はてなキーワード: 関関同立とは
総合職の平均学歴でいうと大体早慶マーチ関関同立くらいだがたまに面接受けの良いポンコツが入社してくる
私の下に配属されたBさんは
・摂南大クラス卒
と学歴は平均より低いが、明るい印象のため配属時点では周りからのウケは良かった
しかし、配属されて徐々にボロが出る
①プライドが激高
・注意するとすぐひねくれる そして言うことを聞かない
業務上英語を使うことから能力不足を指摘すると、 「TOEIC「は」得意じゃないんです」と謎の保身
一向に改善されず同じことを何度も聞く
そして何度も同じ質問をすることを注意すると
あからさまに不機嫌になる
②能力(知能)不足
・AがあってBになりCが発生するという
・製品営業なので製品知識をつけることが求められるが、どれだけ経っても勉強せずに周りに聞いてばかり
・弊社の営業スタイルとしては極力一人で完結することが求められるが、Bさんは能力不足及びプライドが高いことも相まって客先の問い合わせに対して「これは営業の範疇を超えています!詳しい者を連れていきます!」と超々初歩的な内容にも関わらず頻繁に他者同行を求める
それを注意したところ、営業内でサポートを受けるのが難しくなったと判断したのか、クソ内容に他部署の技術者を上司の許可無しで連れて行こうとするなど、自分が恥をかかないためには色々と走り回っていた
本人は周りの慮りを知らずに有能感を醸し出していた
Bさんに対しても気の毒ではあるが、「やっぱりサッカー部はこすいし、マ◯ナビ学歴フィルターも妥当なんだね…」などと周りも愚痴をこぼし、Bさんの周囲からの評判は地に落ちる
(Bさんとあまり接点の無い人は、第一印象のイメージがあるため評判が良いことがあるのが癪に障るが…今回は置いておく)
最終的にはBさんをどうするかというところで上司も頭を抱えんでいた
ここで私は、Bさんのプライドの高さに寄り添い
行動(転職)を促すことを考えた
Bさんと二人になった際に、「色々と言われてるけど、そもそもこの会社の教育制度がどうかしてるよ… Bさんは良くやってるよね」と心にも思っていないことで褒める
この時のBさんのキラキラした目は忘れられない
そこから事あることに「Bさんは良くやってる!会社が無能!」と本人を洗脳していき、
Bさんも段々とモンスター社員化が強まる(一時的に負荷が高まる)
すっかり他責思考が身についているBさんに「この会社の社員、制度は無能!」と洗脳を続けたところで、
「Bさんにはこんな会社は勿体ない!他のところであ羽ばたくべき!」と転職を打診する
この時点でBさんとしても満更でもない様子
ここで私もBさんの同志として、転職エージェントへの登録をBさんの前で行う
こんな会社にい続けるやつは無能!とBさんの前で煽動し、同志も活動していることでBさんは動かざるを得なくなる
あとは端折るが、第一印象のいいBさんは無事に他の企業へ転職していった
こんな感じで他のBさんも辞めさせた
まあ私の場合は大抵の同僚には恵まれているので今は頭を悩ませていないが、
Bさんに遭遇してしまった時の参考までに
エホバ二世の俺から見れば、あの事件は当然の結果と思っている。
到底許されるテロではない事は勿論だが、この文章を読んでいる貴方もその原因になった一人だ。
なぜなら、あなた方はオウム真理教の頃に何もしなかったのだから。
裕福な家に生まれ、バスケ部に入り、関関同立の同志社大学にまで行っている。
当然だろ?
俺の親はそんな選択肢を俺に与えなかった。
事件後に声を上げた人々はどうだろう。
どいつもこいつも目立ってんのは大半が女だ。
これも正直言えば俺は気に食わない。
母親がカルトに染まって以来、俺は一切女性を信用できないからだ。
男はボヤキ書いちゃいけねぇみたいな空気出してるよなお前ら一般人様は。
彼ら彼女たちは今の世代の子供を救えという主張はわかる。頭では。
でも何ができるんだ?
それができるのは何年後だ?
この現状は何一つの淡い光にすらならない。
結局俺から見れば2023年8月16日時点では「大して何も変わってない」。
この恨みと憎しみだけは誰にもやらん。俺だけのものだ。
あの時お前たちは助けてくれなかったんだからな。
当然だろ?
