はてなキーワード: 自責の念とは
それ自体は、大切なことだと思うけど、言われるのを見聞きするたび、忸怩たる思いがする。
思春期に萩尾望都でギムナジウムの美少年同士のピュアな恋愛にはまり、女子校生活で女の子への疑似恋愛も経験(片思いだが)
そんな経緯から、ルームメイトのカミングアウトもするっと受け止めたし、そういう愛もあると思ってた。
色んな制度の問題も、いつか解決するといいね、位の薄い理解だったけど。
そんな私がある時配属されたのが外国人と日本人が半々くらいの職場。
かなり自由な職場で、LGBTが今ほど言われなかった当時でも、みんな普通にカミングアウトして、普通に受け入れていた。
何しろ私のチームだけでも、同性愛者が8人、20人中と思うと、かなりな割合だと思う。
だからか、LGBTに対する理解を深めてもらうワークショップを社外に向けて発信してたし、イベントで当然のようにカミングアウトする人たちも居た。
お客さんたちは本心どう思ってたか分からないけど、そういう場に集まる人たちは「理解ある自分」を演出したがるもので。
お客の中から初めてカミングアウトする、という人も出てきたりと、ちょっと不思議な空間であった。
多国籍企業だからこそできる、国際交流とか、環境問題とかも大事だと思うの。
短い任期の中で、印象に残ってるのはLGBT関連のイベントと、語弊をおそれず言うと「理解してくれるよね!」という押しつけのような熱さだったわけで。
で、表題にはいると、そんだけセクシャルマイノリティを擁護しようと躍起になってるのに、別のマイノリティ、V、つまりバージンはバカにされなきゃいけなかったわけ!?ということ。
特別言うことでもなかったし、黙ってたけど、すぐボロはでた。
当時は異性の裸を正視できなかった。
そんな私を見てみんな見抜いたらしい。
気づいても知らん顔するのが大人のマナー。
なのに、ちょいちょいバカにされ始めた。
最初はみんな私の恋愛を心配してくれてるのだとすら思おうとした。
でも、マッチョの水着姿を正視できない私を笑ったり、外国人のゲイの同僚に、男性性器の写真を見せられたり、罰ゲームで私の頬に不意打ちでキスする奴まででたり。
やっぱね、あれはさ、イジメだよね?(怒)
最終的には容姿までバカにされて、泣きながら上司に訴えて謝罪させたけど、その時の女性の同僚が冷たいこと。
って(涙)
夢だった仕事について、みんなのことも好きだったし(最初は)、絶対成功させたかったから、全力でがんばってたのに。
ねぇ、私なんかそんな悪いことした?
仕事の能力については誰も何も言わなかった(言われたら私立ち直れなかったろうし)
だから、そこを突いてきたの?
多様性を散々私を含めて、まだ十分な知識もないお客さんたちにまであんだけ押しつけておいて、で、私は受け入れてくれないの?
私がその仕事に就くためにどれだけ色んなもの犠牲にして勉強してきたか、みんな知ってたのに。
それで恋愛も後回しだった(モテなかったのもあるけどさ)のに。
高齢処女も、ある意味マイノリティだよね。特にそれでLGBTの人等みたいな社会的弊害はないけど言えずに苦しんでる人だってたくさん居るのは同じなはず。
みんなにとってはイジりだったかもしれないけど、私にとっては未だに心がえぐれる。
だって、私にとってあの仕事は何年もずっと夢見てた場所で、一生の思い出なのに、そんなことで汚された。
最後までみんなのこと信じようとしたけど、やっぱり無理だった。
そんな私みんなに嫌われたかな?って未だに思う。
二度と連絡も取らないけど。
そもそも、LGBTはよくてVはダメなの?どれだけ矛盾してんの?自分らの権利主張はものすごい推してきて、それで何もしてない私のことあんなにバカにしてきたよね?それで多様性とかよく言えるな。
もう3年も前の話。
今も絶賛Vですが何か?
おかげで、それまでずっと処女であることは特に気にしてなかったのに、気になるようになりました。ありがとう(怒)
もちろん少数派なのは分かってるけど、どうしてもあのときの記憶がよみがえる。
自分らばっかり主張しやがって、と。
一時、本気で思ったもん。
自分が処女であることをカミングアウトしてその擁護をするイベントを開こうかと。
さすがに止めたけど。
私は、あれは許せない。
今の風潮も、どうしても受け入れられない。
今の同僚がそうだとしても、良い人ならこれまで通りつき合うだけ。相談にも乗るし。
LGBTの友達はいるけど、守るならその子たちだけ。他は知らない。勝手にやって、という感じなのだ。
※※※
詳しく書くと、分かる人はすぐ分かるかもしれないので。(あと私を特定されかねないので)
思いの外反応をいただいて驚いた。
この件に関してはずっと胸にしまってきた。
私がみんなに嫌われてたから、
って、ずっと自分責めてたし、忘れようとずっとしてきた。
でも3年たった今、LGBTの運動みてて無性に腹が立っている自分に気づいた。
その怒りを初めて外に出せた。やっと。
ひどいこと言われてたんだ、ってコメントみて気づいた。
日本企業で同じことされたら、即通報してたけど、半分外国の独特の環境だったから私が間違ってるのかと思いこんでた。
何より、力不足なのに、その職場にいさせてもらってるという思いがあったから。
でも、よく考えたら、私はお客さんや他のスタッフからは感謝されることが何度もあった。ちゃんと私だって貢献できてたことにやっと気づいた。
私はあの場で怒って良かったんだよなあ。
でも、もう関係ない。私なりに仕事をやり遂げたことに気づけたから。
いや、好きな作品を人に勧めたりはしないでしょう……。
好きな作品は決して誰にも薦めたりなんかせず一人っきりで楽しむものです。
「秘蔵の品」「隠れ家」「秘密基地」「とっておき」……、そういう心理ですよ。
嗜好品なんてものは「理解されない」くらいがちょうどいいんですよ。
知り合いに薦めたとして……、もしも受け入れられてしまったら?
所詮「俗人に受け入れられる」程度のものでしかなかったことになるわけです。
理解されてはしまってはいけないんですよ。特別性が喪失するわけですから。
そうなってしまえばゴミですよ。好きな作品がゴミになるリスクを犯せと?
おかしいでしょう?矛盾してます。そんなのは本質的には冒涜行為ですよ。
結果として、打ち切りになったとしてそれは仕方のないことです。
悪いのは「売り上げ至上主義」だとか「見る目のない編集」ですから。
下手に死に損なってゾンビのように引き延ばしされるよりも高潔な死を!
読者は打ち切りになったとして「自分のせいだ」なんて思いませんよ。
そもそも「自責の念」を商用利用しようとして、うまくいくわけがないじゃないですか。
以上を踏まえたうえで読者の宣伝に期待するとどうなるでしょうか?
他人に薦められるのは「理解されてしまっても惜しくない」程度のものだけです。
で、毒にも薬にもならない薄くて刺激のない作品が世に満ちることになるわけです。
なんか編集者という人種はこの辺が一般国民とズレてる感じがしますね。
転職回数は10回以上ある。ジョブホッパーッテネーミングに救われている。
やめるときはある程度引継ぎ、ドキュメントまとめ、挨拶などでバックラーではないと思う。だからこそ質が悪いのもあるかもしれない。
死ぬほど調子良かったときに、調子こいてプロジェクトマネージャみたいなことやったらうつ病になった。
これがうつ病かとわかりやすいくらいに症状がでていた(らしい。自覚症状はない)
回復期に心療内科に行くことに成功。そのときに受けたテストにて発達障害だねといわれた。
「そのせいでストレスを感じやすく、うつになりやすい傾向が強いのではないのか」
なるほどなっとく。
それでストレスが掛かると抑うつ状態にすぐなって、そこから自責の念でうつ病に発展しやすいのか。なるほど。
そんで最近、再度あのテストみたいのものをうけたら発達障害ではなかった。どないやねん。ただの社会不適合者になりました。
まぁそれはもーどうしようもないからうまく付き合っていくしかないんだけど
いい加減限界が見えてきている。
技術職なためありがたいことに個人で仕事を受ける事ができるのでどうにか、なんとか生きてきたが
書くのだるくなっちゃった!
例えばコンビニでバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、
作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。
どのくらいの頻度でつり銭間違いしていたんだ?
この世には2種類の人間がいる。やらかす人間とやらかさない人間である。私は後者の人間だ。やらかす人間とは、目があてられないほどに不器用で要領が悪く、他人からはどうすればそうなるの?と首をひねられ、挙げ句の果てには、ほとほとあきれられしまう状況にまでもっていくことのできる、悪い意味ですごい人間のことである。実際、私がやらかしたことに対して「逆にすごい」と評されたことが少なくない。
私がやらかす側の人間だという兆候はかなり前から現れていたように思える。学校生活では肝心な時に忘れ物が多かったり、時間割をよく間違えたりとか今思うと瑣末なやからしにすぎないのだが、たしかに他の人々と比較するとその分野では頭一つ抜けていた印象はあった。しかし、友達同士だったりクラスメイトといった内輪では笑って済まされるような場面が多かったので、そこまで私のやらかしは前景化しなかった。
その時から、やらかして笑いをとるスタイルを自分のものにしていた。図らずとも、私の最も得意とする笑いの取り方のひとつになってしまっていた。やらかしを笑いに昇華するという、ある種の荒業をやってのけるのは容易なことではない。今思うと、私がやらかしても、クラスメイトからはまぁあいつならそれくらいするよね、みたいな私なら許容される雰囲気が漂っていたし、それによってクスクス笑いが起きて場が和むという悪くない効果を上げていた気がしないでもない。私のやらかしは、周囲の諦観とも呼ぶべき雰囲気と嘲笑によって覆い隠されていたのだ。そういう状況だったもんだから、いじられキャラとしてのポジションを欲しいがままにしていた当時の私にとって、『やらかすこと=おいしい』という笑いの方程式が構築され、頭の片隅にあったことは間違いない。情けないことに、失敗で笑いを誘いその失敗をごまかすというなんとも残念な芸風を図らずとも確立してしまっていたのだ。今思えば、それは私なりの生存戦略だった気がする。やらかす側の人間だった私が生き延びる唯一の方法、それはやらかしによって笑いをとることだった。当時はまだ前景化していなかった私のやらかし指数の高さは自覚こそなかったが、自分の無意識においては既に把握済みだったのかもしれない。私がやらかしても事なきを得る環境をでっちあげようがために、私が大なり小なり失敗を犯しても笑ってもらえるような人間になるように、私の無意識が普段の言動や立ち回りを決定していた気がしてならない。
私がやらかす側の人間なんだと、いよいよ本格的に意識するようになったのは、大学生になってアルバイトを始めた時からだった。バイト先では、数々のやらかしをしてしまった。恥ずかしくて惨めな気持ちになるのでここではあんまり書きたくないのだが、例えばコンビニでバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。どんなに簡単な作業でも1回で覚えるのは不可能であった。ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。やらかしても内輪では笑いで済まされるが、仕事だとそうはいかない。社会という荒野に一歩でも出ると、どんな小さな失敗でも許されないのだ。現在は、そういう事情もあってバイト恐怖症に罹患してしまい、バイトを探すこと自体は好きなので毎日かかさないのだが、またやらかしてしまうのではないかと私が犯した数々のやらかしがふと頭をよぎると、とたんに怖くなって申し込むのには二の足を踏んでしまう始末である。私にとって、なにかをやらかすことは前未来的に決定されている、避けられない宿痾みたいなものなのだ。バイトでもこんな体たらくなんだから、社会人としてはやっていけそうにないだろうと悲観している。
でも勉強が追いつくのはまだまだまだまだ先。
なので業務でずっとずっと足手まといであり続け、注意され続ける。
足手まといだし直しや指導されまくりで進捗が遅れまくりなので精神的に辛い。
早く寝たとしても勉強できなかったという自責の念で精神的に辛い。
何も成長しないまま次の出社をしても精神的に「大丈夫かな…」って不安になる。
だけどその辛さを誰も想像してくれない。
関係なく足手まといだし、
夜遅く寝ることになるし、
早く寝ても辛いし、
という現実を感じてくれない。
「自業自得」
そんなの分かってるけど、自業自得だとしてもそんな厳しい状況に置かれている存在が未経験入社族なんだということをある程度わかってほしい。
いや、自業自得なんだけど。
一冊も売れなかったから楽しめないって人に対して、向いていないって言ってる人。
それを言ってる当人は、一冊も売れない、手にも取ってもらえないというような経験をしているんだろうか。
無料でもいいから手に取ってもらいたいと願っても、手に取る時間、増える僅かな重量の価値さえ認めてもらえない無力感を、噛み締めたことがあるのだろうか。
何年もかけて積み上げてきたものが、十数万人の人間あわせても、たった一秒の価値すら無かったと思い知る挫折を、味わったことがあるのだろうか。
あの人混みの中で、ただ一人なんの価値もなく、売れたであろう人を押しのけて席を専有し、いなかった方が良かったんじゃないかという自責の念に苛まれたことがあるのだろうか。
話の微妙な重たさゆえに長らく友人にも親にも話せなくて今までずっと溜め込んでいたけれど、夢野幻太郎というキャラクターを自己解釈する作業で苦しくなってきたのでようやく吐き出す決意をした。
おそらくこの日記を開いた人であれば夢野幻太郎というキャラクターについての説明は不要だと思うので割愛するし、お前の冗長な自分語りに付き合ってられないという人に対して要点だけ述べると「昔、父方の従妹二人を亡くしているので「とある青年」がまだ生きている夢野幻太郎が羨ましい」というものである。
まず一人目の従妹の話。彼女は私の一つ年下の従妹だった。年が近いこともあり、正月やお盆の親戚の集まりがあるたびによく遊んでいた。
彼女の家族は隣の市に住んでいたので正月とお盆以外で頻繁に会うことはできなかったがそれでも会える日はめいいっぱい遊んだと思う。
しかし理不尽なことに、ある日(正確な年数が思い出せないことも自責の念に駆られる)彼女は入院した。
自分はその時は小学校高学年であり、祖父も既に他界しているので人の死についても経験はしていた。
ただ、人の死について体験はしていても理不尽な体験も、理不尽な出来事が起こるという想像もできなかった。
一応、従妹の手術は成功した。
退院後、一度我が家に泊りに来たことがあったので、一緒にお風呂に入った時に気遣いのできない自分は病気についてあれこれ聞いてしまった。
今でもその時の答えづらそうな表情を覚えているし、どうして不快になることを聞いてしまったのか、今でもひたすら彼女に謝りたい。
再入院して、それからいつもの様に学校へ行こうと支度をし始めた朝に両親から彼女が亡くなったことを告げられた。
意味が分からなかった。だって手術は成功したはずではなかったのか。
葬儀に参列して、棺に入った彼女の顔をまともに見ることはできなかった。
葬儀中はずっと神様に彼女が生き返るようお願いをした。泣きながらお願いをしてもその願いは叶うことなく、この時に神様なんていないという事をぼんやりと理解した。
正直、彼女の死について未だに受け入れられないでいる。
何度も何度ももし彼女が生きていたら自分はどう成長していたのだろうか、と考えるしどうして死ぬのは自分の方ではなかったのかとも思う時もあった。
