ユーフォニアム」第11話
久美子の想いは理屈ではありません、部活のためでも、それどころか麗奈のためでもありません
麗奈に対し特別でいて欲しい、自分では出来ない、だからこそ麗奈にそうであって欲しい、そんな我儘な想いです
そしてデカリボンちゃん、彼女が香織先輩に抱く気持ちもまた、久美子のそれと同じものです
教室の窓際、デカリボンちゃんに対し「トランペットが好きなの」そう微笑み掛ける香織先輩
久美子がたった一言、一瞬の出来事で麗奈に心を奪われてしまったようにデカリボンちゃんもあの瞬間あの場所で香織先輩に心を奪われました
なぜ大会前の大事な時に滝先生へデカリボンちゃんはあんな事を言ったのか、香織先輩が望まないと分かっていながら、なぜあんな騒ぎを起こしたのか
全ては香織先輩に特別であって欲しい、香織先輩は特別でなくてはならない、その想いゆえのことなんですね
リボン「諦めないで……
香織先輩の……
香織先輩の夢は絶対に叶うべきなんです!
じゃなきゃ……」
――――「響け! ユーフォニアム」第10話
デカリボンちゃんが絶対に叶うべきだと言った香織先輩の夢、それが叶うことはありませんでした
香織先輩が自らの口でソロは麗奈が吹くべきだ、そう言ったあの瞬間、その夢は潰えたわけですが
あの時、実は香織先輩には違う選択肢、可能性もありました
もしくはただ沈黙を貫く、そして麗奈の気持ちを聞く、そういった可能性です
結果だけ見れば拍手の数は同数でした、多くの部員たちは投票するという権利を放棄し、結果を他人に委ねたのです、文句は言えないでしょう
なぜでしょうか、滝先生の言外の圧力に屈したから?それとも会場の、部員たちの空気を読んだからでしょうか?
人には自分が決めるではなく、空気の中でいつの間にか出来上がるそれぞれのラインがあります、キャラクターと言ってもいいかもしれません
ドラえもんのジャイアンは力持ちで気の強い男の子です、ジャイアンがのび太と喧嘩をしてもそこに驚きはないでしょう
一方のび太は、弱虫でいつもイジメられている男の子です、もしものび太がジャイアンに喧嘩を挑んだら、勝ち負けは関係ありません、そこには驚きが生まれます
人は、誰かの行動がその想定値を超えた時、心を揺さぶられ感動するのです、
ジャイアンに喧嘩を挑んだという事に驚くのではありません、のび太が喧嘩を挑んだという事に驚くのです
だからこそ香織先輩が再オーディションを望んだ時、香織先輩がそのラインを超えた時、多くの部員が驚き、それを見た人は心を揺さぶられました
再オーディションの日、副部長のあすかに対する想いを聞かれた香織先輩は部長に対しこう答えます
香織先輩「なんか、見透かされてるような気がするんだよね、
私が思ってることなんでも……
あすかが思っている私の一歩先を、本物の私が行きたい」
――――「響け! ユーフォニアム」第11話
香織先輩はあの時、「再オーディションを希望します」と言ったあの瞬間、確かに一歩先を行ったのです、それはあすかに対してでは無かったかもしれません
しかし、間違いなく多くの部員が思う香織先輩という人物の一歩先を歩いたのです
そしてだからこそ、香織先輩にはあの場面、滝先生にあなたが吹きますかと問われたあの時、あの場所で
今までの中世古香織であればしなかったかもしれない、部のためを想えばそんなことは言えないかもしれない
でも、あの時の香織先輩には、技術的には劣っていても私が吹きたい、吹かせてくださいという選択肢が、権利があったのです
あるいはデカリボンちゃんはそう言って欲しかったのかもしれません
もしくは麗奈なら、誰よりも特別になりたいと強く願う麗奈であったなら、そう言ったかもしれません
あの日、あの瞬間、香織先輩は決めたのです、人に言って決められるのではなく、空気によって決められるのでもなく
自分の判断によって、中世古香織という人間は、中世古香織のトランペットはここまでだと、他人にラインを引かせるのではなく、自分自身によってそこにラインを引いたのです
