はてなキーワード: 貧血とは
今の仕事は面白い。裁量もある程度自分にあって、プライベートの調整もできるし、日々が楽しい。入社前より貧血とか頭痛とかも減ってきた。
問題ないようにも思えるんだけど、最近になってある症状が出るようになった。
リリースが近くて少し頑張ったりすると、てきめんに頭に靄がかかっているような気持ち悪い状況に陥る。
症状があんまりうまく説明できないんだけど、なんか脳みそがむず痒い感じ。
でも、身体が『これ以上は無理です』っていう拒否反応っぽい気もする。
だるいわけではない。やりたくないわけでもない。その時点でやる気もある。体力が追い付かないわけでもなく、やめなければ続けられるような気もする。
でも続けると何か怖いこと(発狂する・暴れる・倒れる)が起こるのかもしれないのと、あとそんなに仕事も切羽詰まる状況ではないのもあって、その先に向かったことはない。
ちなみに働いた後とか疲れている夜だから、というわけではなく、寝て起きた朝とかにもその症状は出る。
こういうのってみんなにも普通にあること?
身体壊したときは、明らかに自律神経失調の症状だったから納得だったんだけど、それ引きずってるのかな?全然症状違うけど。。
あと、転職して職種がだいぶん変わったので、もしかしたらこれまで使っていた脳の箇所が変わって、疲れやすく感じるのかな?と思ったりもした。でもどうなんだろう…
もし、これっていうのが思い浮かんだらなんでもいいので教えてください。
さっさと生理あがりたい
30過ぎて子供を産みたくなるとは思えないし、サッと終わってくれないかな
まだ若いから(私は未成年)そう思えるのかもしれないけど、毎月毎月うっわまた来た…だっる…明日は地獄やなって思いながら暮らすのめんどくさい
腰・腹痛に加えて下痢と貧血による立ちくらみ、眠気…うっざ!!!メチャクチャうざい!生理で学校休んだら白い目で見られるのもだるい!薬は体が慣れてくるからよっぽど辛い時かイベント事がないと飲まない!女子複数人での温泉・海水浴・プールの日程合わせんのもすっげえめんどくせえ!!ヒップラインが出る服装も白い服も着れねえ!急に来て予定ぶち壊してくるのもマジで腹立つ!!!!
毎月毎月使わねえから!卵子なんか!!本当に子供が欲しい時だけ排卵するスタイル取ってくれや!その方が出来た子供も辛い思いすることが減るやろ?!そろぼち進化して!!それか半年にいっぺんぐらいに減らせ!!
追記をみて安心した。
よくぞ病院に行く気になった、えらい。
自分も、そこまでの恐怖とか感じることはなくとも、体重が減って食欲がなくなって、貧血になって、明日を迎えるのが怖くて、夜も眠れなくなっていった事がある。
でも診断は鬱病じゃなかったよ。
ある意味誉め言葉で、『自分の居場所はここしかない』と思わずに、とにかく『転職』を考えていたから。
体調が悪い間は、動くのもつらくて転職活動どころではなかったけど、それでも病院でカウンセリングしてもらって、それから転職しました。今でも引きずる時はあるけど、ずいぶん元気です。
死のうなんて思わないで。
そして、今ははやくその場から立ち去ることだけを考えて。傷病なら1年間国から手当ても出ます。とにかく逃げて。仕事が全てではないんだから。
辛い思いをした仲間として、
って祈ってます。
その上司を見返してやりましょう。
近親相姦の法規制の是非について、いろいろ議論が拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。
<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正。
2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>
前提の確認として、2017年現在の日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。
ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪(強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)
18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例)
また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)
たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見が大勢を占めると思われる。
しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイは不快だから反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件で法規制を成しうるため、不快感を法律の根拠にするのは避けるべきだろう。
規制の根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待の可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。
そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近、大学教授が学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。
年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的な関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。
かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交・婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。
「生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスターマーク効果)
では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?
成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。
現在の日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。
日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。
ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在も同性婚は認められていない。
しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。
アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。
保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー:一夫多妻・多夫多妻制)、児童性愛(ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。
http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil
つまり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手が児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。
次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。
一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。
きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。
しかし最近のLGBTを擁護する世論を考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。
そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。
「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子を顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。
ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。
もちろんハプスブルク家やロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子が顕在することもありえる。
しかし、サラブレッド育成や家畜の品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。
では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?
「優生学」とは、表層的には「優れた人間を人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間を遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。
同様に、遺伝子の多様性を守るべきという立場は、(遺伝的多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?
