はてなキーワード: 見直しとは
例えば、「私の記憶違いじゃなければ、███禍前から█をしてたら」は削除されている。
https://anond.hatelabo.jp/20240325011030#
例えば「昨日の夜に、今朝のゴミ出しを夫に頼んだ。」は改変されている。(一人親方ってどういうこと?)
https://anond.hatelabo.jp/20240322110256#
https://web.archive.org/web/20240322083437/anond.hatelabo.jp/20240322110256
なぜそうしたのだろうか。
彼らはどんな意図を持っていたのだろうか。
計り知れない。想像できない。
人々の心には、まだまだ私の知らない動きがある。
癌になったので臓器丸ごと手術で取ってきた。
診断直後に臓器丸ごと取るか腫瘍だけ取るかをちょっと悩んだものの、決めてからは結構さくさく進み現在はリハビリ中である。
手術前準備であらゆる科を回ったところ、だいたいのカルテに「気丈に振る舞っており極めて冷静」と書かれた。割と取り乱した側だと思っていたので頭をひねるも、そういえば自分には身近に比較対象がいないのだった。
術後の痛みの具合やどのくらい動けないかなど、体験談があれば参考に聞いてみたい。
身近にいなければネットの海だ!と軽い気持ちで検索し、難なく罹患者体験談を見つけることができた。
健康診断での疑いから診断確定までの動揺、これまでの生活の後悔、人生設計の見直しによるストレス、検査結果が出るまでの長期の不安感、癌のステージや終わりのない転移に振り回される疲弊。
体験談にはあらゆる負の感情が細かく記されており、時間が進むにつれ「これは人生の試練である」「自らの成長のきっかけである」という結論に集約されており、独特の明るさや精神的成長の記録に満ちていた。
苦手分野である。
術後のドレーンの痛み具合・退院後の一般的な療養期間・入院便利グッズなどが知りたかったのであって、他人の試練や心理的成長には興味がないのだ。
テキスト群でこれだけ感情が読み取れるのだから、医師や看護師の人たちの前ではもっと大きく感情が出るんだろう、と先のカルテの記述に思い至ったのである。
分かるんだけどね。
自分も罹患者グループ入りした手前、自分に降りかかった不幸に理由付けをしたくなる気持ちも、罹患によるメリットを体外的に示したい気持ちもよく理解できる。不安になって体験談を公開する心理は今まさに自分がやってることだし。
でも、そこまでの気分じゃない時に目に入る、セミナーめいたポエムたちはちょっと肌に合わなかった。
結局2〜3個の体験談を読んだあと、ドレーンが痛いか痛くないかの事前確認は諦めたのであった。
ちなみに、実際に入ったドレーンは痛くなかった。
ただし抜けた後の穴がなかなか塞がらず、その間に術創までの道が膿んでしばらく痛み、長く苦しみました。
・(自己認識では)絵に書いたような中流階級。困窮はしていないが、決して上流階級ではない。
・都内に家は買えないので、ベッドタウンにローンで一軒家を買う。
・物心ついた頃から、毎日ニュース7を見る、比較的(多分)ニュースには関心がある家庭。
・両親とも完全なネット音痴ではないが、スマホより本の世代の人。LINEやGoogle Map、食べログを中心に使っており、SNSはやっていない。
※俺は、もう社会人になってしばらく経つが、一人暮らしなので、新聞は取っていない。
本題の通りだが、この前実家に帰省したら、新聞の購読をやめていた。
結構衝撃だった。まあ、改めて思えば家族で時事ネタを議論するでもなし、仕事でニュースが必要なわけでもなし、確かに新聞なんて読まなくても全く困らない生活はしている。
でも、スペックに書いたとおり、ニュースを日常的に確認するのが当たり前だった実家で、新聞がないというのは、かなり新鮮だった。
理由を訊いてみると、なんとなく朝日新聞の報道の質が、年々下がっているような気がしていて、遂に購読料金を払うに値しなくなってきたと思ったから、だそうだ。
輪をかけて衝撃だった。両親とも、スマホは使うものの、簡単な調べ物程度で、Twitter(X)もやってなければ、当然増田なんて読んでるわけもない。そんな両親が、購読をやめたのだ。
ちょっと、俺自身は、もうしばらく朝日の紙面を読んでないから詳しいことは言えないけど、ちらほら記事を見かけるに、ぶっちゃけ別に相変わらずじゃないか?って気もする。
もちろん依然イデオロギーは強いが、それは、もう朝日のカラーであって(俺は好きではないが)、新聞とはそういうものだと思うし、「報道の質が下がった」というほどのことではない気がする。
正直、俺は別に、新聞に対して、公正無私な報道を求めてるわけじゃあない。もちろん、限度はあるが、通信社のようになってもらっても困るし(役割が違う)、党派性が出て然りだと思うしね。
ただ、強いてこの感じを表現するならば、なんというか自己認識が歪んでるというか、過去の高級紙としての栄光を捨てきれず、党派性結構強い紙面なのに、自分たちが公正で正統だというブランディングをしてる感じがする。
質が下がっているかはともかくも、信頼度が下がっているというのは、肌でも感じる。
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/nonewsppr.html
まぁあと、もちろん、少なくとも報道の質が上がってきているという雰囲気はないし、朝日は定期的に、やってはいけないレベルの誤報を繰り返している。
https://www.financepensionrealestate.work/entry/2023/07/09/115839
ここでもわかるとおり、朝日は、事業規模ベースならともかく、営業利益ベースでは、本業が不動産デベロッパーになりつつあり、もちろん発行部数減少については自覚しているだろう。