そして麗奈こそがふさわしいと、麗奈こそが吹くべきだと言い、優しく微笑みます、あの日、教室の窓際でデカリボンちゃんにそうしたように
デカリボンちゃんはそれを見て、香織先輩とはどんな人であったか、どれだけ優しい人であったかを思い出して泣くんですね
一歩先を行きたいと願った香織先輩の夢の終わり、そこにいたのはデカリボンちゃんの大好きないつもの優しい香織先輩でした
だからデカリボンちゃんはあふれる涙を止めることが出来ないのです
涙って悲しいときにだけ流れるものじゃないですよね、怒った時にも笑った時にも流れます
つまりそれが喜怒哀楽どんな気持ちであれ、その感情が大き過ぎて自分の中で抱えきれなかった時、必死に抑えようとしてもあふれ出てしまう時、それが涙となって瞳からこぼれ出していくのです
デカリボンちゃんを襲ったのは香織先輩の夢が叶わずに悔しいという気持ちであり、香織先輩の微笑みが思い出させてくれたあの時の胸の高鳴りであり
香織先輩の一歩先に行きたい願う高揚感であり、香織先輩のやさしさが与えてくれた安心感でした
そういったもの全てがデカリボンちゃんを襲い、満たしあふれたからデカリボンちゃんはあの時涙が止まらなかったのです
わんわんと声を上げ、ただこぼれ出る涙が止まるのを待つしかなかったのです
あそこまで泣くかと思うかもしれませんが、それは仕方のないことだったのですね
余談ですがこのシーンで流れているBGMはここまで劇中では1度しか使われていません
そして、2度目がこの香織先輩が滝先生の問いに答えデカリボンちゃんが涙する一連のシーンとなっています
曲のタイトルは「重なる心」です
この後、北宇治高校吹奏楽部は滝先生の指導のもと一つとなって全国大会という目標に向けて走っていきます
その熱量は騒動以前と比べても明らかに上がっており、まさに雨降って地固まるということわざの通りです
物語としては、やはり終盤なので主人公である久美子に焦点を絞り
これまでいつも受け身だった久美子が麗奈という存在に感化され初めて真正面からユーフォニアムという楽器に向き合い、「上手くなりたい」と心の底から願い必死に努力する
そんな久美子の成長が細やかな演出と美しいアニメーション作画で描かれており、ラストまでワンシーンワンカット目が離せない文句無しで面白い作品となっています
この空気に明確に逆らった人物として描かれているのは葵ちゃんです、彼女と久美子の姉は部活に精を出す久美子のアンチテーゼとして作中何度も登場します
逆に空気に流されやすい人物として描かれているのはポニテ先輩です、作中でも「私そういうのに弱くって」とチョコシェイクを飲みながら久美子に告げています
では主人公の久美子はどっちなのだろう、そんな視点で改めて久美子を眺めてみると
序盤、友人に流されて吹部や低音パートに入る部分は当然のこと、終盤、大会に向けて今までになく必死で練習する姿もある意味では部内や友人の空気に流されただけ、という風にも見えます
もちろんそれは上述したように久美子の成長でもありますし、空気にのせられること、みんなで一丸となって何かをすること、それが悪いという意味ではありません
しかし優柔不断な一面が久美子にはあるというのも事実であり、久美子自身もそれを自覚しています
葵ちゃんは「みんな傷つかないようにまとまっていく」と言いました、麗奈は「人の流れに抵抗してでも、特別になりたい」と言います
今の久美子にとって麗奈のように特別になるということはユーフォニアムをもっともっと上手くなるということです、それは北宇治高校吹奏楽部が目指す全国大会という目標に完全に合致します
しかし、もし久美子にも誰かとぶつかって傷付いてしまいそうなるという、優柔不断なままではいけない、人に流されるままではいられないという、そんな事態が来た時
久美子は特別になりたいという想いを貫くこと、そして集団の空気に逆らうことができるのでしょうか
1期ではそういった場面は殆ど描かれませんでした
しかし見方によっては美味しい部分をあえて残したとも表現できます