だから慰めて欲しいとかそういうのではなく、本当にずっとできる人になったことがなかった。
幼稚園の運動会では走らず、見に来ていた祖母がおばあちゃん恥ずかしい!と母に小言を言ったらしい。
母は優しいので、この件でいまだに祖母に怒っているが、我ながらそりゃ恥ずかしいだろと思う。
私が髪を解かされるのを嫌がるのでそのまま私を登校させていた両親は、学校から虐待を疑われ面談を受けたことがあるとか
6年生までずっと仲良くしていた女の子は、2年生のとき私の100点のテストをビリビリに破いたことがあるとか(全く覚えていない、マジで)それが原因で、父は私がその女の子と仲良くするのを嫌がっていたとか、そういう人伝に聞いた話を覚えているくらい。どうでもいいことだが6年の最後の方でこれまた全く覚えていないがなんかしでかしてずっとその子にはハブられていた。それを見た別の子に一人で可哀想〜!と廊下で叫ばれ、あ、一人で可哀想なのかぁ…となんとなく思ったりした。
中学はギリギリ受かった私立中に入った。何をしでかしたかこれまた覚えていないが、私が入る予定の公立中の学区内で私は悪い意味でやばい人として有名になっていた(これは、ずっと仲良くしていた子から聞いたのと、知らない小学生に話しかけられたことで知った)ので、
なんとなく公立中に行きたくなかった、それだけでギリギリ受かってしまった。歴史の点だけで多分補欠合格を勝ち得てしまった。案の定中学ではみるみるうちに落ちこぼれ、拾ってもらった美術系の高校に滑り込んだ。しかしここでもまったく目が出ず、指定校推薦で関関同立に滑り込んだ。当然大学でもうまくいかず(個人的には楽しかった。1人でも楽しかったし、友達もできはしたから)就職も無理矢理決め、ギリ生きている
私もそう思う
今まで何かができなかったとき
ずっと
どうしてダメだったか、ではなくどうして私はこんなにダメなのかを先に考えるような
そういう生き方をしていた
そうすることで自分はできないんだから仕方がない、だって私は幼稚園の運動会ではしらなかったし、よその小学校でがいじってあだ名されてた女だ!諦めろ!と自分を鼓舞していた。
なんなんだ?これ
みっともなすぎるだろ
なんか、他の考え方をしたい
今日食べたものが美味しいとか、今日見たこれが面白かったが、私はなんてダメな人なんだに勝った日がずっと来ない。もうずっと待っているのにずっと来ない。待っているからダメなんだ、またダメだと思ってしまった。自分のことを可哀想だと思いすぎている。だから人とうまくいかない、分かっているのになぜ変わらないのだろう。
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
https://anond.hatelabo.jp/20230313205548
↑上記は4か月も前に書いた日記だが、今になって急に注目を浴びるとは驚きだ。
せっかくなので、追記という形で意見に対して返答などをしようと思う。
日記において、大学名を明示するか抽象的にするかを最後まで悩んだことは覚えている。立命館と明示しなければよかったと後悔しているが、今さら修正してももう遅いので元の日記はそのままにしておく。とはいえ、採用担当として人を判断する上で、出身大学は重要な要素(ファクター)ということをあまり理解していない人が多いのは意外だった。
営業成績や昇進に大学名が重要視されるわけではないが、やはり大学の偏差値とある程度の相関関係があることは否めない。Fラン私大卒でもバリバリ仕事をして出世をしている人はいるけれども、あくまでも特殊なケースだ。
弊社では低偏差値大学生は一次面接落ちが基本となる。特殊な学部の大学生で学生が偏差値よりも学びたいことを重視しているとか、特待生としてあえて低偏差値の大学に通ってるとか、実家が田舎にあって通える大学の偏差値がどうしても低くなるとか、理由があるなら二次面接に進めることができる。
普段東大レベルの人が応募に来ない会社だと落とすことあるよ。実際、人事部の人が今年は東大来たけど偉そうだったので落としたとか聞いたことあった。そんなことばらすような人事部の判断が正しいのかは分からない
本音を言うと、東大・京大は何もしなくても書類審査の時点で要注意大学だ。東大生・京大生がわざわざ弊社ごときを応募するには、大抵理由があるからだ。自己評価が低かったり、あるいはその逆に自己評価が高すぎるかだ。自己評価の低い人は会話能力に難があり、挙動不審な振る舞いから一次面接落ちになることがほとんどだ。逆に自己評価の高い人は勘違いしていることが多く、鶏口牛後の鶏口となることを望んでいるのだ。大企業なら出世をするのは時間がかかるけど、弊社程度のそこそこの規模の企業ならスピード出世して経営にもすぐに参画できるだろうと考えているのだ。もちろん弊社はJTCなので、そのようなことはできない。
偉そうな東大生を試しに採用したこともあったが、新人研修中は同期間でマウントを取ったり、配属後も軋轢があったり、取引先から苦情が来たりと、トラブルメーカーだった。幸いにも3年ほどで退社してくれて助かった。そいつは某大手広告代理店に転職できたと退職時に自ら風潮していて、最後まで憎たらしい奴だったと聞いている。
ちなみに、応募者の学歴としては、東大・京大以外の旧帝大、その他国立大学(公立大学レベルは非推奨)、早慶上智が理想である。しかしながらそうした人だけでは不足なので、現状としてはMARCHや関関同立にまで手を広げているという次第だ。
およそ会社の中で人事というのは最低最悪の部署であり、人の人生を左右できるという万能感でおかしくなった連中ばかり、と書いた通り https://b.hatena.ne.jp/entry/4690618210984357026/comment/WinterMute
他の企業のことはわからないが、弊社の人事部に人事権はほとんどない。新人研修を終えて配属が決まったら、あとは配属先で教育や人事評価がされるので、人事部が口出しできることはない。それどころか、使えない奴をよこすなとかクレームが来ることも多く、万能感を感じることからほど遠いところにある。
人事部がやることといったら、人が余ってるところと人が足りないところとで、人員配置を変える程度のことだ。それでも転勤元と転勤先の双方から板挟みにあって、気苦労が絶えないものだ。