彼女が亡くなってから正月とお盆の親戚の集まりが苦痛でしかなかった。
無神経な大人たちは自分の目の前で「もしあの子が生きていれば…」という話を繰り返すし、叔母にいたっては自分の娘でなく私が死ぬべきだったと密かに呪っているのかもしれないという恐怖もあった。
しかし田舎であることや父が長男であること、母に対して良い感情を抱いていないこともあって親戚の集まりに行きたくない、と言い出せなかった。
そうやって粛々と毎年居場所のない親戚の集まりに参加していた。
例の親戚の集まりでよく遊んでもらった記憶はあまりないが、可愛がってもらったと思う。
そのお姉さんを亡くしたのは中学二年の時だった。ただ、病気であった事や容態が芳しくないという話をあまり聞かなかったように思える。
お姉さんは結婚をしたばかりで、葬儀には旦那さんも参列していた。
火葬場へ出棺する際に、棺に取りすがって大声で泣いている姿を鮮明に記憶している。
さて、二人目の従妹を亡くした事で自分にある恐怖が芽生えた。
もしかしたら自分も将来大きな病気で長生きできないのではないか、と。
もちろんこの事は誰にも話せなかったし相談もできなかった。
多分この時から「将来」を考える事が出来なくなったのだと思う。
しかし、社会に出て就職するまでの学生の間は常に進路という将来を考えなければならなかった。
どうせ長生きできないのだ、と強く思い込んでいた事と親に意見する事が面倒だったこともあり高校も大学も進路決定は非常に適当であった。
自分の中で20歳まで生きられないと思っていたので20歳を迎えてしまったことに絶望してしまった。
そうしてこの絶望も誰かに話すことなく更に時は流れ就職活動の時期に差し掛かる。
就職活動に関して過去の自分を振り返る自己分析という作業があるが、今の今まで人生投げやりに過ごしてきた人間に中身などなく、その事実にまた絶望した。
故人の為に頑張れるほど立派な人間ではないし、そういった自分の矮小さが嫌いで仕方がなかった。
一年ほどニートになったが何やかんやで就職をすることができた。
大学を卒業して、社会人になってからほんの少しだけ、意外と自分は長生きできるのかもしれないと思い出した。
また自由に使えるお金を得たことでオタク活動に磨きがかかり、色々と思考を逸らすこともできるようになった。
ただ相変わらず何十年先という将来を考えようとしても「人は死ぬときは死ぬ」とブレーキがかかってしまうし、このブレーキについてはそれこそ死ぬまで付き合わないといけないだろうな、と思っている。
ここまできてようやく夢野幻太郎(以下、幻太郎)のお話ができる。いや、上記の体験から言えば正確には寂雷先生の『迷宮壁』がピッタリなのだが、幻太郎の方が共感できた。
幻太郎の『シナリオライアー』をそのままで受け止めた時に、幻太郎は「とある青年」の元に何度も通ったと言っている。
まさにその点が羨ましいのだ。
一人目の従妹が入院している間自分は一度も彼女の病室を訪れなかった。
病院が隣県だった、というのもあるが両親に頼み込んででもお見舞いに行くべきだったと後悔している。
天寿を全うした人であれば生前の話に花が咲くが、そうでない場合は故人に対してやってしまったこと、やってあげたかったことへの後悔しか残らない。
誰にも赦しを請えないし、救われるということもないと思う。
そんな自分の今までの体験もあって、幻太郎が羨ましいし幻太郎のこれからの人生が幸せであってほしい、自分と同じ苦しみを抱えないでほしいと強く願う。
何年も前の失敗を思い出す。あの時何であんなこと言ってしまったのか。あの時もっとうまくやっていれば、もっと良い人生が送れたのではないか。思い出しては、心が痛むのが分かる。頭の中では、デフォルメされた心臓に刃を突き刺し、血が流れている映像が浮かぶ。心は目に見えないから、「それ」が人にばれることはないが、もう幾度となく頭に浮かんだこの画像は、実際の傷のように私に深く刻まれている。
これは、“精神のリストカット”のようなものだと思う。本気で死にたいと思っているわけではないが、自傷行為に及んでしまう。死には至らない程度の、しかし痛みは感じる傷を自らつけていく。そしてそれがやめられない。
後悔している間は、他のことが考えられなくなる。いや、考えなくてもよくなるといった方が適切であろうか。今に満足していないから、過去に原因を探してそれに悩むことで今の自分を肯定したいのかもしれない。
「かもしれない?」自分のことであるにも関わらず、なぜあいまいなのだろうか。それは、自分でもなぜこんなことをしているか分からないからだ。自分で勝手に嫌なことを思い返して、嫌な気持ちになり、何も解決しない。思い出す失敗は今更どうしようもできない類のものであることから、この行為が如何に非生産的なことであるかはわかっている。しかし気づけばそのことを考えてしまうのだ。それも一度や二度ではなく、無数に、である。時には泣いてしまいそうになるときさえある。もうどうしようもできない辛い出来事を思い出し、悩み、そしてどうにもできないことに気づき、また悩むのである。自分でもなぜこんなことをしてしまうのか分からない。
実際には、なんとかなると思っているからだろうか。例えば、人間関係についての悩みであれば、また連絡をとってみるだとか、もういっそのこと諦めて次の出会いへの反省材料にするだとか。勉強や就職試験のことであれば、より良い方法を探すための手掛かりにするだとか。
精神的リストカットが終わった後であれば、このように理由付けを考えることもできる。しかし、精神的リストカットをしている最中は、こんなことは考えていられない。ただひたすら、自責の念に駆られているだけなのである。
この行為の問題は、目に見えないことにあると思う。実際に手首など体の一部を傷つけるリストカットでは、その跡が目に見える形に残ることになる。もちろんこのリストカットも大きな問題であるが、精神的リストカットも、実際のリストカットと同じくらいの危険性を孕んでいるのではないかと思うのだ。傷が見えない、ということは他人にも気づいてもらいにくく、更に自分自身でも気づかない場合がある。リストカットでも程度を間違えると出血過多で死んでしまうように、精神的リストカットも程度を間違えれば、自らに不可逆的なダメージを与えてしまう可能性がある。
もしかしたらあの時、傷つけてしまったかもしれないあの人へ。ごめんなさい。でもきっとあの人は、私が今悩んでいようと笑っていようとあの人自身の人生を送っている。声をかけて避けられたならもう仕方がない。社会にはまだたくさんの人がいる。自分ではどうしようもなくなってしまったことに、悩んでいてはこれからの人生も後悔することになる。謝れるのなら謝って。もう謝ることすらできないのであれば、今後迷惑をかけないように努める。自分が精一杯やってだめならば、もうその人とは縁がなかったのだ。自分一人でもこんな面倒な精神を持っているのに、人と関わっていけば、どうしようもできないこともそりゃ出てくるであろう。
反省して次に生かせるのなら生かす。でも、後悔は1度きりだ。記憶はだんだん自分の脚色が入っていく。一番現実に近い時期に行った後悔と反省以降は、もうただの自己満足である。こんなに反省して後悔しているのだから私は悪くないと思いたいだけだ。ヒトを思うふりをして、反省の痛みで許しを乞おうというのは、相手にしてみたら迷惑以外での何物でもない。そして相手のためにも自分のためにもならないことで時間と精神を使うのは本当に無駄なことである。
当たり前のことを何をつらつらと書いているんだとツッコミを受けそうですが(笑)、
自分自身が自社や他社を見て感じたことを備忘録的に書いてみます。