ですから続編となる2期ではそんな久美子の新しい活躍と成長の軌跡も見ることができるのではないかと、勝手ながら楽しみにしています
全体では同じ方向を向いているように見えても、その実、ひとりひとりの部員の想いは様々なのです
響けユーフォニアムは、思春期特有の友情とも恋愛ともいえない女の子同士の関係や甘酸っぱい男女の恋、そして部活に明け暮れる高校生の青春と色々なものが描かれています
しかし、その中でも吹奏楽部というモチーフを使ったからこそ描くことのできる、思春期の高校生達が作る空気感、そしてその空気に寄り添うひとりひとりの想い
正確にいうとアーマードコア3シリーズのラストレイヴンまでが好きで好きでたまらなかった。
(4系のfAまでは楽しめたが、正直V系を見る限り今後のアーマードコアには期待していない、残念だ)
学校での嫌なことも荒廃した大地やディストピアな未来で繰り広げられる、
退廃的でスケールが大きい、各々が自分の確固たる信念の元に戦い、
ある者は勝利を勝ち取り、ある者は力の前に無情にも敗れ、死んでいく…。
そしてそれを強く刻み付ける激しかったり、憂いを感じさせたり、静かな湖畔を思わせるような魅力的なテクノの数々。
傭兵という立場でありながら戦況を大きく左右するパワーを持つ主人公、
権力争いや陰謀、謎に巻き込まれながら様々な勢力を渡り歩き活躍し、解き明かしていく…。
毎度やってることは同じだが、登場人物に魅力が強く、今でも印象に残るキャラが多い。ここでは深くは語らないが…
1人でも作品に没頭しやすく楽しむことができたし、もちろん友達同士でも対戦して遊ぶことができた。
オンライン対戦なんて贅沢な環境が無かったときは小規模ながらもたまに開催される公式予選に出ては
上手い人のプレイをみて感心するばかりだった。
とにかく、アーマードコア旧作には沢山の思い出があった。
登場するキャラクターたちの声が聞こえるような気がした。
行ったことも無いようなレイヤードのことをゲームをしていないときも思い、浸った。
個人サイトのSSも見て回った、どんどん広がる自分の中のACの世界と夢が快感だった。
どうしようもなく、それでも抗い続けるような人間の生きざまとドラマがそこに感じられた。
けれど、今はもう、感じなくなった。
いや、感じていた心がなくなってしまった。そう思う。
あの時の興奮と
高揚感と
焦燥感と
力が漲る感覚は
二度と取り戻せない。きっと。
NEXT 未来のために「虐待の過去を越えて~児童養護施設 生い立ちと向き合う」
http://www4.nhk.or.jp/next-mirai/x/2015-11-11/21/893/2075030/
なんか見た。
番組名やテーマの仰々しさにかかわらず、施設住みの眼鏡非モテ系女子の就職・進学を悩みという、なんだかいい意味での普通のストーリーだった。
再婚した義理父が、食事もまともにあたえず、DVだったと10数秒話すだけ。
母親とは時々連絡をとっている。
進学に反対の母に対する愚痴をテーブルにつっぷしながら、職員の人に告げる。
カゲロウデイズ系な今風なイラストをしこしこ描いて、こっそり専門学校の説明会にいったりする。
「絵好きなんだね」と説明会にきているロマンスグレーなおっさんにいわれて、
へにゃへにゃした感じで「そうなんですよー」とか言ってる。
普通だ。
なんかみたことある、こんなの。
最初の学校での進路面談では、「やっぱ就職を」と言ったりして。
先生も「一年から就職したいって言ってたもんね」なんて返している。
でも、上述のようにこっそり絵の道いきたいとか思ったりしている。
奨学金あればいけるんじゃない、とか考えている。
ぽろっと「ネットにあげてみたり」とか「個性的な絵かくねって言われるんですよ」と言ったりして自我がぽろぽろこぼれてる。
なにこれ、なんか身近すぎて痛いんですけど。
これほんとに施設とか関係なしに、ただの同級生撮ってるだけじゃねえの。番組盛り上がるの??
