はてなキーワード: 拍車とは
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
20201006追記
今ホッテントリの「非モテ女なんて存在しない、なめるな」への反論を書きました
https://anond.hatelabo.jp/20201006103058
どうして再投稿までしたかと言うと、現実世界でずっとずっといないものとして扱われてきたので、せめてネットでは存在を認知されたかったからだ。
最下層の女にとって、恋人ができない・愛されないことは当然すぎてわざわざ書くようなことじゃない。だからネットには、わざわざ書くようなオチ(そんな私にも恋人が)がつくような体験談しか上がらない。「ブスは愛されない!男性が中身を見ないのはおかしい!」なんて主張は「コアラはユーカリしか食わない!竹を食わないなんて非常識!」くらい支離滅裂だ。コアラはそういう生き物なので、変わらないし変えようがない。一部の非モテ男性が、モテないことによる攻撃的な感情(女が悪い、女がクソ的な)を持てることが、実はちょっぴり羨ましかった。それって「中身が良ければ、少しはモテるはずなのにおかしい」って思えてるってことじゃん。ブスがモテないのは当たり前すぎて誰かを恨む気持ちにもなれない。強いて言うならブスな私が悪い。誰も恨まず、このまま静かに余生を過ごしたい。
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非モテ男性の体験談はよく見かけるけど、非モテ女性も結構辛いよってのを書くので良かったら読んでほしいです。
美人でもモテないって言う子はいるけど、それは「美人のわりには」ってことです。美人のわりには言い寄ってくる男性が少ない、あるいは大切にされないみたいな話。美女がガチ喪女であることはほとんどない(無闇に性的に求められるのが幸福かどうかはもちろん別の話)。
女には化粧があるじゃないか、と言う男性もいるけれど、ちょっと夢を見過ぎだと思います。メイクは100を120にする『技術』であって、0を100にする『魔法』ではないです。メイクでできるのは、肌やパーツの形や色を「整える」こと。それでびっくりするほど綺麗になる子は、そもそもブスではありません。男性は「二重にして、目を大きくすれば可愛くなるんだろ」くらいに思ってるかもしれないけど、そういうもんじゃないです。顔の大きさ、肌質、目の位置、鼻と口の距離。そういうメイクでどうにもならない問題はいくらでもある。あと、びっくりするようなテクニック満載の変身メイクは、動画や写真なら良いけど実際見ると全然不自然だったりする。メイクをし、女装した男性のほとんどが美女になれないのと同じです。あとね、ブスが多少『整えた』ところで、可愛い子はメイクで美しさに拍車をかけてくるので、差は縮まらないんですよね。
メイクの話が長くなった。
一部の男性の言う「女」に、ブスはカウントされません。「誰でもいいからセックスさせろ」って言う男もブスは見てないです。「(ブスじゃなきゃ)誰でもいいからセックスさせろ」、です。「誰にでも」に入れないブス。それなのに、女の形をしているだけで痴漢には遭う。追い越しざまに尻を撫でられ、振り向いた歯のないおっさんに「なんだブスじゃねーか!」と言われたのはマジでトラウマ。
あと、ブスは挽回が利かない。ブサイク芸人や企業家が才能・金・自信を手に入れ美女を手に入れるケースはよくあるけれど、その逆はない。自信はともかく、才能も金も男性を惹きつける魅力にはならない。話が面白く、金持ちで性格の良い女が揃った合コンでも、全員ブスなら「大ハズレ」です。
若い頃は、「若い女はチート、何もしなくても男が寄ってくる」みたいな言葉を聞くたび辛かった。若いのに需要のない自分は、この先何を手に入れても性的魅力が増すことはない。誰からも愛されずに人生が終わるのが確定してるのだ、と。
男性はたまに「清潔感」を「男性のみに求められる、実際の清潔さとは別物の謎価値観」みたいに言うけれど、女も清潔感なんてマストだし、持っていて当然のことすぎて議論の対処にならないだけなんだよね。女は毎朝時間をかけてメイクをし、肌を整えるのが『マナー』な社会です。
非モテ男性を「生理的に無理」と突っぱねる「女」は非モテ男性に性的魅力を感じさせている時点で非モテ女ではない。非モテ女性は非モテ男性にすら相手にされないのがわかっている(身の程を知っている)のでわざわざアプローチして非モテ男性からの「生理的に無理」を浴びにいかない。彼らの視界の外でひっそりと枯れていく。
非モテ男性が恋愛を頑張れるのは、可能性がある、希望があると思えているからだ。生まれつきのイケメンじゃなかったとしても、「清潔感()、会話の面白さ、地位名誉金を後天的に手にした今の自分なら、女性に受け入れてもらえるかも」と。非モテ女性には希望がない。選ばれないのが当然すぎて、男性を恨む気持ちも薄い。増田には非モテ男性のエントリがバズると、「女だと『そんな私にも恋人が』って展開になるけど、男にはない」って言われることもあるけど、そういう展開になる女は、少なくとも恋人となる男性に好意を向けられている時点で最下層じゃない。最下層の女にとって、『モテない』は『食べないと腹が減る』くらい当たり前で、わざわざ文章にすることでもない。逆にモテない男性たちが『どうして俺たちが飢えなくちゃならないんだよ!』って恨み節を炸裂させる気持ちがわからない。
