はてなキーワード: 運命とは
遅すぎた気付きをどうにかして死なせず活かしたい。
そういう気持ちをストレートに綴るなり物語に乗せるなりして、せめて他人に役立ててもらおうとする。
でも何かを大切に思う気持ちなんてものは、自分の身体と時間を使った体験を通じて自分の心から湧き出た時に初めて重みを持つ。
食べ物の好き嫌いやチャリの乗り方をいくら言葉に変換した所で、その感覚は他人に受け渡せないように。
結局同じ後悔を抱く者同士でシェアして、感傷に至る酔いを与えるだけなのかもしれない。
そもそも「気付き」ですらなく、どんな選択にも伴うような後悔を実感や納得で振り切れずに、遡及的な粗探しをしているに過ぎないのかもしれない。
何を選びどう転んでも満足のいかない、救いようもない運命だったなんて考えたくもない。そんな出来レースの負け試合ではなく、正しい道もあったのだと信じたい。自分が判断を誤っただけだと。
でも自分の気持ちをそっくりそのまま伝える事はできなくとも、同じ轍を踏ませないためのヒント程度にはなるのかもしれない。そうあって欲しいという祈りの言葉でもあるのかもしれない。
DV男に借金男と、クズ男を渡り歩きゴミ同然の扱いを受けるも、真面目なチー牛には見向きもしない模様
「典型的なDV男で、私はほぼ軟禁状態。自由に外に出ることもできず、ずっと家に閉じ込められていたんです」
そんな環境の中で、彼女の唯一の楽しみが「おっぱい活動」だったとか。
運命的な出会いの末、結婚に至った若い2人だが、お金の使い方や価値観の違いをめぐって2024年に離婚。
「彼から『お金を自由に使えないなら離婚しよう』と。私としては、離婚はしたくなかったのでびっくりでした」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ddd56756a9becd5a7755ff37e5fe95e56d03b09
やあ masuda,
masuda, それは本当に最悪だ, 自分の強さが消えるのを見るときと何も対策できなかった, 過去の時代のように。今は幸いにも異なる、「硬く」なる問題は、男性向けの現代医学ですぐに、快適に解決でき、過去のものとなる!
急いだ絶頂 によって 使用される薬 確実に予防される。だからついに またセクシャルライフ あなたを引き込むもの、常時 考える必要があることなく、また早く終わってしまう。
完全に不可能、それはそのためにまだこんなに支払わなければならないにもかかわらず、私たちのところではドイツ、スイス、オーストリアへの無料配送込みで、密かに郵便受けに、まだ安い?
2024年9月。日本は未曾有の政治的危機に直面していた。自民党総裁選を控え、二人の候補者が激しい対立を繰り広げていた。一人は保守的な政策で知られる高市早苗、もう一人は改革を訴える石破茂。どちらが勝利しても、日本は深刻な分裂に直面し、国の未来は不透明なものとなる。
そんな中、一人の男が静かに日本の運命を憂いていた。彼の名は小泉進次郎。かつての総理大臣である小泉純一郎の息子であり、表向きは政治家として知られていたが、その裏では天才的な科学者としても活動していた。進次郎は、この国を救うには、今の日本の構造そのものを変えるしかないと悟った。そして、そのために開発したのが、時間を遡って自らの人生をやり直し、歴史の分岐点を変える「タイムリープ装置」だった。
進次郎は決意を固め、タイムリープ装置を起動した。目的は、19XX年、まだ日本が現在のような政治的混迷に陥る前の時代に戻り、運命を修正すること。しかし、装置が稼働したその瞬間、予期せぬ事態が発生した。装置から発せられた謎の電磁波が進次郎に降り注ぎ、彼の知的能力を著しく低下させてしまった。
進次郎は19XX年に無事到着したものの、自らの思考力が著しく鈍化していることに気づいた。かつての天才的な発想力や分析力は失われ、まるで関東学院大学レベルの知能にまで退化してしまっていたのだ。頭の中は霧がかかったように鈍重で、計画を遂行するための戦略すら思いつかない。彼はこれからどうすればいいのか、自分でも分からなくなっていた。
それでも、進次郎は諦めなかった。知的能力が低下していても、持ち前のポジティブさと行動力で、何とか日本の未来を変えるための手がかりを探す決意をする。だが、彼が変えようとする未来は、予想をはるかに超える混沌とした運命へと突き進んでいく――。
第1章: 関東学院の知恵
進次郎は、まず手近な問題から取り掛かることにした。関東学院大学レベルにまで退化したとはいえ、彼にはまだ何かができるはずだと信じていた。
進次郎は、19XX年の見知らぬ街をさまよいながら、自分が何をすべきかを考えていた。だが、かつての天才的な頭脳はもはや頼りにならず、以前なら瞬時に答えを見つけ出せた複雑な問題も、今は霧がかったようにぼんやりとしていた。
「くそ…これじゃ何もできない…」
焦燥感が募るが、彼はふと、ある考えを思いつく。
「今の自分にできることは何だろう?…そうだ、まずは情報を集めないと!」
進次郎は知能が低下していても行動する力だけは残っていることを思い出し、少なくとも日本の現状とこの時代の政治的背景を再確認することに決めた。まずは当時の新聞や雑誌を手に入れるため、近くの本屋へと向かった。
本屋に入り、彼は棚に並んだ雑誌や新聞を手に取る。時代を変えられるはずの自分が、このままでは過去をただ歩く存在になってしまうかもしれない。だが、そんな不安を振り払うように、記事に目を通していくと、ふと見覚えのある名前が目に入った。
進次郎は父、小泉純一郎がかつて若手議員として初めて脚光を浴びた時期の記事を目にした。彼の時代を変える計画は、ここから始めるのが最も有効だと直感した。
「そうだ、まずは父さんに会おう。彼が信頼を寄せる人々に協力を求めれば、何とかなるかもしれない…」
しかし、進次郎はすぐに気づく。このままの知能では、父に信頼されるような議論もできないし、ましてや未来から来たことを説明することすらできない。今の彼には、自分の立場や知識の限界を超える何かが必要だった。
第2章: 逆転の発想
進次郎は悩んだ。どうすれば自分の知能を取り戻すことができるのか。それとも、この「関東学院大学レベル」の知能のまま、状況を打開する方法を見つけなければならないのか。
だが、進次郎には一つの強みが残っていた。それは、かつての彼が学んだ「ポピュリズム」の手法だった。どんなに知識がなくても、人々の心を動かすことができれば、変革は可能だ。父もまた、庶民の心を掴んで政治家としての道を切り開いてきた。進次郎は、今の自分にもその才能が少しは残っていることを信じ、まずは周囲の人々を味方につけることを考えた。
「自分一人で全てを解決しようとするから行き詰まるんだ。そうじゃない、みんなで日本を変えるんだ!」
関東学院大学時代の友人たちとの思い出を思い返しながら、進次郎は改めて決意を固めた。彼の力だけでは日本を救えなくとも、周囲を巻き込んでいけば、いずれ未来を変える手がかりが見つかるかもしれない。
第3章: 新たな仲間
その時、彼の目の前に現れたのは、かつての父の盟友であり、進次郎自身も尊敬していた人物、亀井静香だった。亀井は当時、改革派の代表的な存在であり、進次郎が今の状況で最も信頼できる存在の一人だった。
進次郎は亀井に接触し、少しずつ自分の目的を伝えようと試みたが、やはりまともな説明ができなかった。そこで、亀井に向かってこう言った。
「俺は…未来から来た。日本が破滅する運命を、何とか変えなければならないんだ。」