雨の日だ。
カメラは職員の人と街中に消えてゆく背中を追いつつ、近くの濡れた植物のアップに移る。
あとはナレーションで、3時間話して、結局就職することになることを告げられるのみ。
10月。
夜の自転車。
へにゃへにゃ声で言う。
病院の介護職について、夜間でイラストの専門学校にいくという。
それ、結構大変だぞ。
特に18.19で。絵もそこそこうまいけど、ネットにあげているぐらいだから、爆発的才能、そんな自分でもないよな
とか思ってたりするわけで。
でも描いているときは、なんか自分の中のなにかが、ぐにゅぐにゅってできあがっていく感じがして。
どうなんだろ。アニメーターとかなるのかな。でもくっていけるのかな。
そんな風にみていた。
最後。
COOLMINTとロゴのはいったTシャツを着て(結構この格好のシーン多い)、3,4歳ぐらいのパジャマ姿の女の子を、ひゅーーって
感じで抱き上げて、くるくる回して、食事のテーブルにそっと下ろす。
番組的には就職の喜びの延長って編集だけど、ほんとのところはどうなんだろう。
でもそんな感じの演出。
抱きあげられた女の子はにやにやしている。
手をむりやりばんざいさせられてまだにやにやしている。
当の主人公の彼女は、別のテーブルで職員の男の子とおしゃべりしながら食事し始める。
ナレーションは、虐待受けたひとの救いなれば、と撮影受け容れた云々と語っている。
そんなおしゃべりにな夢中な彼女の背中に、さっきの幼女が後ろからぎゅうと抱きつく。
幼女の顔はやっぱりにやにやしている。
彼女は右手でごはんを食べながら、左手でそっとそんな女の子の背中に手をあてる。
顔をべったりくっつけて。10秒ほど女の子はじっとしたあと、そのままひょこひょこと離れて歩きだす。
例の彼女は、相変わらずおしゃべりに夢中で、なんか、ずっとそのまま箸をもって話つづける。
そこで自分は泣いた。
何度かエンドシーンだけ見なおした。
そっと下ろす彼女。
顔は一度だけそちらにむけたあとは。そっと左手だけ幼女にまわして話し続ける。
幼女、何事もないように去る。
おしゃべり中の彼女。
ああ、もうなんかね。
これが欲しかったんでしょ。NHK。半年以上取材してさ。カメラも一台でしょ。うろうろするわけだよ。
どう番組にしようとか思って。
そんでこれだよ。
なんだよこれ。
なんだよこれ。
なんだかなあ。これ。
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。
http://anond.hatelabo.jp/20151029235242
思った以上にたくさんの人に読んでもらって書いたかいがあった。
ペルエムフルと並んで、青鬼以後の過去遺産発掘期の定番だったな。やっぱり質高いし。
ただ、コンシューマーが2010/8に出ているので、実況バブルと連動した結果かどうかは謎なんだよな。
元から同人ゲでリメイクとかしてたし、影響はあったけどあんま関係ないんじゃないかな。どっちかというとひぐらしからのサスペンスホラー寄り同人ノベルゲバブルの影響が大きいんじゃね。
>1999ChristmasEve
ノベルと実況はなー。ふひきー(ボルゾイ企画)が頑張ってたけどなー。
ふひきーといえば、「TRUE REMEMBRANCE」がコンシューマー機で出たのは彼の実況の影響だが、今回はカドカワ中心ってことで省いた。
あと後半の思想開陳的にくっそ荒れると思う、今では。ふひきーの時もひどかった。
解説すると、グループSNEがネット連動して仕掛けた企画。読者の皆で小説の人物を助けて良い結末に導こうっていう、昔の読者参加企画をリアルタイムにしたようなあれ。
その中の「クソゲーを皆でプレイする」という部分を、実況グループ「いい大人達」に依頼して実況させたところ、クソゲーがまじクソゲーだったこともあって炎上。
何やってんだよグループSNE。
でも最後の生放送フィナーレで「実況依頼した意味がわかった」「いい終わりだった」みたいに賞賛されてたから、うまいこと終わったみたいだったよ。両方信者以外去ったのかもしれんけど。