あとコレは完全に余談だけど、現実の男性に愛される想像のできない私は夢女(漫画やアニメのキャラクターと自分の恋愛を夢見る女)だ。小説を書いているが、相手のキャラが自分を「可愛い」「綺麗だ」と言ってくれる描写が多いと最近気づいた。魔法が使え、チートな能力を自由に得られる妄想の中でさえ、ブスのまま愛されることはないのだ。
番組ではステイホームをする全国各地の家庭の様子が写し出されていた。
そこでは家キャンプする仲の良い家族だったり、子供の誕生日会をピリピリしながら行う夫婦だったり、自作すごろくをして過ごす夫婦だったり、息子と格闘するお父さんだったりと、いろんな家族がいた。
誕生日会の家族は雰囲気こそほんわかしてないけど最終的には丸く収まっていて、番組で流れた家庭は大体どこも良い話になっていたように思う。
担当ディレクターのコメントを読んで、その中のとあるくだりに対してうちの夫婦はどうなんだろうなと思ったことについて書く。
前:妻(私)→シフト制正社員、旦那→カレンダー通りの休みの正社員
私はコロナ関係なく仕事を一旦辞めていた。緊急事態宣言が解除されてから絶賛就活中。
旦那はコロナでも仕事がきちんとあり、マスクをして会社へ行っている。
○家事
前:ご飯は作れる方が作る、掃除洗濯は各家電にお任せ、買い物は一緒に行ったり片方が行ける時に行く
後:大体全部妻が担当
以前は共働きなのでやれる方がやるようになっていた。
ご飯は私も作るし旦那も作る。先に帰った方が用意しておくことになっていた。
帰ってから作ることもあれば作り置きしてあるのを食べたり、なければお惣菜買ったりたまに外食したり。お弁当も各自で用意。
掃除はルンバ(ボタン押すのは旦那のが多い)洗濯はドラム式洗濯機で乾燥まで一直線。ボタン押すのは半々(気持ち、私の方が多いと思う)
後は3食のご飯もお弁当も掃除も買い出しもほぼ私。買い出しはネット通販も使ってたけど。
献立考えるのしんどいのに初めて気づいた。世の中の子供育ててる主婦の方すごすぎでしょ…。
○お出かけ
前:休みの合う日に映画見たり、服を買ったり、ぶらぶらウィンドウショッピング、週一で外食
後:ほぼない
ここが一番変化が大きい。まあこのご時世だからなかなか出られないよ。
休みに何やっているかというか各自の部屋で好きなことをしている。
共通する趣味がない。やろうと誘えばできるのもあるけど、一人でやってる方がいいのかも。
前:頻度は高くないにしても定期的にあった
後:ここ数ヶ月はない
世間の日数で言えばセックスレスに値する期間はしていない。ここについてはコロナとは別の問題があるからまた書けたら書きたい。
番組担当ディレクターやMCのオードリー二人が言ってた、コロナ禍でみんなで(家族)楽しむように工夫しているっていうコメントが私の中で引っ掛かった。
あれ、うちの夫婦は二人でというより個人で、の方に拍車がかかってんじゃないか?って。
二人でやっていたことってコロナ前だと週一のお出かけが唯一だったのかなあって。
あそこでコミュニケーション取ってたような気がするけど、今は全然できてない。
各自の部屋で過ごすことが圧倒的に増えたし、外食も減ってしまったから一緒に食べるご飯もおざなりかもしれない。
番組ですごろくしていた夫婦がすごい羨ましい。あんな風に二人でワイワイしたい。
以前夜勤に入っていた人達が相次いで辞めて、仕事の引き継ぎが全くされていなかった。残された人達はとりあえず自分の仕事だけをやり、あとはオーナーに命令されるまではやらないようにしようと示し合わせて、いくつかの作業を、やらないとヤバいかもしれないなあと思いながらも放置していた。
そのうちの仕事の中で、ほっとくと衛生上マズいし本部から抜き打ちで視察に来られた場合に見つかるとまずそうなことが二つあり、私はそれを先輩のAさんの反対を無視して片付けていた。
けれども、私の作業が増えれば一緒にシフトに入っているAさんの負担も増えるのは確かなのであり、そのまま黙ってやり続けるのはいけないなと思った。それで、もしもその作業を正式に夕勤と夜勤が受け持つ事になったら私が請け負うと言ってAさんを説得してからオーナーに話した。
そしたら、二つの作業のうち一つは正式に私が担当する事になった。その作業をする曜日と時間帯に手が空くのは私とAさんだけで、Aさんは私よりも担当する作業が多いので、そういうことになった。
オーナーは、ずっと誰かがその作業をやってくれていることには気づいていたが、ずっとAさんがやってくれていると思い込んでいた。Aさんの信頼篤いなあ! 現実には、Aさんは「面倒臭いから見てみぬふりしましょう」って言ってたけどなwww Aさんがそんなことを言っていたということはバラさなかったが、Aさんはその作業の手順を知らないということはオーナーに話した。そしたらオーナーは、じゃあ私に作業手順を教えたのは誰なのか? と聞くので、「先日辞めたベテランパートさんです」と答えたら、オーナーは怒り出した。アイツが知っている訳がない! と。でも本当に私に教えたのは彼女だし、彼女が辞める前の数ヶ月、ずっとその作業をしていたのは彼女だけだった、と話すとオーナーは一層怒った。あんなやる気のないヤツが真面目に作業をしていた訳がない! アイツは仕事をしないことで有名だったんだ! と。