「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である。
「日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。
では、この考えを拡張した「人類の繁栄と遺伝子多様性のために、近親相姦で子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見は優生学として批判されないのだろうか?
なぜ、見ず知らずの他人と社会のために、子どもの遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦やLGBTカップルにも襲い掛かる。
要旨としては、「一個体単体での多様性は存在しない。遺伝子の多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。
まさに、そのとおりである。
元増田のコメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子の多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。
似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれる子どもは、その遺伝子に一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。
これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝的多様性」と表現した。
だが、「社会全体の遺伝的多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。
「社会全体の遺伝子多様性を考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれた障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親から生まれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである。
どんな組み合わせの子どもも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。
酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。
「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活に不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。
カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。
生物のミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。
もしかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。
ミクロのレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。
(※再追記ここまで)
互いに愛し合う両性は、人類の遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。
多様性を善とするならば、近親交配で生まれた子どもも多様性の一種として認められないのか?
「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能や自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別と罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見そのものである。歴史は繰り返す。
「富裕層が節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正で対応すべきであって、税制の設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。
近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物の遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。
まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子を編集し、発現する特質をコントロールする時代がいずれ訪れる。
「多様性が善」ならば、各人が好き勝手に自分の遺伝子を編集することは許容されるのか?
自分の子を希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。
果たしてデザイナーベビーは子どもに対する人権侵害なのか。アメリカの宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子と卵子の状態から「設計」し始めたらどうなるのだろう?
予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?
また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?
「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?
「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族の繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。
つまり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交は大事な贈答物が『キズモノ』になる」から、近親相姦を禁じる論理だ。
婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。
何のために婚姻をしていたのか?
「家督」を守り繋げるため?
子どもを育てるため?
婚姻制度が形骸化し、婚外子が一般化しているフランスや北欧では、事実上の多夫多妻制度に移りつつある。
皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体的不自由が続くため、自由恋愛&事実婚の社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダルが最近もあったね。)
一人の恋愛強者男性が精子をバラまき、多くの女性に子どもを産ませる。恋愛弱者の遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)
つまり、一夫多妻制の基では、社会の遺伝子プールは多様性を減らす方向に働く。
これは、社会の遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?
※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまり、フィクションのお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/
自分が本当に馬鹿すぎたせいか、会社らしい会社は落とされまくった。ワードエクセルはいじれるし、事務がいいなーなんてふわっと考えていたけど世間は甘くなかった。そこで、ずっと避けて来た接客業なら、なんとかなるかなと考えた。もう選んでいる場合ではないと、地元の飲食店に駆け込んだ。地元の正社員求人もほとんど減っている中、そこはうちの学校用に募集をしていてくれていた。
無事内定をいただき、3月の終わりごろから研修を行い、社員として、必要最低限生活していけるだけのお給料を頂いてお仕事をし始めた。
飲食店とはいうが、店長さんも奥さんもアルバイトも皆優しく、忙しい時も助け合って、ひどく疲れるようなことはない。いわゆる、激務とか大変とか辛いとかそういうことからかけ離れた仕事に就くことができたと感じた。憂鬱な気持ちになるほど思い詰めることなんてないのだから。
しかし、体の方が変になった。
5月、6月、7月、8月。もう4ヶ月目になるけれど、ひとつき働いたあたりからどうも変だった。
1日に15時間寝る日が平気であったり、めまいでフラフラ、出勤途中に気持ち悪くなって動けなくなったり。家で嘔吐しまくったり。大抵月の終わりから始まり、2週間ほどひどい状態が続く。
内科に行き相談すると「起立性調節障害」かもしれません。まぁ、気持ちの問題だから、あまり暗いこと考えないでね。若いうちから薬出すのも良くないから。気持ちを明るくね!言われてがっかりした。よくわからない病名を出され、現在しんどいのに対して薬は出せませんと言われると、どうすればいいかわからない。それに私、なんも暗いこと考えてない!