まあ、流行りはしなかったけどな。
ちなみに俺は周辺を観察してただけなんで内容についてはしらん。動画の一作目は糞つまらんかった。
>ネット発や個人も裏で仕込んでる
この辺りの陰謀論って好きな人は好きだけど、この界隈に関しては多分考えてるようなことはない。
正確に言えばない訳ではないだろうけど、もっと扱い雑なんだよ。少なくとも緻密に計画して実行して成功しましたってことはない。
言ってしまえば、元ネタ(作者)・広告(実況者)を丸投げできて、うっかり流行したらラッキー的な。流行るもんなんて分かんねーよ。ほとんどの書籍化の元作品見てもらえば分かるけど、どう見ても商業の手が入ってるようには見えないから。
先に声かけといてうまくいったらおこぼれください(予算は特に出さない)、ぐらいのレベルだな。
最近だと獄都事変は作者にとってもカドカワにとっても青天の霹靂だっただろうな。実況前からTwitter周りでぽつぽつ熱のある騒がれ方してて「これ来るな」と観察してると、案の定キヨが見つけて一気にPixiv一万超え。これが最初から商業狙いとしたら、ふりーむに登録しただけで放っておくとかしないわ。
「キヨが実況したの書籍化するよねーv」みたいにファンがよく言ってるけど、確かにそういう火種を見つけるの奴は非常にうまいと思う(霧雨も似たような感じの流行りかた)。ふりーむのランキングで適当に見かけたのやるって感じではない。
もっとカジュアルでなあなあな感じの依頼ならあると思うよ。金のやり取りで陰謀、みたいでなく。
例えば実況者を公式に呼んだついでに「ちょっとフェスやマガジンのゲーム実況してくださいよー」「あ、いいっすよ」みたいなやりとりは普通にしてるんじゃないの。
ディズニーのフィニアスとファーブというアニメで、世界一周の途中で日本に立ち寄るシーンが出たんだが、何だか物凄い誤解を感じた。
日系人キャラの祖母に会いに東京に行ったら、中国風のBGMがかかり、ビル街の中に中国風の古風な建物が建っていて、その前にはこれまた中国風の笠をかぶり何か違う着物を着た肌の浅黒い老人が座っている、主人公達が訪ねると空手選手っぽい男性がドラを打ちならし、家からセーラー服を着た肌の浅黒い少女が多数飛び出してくる、少女達は黒目が顔の半分以上を占めるくらい異常に大きい萌え系の顔でみんな同じ顔だ。
ゲームっぽいピコピコ音楽にあわせて電子音っぽい歌声で歌い、ウマウマダンスを皆で踊る。
クリスマス(2017)だしもう別れたんでこっそり復活させとくわ
まさか三十路を越えた童貞の俺に恋人ができるなんて思わなかった。
インターネットでリア充を気取る輩どもも、非モテをこじらせてリア充をうらやむ芸風の輩どもも、俺は気にくわなかった。
だから、そういう話で場が盛り上がる度に「そんなことより聞いてくれよ、うちのオカンがさ!」と、だれも聞いていないオカンネタをツイートしてどうにか居場所を確保していた。
おかげでオカンは毎朝起きるとアルミホイルをシャクシャク噛みながら口笛でダイアルアップをしてインターネット株取引にいそしむ化け物になってしまった。この場を借りて深くお詫びしたい。
だが、インターネットでしずかにこじらせていた俺にも好意をむけてくれる奇特な女子が現れたのである。
快活でやさしくてユーモアと好奇心を兼ね備えた年下の才女であり、たいへんかわいらしい。性格カタログと化した往年のエロゲでもなかなかここまでストライクなものはないだろうという高級物件である。
もちろん、俺は三十路童貞よろしく魔法使いとしての矜持をたずさえ、しずかにはげしくこじらせていた。
これはもう確実に騙されているに違いない。
三十路超えの売れないふぁぼられないブクマもつかない顔も目と鼻と口と耳がワンセットついているだけでたいしたことはなく、悪いことに肉は最近落ちなくなってきたうらさびれたインターネット芸人崩れを好きになるわけがない。
そうだろ?