Aさんからも、あの人の仕事をしなさは異常だったと聞いたことがあるのだが、私とシフトに入った時に限っては、彼女はずーーーっと、私を押し退けてまでバリバリと働きまくっていたというのは本当なのだ。Aさんも、ベテランパートさんが私と他の従業員・オーナーの前で180°態度を変えていたことが信じられないし理由がわからないと言っていた。私はおそらく、他の従業員とオーナーが男性で、私だけが女だったからだろうと思う。女だけで仕事をする時、一人がもう一人にマウントを取るために仕事を全部独占しておいて「あの子は使えねぇ」と悪口を触れ回るのはよくあることだ。
まあ、そんな訳で私の前でだけはめちゃめちゃ働き者だったベテランパートの人が、「教えてやるけどお前はやらなくていい」と言って作業手順を私に教えてくれた。オーナーはそれをどうしても信じられないと言い、彼女が辞めたあとに私が勝手に彼女の後を継いでやっていたことを怒っていた。が、Aさんが私よりも忙しく、これ以上Aさんの負担を増やしてAさんが怒って辞めてしまってはかなわないので、私がその作業を責任もってやるということになった。
もう一つの作業はというと、本来は昼勤の仕事のはずなのに何で私以外の誰もやっていないのかわからないとオーナーは言い、夕勤の私が勝手にやっていたことを凄く怒っていた。この作業は、ベテランパートさんが辞める数ヶ月前に突然辞めた夜勤専業の人が「誰もやらねえみたいだから俺がやってやるよ」と言って、しぶしぶやっていた汚れ作業だ。夜勤専業の人が辞めたあとはどうやらベテランパートさんが気まぐれにやったりやらなかったりしていた模様。
Aさんが言うには、オーナーは誰もその作業をしていないことに気付きながらも、誰かが気づくまで放置し続け、結局誰も気づかないで破綻してしまい、その場に居合わせたバイトさんを強く叱責して作業をやらせたという。その後そのバイトさんは仕事に来なくなった。
そんなことがあった後で、私がその作業を誰もしていないことに気付き、Aさんが休憩を取っている隙に作業をしていた。Aさんからは「マジでやるとかどうかしてますよ。俺は絶対触りたくないです」なんて言っていた。
オーナーは、私が勝手に作業をしたことを怒り、私の言い分……ずっと前から昼勤の人達はその作業をサボりまくっていて、見かねた夜勤専業の人が肩代わりしていたので、夜勤専業の人が辞めて以来、ほとんどなされずに放置されていた……に聞く耳を持たず、とにかく増田さんはもうそれをするな、それは増田さんの仕事ではない! と強く私に命令したので、もうその作業を定期的にする必要はないのだが、放置されているのを私の勤務時間帯にお客様が見つければ、怒られるのは私なので、結局ヤバそうだと思ったらやるしかない。オーナーが昼勤の人達にサボるなと強く言い聞かせなければ何も解決しないのだが。
薄々うちは毒親じゃないかと思っていたがここ数年それに拍車がかかってる
去年看護の専門学校(一応住んでる県では偏差値トップ)に入学して、今2年次なんだけど、専門学校に入学してからが本当に気が狂いそう
まず父親が去年家を出て行って、家からバスで20分くらいのところに住み始めた
母親は嬉しそうだったけど、私は複雑だった
もともと公共料金支払い能力のない人で、父親が家にいる時から電気が止まるのは当たり前で一回水道も止まってびっくりした
そんな状況でも父親に「払って!」って迫れないのは、父親が怖いから
手をあげないだけマシ そう思っても、お金の話を出した途端立ち上がって自分の書斎に行って、気分が悪ければ何日も私たちと顔を合わせない生活を続けるような父親の機嫌を取らなければいけなかったから
父親が出て行ってから機嫌をとることはなくなったけど、学費の催促もできなくなったし母親がパートのお金で生活費を賄うようになり、私たち姉妹にお金をせびったり八つ当たりするようになった
私ももう学校辞めたい 父親は学費払ってくれないし、車社会の今住んでる県で免許ないと生活できないのに自動車学校のお金も誰も出してくれないし、奨学金は母親のカードの返済に使われるし、私は何のために生きてるんだろうってなる
私ももちろんバイトしてるけど、母親の生活費の補填したり父親が払ってくれない学費の補填したり、自学の金を一括で出せるようなお金はない
お金で苦労したくなくて看護師になろうと思ったし、実際看護師の勉強は楽しいのに、私の周りは誰もそれを助けてはくれないんだね
みんなやってる前撮りも母親に「いらないよね?」って言われたら撮りたくても「うん」としかいえなかった
母親は父親にLINEブロックされてて催促できないくせに私に「なんでもっと学費の催促しないの?」って怒ってくるし
本当にリスカしそう
今まで頑張って理性でとどめてきたけど死ぬくらいならリスカくらいしてもいいかもってなってきた
本当に馬鹿みたいだ
早く死にたい
後悔するような人たちだったら今頃こんな仕打ち私にしてないと思うけど
自分の経験から勝手に想像したことだから、見当外れと思ったら無視してね。
子供の頃から親、学校、友達、道徳、テレビ、雑誌、ネット………ありとあらゆる場所で見聞きした情報が全部『対人関係のルール』として、脳内にインプットされててるんじゃないかな。