ただ、やばいのは、そもそも「朝日新聞」というブランドが、傾いていることだと思う。経営陣は、それに気づいて、本気で対策を打ってるだろうか。
出羽守みたいであれだが、英米の新聞は、もうそもそも、党派性がある前提でみんなが購読してる気がするし、だからオンラインでも成功してるところも多いんだと思う。
その党派性の範囲内で、専門性を際立たせて、調査報道とかも組んでる感じするし。地方紙は軒並み死んでるけどね。
そういえば、高校生のとき、社会科(政経)の先生が「五大紙全て購読し、可能な限り毎日、全てに目を通している」と言っており、自分も将来はそういう「知識人」になりたいと思ったことを、今書いていて思い出した。けど、社会人になった今、そもそも新聞を取ろうと思いさえしない。時間に余裕がないからとかではなく、そもそも新聞媒体にそこまで魅力を感じてないなと思う。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
User:
疑問:女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で各種snsにアップロードした場合、BANされるのだろうか?
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
SNSによってルールが異なるため、一概には言えません。ただし、一般的な傾向としては以下のように考えられます。
乳首が見えていなければ、比較的寛容な傾向にあります。ただし、あからさまに性的な文脈で投稿された場合はBANされる可能性があります。続きます。
Metaの規約では乳首の露出はNGとされています。乳首が見えていなくても、胸部が過度に強調された画像は削除やアカウントの凍結対象となる可能性が高いでしょう。続きます。
続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的な観点から乳首の露出を一部認めていますが、性的文脈での露出は認められていません。疾患の説明として出す分にはグレーゾーンかもしれませんが、BANのリスクは高いと考えられます。
TikTokの規約でも乳首の露出は禁止されています。コミュニティガイドラインに抵触する可能性が高く、アカウント停止などのペナルティを受ける恐れがあります。
User:
Claude:
総合的に判断すると、女性化乳房を発症した男性の胸部を無修正で投稿することは、ほとんどのSNSでBANやアカウント削除等のリスクが高いと言えます。
その理由は、多くのSNSにおいて乳首の露出がガイドライン違反とみなされるためです。たとえ疾患の説明目的だとしても、画像の文脈次第では性的コンテンツと判断される恐れがあります。
ただし、Twitterは他のSNSに比べると比較的寛容な部類に入ります。乳首が写っておらず、あからさまに性的な文脈でなければ許容される可能性はあるでしょう。
いずれにせよ、BANのリスクを避けるためには、画像にモザイク処理を施すなどの配慮が必要不可欠だと考えられます。無修正での投稿は避けた方が賢明といえるでしょう。
User:
Claude:
疑問の意図の推測・考察 質問者は、女性化乳房を発症した男性が自身の胸部を無修正でSNSに投稿した場合のBANリスクについて知りたいと考えられます。この質問の背景には、医学的・教育的観点から画像を共有したい一方で、ガイドライン違反による不利益を懸念する気持ちがあるのかもしれません。
回答の妥当性の考察 私の回答では、主要なSNSプラットフォーム(Twitter、Facebook/Instagram、YouTube、TikTok)におけるガイドラインを踏まえ、無修正での投稿がBANリスクを伴う可能性が高いと結論付けています。各SNSの規約の違いにも言及し、Twitterが比較的寛容である一方、他のプラットフォームではより厳格なスタンスが取られていることを説明しました。
また、BANを避けるための方策として、モザイク処理等の画像加工の必要性にも触れています。
以上の点から、質問者の疑問に対し、一定の方向性を示す回答ができていると考えられます。ただし、医学的・教育的文脈での投稿についてのプラットフォーム側の判断基準など、さらに踏み込んだ情報提供ができればより良い回答になったかもしれません。
User:
Claude:
なるほど。FreeTheNipples運動の文脈から考えると、この質問の意図は少し違った角度から捉える必要がありそうですね。
FreeTheNipples運動は、女性の乳首の露出に対する男女差別的な規制や検閲に異議を唱える活動です。この運動の支持者は、男性の乳首が許容される一方で女性の乳首が性的なものとしてタブー視されることに疑問を呈しています。
質問者が女性化乳房を持つ男性の画像に言及しているのは、この活動の文脈で「男性の乳首は許容されるのに、女性的特徴を持つ男性の乳首はどうなのか」という問いを投げかけているのかもしれません。つまり、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の矛盾を浮き彫りにしようとしているのかもしれません。
この観点からすると、私の先の回答では表面的な規約の解説に留まっており、質問者の意図を十分に汲み取れていなかったと反省します。
FreeTheNipples運動の主張を踏まえた上で、SNS上の男女の乳首の扱いの差異について言及し、生物学的性別と乳首の露出規制の問題点に考察を加えることで、より質問の本質に迫れたかもしれません。
ご指摘いただきありがとうございます。質問者の立場に立って考え、文脈を読み取ることの大切さを改めて学びました。
User:
ご理解いただけたようで何よりです。もし、疑問を誤解のないように意図を伝えるためには、どのように表記したらよいと思いますか?