当然、亀井は信じない。しかし、進次郎の真剣さと焦りに満ちた目を見て、彼はその話を完全には否定しなかった。
「お前が何を言っているのか、正直よくわからん。だが、日本の未来を憂う気持ちは同じだ。何か手伝えることがあるなら、言ってみろ。」
こうして、進次郎は亀井の協力を得て、少しずつ過去の政治状況を変えていくための行動を始めた。だが、彼の知能が低下している以上、すべては計画通りに進むわけではない。新たな仲間を得たことで道が開けるかのように思えたが、思わぬ困難が次々と襲いかかる。
日本の運命を変えるため、進次郎はどこまでやれるのか。知的なハンディキャップを抱えながらも、彼は必死に未来を切り開こうと奮闘する。しかし、その過程で彼はさらなる驚愕の事実に直面することになる――。
それは突然のひらめきだった。バットを握る手が汗ばむ中、僕、大谷翔平は自らの夢に気づいた。
ピッチャーとバッターを両立する『二刀流』として、この大リーグで異例の活躍をしているが、まだ足りない。
僕が目指しているのは、もっと大きなもの。そう、野球そのものになることだ。
「翔平、また突拍子もないこと言ってるな」
チームメイトのマイクが苦笑いしながら肩を叩く。だが、僕は本気だ。
いくら優れたプレーヤーでも、ただの一選手では、野球の限界に挑むことはできない。野球そのものになれば、僕は無限のプレーができるはずだ。
「俺は、この世で最高の野球プレイヤーになるだけじゃ足りないんだ。俺が目指すのは、野球の精神そのものなんだ!」
マイクはさらに笑ったが、そんなことは気にしない。試合が始まる前に、僕はふとスタジアムの外を見上げた。そこには青空が広がり、太陽が眩しく照りつけている。その瞬間、何かが心に浮かんだ。
ある日、試合後にスタジアムを出た僕は、ひとり公園のベンチに座っていた。
いつもなら、試合の振り返りをしている時間だが、その日は何か違った。何か大きな存在に引き寄せられる感覚がしていた。
突然、目の前に不思議な老人が現れた。白髪でボロボロのユニフォームを着ている。
「え、どうして僕の名前を…?」
老人は微笑み、僕を見つめた。
「君の願い、聞こえたよ。野球そのものになりたいと…面白い願いだな。」
僕は驚いて立ち上がった。この老人、ただのファンではない。何か特別な力を持っているようだ。
「そうだ、俺は野球そのものになりたいんだ。どうしてもそうならなきゃいけないんだ!」
老人はうなずいた。そして彼は、古びた野球ボールを手渡してきた。
「このボールを握ることで、君は野球の神髄に近づけるかもしれない。でも気をつけなさい。
野球になるということは、全てを背負う覚悟が必要だ。喜びも、痛みも、歴史も、未来も。」
次の日、僕はそのボールを持ってグラウンドに立っていた。試合が始まる前に、ふとボールを握ってみると、驚くべきことが起こった。目の前が一瞬暗くなり、気がつくと僕はどこか異世界にいた。
そこは不思議な空間だった。スタジアムの中にいるはずなのに、何もない広大な草原のような場所に立っていた。
「ここは…どこだ?」
あの老人の声が響く。視界の中に、今までの偉大な野球選手たちが現れ、そして消えていく。
僕は彼らの背中を見つめながら、彼らが残してきたもの、そして僕が受け継いでいくものの重さを感じた。
「君が野球そのものになるためには、野球の魂と一体になる必要がある。過去のすべてのプレイヤーの想い、試合の歴史、ファンたちの期待、それをすべて引き受けることだ。」
僕はうなずいた。そして、強く決意した。
まるでボールを握った瞬間、すべての動作が完璧に調和していた。ピッチャーマウンドに立つと、投げる前からボールの軌道が鮮明に見える。バッターボックスに立てば、ピッチャーがどこに投げるかが自然とわかる。
「これが…野球になるということか…!」
試合が始まり、僕は誰も見たことがないプレーを見せ始めた。ピッチャーとしても打者としても完璧な成績を残し、まるで野球の神そのものが僕の体を通してプレーしているかのようだ。
チームメイトも、相手チームも、そして観客も、誰もが驚愕の表情を浮かべていた。
だが、その日の夜、僕は再び公園にいた。あの老人が現れた。
「君は野球の神髄に触れた。しかし、それを続けることは人間として難しいかもしれない。」
僕は黙って考えた。野球そのものになるという夢は、達成したように見える。しかし、僕は人間として、このまま野球と一体化し続けることに疑問を感じ始めた。
「野球でありながら、選手であることの狭間で生きる。それが真の挑戦だ。」
試合は続く。僕は以前と同じように、しかし新しい視点で野球をプレーしていた。野球そのものになるという夢を抱きながら、同時に一人のプレイヤーとして、チームメイトと共に歩むことを選んだ。
「野球そのものになるのは難しいかもしれない。でも、俺はこのフィールドで、野球を続ける限り、野球の魂と共にいる。」
そう、僕はもう一人の選手ではない。僕は野球と共に生きる、永遠のプレーヤーだ。
―完―
暇空茜(41)、堀口英利(26)と運命的な出会いを経て粘着するようになる
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国際情勢を題材にした渾身の作文を「書き手の頭の悪さがよくわかる」と堀口に品評され、誹謗中傷だとして訴えるも一審でも二審でも暇空敗訴
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係争中も負けを予感していたのか、他にも堀口に嫌がらせするためネタ探し
堀口は、学習院大学に通っていた時期に先輩に未成年飲酒を強要され学習院側にももみ消されたと先輩たちを実名で告発していた
暇空は先輩に接近し500万円ほどの費用と自分の弁護士の渥美陽子をプレゼント
先輩に名誉毀損で堀口を訴えさせ、そちらでようやく堀口を負かす
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暇空、仁藤や石丸など他の粘着対象にはそうでもないのに、堀口相手にはやたらと性的なネタを絡めて叩く
堀口の肛門に物を詰め込む妄想、堀口を裸にする妄想、堀口に半ズボン姿の写真を載せるよう要求、堀口がどんなセックスしているか様々なパターンを想像して小説風に書く、など
堀口はアルハラ先輩に裁判で負け、「告発文を削除するまで1日につき3万円支払え」と裁判所に命じられるが意地になって無視
最終的に神原元に抱きしめられて説得され消すが、けっこうな額の借金ができた
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暇空、更に私費を費やし、先輩に堀口への財産開示、動産執行などをさせる
ついでに堀口家の戸籍謄本も取らせ、堀口の祖父母の名前を知り歓喜する
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堀口の汗とにおいがしみついたマッサージ機とコンラッドベア(クマのぬいぐるみ)が動産執行でオークションに出される
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堀口アンチスレ大荒れ
アンチたちも堀口の私物がほしかったのに、関係者で売りに出される日付を知っているからと独占した暇空への愚痴と不満が渦巻く
暇空信者を兼ねている者も多いため暇空叩きはやめろと反論する者もおりレスバの嵐へ
なぜ美少女ゲーム趣味なのに国産のスキマ時間ポチゲーをやらずに、中国の推定累計開発費1000億円超えのPC/PSゲー(モバイル対応)をやるのかっtE?