中には理想論のように見えること、時にはそうせざるをえないこと、
ベンチャーだからこそ許されてしかるべきこと等もあるかもしれませんが、
組織の中にずっといるとその異常性に気付かないようなことや、
モヤモヤしつつも誰も異を唱えられなくなっていたりするようなことを、
改めて見つめ直してもらえたら幸いです。(もしくは、あるあるネタ的に捉えてください笑)
また、ベンチャー企業において、起業黎明期、拡大成長期、転換過渡期等のあらゆるフェーズを、
社員、中間管理職、役員、子会社社長等の様々な立場で見てきて感じたこと、
そして自分自身、下記のうちで実際に出来ていたことは決して多くないので、
その自責の念や悔恨の思いで書いたというのも正直なところでございます。
-----------------------------------------------------------------------------------------
→常にビジョンをぶらさず、口頭や文面等で全体に伝え続けるべき
→常に社内をしっかり見て、コミュニケーションにも時間を割くべき
→コスト部門という考え方を捨て、部毎の評価基準も別途作るべき
→重要な決断の際にはきちんと情報を収集し、しっかりと検討を行うべき
⑤派手な私生活、素行の悪さ、ワークライフバランスの崩れ等を見せてしまう
→私生活でも模範となり、そのライフスタイルも憧れられるようにすべき
→そういう時こそ早さとクオリティで手本にされるような対応を行うべき
⑦組織体制がころころ変わり、目標や計画の意味があまりなくなる
→組織としての在り方や評価基準を設け、目標や計画を意識させるべき
→任せる範囲をある程度絞り、個人の専門性も高められるようにすべき
⑨案件を選ばず、すぐにお金になりそうな案件や大型の案件に飛びつく
→短期的な売上に捉われるのではなく、しっかりと案件を選ぶ眼を持つべき
⑪採用に時間やお金をかけない、特にリファレルの場合は極端に人物評価が甘い
→少数精鋭だからこそ組織とのマッチングを重視して慎重に採用すべき
⑫社員に対して中途半端に隠し事をする、重要な情報の共有が遅れる
→できるだけオープンにし、小さなことでも即時共有できる仕組みを作るべき
⑬新規事業の結果が出るまでに待てずに、すぐに打ち切ってしまう
→やると決めた事業には、とことん人と時間を投資いて育てる覚悟を持つべき
→意思決定プロセスにも社員を巻き込み、腹落ち感や当事者意識を重要視すべき
⑮社員に対して心無い発言をしたり、無理やり経営者と同じ視点を求める
→社員の立場になって考えたり、社員に感謝やリスペクトの気持ちを持つべき
⑯働く場所や時間を無駄に縛ったり、細かいルールを作ってしまう
→成果を大事にし、性善説や個人の自主性を重んじたルール作りをすべき
→個人の抱えているタスク量を把握し、全体のバランスを考えて振るべき
⑱プロジェクト単位でのフィードバックをせず、反省を次に活かせない
→改善のための振り返り等を頻繁に行い、個々が成長できる仕組みを作るべき
→情報共有のためだけの会議はせず、人数も必要最低限に絞るべき
⑳クライアントやパートナーよりも自社の利益を一番に考えてしまう
→外に対しても嘘をつかず誠実に、長期的かつ良好な関係作りに努めるべき
-----------------------------------------------------------------------------------------
もちろん経営は綺麗ごとばかりでは成り立たないですし、
安全な部屋にギャン泣きの赤ん坊を閉じ込めて、自宅の中を死に場所を探してうろうろしている。
ODも首吊りもは後の始末が大変そうだし、風呂派なら掃除が楽だろうか。
別に死にたい訳じゃないんだけど、毎日煮蹴られないこの悪夢みたいな日常はもう嫌だ。
いっそ喰い千切ってしまいたい。でも自責の念にかられて一生を送るなら、まだ自らの命を絶った方がましだ。何よりさすがに乳児の未来を奪うのは可哀想だという思いはある。
私だって自信はあった。年の離れた兄弟がいて、子守もオムツも離乳食も家事の補佐も一日中やってた。
でもね、自分が母親になってみたら育児無理。私の母みたいに苛々して子供に当たり散らして平然としてられない。子供に会わせて辛くても笑顔作り続けてたら、メンタルぼろぼろだよ。じんましんと湿疹とニキビと口内炎と過敏性胃腸炎。ケアレスミスも頻発だし、うっかり子供に八つ当たりして自己嫌悪しての悪循環。
たすけて。
先日、この掲示板での投稿を見てみて、ほほう世の中にはこんな便利なものがあるのかと思ったので使ってみることにした
書きたいことはあるけど、それの為にいちいち個人ブログを立ち上げたりするのも面倒だし、そうなると書く場所とかってなかなか思い浮かばないしで。こういうものがあるなら使ってみたいなと思ってやりました
信じられんかもしれないがこういう事もあるんだぜ、っていうのを読んだ人に「ほーん、そうなんすか」って気持ちで眺めて貰えたら嬉しい。ちなみに結構長いです
で、本題に入る前に少しだけ注意
今の私は20代の女だ。そして、一応腐女子です。知ってると若干分かりやすくなるかな?と思うので言ってみたけど、まぁそういう人種
何を隠そう、腐女子の方がここで書いた記事を読んで、私も自分のことを話してみたくなったのだ
けどこの腐女子ってことは別にそんな本題には絡んでこない。腐女子だからどうだ~ってことは無いので、ぶっちゃけそんな気にしなくても大丈夫
んで、この話は私が高校生の頃のこと。結構前なようでまだ全然前じゃない気もする。少なくとも数年前に遡るので、元々記憶力が皆無な私の中で抜けてる記憶が多々あるんですよ
だから思い出せない部分は「確かこうだったか…?」って感じで継ぎ接ぎしていくので、多少フィクションも入ると思っといた方が良いと思う。そうじゃないと万が一当時の関係者に見つかった時に「おまえの言い分全然違うじゃねーか!!」って言われても困るし。ごめんよ私の頭がニワトリ以下なために
星の数ほど腐女子なんざ居るだろうけど、万が一ね
前置きが少し長くなりましたが、ここからタイトル通りの本題に入ろうかと思います
記憶を手繰り寄せながら書いていくよ
当時、私は今とは全然違うジャンルに居ました。マイナーなジャンルだったので、数少ない同志様達との距離は他よりも近かった気がする。やっぱ数が少ないと更に仲間意識が強くなっちゃうからね
その中で、私が彼女に会った経緯はそんなに覚えていない。腐女子の繋がり方なんざ、タグやらフォロワーさんのフォロワーさんやらと、とにかく色々あるのだ。とりあえずそういうののどれかで、私は彼女と初めて繋がった
彼女の名前はNちゃん。私より年下で、多分中学生くらいだったと思う。とにかく私より年が下で、妹のような感覚だったのを覚えている
そんなマイナーなジャンルだったからか何なのか知らないけど、当時フォロワーさん同士で「嫁」と「旦那」を決めて更に仲良くなる~みたいな遊びが流行っていた。
この時点で意味が分からない。いや、そもそもコレ意味あんのかな
決め方は適当。特に仲良しの人同士で役割を決めてプロフに書いたりしてた。何でそんな事やってたのかは今思うとわからん。そのジャンルにしか当時居なかったから分からないけど、もしかして腐女子共通の遊びだったのか?
コレ、他の人から見たら意味分かんないだろうな…私も今はやろうと思わないし
でも、今にして思うとコレが最大の誤算だったのかもしれない。こういう役割を下手に決めてしまったから、私はあそこまでにはなってしまったのかも
で、その嫁と旦那という遊びを、私とNちゃんはやることにした。Nちゃんが嫁で、私が旦那。何でそれになったかはあんまり覚えてない。まぁ事の成り行きで?
