はてなキーワード: 励起状態とは
酸素が重いから回転が遅い、というのは違うからね。酸素より重いランタンのほうが酸素より速いからね。回るのは原子核じゃなくて核スピンだからねホントはね。わかりにくいから原子核って書いたんだと思うけど一応ね。核スピンは、そうねぇ、小さな磁石だと思ってくれてもそんなに間違った理解ではないよ。
で、NMRの原理のところだけど、現代でラジオ波の吸収を使って調べることはほとんどないんじゃないかな。連続波(continuous wave; CW)法で検出にQメータ使っている人なんてほとんどいないでしょ。いまは(といってもだいぶ昔からだけど)パルス法が主流で、これは強く短いラジオ波パルスを照射することで広帯域の核スピンを励起して一度に信号を取るとても効率の良い方法だよ。
え、それって吸収を調べているんじゃね?って思うかもしれないけど、ちょっと違うのね。本質は、核スピンが集合してできた巨大な磁石(巨視的磁化とよんでます)なのね。この巨視的磁化はコイルの中に置かれています。
この巨視的磁化は超伝導磁石の作る強磁場の方向に通常は向いているんだけど、コイルによりラジオ波パルスを照射されるとパタンと倒れるのね。これが励起状態です。
で、励起されたらまた強磁場の方向に向こうとするんだけど、このとき元増田が書いてくれたように、置かれた環境や結合に依って違う回転スピードでぐるぐる回りながら戻っていくのね。
この回っている巨視的磁化の周りにはコイルがあって、コイルの中で磁石が動くとどうなるかというと、ファラデーの電磁誘導の法則ってのを覚えている人がいると思うんだけど、電圧が発生して電流が流れるのね。で、この誘導された電流は巨視的磁化の周波数の交流で、こいつを検出器で検出しているというわけ。
この巨視的磁化ってのが本質だと書いたけど、ホントのホントはスピンが揃っていること……コヒーレンスなのね。コヒーレンスって可干渉性とか訳されたりするけど、この時間的にも空間的にも揃っていて、しかもその持続時間が非常に長いことがNMRを他の測定法とは一線を画す面白い測定法にしているよ。
たとえば、炭素の巨視的磁化と水素の巨視的磁化が干渉して結合状態が分かったりするよ。あと、人間が作るラジオはパルスもかなり干渉性の高い電波で、このラジオ波パルスの打つタイミングや長さや強度や打つ方向を工夫すると、巨視的磁化を操ることができて、欲しい情報だけを引き出すことができたりするよ。こういう一連のパルスをパルスシーケンス(パルスプログラム)と呼んでいるんだけど、このパルスシーケンスを開発している人達もいるよ。ほんとにプログラムするようにできたりするよ。そのためには量子力学、特に密度行列の時間発展を計算できる必要があるよ。
あとは量子コンピューターにも使われようとしたこともあるよ。こともある、とか書くと怒られるかもだけど。IBMが核スピンを使って初めて量子コンピューターを実証したよ。でも今の主流ではないよ。
超伝導磁石に関しては、強い磁場を生み出すことも重要だけど、空間的・時間的に均一であることも重要だよ。NMRって特に溶液NMRだと10^-9の精度での磁場の均一性が求められるよ。時間で変動しても、場所で違っても信号がなまってしまって困るのね。
そうそう、超伝導は理学系が多くて、超電導は工学系が多く表記に使っているよ。どうでもいい豆知識だね。
で、いま世界最強の溶液NMRにも使える超伝導磁石(と電磁石のハイブリッド)はアメリカはフロリダ州タラハシーにある45 Tマグネットだよ(https://nationalmaglab.org/magnet-development/magnet-science-technology)。水素の共鳴周波数でいうと、ええと、1.9 GHzで、もはやラジオ波じゃなくてマイクロ波だね。
NMRの弱点は、感度がめちゃくちゃ悪いことだよ。質量分析とかタンパク質ちょびっとでいいけど、NMRだと必要量が桁で変わるよ。タンパク質とか作るのめっちゃ大変だから、そのへんはNMRの泣き所だよ。感度向上は古くて新しいNMRの研究テーマだよ。今はいろいろな方法があってね……(以下略)。