それはゲーム自体の作りがよくてめちゃくちゃ楽しい自分史上最高のオンラインゲームだからだよ
どういうゲームかは例えばこの配信者が新キャラの探索テクニックやチーム編成を試行錯誤してる様子みると分かる
https://www.youtube.com/watch?v=LeFvTI1lBO8
ファンコミュニティも公式が後援してて先日はHoYoFairという年一のグローバルな二次創作イベントで優秀作が一挙に公開された
https://www.youtube.com/@hoyofair/videos
https://www.youtube.com/watch?v=rw0u9QK6cjg
もちろん公式がつくるムービーも常に想像を超える出来で更新頻度も高い
https://www.youtube.com/watch?v=1_wHgvZyZdk
https://www.youtube.com/watch?v=34jc0Y4bzT0
そして音楽が本気すぎる
水の国 https://www.youtube.com/watch?v=kRd1cW0_VMA
炎の国 https://www.youtube.com/watch?v=VN9ucWhXEm4
国に対する偏見がある人は中国発の良いモノを直視することができないのだとしたらあまりにも不憫だ
まあ正直布教する気では書いてない
知識ない状態でみて本当に凄さがすぐ分かることなんてないしね何でも
オーケストラに関してはゲーム理解ない音楽系の人でも凄みは分かると思うけど
既存プレイヤーの人は上に挙げたテイワット運動会3と、運命の糸って二次動画みてくれ
プレイアブルキャラではない登場人物をそこに生きていた人としてしっかり記憶に残る形で描けるゲームは間違いなく良作だ
国産スマホゲーばかりやってきた人たちはガチャで強キャラを引くことだけ考えてNPCの掘り下げを嫌がりなんならシナリオスキップしてまで石をかき集めようとする
まあシナリオスキップもリセマラも出来ない仕組みになってるんだけど
そういう狭窄な楽しみ方しかできなくなっていく国産スマホゲーは文化的じゃないし戻る気ないよ
2年以上続けた国産ゲーだとスクフェスグラブルデレマスSB69色々やってきたけどもう「なんたらフェス」とか言って確率上昇によってガチャ煽るゲームはやる気しない
2020年以後はDMMゲーの方を多くやってきたが、それを含めても国産スマホ/ブラウザゲーで一番感動させられたのは「ららマジ」「あいミス」の2トップだったが、運営能力という点で国産は軒並みダメ
00年代10年代に無数に触れてきた韓国ネトゲの数々と同等以下の運営センスしかない
韓国にはROのGravityやマビノギのdevCAT、エルソードのKOG、AIONのNCsoftのようにセンスのある開発運営があったけど
今日本で一番「デキる」のはCygames、あとシナリオ面ではWFSだが、俺はどこもゲーム的センスがいいとは思わない
まだ00年代の国産ネトゲがちょろっとあった時代の、MoEを作ったハドソンとかのほうがオンラインゲーム的にはセンスがあると思う
富士通社員「貧乏人、性格破綻者とか窃盗癖アリとか知的障害みたいな共同生活ムリな属性の率が有意にあがるんてわすわ。だから昔は地元が同じもの同士で助け合う形で、やらかしたら地元の親・親戚にケツモチさせる形でまわっておった。そういう保険なしだと共同生活はテイカーに有利すぎて破綻する運命よ」
犯罪スレスレの生活を強いられている彼らにとって、「マッチングによる結婚」は最後の頼みの綱となっていた。
これに参加しなければさらに社会の底辺に押し込まれるという暗黙の圧力が存在していた。
タケルはそのプレッシャーを感じながらも、特別な期待を抱くことなくこのマッチングに参加することを決めた。
参加しなければ仕事も人間関係もますます行き詰まり、どこにも居場所がないまま犯罪と失敗を繰り返すしかないという現実が目の前にあったからだ。
彼女もまた、家庭崩壊と経済的困窮の中で育ち、社会の隅に追いやられた一人であった。
ミサキは最初結婚には興味がなかったが、周囲の空気や、もはや他に選択肢がないという感覚に押され、タケルとの結婚を受け入れることにした。
二人は特別な感情もなく、ただ「お互いにこれしかない」と思い込んだまま、形式的な結婚を進めた。
この新たなマッチング制度のもとタケルとミサキのような家庭は次々と作られていった。
しかし実質的な支援や愛情が欠如しているままのこの結婚制度はかつてのカズキたちの時代と同様に、愛情や共感のある家族関係を築くことがほとんどなかった。
結婚することで「何かが変わる」という期待は、早々に裏切られる。
社会には形式的に結婚した夫婦が増え続け表面的には家族という形が保たれているが、その裏には感情的な空白が広がっていた。
貧困や孤立の中で結婚を強いられた若者たちは経済的にも感情的にも余裕がなく、ただ日々の生活をやり過ごすだけだった。
愛情や信頼を築く時間はなく育った環境そのままに、次世代にも同じ無感情と絶望が受け継がれていく。
タケルとミサキの間にもやがて子どもが生まれた。しかし、この子どもたちが育つ環境はさらに悪化していた。
タケルもミサキも仕事を見つけることはできず収入が少なくなる一方で、家族を支えることができない状況が続いていた。
子どもたちは物心がつく前から経済的困難にさらされ、親からの愛情や支援をほとんど受けることなく育っていった。
彼らが成長すると、学校にも通わなくなり、友達も作れず、社会との接点を失ったまま犯罪スレスレの生活に突入していった。
盗みや詐欺、闇市場での売買などに手を染めるが、時代はさらに厳しくすべてがうまくいくわけではなかった。
成功を期待して計画した犯罪がことごとく失敗し、追いつめられる彼ら。社会の底辺にいる多くの若者が同じ状況にあり、競争は激化し、成功はますます遠のいていった。
タケルとミサキの子どもたちのような人々が社会に溢れ、街には犯罪と失敗が日常の一部となっていた。
犯罪すらうまくいかず無力感と絶望感が蔓延している。この社会では、形式的な結婚によって新たな世代が生まれるたびに、さらに深刻な問題が積み重なり、底辺の層は広がる一方だった。
人々は次第に「結婚さえすれば未来が変わる」という幻想を捨て、ただ生き延びるために無感情な日常を繰り返すだけの存在となりつつあった。
家族という形があるにもかかわらず、誰もが孤独で、社会全体が崩壊の一歩手前にあるような不安定な状況が続いていた。
この未来の社会は、犯罪と失敗で溢れるだけでなく、希望のない結婚生活と無感情な人間関係が続き、次世代にわたって繰り返される運命にあった。
スラムは、かつて活気に満ちた都市の一角が朽ち果て、放置された区域だった。
ボロボロのアパートが密集し街のあちこちでゴミが風に舞い、人々は疲れ果てた顔をして道端に座り込んでいた。
タケルとミサキの子どもたちのような若者や、その親たちが溢れかえるこの街には、希望などかけらもない。
犯罪に手を染めるも失敗し日々の生活に追われる人々の間では、もう将来への期待を語る者はほとんどいなかった。
仕事もなく、金もなく、社会の中での居場所もない。彼らはただ、目の前の苦しみを紛らわせるために酒を飲み時には薬物に頼り、現実から逃避しようとするがその努力すら無駄に終わることが多かった。