とりあえず、そこからお互いプロフに嫁とか旦那とか書いて、周りのフォロワーさん達からはあそこ仲良しなんだなーくらいの認識で見られてた(と思う)
勿論お互い他のフォロワーさんとも繋がってたけど、この「夫婦制度」のおかげで私とNちゃんはものすごく仲良しになった。言ってしまえば毎日ラブラブなような日々を過ごしていた、というか
楽しくなかったと言えば嘘になる。いやホントはめちゃくちゃ楽しかった。毎日のようにお互い好きだー!愛してるー!とリプ上でイチャイチャイチャイチャ
外野から見たらキモいだろうが、少なくとも当時の私達は楽しくて仕方がなかったのである
私達の他にも夫婦が居て、その二人と仲良くなったのだ
名前は…ゴメンぶっちゃけあんま覚えてない。アイコンは覚えてんだけどな…あとフォロワーさんってポンポン名前変えたりするからさ…
四人になってからは、更にそのグループで固まっていた気がする。他のフォロワーさんとも皆仲良くしているのに、その四人で居るのは別格だった。要するにグループが出来ていたのだ。誰にも入り込めないような、そんな結束力のあるグループが
多分その頃が全盛期だったんじゃないかなー。楽しかったもんめちゃくちゃ。この四人で、そして私の大好きなお嫁さんが居ればそれで幸せだった
幸せだった筈なんだけど
Nちゃんが他のフォロワーさんと話しているだけで、ものすごく嫌な気持ちになってくるのだ
Nちゃんは私のものなのに、私のお嫁さんなのに、どうして私以外と話したりするの。みたいなことを本当に思っていた。
同時に「お前フォロワーさんと話すな言われても無理だろムチャ言うなや」とも思っていたので、まぁ理性と本能のせめぎ合いが毎日始まった
加えて、Nちゃんには私よりも仲良しそうな神絵師と、リア友でもあるフォロワーがそれぞれ一人居たのだ。私には到底到達のできない画力を惜しみなく使う神絵師とめちゃくちゃ仲良さそうに話すNちゃんも、私には分からないリアルの学校の話をするNちゃんも嫌で仕方がなかった
けど、私は年上で、Nちゃんは年下だった
そのことが、私の嫉妬心を何とか抑えていた
だって年上の女が年下の女の子に対してそんな醜い独占欲を顕にするなんて、到底考えられないだろう。少なくとも私はそうだった。だから全部を隠してNちゃんと一緒に居た。そうすれば、彼女は私のお嫁さんで居てくれるから
ここで一つ言っておくと、別にNちゃんはめちゃくちゃ絵が上手いとか超絶美少女とかいうわけではない。ちなみに何度かリアルで会ったことはあります。ホント本人が見てたら申し訳ない。けど事実だ
神絵師とかじゃなくてもいい、普通の女の子でいい。実際会って話をしたらもっと好きになった。これで私も名実ともにリアルにお友達になれたと思って、めちゃくちゃ喜んだ
ただ、Nちゃんのことがとてもとても好きなだけだったのだ
けれどさすがに、私は少々おかしいのではないか?と思う気持ちが、私を苛み始めていた
だってこんなのおかしいだろう。相手は年下の女の子なんだぞ。年下で、フォロワーさんで、会ったのは数回程度で、そんで、女の子だ
私も女だ
ホラおかしい
もしや私は同性愛者?レズっていうよりバイ?いや、そもそもコレは恋なのか?お互いが一番と決めてしまったから、そうじゃないと嫌なだけなのでは?
そんな事を色々と、延々と考えた
一つ言っておくけれども、決して同性愛をする方々のことを侮辱するつもりは無い
でもね、やっぱ初めてそういう気持ちにぶち当たるとね、こういう気持ちになっちゃうもんよ。しかも高校生だったしね。素直に受け入れるのは難しかったんだ
今なら、好きになる気持ちにやっぱ性別は関係ないんじゃないかなー、と思う。相手が女の子なのを悩むのと同じくらい、女の子とかいうことを差し置いて好きだ!ってなってたから。女の子でも男の子でも、中身がNちゃんならそれは私の好きになったNちゃんなんだしさ
今まで散々推しカプに言わせていた「男とか女とか関係ない!お前だから好きなんだよ!」という言葉が改めて理解できた瞬間であった。なるほど、こういう気持ちなのだな。うんうん分かるよ分かるよ
が、それとこれとはまた話が別である
その時ハッキリしていたことは、この気持ちを決してNちゃんに悟らせてはならないということだった
私が逆の立場なら、とりあえずビビる。ビックリする。そしてその後は、好きの度合いにもよるけど、もしかしたら気持ち悪いってなるかもしれない
そう、ドン引きされて、気持ち悪いって思われるのなんて無理だ。心が壊れる
なので私は、毎日毎日湧き上がる嫉妬心を抑えて、少しでも私の存在を彼女に焼き付けようと日々頑張っていた。もう私以外と話したりしないでほしい、私だけ見ていてほしい、なんて気持ち悪いことを思いながら
そして、私を驚かせる事件が起きる
なんと、旦那のOちゃんが、離れた場所に暮らす嫁のSちゃんに、クリスマスに会いに行ったと言うのだ。リアルで。
聞いた時は「ええええマジで?!」と思った。ウッソだろお前。逆ならまだしも、Oちゃん学生だぞ?!っていう
Sちゃんは既に成人していたかその間近だったと思うので、逆ならまだ分からんでもない。だって大人だもの。けど、Oちゃんはまだまだ学生の身分。多分私とそんな変わんないぐらいだったと思う
しかも結構な距離を離れて暮らしていたと思うのに、Oちゃんは自らの足でSちゃんの元へと向かったのである
もう衝撃とかいう問題ではない。マジで?という感想しか出てこなかった
私は、素直に羨ましいと思ってしまっていた
実際にクリスマスに会って、頬にキスまでして、お互いラブラブで帰って
なんて羨ましいんだろう
私はひっそりとお互いに聞いてみた。もしかして、本当にそういう仲なの?と
二人は、「うん」と答えた記憶がある
私は「そんな事が本当にあるんだな…おめでとう!」と祝福したのを覚えている
羨ましい、羨ましい、私もそうなりたい。他の誰でもない、お嫁さんのNちゃんと
本当は、心底そう思っていた
けど、言えるわけ無かった
だって本当は分かっているのだ。お嫁さんだの旦那さんだの何だのと言いつつ、私達は二人のような関係にはなれないことを。何より、そんな事になったら、Nちゃんのこれからの人生に陰りを落としてしまうと思った。こんな私とそんな仲になったなんてこと、Nちゃんにとっては汚点でしか無いと思った
当時の私は、本当にNちゃんのことを女の子として好きだったのかどうかは理解できていなかった。そもそも喪女だし、人を本気で好きになったことなんかほぼ無いし
しかも相手は女の子。好きかどうか考えるより、この気持ちをどうにかして無くしたいとも思っていた
そうすれば楽になれるのに、と
私とNちゃんの好きが違うことも、私が望んでいることは決して実現出来ないことも、全部全部承知の上だった
だから私は最後までNちゃんに、本当の本当に気持ちを打ち明けることはしなかった
私って気持ち悪い、気持ち悪い、こんな疚しい気持ちがあるなんて、彼女と恋人同士になってみたいと思うなんて、と、毎日考えて自己嫌悪に陥ることばかりしていた
そんなこんなで日々は過ぎていくのだが
陰りは私達以外の夫婦にも、実は見えていた
嫁のSちゃんが、私に頻繁にLINEで相談をしてくるようになったのだ
内容はあんまり覚えていない。確か、Oちゃんの束縛が酷いとか怖いとか、そんなんだったか?みたいなレベル
話を聞いてなかったんじゃなくて私の記憶力が無いだけです。すみません
けど、私はNちゃんのことも好きだが、この二人のこともそれはそれは大好きだったのだ。Nちゃんに向ける気持ちとは全く違うが、二人には二人の幸せを掴んでほしかった
私とNちゃんでは到達できない所に、私の分まで行ってほしかった気持ちもある
二人の存在に助けられたりすることもあったのだ。主に、「そういうことを考えるのは私だけではないのだな」という安心感に関して
そんで、Sちゃんには相談されるけど、同時にOちゃんにも相談され始めた
内容は…とりあえずSちゃんの事ばっかだったな、うん。もう記憶が忘却の彼方だよ
Sちゃんから相談が来ればその後Oちゃんから相談が来る、それが終わればまたSちゃんから……終わらない無限ループである
けど、私は二人に頼られていると思って、必死にお互いの仲を取り持っていた。もう別れる!無理!と言いつつも翌日にはラブラブになっている二人を見て、「良かった、仲良しに戻った…」と安心していたし、私のおかげかと思って嬉しくもなった
しかし
私は大抵、自分の言いたいことを押し殺して誰かと誰かの間に入るのが癖だった
中立で居たいんだよね。どちらかに偏って、一方だけを贔屓にするの好きじゃないんだ。まぁ、他人と争う勇気がない臆病者なのだろうとは思うけど
そしてその降り積もった「言いたいこと」は、押し殺せば押し殺すほど途端に爆発してしまうものであるということを、私はあまり理解していなかったのだと思う
その日は、明日は大事な用事があるから早めに寝よう、と思っていた。何の用事だったかは知らない忘れた。とりあえず、その日の私は十分な睡眠を求めていた
そして眠りについたが、深夜2時くらい
LINEが来た
またかよ。というか今何時だと思ってんだ。と思ったけど、私は話を聞いた。早めに切り上げたらまだ全然寝れるだろ、と思ったから
しかし、思いの外話は終わらなかった
正直寝たくて堪らなかった。そもそも私は三度の飯より睡眠が大好きなのだ。邪魔されてはたまったもんではない
でも今回の話を聞いているとなかなかに切羽詰まった印象を受けたので、出来る限りのことをしてあげたかった。なので私は最後まで話を聞き、きちんとアドバイスをした
ほんと寝りゃ良かったのにね。「今話したいんだろうなぁ…じゃあ今聞いてあげないと」とか思ってたからこうなるんやで自分
Oちゃんは、「ありがとう。○○に話したら何でも解決する。本当にありがとう」と言って、結局Sちゃんとはお別れをするという結論に至ったらしい
まぁSちゃんとOちゃんから同時に別れる!別れない!別れる別れない!の話を連日聞かされていたし、今回ばかりはこの子も懲りただろう…と思ったので、これでようやく終わった…と私は安心して眠りについた
その時刻はもう夜明けだった
翌日、眠りはしたものの、全然十分じゃなかった私のコンディションは酷いものだった
しかし頑張った
そりゃネット上の友達もかけがえのないものだが、リアルだって大事なのだ。
だが、その後私に送られてきたLINEは
「やっぱりヨリを戻すことにした」
というものだった
そこで、堪忍袋の緒が切れた
ハ?私はあれだけ睡眠時間を削って話を一から十まで聞いてお互いが相談したり愚痴ったりしてることを悟らせないように上手く立ち回って、しかしどちらかの味方は良くないからそれも考慮しつつその結論に共に至ったというのに、コイツらはまたこうなったのか?そしてまた今後も私はコレに振り回されるのか?
