最近何かしたってのじゃなくて、数年来、自分を許すことが出来ない人生で苦しい。
人外が人間関係で色々やらかし続けてきた結果、自分のせいで孤独になった。
受け入れてもらえなかった事は変わらないし、決裂した関係は元に戻らない。
だから一人後に残った自分は、常に贖罪先のない罪悪感に囚われている。
自分は悪事をし、許されなかった。っていう強く重い絶望が、前向きになる可能性の全てを奪う。
許しを求めるのが傲慢なのは頭では分かってるし、忘れたいんだけど、ふとした時にどん底に落ちる。
「過去は取り戻せないから先のことを考えよう、現実忘れて楽しい事を考えよう」と努力すると
同時にその時関わったもの・人の苦い記憶が周囲を彩る。 あまりにも簡単に曲がり角で撃たれる。
真っ当な人間関係って私の場合は共感を求めないこと、友達にならないことだとようやく覚えた。
相手がはっきり楽しいと思わない程度に不快にさせず会話を終えるって対応で、しばらくやっている。
個性とか出そうとすると絶対こじれてきたから趣味や内面の話はしない。
これだと話し相手は別に私である必要がないし、関わるだけ砂漠に霧吹きしたようにすぐ心が乾いて辛い。
そのように分をわきまえることが どうして辛いのかは、
人間関係に対して私が真に求めるタイプの幸福は得られないってことを、
慰められない幼稚な本心が事実の受け入れを拒んでるから。 赤ちゃんだから。都合よく理解者を欲しがるから。
そうするのが一番だと分かってるのに、なんて言えば良いんだろう?
自分の怠惰や甘えには最低に鈍くて、呼吸するように人を傷付けるくせに、図太くないから自分を責め続けて病む。
間違い泣き叫びはするが反省し学ぶことが出来ないのを、人間性が欠如してるという以外になんと言えばいいのか?
自分でも呆れるほど辛いことが一切したくなくて、物凄く打たれ弱くて、死ぬほどわがままなんだ。
私だって自分に苦行を課して過去を乗り越えて 無事に老いてやすらかに死ななければいけない。