具合悪くなる日が周期的なものだと気づく。生理と関係あるかと目星を付けて婦人科へ行く。元から自律神経が崩れやすいのに加え、生理前〜中でホルモンバランスが崩れるから倍辛くなるのかもね〜とのことであった。若いから、ピルとかより漢方で治して行きましょう!と方針が決まり、しばらく飲んでいるけれど、いまいち効かない。(これについては相談中)
と、ここまでいろいろ書いたが、4ヶ月いろんな病院に行って、治療の糸口を探っているけれど、うまくいかない。
出られない日が続く時もあり、やはり社員にはふさわしくない。社会人としても最低だ。
やめたほうがいいに決まっているけど、私は次の仕事が見つけられない恐怖や、借りてしまったアパート、具合の悪い私を認められない母に悩んでいた。
迷惑を一番被っている店長は私のことを本当に気遣ってくれている。こんな扱いづらい私でもやめろなんて言葉一度も言わずに、体調不良のことについていろいろとアドバイスをくれた。病院の紹介もしてくれた。そこで詳しく話し合いをしながら、私はどういう人間だったか振り返る機会があった。
すっかり忘れていたが、しょっちゅう寝坊していた。起きれたら起きれたで朝の講話で倒れていた。貧血ではないので意識してこなかった。長くたつと気持ち悪くなって来てそのまま意識失うなんてしょっちゅうだった。下痢もすぐなる。運動はかなりできない。体調を崩しやすい為、保健室によくお世話になっていた。
病院に行く機会なんてないし、健康診断には何も引っかかることはないから、「健康」だと思い込んでいたけれど、ずーっとずーっと、起立性調節障害らしき症状が出まくっていた。
私の仕事にはA番、B番とシフトがある。9時から18時と、13時から24時。「生活リズム」というものを維持するにはとても難しい。その上で立ったままという仕事は向いてないのかもしれないなと、気づいた。元から自律神経が変なら、どうすればいいんだ。老化すればもっと悪くなって行くとか医者に言われたなぁ。嘘って言ってよ〜!
やっぱり迷惑をかけないためにも絶対にここはやめなきゃいけないのに、でも、怖い。本当に怖い。
母親に言われて一人暮らししてる。アパート代は二年契約でちょっと安くしてもらった。でもやめて引き払ったら違約金めっちゃかかる。
親に相談しようってなった。母子家庭、女手一つで育てきった母は私の体調不良を全部甘えで片付けて来た。相談しても聞く耳を持ってくれなかった。
どうすればいいかわからない。ていうかこれ、仕事にもつけずに野垂れ死ぬしか選択肢ないきがしてきた。のたれ死ねたらいいけど、そんな簡単に人って死なないしな。
接客ていう選択肢が潰れたら、もう私がつける仕事ない気がする。うげぇ、どうしよう。ほんと生きてけるこれ?最近は毎日泣いてるけどなんも解決しないなぁ!幾らか貯金してやめて就活しようとか思ったけどそもそもお給料最低限だから、これで病欠してると全然もらえなくて親の補助もないから本当にお金ない……こんなとこに書くぐらいだったらもっと頼れる機関とかあるのかな?ないか。うわーんどうしよ。
今思うとただの生理不順だったわけだが。
想像妊娠には理由があって、私の場合は妊娠はしてはいけない状況下にいて、心配するあまり発症。
避妊はしたけど失敗したのでは?と相手に対して懐疑的になってしまっていたのだ。
記事を書こうと思ったのは、
と思ったからだ。
一時的にだったけど、明らかに人が変わっていた。ここまで追い詰められるのは稀かもしれないけど。
ちなみに、身体にでる症状はこんな感じだった。
・軽度の吐き気
・頭痛
・お腹がゆるい
・食後の貧血
妊娠初期と生理不順は見分けがつきにくいほど初期症状が似ている。
そして、精神的にやられて出た行動がひどい。
・時間の使い方が変わった
ブラウザは『妊娠 兆候』みたいなページで占領されていったのだ。
周りにも相談できなかったので、たくさんの記事を見ては一喜一憂した。
相手に相談したけど、失敗してるはずないよ、の一点張りに近かった。
人が変わっていた私は、かなりイラッとしてしまった。少しくらい心配しろよ!とかざけんな!とも思ったし、ちょっと嫌いにもなった笑
・何にも集中できず、涙が止まらない
仕事をしていても、ふとそれを思い出すと泣きそうになった。
MTG中もそれを思い出しては話が遮られて入ってこない。
会社の人とお昼に行っても、自分のような汚れた人間(おろす可能性が高いし、一部ネットで中絶は殺人者とも呼ばれている)と一緒に食事させていると思うと申し訳なくなって、すごくつらかった。
・手術を想像して泣く
中絶により不妊のリスクが上がることが予想されるので、本当に赤ちゃんが欲しいときにできなくなるって思った。すべてが自業自得だと思ってさらに泣く、の繰り返しだった。
夜も考えすぎてわんわん泣いた。泣きつかれて寝る日々だった。
とくに、自分で全部しなければならないところに大きなな負担を感じていた。