降り積もった我慢が遂に崩れたのだ
こうなると、私は最早怒りを抑えたり相手を許したりするタイプではないと、自分でも分かっていた
Oちゃんからは謝罪が来た。まぁ怒ったからな私。けど許す気も無かったし、また仲直りした所で同じことが起きるのは明白だった
もう嫌だ
結果的に、私は全てのことをTL上でバラして、そのジャンルから姿を消した
文字通り、全部ブチ壊して
簡単に言うと、LINEの内容全部バラして言いたいこと全部言って一方的に消えた。そんな感じ
そのジャンルから離れる時って、まぁキャラに飽きるってこともあるんだろうけど、私の場合は人間関係が多かったかもしれない
そこにある人間関係が嫌になって、全部ブチ壊して去ってしまうのだ。その時は自分に悪い所などは無いと思っていたけれど、今となってはなんてTL上の方々にご迷惑をお掛けしてしまったのだろうかと自責の念に駆られている
それでも、本当に頭に来ていた。とにかく何か仕返しをしてやりたかった、相手の迷惑な行動を晒し上げてやりたかった。大人気ないと今でも思います。ごめんなさい。
けれどコレに関しては私も我慢の限界だった。ので、謝る気は今も無い
Sちゃんとは、またどこかで会えたらいいねと、若干お互い気まずいまま別れた
Nちゃんとは
正直なところ、あんまり覚えてないんだよね。どうやって別れたっけ
そんで、思いの外アッサリ、いいよって言われたのも
その時、私は本当に、この子と私の好きは最初から最後まで別だったことを実感した
引き止めてほしかったのか?行かないでと、一人にしないでほしいと言われたかったのか、どうなのか私には分からないけど
ただただ、寂しい気持ちが残った
私は彼女が居なければ当時生きていけないくらい、彼女が好きだったけれど
多分、彼女はそうではなかった
私が居なくたって、きっと私じゃなくたって、誰かが一緒に居てくれるのだろう
それを最後に痛感しながら、私はそのジャンルから卒業したのであった
とは言っても、腐女子から卒業できるわけも無いので()相変わらず別ジャンルで元気に腐女子をやっているよ
もうあれから何年も経ってしまったし、あの時の自分について落ち着いて振り返ることも出来るぐらいにはなった
好きの感覚がわからないとは言ったものの、恐らくこれは恋と呼べるものだったのではないかと、今更ながらに思う
あれからジャンルを移行しても仲良しの人を作るのが怖くて、意識的に人を避けていた。フォロワーさんは居るけど、絶対に大事な人は作らないように心がけた。またNちゃんの二の舞になってしまっては自分が困るからである
けどまぁ、続けていればそれなりに付き合いの長い人も出てくるわけで。特定の仲良しさんを作らない!という私の決意は時間と共にどこかへと行ってしまったわけなんですけど
でもそれのおかげで、Nちゃんに向けてた想いを改めて考えることができました
私には現在、お互い別ジャンルをやってるけどめちゃくちゃ仲が良いっていうフォロワーさんが数人居ます。単純な仲良し度で言えばNちゃんと多分変わらない。
でもね、当時彼女に感じていた凄まじい独占欲や愛情はその人達には全然向けてないし、ましてや『そういう関係』になりたいと思ったことなんて一度も無いのよ
だから、ああやっぱりあれはそういう事だったのか、と。
けど今ではその気持ちも薄れてるし、なんといっても昔のことなので、全ては推測でしかない。だから、恋してたのかも、というレベルに留めておこうと思う
私が彼女に今思うことはただ一つ
あの時はありがとうね。今はもう私のことなんて忘れてるかもしれないけど、それでも良いんだよ。幸せになってね。ということだけです。
以上、ここまで読んでくれてありがとうございました。当時のことを振り返りながら書けて楽しかったです。
今じゃネット恋愛もそんなに珍しくないけど、当時は、というかその時の私は自分の感情を本当にアブノーマルだと思って否定し続けていました。今ならまだもうちょっと落ち着いて受け止めることができる…かもしれない
ずーっと自分語りで申し訳ないと思ってます。でもスッキリしたよ。
それでは、閲覧ありがとうございました。
確かにご指摘の通りですね。
誰を殺すかによるのかなと思ったりもします。でも反面、人間はいじめを楽しんだりもする。結局、自責の念か、あるいはそれに近いものに狩られて狂ってしまうのは、相手が誰かによったりするのかなと思ったりもする。
ラスコーリニコフにしたって、殺す予定がなかったばあさんの妹(とてもいい人)を殺したことが、精神に異常をきたしたきっかけになってますしね(意地悪いばあさんを殺させただけでは、人間が狂う過程を描けなかったのでしょう..)。ニーチェは対象が広過ぎましたね、全人類、善悪なんて無意味や、なんて真っ向から向き合ったら常人の精神では持たなかったのかもしれません(遺伝的なものの方が強いとは思いますが)。
他にもシェークスピア「マクベス」に出てくる主人公マクベスも戦争でたくさん人を殺しても全然狂わなかったのに、王様一人を裏切って殺しただけで、魔女に心を狩られて狂ってしまいました。
反面、渡邉美樹さんなんか、あれだけ人を酷使して自殺に追いやっても、なおかつ「俺は、いいやつ」って本気で思ってるんだから、ある意味、最強のメンタルだなとは思います。罪と罰の主人公になっても、マクベスの主人公になっても、きっと物語ははじまらないでしょう。
バングラデシュ 朝、五時半に、イスラムの祈りが、響き渡っています。たくさんのご指摘に、感謝します。どこまでも、誠実に、大切な社員が亡くなった事実と向き合っていきます。バングラデシュで学校をつくります。そのことは、亡くなった彼女も期待してくれていると信じています。
おそらく、渡邉美樹さんにも狂気が絡んできたんだと思います。それが、怖くてきっとこう呟いたんでしょう。目を逸らしたんです。人の人生を、それも自分のために働いてくれた人の人生を、台無しにしたと言う事実、もし自分がいなかったらその人が幸せになっていたと言う事実に 1 mm も向き合っていないのです。
どの物語でも自分はいない方が良いと思うことは、狂気に狩られるために重要な要素だと思っています。あと、もう少しで物語が始まったのかもしれません。
大学のトップがやくざ者とつながりがあるのなら、当然やくざにカネが流れ続ける巧妙な仕組みが
すでに存在している。
となると、やくざは今、現状の利権が維持されるかどうか気が気でない。
最終的に大学のトップが入れ替わることになると美味しい仕組みが失われてしまう。
この危機的状況を回避するため、やくざはどのような解決案を考えるか?
