はてなキーワード: 自責の念とは
いわゆるオタクコミュニティ、特に女性向け界隈なんかでは「みんなが好きなもの(この場合では何かのコンテンツなど)を尊重してなにかの悪口は絶対言わないようにしよう」みたいな風潮あるよな。それ自体は極めて道徳的で素晴らしいと思う。みんながそれを守れたらいいよな。でも実際ヒトは好き嫌いってものがあるわけで、みんながみんな好きになるなんてものは存在し得ないわけだ。そしてつい「これ嫌い!」って言いたくなる瞬間もある。そこでどうするかって言うと単純に「嫌い!」とは言えないから、その何かが倫理的、もしくは道徳的に間違っているのではないか、あるいは「ルール」に反しているのではないか、というふうにあくまで「善意の指摘」という形に変えてそれを否定するようになる。これが一部から「学級会」なんて揶揄される所以とも言える。ここでよく考えて欲しいのは、その指摘の正当性などは置いておいて、それが好きな人がどう思うか、ということだ。ある人は自分が倫理的に間違っているモノに良い感情を抱いてしまった、なんて自責の念に駆られるかもしれない。一方でそのような大変に複雑なステップを踏まずに「これ嫌い!」という「個人の嫌悪の表明」であれば、「まあ好きな人も嫌いな人もいるだろうな」というように納得することができるだろう。つまり、不文律を気にして遠回しに否定しようとするほうがむしろ、誰かをより傷つけているかもしれないのだ。「実際に問題があるのにそんな個人の好みの問題に矮小化して語れって言うのか!」なんて思う人もいるだろう。もちろん、この種の指摘を全て否定しているわけではない。しかしこのような風潮がより議論や対話を複雑化させているのは明白だ。タイトルではすこし語弊を招きかねなかったかもしれないが、もちろん特定の人種や宗教の信者などへの嫌悪までもを許せと言っているわけでもないし、いちいち好きな人に嫌い嫌いとわめきにいくのを許せとも言っていない。言うなれば「ピーマンが嫌い!」と言う人に、「その発言は全てのピーマンが好きな人と生産者の人格を否定しているぞ!」なんて詰らずに、「嫌いな人もいるよね」と、「個人の嗜好の違い」を私たちは受け入れられるんだってのに気付こうという話だ。
朝の通勤ラッシュで、きれいな紙袋を持った女性が(そして少数の男性が)目に付いた。
前日、近所の百貨店に母とチョコレートを買いに行った。母のチョコレート、何個いる?という問いに、義理と友チョコの勘定に1個上乗せした数を伝えた。小6の頃、当時気になっていた男の子にチョコレートを渡せたら渡すつもりだった。お互い両思いだったと思う。
小さな缶入りのキャビアチョコレートはどう見ても義理チョコだったけど、12歳の女の子の握り拳で隠れてしまうくらいの大きさで、さっと渡すにはこの方が都合が良かった。
六年生の最後の席替で運命的にw隣同士だったから渡すタイミングはいつでもあった。
でも恥ずかしくて、結局渡せなかった。
帰宅後、母からチョコレートどうしたの?と聞かれて、数間違えて買っちゃった、と濁した。
この後、その男の子とは何も無く、中学に上がり可愛らしい彼女が出来たことを知ったりして人並みに胸を痛めたりした。
不思議なことにその後なぜか数度人生が交錯する機会があったが、酷いことをしてしまったのを今でも後悔している。謝りたいが、これはこれからの私の人生の教訓として死ぬまで自責の念に駆られるつもりだ。
あの時渡せなかった缶は今でも手元にある。中身のキャビアチョコレートは食べてしまったけど、代わりに水飴のように私の心の隅にへばり付いて、てらてらと輝き続ける思い出を仕舞って、たまに開いて、その香りで胸を満たす。
選択の余地はなかったと思い込むことももちろん自由な選択の結果だよ
今の時点でも選択の余地はどこにでも潜んでいると信じている選択をしている俺と
そうは思わずに選択の余地がないと信じているそちらで選択が分岐してるじゃん
選択結果が複数存在する、選ばなかった場合の結果が存在する(実在する、ではない)ということは選択の余地があったということ
分かれ道があったということは、そこで左道を選ぼうが選ばなかろうが右道の選択を行ったということ
分かれ道に差し掛かったときに自動的に右に進むと予め決定するという選択の結果で右を自動的に進むのもそれは選択
分かれ道に差し掛かって選択した後であの時は選択の余地がなかったと理由づけできることそのものが
その分かれ道でどちらに進むのかを持てる情報と感覚を全て消費した故の結果であり
それを積み重ねた先で片方を除外してもう片方を選ぶしかない状況になったのならまさしく完全に自由なる意志的な選択行動の結果
ただそれにしても人間が現実を認識しきる能力というのはどこか欠けているのが常なので結局何かしらどこかしらに情報不測による選択の余地は付きまとう
原子力発電所を安全神話で信じていた選択は100%余地のない選択だったが現実の方は許してくれなかったわけだ
なるようになるしかないというのは生来の自分の価値観による自動行動選択に委ねるっていう選択をして思考的な労力を無くしたいという願望選択だろう
ラットでさえ経験で迷路の道を選ぶが同じ影響を与えても同じ反応を全くたどるわけではない
つまりそこでラットの個体間に思考の際が生じているということでラットは各々別の思考を持ってして選択しているわけだ、これは自由だな
なお、この実験は結果を人間が予期しているので強制させられている、という見方はそれこそ傲慢だ
実験する研究員はコンマ何秒後にラットがどのルートをたどるとか完全な予測なんてしてない
単にデータからこうなるだろうなと予測をしてこうなったらいいなくらいの感覚で行っている、研究者の大半はこうなってくれ頼むくらいで実験結果を待ってる
なお本能に基づく習性とか反射とかは個人の努力や経験からはどうしようもないことが多いのでその領域に関しては君のように自由も選択の余地もないだろうな
呼吸を止め続けるとか心臓を意識的に止めるとか無理だし自由はないだろう、
だけど顔面に物が迫ってきて目をつぶる反射的行動は訓練で抑えられたり本能的領域のものでも自動化を解除する方法はある
それを訓練しない人にとっては選択の余地がないように思えるけど格闘技や武道をやるやつにとっては自力で主導権を握れる選択権のあるものだと認識するわけだ
極論を言うと全能感のあるマッチョほど選択権が増えていき、そうでないクソ雑魚ナメクジほど世界は狭く不自由になっていく
なにせ自分の選びたい選択結果にどうやってもたどり着けないんじゃ、経験を重ねるたびに自分の無力さと不自由さを重ねるだけだからな
仮に産まれてこのかた自分の第一希望しか叶わなかったような人間が世界に選択はなく、全てがこうするしかなかったんだと言い聞かせて信じ込む必要なんてないんだから
だいたいそういうやつは自分の無力さを呪いながら別の選択をできなかったことを何らかのせいにして自責の念や後悔を払しょくさせたいだけ
しかし実際問題として自分の能力値さえ足りているならその問題は解決でき別の選択行動に移れたと仮定できた時点で自分がそこまで到達しなかったという選択をしたとも認識できる
テストの赤点取るのはなるようになったんじゃなくて、単純に学力が足りないのに勉強サボった選択の結果