でも、お金もそんなにある訳じゃない。
相手の経済力は頼れないことがわかっているのでなおさら泣けた。
中絶は保険ももちろん適用外だし、そもそも使うと周りにバレる。
・頭のなかで親に謝罪した
親にはもちろん言えなくて、心でバカな娘で本当にごめんなさいと何度も何度も謝った。しばらく実家に帰れない……と思った
生きてる方がこの先辛いんじゃないかと思えてきて、電車を見ては頭に死がよぎるのだった。
・Twitterやはてなで『生理 こない』とか『妊娠検査薬』で検索する
男が『生理こない』って書いてて殴りたくなった
でも、同じような悩みを抱えている女性が結構いることがわかって、ちょっと上の感情とか落ち着かせることができた
結局そんなこんなで一週間半くらい鬱まじりの想像妊娠を経験した。
なんて幸せなんだろう、と思った。
生理の痛みすらありがたくて拝みたくなるくらいだった。
急な仕様変更も友達の完全アウトな相談もすべてを受け入れられた。
ひとつだけ変わったことといえば、相手には可哀想だけどセックスは産めるまで避妊ありでもNGにしたことぐらい。
想像妊娠、ネタとかでバカにされがちだけど、本当につらいから、リスクがある人はちゃんと認知しておいてほしい。
妊娠できないくせに避妊してないような人とか信じられないけど、一時の快楽のために彼女を月一で苦しめているかもしれないので、大切であればちゃんと考えてあげてほしい。
わりと生理痛が重いほうで、ひどいときは痛みと痛みから来る貧血と吐き気と冷や汗のコンボで横たわるしかなくなる。
幸いにしてロキソニンがよく効くので、たいていの場合は痛み止めを飲んでベッドに横になって薬が効くまで呻いているんだけど、「常に痛すぎる→断続的に痛くなる」の経過を経て効いてくるんだ。
で、この断続的に痛いステージの、痛みの波が引いてる瞬間に意識がなくなる。
今まではずっと自宅だったから、寝てるのかな~と思っていたんだけど、たまたま友達と生理痛の話をしてて、どうしても痛み止め飲むと意識なくなっちゃうよね~寝てるのかなアハハっていうことを言ったら「え、普通そんなのならないよ…それ失神してるんじゃないの?」と言われてしまった。
え!?と思ったけど、でも自分は比較的痛くないタイミングで意識がなくなってるしなぁ…やっぱり薬の副作用で寝てるんじゃないかなぁ、と思っていた。
ところが、今日予想していないタイミングで腹痛に襲われてしまい、職場の事務室でただの床に横になるはめになってしまった。
そして、やっぱり意識がなくなってた。
さすがに寝不足でもないのに床で寝るんだろうか…ってまた悩んでしまっている。それとも、自分は相当神経が図太いのかなあ。
どういう現象なんだろうなあ。
賃金は安いし、ノーといえない下請け仕事も多く、採算度外視で全力を注ぐ羽目になる業務がさしこまれ、
ひどい残業。
ビジョンも現場と上とが食い違っていて、どこに向かっていいのかわからないまま
みな目先の仕事で手一杯。
だれも経営してない、いつまで体力がもつかわからないっていう、
スペックの詳細は隠すけど、仮にAと呼ぶ。
こんな零細にそんな人、なんでこんな会社に応募してくんのか、
それを見抜く力のない社長は、
やたら高スペックのAをチャンス、とでも思ったのだろう。
Aはきりっとした様子で、晴れて入社日にやってきた。
零細に突如あらわれた高スペックのAを、みんながまぶしく思った。
なにより人当たりがよく、入ってすぐ古株の社員と打ち解けた。
Aは慣れないながらも、一つひとつ、
与えられた仕事を着実にこなしていたように思う。
少しクオリティは甘いかもしれないが頼んだ方も気持ちがよくなる、そんなタイプだった。
そんな彼が、あることをきっかけに、
突如、会社に来なくなった。
そういう日が何日か続いた。
電話をしても、つながらない。
何回かけても、かかってこない。
しばらくつながらない状態だったが、
ある日、Aから連絡が来た。
「体調が悪くて、出社できず申し訳ない。なんとか生きている」、といった内容だったようだ。
いったい全体、どんな体調なのか…
様子を見に家に行こう、という案が出た。
という連絡が来た。
なんだ、よかった、と上司はほっとした。
……
そこからどうなったかというと、彼は、もともとある病気を抱えていたとのことで、
今も休養中だ。
勘違いさせてしまった献血ルーム側も悪いかもしれないけど、基本的に、200ml献血は
罪悪感とか、恥ずかしい気持ちとか、それをルームに転嫁させて少し憤慨しているような、そういう気持ちがあると思います。
でもそれらは抱く必要はありません、献血は、(たとえ募集してる人がどんなに必死だったり強い言葉で叫んでいても)、
やりたい人、かつ、できる人が、できる時にやることだからです。
だから、200を断られた増田がそれならやりませんということは、なんら悪いことでもなんでもありません。