だから当然の帰結として、生身の人間に触れずにオッサンが考えた二次元の女子の一挙手一投足に日夜情欲を昂ぶらせていた自分であるがゆえに、生身の女子がくれる好意の質を勘違いしてとらえているのだろうと手前勝手に得心した。
さもなくば、その好意に乗せられて暴走する俺をどこかで観察してあざ笑っている集団がいるのだろうと考えた。
そういう面白い催しがあるのならば、どうせなら観察する側にいたいものだ。
三十路半ばで人生に対するそれなりのあきらめを身につけた俺は、半ば自嘲とともにイグアスの滝にノーロープで飛び込む芸人になったつもりで好意に乗った。
手もつながずにデートは終わった。中学生男子よろしくゆだった頭がその重要さに気づいたのはデートが終わった後だった。
好意を向けられた相手にデートに誘わせたあげくなにもしなかった俺に、相手は失望しただろう。したはずである。
なにもなかったということは、さすがにかけるコストとして俺が笑いものにされている可能性は低い。
というかそもそも俺は罠にかけて笑いものにされて面白いようなキャラクターではなかった。
こうして浮かれて血迷った頭が人に決断の時を誤認させるのだなあと深夜の公園で砂山に頭をうずめて泣いた。
ふがいなさが、自責の念となり俺を毎夜責め立てるようになった。釣り逃した魚は大きいのであるし、俺はこうしてこの失敗を人生における最大の失敗として二月に一度くらいの頻度で悪夢に見ながら死ぬまで一人であることを責められ続けるのだろうなと覚悟を決めた。
いい夢を見たのだと思って、宝石箱にしまって生きよう。そう思っていたらまたデートに誘われた。
あるデートの時、意を決して家に呼んだ。
向けられていた好意につきあってみたような気持ちでいたはずなのに、いつしか呼吸ができなくなっていた。
胸は本当に苦しくなるのだと知った。右室ブロックの気があるらしいです。ヤバい。
さすがにこの頃になると、お互いにお友達同士のおつきあいではなく異性として認識しているに違いない。
何度となく繰り返された三十路のくたびれたオッサンの咲きかけの恋と葛藤、不完全燃焼のデートの度に膨らんではしぼんでいるのである。
他人事としてみるとこんなに気色悪いものはないのだが、明らかに相手も俺のアタックを待っているのである。
恋に狂った本能はそうだと断じている。しかし、「騙されるな、社会性を失うな」とこじれた理性もまたささやくのである。
「貴様の薄汚い下半身由来の欲求がそういう自分に都合のいい思考を招いているのである。一緒に居て楽しい女子と二人でいられるだけで身に余る幸福だというのに、お前は自分からその幸福を靴で踏みにじろうとしているのだ」
と大脳皮質に棲む天使(メイド服)と悪魔(ブレザー)がドルビーサラウンドでささやく、最近二人の意見が食い違うことがなくなってきた。
いやいや、とはいっても、女の子家によんで、お茶とお菓子だけ飲んでおしゃべりだけして帰るわけないでしょ、平成何年だと思ってんの。
二一世紀に生まれた若造どもが青い性欲をもてあまして図書館トイレ駐輪場でよろしくやってるんですよ中学生じゃないんだからそんな――
――手も、つながずに、デートは終わった。
待ってください、みなさん。ウンコを投げないでください。座布団を持って行かないでください。
みなさんのおしかりはごもっともです、自分でも、こんなに恋愛に向いてないとは思わなかった。
ふがいない右手を切り落としたい衝動を押さえつけて、メールで謝罪文を打ち、その勢いでおつきあいをお願いした。
リンゴが地面に落ちるがごとくオッケーがでた。
客観的に見るとなんなのこのウブなネンネちゃんとしか思えないし、実際そうだ。
相手もここまでつきあってくれるというのは相当の変人か暇人だし、この際もうちょっと押していこう。
ここにきてようやっと足が動きはじめて恋人的な段階が進んでいくわけです。
話が長くなってきたんでノロケはこの辺にしまして、タイトルの伏線を回収したいと思います。
途中段階はとばしますけど初行為をするべくホテルに行ったわけです。
泡の出る風呂とか照明とかで遊んで、テレビをつけて、AVはやめようってんでNHKにしといたんですよ。
あとは存分にイチャイチャして、照明を落として、消毒剤の臭いがするシーツの上に彼女の身体を横たえて、服はうまく脱がせなかったけど、ブラのホックは一発で外せて。いざや鎌倉うちてしやまんって時テレビの音が耳に入るわけです。
非常に耳慣れたBGM。そう、俺はこのBGMをよく知っている……荘厳で重厚で、悲哀をたたえた力尽くで精神をゆさぶってくる力強い音楽……!