Claude:
そうですね。質問者の意図をより明確に伝えるために、例えば以下のような表現を追加するとよいかもしれません。
「FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。」
このように、質問の背景にあるFreeTheNipples運動への言及を明示することで、単なるガイドライン違反の有無を問う質問ではなく、社会通念や規制の矛盾を問う意図であることが伝わりやすくなります。
また、「生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾」という言葉を直接使うことで、質問者が探求しようとしている本質的な問題を明確に提示できます。
さらに、「あえて男性の事例を取り上げている」と述べることで、女性化乳房を持つ男性の事例が単なる例示ではなく、意図的に選ばれたものであることを強調できます。
このように、質問の背景や意図を明示的に述べることで、回答者が文脈を適切に理解し、質問者の求めている視点から答えを提供しやすくなるでしょう。
User:
疑問:FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いはSNS上でどのようになるのでしょうか?生物学的性別と乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにするために、あえて男性の事例を取り上げています。
段階的に思考してください。各種snsで思考してください。思考が結論を出すには早い場合、"続きます"と述べてください。結論を出すに十分な程考えたと感じられたら、"次の返信で結論を述べます"と述べてください。
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から考えると、女性化乳房を発症した男性の胸部の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の矛盾を浮き彫りにする興味深いケースだと言えます。
Twitterは他のSNSと比べて比較的寛容ですが、女性化乳房を持つ男性の乳首の露出がどう扱われるかは微妙な問題です。男性の乳首は一般的に許容されますが、女性的特徴を持つ乳首の露出は、規制の対象となるグレーゾーンに入る可能性があります。続きます。
Metaの規約では男女問わず乳首の露出はNGとされているため、女性化乳房を持つ男性の乳首もアウトだと考えられます。ここでは生物学的性別よりも、乳首そのものに焦点が当てられている印象です。男女平等とも言えますが、議論の余地はありそうです。続きます。
User:
続き
Claude:
YouTubeは教育的・学術的文脈での乳首の露出を一部認めていますが、その判断基準は明確ではありません。女性化乳房を持つ男性の乳首が学術的文脈で許容されるのか、それとも性的コンテンツとみなされるのかは、ケースバイケースの判断になりそうです。
TikTokの規約では男女の区別なく乳首の露出が禁止されているため、女性化乳房を持つ男性の乳首も例外なくアウトとなる可能性が高いです。生物学的性別よりも、乳首そのものに規制の主眼が置かれていると言えます。
続きます。
User:
続き
Claude:
SNSにおける女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いを総合的に見ると、興味深い矛盾が浮かび上がります。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関係なく乳首の露出自体が規制の対象となっています。この点では、男女平等とも言えます。しかし、そもそも男性の乳首は一般的に許容される風潮がある中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが規制されるのは、生物学的性別と社会通念の乖離を示しているようにも見えます。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いがグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れとも言えるでしょう。
User:
Claude:
FreeTheNipples運動の観点から見ると、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNS上での乳首の露出規制における矛盾や曖昧さを浮き彫りにしていると言えます。
多くのプラットフォームでは、生物学的性別に関わらず乳首の露出自体が規制の対象となっており、この点では男女平等とも言えます。しかし、社会通念上、男性の乳首の露出は一定程度許容される中で、女性的特徴を持つ男性の乳首までもが一律に規制されるのは、生物学的性別と社会的認識の乖離を示しています。