ワイも人事だが、増田を擁護するつもりはないけど日本が大企業には社員を解雇することを基本的に許していない以上、優秀さよりもコミュ力とメンタル耐性を優先してしまうことは詮無いと思うよ
これには同意だ。
あくまで先輩社員からの伝聞だが、かつての弊社の採用面接は今でいう圧迫面接が横行していたらしい。それによって、臨機応変な対処能力だったりストレス耐性を見ていたとのことだ。許されるのなら圧迫面接をやりたいが、トンボ鉛筆みたいに悪評を受けることを考えると無難な面接をすることしかできず、結果として大学名で判断することになっている。
ごもっとも。採用面接に限らず、企業はいかにして排除されずに働けるか、という場所だと考えている。出る杭は打たれる、ということわざの通りだ。実際には、被雇用者の法的権利が必要以上に強くて簡単に排除できずに困ることが多いけれども。
演技がうまかったら使えるんちゃうん?
確かに私も初めはそう考えていたのだが、居酒屋という公の場所でも演技を貫き通せなかったので駄目だと上長は判断したので、私はなるほどと感心した。コロナ禍になってからめっきりなくなってしまったが、弊社では居酒屋は取引先との交渉の場になったりもするので、飲みニケーションを重視する弊社では居酒屋は公の場所とのことだ。
で、それを肯定してる日本人がめちゃくちゃいることにもっと衝撃受けた
彼らってアイビーに受かるアメリカ人がハイパー出来た人格で超人的な課外活動の実績あるとほんとに思ってんのかね
多くは実家クソ金持ちだったり、被差別階級可哀想だから入れたげる枠にあてはまってたりするだけやし、課外活動やエッセイは至って普通やぞ
あと多くのアイビーに関しては入学者の1割くらいはゴリッゴリのスポーツ推薦ね(州立アイビーとかになるともうどこのFランだよ状態)
ハーバードイエールプリンストンはさすがに違うけど、コロンビアやスタンフォード(アイビーちゃうけど)なんかは法政や明治や立教や青学や中央や関関同立のスポーツ推薦くらいの感じにサックサク受からせてる
ちなみにスタンフォードは野球で、コロンビアはバスケで、全米に1450校ほどある四年制大学のピラミッドにおいてトップオブトップ格に君臨している
多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)
この世代の人の就活のハガキが届いた企業で、合否を分けるバイトを大学の部活の先輩がやってた。
大学名と学部で指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。
東大・早慶と指定の国立、Marchや関関同立の一部で学部は理系はOK、文系は文学部や芸術学部いくつかはNG。性別では分けてなかった。
ハガキに名前と住所と学部大学と資料請求の言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。
観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。
高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。
最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留。
アルバイトは家庭教師と、短期バイトの事務所に登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。
就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビとマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。
自己PR欄でキャッチーな言葉と文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたことからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)
大手はダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。
面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点をマークしてたらしい。(面接で言われた)
二つくらい内定出た。
会社入れた。同期は早稲田、慶應、上智、MARCH、首都圏の国立大学、慶應行ってる弟が出身校リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校の同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。
入った会社はしばらく採用はなかったが、合併で経営母体の大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。
会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手に入社案内が来たと笑ってた。
仕事は入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東の僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。
昭和時代にできたものの保守。効率の悪いオペレーション。倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間。うんざりした。
何の役にも立たないグループ会社の健康保険医の面談。うんざりした。
地獄だった。
知っているか。睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理の血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。
一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。
