はてなキーワード: 忠告とは
昨今話題のモーリシャス海難、詳細は様々なチャンネルのメディアから報道されているので詳しく知らない者はそこから情報を得て頂くとして、今回エントリを作成したのは一旦このモーリシャス海難によって義憤を持っている方々へ冷静さを取り戻して頂こうと考えたからだ。
何故ならば、当エントリのタイトルにある【不利益は外国へ】はモーリシャスに限った話では無いからである。
それはそうだろうと感じたのならば早計だ。
はっきりと言おう、今回のモーリシャス海難の責任をすべて商船三井や長鋪汽船、そして日本政府へ求めた場合、最終的に損するのは外国であると。
何故ならば世界の多くの国々は国連へ加盟しており、海事を所管する組織として国際海事機関(IMO)がある。
その中で海事に関わる世界の国々はIMOを通して国際条約を結んでおり、船員の資格保証をするものに「STCW条約」というものが存在する。
STCW条約
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kotsu/bunya/kaiji/stcw.html
ここまで説明すると察しの良い者は理解を始めただろうが、モーリシャス海難を引き起こした大型船WAKASHIOに乗船していたのは日本人ではなくインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人なのだ。当然ながらインドとスリランカ、フィリピンもSTCW条約へ加盟している。
STCW条約で定められた国際基準を満たした国々はホワイトリストへ加えられ、面倒な手続きを省略できるという各国法令制度があり、ホワイトリストにはインドとスリランカ、フィリピンも載っている。
本邦の海運企業が容易に外国人船員を雇い入れることができるのもこのSTCW条約のホワイトリストがあるからだ。
さて、ここで想像して頂きたい。
今回のモーリシャス海難が国際的に猛烈な非難を浴び、日本が全面的に保障すべきだとなった場合はどのようなシナリオが考えられるだろうか?
日本は間違いなくSTCW条約にある船員教育の国際基準を満たしているのか?とインドとスリランカ、フィリピンへ問い合わせたり調査を開始するだろう。
もちろん問い合わせと調査が完了するまでの間、日本はもとよりSTCW条約へ加盟しているすべての国々はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員の雇用を一時的に凍結する。
何故ならばSTCW条約へ加盟している国々はSTCW条約の国際基準を満たしていることでホワイトリストへ記載されているため、船員教育の基準を満たしていない可能性のあるインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員を雇用するわけにはいかないからだ。
船員教育の国際基準を満たしていない船員を乗船させているとSTCW条約の国際基準に満たない可能性が高い。
商船三井や長鋪汽船も当然ながら雇い止めをする。国際基準に満たない船員ならば国際基準を満たす別の国の船員を雇用したら良いのだから。
金銭的保障は保険でまかなえる。道義的責任として頭を下げるのはタダだ。そしてその道義的責任は船員教育を疎かにした国々も問われる。
大きな声を持って忠告しよう。
アナタたちのその義憤はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人船員の雇用を脅かしていると。
冷静にならなければならない。その義憤はインド人およびスリランカ人、そしてフィリピン人の雇用を脅かすためにあるのでは無いはずだ。
ごく簡潔に言うと「自意識が肥大化しすぎて暴走していろいろやりすぎちゃってインターネットに居場所がなくなった」というのが何年か前にこの人に起こったことの顛末なのよ。
本人見てるかもしれないから忠告だけど、もう戻ってくるのはやめたほうがいいよ。
たぶん自分で気づいてると思うけど、あなたの自意識は制御不可能でしょ。また同じこと繰り返すよ。
それに数年前とはネット全体の意識もガラリと変わってる。あの頃と同じことしてたら反動は前の比じゃない。たぶん前よりもっとひどい結末になるよ。
たまにこうして増田に投稿して承認欲求満たすだけでいいじゃん。十分だよ。
ミミセンの作戦は、こうだ。
それぞれ配置についたらトイレで合流。
そこでドッペルが俺と入れ替わり、同伴の先生を陽動する。
そう、さっきトイレから出てきたのは俺じゃなくて、俺に変装したドッペルだったんだ。
「久々に会った相手の顔なんて、正確に覚えているはずがない。それにドッペルの変装だ」
ドッペルは変装の達人で、特に俺に化けた場合は仲間でも見分けることができない。
あの先生が兄貴並に勘が良かったとしても、しばらくの間は大丈夫だろう。