「相手を思いやりましょう」「嘘をつかない」「笑顔で愛想よく」「ぶりっ子禁止」「空気を読め」「言葉を言葉通り受け取るな」……等等。
で、誰かと会話する時、元増田の頭の中にこれらのルールがぜーんぶしゃしゃり出てきて、四方八方から元増田の思考を引っ張ってる。
当然、この中には相反するルールが含まれるので、頭が大混乱する。
じゃあどうすればいいかって、散々出てるけど、新たに『職場での対人関係のルール』を構築するしかないんじゃないんだよね。
職場の人間関係って、一見フランクに話してるから勘違いしてしまうけど、れっきとした仕事の一環なんだよ。
『仕事を円滑に進めるため』って第一目標があって、そのために打ち解けてる"風"な空気を出すための手段でしかない。
この認識さえブレなければ、一つずつ元増田なりのルールを積み重ねて、そのうち無難にこなせるようになると思う。
最後に、元増田がルールの人なら、ここで出たアドバイス全てを素直にインプットすると混乱に拍車がかかる可能性大なので、要らないと思った意見は無視しちゃっていいよ。自分のも含めて。
そこは家族経営で、とても小さな会社だが、全国展開の大きな会社との取引もある。
私が入社した当時、20代の社員は私を除いて2人いた。翌年、私よりも年上の大卒と、私よりひとつ年下の短大卒の新入社員が入った。
入社5年以上のA、私のひとつ上の先輩B、私のひとつ上だが後輩のC、私のひとつ下の後輩D、そして私だ。
辞め方は最悪だった。辞める1ヶ月前、なんの前触れもなく突然辞めると言い出したのだ。
ドタバタの引き継ぎを終え、Bの仕事は主に私と後輩2人で請け負った。
辞めた理由は察することしかできないが、恐らく社風が合わなかったのだろう。
案件ひとつひとつを早く済ませて回転率を上げたい社風と、ひとつのものにじっくり向き合いたいBのやり方が合わなかったのだと思う。
また、部長との馬が合わなかったのもあるのだろう。
あとを追うように、数ヶ月後にCが辞めた。
辞めた理由はほぼBと同じだと思われるが、主に部長との馬の合わなささが、辞めたい気持ちに拍車を掛けたのだと思う。詳しい理由は私も知らない。
Cの仕事は、Dと私で請け負った。
余談だが、新入社員の頃から行なっていた私の雑用を、やっとCに伝授したばかりだった。正直なところ、辞めるのであれば教える時間が無駄だったと思う。
翌年、誰も辞めなかった。
私が入社4年目の話だ。
誰も辞めなかった、良いように聞こえるだろう。
事件は同年の確か秋だったように思う。
Dが辞めると言い出した。理由は、都会に住んでいる彼氏と結婚を前提に一緒に住むから、だそうだ。
Dも入社3年目を迎え、少し大きな仕事を渡そうと上の者が話していた矢先のことだった。
D曰く、大きな仕事を引き継ぐ前に(迷惑をかけてしまうから)辞めよう、と思ったとのことだった。
この翌月だったか、今度はAが辞めると言い出した。
Aは仕事はできるが、抱え込みやすく頻度は高くないが倒れてしまうことがたまにあるとのことだった。表向きの辞める理由は体調不良だ。
本当は辞めたくて仕方なかったらしい。Dが辞めることにより、Dの仕事が回ってくることを恐れていたのだ。
そんな爆弾を抱えたまま、2人が辞めるまでの時を過ごした。
年が明けて2人が辞めるまでの3ヶ月、言葉を選ばずに言うと地獄だった。
Aの仕事は部長と半分ずつくらいに分けた。Dの仕事はほぼ全て私が請け負った、その中にはDがBから受け継いだ毎月発刊の冊子物(全20〜30ページ)の仕事もあった。私も手伝ったことがある。
私の仕事は2倍どころではない。まためちゃくちゃ増えた。
そんな弊社に新しい風を吹かせたのは、2人が辞めると言う前に内定を出した新卒だ。
新卒は冬にはインターンとして、会社に来ていた。忙しくしていた私の代わりに、Dが新人教育を行なっていた。
正直、この年のことは全く覚えていない。
毎日がタイムトライアル。ストレス発散で食べていたお菓子のせいで、10kg近く太ってしまった。
私が入社6年目、誰も辞めなかった。
5年目でやってきた仕事も捌くコツを掴み、少しの余裕を見せていた。
実は契約社員からパートになった人がおり、社内の雑用を請け負ってくれていた。多分10年近くいるパートだ。この人も辞めてしまった。
そんなに大きな痛手ではないが、念のため表記しておく。
ここで新人の話をしよう。
今年3年目になるが、校正もできない、何か作業を渡すと必ずミスをする、デザインもできない、電話も何言っているかわからない、ほうれんそうをしない、誤字脱字が多い、人に作業の割り振りができない、毎月の作業を忘れる、優先順位がつけられないなど、もう散々だ。
正直、いる意味が皆無だ。
とはいえ雇っているのだから、何かしらは作業をしてもらわないとと思い、作業を渡すのだがはちゃめちゃになって返ってくる。
会社のパソコンで二次創作を見ているのか、お願いした作業ファイルに二次創作の小説のURLが貼られていたこともあった。
本人には悪いが、やる気も見られないし、成果もないのだ。
今はインターンと称して週2回ほど、うちに来ている。
勘のいい人なら気づくかもしれない。
この大学生は専用ソフトの使い方はおろか、パソコンの使い方も全くわからないのだ。
小学生の頃からパソコンに慣れ親しんできた私にとって、パソコンが使えないということが未知の領域だった。