彼女の肌の色がまぶしくて目をつぶるだけで経験したはずもない二〇世紀中盤の白黒映像が走馬燈のように流れ去っていく……。
『映像の世紀』
この文字列見るだけであのテーマソング「巴里は燃えているか」が耳に蘇る方多いんじゃないでしょうか。
わかりますよチャンネル変えるとか、音量下げるとかすればいいんですよ。そんなことはわかってるんですよ。
でも壮大な音楽と、うすっぐらいナレーションをバックに慣れない愛撫とかしてるんですよ、背中にファスナー付いてないかとか、カメラがしかけられてるんじゃないかとか、この反応は演技ではないのか、とかそういうことを考えるのに三十路半ばおじさんは必死なんですよ!! チョビ髭の男が演説してる中、ゴムを付け替える俺の身にもなってくださいよ!! ていうか早くしないとこのままだとあのシーンになってしまうじゃないですか!! だが焦るほどになにもかもうまくいかない!! 東京が焦土に!!
なかばやけになってテーマソングのリズムに沿って腰を動かしてたら、新型爆弾が落ちました。
人間としていろいろ申し訳なくなります。この映像とBGMが強力すぎて、俺は今後彼女と肌を重ねる度に「巴里燃え」が自動的にかかる身体に改造されてしまったわけです。
ちょっとした背徳感は恋のエッセンスとかそいういうおためごかしをすっとばして不謹慎きわまりない初体験です。ヒンズー教徒だった前世の俺が牛肉でも食ったのかと言わんばかりの仕打ちに心折れつつも、焦土となった都市の映像に負けない励起状態を維持しようとしている俺に、彼女がようやく口をひらいてくれます。
そう! 俺はずっときみの一言を待っていたいまからでも遅くない助かった! このいまいましいテレビ消そう! 消そうと言ってくれ! この状況がちょっと面白いのはわかるが俺のチキンハートはもう耐えられないんだ!
枕元にあるリモコンをたぐってなんでもいいからチャンネルを変えてくれ――! はやく!
このままでは俺の爆弾が――――
「ん、――不発弾?」
イケませんでした!
(最後の部分をオチ補正のため追記しました、わかりにくくてすみません)
(まだわかりにくいですよ)
(オチがなくて無理やり付け足すからこういうことになるんですね、わかります)
(うるせ-!)
①アニクラいってナンパしてみろ
行ったら、客がいなくて、え?ってなった。
主催者のDJしかほぼいなくて、そいつらがかわるがわるDJやってるだけの、なんつーか、内輪のサークルだった。
ナンパしようにも、内輪ノリでやってるのに悪いなって思ったけど。コスプレしてるDJをナンパしてみた。だけど、「来てくれてありがとー」で終了
で、しばらく待ってると、勘違いした外人が入ってきて、そこにも突撃したが、チェスが趣味だっていう男と会話が進んで、俺もチェスやってんだぜーとチェス。
クラブのほうは、40代のおっさん達が魔人英雄伝ワタルとか流してて、それBGMにして、チェス。
コスプレしていけばよかったんだろうか?ただ、参加者いなさすぎだろwあと、明らかやばそうなタバコじゃない煙吸ってる奴いて怖かったわ。
②バーに池
知り合いの女に、どこのバーとか行くか聞いて、そこ行ってみたが、ひたすら男しかいねえじゃん。
くっそ怪しい精神理論を講習された。参加者も、いかにもな見た目のキモオタや人生終わったおじさん、まあ俺もそうなんだけど。
俺医者で、精神医学的な話が明らかにおかしいと思いつつも、聞いていた。
したら、高額のセミナーに1人1人あとで呼び出す形式だった。壷売りとかと同じじゃねーかw
流石に逃げた。
ツイッターで申し込んだ、ナンパ師の講習受けたときのほうがハルカによかった。
とりあえず、アスペ並みに行動だけはする。
教えてくれ、どうしたら俺は出会えるんだ?