「二人が向かった広場は、物置部屋の反対方向にある。しばらくは戻ってこないはずだ」
そうは言っても悠長にはしていられない。
そうなったら隠れようがない。
俺たちは足早に物置部屋を目指す。
廊下に並んだ各部屋の扉は窓突きであり、その面積は上半分にも及ぶ。
なので俺たちは屈みながら移動していたんだが、長身のシロクロは四つんばいで歩いていた。
「みんな走るんじゃないぞ。常に足のどちらかは地面に接地して、素早く歩くんだ」
「くねくね、競歩スタイル! NA・KA・TA! NA・KA・TA!」
「やめろシロクロ」
「私、シロクロは仲間だと思っているけど、今回の作戦に連れて行くのは失敗だったんじゃないの?」
「そう言うなよタオナケ」
もしドラキュラと相対した場合、正面からマトモにやり合えるのはシロクロだけだ。
それに何だかんだいって物置部屋までもうすぐだ。
「よし、後はこの突き当りを曲がれば……」
「ちょっと待って、マスダ」
その時、ミミセンの静止が入って俺はギクリとした。
「誰か来るのか!?」
このタイミングで誰か出てくるのはマズいぞ。
俺たちが今いる場所は一本道な上、周りに遮蔽物が少なく隠れるのが難しい。
「そうじゃなくて、事務室に行かなくていいの?」
「……あっ」
思わず声を漏らす。
そうだ、気が急いて大事なことを忘れていた。
物置部屋には鍵がかかっているはず。
俺たちは鍵を手に入れるため、少し進路を変えて事務室に向かった。
コロナ、要するに病気の内容そのものは「めちゃくちゃキツい風邪」、「インフルエンザが悪化したらこんな感じ」ってものだ
そう書くとショボく見えるかもしれない(実際にはこじれた風邪もインフルエンザが一番辛い時期も死ぬほどキツいので絶対に罹りたくないけども)
でもこの病気の本当に怖いところは、感染者に対し「国やその国に暮らす人の悪癖が発動する」事
日本という国の場合は「異物排除」「多数派が正義」「村八分」がそれだ
ただでさえ苦しい病気で死ぬような思い(なんなら本当に死ぬかもしれない!)してる上で、「汚物は消毒」「汚らわしい感染者を晒し上げよ」「どうせ国の忠告無視して遊んでたんだろ自業自得」「死ねw」と誹謗中傷を受け
Twitterだの2ちゃんねるだのFacebookだの爆サイ.comだの、もちろんはてな匿名ダイアリーでも、感染者の個人情報が晒し上げられ殴られる
ああ、「密」な場所で遊んでいたり、不要不急の外出して罹ったのならそりゃ非はあるかもしれない、手洗いうがいマスクを徹底してなかったのもいけないかもしれない、でも病気に罹って苦しい思いしてるならそれで禊は済んでるだろう?
ましてや、なんの非もないのに罹った人(人と関わる仕事、仕方なく出勤する人、ほんの数分程度の買い出しがきっかけで感染)まで同じ様に顔のないやつらにボコスカ殴られ個人情報をフリー素材にされるんだ、狂っていないか?
そして殴ってた連中の中に感染者が出たらそいつも同じ様に差別対象の仲間入り、とにかく「感染者」という悪を殴って殴って動かなくなるまで痛めつけようとする
遊びや外出を抑圧されて溜まったストレスを、遊びや外出が出来ずに辛かった上にコロナに罹ってしまい肉体的にも辛い人へぶつける
コロナはその国ならではの「病巣」と「疾病」を明るみに出す病気だ
自粛警察、マスク警察、こういう戦時中並の監視と足並み崩したヤツをボコボコにする風潮も、コロナであぶり出された日本人が抱える疾病の一つ
病なんかよりも、よっぽど人が恐ろしいよ
そしてこう言えば「でも感染者が悪いだろ」「実際罹ったやつは軽率な事してたくせに」「パンティー」「ネットリンチの何が悪いの?」「うんち」「日本を批判するパヨクおはようw」とか思考停止で返ってくる
そういうとこだぞ
父は発達障害でありながら、自覚なく、適切な訓練も受けずに生きてきたため、
人からバカにされ、疎まれ、罵倒されるだけの人生を過ごした影響で、人生と他人に決して解消されない強い恨みを抱いており、
反撃しないことが明らかな家族にだけ、酔った勢いで呪詛の言葉を投げ続ける人生を送った
ストレス解消は酔っ払うことと、家の中で暴言を吐きまくることで、
すべての忠告が自分への攻撃に聞こえているらしく、酒を控えろとか、趣味を見つけろとか、外のコミュニティで友達を作れとか、
建設的な生活改善のアドバイスにも、やらない言い訳と進言する家族への罵倒が返ってくる
家族ながら、もはやこのおっさんが救済不可能であることは確定的に明らか
ペーパーテストだけかろうじて平均レベルの知能があるため、本人は自覚していないが、
今はまだかろうじて日常生活を送れるだけの節度を保っているが、今後は加齢とアル中の進行により急速に生活が崩壊していくだろう
マジでふざけんな。
簡潔に言うと配信者です。
緊急事態宣言が出てもカラオケに行ったり、遊びに出掛けていました。
毎週、否、毎日。
部屋で配信やってんだよ
( 泳げたいやき君)♪
母はまたかよと呆れ...