クリスマス(2017)だしもう別れたんでこっそり復活させとくわ
まさか三十路を越えた童貞の俺に恋人ができるなんて思わなかった。
インターネットでリア充を気取る輩どもも、非モテをこじらせてリア充をうらやむ芸風の輩どもも、俺は気にくわなかった。
だから、そういう話で場が盛り上がる度に「そんなことより聞いてくれよ、うちのオカンがさ!」と、だれも聞いていないオカンネタをツイートしてどうにか居場所を確保していた。
おかげでオカンは毎朝起きるとアルミホイルをシャクシャク噛みながら口笛でダイアルアップをしてインターネット株取引にいそしむ化け物になってしまった。この場を借りて深くお詫びしたい。
だが、インターネットでしずかにこじらせていた俺にも好意をむけてくれる奇特な女子が現れたのである。
快活でやさしくてユーモアと好奇心を兼ね備えた年下の才女であり、たいへんかわいらしい。性格カタログと化した往年のエロゲでもなかなかここまでストライクなものはないだろうという高級物件である。
もちろん、俺は三十路童貞よろしく魔法使いとしての矜持をたずさえ、しずかにはげしくこじらせていた。
これはもう確実に騙されているに違いない。
三十路超えの売れないふぁぼられないブクマもつかない顔も目と鼻と口と耳がワンセットついているだけでたいしたことはなく、悪いことに肉は最近落ちなくなってきたうらさびれたインターネット芸人崩れを好きになるわけがない。
そうだろ?
だから当然の帰結として、生身の人間に触れずにオッサンが考えた二次元の女子の一挙手一投足に日夜情欲を昂ぶらせていた自分であるがゆえに、生身の女子がくれる好意の質を勘違いしてとらえているのだろうと手前勝手に得心した。
さもなくば、その好意に乗せられて暴走する俺をどこかで観察してあざ笑っている集団がいるのだろうと考えた。
そういう面白い催しがあるのならば、どうせなら観察する側にいたいものだ。
三十路半ばで人生に対するそれなりのあきらめを身につけた俺は、半ば自嘲とともにイグアスの滝にノーロープで飛び込む芸人になったつもりで好意に乗った。
手もつながずにデートは終わった。中学生男子よろしくゆだった頭がその重要さに気づいたのはデートが終わった後だった。
好意を向けられた相手にデートに誘わせたあげくなにもしなかった俺に、相手は失望しただろう。したはずである。
なにもなかったということは、さすがにかけるコストとして俺が笑いものにされている可能性は低い。
というかそもそも俺は罠にかけて笑いものにされて面白いようなキャラクターではなかった。
こうして浮かれて血迷った頭が人に決断の時を誤認させるのだなあと深夜の公園で砂山に頭をうずめて泣いた。
ふがいなさが、自責の念となり俺を毎夜責め立てるようになった。釣り逃した魚は大きいのであるし、俺はこうしてこの失敗を人生における最大の失敗として二月に一度くらいの頻度で悪夢に見ながら死ぬまで一人であることを責められ続けるのだろうなと覚悟を決めた。
いい夢を見たのだと思って、宝石箱にしまって生きよう。そう思っていたらまたデートに誘われた。
あるデートの時、意を決して家に呼んだ。
向けられていた好意につきあってみたような気持ちでいたはずなのに、いつしか呼吸ができなくなっていた。
胸は本当に苦しくなるのだと知った。右室ブロックの気があるらしいです。ヤバい。
さすがにこの頃になると、お互いにお友達同士のおつきあいではなく異性として認識しているに違いない。
何度となく繰り返された三十路のくたびれたオッサンの咲きかけの恋と葛藤、不完全燃焼のデートの度に膨らんではしぼんでいるのである。
他人事としてみるとこんなに気色悪いものはないのだが、明らかに相手も俺のアタックを待っているのである。
恋に狂った本能はそうだと断じている。しかし、「騙されるな、社会性を失うな」とこじれた理性もまたささやくのである。
「貴様の薄汚い下半身由来の欲求がそういう自分に都合のいい思考を招いているのである。一緒に居て楽しい女子と二人でいられるだけで身に余る幸福だというのに、お前は自分からその幸福を靴で踏みにじろうとしているのだ」