まだ20代だったけど、大規模地震かSARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。
ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりから、グループ会社の結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。
つまるところ自社グループはおっさんが多いから、あてがう女が必要で女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス。
だから同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。
当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分でオーガナイズ出来るし会話も成り立つ。
この会社の自分のいるレイヤーのおっさん達は自炊も自分の服の身だしなみの管理も仕事の工程も機器の発注も何も管理できず英語も話せず
キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。
こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。
同期は鬱で会社を辞めた。
先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。
俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式に会社の人はこないでくれというのが遺族からの伝言だった。
リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。
そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで
(親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)
ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事をメンタルヘルスがボロボロになりながら働かされてた。
俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。
心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。
そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。
同級生も野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒の会社でそのまま働いている人がいない。
氷河期の頃の20代、フリーターや非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要なものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味に時間を持てて楽しそうだった。
週末も有給休暇も体調不良で消費していた自分の選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。
職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。
この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅で家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方を強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。
その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社の倒産や合併やリストラや色々煽りを喰らい転職を重ね
今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報系機器。肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要なものを全部払って息が出来る状態。
月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。
会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフの対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。
ここまでに生じた持病の通院の時間もちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。
いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。
もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。
この歳になると結婚にメリットも大してないから特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているか分からない。
そして今オフの時間は通信制の大学に入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学の勉強をやってる。
他の学部の法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学も勉強したい。
この後の望みは健康。20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。
とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。
ーー
就職できたからと言って労基法が全然今と違ったので地獄でしたという話。
事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。