父は無関心。(時々、遊び過ぎだと怒るけど)
私が「OO県またコロナ出たのに大丈夫なの?XXくん(姉の友人の子供)大丈夫なの?危ないから止めた方が良いよ。」と忠告しても聞かない。
しまいにゃ「あたしの金だから良いじゃん!遊んじゃダメなんかよ!!」と逆ギレ。
そして某日、
「OO市OOの......」
(まさか...)
嫌な予感は的中。
濃厚接触者の中に姉がいました。
「OOとXXがコロナになった」
携帯を持つ手が震えました。
母に見せたら顔面真っ青、
必死に止めて阻止しましたが、怒りはおさまらず姉に「二度と帰って来るな!」と電話で絶縁宣言。
それに対して姉は「あ、そうですか。じゃあずっとOOちゃん家にいるわ。」
アラフォー間近の女だよ?
妹の私は歌い手でもないし、インスタやポケカラはやっていないけれど、そこまでしてカラオケしたり、遊びたいの?
「コロナ映え」ってか?
頭おかしいんじゃねーの?
つーか旦那は何してんだよ...
本当に最悪。
特定とかに巻き込まれて家族全員が晒されたりしたらどうすんだよ...
整形して逃亡したいが金はない。
無理心じゅー?
やりたくねーわ。来年延期になった映画とか観たいし死にたくねーわ。
身内に配信者がいると怖いですよ。
有名になりたいのか下着姿とか載せたりしてるわ家の周りの写メも投稿してるわ...
まるでパチンカスだ。
まぁ、姉は元パチンカスだが。
リン、飼い犬のリンが今日死んだ。いや人気者過ぎて神様だか上位存在のもとに出張してやったのか、あるいはグルメだったから今の世界に飽きてちょっと三千世界だの並行世界だのを渡り歩きに行ったのかもしれない。
感情が高ぶっている。だからこの高ぶりが残っているうちにこうして文章を残す。
ただ今人生で一番の悲しみが、哀しみが、非常に緩やかに、それでいて確実に風化してしまう、過去になってしまう、忘れてしまうことが恐ろしい。
そう、全部昔のことになって、リンのことが、お犬ドッグ、猫ドッグの痕跡がすべて消えるのがたまらなく恐ろしい
ごちゃまぜにしたまま
整理もせずただ出力する
誰かの目に当たることを前提としてはしていない。もしかしたら自分からあてにいくことはあるかもしれない。
もしこれを誰かが見ているのだとしたら、恐らく自分は自分からこれを公開したのだろう。恥ずかしいやつだ。
だけどこれは、この感情が風化してしまう前に、本当にあったんだぞと。この喪失は、悲しみは確かに此処にあったのだぞと歴史に傷跡を残したい一心で残すだけの文である。
いや文ですらない、言葉っぽい何かが連なっているだけだ。いつか赤ら顔で悶絶しながら読み返すのかもしれない自分、それ以外の不幸と幸運の数奇の嵐の
旅路の中でここに立ち寄ったあなたにこれだけは忠告しておきたい。ここから読んでも何も得るものはない。
その時のことは割と覚えている。確か小学校入学を控えた私が出先でペットショップをみかけ、そこで売られていたチワワに一目ぼれして買って!とせがんだ数日後、
母親がケースに入れて
家にやってきたのがこのダックスフントロングのリン様である。えぇ・・・となったものだが
それ以前に「犬を飼うなんて!世話とかできんやろ!」という兄弟たちの猛烈な親への抗議に押されてそれどころではなかった
話は変わるが私の小学校入学までの歴史はうんこである。なんだったか、親がアメリカで真剣争いしただの外国人雇って私を誘拐しただのろくでもないワードが飛び交っている。
そのせいでPTSDだのなんだのを幼くして発症した私は家に引きこもることとなり、入学までに備えておくべき社会性だのなんだのというものはまるでなかった。
当然、学校が始まってからというものまったく馴染めなかった。なんなら字もかけなかったし口もきけなかった。
当然、つらい
そんな私を救ってくれたのがお犬様のリンだった。
何せこいつは素直だった。ごはんがあるとわかるやすり寄ってくるし、おもちゃやらなにんやらを取られるとか不快な思いをするとすぐ威嚇してくる。一般的にはワリとクソ犬の類だったと思う。
だが、やたらとクソみたいな口撃でマウントを取ってくるDQN同級生、肝心な時と肝心じゃないときにまったく役にたっても味方になってもくれない家族、クソみたいな気づかいぐらいしかできない新興宗教にハマってる女性の担任の先生。
本人がクソなら周りもクソが集まる中、お犬はストレートに感情を示してくれたし見た目も人畜生より何倍もよかったから目の保養にもなった。本当にこれだけが私の支えだった。
支えの代価としてドッグフードではなくミンチ肉を要求され続けることになるとは思ってもいなかったが。いやマジでドッグフード単品だと食べなかったよあいつグルメかよ。