それをまず認識してください。
あのですね、献血ルームはそもそも牛丼屋のように「お客様」が「並、大盛り」を選べる場ではありません。
「やりたい人」と「必要なもの」があって初めてできるものです。
しかも「200を用意しておくな」などと文句を言う筋合いも君たちにはありません。
仮に新生児が200人単位で事故にあったりすれば、もしかしたら200の需要が急激に高まるかもしれないですし、もしそれがなくとも、それを変えるのはあなたがたの「文句」ではなく、日赤が医学的根拠に基づき必要があれば変えることです。
日赤の日々の医療への貢献と比べて、あんたらのブコメがなんの屁の役に立ってるのか少しは考えてみてはいかがでしょう。
まぁ、日赤にとっても献血って儲かるんですけどね、それは別の話として。
200を現在必要ないのに採れば、血液の提供者にはそれだけ負担もかかるし、針を刺すことで指に麻痺などの障害が残るリスクがあり、また看護師含めスタッフの人件費、ディスポーザブルの器具のコスト等がかかります。だから断られます。
来てやったのに断られた!と憤慨する必要はないので、(今知ったかのように憤慨するということは今まで献血に興味も持たなかったのでしょうし)、何も知らないのに献血ルームのネガキャンをするのはやめなさい。
その前に、自分の無知を恥じろとは言いません、自分を一度振り返ることくらいはしてみてはいかがでしょう。
私は一介の献血好きですが、16歳になって意気揚々と200mlをやりにいったら18歳になってからと断られ、
今も血管の細さや貧血で毎度のように断られ、血管が細いため血液を「返す」ことが難しいので、成分献血はできず、うまくいっても400ml献血しかできません。
そんな献血好きの私が、「よいルーム、よいスタッフ」にあたるコツを最後に少しだけお教えしましょう。
これが大間違いです。いや、増田は悪くない、それどころか、呼びかけに応じて入ってくれて、とても良い人です。
その善意を活かすなら、今度は「大声で献血を募集している献血ルーム」または、「その日だけ来て血を集める献血カー」は、避けましょう。
どうせそこを避けていい献血ルームにいっても、困るのは患者ではなく当該のルームだけです。
県内で一括して集めるのだから、どうせなら、いい待遇で安心して献血しましょう。
「穏やかに協力者を募集している献血ルーム」または、「協力者を募集していない献血ルーム」へ行くのです。
新しく、きれいで、少し混んでるくらいのところがいいです。
そういったところでは、「献血できないのに来るな」などという扱いはほぼ受けません。
仮に検査値が満たなかったり、こわくなってやめたとしても、ビスケットやポカリスエットなんかを持たせて、にこやかに送り出してくれます。
献血カーなんかより広々、清潔で、お土産やサービスも豊富です。
看護師も腕のいい人が多いです。
一度でも嫌な思いをさせて献血離れを加速させる一部の献血ルームスタッフはもちろん良くないです。
しかし、一度嫌な思いをしたくらいで、避けるには献血は勿体ないですよ。
きれいな看護師さんに優しくされ、お医者さんに心配され、献血ルームのスタッフ全員に入った瞬間から出る瞬間まで感謝され、献血ルームによっては美味しいコーヒーが飲めたり新刊のマンガが読み放題だったり、献血自体もなんとなくデトックスになったりする。
帰りにお米とか歯磨き粉や洗剤がもらえる。
(私は何回かでけんけつちゃん×ハローキティ×横浜赤レンガ倉庫の謎コラボタオルをもらいました、あまりにシュールな品で、かつ何回か献血しなければもらえなかったので、その達成感もあいまって今も宝物です)
また、巡り巡ってどこかでそれが助けになってる難病の患者さんがいる。
私は針を刺されるのがとても苦手です。針を刺されるとき、刺さっている腕、絶対に見れません。
なので解剖学的構造を理解している、信頼できる看護師さんにされるのがいちばん安心します。
そういった看護師さんは、いくつかルームをまわらないとなかなか見つからないですが、それもまたルーレットのようで楽しいです。
いいルームでは、難しい血管は上手な看護師さんにすぐに代わってもらえます。
こわい旨は素直に伝えましょう。
そういったオプションではなく、本質として「血を抜かれる」ことも、昔は「瀉血」として治療法とされていました、今は医学的効果は否定されてます、ですがやはりスッキリするのでそれも私は好きです。
お帰りの際は立ちくらみにはくれぐれもご注意ください。
小綺麗でも、必ず安心できるいいルームとは限りません。それに関しては、いくつか回ってみることが必要です。
のやり方をもっとフィードバックする必要があるかもしれません。
でも、自分にとって行きつけの献血ルームができたら、数ヶ月おきにそういった「2~3時間の空き時間」をとても有意義に使うことができますよ!