政府の広告が流れ、きれいなスーツを着たアナウンサーが笑顔で語りかける。
「未来をつかみましょう。マッチングによる結婚が、あなたに新たな道を開くかもしれません。お互いを支え合い、明日をともに作るパートナーを見つけましょう。」
明るい音楽が背景に流れ、完璧な家族の笑顔がスクリーンに映し出されている。
この喧伝は、スラム街の人々にとって既に耳慣れたものだった。何度も聞かされ、何度も信じては裏切られた言葉。
「マッチングによる結婚」という響きは、もはや希望ではなく、虚無感を伴ったものでしかない。
彼らの多くがその制度に従い、形式的な結婚をしてきたが、待っていたのはさらなる絶望と貧困だった。
若者たちの視線がスクリーンに向けられるが、そこにはかつてのような期待はない。
結婚によって何も変わらなかった過去が、彼らの心に刻まれている。
タケルの子どもたちのように、犯罪すら成功しない無力感に押しつぶされている人々にとって、この広告はただの幻想でしかなかった。
それでも、別の選択肢が存在しないという現実が、彼らを再びその「希望」に誘い込む。
「結婚すれば、少しは楽になるんだろうか…」誰かがぼそっとつぶやいた。
しかし、その声には信じる気持ちは感じられない。ただ、何も変わらない日常をどうにかするために、また同じ道を歩むしかないという諦めだけがそこにあった。
スラム街は暗く沈み、スクリーンの光だけがその一角を照らしている。
夜9時、カズキが眠りについた後、家の中には静寂が訪れた。
しかし、その静けさの中で、リビングにはスマホの画面をタップする音が断続的に響いている。
夫はソファに横たわり、スマホを操作している。妻もまた、ダイニングテーブルの椅子に座り、同じようにスマホを凝視していた。
彼女の視線は画面の中のSNSに釘付けだ。友人たちの投稿やコメント、次々と流れる他人の生活に触れ、時間を忘れてスクロールし続ける。
母親として、妻としての役割を一旦棚に上げ、ただ画面の中で過ぎ去る時間に身を任せる。育児という責任はすでに頭の片隅に追いやられ、彼女は虚構の世界に浸る。
カズキが泣き声をあげても、彼女は反応が鈍い。夜中に子どもが寝室から小さな足音を立ててやってきたときも、彼女はスマホの画面から目を離さない。
父親は、ちらりと子どもを見ただけで、何も言わずにまた画面に目を戻す。結局、カズキは二人の間に挟まれ、静かにソファに座って彼らの顔を見上げたが、誰も何も声をかけることはなかった。
家族としての絆はもはや形骸化しており、親子の間には実際の対話や交流がほとんど存在しない。
ただ、スマホの明かりに照らされる無言の時間が過ぎていく。それはまるで、彼らが現実から逃げるために自ら作り出した、無感情な牢獄のようだった。
数年前、彼らが「マッチング」された日のことを思い出す。
政府主導の新たな社会政策が大々的に発表された時、孤立し、結婚を諦めていた弱者男性と女性が、一度に大量にマッチングされ、結婚を促進されるというプログラムだった。
そこには理想の未来が描かれ、少子化対策・経済的な安定・社会全体の調和を目指すという美辞麗句が並べられていた。
彼女はその時、仕事に追われ、将来の見通しに不安を抱いていた。
孤独な生活の中で、社会の期待や周囲からの無言のプレッシャーに押されるようにして、参加を決めた。
彼もまた、社会的に疎外され、職場での孤立感に耐えきれず、希望が薄れていく中でこのプログラムに乗り込んだ。
彼らが最初に出会ったのは、淡々としたマッチングイベントの会場だった。まるで品定めされるように、テーブル越しに数分間だけの会話を交わした。
しかし、そこでのやり取りは極めて表面的なものだった。互いに特別な印象を持つこともなく、ただ社会的な期待に応えるための形式的な時間が流れた。
彼女は彼に対して特別な魅力を感じることはなかったが、経済的な安定や社会的な孤立を避けるためには「結婚」が必要だという思いに駆られていた。
彼も同様に自分の未来に対する不安や孤立感から、この結婚が何かの救いになるかもしれないと考えていた。
彼らの結婚は、愛情や感情的なつながりを伴わないまま始まった。
結婚式は小規模なものだったが、それでも形式的に行われ、家族や親しい友人たちが集まった。
笑顔を作り、記念写真を撮り、社会的には「成功」と見なされた。しかし、二人の間にはほとんど会話がなく、結婚という大きな決断に対する感情も曖昧なままだった。
彼らは新婚生活を始めたものの感情的な絆は深まることなく、時間が経つごとにお互いの存在が重荷になっていった。
子どもが生まれることで何かが変わるかもしれないという淡い期待もあったが、実際には彼らの関係をさらに複雑にするだけだった。
子どもは彼らの生活に新たな責任をもたらしたもののその責任を共有する意識は希薄だった。
互いに育児の負担を押し付け合い、疲れ切った日々の中で、二人とも現実逃避にスマホの世界に没頭するようになっていった。
こうして、建前だけで作られた家族の絆は、日に日に薄れていった。
子どもが何を感じているのか、何を求めているのかに対して、二人は気づこうとしない。
育児という責任はあくまで「社会的な役割」であり、愛情を注ぐことはなく、ただ義務感だけが残っていた。
カズキは、そんな家庭の中で日々を過ごしながら、両親の愛情を感じることなく成長していく。
無言の時間と無関心の中で、彼の心の中に小さな孤独の種が静かに芽吹いていた。
カズキは5歳になり、ついに小さなランドセルを背負って学校に通い始めた。
彼が通う学校は、政府の弱者マッチング政策によって生まれた子どもたちが集まる場所でもあった。
同じように、家庭の中で愛情や関心を受けることなく育った子どもたちが大勢集まり、学校の教室には独特の空気が漂っていた。
教室は一見すると普通の小学校と変わらない。先生が黒板に向かい、子どもたちは机に座り、ランドセルを下ろして教科書を開く。
しかし、そこにあるのは静かな孤独の空気だった。クラスメートの多くは、家庭での愛情やケアを十分に受けておらず、どこか無感情で無表情。誰も他人と積極的に話すことはなく、ただ時間が過ぎるのを待っているような雰囲気が漂っている。
カズキもまた、その一人だった。教室の隅に座り、他の子どもたちとあまり目を合わせることなく、無表情で机に向かっている。
先生が何かを質問しても彼はただ小さくうなずくか、返事をすることなく視線を落とすだけだった。彼にとって学校もまた家と同じように、感情のない無機質な場所になっていた。
クラスメートたちも同様に、家庭での愛情を知らず、感情を抑圧されたまま育った子どもたちだった。
友達同士の会話はほとんどなく、遊び時間ですら誰かが楽しそうに笑うことはほとんどない。まるで、大勢の子どもたちがそれぞれの小さな殻に閉じこもっているかのようだ。
授業中、カズキは先生の話をぼんやりと聞いているが、心の中では何かが欠けていることを感じていた。
家では両親から十分な会話や接触を受けていないため、彼にとって他人との交流や信頼関係の築き方がわからない。クラスメートもまた、同じように孤独な存在であり、互いに心を開くことができないため、自然と静寂が教室を支配していた。