んでそんなお犬様を連れて散歩などをしていると、公園に生息している同級生たちはその可愛さにつられてホイホイ♂やってくる。そして当然散歩してる自分との会話になる。こうして私は犬から社会的立場まで与えられたのだ。お犬様バンザイ。
こうして私とお犬ドッグの日々は続いた。日々飽きるごはん!(日替わりじゃないとやだ)テコでも動かない散歩!(俺はこっちの方向に行きたいんだ人間風情が決めるな)
途中で良性の腫瘍で手術することになったり、悪性のがんで手術したりしたがなんか生き残ってた。すごいなリンちゃん
これが2015年ぐらいのお話。当時大学受験を控えていた私は大層メンタルを乱されたがお犬はケロっと生きていた。だからだろう。なんとなくお犬はずっと一緒に居続けるなんて幻想を無意識のうちに抱いていた。
お犬自身はへーきそうに日々を過ごしていた。
18年19年ごろにはぴょんぴょんはねていたような段差が登れなくなった
それでもごはんはいっぱい食べてたし、まぁ多少はねという気持ちだった
20年に入ってからごはんを食べなくなった。元から飽き性だったので中々気が付かなかったが、肝臓が半分ダメになってた。それでもお肉はちょこちょこ食べてたし、大丈夫だろうと自分をいいきかせつつ、注射器でミルクを与えるなどをやっていた
お薬はもらったし、容体も安定してるからまだ
8月に死んだ死んだしああ駄目だ。
16年だ。16年以上一緒にいたのに思い出せない。楽しいと感じてたはずのあの日々が思い出せない。いや大まかにはわかる。でもディティールがわからない。あのとき具体的にどんなことがあってどんな気持ちだったのが、リンと何したのか、リンはどんな顔してたか、リンとどんなことしたのか、リンは、リンは
思い出してやりたいのにずっと最近の畳みかけるような悪化の一途の記録だけが頭をよぎる。
つらい。悲しい。ひどい。
あいつは走るのが好きだった。それはもうべらぼうに早くて、当時ディープインパクトなんて馬が流行っていたからディープコンパクトなんて親が呼んでた。近所の小学生の自転車すらものにしなかった。昨日までだって散歩してたぐらいだ
でもだんだん走ることはしなくなった。ジャンプだってしなくなった
あいつは食べるのが好きだった。しかもグルメ。ドッグフードを与えたところまったく口にせず、苦肉の策の一環でミンチ肉を混ぜてやったらバクバク食べた。以降、それが彼女の常食になった。医師からも適量であればと言われ、犬自身もそれじゃないと食べないのだからこっちは懐痛めてお肉代も出さねばならなかった。それを食べてなお、台所で何かをあさったり、おやつや野菜の切れ端をやると飛んでやってきて全てをかみ砕いて食べていった。さながらブラックホールだった。
でもだんだん食べなくなった。大好きなミンチ肉も、ささみも、きももいらないとそっぽを向いた、おやつだって途中で残した。
耳がよかった。あいつの前で隠れても物音を立てればすぐ見つかった。
聞こえなくなった。
目もよかった。遠くから俺を見つけた瞬間しゅばばばばっと風のようにやってきた
昨日まで生きてた
生きてなくなった
できなくなった、なったなったなった
老化というのは、時の流れというのはあんまりに残酷ではないだろうか
あいつにはいろんな楽しみがあった。色んな特技があった。色んなやりたいことがあったはずだ
でも全部時の流れに奪われた。挙句の果てにまだ生きられたはずなのにみんなが寝てる間に布団が絡まって呼吸困難になったのが原因で死んだ。
きっと、病魔に蝕まれたりするよりは楽だったのかもしれない
それでもあんまりじゃないか。もうちょっと穏やかな死でもよかったじゃないか。
何故私の血肉は、命は、寿命は分け与えるように、捧げられるように作られていないのか。
だから忘れられていく。いつか痕跡もなくなって、私の中からも過去になってしまう
5年前、がんと最初に診断されたときからリンが死んでしまうこと、リンが忘れられてしまうことがたまらなく恐ろしかった。恐ろしかったから、目をそらし続けた。
逸らし続けた結果がこれだ。感情を抑えきれず、認められず、八つ当たりのように何かを打ち続けてないとおかしくなりそうだ。
嘘。半分嘘
何かをやってないと狂いそうなのは本当
でもそれは全部じゃない。
書いている間。ちょうどこの欄をかいてるあたり、気持ちが落ち着いてきた
落ち着いてしまった。
まさしく上に書いた通り過去になろうとしてる。まだ知らせを聞いて数時間しかたってないのに。亡骸みて2時間程度なのに。私の悲しいとやらの感情はそんな程度だったのか。16年とはそんなに軽かったのか。自分への失望が、時の流れへの絶望で砕けそうだから、それからまた目をそらすために、文として意味を成すかも怪しい文章をつづり続けている。
