いわゆるオタクコミュニティ、特に女性向け界隈なんかでは「みんなが好きなもの(この場合では何かのコンテンツなど)を尊重してなにかの悪口は絶対言わないようにしよう」みたいな風潮あるよな。それ自体は極めて道徳的で素晴らしいと思う。みんながそれを守れたらいいよな。でも実際ヒトは好き嫌いってものがあるわけで、みんながみんな好きになるなんてものは存在し得ないわけだ。そしてつい「これ嫌い!」って言いたくなる瞬間もある。そこでどうするかって言うと単純に「嫌い!」とは言えないから、その何かが倫理的、もしくは道徳的に間違っているのではないか、あるいは「ルール」に反しているのではないか、というふうにあくまで「善意の指摘」という形に変えてそれを否定するようになる。これが一部から「学級会」なんて揶揄される所以とも言える。ここでよく考えて欲しいのは、その指摘の正当性などは置いておいて、それが好きな人がどう思うか、ということだ。ある人は自分が倫理的に間違っているモノに良い感情を抱いてしまった、なんて自責の念に駆られるかもしれない。一方でそのような大変に複雑なステップを踏まずに「これ嫌い!」という「個人の嫌悪の表明」であれば、「まあ好きな人も嫌いな人もいるだろうな」というように納得することができるだろう。つまり、不文律を気にして遠回しに否定しようとするほうがむしろ、誰かをより傷つけているかもしれないのだ。「実際に問題があるのにそんな個人の好みの問題に矮小化して語れって言うのか!」なんて思う人もいるだろう。もちろん、この種の指摘を全て否定しているわけではない。しかしこのような風潮がより議論や対話を複雑化させているのは明白だ。タイトルではすこし語弊を招きかねなかったかもしれないが、もちろん特定の人種や宗教の信者などへの嫌悪までもを許せと言っているわけでもないし、いちいち好きな人に嫌い嫌いとわめきにいくのを許せとも言っていない。言うなれば「ピーマンが嫌い!」と言う人に、「その発言は全てのピーマンが好きな人と生産者の人格を否定しているぞ!」なんて詰らずに、「嫌いな人もいるよね」と、「個人の嗜好の違い」を私たちは受け入れられるんだってのに気付こうという話だ。
一々「嫌い」を主張しないと気が済まない人が嫌いな人も居るよねですませとけばいいんじゃないですか?