昼休みになっても、誰かと遊ぼうとする子は少ない。カズキは、ランドセルの中に入っているお弁当を一人で静かに食べる。誰も彼に話しかけず、彼もまた、誰かに声をかけることはない。彼の周りでは、他の子どもたちも同じように無言で食事をしている。カズキはその無表情な顔のまま、スプーンで一口ずつ弁当を口に運んでいく。
家でも学校でも、カズキは孤独を感じているが、それを言葉にすることはできない。
彼の心の中には常に空虚さがあり、何かが足りないという感覚が消えることはない。しかし、彼にはその感情を表現する手段がなく、ただそれを胸の奥に押し込めるだけだ。
学校で友達を作る方法も知らず家では両親と感情的なつながりがないまま育ったカズキにとって、周囲の世界はどこか冷たく、無意味に感じられることが多い。
クラスメートも同様に自分たちの孤独を抱えており、互いに心を開くことができない。
それは、家庭の中での愛情不足が原因となり、感情表現や信頼関係の築き方を学べなかった子どもたちに共通する問題だった。
放課後になると、カズキはランドセルを背負って黙って帰り道を歩く。
家に帰っても両親との交流は期待できず、ただまた同じ日々が繰り返されるだけだ。
彼の頭の中には、誰とも交わらない日々が続き、心の中にある小さな孤独の種が、静かに大きく育っていくのだった。
カズキの学校では彼のような子どもたちが多数を占めているため、クラス全体がどこか感情のない機械的な集団のように見える。
彼らは互いに関心を持つことなく、先生が指示するままに動き、誰も積極的に自分の意思を表現しようとはしない。
孤独感や無力感が漂う教室では、笑顔や楽しさ、友情といった感情が希薄で、日常は淡々と過ぎ去る。
カズキは15歳になり中学を卒業して高校に進学するか、あるいは早々に働きに出るかという選択を迫られる年齢に差し掛かっていた。
しかし彼の中には将来に対する明確なビジョンや目標はほとんどなく、家族との感情的な疎遠さや学校での無感情な日々が彼の意欲をすっかり失わせていた。
家庭環境も依然として冷え切ったままで、両親から進路についてのアドバイスや励ましがあるわけでもない。
父親は今も不定期な仕事を続け、母親も相変わらずパートの仕事を掛け持ちしている。
彼らの生活は経済的に安定しておらず毎月ギリギリの生活費でやりくりしている。
家族全体が経済的な困難に直面していることは、カズキにとっても避けられない現実だった。
カズキは学校での成績も特に優秀ではなく、勉強に対する興味を持つこともなかった。
周囲の同級生たちも同じように、家庭や社会からのサポートをほとんど受けることなく育ってきたため、将来について真剣に考える者は少なかった。
クラスのほとんどの生徒は、進学よりも早く働いて家計を助けることを選ぶか、非正規の仕事に流れていくのが現実だった。
カズキもその例外ではなく社会に出ることに対する不安と無関心が入り混じった状態だった。
彼の家族は彼がすぐに働きに出ることを期待していたが、それは経済的な理由からであって、カズキの将来を心配してのことではなかった。
両親は息子がどのような仕事に就くかに関心を示すことはなく、ただ「家計の足しになるならそれで良い」という態度だった。
カズキ自身も、将来の夢や目標がないまま、やがては自分も両親と同じように、不安定な職に就いて日々をやり過ごす未来をぼんやりと受け入れていた。彼の心には「どうせ自分は何も変えられない」という諦めの感情が根強く存在していた。
成長したカズキが社会に出たとき、彼が直面する最も大きな問題は、まさに経済的な不安定さだった。
彼は学校を卒業してすぐに安定した職に就くことができず、非正規雇用やアルバイトを転々とする生活が始まった。
日本全体では弱者男性や女性が社会の周縁に押しやられ、正規雇用に就くことが難しい状況が続いており、カズキもその波に飲み込まれていた。
カズキの収入は低く生活費を賄うのがやっとで、将来的な貯蓄や投資などは夢のまた夢だった。
家賃、光熱費、食費、そして時には両親からの経済的な支援を求められることもあり、彼の手元にはほとんど何も残らない。
彼の労働は、社会に必要とされるが正当に報われることのない単純作業が多く、心身の疲労が募る一方だった。
また、カズキは家族からも社会からも十分なサポートを受けることなく育ったため、将来に対する不安や経済的な問題に対処する力を持っていなかった。
彼は、経済的な問題だけでなく、感情的な孤独や自己肯定感の欠如にも苦しみ続け、ストレスが重なっていく。
カズキが直面するもう一つの大きな問題は、社会との断絶感だった。
彼は家庭でも学校でも十分な愛情や支援を受けられなかったため、人間関係の構築やコミュニケーションに対して強い抵抗感を抱いていた。
仕事でも職場の人間関係にうまく溶け込めず、孤立したまま日々を過ごしていた。
こうした孤立感はカズキにとって大きなストレスとなり、結果として職場でのモチベーションやパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていた。
彼は仕事に対する満足感を得られず、ただ生きるために働くという消極的な姿勢に陥っていた。
彼のような若者たちは社会全体に増え続けており、同じように家庭環境や経済的な困難、そして社会的なサポート不足に苦しんでいる。
多くの人々が非正規雇用に追いやられ、低賃金で働くことを余儀なくされ、将来に希望を見出すことができないまま、現実と戦い続けている。
カズキは、社会との断絶感に押しつぶされながらも、弱者男性と弱者女性のマッチング政策によって20代前半でユウコという女性と結婚した。
両者とも愛情や幸福を求めることなく、ただ社会の仕組みに従い自分たちの未来に対して諦めを抱いていた。
彼らの結婚生活は形式的で感情的なつながりは希薄で、ただ「結婚している」という事実だけが彼らを繋ぎ止めていた。
ユウコはカズキと同様に愛情のない家庭で育ち、社会との接点をほとんど持たない女性だった。
彼女もまた孤独を抱えたまま仕事に就き、カズキとともに経済的な不安を分かち合うことなくただそれぞれが生きるために必死で働いていた。
カズキは低賃金の非正規雇用に押し込まれ、ユウコもまたパートタイムの仕事を掛け持ちする日々。二人の間に交わされる会話は少なく、家の中には沈黙が漂っていた。
カズキとユウコの間に早くも子どもが生まれ、彼らはその子を「タケル」と名付けた。
しかしカズキ自身が経験した孤立や経済的困難は、さらに厳しい形でタケルに受け継がれることになった。
タケルは幼少期から十分な食事も満足な環境も与えられずに育った。
家には物が溢れ乱雑なままで整理されることはなく、学校では友達を作ることもできなかった。
カズキとユウコはどちらも仕事に追われタケルの世話をする時間がなく、彼は放任されるように育っていった。
タケルが中学を卒業する頃にはすでに家庭での居場所を見失い、社会からも完全に疎外された存在となっていた。
彼は学校を卒業しても就職先が見つからず、社会の隅に追いやられるようにして犯罪スレスレの生活に足を踏み入れていた。
タケルのような若者はこの時代には増え続けており、彼らは生き延びるために小さな詐欺や盗み闇市場での売買に手を染めていたが、それらすらもうまくいかないことが多かった。