ただし現実は死ぬほど強いのでどれだけマッチョでも選択を誤るときがくる、問題は同じことがあったときに自分がどう次の選択をするか考えて備えることだ
見苦しい部分が多くあると思います。
思い付きでダラダラと書いてるので、文章がおかしいところがあってもご了承ください。
担当はW、蒼井悠介と蒼井享介という双子のユニットでした。どっちも大好きだったけど、特に悠介のほう。
この二人は元サッカー選手で、プロデューサーのことを監督と呼びます。
私が監督になったのは、Mマスのモバゲーアプリが配信してすぐのこと、一番最初のイベント「アイドルデビューオーディション」からです。
かの有名な?「桜庭乱入!」のやつです。私も最初は桜庭薫目当てだった。
右も左もわからないままポチポチして、なるほどこういう脳死ゲーね、と思いながら進めて行く中で、蒼井兄弟と出会います。
よくわからないけどめちゃめちゃかわいい。デビュー衣装全然かわいくないし地下アイドルが着せられてる破廉恥衣装って感じだったけど、もうちょっと頑張ったらこの可愛い子がもらえるらしい。
という感じで、最後の最後にすごく頑張って、残り30秒みたいなところで何とか享介を入手して、頑張ったこともあってそのままずっぷり蒼井の沼に落ちました。
ちなみに、アイマスはほぼ知識がない。あんずちゃん可愛いよね~くらい。
蒼井兄弟は息ぴったりな双子で、すごくかわいくて、いつも監督監督!って側に駆け寄ってきてくれて、
二人の固い絆の中に引き入れてくれるような子達で、私はよく「嬉しいけど監督のことなんていいから!二人の間に入るなんて!それに監督よりまずはファンやお客さんでしょ!」って思ってた。
でも、ことあるごとに監督!って読んでくれて、二人して監督の取り合いみたいなことまでし始める。
あんな可愛い合法ショタがこんなクソみたいな私を引っ張ってくれるのがすごくかわいくて、
可愛いの方向性が、親心みたいなものになって、恋愛感情をすっ飛ばしてとにかく応援したい・トップアイドルにしてあげたいという、まさにプロデューサーみたいな気持ちになった。
蒼井兄弟はMマスの「理由あって」のなかでも、重いほうだと思います。
みんな多かれ少なかれ、暗い過去を持っていたりしますが、悠介の怪我は不慮の事故で、誰も悪くなくて、改善できるものでもない。
蒼井兄弟の設定は省略しますが、前職のことを考えるだけですごく頭を抱える子たちでした。しかもどう見ても共依存。
その設定からか、イベストもどこか後ろ向きな発言や、将来が心配になることが多く、それも相まってどんどん応援しなきゃ、幸せにしてあげたい、という気持ちが膨れ上がった。
でも、蒼井兄弟は最初のイベント以降、ガシャもイベントも全然出てこなかった。
他のアイドルもいるし仕方ないと思ったけど、途中からさすがにローテーションがおかしくない?と思い始めた。
私はソシャゲをほぼやったことがなく、やったとしてもすぐに飽きてしまうタイプ。
久しぶりに出てきた担当の初ガシャは絵柄が好みじゃなかったこともあって見送ってしまった。
その後も蒼井の出番は少ないほうで、久しぶりに出番が来るとやっと来た…!という気持ちで、できるだけ課金しない範囲でイベントやガシャを頑張った。
Pの人ならわかると思うけど、Mマスはガシャがすっごく渋い。全然でない。
万単位で課金したこともあるけど、その頃の私は本当にお金が全然捻出できなくて、目当てのものも出ないままただお布施をするだけになった。
イベント上位報酬もそうで、毎日コツコツアイテムを貯めるのが苦手な私には、バーもゼリーも足りなくて、勿論手元にいるアイドルも強いカードが全然いなくて、
担当のイベントのたびに5千円~1万円くらい課金して、中途半端な課金のせいで上位報酬もガシャも引けず、一向に手持ちが強くならないからイベント叩くのも大変という悪循環をしていた。
そんな感じで担当の出番の時だけ頑張るという遊び方で、全然ログインしない期間もあって、
離れた時間の分だけ、まだ私の担当は出ない…と落ち込んで、その分出番があるとすごく嬉しくなった。
ある日、アイドルたちに声が付くようになった。
ついに来たボイス実装で、ついについに!そんなに大きなコンテンツになったんだ!
干される時間もすごく多かったけど、最初のイベントから応援していた子達に声が付いた!
ってすごく嬉しくなった。
蒼井のデビューCDが発売されたとき、私は就活がうまく行っていなくて、多分ニートだかフリーターだった。
お金が全然なくて、ずっと応援していた担当アイドルの記念すべきデビューCDが買えなかった。
買えなかったというのもあるけど、買わなかったというのもある。
CDにはゲーム内でカードがもらえるシリアルが付いていて、1枚で1人もらえる。
私は悠介推しだったけど、Wは、蒼井兄弟は、二人そろってなきゃ絶対ダメって初期のころから思ってたし今でも思ってる。
片方しか手元にいないことがすごくつらくて、必然とCDを2枚買わなきゃいけないという選択肢しかなくて、金銭的にも理性が働いて、買わなかった。
すごくすごく悔しくて、情けない気持ちになった。
見かねてなのかわからないけど、友人二人が誕生日プレゼントにって1枚ずつCDを買ってくれた。
その節はありがとうございました。
でも今でも、自分のお金で買ってあげられなかったことがすごく後悔というか、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そのあとも担当SRは全然入手できなくて、毎回のように双子の片方を入手する感じだった。
二人そろっていることが大事なのに、”揃えてあげられなくてごめんね”って思うことが以前よりも増えた。
自分が欲しいから入手する、というよりも、完全に二人のためにっていう意識。
二人ぼっちの世界に、ニコニコしながら監督を引っ張って両隣迎えいれてくれる担当アイドルたちに対して、
私は全然何もできてないと思うようになって、どんどん負の感情が増えていった。
その頃にはツイッターとかでSR持ってる人を見るのも嫌になった。
同担拒否とかじゃなくて、上位報酬やガシャ産を持っている人が無理になった。
他Pたちはみんなすごく優しくて、煽られたりとかそんなことは全くなかったけど、私のほうが加害者になってしまう気がした。
前述した通り、Wの出番はちょっと少なくて、それもあって何度か小休憩を挟む感じで距離を置いて、なんとか追い続けていた。
詳しくは省くが、シリアルのために複数買いなんてとてもじゃないができる余裕もなく、そもそも複数購入が嫌いで、まあ勿論チケットなんてものは最初からなかった。
結論から言うと、私は蒼井が歌いだした瞬間に自分も友達も驚くくらい号泣した。
ここまで長かったなぁ、ついにライブができるようにまでなったんだなぁって泣いて、
画面の向こうで監督!って呼んでくれることに、
「今はライブ中だよ!?監督じゃなくて、ファンのためのライブをしなきゃダメなのに、”3人で”って引っ張ってくれる…!そこまでいうなら、腹をくくって隣を歩けるように監督を頑張らなきゃ…!」
って思った。
本当に315のライブで、ファスライの後はずっと余韻も抜けなくて生き生きとしていた。
何よりも、蒼井のために頑張ろうという気持ちが強かった。
でも現実はなかなか難しくて、やっぱり”課金”という壁がすごく高かった。