正直、どんなにうまくいっても女性は年に2回しか全血の献血はできないので、男性や体格のいい方、健康な方や血管がクッキリ出ている方がとても羨ましいです。
400なら1回のリスクですむところ200だと2倍のリスクだからね、受ける側にとって。
自分が肝炎やエイズでも知らないで献血しちゃう人は絶対にまざってくるし、検査でも検出できない時期があるから。
実際、成分献血(ハリが太いが血はたいして減らない)か400のどちらかに帰着させたいらしい。
あと献血でできない理由はアンケート以外でみたことけっこうある。
・薬を飲んでる(成人したあとも全く薬をのんでない日本人すくないよね・・鬱とか冬の風邪用の薬とか春は花粉症とか。医者の抗生剤でも最近のは効力が長く残るやつがある)
・検査したら貧血/中性脂肪が高すぎ(まずい血は要らないらしい、グルメ吸血鬼か。てか、昔より早くその場で結果が出るのね)
・血管が細くて一度刺した献血針が途中で詰まった(刺し直しは絶対にできないので、ご褒美カウントはされるが、献血間隔もその分増える)
・データ管理上のミス(上記の詰まったやつがなんか医療理由とかへんな登録されたらしい)
で自分もここ6ヶ月くらい立て続けにことわられている。
街に出かけたら、予定が狂って2時間ほど空いてしまった。暇を持てあましてウロウロしていると広場みたいなところに献血車がいて、スピーカーでがなっていた。
「献血にご協力ください!」「すべての血液型が不足しています!」などなど。
「通り過ぎていくあなたに呼びかけています!」みたいな、ちょっと刺激的な文句もあった。
定期的に行くという友人は何人かいる。自分は元々モヤシっ子で、今は平気だけど貧血になりやすい子供だったせいでどうも勇気が出なかった。普段は忙しくてスルーしてたのものある。時間もつぶせるし社会貢献になるし血液検査も一緒にしてくれるらしい、一石三鳥じゃんと思った。
看板を見たら、200mlと400mlがあるようだ。400は怖いけど200なら行けると思って受付に行った。ガラガラのテントの中で係の人が出迎えてくれた。
初めてですと言ったら注意書きの紙を何枚も渡された。あと記入用のボード。
注意書きには「不特定多数とセックスしていませんか」とか「男性同士でセックスしていませんか」とか「どこそこの国の出身ではありませんか」とかズラズラ書いてあった。一応全部読んで、あてはまらないことを確認した。
それから献血後の注意点を係の人が説明してくれた。吐き気やめまいが起きた場合の対処法も紙に書いてあった。氏名年齢体重やら住所やら、ボードに一つ一つ記入した。
そういう、意外にというかやっぱりというか綿密な手続きと確認が終わって、ボードを返したら係の人がムッという顔をした。
「200mlに丸をつけてますが、400mlお願いできませんか」
ヒヤッとした。
「初めてなんで怖いんで、200でお願いします」
「いや、この体重だと400ml採れるんですよ。針も変わりませんよ」
係の人が言うには、男女別に基準となる体重があって、それ以下だと200mlしか採っちゃいけないらしい。確かに体重はギリギリその基準を超えていた。
でも、200mlならマグカップ1杯くらい。400mlだとどれくらい?マクドナルドのコーラのLサイズくらい?
