はてなキーワード: 遅生まれとは
少子化問題は、人工子宮でも発明して子供は工場で生産し施設で育てていく方向にシフトした方がいいんじゃないかなという気がする
あたたかい家庭を知らない子供は不幸かもしれないけれど、例えば
と恵まれた部分もあったりするわけでさ
生まれだけで人生が不幸と決まるとは限らないくらいには日本も世界も豊かになったのだから、この際、家族神話みたいなのは捨ててそういうふうにしてもいいと思うんだよな
そもそもの話として「この時期に種付しちゃったら子供が早生まれになって不利になるな」って判断力がある親かどうかで差が出ている気がするんだよな。
そこを除いた上で「同じ程度の知能の親から生まれた子供の早生まれや遅生まれで差はどうなるのか」を調べて欲しい。
そもそもの話として、早生まれ遅生まれを全部ひっくるめて統計するにしても「親に金があってサポートが可能か」は大事だと思わけ。
それ以外にも「親に時間があってサポートが可能か」「他の子供と発育に違いがあった時にどう扱うか」といった部分も関係するよね。
そういうのって割りと重要だと俺は思うんだよな。
そもそもの話「普通と違うケースでの子育てに対応できるだけの力がある親だったか」を見て欲しい。
そのついでとして、「そもそもそういいう親は最初から早生まれにならないように逆算して妊活するのでは」っていうのも調べもらいたい。
そういう風なもうは全部思い込みですって結論ならそれはそれで結果を見てみたいしさ。
そこまで誰かやってくれねーかな。
手繋ぎゴールで全員1番も、クラスみんなが桃太郎も、幼稚園保育園が主だったけど、あれぐらいの年齢って、遅生まれの子と早生まれの子の差が激しい。
4月生まれと3月生まれの5歳児には、人生の1/5近い歳の差があるわけだ。
15歳と12歳、15歳と18歳で競わせるようなものだ。かけっこでも頭の良さでもお行儀の良さでも歳下の子が負けるのは目に見えている。
遅生まれの子ばかりが、かけっこ1番、劇の主役を奪って、早生まれの子どもが成功経験を積めない。こうした差が、高校入試での早生まれと遅生まれの偏差値4.5の差、30代での収入の4%の差に繋がっているという研究もある。野球選手に遅生まれが多いのも有名な話だろう。
そもそもの話、幼稚園児保育園児を競わせて何になると言うのだろう。楽しく遊んで自分のペースで発達すれば十分の年頃ではないか。
あの説って有利なはずの遅生まれなのにパッとしなかった人がつらくならんのかね
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
小学校中学年ぐらいまでは結構アニメ見てたけど、4年生ぐらいから急にアニメを見なくなったんだよね。自分だけでなく周りもそうだっし、5年生になる頃には誰もアニメなんか見てなかったと思う。どんな番組を楽しみにしてたかというと、「めちゃイケ」とか「鉄腕ダッシュ」とか「学校へ行こう」とか「特命リサーチ200X」のような番組だった。(自分だけでなく周りも)
だからテレビ局が子供のハートをつかもうとするなら、良質のバラエティを作る方があってると思った。子供って背伸びしたがりだから子供向けのアニメを作ったところでそっぽ向かれるだけ。
ちなみに当方、27歳(1988年遅生まれ)京阪神都市圏のテレビ大阪が映る地域で育ちました。年代や地域によって差が出ると思うので
暴論。
早生まれ・遅生まれの発達差は小学1年生レベルでは大きすぎる。
4~9月生まれにとっては、小学校1年の授業は退屈/体育だと体格差が大きい。
⇒児童数が多いエリアでは、4~9月生まれを10月に進学させ、半年早く義務教育をスタートさせては?
そうすると、児童の半数が半年早く教育をスタートさせることになり、教育レベルの引き上げ効果が大きい
比喩的表現をすれば「0.5年生/1.5年生」を創設するイメージ
ただ、交通整理の意味で、「●.5年生」制度は小学校期間までに止め、中学からは4~3月生まれが一斉に入学するようにする。
4~9月生まれが6年生カリキュラムを9月に終えて以降は、「自由時間」とする。学校に行くもよし、自由研究するもよし。
で、私立中学受験は4~9月生まれ組は8月に実施、10~3月生まれ組は2月に(従来通り)実施。定員は半々とする
今まで新卒枠で仕事探してたが、年齢制限に引っ掛かってしまった。
ハロワのくせに年齢制限掛けるとかどういう了見なんだよと八つ当たりしたくなったのをぐっと堪えて今は一般枠で一般の人らと一緒に仕事探す日々。
年齢制限の目安で25歳以下、28歳以下、30歳以下、35歳以下っていうのがあるけど、大企業クラスだと25歳以下で制限掛けてる所が大半なので驚いた。
おいおい、これ年齢制限で引っ掛かるんなら、大学卒業時期に25とか26だと実質就職厳しいんじゃないのか。
就職サイトのリクルート採用は凡そ既卒三年以内も入れて25歳までになっているが、院卒だと遅生まれで27というケースもあるが、
そういう人間はリクルート枠からもれなく除外されてしまう素敵仕様になっている。
年齢制限といえば、昨今の地方公務員枠も30歳未満にし出してきている。
26になり、来年27になるころには就職なんて夢のまた夢になってしまうのでは?と最近よく思う。
院卒の就職率は前年比よりかなり落ちている、というより元々企業は院卒就活生を採用する気がさらさらないような気が合説やセミナー等を見ると納得してしまう。
年を重ねていくと、場の空気が読めるようになってきたけど、実際就職出来るのは場の空気が読めない若い子ばかりなんだから、リクルーターの言う空気読める人が欲しいっていうのは
矛盾してると思う。
何にしても就職できないのは社会が悪いというより、国自体が25歳以上の新卒や既卒を受け入れる体制を作ってないから民間もそれに倣ってるというのが正しい。
それで社会が悪いっていうならその通りだと思う。