話はここで終わり。
オチなんてない。きっと明日はもっと落ち着いてしまっている。過去にしてしまっている
だから、この感情の迸りだけは、残しておきたかった。その100文の1でも、読んだ誰かに伝わればいいけど。いや無理だなこりゃ
犬が死んだことについてLINEで知人に送りまくった。
天に召されたようちの犬、時々でいいから思い出してやってね。と
さながらスパムメールだ。忘れられてしまう恐怖に勝てずにありったけの種を無造作にばらまいたのだ。
そしたら、結構な人が反応をしてくれた。前から連絡のあった知人についてはすごい心のこもったであろう言葉と、忘れないという宣言をいただいた。
無理やり引き出したような感じではあるが、とても、とても救われた。クソな環境だのなんだのと一番上で言ってたが、今ではいい知人・友人に恵まれてる。というかこの知人友人みんなリンをきっかけにできたやつらばかり。また犬に救われてしまった。
あと、もう一つ。緊急されたって連絡が来たその時間、自分はまだ夢の中だったわけだけど
夢の中でそのリンが出てきた。
ケージの中に入れられてるリンが目の前にいて、おやおやと思って出して撫でてやるとすごい喜んで、顔を擦り付けてくるし伸し掛かってゴロゴロしてくるしでおおどうしたどうしたと、なぜか感じたリアルな重みと温かさを感じていた。そしてメールが着て目がさめて、あとはご存じのとおり。
あいつの人生ならぬ犬生の後半は特にだが、私は飼い主として至らない点が多すぎた
今回死んだのだって、私が交通云々を考えずに実家にいれば防げたかもしれないのだ。
でも、でも、夢に出てきたんだ。それっぽい挨拶をしていきやがったんだ。
きっとあいつ的には、私は及第点だったんだろうか。そう思いたい。
こうして書いてると、ディティールのつぶれた思い出がちょっと輪郭を取り戻してくる。
なんというかあいつはもふもふで、何かとみんなを魅了していた。
それでいて家では猫のようにそっけなくふるまうし、膝にのって寝てくる。ネコドオオッグ
気ままなやつだった。だから入れ込んだ。
あいつは老化と共にできないことばかりになっていった
それでも、それでも、私はこんな都合のいい夢にすがっている。救われてしまっている。
お前にしてはまあよくやったのだとあいつに言ってもらえてるような気がして。崩れ去る寸前のところで踏みとどまれてしまっている。
嗚呼リン。俺がお前にしてやれることはもうないけど、たぶんお前はいっぱいいいことをしたから、あの世やら並行世界やら生まれ変わりやら、どのルートでも幸せになれるよ。
あんなに人を笑顔にして、俺も救ったんだもの。誰も文句はいわないって。
だから、俺がソッチに逝ったときはまた気が向いたら顔見せてほしい。
いやどうせお盆だ。夢の中にでも出てきておくれ。
これから俺はお前の居ない世界で生き続けていくんだけど、さすがにつらいから。
もうちょっと、お顔見せてほしい。
いやしめくくりとしてこの執着はちょっとあれだな。
とにかく、また会ってもふもふさせてくれる日を待っている。
そこまで酷い目にあったら他人のせいにしようとするのが人間の防衛本能だろ?
それだけなのに、本当にそれだけなのに、なぜ狼少年は最終的に死ななくてはいけなかったんですか?
そのたびに、村人たちは大勢で駆けつけてきました。
しかし、村人たちは少年をだんだんと信用しなくなり、誰もその嘘に騙されなくなりました。
しかし、この話は道徳話としては不完全であり、そもそも合理性に欠けています。
つまり、嘘を諌めるこの話自体がひそかに「嘘」をついているわけです。
この増田では、狼少年の話の不完全な点と「嘘」を指摘し、より正しい「狼少年の話」の構成を試みます。
あと、見かけ上の問題ですが、狼少年の話が持つ嘘はカギ括弧付き(「嘘」)、本増田で構成する正しい狼少年の話もカギ括弧付き(「狼少年の話」)で標記します。
まず、指摘事項は以下の3点です。
狼少年には叫ぶ余裕があり、不意をつかれたわけではないので、木に登るなり池に飛び込むなりの逃げ方があったはずです。
一方で、その「災害情報」を無視した村人が助かっているのは合理的に欠け、その点が嘘つきを悪者にするための苦しい「嘘」だと言えます。
その時間、外に出ていた村人も居るはずで、村人が誰一人として被害を受けていないということはあり得ないはずです。
先にも書きましたが、無邪気な嘘の代償が本人の死というのは現実の比喩として正しいのでしょうか?