「フォルダってどう作るんですか?」「これってどこに保存されるんですか?」
もう散々だ。ソフトだけではなくパソコンの使い方まで教えなければならないなんて。
彼女への指導はベテラン(もう20年近くうちで勤めている)が行なっていた。
それがいつしか私に代わり、なぜか部長も口を出すようになった。
私が教えたことが、部長によって塗り替えられていくこともある。
私が教えたことを、まるで初めて聞くかのように耳を傾けることもある。
私は疲れてしまった。
あれだけ涙を見せるのが嫌な私が、本当に仕事が間に合わないとき、忙しいとき、涙を目に溜めながら仕事をしている。
これは悲しみの涙ではない。
上手く事を運べない自分自身の実力のなさが悔しい。悔しさと怒りの涙だ。
気付けば、もう7年も会社にいる。
来年、あの大学生が入社したら、社内はどう変わるのだろう。私は心配でならないのだ。
その通りだと思う。
嫌なら辞めればいい。私もそう考えている。
30も近くなってきて、本当に仕事を見直す時期に来ているのかもしれない。
この会社のいいところは、夜中まで仕事をしないというところだ。同業他社だと、夜中までだとか休み返上で…という話もよく聞く。
それがこの会社にはない。
要は築き上げてきた地位(と言っても大したものではないが)を崩し、一からやり直すことに恐怖している。そして、自分の時間を確保できることにメリットを感じている。
悩ましいな。
そう思うだろう。
だがしかし、会社に対して不満があったとしても、おおよそ引き継ぐ相手は直接的な関わりがないし、もしかしたら同じ被害者かもしれない。
よって、残された者の苦労には少し配慮してほしい。
引き継ぎの時間はきちんと設けてあげてほしい。少しでも環境を整えていてほしい。
散々言われてきた言葉だ。
その度に張り倒しそうになった。
辞める側は私のことを気遣って言ってくれているのかもしれない。わかってはきるのだ。
けれども、お前のせいでこうなってるんだろ、と思う。
私は心が狭いので、生き霊がつくほど恨んだ。(実際に生き霊がついたかどうかは知らない)
こんなに赤裸々に語ったことがもし会社にバレて怒られ関係が悪化したとしたら。
辞めるいいきっかけになるかもしれないな。
先日、服屋に行った。どこに行ったかは伏せるが自宅から電車で40分はかかるところだった。
もともと服を見るつもりはなかった。服ではなく、映画を見るためにその駅を降りたからだ。30分前に着けばいいと思っていたのが用意が早く終わって家を出ると、なんと予定の3本前の電車に間に合ってしまったのだ。結果、1時間半もの時間を私は持て余すことになった。ので、近くにある大きなビルを下から雑貨屋、服屋、化粧品、服屋と見ていくことにした。1店目の服屋は特に何もなかった。服の素材を右から左に触るだけの女だった。そこの店員がなかなかにアグレッシブで何かを手に取るたびに話しかけてきたから、逃げるように化粧品コーナーに逃げた。
そうしてビルの最上階にある服屋に入った私はさっきと同じように服を眺めていた。このあと映画を控えていたからもとより買う気は一切なかった。荷物を増やしたくなかったのだ。冷房の効いた室内でだらだらとしていても時間は1時間弱ほど余っていた。久々の外出ということもあって足も限界、最初から適当なカフェに入っておけばと自分を呪いながらマキシ丈のスカートを手に取ったその時、推しが横にいた。正確には推しではない。なぜなら私の推しは韓国アイドルでありこんなコロナのご時世に日本にいるはずがないのだ。そもそも日本ツアーが中止になった時点で逆立ちしても日本にいるわけがないに決まっている。こんなことは初めてだった。これまでの人生野中で日本一の男性アイドル事務所であるジャニーズのメンバーを追ったことはなかったが、ジャニーズファンの友達が「推しに似た人見た...」とうわ言のように呟くのを何回か見てきたことはあった。でも自分がそっちに回るとは思ってなかった。それでも隣に立って服を決まった場所に返している店員さんはどうしようもなく推しに見えた。とにかく目が似ていた。コロナ対策のマスクで目しか見えないからそれしか言えないが、目が似ていた。むしろマスクで見えないという事実が、もしかすると全体的に推しに似ているんじゃないかという妄想に拍車をかけた。そう考えているうちに店員さんは服を全部かけ終わって別のところに移動したがそれを見てまた思った。顔だけじゃない、体格も似てるんかい!!!!!!! 推しは足が長かった。実際の身長は180オーバーなため店員さんとは違うとわかっていたが悲しいかな私は未だ推しのサイズが実感できるような距離で推しを拝んだことはなかった。180越えの成人男性が米粒に見えるようなドームの端でしか見たことのない推し。唯一近距離で目視できる接近イベはせっかくの当選も虚しくコロナ禍で儚く消えた。