本社の屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。
就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。
それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。
最初の会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。
あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。
36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。
就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。
転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。
少なくとも第二新卒のときは転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。
仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域のハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。
近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。
・発達障害
一番大切なポイント
診断済みやグレーゾーンでもアウト
もし、「なんか変だけどもしかして発達障害?」と感じたら迷わず逃げろ
・ブサイク
だが、それにも限度がある
美人は三日で飽きないし、ブスは三日で慣れない美人は性格いい女が多いし、ブサイクは性格悪い
・片親育ち
・歯並びが悪いのに矯正してない、箸の持ち方・食べ方が汚い
絶対ダメ、親からろくな教育を受けて着なかった証拠に他ならない
論外
・低学歴
大学全入学の時代において低学歴なのはやはり何かしら頭がおかしいことが多い
ただし、このレベルの大学もとんでもない馬鹿が多いので出来れば広島・岡山レベルの上位駅弁レベルにしておくこと
・頭が悪い
話してて頭悪いなと感じたら縁を切ること
・過度に年上と付き合う
多少なら問題ない
金目当てのパパ活女子か、家庭環境が悪くファザコンを拗らせている
発達障害か育ちが悪いのでアウト
・チビ
身長160㎝以上の女にすること
・過度に受け身・清楚
多少ならまだしもいきすぎている女は股が緩い
・趣味が人として終わってる
ジャニーズ、youtuberを多少好きになる程度なら問題ないが、多少入れ込む女はアウト
結婚してもそいつはお前を男ではなく推しに貢ぐための財布としか思ってくれない
腐女子の時点でブサイクか発達障害なので縁はないだろうが、その気が少しでもあれば絶対関わるな
似たような言葉に「イケメンは鑑賞用」「イケメンは苦手」などがある
これは「イケメンと不倫して、安牌なブサイクに育てさせる」という托卵宣言である
もし、それを実行できなくても内心や行動はそのような方向性になる
諦めろ
・ブランド好き、貢がせてくる
・媚びる、幼稚さ・弱さを売りにする
このご時世は自立した強い女と結婚すること
出来ればSNS自体してないのが望ましいがこのご時世には居ないだろう
・何故か分らないけど何となく嫌
Twitterで日々病みツイをする様子を見ていたから、素直に良かった、と思った。同時に、ずるい、羨ましいとも思ったけど。
現代は弱者に優しくなったと思う。パワハラセクハラ、鬱病ADHD、LGBTQ。平等の名のもとに、マイノリティーは保護される。みんな尊重すべき個性だから。
そういう“弱者”になってしまえたら、どんなに気持ちが楽だろうと思う。こんなこと言うと「当事者は苦しんでる」って言われるだろうけど、私だって苦しんでる。多分みんな苦しんでる。増税に次ぐ増税と、少子高齢化と、どこを見てもゴミなメディアと、変革の進む現実が辛い。
労働基準法を誤魔化しながら最低賃金で働いて、娯楽の溢れかえった令和の世でネットサーフィンして睡眠時間を溶かす。友人と会って、交友関係をキープ、重たすぎない愚痴を吐く。たまに実家に帰る。なにかするには体力が足りない。私は意識高くはなれない。
ここがド田舎だからそう思うのだろうか。田舎から出なかったのは私の意思だし、“普通”でありたいってのも私の意思だ。
だって、都会は物価がクソ高い。私は長女で下に兄弟が2人いる。あいつら、田舎のアホ私立高校に行ってアホ私立大学に行った。2人にかかってる金額と、自分の奨学金とか考えたら都会に出てやって行ける気がしなかった。それに、都会は青天井すぎる。田舎なら、国公立大学卒はまあまあそこそこだ。ここの人達は日東駒専とMARCHと関関同立と早慶の違いが分からない。私が都会に出たところで、結局ここと同じような生活をするなら、自分より成功したものが目に入らない方がいい。ここなら、私を過剰評価してくれるし。
その分、田舎ではやはり“普通”な方がいい。元気がいい方がいい。挨拶ができて、天気の話ができて、髪色は落ち着いていて、精神疾患がない方がいい。どこでもそうか。けど、田舎の方がそうだ。
言っとくけど現代の配慮は平等に入り込んできてるから、田舎だからといって価値観が昭和な訳じゃない。変な人がいるのはどこでも同じだ。けど、“普通”じゃないと体面が悪い。都会は個で生きていけるけど、田舎は仲がいい。近所だとか、子どもが同学年だったとか、パートアルバイトだとか、親戚だとか。その繋がりがずっと続くから、だから田舎は噂が広まるんだよ。そして、本人の知らないところで、デリカシーのない人が相談事の形で噂を広める。みんな、可哀想だねってそれだけだけど。
下の兄弟は2人とも不登校で、弟はアスペルガーだ。母親は2人の子育てに関して鬱の傾向が確実にあったし、父親はほとんど関与しなかった。私が中学の時にはもうそうなってた。自分がヤングケアラーだとは思わなかったし、今でも思ってない。けど、学校から帰って家事をした。高校も大学も公立に行って、扶養ギリギリでバイトして、自動車学校は学生ローンを組んだ。良い娘であろうとした。