詐欺罪を考えてみれば、それは罪状的にも「嘘」であり、死という重すぎる罪状は合理性に欠けてますよね。
そして、狼少年はそれを機に改心できたとしても、死んでしまってはその気持ちを行動として表現することができません。
ヒーロー物の悪人が死ぬのを見て視聴者自身が反省を抱かないように、狼少年が死んでしまっては聞く側の反省は促されません。
村人は嘘が悪いことだと忠告し、狼少年の嘘を辞めさせなかったという過失を犯しています。
教訓話としては、これに対しても反省を促すために、村人にも狼少年同様の罪を背負わせるのが正しいはずです。
ならば、なぜ村人の罪が描かれないのか?
それは、この話を作り、語るであろう大人の罪を描かないための「嘘」なのです。
つまり、反省するのは狼少年に表象される子供たちだけでよいという「嘘」が含まれているわけです。
(狼少年の話には、少年でなく羊が殺されるバージョンの話もあるわけですが、どちらにしろ、大人の罪を描かない点において「嘘」であるわけです。)
こんなに不完全で「嘘」つきのストーリーが、嘘に対する正しい教訓話になるはずがありません。
よって、正しい「狼少年の話」は例えば、以下のように表現することができます。
そのたびに、村人たちは大勢で駆けつけてきました。
しかし、村人たちは少年をだんだんと信用しなくなり、誰もその嘘に騙されなくなりました。
それを知った少年は一人だけ逃げることもできましたが、今までの嘘を反省する思いから「狼が来たぞ~」と必死に叫びます。
仕方なく、少年は村人たちを見捨て、狼が来たのと反対方向の高台へと命からがら逃げだしました。
いかがでしょうか。
そして、この改良版のストーリーを見ると、既存の狼少年の話に含まれる最大の欠陥が見えてきます。
改良版では話の構成を変えたので理解してもらえると思いますが、狼少年が狼をみつけて叫ぶ最後の「狼が来たぞ~」は、自分が助かるためでなく、村人を助けるための叫びだったのです。
だって、狼少年は村人を無視すれば、一人だけ助かることができたわけでしょう?
それでなお、村人に向かって叫んでいるのは、自分の命を危険にさらしてでも、村人を助けようとした意志があった以外に理由が考えられません。
そして、この真実は私が改良した「狼少年の話」だけに限った話ではありません。前提は全く同じですから、既存の狼少年の話でも狼少年は同じ感情で「狼が来たぞ~」と叫んだはずです。
ただ、既存の狼少年の話ではその感情をはっきりと描いていない。そのことこそ、教訓話としての最大の欠陥です。一番大事な狼少年自身の改心をわざと無視させる構造になっているのです。
もっと強めに言うなら、最後の「狼が来たぞ~」という必死な叫びは、一人だけなら安全に助かることができた狼少年の、自分の命を危険にさらした改心のための叫びだったんです。
狼少年は既に改心を示していたんですよ!
村人に助けを求めていたわけではなく、村人を必死に助けようとしていたんですよ!
なのになんで村人はその改心を無視するんですか!
こう考えれば、無邪気なだけの狼少年を死という釣り合わない運命から救ってあげたくなる私の気持ちもわかるでしょう?
まとめると、狼少年の話における最大の欠陥は、既に「叫び」として現れている狼少年の改心をはっきりと読み取らせることができない構成の悪さにあります。
そしてそれは、僕のような嘘つきが改心を目指す上では耐えられないことなんです。
狼少年の改心への悲しみを、村人も語り手も聞き手も無視して踏みにじっているという点で、「既存の狼少年の話は絶対に間違っている!」と、狼少年の気持ちがわかる僕も呼応して「叫ば」ざるを得ないのです。
そうです。これこそが、この話を書きたい本当のモチベーションでした。
ひそかな「嘘」に覆われた既存の狼少年の話の落ち方では、この話を身近に感じる僕にとって「改心しても死ぬんなら、死ぬまで『村人』に嘘をつき続けてやる!」と、全く救いがないのです。
僕のような嘘つきに改心の余地を与えるには、どうしても狼少年の話の「嘘」を暴き、真実を「叫ぶ」必要があったのです。
では、「狼少年の話」が示す本当の教訓は何かを書いて、話を締めましょう。
それはよく知られたように、嘘をついてはダメ…ということではないのです。
むしろそれは逆に、嘘をつく責任を自覚するといったことになるでしょう。
なぜなら、狼少年が責めを受けるべきなのは、嘘をついたこと自体ではなく、正しい嘘をつけなかったことだからです。
もし「狼が来たぞ~」の嘘が村人から信用されていないと知っていれば、もっと大きな嘘をついて気を引くという手段があったはずです。
例えば、「王さまが来たぞ~」という嘘をついたのなら、それを無視することによるリスクに耐えられず、村人の誰かが顔を出してくれたはずです。
そうしたら、今度こそ狼の存在を目の前に提示することができ、村人の被害は防げたはずでしょう?