そんな私には店員さんが推しに見えた。自動販売機の横に立っては照れていたがそっくりな顔が付いている分こっちの方が100倍照れた。顔、滅茶苦茶小さかった。私の頭蓋骨をどれだけ削れば推しの小顔さに並べるのだろうかと思っていたが多分これはドリルなんかでどうこうするものじゃない。天性のものなんだろうな。現地で彼らを出待ちするファンってこんな気持ちだったのかな。推しの身長を体感できるの羨ましいな。Tシャツにジーンズだけでこんなにスタイルがよく見えるのって推しだけだと思ってた。裾を大きめに折り返すのも、そこから見える白ソックスもスニーカーも推しがしてたのを見たことがあった。髪型なんて私が推しにハマったきっかけのライブの髪型と同じだ。そのまま私は買いもしない服屋の店内をうろつきながら、たまに同じ列に服を返しに来る店員さんを視界の端に納めては馬鹿らしくドキドキしていた。しかも帰ってから気づいたことだが、推しに日本語は通じない。でも推しにそっくりな店員さんは日本語が通じるのだ。なんなら日本語が母国語なのだ。店にいた時も今も店員さんに話しかけるつもりは一切なかったが、声をかければ返ってきたのだ。寒いねと言えば寒いねと、暑いねと言えば暑いねと、普段私が行なっていたコールアンドレスポンスさながらの会話のキャッチコピーが推しとそっくりな人間とできる可能性が、日本人にはあるのだ。コロナで大変な世の中だけど、案外希望というのは残っているらしい。私にはないが。
雑にくくると『陰キャがいて陰キャ憧れのミューズがいてけどミューズに彼氏的陽キャがいて辛すぎる』っていう、始まる前からNTRで三角関係にすらならないモブ視点の恋愛物の類型に当てはまるもんな
遠くから見てるだけで近寄れもしないのに、憧れで過大に理想化した相手が毛色の違う人種に恋人みたいな顔を見せてると思うだけで勝手に絶望する奴。美女と野獣カップルみて『なんであんな奴がこんな美人と…』って歯噛みする感情にも近いのかな?
多分だけど綾城って名前がまた陰キャのミューズにも二次創作の孤高の神字書きにも合ってるのが良くないし、おけけパワー中島の醸し出す圧倒的光(アホだけど良い奴感)も陰キャの絶望に拍車をかけてると思う。七瀬(友川)、綾城、おけけパワー中島っていうネーミングが絶妙過ぎて酷すぎる
きっと綾城さんが神は神でもギャグエロ神とかでHNもゴンブトアシスキー皇帝とかだったら、おパ島への憎悪はここまで募らずにネットミームとして独り歩きもしなかったろうと思う
『陰キャの自分にも絡んでくる女神ギャルにはパリピの陽キャ彼氏がいて~』という文法ならそこまで傷つかない。惜しみない二人の光をこっそり享受してればいい
神をどこまでも自分サイドに置くから苦しむ。『アイツが邪魔してる』『アイツのせいで変えられた』とかおパ島が恨めしくなるんだろうけど、神も人間だし他人だしおパ島とHな推しを見て奇声を発する権利があることを忘れちゃならないなーと自省も込めて。
元カレのSNS事情を知りたすぎて、使ってるであろうメールアドレスとか、電話番号とかでアカウント作成したり、アカウントを、覗こうとしたり…
しかし、素人の衝動行動でした不正アクセスなんて、普通に相手にわかるだろうから、おそらく、私がやっただろう疑惑… いや、確信を持たれているだろうと思う。
幸い警察から連絡が来たりはしてない。(郵便物は事情で確認出来てないからわからないけど。)
結果としては、Twitterに目星をつけたアドレスで登録してるって事と、フリーアドレスのパスワードが私の名前+誕生日から変わってたってことしかわからなかったから、よりメンヘラに拍車がかかっただけだった。
別にその元カレと楽しくて幸せな日々ばかりだったかといえば、そんなことはなくて。別れるに至るまでの数ヶ月はなかなかに苦行だった。
特段、私のことを理解してくれてて、すごく愛情を感じていた。ってこともない。私は、好きだったけど、相手はそうでも無いように思えた。何を考えてるのかもよく分からない人だったし。
クソメンヘラネットストーカーになるに値するほどの人だったのか?といえば、まったくそんなことはないのに、、、
未練が残っている。別れたのはもう1年前の事なのに。
未練とは思いたくない。が、これは俗に未練というものだろう。攻略できなかった悔しさ。と言った方が私的にはしっくりくる。
20代のほとんどをその人と共にして、なにも残らず終わったのが虚無だ。
私の脳裏から離れないように、相手の脳内も私のことで蝕まれていて欲しい。苦悩して欲しい。
無駄になった時間と、費やした若さと、呪縛されてる心に、謝罪をして、感謝をして、償って欲しい。
1度でいいから私が必要であることを心から伝えて欲しかった。相手の中ではずっと都合のいい女だったんだろうな。ご苦労極まりない。
ネットストーカーしたところで、相手の幸せな状況が見えたらそれはそれで精神衛生上よろしくなかっただろうから、結果的には見れなくてよかった。し、そんなことをしておいてどの面下げて会ったり電話したりもできないから、自業自得な最悪な結果だけど、そろそろ幕引きしたいものだ。
この先もこのまま生きていくことを考えると苦しい
四年前にこのコンテンツに出会ってからそれが好きで好きでしょうがないし、
それ自体は幸せなことだと思ってるけど、溜め込んだグッズとこの先何年続くかわからない人生生きていくのかと思うとなんとなく怖い。
DVD、掲載雑誌、ポスター、アクリル、ぬいぐるみその他諸々……コンテンツ自体はもう新規の展開はそんなに無いだろうなと言う感じで、ものがここから大量に増えるということは無さそうなのが
今は独身で一人暮らしで普通に働いているアラサーだから 、部屋を好きなもので埋めてればいいかなともおもう。でもこの先40、50、60とかになってもこの部屋を埋めるグッズを抱えて一人で生きていくんだろうか?