一方、Twitterのように男性の乳首の露出を一定程度許容するプラットフォームでは、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いが曖昧なグレーゾーンに入ります。これは、生物学的性別と乳首の露出に対する社会通念の間に明確な線引きがないことの表れでもあります。
結論として、女性化乳房を持つ男性の乳首の扱いは、SNSにおける乳首の露出規制の一貫性のなさや、生物学的性別と社会通念の乖離を浮き彫りにしています。このケースは、FreeTheNipples運動が提起する問題、つまり乳首の露出に対する男女差別的な規制や社会的タブーの問題点を象徴的に示していると言えるでしょう
User:
Claude:
こちらこそ、興味深い問題提起をしていただきありがとうございました。
FreeTheNipples運動が提起する乳首の露出規制に関する議論は、生物学的性別と社会通念の間にある複雑な問題を浮き彫りにしています。女性化乳房を持つ男性の事例は、この問題を考える上で示唆に富むケースだと言えます。
SNSにおける規制の在り方は、社会通念の変化に伴って今後も変わっていく可能性があります。一方で、このような議論を通じて、性別に基づく差別的な規制の問題点が広く認識されることも重要です。
このような問題提起は、社会の多様性や包摂性について考えるきっかけにもなります。今回の議論が、性別や身体的特徴に関する固定観念について再考するための一助となれば幸いです。
今後もこうした社会的に意義のある問題について、オープンに議論できる場が広がっていくことを願っています。本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
あなたの状況は本当に大変そうですね。食費が家計を圧迫するのは辛いものです。
でも、あなたの食生活を見直せば、きっと改善の余地はあるはずです。
まず気になったのは、163cm/50kgという体格に対して、食事の量が非常に多いことです。
一般的に、あなたの体重から計算すると1日の推定エネルギー必要量は1800~2000kcal程度だと思われます。
しかし、記述された食事量はそれをはるかに超えている可能性が高いです。
この食事量と体格のアンバランスさについては、もっと注意を払う必要がありそうです。
10kg3000円強と最強のコスパを誇る米は、パスタより満足感も得られる主食の王者です。
醤油、みりん、酒、味噌などの調味料を使い分けるのがコツです。
おにぎりにしたり、卵かけご飯、雑炊、お茶漬け、チャーハンなど色々試してみてください。
冷凍ご飯を活用すれば、一人暮らしでも米を無駄なく食べきれますよ。
安くて量が食べられるからと言って、長期的に見れば高くつきます。
米は100gで35円前後、外食は一人前で300円~500円、雲泥の差です。
最後に、あなたの極端な食欲と体重増加がない点については、何らかの健康問題の可能性を懸念します。
単なる食べ過ぎではなく、吸収不良などの病気が潜んでいるかもしれません。
解しました!フランス語の勉強をされているんですね。朝から夜まで充実したスケジュールですね。フランス語の勉強は順調ですか?何か特定の目標や方法をお持ちですか?
ないです。つらいです。教えてください。
ChatGPT
フランス語の勉強がつらいと感じることがありますね。そのような場合には、いくつかのアプローチを試してみることが役立つかもしれません。まずは、学習方法や学習時間を見直してみることが重要です。以下は、フランス語の勉強を楽しく効果的に進めるためのアドバイスです。
興味を持つことから始める: フランス語を学ぶ際に、自分が興味を持っているテーマや活動に関連した学習教材を使用すると、学習が楽しくなる場合があります。
日常会話に焦点を当てる: フランス語を実際に使う機会を増やすために、日常会話に焦点を当てた学習を行うと良いでしょう。例えば、フランス語を話す友達と会話をする、フランス語の映画や音楽を楽しむなどです。
定期的な休憩を取る: 長時間の学習ではなく、短い時間でも集中して学習することが大切です。定期的に休憩を取りながら学習すると、効率的に情報を吸収することができます。
目標を設定する: 学習の目標を設定することで、モチベーションを維持することができます。小さな目標から始め、達成感を味わいながら学習を進めていくと良いでしょう。
楽しい方法で学習する: ゲームやクイズを活用した学習アプリを使用するなど、楽しみながら学習する方法を探してみると良いかもしれません。
フランス語の学習がつらいと感じた場合には、一度学習方法やアプローチを見直してみてください。自分に合った学習スタイルや方法を見つけることで、効果的に学習を進めることができるかもしれません。
ChatGPT
Memory updated
素晴らしい目標ですね!CEFR B2レベルは、かなり高いレベルのフランス語能力を示しています。この目標を達成するためには、継続的な努力と正しい学習方法が重要ですが、達成感も大きいでしょう。何か具体的な質問やサポートが必要なことがあれば、いつでもお知らせください。応援しています!