ずっと金銭的に余裕がない人生を送ってきた私には、ソシャゲのデータにワンクリックで一度に何万も課金することがすごく苦しかった。
普通の金銭感覚なら、天井もない博打に一度に何万も課金しない。と思う。。。
この「ちゃんと」という感覚もそもそもおかしいんだけど、私はどんどん「課金すらできない監督失格だ」って思うようになった。
頭の中では自分のできる範囲の課金でいいし、そもそも課金しないでも好きな気持ちがあればそれでいい、
応援していることには変わりないし自分を責めるようなことではない、とわかっているのだけど、気持ちが自分を許せない。
応援しているはずなのに結果が伴わないと感じて、蒼井兄弟に大して申し訳ない気持ちしかなくなって、中途半端な自分がどうしても許せない。
イベントも走らなくなった。
セカライも、ライビュすら行くつもりなかったけど、友人が誘ってくれて、
もう半分以上知らない曲しかないけど、蒼井のために見に行った。
もしかしたらまた前向きに好きになれるかもしれないと思っていたが、
実際セカライ見たら、二人はこんな頑張ってるのに私は何も出来てなくてごめんね、という気持ちばかりだった。
もう、申し訳ない気持ちばかり先行してしまって、本当にもう限界だと思った。
万単位で課金して、時間削って、苦労もあったし楽しいこともあったから、データは残していたんだけど、
「ごめんね」という気持ちが強すぎて、よく考えたらこんな出番のない事務所にアイドルたちを置き去りにしていることすらあり得ない、アイドルたちがかわいそう。
って思うようになって、このままじゃもう駄目だ………と思い、
夏頃に手元にいたイベント・ガシャ産のアイドルたちをすべて譲渡に出した。
SR+だろうがRだろうが、譲渡不可以外のものは一人残らず無償で譲渡に出した。
譲渡取引しに来たPたちはみんなすごく親切で、ゼリー付けますよ、とか、復帰したくなったらお返ししますとか、
あまり気負わずに戻りたくなったらまた来てくださいねって、ほぼ全員が気遣ってくれた。
こんな優しいファンが沢山いてこれからもどんどん盛り上がるに違いない素晴らしい作品なのに、
自分を責めるのが止まらなくて、ずっと暗い気持ちでいる自分がまた更に申し訳ないという負の連鎖。
プロデューサーとして、最後の最後にちゃんとアイドルたちを見送ってあげたくて、
本当に一人残らず新しい事務所へ送り出した。
譲渡が完了した少し後に、オフショで悠介がきて、悠介のオフショがくるまでずっと貯めてたチケットを使い切ったら本当に引退、と決めていたので、
全部使ってオフショ悠介を2枚お呼びした。
誰もいない事務所に残してごめんね、って思うけど、オフショだし、いいかな、と思って、手元に残してある。
あと、アニカフェが決まった時も友人が誘ってくれて、一緒に行って、
ちょっとだけアクキーを買ったんだけど、蒼井が出なくて、二人そろえるために譲渡する気力もなく。。。
担当でもない子達を、いくら可愛いとはいえ、あまり綺麗に飾ってあげられるスペースもなく、
うちにいてもかわいそう…欲しがっているPたちのところにいてほしいな…と思って、
金銭的余裕がないなか自腹切って買ったものを、もったいないとわかっていながら他人にあげてしまったことに唖然としたというか、後悔したというか…
いや、欲しい人のところに渡ってほしいのは本心なんだけど、買ったそばから無償で手放してしまうなんて、
これを書いている2017年12月31日、Mマスのアニメが最終回を迎え、
自分の中でもう一度「戻れそうにない」と思ったので、こうして文に残してみました。
アニメも別の事務所だし、課金しなくていいし、いい距離感で楽しめるかもしれないと思って録画し続けていたけど、
結局今日に至るまでまだ申し訳ないという気持ちが強く、一度も見られることがなく、
TLで楽しそうにしているPたちをみて、アイドルもプロデューサーさんたちももう遠くの存在に感じる……
今でも心の奥底では応援したい、好きという気持ちが確かにあるのに、存在を見ることすらつらくて仕方ないです。
きっとこれからもMマスはずっと未来に向かって走り続けるし、愛され続ける作品になると思います。
私みたいに、課金する先がソシャゲしかないなんてこともなく、手軽に手に取れる値段で確実にモノが手元にあるグッズも沢山出ます。
だからきっと、これからは以前よりももっともっと快適で楽しい作品になるはずです。
ジャンル規模が大きくなると問題も増えるけど、個人レベルではきっと快適なはず。
私が言ってもどうしようもないことだけど、沢山お金を落とすこともそりゃ大事なんだけど、
継続することも重要だし、コンテンツを楽しむ側の自分のためにも、
これはMマスに限った話ではなく、あらゆる作品で思うことで、
他人がどれだけ課金してるとか、どれだけイベントに参加してるとか、楽しみ方を比べるようになったときは、一呼吸おいて見てほしいなと。
まあ………自分ももっと楽しみたいという気持ちがある以上、難しいかもしれませんが。
追記1:
重課金がダメとか、無課金がダメとかそんな話ではないです。重課金者からしたら、たかが数万で脱落するような底辺いなくていいよ倍率上がるだけだし、と思うかもしれませんが…
追記2:
勘違いしている方が割といたのですが、私はこれっぽちも全く「課金して後悔した・お金がかかるから辞めた」なんてことは思ってません。
私が辞めるに至るほど病んだことは、課金額への後悔でもなく、コンテンツへの不満でもなく、
のめり込み過ぎてアイドルやソシャゲの距離感を間違えたことと、自責の念を払拭できなかった、という点につきます。
他人と比べたり、思い詰めはじめたら地獄の始まりだったわ、という話です。
あと、義務に感じたら駄目という意見、私はそう思わないです。義務感を達成することを喜び・楽しみとする人種はいます。
でも、そういう人種は私みたいに、自分の思う義務や信念・目標を達成できなくなった時、崩壊しやすいです。
普段ソシャゲは初回無料ガチャ引いたら1週間でアンインストール・長くて3カ月しか持たないような人種です。コンシューマーRPG大好き。
そんな私が3年も向いていないことをしてまで、それほどまでに追いかけたいと思う存在でした。
今思うと、「初回10連SSR確定!」みたいなのが全然ないMマスをよくもまぁ続けられたなぁと思うくらい。。。
Mマス及び315プロのアイドルたちは、蒼井兄弟は、それくらい魅力的で応援したくなります。
ソシャゲ向いてない馬鹿は来るな辞めちまえ、という意見もよく見ますが、
好きと思えたものに対して向いていないからという理由で諦めるのは、私は違うと思う。
もし最後まで読んでくださった人がいたら、お時間を割いていただきありがとうございました。
この記事を読んで、気持ちが沈んでしまった方、申し訳ございません。
でも、気に病むことはないです。みんな無理せず適度にやればいいんだよ。
自分に言うのは難しくても他人になら言えるの不思議だよね本当に
労いの言葉や、暖かい言葉をかけてくださった方たちも、ありがとうございます。
Mマスについてはまだ思い出すとつらくて仕方ないですが、幸い今はいい距離感で楽しめているものがあります。
自責の念を持たない人間だから非生産的だとか人間としておかしいみたいな言い方するのやめてくれない?