いささかロマンチックな話ですが。
だから、狼少年が本当に反省するべき点は、いち早く危険を知ったのに、肝心なときに正しい嘘がつけず、犠牲者を出してしまったことなんです。
それはさらに言うなら、無邪気な嘘(狼が来たぞ~)で満足して、人を納得させる嘘をつくための練習を怠ってきたことこそ反省するべきなんです。
世の中においても、それこそ嘘を交えてでも、とっさに説明する能力はとても大事なものなんですから。
その証拠が、既存の狼少年の話というよく知られた「嘘」だというのは本当に皮肉な話ですけどね。
このように、上の3つの縛りから考えていけば、既存の狼少年の話とは全く正反対の教訓が「嘘」なしに得られるはずなんです。
いや、既存の狼少年の話が、嘘を責めるようなストーリーを持ちながらも自身が隠れた「嘘」で覆われているという矛盾を責めてるわけじゃありません。
そんなことは、狼少年らしく嘘つきである僕に許されたことではありませんし、もう一度繰り返しますが、嘘をつくこと自体は決して悪いことではないんです。
ただ、既存の狼少年の話が、狼少年自身と同じく「無邪気に」嘘をついていることがいけないと気づいたわけです。
つまり、嘘は悪だと認識させてしまう無邪気な「嘘」で、その聞き手に嘘をつく責任(生産者責任)を自覚させないことこそ本当に悪いことなんです。
それは、むしろ村人を助けるような正しい嘘を妨げる行為なのです。
そして、嘘をつく責任を自覚させないと、世の中の人に「無邪気に」しか嘘をつけず、肝心なときに嘘をつけない狼少年の僕がまた一人育ってしまうんです。
そう、以上のように合理的に考えれば、村人を犠牲にして助かってしまった狼少年の僕にも、正しい嘘のつき方を予め教えておけば、村人はみんな助かったわけです。
そして、生きて正しい嘘をついてこそ、かつて狼少年であった僕にも、責任のない「無邪気な」嘘から反省し、改心するチャンスは必ず巡って来るはずなんです。僕は無邪気であったことを反省するのです。
華奢で、シンプルなニットやタイトスカートを高校のうちから着こなして、大学では大学院まで行って英語を学んで海外で仕事をしたいと語る、耳で綺麗に揃えられたショートヘアの彼女は、私の自慢の友人だった。
高校を卒業して大学に入っても、彼女とは頻繁に連絡を取り合っていたし、お酒を飲めるようになってから月に一度は私たちには少し敷居の高いお洒落なお店で近況報告をした。ふたりで丸一日ディズニーランドで過ごすことなんて何度もあったし、初めての海外旅行は彼女とだった。つまり、かなり仲が良い女友達だったのだ。
本気で好きになった人に秒でやり捨てされた大学1年の夏、男がダメなら女と付き合うことにしたと言っていた(私はその日初めて彼女がバイだったことを知った)翌月、親のために結婚をしたいと言われ振られたと泣いていた2年の春。
もはや自暴自棄になった彼女が手を出したのは出会い系アプリだった。
そこで出会った10個上の男性は、彼女曰く「完璧な人」だったらしく、彼女はわかりやすくその男性にのめり込んでいったし、あっという間に付き合うことになった。
それはおめでたいと飲み会を取り付け、肉を焼きながら話を聞くのだが何かがおかしい。
「家が2つあるらしくて、ひとつの家にはお邪魔させてもらったけどもう一つの家には社員さんとルームシェアしてるから行けない」
「付き合って3ヶ月経つけど、未だにおうちデート以外したことがないし、写真も撮らないでねって言われてる。そういえば苗字も知らない」
「あと、完璧主義で私にもそれを要求してくるんだけど、それは全部私のためになることなんだって。」
………いやいやいや。いやいやいやいやいや。
どう考えてもおかしい。麻雀のことはよくわからないけど、「役満」ってたぶんこういうことだろう。ダメ男役満。どう考えても奥さんか、それか本命の女と一緒に住んでるオチだろうし、完全に遊び相手にされてるだろ。喉まででかかった言葉を飲み込んで、
と一番突っ込みやすそうな部分を笑い混じりで指摘してみたところ、彼女の顔色が変わった。
「でもね、彼と私は、今のままの私じゃ釣り合わないんだって。だから彼は強く言ってくれるし、私が気づかないような部分まで指摘してくれるの。伝えてくれたところを頑張って直すと、自分がとてもいい女になった気がするの」
「それよりね、こないだ彼と〜」
あれ、彼女、こんな子だったっけ?