でかい紙コップになみなみ入った血を想像してぐらぐらした。子供の頃に貧血で何度も倒れたあの感じがよみがえってきた。
「すみません、どうしても怖いです。200にしてください」
「400しか選べないってことですか?」
「はい」
ちょっと考えて、
「ごめんなさい。やっぱり止めます」と言った。
係の人に記入用紙を返してもらってテントをそそくさ出た。
体重が基準以上だと提供する量が選べないなんて知らなかった。献血車の看板は『(400mlを)お願いしています』という書き方だったから、あくまでお願いだと勘違いしてしまった。係の人に長々説明させたのに断って出てきてしまった。
全面的に自分が悪いんだけど、なんかモヤモヤとした気持ちが晴れない。お前の血なんかいらねえよと拒絶された気分だ。あれだけ血液が不足していますと叫んでいたのに、自分の血はいらなかった。
それに係の人が繰り返した「あなたの体重なら400mlです」という言葉。
こっちの恐怖や不安はまるごと無視して、どうやって血をしぼるかだけ考えてるみたいだった。マッドマックスにそういうのがあった。主人公が「血液袋」って呼ばれるやつ。
献血車のスタッフをするくらいだから志のある人なんだろうけど、人間のこと、血の詰まった袋にしか見えてないんじゃないのか。
こちとら怖がりも痛がりもする人間なんだけど。ああ、モヤモヤする。
【追記】
たくさん反応があって驚いた。
今回の出来事でインパクトがあったのは、他人の不安をこんなにあっさり無視する人がいるのか!ということだった。
(たとえ杞憂でもその不安はあるものと認めるところから会話が始まると思ってたので)
団体の目的からして、同じ手間がかかるなら多く採れる方がいいのは当然だし。
大勢の人が教えてくれたけれど、輸血は複数人の血よりひとりの血を使う方がリスクが少ない、200mlの需要はほとんどない、といった事情は知らなかったし、思い至らなかった。それが知れてよかった。
素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。
幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。
乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。
でも全然カンタンではなかった。
家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。
判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。
手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。
いろんな後悔が今も心に残っている。
こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみて下さい。
ほんの些細なこと。
10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。
その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。
それから1ヶ月が経った頃、
朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。
違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。
ピンク色の東京タワー、ピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。
ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。
夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。
大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安にかられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。
しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。
人間、不安なときは都合のいい方の考えに飛びついてしまうものだ。
私は、
と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。
翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。
考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。
今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。
一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がんを検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったから検討がつかない。
よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。
そういって若い女性の医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。
その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。
診断は
違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。
乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常の生活に戻った。
「大丈夫でしょう」という自分の安易な判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。
それから2年、私はしこりのことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。
日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日。
その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。
夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。
暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。
私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。
夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。
とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」
との回答。
しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。
「乳がんの専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見を採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。
まずは触診。先生の無表情さが不安を掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。
終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます。検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。
もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。
これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分が乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。
この一週間は今まで感じたことのない長さだった。
加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。
診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。
先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。
何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。
我を取り戻した私は、
「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。
結論は手術。
私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。
女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘を選択した。
医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。
まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。
ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。
次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。
母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。
と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。
親の前ではやはり自分は子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。
仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。
私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。
仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると
という反応。
特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。
更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。
中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。
私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベルの男性と結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。
昔から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那の愚痴。家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。
由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。
由美にも率直に
と伝えた。
ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。
するとA子は
と言い放った。
彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。
死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。
ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。
私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。
これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。
家族の不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブな感情を抱えながら私は手術に挑む。
スケジュールが出た。
手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘を選択したために術前の化学療法はなし。