タケルは盗みや詐欺を何度か試みたが、成功することはほとんどなかった。
彼が属する社会の底辺は同じような境遇の人々で溢れており、競争は激化していた。
彼が盗もうとした小さな金品はすでに別の誰かに奪われていたり、詐欺を試みる相手もまた騙され慣れていたりするためうまくいかず、むしろ危険にさらされることの方が多かった。
ある日、タケルは仲間とともにコンビニ強盗を計画したが、あっけなく警察に察知され失敗に終わる。
彼の仲間の一人は逮捕されタケル自身はかろうじて逃れたものの、失敗の連続で心身ともに疲れ果てていた。
彼は犯罪ですら成功しない自分の無力さに絶望し、社会の中で何の価値も持たない存在だと感じていた。
タケルのような若者は、もはや社会の一部を構成する主要な層となっていた。
経済的な困難や家庭崩壊、教育の欠如がもたらす無気力な若者たちが犯罪に手を染め、失敗を重ねながらもその場しのぎで生き延びていた。
街には、そうした「タケルたち」が溢れ、どこに行っても犯罪が起こりそうな張り詰めた空気が漂っているが、実際には成功する犯罪すら少ない。
仕事の機会は減り、低賃金の非正規雇用や闇市場での労働を強いられる若者たち。
犯罪に走るがすべてがうまくいかず、どんどん貧困の深みにはまり込んでいく。彼らは家庭でも社会でも愛情を受けることなく、常に孤独と無力感に苛まれながら、社会の底辺で苦しみ続けていた。
タケルはその典型的な一人であり彼もまた未来に希望を持てず、犯罪の失敗と絶望の中で、ただ何とかその日を生き延びるだけの生活を続ける。
カズキが直面した孤立感や経済的困難は、さらに悪化し、次世代にわたって連鎖的に続いていた。
タケルが20代に入った頃、彼が育った社会には新たな「弱者男性・弱者女性マッチング」の仕組みが再び広まっていた。
この制度は表面的には自由意志による選択として進められていたが、実際には経済的な不安や社会的な孤立に直面する多くの若者にとって、結婚を通じて「安定」を得る以外の選択肢がほとんど残されていなかった。
政府はこのマッチングを「未来への一歩」「パートナーと共に新たな人生を切り開くためのチャンス」として宣伝し、若者たちに積極的に参加を促した。
制度そのものは強制ではなく形式的には自由参加であったが、現実的には低賃金の非正規雇用や Permalink | 記事への反応(1) | 01:21
文章を書くこと自体はめんどくさくない。むしろ喜んでおこなう。
しかしおもしろい小説というものは、人間のリアルな気持ちが反映されたものだ。誰がどこでどう考えてどう行動し、だからこうなった、なるほどぉと読者が納得するものだ。
冷静に考えればわかるのだが、小説というのは大抵1人が書く。1人の作者が書くものなのに、複数人登場する。この複数人にはそれぞれバックグラウンドがあるわけだ。これは作者とは異なる。
作者と異なる背景の人間がさまざまなことを言うからにはそれぞれの歴史を考えなければならない。これがまあ非常にめんどくさいのである。一人ひとりの歴史はめんどくさい。
まず俺は、その人間がどういう学校を卒業したかなどの経歴や、どういう人間関係を持っているかを組み立てる。だから今こうなっている、というものに説得力を与えるためだ。
これがめちゃくちゃ苦痛。だってそれは俺じゃない。俺はその人物に全然興味がないわけ。誰だよ。俺はお前が死のうがどうでもいいわけ。でもむりやり考える。
むりやり考えて、そいつがどういうことに興味があるかを自分でシミュレーションする。重要なのだが、俺はその興味にも興味がない。興味がないが調べる。調べてなるほどぉと感じる。
そいつがどういうことに興味があるかだけでなく、どういうことに興味が無いかも調べる。
たとえば読書に興味がない人物は読書に興味がないときほとんど無視をする。読書に興味がない人間は読書で得られる知識を知ってはならない。もし知っているときは、別の連なりがある。そこは説得力を持たせなければならない。たとえば親から教えてもらったとか。その親は教育的だった。だがではなぜ親は教育的なのに子がそうなのか。親は死んだからだ。何歳のときに?親が死んだといっても全員がそうなるわけではないのになぜその人物はそうなのか。親が死んだときどう感じていたのか。そのとき友達はいたのか。今もその友達とは続いているのか。友達の容姿はどうなのか。家から何分ぐらいのところにコンビニがあるのか。徒歩で行くのか。歩く頻度はどのくらいか。普段食べるものは何か。好きなものは何か。どういった人物に好感を抱くか。視力はどのぐらいか。空は好きか、自然は好きか。ジャンクフードは食べるのか。
また、人間関係がどうなっていて誰にどういう感情を抱き、他人をどう捉えているかを考察する。
別の登場人物に対してだけではない。人間をどのように感じているかを考察するわけだ。脳が疲れる。
誰かが勝手に言ってきてそれを聞く分にはいいが、自分で無から産み出したくない。
俺としては、小説はある舞台があってその舞台上で俺が導く運命に沿ってキャラが動いていってほしい。勝手なことをしないでほしいし、おもしろく終わらせたい。
だが、感情を豊かにしてそういうふうに登場人物同士を対話させると話が勝手な方に進んでいく。おいおい余計なことすんなってと考える。だが登場人物には歴史があってそういう性格になっているので運命の方に進まない。
運命の方に進ませるために別の登場人物を作り上げたり殺したりする。殺すにも理由が必要なのだが。
これは「嘘」みたいなものだ。嘘をつくために別の嘘を作り上げる形。フィクションがリアルのように成立するためには別のフィクションが必要となるのだ。
我の強いキャラは自由に動き出す。神である俺が勝手に指示してもよいのだが、そうすると物語が単調になる。「そうはならんやろ」ということが増える。そうするとおもしろくない。
この設定はすごく大事なもので、絶対公開はしない。公開すると秘術がバレるからだ。その秘術は読者に考察させるに留める。
読者はいろいろ考える。実はこうなんじゃないかとかああなんじゃないかとか。当たっていることもあれば外れていることもある。大抵は外れている。
そういうもんだから、俺の書く登場人物は魅力がある。まるで生きている人間のようになる。当たり前だ。めっちゃ調べたり考察しているのだから。
だが、だが、だが、そのために死ぬほど労力をさく。いろいろ推理したりする。
なんでこんなことをしているのかわからなくなる。どうでもいいわけ。そんなことすんなよって思う。だってその登場人物は俺じゃない。俺はそういうふうに考えない。
登場人物たちは、俺がめちゃくちゃ嫌悪することも平気でしたりする。俺が興味あることに全然興味を持たなかったり、俺が興味ないことにとことん興味を持ったり。キモすぎる。
なんでそんなふうに考える?それっておかしいよねって思うことも、登場人物は意にも介さない。そんな登場人物の気持ちをずっと考えていると、登場人物を殺したくなる。
腹いせに登場人物を殺そうとするも、そうすると物語がめちゃくちゃになる。なんだこれ。いや俺はおもしろい物語を読みたいんだって。
殺すのも難しいからそれも腹ただしい。殺すために新しい登場人物を考える。だるい。めんどくさい。こんなことして何になる?