次は、テニスレッスンと、外国語を教えあうランゲージエクスチェンジだかをやってみようと思う(友達がランゲージエクスチェンジで知り合った女を彼女にしていた)
彼とは付き合っていないけれど、セックスしなきゃ良かったなんて1mmも思っていない
あの狭い布団の上で24時間、確かに私たちはたった二人きりだった
外が暗くなろうが明るくなろうが遮光カーテンは何物も通さなかった
彼の伸びかけの髭も綺麗な頬も高い眉骨も香水とボディソープのにおいも、全部全部私の物だと思った
だっていくらそれに触れてもキスしても誰にも咎められなかったんだもん
このまま彼を齧って食べてしまって、その後私も死んじゃおうかなんて考えた
ただ、彼が無条件に優しい言葉をかけ、ふやけた顔で私を見つめ、
彼の隣には私がいなきゃダメなんだと思わされていたのは、隣に寝ていたあの24時間だけだった
その後ご飯を食べに行くと、彼はいつものように、私には一瞬たりとも触れていませんという涼しい顔で、私との距離を保っていた
一回寝ただけで恋人面するのは女の最大の悪癖だとよく聞くので、セックスし終わった後や隣を歩く時、なるべく他人の顔をして過ごした
相手によってはセックスってこんなに気持ち良い物なんだと知れた
それに彼が意外とノーマルで優しいセックスするし早漏気味だってことも分かった
あと、行為中の彼の顔がとんでもなく崩れてて驚いた
なんてポエミーな事を綴りましたが、3年ぶりのセックスでも全然いたくなくて、何より身体の相性バッチリで、今すぐにでももう3回くらいしたいなってことが言いたかっただけでした。
お前はきちっと落ちて来い!私のとこまで落ちて来い!
お前はきちっと落ちて来い!お城の周りをぐるぐる回ってこーい!
が2つあるので紹介するぜ!
まずは、花澤香菜『Blue Avenue』!!
こいつはたまげた!「ヘッドホン推奨」だとか銘打つだけはある!確かに音が良い!
そもそも花澤香菜さんの声質的に、音圧を上げればいいというような音楽ではないのだけれども!
このアルバムはニューヨークをテーマにしたアルバムで、いくつかの曲はニューヨークで録音(しかもウィル・リーとかスティーブ・ジョーダンとか参加してる)されているんだけど、
先行シングルはやくしまるえつこ提供曲だったりハウスミュージックだったりと微妙に音楽性がニューヨークっぽくなかった!
でも、このアルバムではそういった先行シングル曲まできちんと馴染んでいてニューヨークの大人な空気感が出ている!
シングルの時の音源からだいぶ音質が変わっている!アルバム用に音を作りなおしているのだ!そのこだわりよう、いいですね!!!
というか単純にポップスとしてこのアルバムレベル高すぎで、個人的に2010年代のベストに入るくらいの出来なんで、一聴の価値アリなんですよ!
マスタリングエンジニア:茅根裕司氏(Sony Music Studios Tokyo)
次が、『TVアニメ『アイカツ! 』オリジナルサウンドトラック アイカツ! の音楽!! 01』!!
これは意外性という部分もあってものすごいびっくりしたサントラだ!
アイカツの音楽を出しているレーベルはランティスで、オーディオ厨にとっては悪名高いところだ!というか音圧競争の元締め的なところだ!
なので普段のアイカツの曲もかなり音圧が強めで、落ち着いた曲でも結構刺激が強い音になっている。子供にあまりよくないね。曲自体はすごくいいのに。
……なんて歯がゆい思いをしてきたんだけれども、なぜかこのサントラだけはマスタリングエンジニアが普段と違う!!
2枚目以降のサントラはいつもの人でいつもの音になっているので、続けて聴いてみると音の傾向の違いが丸わかりだ!!
そして、なぜかこのいつもと違う人のマスタリングの質が異様に高いのか、音の良さが段違いなのである!!
なんだか音の広がりがすごい!立体感というか、奥行きがちゃんと出ているので感動してしまった!!
いやマジで、アニメサントラの中でもかなり上位に入るんじゃなかろうか。
ちなみに、MONACAサウンドのBGMは耳に馴染むので最近TVでもよく使われているのを耳にするぞ!!
以上だ!!ARIAのサントラも質が高いらしいが、残念ながらまだ聴けてないので除外だ!
他にも音がいいのがあったら教えてくれ!