具体的な勉強スケジュールを教えてください。10月20日までにB2を取らないといけないです。
ChatGPT
Memory updated
CEFR B2レベルを10月20日までに達成するための具体的な勉強スケジュールを作成しましょう。以下は、1日の勉強スケジュールの例です。このスケジュールは、ご自身の生活スタイルや学習ペースに合わせて調整してください。
朝
5:00 - 6:00: フランス語のリスニング練習(ポッドキャストや音声教材を使用)
昼
12:00 - 13:00: 昼食後にフランス語の読解練習(ニュース記事や小説を読む)
夜
19:00 - 20:00: 会話練習(言語交換パートナーとの会話やオンライン会話クラス)
20:00 - 21:00: フランス語の作文練習(エッセイや日記を書く)
21:00 - 22:00: フランス語の総合演習(リスニング、リーディング、スピーキング、ライティングをバランスよく行う)
週に1回以上、模擬試験を受けて実力を確認することもお勧めします。また、毎日の学習記録をつけることで、進捗を確認し、目標に向かって励むことができます。
結論:
使い方がわからない・調べない・学習できない・変化についていけていないだけのアホ。
詳しい時刻もカレンダーも出ない点。
時刻はそんなに見たけりゃ秒数までタスクバーに表示できるから、クリックの必要性すら無い。
カレンダーは展開状態にしておけばクリックで普通に表示される。
なくなってない。
コンテキストメニュー的には「その他のオプション」配下になったにせよ、そもそもアドレスバー横に配置されてるし、アクセス性はむしろ向上してる。
ああ、後述の「文字表記がない😡」のせいでアレルギー起こしてるのか。
好みは分かれるところだろうけど、1回使ったら即学習できる程度のものだろうに。
老化してくると難しいのかもしれないけど。
老眼にアイコンが厳しいならショートカットキーを…ああ、覚えられないからマウス完結したいのか。
止めて欲しいならどうでもよくないんじゃん、一行でバレる嘘つくなよ。
中央配置はMacマネというより、モニタ高解像度化にともなう変化だと思うけどね。
いずれにせよ左寄せにも変更可能だし。
Windowsに求めるのは時代時代は意識してUIを今風にしすつつも、一貫した操作性であって、目新しさや新体験ではないんだわ。
変化についていけない老人にはそうなんだろうけど、世間はWinXP以前のしみったれた操作感なんて求めてないんだわ。
身の程をわきまえて欲しい。
3月15日第2刷だからできたてホヤホヤあそばせ!東京名古屋大阪と書店探し回ってたけど全然三つからなかったんだよね。
高い本だからハードカバーだと思ったがそうでもない。でも1500円ならそんなもんか。
加筆ありと言ってたが、シーン追加じゃなくカット差し替えみたいな感じで少し残念。
読んでると結構書き換えてるな~と思っても、アーカイブと見直してたらただの記憶違いだったり。
(公開記事消すの、商売としては分かるけどちょっとセコいよ!)
幼少期編はほぼそのままっぽくてガッカリ。
で、801ちゃんみたいな脚注、ネトゲ用語についてついてるのは結構便利なんだけど
「※1 Raid Guild:EQにおけるHNMLSのようなもの、多人数で1体の強敵と戦うことをRaidと呼び、FF11におけるHNM戦に近い」って注釈は注釈に注釈がいるし
褒めるとき骨太骨太うるさいから編集じゃなくて暇が作ったんだろうなって…
あと、ドラえもんとニホンオオカミの注釈いる?(でもSF生活ギャグ漫画って注釈を鼻で笑ってたら、どうもそういうジャンルがあるらしくて恥かくとこだった)
裁判編はあんまり興味ないから読み流してるけど、資料を文章中に挟み込むデザインは結構いいと思う。
文字列折り返しになるから一見読みづらそうだけど読んでみるとそんなに気にならない
挿絵代わりの風景写真、デザインとしては悪くはないけど注釈小さすぎて分かりにくいし、会社近くのマクドの写真とか見せられても…その風景に思い入れあるの暇さんだけですよ?って
ガソリン撒くくらいに酷いとは言わんけどそんなに絶賛するほどでもないかなぁ
まぁネットで無料公開してたコンテンツの書籍化って意味ではようやっとる
あとがきが暇空というか水原さんの正気が垣間見れて一番良かった
ただ、裁判で6億勝った、ってのがウリなんだけど
今の暇さんは裁判負けまくってんだよなぁ
関わってたら裁判のためにSNS止めさせてたと思うが、それだと裁判に勝っても生活できなくなっちゃうもんなぁ
それはそうと、堀口くん個人情報流出についてUberに問い合わせてみるつもり
Uberが顧客の個人情報流出させたか、暇が虚偽情報流してUberの営業妨害してるかのどっちかだからやって見る価値ありまっせ!