働いた方がマシだろ。そしてこんなことしても稼げないのか。ありえないな。
小説なんてやめてやる。
2010年代以降生まれのα世代(中2以下)は、ものごとを全部西暦で考える。
平成生まれでも前半の人々は、一応平成で言われてもなんとなくはわかるだろう。
いやまあ平成前半生まれでも難しいかもしれない。ただ難しいながらも、文句を言いながらも、一応わかろうとするだろう。
だが平成後半になればなるほど平成と言われてもほとんどわからない。わからないどころか、別に知ろうとしない。興味がないわけだ。
平成で考える機会が極端に少ない。平成であるメリットが皆無。α世代にとっては「平成」という時代は生まれる前の話だ。
平成14年、平成23年、平成29年、なんのことやらわからない。2002年、2011年、2017年なのだ。
19XX年というこの19がもう自分たちとは関係のない歴史的な時代である。α世代にとっては200X年こそが「生まれる前にあったらしいこと」である。
下手をすると「自分の生まれた年が平成何年か」がわからない。もう平成という言葉自体が古いのだ。
たとえば2010年生まれは小3のときに平成が終わった。「よくわからない平成とかいうものが終わって令和とかいうものになったらしい」というほど客観的な視点だ。
平成生まれにとっては「昭和かよ」が攻撃になっていた。だがもはやその昭和とか平成とかの時点でめちゃくちゃ古いのである。
「昭和かよ」と攻撃する行為自体に「何それ」という純粋な疑問を抱く。平成も昭和もひっくるめて "同じように" 単に絶望的なほど古いわけだ。
「令和生まれ」という感性も旧世代的である。α世代は西暦でしか考えない。昭和が何年あったかのみならず、平成が何年まであったかすら意識していない。
令和などももはやどうでもいい。「西暦で言え」と言えばいいし、相手が西暦で言わないなら興味ないわけだ。古すぎて関係を感じないから。
まずあなたたちもほぼ令和で考えないだろう。「いったい今は令和何年なんだ?」という現象が起きている。令和でものを考える人間はおそらく昭和生まれの一部だ。
ちなみに今は令和8年である。
昭和生まれ・平成初期生まれにとっては「平成」という言葉は最初の方は思い入れが深いものだろう。
だがα世代にとってはそうではない。元号はもはや他人事であり、自分とは無関係なものとして見えている。
おそらく元号というシステムは滅びるか、存続しながらも規模が縮小し伝統的なものとして残るだけのものになるだろう。
天皇の寿命にもよりそうだが、もしかすると令和は最後の元号になるかもしれない。もしくは旧世代の郷愁のために延命措置として、仮の元号が設定されるとか。
今のうちに祈っておく。
はてなの多くがディズニー嫌いなので宗教上の理由でSHOGUNをみれなくて空想で語っていると思うんだ。
まずこの話はフィクションなのでキャラクターは架空の人物である。
「このドラマは歴史的に正しいのであって政治的に正しいわけじゃない」というコメントがみられたが歴史的に全然正しくない。
秀吉の死後家康が大阪城に幽閉され、三浦按針を切り札にキリシタンの五大老の仲を切り崩す。
全員架空の名前ではあるが日本人なら細部描写からモデルとなった歴史上の人物が想像できるようになっている。
歴史がわかる人なら「ん?」となる話だがアメリカ人の原作なんだからしょうがない。
家康(ここでは虎永)は由緒正しき美濃原の血筋とか訳の分からん言説も出てくる。源氏のことだろうか?
ハンセン病のキリスト教に帰依した大老が登場するなど日本が舞台のファンタジー小説を読んでいるような気分だ。
話の筋としてはプロテスタントの按針がカトリックを蹴散らし関ヶ原の趨勢に影響を与えるというアングロサクソンが喜びそうなお話となっている。
劇中ポルトガル語を話している体のシーンは全て英語で話している。
これは展開重視だったり、配信の視聴成績を考慮してだろうがちょっと変ではある。
細部にこだわった日本人スタッフがどう感じたか気になるところだ。
当たり前のように英語で話し白人文化にそれほど興味がない本作はとても「ポリコレ的」であると言えなくもない。
そもそも原作は白人万歳な70年代の歴史風ファンタジーで日本描写が適当だったら大炎上した可能性さえある。
いわゆる白人酋長モノ(アバターなどがわかりやすい。未開人の破滅の運命を賢明な白人様が救うお話)で昨今ではわかりやすい差別的な表現と言われているが今作では白人も日本人も互いに野蛮と罵り合っていてバランスを取ろうとする試みが窺える。
ハリウッドで何か賞を受賞する場合マイノリティ要素が大きく影響するのは最近のトレンドであるが本作の場合日本描写が丁寧だった点が評価されたのは想像に難くない。
少々イジワルな言い方だがあなたの習った歴史では五大老五奉行に「大谷吉継」がいたのかな?
インパクト重視の人物配置をして異国情緒を意識した、日本を「異世界」として扱うファンタジー作品と評しているんだよ。
実在の大老前田利家は織田家臣からここまできて悲喜交々の物語があるが架空人物を置いたらもったいないじゃないか。
囚われの身→安針の活躍で脱出→地震で大ピンチ→また囚われの身…
都合の良すぎる展開も去ることながら日本版ゲースロと称されるだけあって無駄に三角関係作ったりノイズになる。
史実から引っ張ってきたエピソードと適当に作った話の混ぜこぜで歴史がわかる日本人には特殊な体験になったと思う。
それでもこの作品の魅力が足り得ているのは俳優陣の引き締まった所作と小道具やセットの作り込み、ロケーションの良さ、落ち着いたCGIの使い方などがあるためだと思う。
偏見にまみれた原作からこれだけの視聴体験をつむぎ出したのはハリウッドでのマイノリティにあたる日本人の描かれ方や起用に疑問を呈し、日本人役は日本人、日本語劇、日本スタッフによる文化監修の賜物。
将軍のポリコレがわからない人は自身を名誉白人だと思っているという評があったけれど国外に出ないでいたら差別的な扱いを受けた事がないので自分のことをマイノリティと認識できていないのかもしれない。
朝は忙しいし、時短命!と決めているので冷凍コロッケやエビフライをポンポンとをお弁当に詰め込んだ。まあ、雑に放り込む。
昼休み、時計の針が12時を指し、俺の腹時計も「そろそろだな」と知らせる頃。
俺はお弁当箱を開けた。温かいご飯に期待を膨らませ、レンジのないオフィスで冷めた弁当を食べるスリルさえ薬味として楽しもうとしていた。
冷てぇ……!
半分凍ったままのコロッケが、俺の歯に無情に突き刺さる。
まるで宇宙の彼方からやってきた冷気の使者が、俺のランチタイムを邪魔しに来たかのようだ。
そう、これは“たったひとつの冷めたやり方”によってもたらされた、運命の冷たさだ。
かじりついたエビフライは、まるでまだ宇宙船の冷凍庫で眠っているかのように、硬くて冷たい。
そして驚愕の事実。おかずの大半がまだ半解凍のままだ。これはいったいどうしたことか?