手術2日前から入院となった。前日からは食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。
手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由はリンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。
乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。
でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。
翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。
わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。
術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。
7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。
そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。
左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分の身体から目を背けたくなる時期もあった。
でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。
気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。
期間は3週間を1クールとして、8クール、複数の抗がん剤を組み合わせての実施。
抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。
抗がん剤治療は想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気と貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。
覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。
2クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。
3クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。
それにしてもケアグッズも高い。
あまり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がんは治療以外にかかる金銭的負担も大きい。
4クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。
いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。
こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。
楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。
抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。
化学療法を無事に終えた私は最後の治療、放射線治療に入ることになる。
放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的な負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。
放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。
ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。
手術をしてから約半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。
毎日毎日通った病院。乳がんを発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。
検査のときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。
お陰で私は現実と向き合い、治療の目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう。
そう言えればどれだけ幸せだろうか。
一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。
こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。
そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活を改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。
乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。
幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。
ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のときは帽子を被るようにしている。
左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。
胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友の言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。
以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事と抗酸化作用の高い食品をメインにしている。
そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活のリズムを整える意味で意外と気に入っている。
家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事も積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。
夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。
先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。
親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。
こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。
でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。
どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。
乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。
もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・
早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスクも存在しない状態で治療が終わっていたと思う。
親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。
10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がんを自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。
乳がんは女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。
一昨日の夜、22時09分、父は他界しました。最期は呼吸不全でした。苦しかっただろうに。
それは私に取っては唐突だった。
4月に父と義理の兄と三人でゴルフを行く約束をしていた朝、急に父から行くのが難しいと言われた。
胃が痛くて、眠れなかった。地元の病院で胃潰瘍と診断されていた。
その日は残念ながら、義理の兄と二人でいくことにした。
そして4月後半。仕事で鎌倉に行っていると、母からの電話がなった。
父が貧血気味で、急遽、大学病院に運ばれたとのこと。しかも最初の内視鏡で癌があると言われたらしい。
とは言え、父は71歳。癌が見つかることぐらいありうる。癌は昔と違って治る病気だ。
そして数日後。急遽、主治医の先生に家族だけ呼ばれた。ちなみに主治医の先生は30歳の背の高いイケメン。
まずはCTの結果を見せられ、癌の状態を説明される。癌は胃から十二指腸に向かっているそうだ。胃の出口を幽門と言うのだが、そこが癌のせいで固くなり、食べ物が腸に流れない。そして出血がひどい。
しかも肝臓に転移が見られる。つまりステージ4。余命は半年と告げられた。
この時、初めて人生で気絶した。父の癌を宣告され、あまりにショックだった。一緒にいた母と姉に聞いたところ、1分半ぐらいの気絶だったそうだ。
俺が電車内でのパニック症候群と心的ストレスで倒れた時は「俺は精神病で薬も飲んでる。精神病は一生直らない。お前は薬は飲んでないだろ。ただの貧血だ」と言って非難しておきながら
後で判明したことだが、そいつ自身は薬を飲んでいるところは一度も見たことがない
そもそも通院していない
怒りっぽく、それを臆面もなく態度に出す。怒っている原因は殆どの場合で不明で、日付が変わると機嫌が悪くなっている事が多々ある
そもそもお前の怒りは俺には関係ないし、お前が不機嫌なうちは周囲に悪影響しかないんだ
これらは唯のお前の性格の話で、精神病を盾にして好き勝手してるだけなんじゃないか?
月のほとんどがこのいずれかに該当するので、
だいたい体が猛烈にだるかったり貧血気味だったり無意味にイライラが止まらなかったりするのだが(生理痛がないのがせめてもの救いだろうか)
命の母を飲むとイライラがおさまるよ!というのを聞いた
しかし飲むタイミングを間違えるとイライラが消えるのを通り越して腑抜けになるらしい
イライラして仕事に支障が出るから解決したいのに腑抜けになってしまっては仕事にならず
正気に戻った時、進んでいない仕事を前にまたイライラしてしまうのではないだろうか
今日は数少ない体調のよい日だったので、家に仕事を持ち帰ってさあバリバリやるぞと思ったら
家族がどうしても今日1日パソコンの回線関連の設定を変更したいというので私はパソコンが使えなくなり、
設定変更を試行錯誤してイラついている家族の近くに寄りたくないので漫画しか置いていない自室にこもって漫画を読んでいた(ちなみに伊藤潤二作品である。超自然転校生の最後の能力バトルシーンが好き)
なんということだろうか
今布団の中でこれを書いている。投稿したあとソシャゲをちょっとやってもう寝る。年度始めは怒涛の忙しさなのだが結局何もできなかった
生理だった
さっきおしっこ行って拭いた後のトイレットペーパー見たら血がついてた
あーそろそろ生理来るなーってすぐ分かるけど休日だと気づきにくいね
私は2日目にちょっと腰が痛くなるくらいであんまり生理痛がない方だけど
しかし月曜日に来ちゃったか。理想は金曜に始まって特にきつい2日目3日目を家で過ごすことなんだけど
ただ年度末なので来週は送別会とかいろいろと社外で仕事関係の人と長時間過ごす予定があるので今来てよかったのかも
飲み会と整理が重なったらナプキン取り換えるハードルが高くなる
鈍いおじさん上司が「えっ何で増田さん荷物持っていくの?大丈夫だよ誰も盗らないから置いていきなってwww」とか万が一言われたらなんて考えてしまってあまりトイレに行けず限界まで血を吸い込んでずっしり重くなったナプキンつけたまま過ごすことが多い
あ~~~~ここまで書いてたら貧血が出てきた。ちょっとふらふらする
ただでさえ体力なくて生理じゃなくてもメンヘラに片足突っ込んでるのに。嫌になる
若者向けの命の母買って飲んでた時期があったけど効いてるのかどうなのかよくわかんなかったのと
朝昼晩の食後に三錠ずつ生理が来そうな数日前から飲み続けるってちょっときつい
これでも私は相当生理軽い方だと思うし、具体的に「お腹がめちゃくちゃ痛い!!」って症状があるわけじゃないからこの程度で……と思って婦人科とかには行く予定はない