最近男性の身だしなみや清潔感の話が増えてきて、スキンケアに気を遣っている男性も増えてきていると思うんだけど。
洗顔料で丁寧に洗顔して、化粧水をつけて、という過程を踏んで、肌の調子を整えようと頑張っている男性の意識はいいなと思いつつ、
・泡を顔に乗せ、
・指や手のひらの皮膚と顔の皮膚が直接触れないよう泡を顔全体に転がしていく
ところが、今まで私が洗顔を目撃した男性たち(と言っても今までに付き合った3人)は、
猛烈にゴシゴシゴシ!!!!と顔を洗っていたのだ。
高校生らしく、ドラッグストアでも1番安いような洗顔料を使っていた。
その彼氏はチューブから手に直接洗顔料を出し、手のひらに塗り広げ、そのままゴシゴシゴシ!!!!!と顔を洗っていた。
泡を手のひらに出すとやはりゴシゴシゴシ!!!!!!と顔を洗っていた。
3人目は毛穴を気にしていると話しており、評判いいんだよねと無印のスクラブ入りの洗顔料を使っていた。
彼もやはり手に出した洗顔料で顔をゴシゴシゴシ!!!!!!と洗っていた。
個人的に彼の肌が1番心配。スクラブで肌がザリザリザリ!!!!!!!と削られていそうだから。
全員に「こうしたほうがいいと思う」と自分の洗顔方法を伝えてみたが(3人目には特に)、3人とも
「それじゃ洗った気がしない」
という返答だった。
清潔感を気にする、とか自分がさっぱりする、とか自己満足の洗顔なら自分の気が済む方法でいいと思うけど、
肌の調子を考えてスキンケアに取り組んでみているなら、より効果的な方法にした方がよさそうなのになあ。
男性美容系Youtuberをちょっと検索してみたら、洗顔は泡立てて優しく泡を転がして、って指南してる人がたくさん出てきたので、ゴシゴシ洗顔が男性のスタンダードというわけではなさそうだし、情報に行きつく男性も多そう。
訓練という訓練はしてないけど中学三年の時1年間毎週欠かさず400〜1200字くらいで作文書いて学校の先生に採点してもらってた
コツ?はよく言わてる程度だけど
話の流れがおかしくないこと。
論文と小論文の細かな違いはあるけど、思考プロセスを明確にすること。特に自分の立場やそう主張する理由を明確にして、経験ありきだとなお良い。小論文の場合は経験捏造したりする。
社会人になってから会社で人の(小)論文の直しをすることがあるが、そこで自分はやってて人はあまりやってないけと思うのは、直してて要らなくなった文や、こういうこと書きたいけど上手く入らないなと言う文は消さないで別のところに残しておくこと。いらない文はまた別の直しをした時にその文を入れられる所ができたり、見直してる時に話の流れが微妙だなとなった時にその分を入れることで流れがよりスムーズになることがある。
いらなくなった文も入らなかった文も言いたいことの一つなのでいらなくなった時点で捨てるのはもったいない。
あとは同じようなこと言ってる人の文を賛成も反対も読んで、似たようなことを言いたい時に色んな人の分を集めてアレンジして使う。自分で言葉をいちからつくるのは大変なので、色んな文章をキメラして自分の文を作る。
今から22年前の2002年に、11歳の脳障害児である日木流奈が話題になった。
俺は彼が本当に奇跡の詩人であり、自分の言葉で話していると信じていた。
NHKで放送され、ネットなどの批判によりNHKは謝罪したが、俺は彼を信じていた。
彼の話法は、母親が彼の手を取り、50音が書かれた紙を指差して話をするというものだ。
「実は母親が指差しているだけでは?」と指摘されていたが、俺は違うと思っていた。
「そのまんまでいいよ」「心配しなくていいよ」という彼の詩に感銘を受けていたからだ。
そこから20年経った2022年に、俺はなんとなく再度彼の動画を見直してみた。
すると、どうだろう。これは明らかに、母親が彼の手を故意に動かしているではないか…?
なぜ俺は気付かなかったのだろう。
その時俺は、コロナ禍で危うく反ワクになりそうなほど、陰謀論に傾きそうになっていた。
しかし大人になった俺はなんとか陰謀論を逃れ、ワクチンを打った。
だからこそ、日木流奈くんが操られてることに気付けたのだ。
遅い、遅すぎた。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm16732325
まあこれだけでも彼が操られてることが分かると思うが、次に彼の2019年の状態を見てみよう。
『日木流奈さんインタビュー/第1回 「何が起きても大丈夫!」という人が増えてほしい』
https://starpeople.jp/seijingoroku/hikiruna/20190503/4279/
どうだろう。
俺は彼の著作を市販されているものは全て持っていたのでわかるのだが、彼の話し方や内容はは全く変わっていない。
…だが、そんなことあるのだろうか?
このインタビューには具体性がない。成長がない。11歳だった彼と変わらない受け答えがそこにあった。
「やはりこれは母親が答えているだけでは?」
そう思わざるを得なかった。
おそらく、母親は自分の子供が脳障害児であることを受け入れられずに、天才だと思うことによって自分を保ったのではないか?
それが今まで続いているのではないか?