その反面、弟はゲームの課金で何十万も使ったし(さすがに怒られていた)、妹は実家で暮らしてるのに母親とすら会話しないらしい。
時々、真っ当に生きるのが苦しくなる。でも、私が真っ当に、“普通”に生きないと母親の子育ては全部失敗だ。ダイバーシティだっけ、多様性が大事だから2人は失敗じゃないのかな?けど、2人とも自立して生きて行けてないからダメでしょ。
普通のレールに乗るのは大変だけど、世間は普通じゃない方を支援してる。“平等”になるように。
私の言ってることって、「女は泣けばいいよな」みたいな僻みと同レベルだって分かってる。けど、本当に辛い人となんちゃってみたいな人が混じっているのが許せない。私も明日から7歳を自認して、ピーマン食べるだけで褒められたい。
こんなに悩むなら、田舎には不必要な好奇心も、働くのに邪魔な豊かな感受性も要らなかった。まあ、いつか綺麗に削れて削ぎ落とせるんだろうけど。
自分語りだったけど、多分みんなもそうだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20230503084650
釣りにしては雑なので、本当の気持ちを書いているという前提でレスする。
この手の「僕は優等生です」アピールしかできないオタクが「オールドオタク」を名乗っているのを見るたびに悲しい気持ちになる。 「オタク生活で何も得られなくてオタクから逃げたくせに、オタク以外にアイデンティティと呼べるものがないから記憶を捏造するしかなかった負け犬がまた一匹」という感想しか持てない。こういう人間にだけはならないようにしたい。
「東大や京大生よりもMARCH~関関同立レベルの中途半端な学歴の人間の方が学歴にこだわる」というよくある話を思い出す。そういう人間の方が受験勉強の大切さを語ったり、勉強しないやつに説教をしたりするものだ。この増田も、オタクでいうところのMARCHぐらいの人間だったのだろう。「気づいたらオタクになっていた」タイプではなく、当時一生懸命オタクになろうとしたのだろう。まじめにコツコツコンテンツを消費して、細々と感想を書くような優等生的なオタクだったのは間違いない。しかし、オタクというのは優等生であること自体はたいして評価されない。頑張ってなお、この増田はオタクとしては何も価値を生み出せなくて大して評価されなかった。周りにもっと面白い奴がいたし、オタクとしてうまく友達を作れなかったりして埋もれてしまった。こういう人間はたいがい響凱のように加齢に従って「オタクであり続けること」がだんだんと苦痛になってくる。そして体力や時間や余力やらいろんな事情があってオタク活動からフェイドアウトした。しかも、自分の意思できっぱりやめたわけではなく、その他の現実に妥協・敗北して引退した。逃げるようにしてやめていったのだ。しかも、その挫折を受け入れるだけの根性もないヘタレだからすっぱりと諦めることもできずに亡霊としてネットを彷徨っている。
この増田は一人でコンテンツを楽しみきるような自我も持たずそれでいて馬鹿になって騒いで友達を作ることもできなかった。オタクとしての素質が低すぎた。結局オタク活動に多大なコストを払ったのに、自分にとって誇れるような輝かしい何かを得られなかった。オタクであることにこだわった時間が長かったのにオタクをやめて何者かになることもできなかった。何の成果も得られませんでした! オタクとしての敗北者!増田がこういうオタクライフを送ったことがありありと想像できる。かわいそう。増田はオタクとして不完全燃焼なままだからオタクとしての本当の楽しさを知らない。だからオタクという概念に対してネガティブなイメージを持っている。
この増田は、オタクとしての自分しか語ることがないのに、オタクとして語れることが大して何もない。オタクとしての人生にも不満が残っているが、それでもオタクであったこと以外自分の人生に何も残ってない。増田のような人間が40歳を越えだすとアイデンティティクライシスに陥る。典型的な負け犬だ。こういう「負け犬」が自分を守るために何をやるか。答えは一つ。「自分の記憶を捏造する」である。「自分は立派なオタクだった」ということにするのである。
しかし、増田は所詮オタク活動の中から何も得られなかったMARCHクラスのオタクだ。立派なオタクアピールしたくても優等生だったことだけが取り柄で、自分のオタク活動について何か他人に語れるようなことはない。オタク活動を続けているうちは何物にもなれなかった雑魚である以上、自分のオタク遍歴を語っても白けられるだけ。完全に詰んでいる。
と思いきや、負け犬オタクにとって唯一のチャンスが「TPOがわかること」「ポリコレ」だった。現役時代は何一つ評価ポイントにならなかった「優等生だったこと」それ自体を評価してくれるようなぬるい世界がネットにはある。作品の良しあしなんかわからなくても、TPOをわきまえているというだけでちやほやしてくれるアホの集団に迎合してしまうのだ。オタク時代どれだけ頑張っても評価されなかった負け犬君からしたら、オタクをDISるだけでほめてくれる世界は幸せそのものだろう。そうやって「反オタク」の世界に簡単に取り込まれるのだ。巡り合わせが悪ければ統一教会に取り込まれていただろう。そのくらい増田はチョロいし怠惰な人間なのだ。
こうして増田は堕落してしまう。「僕は優等生です」とアピールすることで、オタク外の人に評価されて、オタクに対してマウントを取ることで、現役時代はオタクとして何の評価もされなかった現実に復讐をしてすっきりしているのだ。オタクとして「優等生的な態度」「勤勉さ」をアピールすることは何の価値もないが、それしか語ることがないんだから仕方ない。オタク活動から喜びを得ることができず、オタク活動が苦痛だったからやめたにもかかわらずこの増田は誰よりも「オタクであること」をアイデンティティとしている。オタクとして評価されなかったことをずっと怨んでしょうもない復讐をして喜びを感じてしまうほどに。なんてダサいんだ。
私はこういう「自称オールドオタク」を見るたびに、北斗の拳の25巻に登場するコウケツという人物を思い出す。
フォッホホホ。もはやオタクの誇りだけで食える時代ではないのだ!