先駆者のほとんどが一般常識からかけ離れた理論や発明を持ってして最初から受け入れられたケースなんてほとんどないから
地球が丸いっつってもみんな喜ぶどころか非難して殺すくらいあってようがまちがってようが常識を守りたがるもの
それが良いこともあれば悪いこともあるように現状に自分や環境に不満を持つことはちゃんとした行動の原動力になる
有害な環境でも生存しなければならないから勉強したり労働したりしてるけど
自責の念がなければ活動できないってのは単に当人の問題であって
働かない人間すべてがそのモデルケースに当てはまるとは到底思えないんだけど
友達と遊んでも、ゲームをしても、2chを見ても、美味しいものを食べても、心から楽しくなるようなことはなかった。
「彼女いない歴」という言葉も、当然「童貞」という言葉も大嫌いで、見るのも嫌だった。
「お前彼女いたことあるの?」「もしかして童貞?」という言葉が投げかけられるのが怖くて、飲み会にも行きたくなかった。
女の子から話しかけられることもなければ、女の子に話しかける勇気もない。
コンプレックスの塊を抱えながら、出口のない毎日を過ごしていた。
大学では順調に単位を取得し、就活も順調に終えたある日、ふと風俗にいってみようかと考えた。
風俗で脱童貞なんていうありがちでかっこ悪いシチュエーションに対する嫌悪感や、初めての風俗への恐怖と1週間ほど戦った後、覚悟を決めた。
決行は10月2日。
当時は地方の大学生だったが、10月1日は内定式で東京に行く予定があった。
旅の恥はかき捨て、じゃないけど、知らない街であればお店に入る時やお店から出る時に知り合いに会うことはない。
誰にも言わず、スケジュール帳にも書かなかったが、その翌日をX dayと決めた。
髪を切った。
服装はスーツで行く予定だったのであまり気にならなかったが、パンツと靴下を新調した。
毎晩お店を検索した。
東京にはこんなにも多くのお店があるのかと感動し、一方でそれだけの風俗嬢がいるという事実に信じられない思いだった。
やはり大きな悩みは、自分が童貞だと伝えるべきか、ということだ。
自分が童貞だと伝えれば、きっと女の子がエスコートしてくれるだろう。
だが、正直、伝えたくない。
恥ずかしいし、その話を広げられるのも嫌だ。
悩んだ末、2chで相談してみると、その仲間たちは本当に親切にアドバイスをくれた。
そして、当日は、初めてであることを告げようと心に決めた。
10月1日、内定式を終え、内定者懇親会も早々に切り上げた俺は、一人池袋のホテルにいた。
お店の前まで行くと、思ったよりも看板がギラギラしていなかった。
もっと、『ソープランド』という文字がピカピカしているものだと思っていた。
この中に入るのは大したことないように思えた。
決行当日。
意を決して、お店に向かう。
まだ外は明るい。
周りの目を精一杯気にしながら、滑り込むようにお店に入った。
お店の人と話し、少し待合室で待ったあと、女の子が待つ部屋に案内される。
最初に二言、三言交わしたと思う。
ドキッとした。だってそれは俺から伝えようと思っていたことだったんだ。
「えー、うそでしょー?童貞でしょ?私わかるよ。」と、彼女はさらに続けた。
先に言い訳をしておくと、その時はできるだけ平然を装っていたと思うけど、心臓は爆発しそうで、頭の中は真っ白だったんだ。
そして俺は逃げた。
「あ、すいません、やっぱりいいです。」と言って、荷物を持ってお店を出た。
今思っても、どうかしてるぜ。
もちろんお金は払った。でもそんなものはどうでも良かったんだ。
それから一週間は寝込んだかな。
何もやる気が起きなかったし、自分はなんて馬鹿なんだと、自責の念でいっぱいだった。
今思い返してみれば、彼女は悪くない。
だって、お客が童貞かどうかを知ることは、彼女にとっては重要なことだ。
でも、当時の俺にとって、自分が童貞であると誰かに知られることは、とても怖いものだった。
たとえ自分から伝えようと思っていたことだったとしても、そうだったんだ。
社会人になり、童貞としていじられるのだけが嫌で、非童貞として振る舞う日々。
それでも童貞だろ、っていじられることもあった。
童貞じゃないって言っているのに、なんでバレるんだろう。
当時の俺は、童貞である自分が悪いと思っていた。それが恥ずかしいと思っていた。
でも最近の件で、色々と思い出し考えた結果、やっぱり童貞は極めてセンシティブな話題であって、人を深く傷つける場合があるということを、彼女のような女性に知ってほしいと思った。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.uyKYgqKXA#.jsmOYWnBd
まつりさんもはあちゅうさんも、告発がここまで話題になったのは彼女らに容姿端麗だとか学歴だとかネームバリューだとかがあってのものだ。
まつりさん事件の時にもブコメなどで言われてたけど、これが男性だったら話題にもならない。
今回のハラスメントが事実でなくても、こういうパワハラまがいなものは特に体育会系周りでは当たり前のようにある。
某電力会社が賠償を回避するために「個体の脆弱性」という言葉を使っていたが、
彼らにとっては男性の被害者はまさに脆弱な個体だから仕方がないと自責の念に駆られることはなく、
同じような間柄の友人たちと酒の肴の一部として消費される。
男女間だけでなく、男男間、女女間の不合理で非条理な負荷を強いる行為は殲滅すべきだ。
もちろん、体育会系的な、人間の欲望に集中したカタギじゃないやり方をしないと関係を築けない間柄は未だに存在するし、
企業間だけじゃなくて国家間でそれが必要とされていることはあるだろう。
が、それをましてや仲間内で強いるのはマクロでみれば社会の損失になるだろうし、生きづらい日本の生きづらさを助長する罪にならない悪事である。
こうした被害が発生するのは蔓延った空気、ナメられてはいけないという虚栄心によるものだ。
綺麗な女を抱いたやつがすごい、金があるやつがすごい、影響力がある方がすごい、楽して儲けたやつがすごい、
人を傷つけても動じないメンタルの強さ(?)がすごい、逆らったら怖い俺がすごい。
まるで中学生の延長のようなメンタリティに思うだろうが、これが社会の中でまだまだ中核を席巻しているのは事実である。
対策としては、こうした原始的な欲求に対し名前をつけ、それがカッコワルイという社会的風潮を作ることだろう。
ヤンキーだって中二病の1種であることを広めることでその文化は廃れていった。
たくさんの大人に肩パットを入れさせたり、車を所有することが一人前だと思わせたり、過剰なルッキズムを形成したりと、
文章にすれば狂気に思えることを成し遂げられるのが彼らの仕事だ。
お金を払ってライターに書かせたインスタント文章で謝罪を表明する、表層的な謝罪ではなく、是非とも行動で示してほしい。
自分には「仕事」しかできないから「仕事」で社会に還元していくなんていう精神的負荷が低く、実質なんの埋め合わせもしていない活動ではなく、
でもこの他責の裏には、「目の前の人を責めないでおこう」という心理があるんじゃないかと思うんだよね。
人間、イラッとしたら咄嗟には目の前にいる人間に対して怒りをぶつけそうになる。
でも理性ある人はそこで押し留まる。いやいや、これでは八つ当たりだ、と。目の前の相手は悪くないんだと。
それに直接の知り合いと揉めるのは色々な意味で賢いふるまいではないし。
じゃあ抑え込んだ感情はどうするか? 自分に向かってしまい、自責の念で鬱状態になる人も居るだろう。
ネットでパブリックエネミーを見つけてぶっ叩きまくり、ストレス発散する人も居るだろう。
或いは、聖人の如くよくできた人であれば、具体的な対象に向けて怒りを発散することなく、別な方法で解消してしまうかもしれない。
私はあるグループに所属している人を推している。友達は同じグループの別の人を推していて、自分の担当と繋がっている。
繋がった経緯も全部聴いたし、繋がった後、今も友達は自担とLINEをした話、お互いの家に行った話、一緒に出掛けた話なんかを包み隠さずしてくれる。