私が死んだ後に他人になんだこれ?と思われて捨てられるのかな、とか想像するときつい
しかも私は「集める」のが好きなタイプで買ったものをきれいに飾ったりしてないから、普通のものなら大掃除のタイミングで「捨てても良い」ものに分類されるだろうなって扱いになのを自覚している。
それなのに捨てられない…
でも好きな気持ちは本当なんだ
好きと言うか執着なのか
放送していたのは予備校講師の林修先生が高学歴ニートに説教する企画だ。
林先生はおおよそこんな事を言っていた。
やりたい事とやりたくない事、できる事とできない事の2つの軸がある。
やりたい事とできる事が重なる人は幸いだ。
やりたい事を優先するのか、できる事を優先するのか。
高学歴ニートはやりたい事を追い求めている。
やりたい/やりたくないは偶然の産物で、絶対的なものではない。対して、できる/できないは必然だ。
林修先生は高学歴ニートに対して、できる事を軸に人生選択してみてはどうか?と提案する。企画の内容としてはこんなところだ。
今この世の中でこれを実践できている人はどれだけいるのだろうと思った。
皆やりたい事を2、30年間くらい探してる。
昔は親や学校の先生が進学先や就職先まで指示する事も少なくなかった。ある意味第三者が客観的に選んでいる。結婚もそうだ。
いつしか社会は個人の意見を尊重する社会変わっていった。そうすると皆自分のやりたい事にパワーを注ぐ。ネットの普及は拍車をかけた。
自分が住んでたところは地方の県庁所在地ではなくマクドナルドすら存在しない田舎だった。
当時自分はそれなりに勉強が出来たので地元の私立の進学校に学費免除で合格してしまった。
まず、周りの人間に馴染むことが出来なかった。
最初は色んな人と話したものの私がつまらない人間だということがバレて次第に孤立するようになった。
中学の頃までは母はパートに出かけたりパチンコをしたりして楽しそうに過ごしていた。
しかし、私が高校生になってから母は事あるごとに「〇〇さんが私を殺そうとしている」「元旦那が私を裁判で訴えようとしている」など言うようになったのである。
それで私に対して「あんたは楽をしてる、お母さんが子どもの頃は…」「あんたを生まなければ私は自由だったのに」と言われるようになった。
家にも学校にも居場所がない私は次第に精神を病み高校のカウンセリングルームに通うようになった。
両親揃って社会的地位のある職に就いている家庭の生徒が大多数のクラスで問題のある家庭の生徒は今思えば面倒を見たくないと思うのは自然だと思う。
記憶に残ってる例を言うと、
運動会当日に熱が38度出て体力が無かったのに高校に来るよう強制され登校したものの頭が痛く、教室の椅子から動けず「本当に気分が悪いんです」と訴えても「じゃあ帰れば?」と言われたり、
高3のセンター試験後に受ける二次試験はどこを受験するかで教卓の前に呼び出され当時目指していた大学名を言うと「お前が受かるわけがない!」とクラスメイトの前で怒鳴られ公開処刑されたり、
その後担任に受けろと言われた地元の大学の合格報告をしても合格実績に載せてもらえなかったりした。
どうして私のことをひどくいじめた奴が受けろと言われた大学に通わなければならないのか疑問を持つようになり
頑張って都会の大学に行きたいという気持ちが出てきたため仮面浪人をすることにした。
母親からは受験費用は自分で稼ぐように言われコンビニバイトをしながら受験勉強を頑張った。
大学の授業は出席強制であり、その上バイトもやるため限られた時間の中でだったが受験勉強に高校の時よりも集中できたと思う。
その結果、第一志望は落ちてしまったものの第二志望に合格することが出来、4年間大学生活を思いっきり楽しむことが出来た。
社会人になりしばらく経ち、振り返ると当時の私は母親はともかくクラスメイトや担任は確かに扱いをひどくするだろう。
担任の行為は行き過ぎたものだが、育ちの違いを勝手に卑屈に感じてる人間に対して良い扱いをする必要はない。
それに当時の私は全く優等生ではなくむしろ体調不良(おそらく精神的なもの)で1週間とか2週間とか休むことが多かったので鼻つまみものだったろう。
ちなみに母親と離れて暮らすようになってからは関係は良好である。
二次創作オタクの道に迷いこんでから、人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものでしかなかった。
「同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。
それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌を印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。
初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。
最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日は日中の半分程度、原稿に時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想はほとんど来なかった。
正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。
自分が同人誌を読み捨てるタイプのオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験に復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日もイベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。
ただ、この増田で書きたかったことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。
このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢がいかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近の精神的苦痛に拍車をかけている。
この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントやアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場の人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか。オフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。
「ネットで送るよりも生の感想を即売会で本人に伝えるのが醍醐味だから」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。
ボス程ではないが、同人活動「ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分の原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴がほとんど。それなのに自分がインターネットに適当なイラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人のイラスト・小説はほとんどRTしない。