と大脳皮質に棲む天使(メイド服)と悪魔(ブレザー)がドルビーサラウンドでささやく、最近二人の意見が食い違うことがなくなってきた。
いやいや、とはいっても、女の子家によんで、お茶とお菓子だけ飲んでおしゃべりだけして帰るわけないでしょ、平成何年だと思ってんの。
二一世紀に生まれた若造どもが青い性欲をもてあまして図書館トイレ駐輪場でよろしくやってるんですよ中学生じゃないんだからそんな――
――手も、つながずに、デートは終わった。
待ってください、みなさん。ウンコを投げないでください。座布団を持って行かないでください。
みなさんのおしかりはごもっともです、自分でも、こんなに恋愛に向いてないとは思わなかった。
ふがいない右手を切り落としたい衝動を押さえつけて、メールで謝罪文を打ち、その勢いでおつきあいをお願いした。
リンゴが地面に落ちるがごとくオッケーがでた。
客観的に見るとなんなのこのウブなネンネちゃんとしか思えないし、実際そうだ。
相手もここまでつきあってくれるというのは相当の変人か暇人だし、この際もうちょっと押していこう。
ここにきてようやっと足が動きはじめて恋人的な段階が進んでいくわけです。
話が長くなってきたんでノロケはこの辺にしまして、タイトルの伏線を回収したいと思います。
途中段階はとばしますけど初行為をするべくホテルに行ったわけです。
泡の出る風呂とか照明とかで遊んで、テレビをつけて、AVはやめようってんでNHKにしといたんですよ。
あとは存分にイチャイチャして、照明を落として、消毒剤の臭いがするシーツの上に彼女の身体を横たえて、服はうまく脱がせなかったけど、ブラのホックは一発で外せて。いざや鎌倉うちてしやまんって時テレビの音が耳に入るわけです。
非常に耳慣れたBGM。そう、俺はこのBGMをよく知っている……荘厳で重厚で、悲哀をたたえた力尽くで精神をゆさぶってくる力強い音楽……!
彼女の肌の色がまぶしくて目をつぶるだけで経験したはずもない二〇世紀中盤の白黒映像が走馬燈のように流れ去っていく……。
『映像の世紀』
この文字列見るだけであのテーマソング「巴里は燃えているか」が耳に蘇る方多いんじゃないでしょうか。
わかりますよチャンネル変えるとか、音量下げるとかすればいいんですよ。そんなことはわかってるんですよ。
でも壮大な音楽と、うすっぐらいナレーションをバックに慣れない愛撫とかしてるんですよ、背中にファスナー付いてないかとか、カメラがしかけられてるんじゃないかとか、この反応は演技ではないのか、とかそういうことを考えるのに三十路半ばおじさんは必死なんですよ!! チョビ髭の男が演説してる中、ゴムを付け替える俺の身にもなってくださいよ!! ていうか早くしないとこのままだとあのシーンになってしまうじゃないですか!! だが焦るほどになにもかもうまくいかない!! 東京が焦土に!!
なかばやけになってテーマソングのリズムに沿って腰を動かしてたら、新型爆弾が落ちました。
人間としていろいろ申し訳なくなります。この映像とBGMが強力すぎて、俺は今後彼女と肌を重ねる度に「巴里燃え」が自動的にかかる身体に改造されてしまったわけです。
ちょっとした背徳感は恋のエッセンスとかそいういうおためごかしをすっとばして不謹慎きわまりない初体験です。ヒンズー教徒だった前世の俺が牛肉でも食ったのかと言わんばかりの仕打ちに心折れつつも、焦土となった都市の映像に負けない励起状態を維持しようとしている俺に、彼女がようやく口をひらいてくれます。
そう! 俺はずっときみの一言を待っていたいまからでも遅くない助かった! このいまいましいテレビ消そう! 消そうと言ってくれ! この状況がちょっと面白いのはわかるが俺のチキンハートはもう耐えられないんだ!
枕元にあるリモコンをたぐってなんでもいいからチャンネルを変えてくれ――! はやく!
このままでは俺の爆弾が――――
「ん、――不発弾?」
イケませんでした!
(最後の部分をオチ補正のため追記しました、わかりにくくてすみません)
(まだわかりにくいですよ)
(オチがなくて無理やり付け足すからこういうことになるんですね、わかります)
(うるせ-!)