そのひとつは元監督が、自責の念にかられおわびのために死を選んだ、という遺書とともに遺体で発見されることだ。
遺書は筆跡のはっきりしない走り書きでよい。体内からアルコールが検出されれば泥酔して書いた文字と
解釈されるであろう。
どうしてそんなことしちゃったの。
心臓を潰される気分だった。
実のところ、すごく推していたわけでもない。
彼が所属しているグループのある番組が好きで、毎週楽しみにしていた。
番組の中で推しは爽やかで、器用で、みんなから頼りにされていて、何事にも楽しそうに取り組んでいた。
すごく推していたわけではないけども、結婚するなら彼がいいな、なんて夢想する程度には好きだった。
知りたくないこともたくさんあった。
それでも私が彼を好ましく思っていたことは変わらない。
私が彼らの番組をどれほど愉しみにしているか毎日聞いていた同僚たちは、口々に推測を話しながらも、つらいと嘆く私に同情してくれた。
だから、気が付いていなかった。
思ったより深く傷ついていたことに。
自覚は突然だった。
ニュースの情報が揃うと同時に、性犯罪について、未成年の保護について、女性の権利について、様々な論旨が述べられるようになっていた。
正しくは、そういったRTをよく目にするようになった。
私は真面目な性格だと思う。
当然、友人たちにも真面目な人が多い。
彼女たちが推しの起こした事件を許せないと感じることも、それをきっかけに様々な事柄を熟考することも、けして悪くはない。
けれど、推しの犯した行為を毎日見ているうちに、気付けば傷が深くなっていた。
経験がなかった。
推しが逮捕されるなんて、それも、情状酌量の余地が全くない状態で逮捕されるなんて、考えたこともなかった。
もし別の推しが逮捕されることがあったら、テレビもネットも全て断ち切ろう。
それが、学んだことのひとつ。
事実であれ、推測であれ、好ましく思っていた人が非難されていることも、その人が犯した罪を見つめ続けることも、驚くほどにエネルギーを使った。
友達の推しが同じような状況になったら、せめて私だけはそういった議論に加わらずにおこう。せめて友達の見える場所では。
学びを生かす機会など訪れないことを祈るけれど。
お酒が好きだったのか。お酒に逃げざるを得なかったのか。ゆるいファンだった私にはわからない。
もしも、現実を耐えるために逃げたのであれば、つらかっただろうと思う。
私が知っているのは彼の一面でしかなかったけど、それを信じるのであれば、今は一番つらいだろうと想像に難くないけれど。
仕事上の付き合いとは言え、仲間が犯した罪に彼らもまた苦しむだろう。
その時、推しを恨めしく思ってしまうこともあるだろうし、恨めしく思うことでまたつらくなるんだろう。
テレビで見ているだけで満足していた私がこんなにつらいのだ。
大丈夫ですか。生きてますか。ご飯食べられてますか。眠れてますか。
今は考えるのをやめることを頑張ってください。テレビを消して、ネットから離れるのがいいと思う。
それしかできない。
一番つらいのは当然被害者の方です。
被害にあったこともつらければ、その後のこともつらいでしょう。
私のように悲しむファンがいることを知れば、また悩むかも知れない。
勇気ある行動は、これから先同じ状況になりかねない誰かを救うかも知れません。
けれど、まだ年端もいかない被害者の方が、これから先の人生で何度も思い出しては苦しむのだと思うと、一人の大人として私まで申し訳ない気持ちになるのです。
私の好きだった番組関係者の方、彼とお仕事をしていた企業の方々、大変な思いをしている人がたくさんいると思います。
全ての人を悲しませる。
推しが逮捕されたことで学びもあったけれど、こんな学び本来なくてもよかったもの。
もうあの番組で推しを見ることはないだろうし、番組自体続くかわからない。
メンバーの気持ちを考えると、気持ちを切り替えて頑張って、なんてとても言えない。
そろそろ私も考えることをやめます。
無気力に襲われている。虚無。あれもしたくない、これもしたくないと考え始めタスクから目を背け言い訳を並べては自分の首を絞めている。ドMなのかわからない。漠然とつらい。これをしなくてはならない、となるとそもそも私はこれが好きなのか?やる意味は?と問い始めるのでたちが悪い。この文章のように、理屈と御託を並べては空を切ってばかりいる。
就活、卒論といった現実に向き合わなくてはいけない。周りの人間もシビアなのかそれともその割には元気なのかわからない。リクスーを着た人間は見たくないし、就活の話は聞きたくないし、面接だからゼミ発表かわってくれとかクソったれだ。なんでお前の人生で私が犠牲になるんだよ。いまだひねくれ、自分が納得するとこしか受けたくない(と言ってもまためんどくさがって自問自答するのだが)、何社も受けるなんて嫌だ、どうして発狂したトードーのようにスーツを着ねばならぬのだと思いつつも漠然と家で虚空を眺める日々を過ごしている。体重も増え、バイト先も少しずつ環境が変わり、ああ私なんぞ何もできない……と厭世から自責の念まで敷衍させてスマホをいじることが増えた。ぎりぎりまで何もしたくない。ぎりぎりまで現実から逃げていたい。仕事に疲れた父母の喧嘩、稼ぎが悪い会社だからこうなるのよと言った愚痴を聞くたび底なし沼に浸かっているような感覚になる。
生きづらい。そして自分を認められない。自分を修正できない。計画へのこだわりが強く、少しでもダメになると即投げたくなる。0か100かしかない極端さ。AD等の診断を受ければ楽になれるのかもしれない。
増田で人生の悩みを打ち明けても、ブクマやトラバに助けられる人ばかりではない。
多くの場合は無視か、正論で殴りつけて日々の憂さ晴らしに使われるだけだ。
匿名で面識のない人を親切にも救おうとする人は少ない。
それでも救いたくなるとすれば、その悲鳴に聞き覚えがあったからだと思う。
きっと、たまたま過去の自分や大切な人の叫び声に似た周波数だったのだ。
私も自分に合う悲鳴を耳にした時は、わざわざ長文で応えてしまったりもする。
他人様にアドバイスできるほど自分の人生はうまくいっていないくせに。
このあいだ、増田で悲鳴を上げた。
もう生きていられないと思って、
どうせ死ぬのなら最後に何か書き残そうと思いついて、
自分の状況や何がどう苦しいのかを書き殴った。
もう消してしまったけれど、吐瀉物のようで見るに堪えなかっただろう。
結果、数行のトラバで2発殴られた。
「甘え」「自己責任」「さっさと死ね」
よくある内容だ。自分でもそう思う。
ブクマはなく、プリントアウトを勧められ、ログの深くに沈んでいった。
それ以上の声をあげることはできなかった。
しばらく前に精神科に行った時も同じだった。
対面で話すと匿名の文章みたいに心の内を明かしきることができないから、
ずっとヘラヘラと笑いながら、他人事のように語ったと思う。
「こうなっちゃうんですよ、あはは、
こうしなきゃいけないのはわかってます、でもだめなんですよ、
やっぱ自分は発達障害か何かなんですかねえ?あははは。」
精神科として助けられることはない、と伝えられた。
武道でもやって心身を鍛え直してみては、と諭された。
渡された薬は特に効かず、3ヶ月でやめてしまった。
そういえば診察の席で、
過呼吸でおかしくなって通勤電車から逃げ出したのを言いそびれてた。
自責の念に襲われて職場のトイレでシャープペンシルを腕に突き刺していたことも。
こんなことを繰り返すうち、自分には助けを求める才能がないのだと悟った。
本当に助けが必要なとき、なりふり構っていられない状態では、
他人のことを考えないめちゃくちゃな文章になってしまうはずだ。
そんな状態でも誰かの心を射抜けてしまう、鋭い周波数の文章が出せるということ。
悲鳴を上げる才能ってそういうことだ。
私にはそんな才能がないから、こういう取り繕った文章を作ってしまう。