(彼女はガチ恋だけど付き合ってはいないようだし、向こうに付き合う気もないらしく、一応清いお友達レベルらしい)
同じグループに所属しているので、友達が自担から聴いた私の担当の話もしてくれる。彼のプライベートな写メもくれた。
私は彼のファンの中では長い方でガッツな自覚もある。彼はファンサもくれるし、会いに行けばとても優しい。
詳しくは書かないけど、自分がファンの中でかなり彼に贔屓して良くしてもらえてるほうだとは思ってる。
ガチ恋ではあるけど、彼とファン以上の関係になれるとはとても思えないので、そうやって十分すぎるくらい優しくしてもらえてる今の関係で十分だと思っている。
彼と繋がりたくないといえば嘘だけれど、自担の真面目で潔癖なところが好きだから、繋がれた時点でそれはもう私の好きな自担じゃなくなる。
手を尽くして繋がろうと思えば繋がれる立場にはいるけど、その時点で今まで築いてきた彼からの信頼も全部なくなることも分かってる。
こんなことを言ってもらった、こんなことをしてもらった、嬉々として話彼女に「良かったね」と言う私。喧嘩したと私に泣きついてきた彼女に親身になって相談にも乗った。今のところどこかにタレこむつもりもない。だけど100%の気持ちで彼女を応援できてはいない。
自担を足がかりに、他のメンバーとも繋がった彼女を心から肯定できてはいない。
自担ほど下心はなく、ただの飲み友達らしいけど、自担と繋がってた時あんなに自責の念にかられて泣いていた彼女はどこにいったのかなと思う。
嫉妬も勿論ある。彼女が自担にもらった特別を、自分も自担にもらいたい気持ちは間違いなくある。グループのメンバーと仲良くなって、自担の裏話を聴いたり、他のファンは得られない情報を欲しいと思うときもある。
繋がったメンバーとの飲み会に、認知を貰っている友達は絶対に連れて行かない彼女に、理不尽ないら立ちを覚えたこともある。
だけど、そちら側に行きたくないという気持ちも本物だ。ファンとして、きっと彼女を許せてない気持ちがある。
彼女は他にも担当がいるし、現場も大して入らないのに1~2回入った現場で必ず担当にファンサを貰っている。繋がってるというだけで贔屓をされる彼女が担当にとってのファンなんだろうか。
担当が違うから考えても詮無いことと分かっていても、たまに空しくなる。
どんなに真面目に追っていても、結局リスクを抱えて飛び込んだ成功者が勝ち組なんだと思う。
決して繋がれないタイプの担当を追ってるから、同じことをしたって彼女と同じようになれるとは限らないのもわかってる。だけど、彼女が繋がってから、彼女の話を聴くたび、ずっと同じ気持ちがグルグルと巡っている。
自担が優しくしてくれるのはうれしい。私のことを「良いファン」と評してくれるのはとてもうれしい。幸せだ。
自分をファンとしてこれ以上ないくらい信用してくれる自担の気持ちを裏切りたくない。
ファンとして一番に置いてもらってるのに、そのことに満足できていない自分が一番嫌いだ。
彼女は私を信用して、自担とあったことを全部私に教えてくれる。LINEのスクショも、彼女たちのツーショットも私は持ってる。
保存してる時点で、私は切り札を持ってしまった。彼女を裏切れる切り札だ。
https://togetter.com/li/1140405
https://togetter.com/li/1140478
ポスターは「今日も若手社員を泣かせてしまって。自責の念でいっぱいです。さ、洗い流そ。」というコピーに目だけ笑って無い不気味な満面の笑みを浮かべるキャリアウーマンの写真がついている。
サイコパス風で恐い。
笑顔で毎日若手社員を泣かせる女に感情移入する人より、泣かせられる若手社員に感情移入する人の方が多いだろうに何を狙ったのだろう。
驚く事に男性はこの父親に共感を示す人も多いみたいだが、石鹸のメインターゲットは主婦だ。
ウキウキと用意した息子の誕生日パーティーの飾り付けやご馳走を前に
「パパまだ帰ってこないの?プレゼントは?ケーキは?お腹すいた」
と半泣きの息子を宥めながら、夫に電話をしても繋がらず夫が飲んでる間ずっと待たされた挙げ句に、文句も無視され理由の説明もなく風呂に逃げられた妻に感情移入する。
ケーキの保冷剤も2時間くらいしか持たないから、酒場に持ち込まれ長時間常温で放置された誕生日ケーキはクリームが溶けて形が崩れ無残な姿に成り果てているだろう。
息子の誕生日を意味もなくボロボロにして、パーティーの開始時間を夜遅くまで伸ばして「さ、洗い流そ。ごめんねー」じゃねぇよ。
両方広告のメインキャラにも企業にも商品にも悪印象を植え付けられる絶妙に不気味なCMに仕上がっている。
牛乳石鹸と言えば歴史のあるメイン商品だろうに何で自らイメージをぶち壊すような広告をうってくるのか。
何を洗い流したいのだろう。
他の人も書くと思うけど、「当事者」って言葉を使うんではないかな。ガイジではなくて。
医師と話が出来るだけでも、すごくない?臨床心理士の人でも、なんか理解なさそうな人とか、いるし。分かってるだけ、いいんじゃないの。
良く話しそうに見えるから、都市部に住んでるなら、当事者会に行ってみたら?
TwitterとかのSNSでも発達当事者クラスタがあるから、そういう人の中には、高卒で良かった、
大卒である理由が分からん、みたいな人もいるんで、共感、貰えるかも。
生涯年収で考えたら、200万円ぐらいは、合わない仕事・合わないことを続けて自責の念に駆られて、
「小さなことを気にしない」
って、そんなことは嫌というほどわかってるんだよ。
そんなことで良くなってくれるものではないんだよ。
10代の頃からずっと周りの大人や友人にそう言われ続けて考え方の切り替え自体はだいぶできてきたのだけど、状況は変わらなかった。
社会人になって以降はむしろ「くだらないことにいつまでもこだわり続ける粘着質」「周りのアドバイスを結局無視して自分のつらさをアピールしたいだけのクズ」みたいに思われることも少なくなくて、そうじゃないのに、自分でもどうしようもなくて困っているのに、って余計に辛い思いをするだけなので周囲に相談すること自体をあきらめていた。
自分の場合「なるべく叱られずにすむ環境に身を置く」ことである程度解決したように思う。
もうこういう体質自体はおそらく変わることはないと思っている。
自分は寝る前が一番辛い。
「その日あった、ちょっとしたこと」をきっかけに、走馬灯かよと思うぐらいに過去のさまざまな記憶が自責の念とともに襲い掛かってくる。
なんでこんなにたくさんのことを忘れずに覚え続けているんだろう、とそのしつこさにも強い自己嫌悪を覚える。
ただそれでも、会社員のころよりは楽になった。
最近は、精神科の医師に「ご近所トラブルが続いて気が滅入っている」と話したときに「トラブルを未然に防ごう、コントロールしようとは思わないほうがいい」と言われたのに納得した。確かに「トラブルの種になる要素は極力早期に排除しなければ」と思って心を砕いていたがそれでも起こってしまった、ということ、要は「コントロールできなかった」という事実自体に落ち込んでいたのだと気づいた。医師が続けて言ったのは「ご近所トラブルなんて、もっとも避けようがないことのひとつですから」と。なるほど確かに。冒頭に挙げたアドバイスのことばと同じことを言っているのだけど、言葉の使い方で自分の中への入り方が違ったので参考までにと思って書いた。
追記
皆さんありがとうございます。お陰様で、2人の方とメールをすることが出来ました。
id:houyhnhmさん、自分はあまり多数で話すことが得意ではありませんが、お時間の合う時がございましたらいつでも参加させていただきたいです。
読んでくださる方も多くて、嬉しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20161017031727
ふと今日思い出して、あの記事消そうとしたのですが、意外にコメントやトラックバックが多くてびっくりしました。