「ちょっとくらい温まるだろう」と甘く見ていた俺は、ランチの惨劇に直面していた。
昼休みという限られた時間で、この冷たさをどうやって克服するか?レンジはない。希望もない。ただ、冷たい現実がそこにあるだけだ。
しかし、俺は冷静に考える。
だが、その決意も虚しく、冷凍ミートボールに噛みつくたび、口の中は冷え冷えとし、まるで冷たい宇宙空間で孤独に漂っているかのような錯覚に陥る。
地方の高校を卒業してなんとなく地元の農業法人に就職するも、仕事がきつすぎて1週間で腰を壊して就業困難になり退職。その後数年間は実家に寄生し、申し訳程度の日雇いバイトをこなしてなんとなく生活を維持していた頃。東京に進学した仲の良い同級が成人したのを記念にささやかな同級会を開くというので、なけなしの貯金を叩いて東京に向かった。
初めての東京はゴミゴミしていて、人ごみをかき分けて進むだけで気分が悪くなりそうだった。日付の変わる前に同級会は解散し、俺はあてもなく新宿歌舞伎町をひとり歩いていた。その日の宿は決めてなかった。計画性がなく、なんとなくひとりで東京を歩いて感じてみたいと思ったのだ。
当時の歌舞伎町は路上で様々なキャッチが横行しており、風俗・キャバクラ、怪しげなバー、陽気に突然握手を求めてくるやたらとガタイのいい黒人。今となっては怖いし近寄る気持ちも起きないが、当時の俺には全てが新鮮だった。酒も入って陽気になっていたし、ひとりで大都会をしかも深夜に歩いているという田舎者特有の謎の高揚感もあった。次々と声をかけてくるキャッチに逐一応対し、世間話なんかもした。
「お兄さん、AV女優とヤりたくない?」とひとりの紳士が言う。
どんな娘がいるのか聞きただすと、様々な女優の名前を挙げ、ここだけの話売り出し中の◯倉まなちゃんも在籍しているのだとか。
親切で礼儀正しい紳士は、俺に3万円ポッキリでAV女優とヤれて、そのまま泊まって行ってもいいと言った。
俺はなかなか良い話だと思った。そう、俺は馬鹿だったのだ。そしてあまりに世間知らずで、童貞だった。
気前よく紳士にその場で3万円を渡し、程なく歩いた雑居ビルに案内され、どうみてもヤクザにしか見えない受付の男に場所代を請求された。キャッチの人間にすでに支払ったことを伝えたが、何かと理由をつけて支払わなければ部屋に通さないと言う。すでに3万円支払って引けなくなっていた俺は、まあそういうこともあるのかなと思い渋々現金を支払った。何より早くヤりたかった。
通された部屋は、二畳分くらいのスペースにネカフェ同然の仕切りにシャワーが付いているだけの構造で、部屋というにはあまりに粗末であった。無論寝具は無くとても泊まれる場所には思えなかった。その時点でだいぶ不安を覚えたが、AV女優とヤれるという一筋の希望を胸にドキドキしながら嬢を待った。
程なくなかなかに年期の入った嬢が登場した。化粧が濃くて部屋の暗さも相待ってよくわからない。少なくともその時点で自分の思い描いていた理想とはほど遠い状況に置かれているのは疑いようが無かった。
言われるままに服を脱がされ、シャワーを浴びさせられる。女性の裸を見ることもおっぱいを触ることも初めての経験だったが、自分の置かれた状況が不安すぎてよく覚えていない。嬢は床にストレッチに使うマットのようなものを敷き、プレイを始める前にとんでもない金額を請求してきた。確か15万円(税別)くらいだったような気がする。
俺は混乱し、キャッチの人間にも受付の人間にもお金を支払ったこと、入店する前にキャッチに払った金額にプレイ代も宿泊代も含まれているとの説明を受けたこと、そしてそんな金は持っていないことを全裸のまま半泣きで話した。嬢は、しょーがねーなという感じで「うちは高級店なんです。お兄さんも悪いのに捕まっちゃったね。」といったニュアンスのことを言ったと思う。
初めての東京で、暗い雑居ビルの一室で、全裸で床に正座しながらマット越しに全裸の女から法外な金額を請求される。部屋の外にはどうみてもヤクザの男が受付にいて、ゴネたら何をされるかわからない恐怖。俺は自分の運命を呪った。
田舎の最低賃金で地道に働き、初めて得た自分の金。プー太郎の自分を気遣って、育苗ハウスのビニール掛けのバイトを紹介してくれたおっさん、畑の草刈りで3,000円くれた近所の爺さんの顔が走馬灯のように頭を巡り、彼らが汗水垂らしてコツコツと働いた金が最悪の体験と共に泡となって消えていく現実。暗い雑居ビルの一室で、全裸で涙を流し、どうすることもできない自分が悔しく、たまらなく情け無かった。
その後のことはよく覚えていない。プレイは口でしてもらったはずで、セックスはできなかった。プレイの後は一刻も早くこの地獄のような部屋から脱出したい一心で、帰り際の受付のヤクザにクレカできっちりと請求された金額を支払った。
という教訓を得たが、高すぎる授業料だった。
この一件で懲りたと思いきや、セックスへの憧れを捨てきれない俺は性懲りなく上京するタイミングで何度か試みた。しかし、総じてあまり良い思い出がない。事前によく調べて優良店を選択していれば、もう少しマシな体験ができたのだろうか。
数日前に童貞はソープに行けと増田が言っていたので、これを機に誰にも言えない黒歴史を放出してみた。童貞は事前によく調べて、この教訓を生かしてほしいと切に願う。ついでに以前書いて、全然読まれなかった風俗体験記を晒す。どうか俺の後悔と行き場のない童貞の魂を供養してやってほしい。
風の噂はやはり信じないほうがいい。
侍タイムスリッパーを見てきた。下ネタは一切ない。安心してほしい。
結果として大満足だった。
事前情報で自主制作映画ということ聞いていたので「素人大学生」が「iPhoneや小型カメラで自撮りする」「大どんでん返し!」系の映画かと思ったら、主演は山口馬木也。知る人ぞ知るイケメンミュージカル大河ドラマおじ山口馬木也。
脇役も「多分どっかで見た」人たちである。
カメラワークは固定手法。これは「時代劇」を撮影するには必須なのだが、この手法だからこそ「あの時代」の時代劇を描ける。
あらすじだが「侍が現代にやってくる」という、どっかで見る設定だ。記憶では映画だと「ちょんまげぷりん」ドラマだと「サムライせんせい」…どっちも錦戸亮がやっていたが、まあ大きくテンプレからは外れたりはしない。
しかしそこに「時代劇愛」をぶち込んだことで、この映画は成功に向かったのだろう。侍が時代劇にハマることでシナジーが生まれた。
ストーリーもさることながら作品全体から時代劇愛が伝わってくる。
殺陣は自主制作ながら本格的だ。というか大手配給作品であっても適当な殺陣はたくさんあり、時代劇も例えば「るろうに剣心」のような現代アクション殺陣が好まれだしているので、忘れかけていたドラマ時代劇でよく見た「殺陣の美学」みたいなものを再認識できる上で、さらに一段上に行く殺陣を見せてくる。
侍はやはり殺陣がうまい。俳優には勝てない…みたいなストーリーと画面の説得力の裏にはフィクションがある。その構造が見事だった。
ここで自分は時代劇が好きなのか?という話をすると、そうでもない。嫌いではないが、正直時代劇を毎週見ていた世代ではない。
しかし、なにかを好きだと叫ぶほどの愛がこもった作品はなんだって心地いい。時代劇に想いを馳せるのも悪くないと思える。
さらに一つ、幕末の侍の運命も描かれる。典型的なお笑いシーン(客のお子様大爆笑)が全編に散りばめられた中で、グッと作品を引き締める効果が最大限に発揮されていた。
粗さはある。東映撮影所協力なので自主映画っぽさが消えてしまうのだが(時代劇撮影所ってすごいな)なんたって脚本もカメラも編集も一人でしているのだから。助監督役のヒロインが実際の助監督だしメインスタッフが少人数にもほどがある。ただ、確実に素人が作ったようなものではない。