自分の増田で運良くブクマが伸びたケースは
自分語りをせずに最後まで取り繕えた文章ばかりだ。
悲鳴なんて伝わらないものだ、そう考えている。
結局プライドが高いのが悪い。
ネットでもなりふり構わず全てぶちまければいいのに、
下手にバズって過去の知人に知られたらだとか、
どうせ笑い物になるだけだとか、そうやってうやむやにしてしまう。
5chで相談できなくなったのも、増田で具体的な話ができないのも、
頭が悪い上に臆病なせいだろう。
いくら悲鳴でも、読みやすい文章、伝わりやすい話し方でないと人は動かない。
構成をきれいにまとめて、小粋なレトリックを添えて、
読む人の共感を誘うように書かなければ助けは来ない。
でも、そんな風に整理できる状態なら、そもそも苦しんではいないはずだ。
だから悲鳴を口の中で噛み潰してしまう。
噛み潰して飲み込むことに慣れてしまう。
そうしていずれ死んでいく未来がいつも網膜に小さく張り付いていて、
どれだけ顔を洗っても剥がせない。
崖へと続くトロッコに乗っていて、降りることができない。
いずれ落ちていく。
でも今日はまだ死なずにいられる。
今のうちに、悲鳴を上げるのが下手な人について残しておこうと思った。
いつか自分が他の誰かの悲鳴を聞き逃してしまわないように。
皆さん、聞いてくれて本当にありがとうございます。
返信+αを作っていたのですが、
長くなりそうなので後ほど別記事にて失礼いたします。
まずお伝えしたいのは、今の私は大丈夫で、
この増田自体は悲鳴ではないということです。
境遇自体はそれほど変わりないですが、気の持ちようとして堪えられる範囲です。
これは悲鳴ではなくどうにか取り繕いきれた方の文章です。
ご心配をかけてしまった皆さん、本当にごめんなさい。
また、主に時系列でいくつかフェイクを入れていました。
件の精神科には当時のつらさを箇条書きで書き殴ったメモを印刷して持ち込みました。
その上で「あなたが何をうちに求めているのか分からない」との回答を頂いております。
(次の増田で後述しますが、メモの時点で不十分だったはずです)
医者に甘えられる問題ではない、自力でなんとかするしかない。
そう痛感して、今のところ平均して当時よりはマシな状態になっています。
また、処方されたのはサインバルタでしたが
「しいていえばこの新薬だが、
あなたの状態が劇的によくなる薬などない」
と伝えられて、私自身もそうだろうなと感じております。
喉が弱い体質のせいか飲む度に軽い吐き気があり、
その副作用の割に当時の症状の改善は見られなかったので、
自分の気の持ちようで生まれ変わるしかないと考えて、
通院をやめて現在に至っております。
元増田は、伝わってほしくて、でも伝わらないだろうなと諦めてて、
それでもせめて未来の自分を救えるようにと書き残したものだったので、
望外なほど通じてくれたことが純粋にありがたいです。
まずはこの感謝を伝えさせてください。
なのでからくりサーカスについて気になってる点を
以下ネタバレあり
終盤のたたみ方が強引で駆け足というのはもういいや、置いとこう。
気になってるのは鳴海が受け継いだ仮面。いつの間にか物語からフェードアウトしてる仮面。
あれは騙し絵みたいなやつで笑いの表情をひっくり返すと嘆きの表情だからそれを活かしたエピソードでもあるのかと思ったらなかった。いつの間にか消えてた。さらに言うと、白銀が何であんなもんを身につけてたのかも分からない。何だか思わせぶりに出てきて特に何もないまま消えた。
もうひとつ気になってる点、生命の水を飲んだ者はオートマタを憎む白銀の感情に支配されるって話、そもそも白銀はオートマタを見たことがない。日本で正二と出会ってからフランスに戻ったけど、そのときには既に白金もオートマタも村を去ってた。なのに目の前でオートマタに家族を惨殺されたルシールよりもはるかに強い憎しみを持ってたというのが分からない。
日本にいたときは仮面をつけてなかったから、白銀が日本からフランスに向かう途中でオートマタ絡みの何かの事件に遭遇して自責の念混じりの深い憎しみを抱くようになって、その事件絡みであの仮面をつけるようになったとかだったらスッキリするんだけど。というか読んでる途中はそういうエピソードがあるもんだと思ってたら終わってしまった。緻密な物語を組み立ててるだけに気になる。
自己肯定感なんてつけるのは全く簡単で毎日「俺はえらーい最高!」「今日も概ねよく生きてました!」「なんかいい感じー」って呟いていれば身につくんだよ。
むしろ問題は別のところにあって、この手法で身につかないってのは、このメソッドそのものがダメなわけじゃなくて、その当人の中に「自己肯定をする(しすぎ)はまずい」みたいな、変なストッパーがあるせいだよ。
そのストッパーがあるせいで「よくできたー俺最高!」ってつぶやく(自己催眠)の効果が十全に現れないってのもあるし、もっと手前の問題として「よくできたー俺最高!」って呟く高位そのものをバカバカしく感じたり、くだらなく思えたり、危険に感じたりもする。
おそらくこういう書き込みをすると、「そういう変な自信をつけると足元をすくわれる」とか「暴走してまずいことをしでかしたらどうする?」とか「自己批判は成長に必要だ」とか賢しげなレスがつくと思うんだけど、じゃあ、いい年した成人になったのに何をするにも自信が持てなくて、自責の念で一歩も動けずに、布団の中で芋虫みたいにまるまって、どうしてこの世に生まれてきちゃったんだろう? って泣きながら仕事をするでもなく、かと言って自殺も出来ずに、履歴書の空白だけを延長していくような人生において、そういう「賢いアドバイス」が何をしてくれるかって言えば、「黙ってそこで死ねよ」以上の声ではない。
そもそもその「自信持って生きてはいけない」「謙虚でなければいけない」「天狗になるな」「和を乱すな」みたいなのが、日本の社会による幼少時からの同調教育だ。繊細で真に受けちゃうタイプの人間にとって、現代日本では自己肯定感が欠乏する方が当たり前だよ。
だから、変な罪悪感なんて持たずに、「本日はなかなか良いことしました」「昨日よりましでした!」「ちゃんと手を動かしたぞー」って毎日呟いて生きていいんだよ。天狗になったら大バンザイだ。天狗になっていいんだよ。他人を褒められる天狗ならもっと最高だ。周囲の人間を褒めて生きていけばいいよ。
あと、上記のような理屈なので、他人を否定ばっかする人(そういうコミュニティや社会)からは、距離取ったほうがいいよ。自己肯定感を増やす速度よりも、減少する速度が大きい環境では、当たり前だけど、自己肯定感の増加を観測することは出来ないよ。そういう意味でも、毒親 with 実家暮らしとか脱出すべきだよねー。
偏差値40の高校卒業後、2年間の浪人の末地方公務員の行政職に就くもあまりの頭の悪さに仕事にならず試用期間で退職。
失ったものの大きさをここにきてようやく実感し途方に暮れる。
一念発起して最近職業訓練に通いだした。電気工事士を目指すコースなのだが、手先の不器用さと理解力と飲み込みの遅さを存分に発揮し、電気工事士としての適性のなさを痛感。
皮肉にもOAスキルが平均より高い事が判明し、グループ作業では書類作成に適性を見出した。
相手が何言ってるのか頭に入らないこともあれば、言葉が上手に構成できずわかりやすく伝えられないのとがある。
これは引きニート経験者特有の悩みなのかもしれないが、ワーキングメモリが縮み上がってるんだと思う。
働いて社会に貢献したいという思いと、働くと必要以上に周りに迷惑をかけてしまい結局労働力どころか職場のボトルネックにしかならず、働き続けられる自信が無いという不安が一挙に頭を支配し、どうすればいいのかわからなくなる。
周りがたくさん頑張ってたくさん成長している間に、私は沢山の自責の念と沢山の自己嫌悪で、獲得していたかもしれない自信を喪失し、打たれ弱くなっていってしまったのかもしれない。