反応遅くなってすみません。この記事を見ている人は少なくなっていると思いますが、自分は食い詰めることもなく、ちゃんと生活できていること、またコメント等が励みになったこと、その感謝について伝われば幸いです。
あの記事は、当時不安が募り、耐えきれなくなったので吐露したものであり、この生活でも良いことはあると今は思っています。
コメント等を読んだ時、凄いドキドキしました。励ましの声も、社会に出た時こういう人たちが周りにいるかもしれないと希望が持てるようになりましたし、何より実体験や少しでも現状を和らげれるお話なども聞けて良かったです。その節はありがとうございました。
大学は、単位を落とすことなく奨学金を打ち切られることもなく、少々問題は起こりましたが、通うことは出来ています。これからは、一般教養だけではなく、より専門的なことを学べるのでワクワクしています。
国立なら学費免除制度があって、家が生活保護レベルなら全額免除になるし、格安の寮がある場合もあるから、苦学ってほどでもなくなる。 国立ならだけど
自分は普通科ではなかったので、国公立に挑めるほどの学力がなく、また3月まで結果を待てる心を持っていませんでした。
なので、大阪の情報を学べる私立の大学に入学しました。学生寮の申込みをしましたが、遠方から来る学生に向けたものだったのか、抽選に落ちました。
これは変な話なのですが、「生活保護だ」という話をあまり外でしたくないので、打ち明けられていません。ただ、親の収入が0で自活しているという話は通っています。
生活保護への風当たりは強くて、久々に会った幼馴染に生活保護の批判をされたときもちょっと複雑な気持ちになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20161017101740
ありがとうございます。自分は現在その学生支援機構の奨学金、無利子有利子ともに受けています。機関保証ですが、借金になってしまうため、最低限学費だけに抑えています。
幸いなことに、1件だけ給付型の奨学金を受けさせていただいています。10月の不安が、この給付型奨学金の継続条件であり、「優の数が、良+可より多いこと」でした。なんとか今年は継続条件をクリアすることが出来、更に給付額も3万円から4万円にあがりました。
自分の将来したいことへのド直球なアドバイスありがとうございます。努力すべき道がこんなにも明確になると、目的意識が湧き励みになります。
こちらの学生部の対応もあまり良いとは言えないです。(その中でもいい人に出会うことは出来ましたが…)
一応高校の頃にWebサイトの制作や、画像加工が趣味でやっていました。高校のパソコンのセキュリティが甘く、割と自由になんでも出来たのが幸いでした。
Adobe製品では、Photoshopとほんの少しだけIllustratorが使えます。
http://hibiki317.hotcom-web.com/wordpress/
現在パソコン部に所属しているので、これからは言語を授業で学びつつ開発をやってみたいです。(サイトも写真やロゴ以外は大抵借り物なので、中身も作りたいです)
休学は奨学金打ち切りや、就職に影響が出ると思いやっていません。
親戚漁ったら1人ぐらい大学の資金援助してくれる従兄なり叔父なりいたりすんじゃないかな。無担保無利子借金でもいいや。ちょっと独力でなんとかしようとしすぎなんでないの
親父に頼ってみるのも手
生活保護の基準として、(自分の地域だけかもしれませんが)金銭的に頼れる人がいたらダメなところがあり、祖父母を始め、父親とも交流を絶つ状態です。母には兄弟はいません。
仮に祖父母や、父親と交流があっても、祖父母は自分達の生活でいっぱいで、泊まらせてくれることはあっても、資金の援助は厳しいです。
父親に至っては、借金の大もとであり、この前死んでるか実名でググったら殺人未遂の被害者になっていました。(再婚しており、17歳下の腹違いの弟もいました)。多分、未だに怪しい商売で借金を重ねているのだと思います。
大学へ行った理由が、「高卒では、就職の幅が狭い」ということで、自分がしたいと思っていたIT系から離れないといけないこと(単純に能力がなかったり、精神的に携われなくなる)を考えた末の結果でした。
アルバイトは時給の良いスーパー等です。しかし、コメントで言われるように、自分がその働いている時間をもっと有効に使えるのではないかとずっと思っています。IT系のバイトを探しているのですが、大阪では、実務経験を問うバイトが多く、まだ手に職をつけていません…
「家賃光熱費食費で7万」というのは家賃が高すぎるから。家賃は3万円以下にしろ。こういう学生って、たいてい都心に住んでいるんだよね。ぜいたくすぎ。家賃を下げよ。 http://suumo.jp/chintai/tokyo/sc_itabashi/
家賃は2万弱です。ただ、日当たりが悪く、重ね着しても尚寒い季節だったので、ガス代電気代が嵩んでました。これからの季節はマシになると思います。通信費が一番の問題ですが…
何のバイトなんだろ。「10万も」っていってるけど。大学生の頃、カテキョとか塾講で毎月手取り10~15万ぐらいだったけど。奨学金と合わせたら就職した方が自由になるお金が少なくてショック。(福利厚生
お恥ずかしい話なのですが、自分は小学生時代の離婚と転校で病んでいて、中学校は3年生になるまでまともに行っていませんでした。3年生で猛勉強をして、偏差値50の高校に行ったのですが、義務教育の殆どを教えれる自信がなく、塾講ができませんでした。
優秀な弁護士やケースワーカー経由で福祉を頼れ。若者支援団体でも可。 間違っても、ちょっと前に炎上したようなセミナー(マルチとかアフィとか)には行くな、殺されるぞ!
ちなみに僕は、春学期に仲良くなった子にマルチを勧められたことがあります。
そのせいで、その授業を一人で受けていたので、経済政策の授業だったのですが、身の入り方がまるで違い、めちゃくちゃ楽しかったです。
福祉、とは言えるのかわかりませんが、市から補助金が月に1000円ほど出る手紙が来たので、直接市役所で聞きながら受けてみたいと思っています。
変な親…。貧乏なだけかもしんないけど。
母はうつ病なので、他人には理解できない考えもあるかも知れません。本気で辛いこと言われたり、何度も喧嘩もしました。
離婚した当初、他の人との再婚の話も出たそうなのですが、親に捨てられると思っていたので、全力で拒否しました。
そのせいで、現在までも貧困の問題などを抱えたり、親の伴侶を得る機会をなくしたこともあり、今までお世話になった親の面倒もしっかり見れるぐらい金銭的に不自由なくしたいと思うようになりました。
当然、自分の子供にはこういった思いをさせたくなく、より良い幸せを探したり、色んなことに挑戦させて、失敗を恐れない人になってもらいたいです。
実際に今も癒えない傷は心だけではないですが、それでも親について考えるのは、いざとなった時話を聞いてもらったり、今でもたまにご飯も一緒に食べたりもしますし、同居していたときより仲良くしていています。
話をしている時、母も姉も生活保護ではなく自立したいという話があり、再就職に不安なことなどを聞きました。
母は、障害者2級、姉は3級です。将来の話を聞いていたら、一番多く親子喧嘩になっていた自分に「うつ病を長引かせている原因は自分ではないか」と思う節があり、そういう意味で自責の念があります。(姉に関しても、自分と親のそういう面で、親に何も言えなかったんじゃないかと思います)
大学に行かせてもらったのも、入学金が借りられないため親のお金でしたし、恩があります。
変な家庭かもしれないですが、喧嘩していないときはどこの家族より仲がいいと思います。
この家族のためにしたいことはたくさんあります。それに自分がしたいこともたくさんあります。不登校の頃、NHKの白熱教室を見ていて、大学の授業を受けたかったし、就職の不安を拭いたかったこと、些細ではありますが、学生らしい生活を送りたかっったこと、色んな気持ちで大学進学を志しました。