「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン(自作の刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界的タイトルが話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。
「同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿に時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか。
界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネットに投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌に感想をくださった方のひとりでもある。
その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業の単行本並の厚さ・クオリティの同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。
それから私は初めてイベントにサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボスが企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。
中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。
「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」
それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。
その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスのイラストをRTすることはなくなった気がする。
最近、神が主催する推しCP(コンビ)アンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。
……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田に投稿しておこうと思う。
猿山のボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想をコンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。
この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。
(20200618追記)
放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワーの100倍マシです。
@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ
私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。
あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。
そもそもはてなスターが導入されたのは「ネガティブコメント対策」のためだった。
悪意に覆われた世界の奥底から目に見えない小さな好意をすくい取ろう。
それがはてなスターだ。
はてなスターは「評価システム」ではなく「好意の表明」システムだった。
スター連打すら推奨されていた。
間違いなくはてなスターを人気コメントの指標に利用するようになってからだ。
コメントを目立つところに表示させるという「価値」を得たスターは
何の役にも立たない「好意」を表明するだけのシステムのままであれば、
誰にどれだけスターを付けられようが何となく気分が良くなって終わりだったものを、
はてブは再びネガティブコメントが支配する世界に戻ってしまっている。
ファーストビューで人気コメントしか見せないことも事態の悪化に拍車をかけている。
たった数十人程度の同意しか得ていないコメントが「はてなユーザーの総意」として受け止められるからだ。
実際以上に党派性を際立たせ、集団の対立を煽ることになっている。
また死人が出る前に。
中学生の時、一時期「空腹時に自分の腹が鳴る音」を異常なまでに忌避していた
正確に言うならば「自分のお腹の音をクラスメイトに聞かれること」だ
育ち盛りの時期だったからという要因もあるかもしれないが、朝しっかり朝食を食べてから学校に行っても、3時間目の途中からだいたい空腹になった
それを隣の席の人、周辺のクラスメイトに聞かれるのをとにかく恐れていた
理由は多分「恥ずかしいから」「内心で笑われるから」だろう 当時私のクラスでのカーストは激低だった
陽キャだったらお腹の音が鳴っても笑って誤魔化せたんだろうが、ド陰キャの私にはどうしてもできなかった
3、4時間目の授業はいつもほぼ上の空の状態で聞いていた 自分の胃袋と格闘していたから
一度、四時間目の小テストの時間にめちゃくちゃ大きな腹の音が響き渡った 隣の席の人は気を遣ってか(そもそも興味無いのか)ノーリアクションでいてくれたが、
授業が終わった後にクラスのカースト上位でソフトテニス部の美人な女の子が「さっきテスト中に誰かめっちゃお腹鳴ってたよね~」と笑っているのを聞いてから更に拍車がかかった
お腹が鳴りそうだったらとにかく腹を引っ込ます 休み時間の間にとにかく蛇口から水道水を飲む
校内の飲食物の持ち込みは禁止されていたが、当時発売されていた「ぐーぴたっ」というお菓子をわざわざお小遣いで買ってはこっそり制服のポケットに仕込んで、トイレの個室でこそこそと食べたりもした
中間テストの時の4時間目、どうしても耐え切れなくなった時のことをよく覚えている
とにかく大急ぎで適当に理科のテストを解いては答案を裏返しにして、「具合が悪いので保健室に行ってきます」と教室から逃げ出した
テストが終わってから教室に戻ると、試験監督をしていた先生に「体調大丈夫だった?」と心配されてしまい、とにかく申し訳なかった
学校が終わると一旦家に帰宅して、「カップ焼きそば」と白ご飯をかき込んでから塾に行った(塾が終わって帰宅してから晩御飯もしっかり食べた)
そんな生活を続けていたせいで中学3年生の春に身体検査で体重を図ると、体重が10キロ以上も増えていて目を剥いた
とにかくあの時の自分は「腹の音を聞かれる」というのを異常に恐れていた
腹の音を聞かれるくらいだったら裸を見せた方がマシぐらいに思っていたかもしれない
その内中学を卒業して高校生になり、大学生になり、静かな教室で講義を受けていてもあれほど恐れていた腹の音が鳴らなくなった
育ち盛りが終わったからだろうか、というかもう気にしなくなったのかもしれない
友達と談笑している時にお腹の音が鳴っても、「お腹空いちゃったわ~」とへらへらと笑うことができるようになった
今思い返してみると不思議だ