当時からそのような指摘はかなりあったが、俺はそれを少し前まで気付かなかったのだ。
本当に恐ろしい。
本来は周りの人間がそれを指摘して彼を救うしかないのだろうが、それももう叶わないのだろう。
今後彼の母親が先立った時、やっと彼の自由が叶うのかもしれない。
これが俺の懺悔だ。
私はオートクチュールの制作現場に対する知識がほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分の名前で成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールのコレクション…!?その後のルックがメディアなどで写真動画そしてモデルや取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社の名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分の名前で作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。
試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。
松嶋氏はアフリカのゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供や女性の映像、洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。
全体を通して、感想を視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集や話題のほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画『燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカにゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。
この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活や仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分と地球の関係性をよく考えながら生活したいと思った。
この作品はパリオートクチュールコレクションに2023年の時点で唯一参加する日本人ファッションデザイナー中里唯馬氏に密着したドキュメンタリー映画だ。これはファッション業界が地球に対してネガティブな影響が多すぎること、GHG排出量や環境汚染の大きな原因になっていることに対してファッションデザイナー自身が向き合い、コレクション制作に取り組んだ記録である。
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ここ以降、ネタバレ的な話、映画制作に関わったステークホルダーたちの発言の抜粋などにも一部言及する。そのためこれから視聴を控えていらっしゃり、なんの前評判も誰の感想も読まずにまず自分の主観で作品を視聴したい方は、ここ以降は念のため読まないでください。
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>Fashion production makes up 10% of humanity’s carbon emissions, dries up water sources, and pollutes rivers and streams. What’s more, 85% of all textiles go to the dump each year (UNECE, 2018), and washing some types of clothes sends significant amount of microplastics into the ocean.
>ファッションの生産は人類の二酸化炭素排出量の 10% を占め、水源を枯渇させ、川や小川を汚染しています。さらに、毎年全繊維製品の 85% がゴミ捨て場に送られており ( UNECE、2018 年)、一部の種類の衣類を洗濯すると、大量のマイクロプラスチックが海に流されます。
(引用:The Geneva Environment Network, https://www.genevaenvironmentnetwork.org/resources/updates/sustainable-fashion/ )
しかしファッション業界も、企業やブランド毎に速度も歩みの幅も大きく異なるが、ネットゼロへ進みはじめている。2023年後半の時点で、NIKEとadidasの靴やアパレルを購入した際には、この2ブランドについては、製品タグを付ける紐は紙製、靴の梱包材も全て紙製など生分解性素材への移行が見られた。近年adidasがコラボレーションを発表し続けている英国のデザイナーであるステラマッカートニーは、ステラ氏自身のアパレルや化粧品において早くから持続可能性を追求している点でも名高い。
それでも私たち人間が消費するファッションアパレルとしての服や靴それ自体が、最終的にゴミとして扱われ、それがアフリカへ、良い言い方をすれば「皺寄せ」、正確に言うと「ゴミ処理先」として送られる。
映画『燃えるドレスを紡いで』では、中里唯馬氏と監督の関根光才氏がアフリカを訪れた。中里氏は自身が身を置く業界がうみだしたものたちが消費された結果どこにいくのかという点で、行き着く先のひとつとしてアフリカを選んだのだ。映画本編では、彼らがアフリカで過ごす様子を視聴したのち、中里氏の仕事風景を見ることができた。そしてそのまま、彼のオートクチュールコレクションの映像と、それらへの評価、メディアの反応などを見ることができ、映画は終わった。
ファッション業界とそこに携わる人間としての中里氏の考えなどについては、ここでは言及しない。それぞれが視聴した上で、それぞれの考えを抱いて欲しい。