自分勝手で未熟なところもあり、この生活に愚痴をこぼすこともありますが、この匿名ブログだけに抑えているので許してください。
資格の話ですが、これを取れば少しでも世界が変わるんじゃないかと思っていただけに、「あまり必要ない」「会社に入ってからでも大丈夫」という声が多かったのが、驚きでした。
ご飯をご馳走してくれる というコメントもあったのが、嬉しかったです。申し訳ないのですが、自分は大阪市民なので、東京に行くのは18切符のある時か、就活の始まるころだと思います。
厚かましいですが、その時ご馳走していただけたら幸いですww
また、年上の方の話を聞くのが好きなので、仕事の大変さや面白さ、家庭を持ったときの気持ちや学生時代のお話なども聞きたいです。
重ねて不躾なお願いをいたして申し訳ないのですが、こちらのメールで連絡を待っています。
hibik@me.com
1週間飲まず食わずで風呂にも入れず、ひたすら自分を叱咤激励するもどうにもならず、たまらず実家の母親に電話したら精神病院に連れて行かれ、その日のうちに「うつ病」との診断が下された。
薬を飲み始めたら嘘のように状態が良くなっていき、「こんなことならもっと早く病院に行くんだった」と何度思ったことか。
今は段階的に減薬をしている。薬の量はピーク時の4分の1になった。
独特の自責の念や強い不安感絶望感、消えてしまいたいという気持ちに苛まれることはほとんどなくなった。
しかし体のだるさや強い眠気などがいまだに抜け切れない。
薬を飲み忘れた時は眠気が軽くなることから、おそらくこのだるさと眠気は薬によるものなのではないかと考えている。
なので早く薬を完全に止めてしまいたいのだが、生活環境の変化がここ数年めまぐるしく、なかなか本腰を入れて減薬に取り組めないでいる。あと通院が続いているせいで保険にも入れないし。それが目下の悩み。
こーゆー風に、一度病院にかかると、よくなった後もいろいろめんどくさいことが出てくるのではあるが、基本的にあのとき病院にかかって「うつ病」と診断を下されたのはよかったと自分では思っている。病院に行かなければ、引きこもりのニートまっしぐらだったろうし、あるいはもしかしたら今頃はすでに自殺を成功させてこの世にいなかったかもしれない。適切な治療をうけたからこそ、人並みに幸せを享受しながら暮らしている今の自分があると思う。
他の方も書いているように、増田も「うつ病」と診断される状態なのはほぼ間違いないと思う。
診断されたらされたで上記のような面倒ごとも出てくるのだが、今の状態が続いてもいいことはないだろうし、やっぱり病院には行ってみてほしいなと思う。
余談だが、ガクンと調子が下がるのはまさに「忙しい時期が過ぎて、少し経ってから」だと思う。自分もいつもそうだから。もうそんなに大変じゃないのになぜ今、と思う気持ちはよくわかるのだけど、実際だからこそなんだよ、多分。忙しかった時期の反動が閑散期に出るんだよ。今の増田は怠けてるわけでも気がゆるんでるわけでもないからあんまり気にすんなよ。
学生の頃、所属していたサークルでメンバーとうまくいかず、大事な時期に辞めてしまったことがある。
統率力も人望もない自分なのに、立場的に他に適任がいないという理由で、同期の中で自分が代表になることになった。
予想通り全くうまくいかず、意見が対立するどころか、自分が主張することなど無視されてばかりで、「話聞いてよ」と訴えることもよくあった。
頼れる人が誰もいなかった。一番の味方であるはずの同期の友達から見放されていたから、もうどうにもならなかった。
しばらくそんな状態が続いて、ついに、活動があると分かっているのに、どうしても家から出られなくなった。電話が掛かってくるのが怖くて、何日も携帯の電源を切ったまま家に引きこもっていた。
結局、状況をどうにもできず、会費だけ振り込んで辞めますとだけメールで伝えた。本来は謝りに行って頭を下げるべきだ。今でも後悔している。でも当時の自分にはそれができなかった。自分が代表なのに何をやってるんだ、という自責の念だけでも死にそうになるくらい辛かった。
サークルを辞めたあと、研究室に配属されて、卒論や修論に取り組むことになった。そのときには、上の経験からどのような思考パターンや行動が精神的に良くない結果になるかが経験的に分かっていたので、嫌なことがあってもとりあえず研究室には行く、悩んでも仕方ないことを考えないようにする、辛くてもネガティブなことを漏らさない、こういうことを意識するだけで乗り切れることがほとんどだった。
でも過去の体験を引きずっている。いつか、前のような引きこもりのような状態に戻ってしまうかもしれない。そして今も壁に直面している。
何か困難なことが立ちはだかる度に、「今回はダメかもしれない」と、内心、ガクガクに怯えている。そういうときこそ、最悪な状況に自分を追い込まないことが大事だということは分かっている。だからポジティブに振舞う。それでなんとかやっていけている。
ところが、最近、後輩に「メンタル強そうですよね。ストレスの多いところでもやっていけますよ」と言われた。自分がそう見えていたことにびっくりした。行動だけでもネガティブにならないように気をつけてはいたけど、表情とかで周囲には精神的には弱いことが気づかれていると思っていたからだ。
もし周りの人間がみな同じように感じていたとすると、本当は精神的に弱いのに、「あの人は大丈夫」と思われていることになる。その状況が一番まずいのではないか。自分がもし折れたときに、助けてくれる人がいないかもしれない。そのことが心配でならない。自分はやっていけるのだろうか。
吐き出したくて感情のままに書きなぐったのですごく読みづらいうえにずいぶん長いです。ごめんなさい。
暇な人は読んでください。そしてこの感情の正体を教えてください。
マイホームを建てて、引越しだのなんだののバタバタのなかでケンカが絶えず、「離婚届を取りに行こう」という言葉が年末に旦那から出てきた。
建てたばかりで離婚なんかあんまりにも残念だと思ったし、ローンとかお互いの仕事の都合とかのもろもろで、離婚したとしてもたぶん家を出ていくのは旦那のほうになるんだけど、それはともかく、こちらももう実はずっと前から旦那に対する愛情とか愛着みたいなのを感じられなくなっていて、一緒にいても息苦しいばかりで、正直会話をするのも苦痛で、たぶんそれは旦那も同じで、何か月もレスだった。
何度こちらの考えや気持ちを伝えてもなかなか変わることができず、悪い意味で典型的な九州男児で男尊女卑の亭主関白、家の中ではいつも横柄な態度で何もしない、いちいち一言多い旦那に愛想が尽き、わたしから離婚を申し出たことも以前あった。話し合った結果離婚はなくなったのだけど、こんなふうに何度か別れ話まで行きつきながらも結局別れずに今まで来ている。ふたりとも優柔不断だからだと思う。どちらかが決断力のあるはっきりした性格だったらとっくに別れていると思う。
わたし自身も、横柄な父親とそれに不満を持ちつつ黙って従う母親のもとで育ったし、旦那の実家も見ているとだいたい似たようなものなので、まあ育ってきた環境がそうなら本人もそう簡単には変われないだろうし、わたし自身も結局、手本となる母親がそうだったのでなんだかんだ言っても知らないうちに旦那の横暴を誘発しているところがあるのはわかっているし、まだまだ日本も過渡期だよな特に九州は、なんて勝手に主語を大きくしたりしてもやもやした気持ちを無理やり押し込めながら生活してきた。
ただ、今回の年末の大ケンカの直後にわたしはインフルエンザにかかってしまって数日間寝込んでいて、そんなときも以前は「自分の食事は自分で用意するから気にしなくていいよ(ドヤァ)」というアレを素で言ってしまう、嫁の食事およびその他の掃除洗濯についてはまったく考えを巡らせることができないほんとにテンプレ通りの困った旦那さんだったのだが、何度か話をするうちに、少しずつ面倒を見ようとするようになってきているのは感じていた。