漢字で書くと「高潔」でまさにポリコレと相性がよさそうな名前だ。みなさんも、今後こういう人物を見かけたら、ポリコレと呼ばずにコウケツ様とお呼びすると良い。
元増田が「根拠なく他人を妄想でどれだけ人を傷つけることができるかを競うゲーム」を始めたので、それに応じてあげただけなのに、元増田応援してたやつがこっちだけ顔真っ赤にして「根拠がないだろ!」とか言い出すのを見ると「お前が始めたゲームだろ」って言いたくなるわけだが。もしかして殴り返されるの想定せずにこんな雑なルールで「根拠なく他人を妄想でどれだけ人を傷つけることができるかを競うゲーム」を始めたのか?
俺は正しくお前たちを鏡に映しただけなので、お前が殴ってるのは鏡に映ってるお前自身だぞ。そんなことにも気づかない間抜けなのか。元増田を馬鹿にしてたやつがこっちも馬鹿にするのはいいけど、こっちだけ批判してるやつ、さすがに鳥頭すぎって笑っちゃうんすよね。
見る人いるか知りませんが、書き残してネットの海に残しておきます
march文系(社会系学部) 、部活(文化系だけど)代表、バイト(集団塾を4年)
これが大前提です
正直ESや短時間の面接で能力やら人柄を判別するのは不可能です
そうなると当然、「記憶に残る」学生に注目が集まります(特に書類選考)
就活市場、というくらいですから、他者の商品(学生)と差別化を図って、生き残っていきましょう
「インターンってなんだよ」という方はリクルートに教えてもらってください
自分が参加してたのは短期のやつ(1dayとか)でしたが、夏・冬両方参加した会社から内定をもらいました
会社にもよりますが、早期選考に関わるのは冬だけ、でも冬インターンの選考で夏インターン参加者を優遇するよ、という制度があったりします
仮に制度が無くとも、インターンの担当部署はだいたい人事部ですし、参加することで社員の雰囲気もわかる(=クソみてえな会社かもわかる)ので、参加しない手はないかと思います
ちなみに長期インターンは参加してません(そもそも日系企業の多くは長期インターンやってない)
②今すぐにでもサークルに入れ
0から1は困難ですが、1を100に盛ることは容易なので、とりあえず入る、で、起こったエピソードを脚色してESを仕上げましょう
もちろん、バイトをガチった、長期インターンで成長した、ゼミに入った…などなどあれば無理しなくてもいいかと思います
ただ、バイトやらゼミやらって他の学生もしてるので、差別化って観点から見ると微妙な気もします
③高望みするな
一番重要かも
私自身、早慶以上がボリュームゾーンの会社の早期選考も何社か受けましたが、全てお祈られました(最終面接にもいけてないです)。K汽船、行きたかった…と今でも思っています
もちろん、一部の超人も中にはいるんでしょうが、素直に自分の学歴を受け入れて、現実的な戦略を採ったほうが、結果的にはうまくいくのではないでしょうか
就活は死ぬほど時間を食います。夢を追うことは素晴らしいとも思いますが、無理な会社にコストを割きすぎるのはやめましょう
ちなみにインターンに参加すると、その会社の学歴ボリュームゾーンがなんとなくわかります
海運3社、
三大重工のどっか
という感じでした
④で、結局成功の要因は?
「早く動いた」(3年の春には動いてた)、「差別化した」(部長としての経験を推しまくった)、「ある程度で妥協した」(まず手堅いとこから始めて、余力で挑戦した)