私自身は、人間の存在とその経済活動ほとんど全てが地球への負荷であると考えている。ファッション業界の影響が大きいにしても、私そしてあなたの存在も地球環境に負荷をかけているのだから、それをわきまえれば「特定の業界が悪だ、最悪だ」なんて意見は軽薄ではないかと思う。気分によっては、2024年に子供を産もうとしている人は、2044年や2064年の地球環境は確実に悪化するだろうことがわかっている中で、なんて酷なことをするのだろうと考えることもあるくらいだし、しかし、そう考えるが子供を産み育てる人を軽蔑や見下げたりすることは決してない。ファッション業界だけが地球環境を悪化させているわけではないと言いたい。
しかし、人間たちの研究開発と技術革新は進み、各業界で既存業界の課題と技術のブリッジが続く中、ファッション業界においては、消費者の意識とともにいろいろなことが遅れているのかもしれない。
映画『燃えるドレスを紡いで』で中里氏がアフリカで過ごしている時の映像で、中里氏がたびたび自分の見たものや景色に対して「美しい」と口にしていたのが印象的だった。その形容詞が、多勢に同じ感想を与えるものかはわからない。実際、監督も「どのあたりが美しいですか」というように問うていた(言葉が少し違ったかもしれない。違いましたら後日修正します)。
アフリカの映像は、日本などの先進国とは全く違う環境で、雑多としたものたちに溢れ私たちがゴミとして扱うものが最終的に行き着いたアフリカのゴミ山や、雨が降らず乾燥し切った土地、そこを移動しながら暮らす遊牧民たちの生活などだ。
中里氏はここから美しさを見出したし、私はそれに感動した。キュレーションされていない場所に行って何を見て何を感じ、どう言語化するか?、これは人による。単純すぎる感想だが、美しさを見出せる人は美しいものを作る側にもなれるのかもしれない、と思った。
中里氏がアフリカから戻り、チームに制作のコンセプトなどを発表したときの様子が好きだった。
制作のコンセプトをチームに発表する、チームはそれに従う、でいい。それでいいのだが、そのときにチームメンバーがそれぞれ発言をして、その様子は「中里氏に完全に従う」といった様子ではなかった。語弊があるかもしれない、もちろん彼の名前で発表するコレクションであり、彼のチームメンバーは彼のコレクションのために働くことになるのだから結果的には従うことになる部分が大きいだろう。しかし、中里氏の決意や発表に対して、取り掛かる前に、チームメンバーが各自発言ができること自体が、これができるチームは日本にある数多の組織の中でも意外と少ないのではないかと思えたのだ。とても良いチームに見えた。
私はオートクチュールの制作現場に対する知識がほとんどないに等しいが、ステークホルダーの多さや切迫感は目を見張ったし、最終的に時間との戦いになるさまには共感できる部分もあった。私などが共感を覚えるなんて言葉選びとして軽率では?おこがましいのでは?という点は一旦脇に置くとして、スケジュールの甘さや時間管理の不備ではなく、自分の名前で成果物を提出するときに「もう少し、どうにか良くできるのではないか」と思えてしまい手を止められなくなった経験は、私に限らず、ビジネスパーソンとして経験したことがある人も多いはずだ。さらにそれが、オートクチュールのコレクション…!?その後のルックがメディアなどで写真動画そしてモデルや取材者の感想とともに二次三次と広がる。なんて覚悟のいる仕事だろう。「とりあえず自分の持っているボールをなんとかして、次の人に投げれば、なんとかしてくれる、そしてそれはとりあえず所属会社の名前として世の中に出る」ような仕事のやり方と比較すると、全く異なる状況だ。自分の名前で作品を出す、誰も拭えない。そんな状況、いつまでだって試行錯誤したくなるに決まってる。これで完成だ、と手を止める瞬間はどう決めるのだろう?、あるいは降りてくるもの?そんなことも思った。
試写会では作品上映後にトークショーが行われ、WIRED編集長の松嶋氏が進行をつとめ、登壇者から話を引き出した。
松嶋氏はアフリカのゴミ山で服が舞う様子や鳥が飛ぶ様子が美しかったというようなことをおっしゃった気がする。実際に美しい映像だと思った。嘘みたいに大きい鳥(そして実際にも多分、とても大きい鳥)が前後左右に悠然と歩いたり止まったりしている間でゴミを拾う子供や女性の映像、洋服やその切れ端などが鳥とともに空を舞う映像。その映像を現地で撮影した関根氏と中里氏は、現地で風が吹いたり竜巻が起きたりした時は死ぬかと思ったと笑いながら話してくれたが、その裏側は本編に一切残さず、本編では映像として映すのみで、感想は見る側に委ねてくれたことを嬉しく思った。
全体を通して、感想を視聴者に委ねるような仕上がりになっていたように受け取ったし、私はそれに感謝した。この映画で見ることのできる映像たちに、美しい、汚い、怖い、綺麗、綺麗事、すごい、面白い、行ってみたい、行きたくない、見てみたい、着てみたい、など、どのような感想を抱いてもいいし、自分の抱いた感想に対して、なぜそう思ったのか掘り下げたらいいだろう。白黒はっきりつけず、議論し続けるべき話題はたくさんある。WIREDで取り上げられる特集や話題のほとんどがその類のものだ。人々は対話を続けなければならない。だからこの映画『燃えるドレスを紡いで』への感想も、私のようにとても良かったと考える人もいれば、地球温暖化は陰謀だとか、アフリカにゴミが集まるのは当然だといった感想を抱く人ももしかしたらいるのかもしれない。自分あるいは他人が抱いた多様な意見に対して、なぜそう思ったのか、と対話を続けること、対話を諦めないことが日本にも世界にもファッション業界にも必要なのだろう。
この映画を見て、自分が買っている服、ひいては、自分の買い物という消費行動を見直したい、誰かに拭わせるような生活や仕事をせず自分の責務やその範囲を適切に見定めて、その範囲を広げたりしっかり守ったり、うまく守れた時は余力で周りを助けたりしながら自分と地球の関係性をよく考えながら生活したいと思った。
あと、WIRED JAPANが大好きなので、これからも愛読し続けたい。
追記。
映画に登場する人々に、登場シーンでクレジット(登場人物の名前や所属)を表示させた上で、もちろんエンドロールにも名前を掲載する、という画面の作り方は、ドキュメンタリーの手法としてめずらしくはないのでしょうか。この辺りの知識がないため滅多なことは言えないのだが、登場人物の名前や所属をその画面で明示する編集が好きだった。やはり、協力者の一人として自分が登場するシーンには、期待や嬉しさなどをもっているはずだ。私はこのような、協力者たちへ感謝を伝えるようなあたたかな編集や画面作りに強く好感を持つ。1人ではできなかったことへ協力したくれたステークホルダーにできる限りの感謝を述べる姿勢を、私も忘れないようにしたい。