今回は、それに加えて掃除をしてくれた。
掃除機をかけ、風呂を洗っている音が、熱でぼんやり寝込んでいるところに聞こえてきた。
ああ、ちゃんと考えてくれているんだなあ、と思った。
何度話してもわかってくれない、変わろうとしない、と思うときも多いが、そんなこともないよな、と思った。
だいたいこれもケンカの直後だけで、数日すると、すぐにもとの横柄な人に戻っちゃうんだけどね。それでまた不満が溜まっちゃうんだけど。
でもそのたびに、やれることが増えているのを感じている。それは本当にありがたいし嬉しい。
そういうことも、ケンカしたあとの話し合いのときにはその都度全部伝えている。
わたしもだから変わりたいな、と思って、不満とか違和感を角が立たない言い方で小出しにすることを日ごろから心がけていて、それでもやっぱり期待値が上がってしまうのかイライラが募ってしまうので、まだまだ精進が足りないなとは常々思っている。期待するから腹が立つのであって過剰な期待をはなからしてはいけない。これは完全に自分の精神的な問題なので旦那がどうこうという話ではない。
あとはそもそもの話だがベースの部分の愛情がずいぶん少なくなっているから沸点も下がっているのだろうと思う。
そんなふうにベースの愛情がなくなりつつあるので、話すのが苦痛、一緒にいても息苦しい、という気持ちをなかなか切り替えることができずにいたんだけど、こないだの3連休の真ん中の日に、夢を見た。
旦那が、キャバ嬢みたいな派手な身なりの女の子を3人、連日家に連れて帰ってきて泊めてやっている。
キャバ嬢と言っても平野ノラみたいな昭和な感じの人たちなのだけど、まあとにかく女の子がうちに泊まるようになった。
寝るときだけは、彼女たちの姿がなぜか幼稚園児ぐらいの幼い女の子になる。
なんか、ひよこみたいだな、となんでかわからないけれど思った。
たくさんのひよこが一匹の大型犬にくっついたり乗っかったりしてて、大型犬も静かにそれを受け入れているという写真をネットで見たことがあるが、なんかそんな感じだった。旦那は大柄だから。
何日目かの朝、彼女たちを送りだしてからわたしは旦那に問いただした。
非常に迷惑している、一体何のつもりなのだと彼女たちに対する文句を言うと、旦那は腹を立ててわたしを蹴ってきた(一応書いておくけど現実に暴力を振るわれたことはありません)。
実家に帰るとか、他の友達のところに泊めてもらうとかできないのかと問うと
と、悲しそうに旦那は言った。
そこで目が覚めた。
わたしは親と不仲で、ここ数年連絡を取っていない。向こうからメールや電話は来るがすべて無視している(以前は着信拒否していたのだけど、そうすると母親が義母に電話をしはじめたらしく、義母から「困っている」と言われたので慌てて着拒を解除し、とりあえず義母への電話攻撃はやめさせた)。
家を建てるときも、うちの親に知られると無為に引っかき回して話をめちゃくちゃにするのは明白だったので、黙って建てた。
ただ、旦那の親にもわたしの気持ちを話したのだけどやはり親の立場としては納得がいかないということで、旦那の親はうちの親と今も連絡を取り合っている。
旦那と旦那の親に、うちの親子事情のせいでこれ以上負担をかけられないと思い、先日、夫婦でわたしの実家に行って「家を建てた」という話をしたところだった。
うちの親はいわゆる毒親気味でこういうときに隙を見せると喜々として人格攻撃を始めるので、あえて最後まで儀礼的な態度を崩さなかった。
1時間ほどで話すことを話して、きりのいいところで引き上げた。
自分に子どもができればまた変わるのかもしれないが、思春期を過ぎても両親を「気持ち悪い」と思う感情が消えてくれない。母親の卑屈な作り笑顔も気持ち悪いし、父親の理不尽な人格攻撃や横暴も心底軽蔑している。大人になった今は、親としてというより人としてそれぞれどうにも苦手で、単純に接点を持ちたくない。
その直後にこういう夢を見た。
たぶん、3人の女の子はわたしなんだろうと思った。屈託なく甘える一方で、わたしは本来そこにいるべきでない存在だと思っている。わたしは旦那に不満を持っているが、旦那もわたしと結婚して幸せになったようにはとても見えない。わたしは旦那からいろいろなものを搾取している。わたしは、本当はこの人と結婚してはいけなかった。旦那に苛立ち、息苦しさを感じるたびに、同時にそんなふうにしか思えない自分を責める気持ちと、旦那への罪悪感も増していった。
あんなにも疎ましく思っていたのに、目が覚めると涙がぼろぼろ出て、旦那のことをどうしようもなく愛おしく思う気持ちがぼんやりと湧いてきた。
横で寝ている旦那にくっつくと、旦那は少し驚いたようなそぶりを見せて、また寝た。
本当に、自分に起きたこの変化はなんなのだろう、よくわからない。
彼は煙草を吸うので、ときどき匂いに耐えられなくなることがあった。正直、近くにいたくなかった。寝言もうるさいし、夜中に目が覚めるたびにイライラしていた。
でも今は、旦那の匂いも愛おしい。すごくいい匂いだとなんか知らんけど思う。寝言も愛おしい。
ただ、それと一緒に罪悪感と自責の念もどんどん増えていく。
だから、この気持ちの変化を無邪気に旦那に伝えることができないでいる。
旦那のほうは、もう無理なのかもしれない。
それはもう、仕方がないと思っている。離婚することになるのなら、仕方がない。そう思っている。
でも自分の気持ちは、あのへんな夢を見てから突然変わった。理由はよくわからない。けれどとにかく変わった。
それだけは、まあとにかく伝えなきゃなあ、とは思っている。
どうすれば伝えられるのだろうか。そのまま話してわかってもらえる自信がないし、そもそも罪悪感がもうほんとに半端なくて、やっぱり好きだとかこれからがんばるとかそういうことを口にするのもはばかられるぐらいの罪悪感に押しつぶされそうになっている。それでうまく言えない。
そもそもこういう感情の振れ幅が大きすぎる女性というのが、自分が男だったらめんどくさすぎてもう駄目だろうと思う。
話がしたい。話さなきゃな。
最近何かしたってのじゃなくて、数年来、自分を許すことが出来ない人生で苦しい。
人外が人間関係で色々やらかし続けてきた結果、自分のせいで孤独になった。
受け入れてもらえなかった事は変わらないし、決裂した関係は元に戻らない。
だから一人後に残った自分は、常に贖罪先のない罪悪感に囚われている。
自分は悪事をし、許されなかった。っていう強く重い絶望が、前向きになる可能性の全てを奪う。
許しを求めるのが傲慢なのは頭では分かってるし、忘れたいんだけど、ふとした時にどん底に落ちる。
「過去は取り戻せないから先のことを考えよう、現実忘れて楽しい事を考えよう」と努力すると
同時にその時関わったもの・人の苦い記憶が周囲を彩る。 あまりにも簡単に曲がり角で撃たれる。
真っ当な人間関係って私の場合は共感を求めないこと、友達にならないことだとようやく覚えた。
相手がはっきり楽しいと思わない程度に不快にさせず会話を終えるって対応で、しばらくやっている。
個性とか出そうとすると絶対こじれてきたから趣味や内面の話はしない。
これだと話し相手は別に私である必要がないし、関わるだけ砂漠に霧吹きしたようにすぐ心が乾いて辛い。
そのように分をわきまえることが どうして辛いのかは、
人間関係に対して私が真に求めるタイプの幸福は得られないってことを、
慰められない幼稚な本心が事実の受け入れを拒んでるから。 赤ちゃんだから。都合よく理解者を欲しがるから。
そうするのが一番だと分かってるのに、なんて言えば良いんだろう?
自分の怠惰や甘えには最低に鈍くて、呼吸するように人を傷付けるくせに、図太くないから自分を責め続けて病む。
間違い泣き叫びはするが反省し学ぶことが出来ないのを、人間性が欠如してるという以外になんと言えばいいのか?
自分でも呆れるほど辛いことが一切したくなくて、物凄く打たれ弱くて、死ぬほどわがままなんだ。
私だって自分に苦行を課して過去を乗り越えて 無事に老いてやすらかに死ななければいけない。