最初に抱いた違和感はそこだった。一瞬言葉に詰まったのを覚えている。
無我夢中で彼の「いいところ」を並べ立てる彼女は、可愛らしいというより少し不気味だった。
そんな別人のような友達と喋ることが辛くなり、その日は早めにお開きにした。
それからは恋は盲目、あばたもえくぼ、そんな自分に気づかない彼女は周りを蹴散らしてどんどん彼に猪突猛進。そんな状態が続いた。
「ベッドに長い髪の毛が落ちていた。でも大丈夫。私は彼を信じているから。」
「彼の通知画面に出会い系アプリの通知があった。でも大丈夫。私は最後には幸せになるから。」
「彼には何年も付き合っている彼女がいて、その人と同棲していた。でも大丈夫。私が一番愛されているから」
私はそのたび彼の矛盾している部分を何度も何度も指摘したが、私の言葉は彼女には何も届いていないようだった。
友達が出会い系アプリで彼と出会ってから、もう一年半が経とうとしていた。
私は就活をしながら、めっきり会う頻度が減った彼女の裏アカウントのツイートを眺めていた。いつのまにかラインもしなくなった私たちが、お互いの近況を知るためのツールはツイッターとインスタグラムだけだった。
基本的には、彼のどんなところが好きだとか、自分には何が足りないのかとか、そんなことを綴っていた裏アカウントに、衝撃の言葉が綴られていた。
「彼の会社に就職することにした♡面白そうだし、楽しみだなあ。」
頭がくらくらした。たしか、彼の会社はベンチャー企業で少なくとも海外で働けるような環境ではない。
いやお前、、、あのさあ、、、
海外で働く夢は?進学予定だった大学院は?その夢を応援してくれていたご両親は、、??
もう、私が知っている彼女はどこにもいないのだとその時痛いほど突きつけられた。私が大好きだった彼女は、出会い系で出会った32歳の男性によって全て塗り替えられて、まったくの別人になってしまったのだ。
大体、出会い系で20歳の女の子を引っ掛けて会社にまで入れちゃう30代社長って何?最初から最後まで地雷物件じゃねえか。
そんな気持ちで裏アカウントのフォローも外さず、監視を続けていくと(わかっているとは思うが、私の性格は全然良くない。)、彼女の様子はどんどんおかしくなっていった。
「仕事が辛い。けど、頑張らなきゃ。」「大学辞めたい。仕事に集中したい。」「仕事に集中したいのにゼミの人たちが邪魔をしてくる。」
「こんなの、やりたい仕事じゃない。」
うーん、このままだと、大学中退の就活未経験のフリーターが出来上がってしまうのかな。それとも先に鬱になっちゃうのかな。でもまあしょうがないか。もはやエンターテインメントのひとつとしてしか彼女を見ていなかったが、それも長くは続かなかった。
彼女が裏アカウントを消してしまったのだ。理由は確か、仕事の愚痴をここに吐いてしまって甘えてしまうとかだった気がする。
これで完全に彼女との深い友人としてのつながりは切れてしまったと思った。あとはうわべだけのインスタグラムしか残っていない。インスタグラムのストーリーで、彼がついに本命女と別れて、彼女とちゃんとした同棲を始めたことを知った。(ふつうにすごい。健気さと執念と若さの勝利だと思った。)(本命女は30前半だったらしい。)
ただ、すでに私の中で、心からおめでとうと言える段階ではなかった。
私は高校時代から大好きだった友人があっという間に変わっていくのが悲しかったのかもしれない。私の話も聞かずに彼のことばかりを上の空で話し続ける彼女から目を逸らしたくて、連絡する頻度も少なくなっていったのかもしれない。ただ、今となってはそんなことはどうでも良くて、彼女は私にとって「どこからどうみても地雷の男に溺れて忠告も聞かず自分との友情を切った女」でしかなかった。そんな女を今でも大好きな親友♡と思えるほど、私はお人好しではない。
彼女が同棲を始めて少し経った時くらいだろうか、彼女から急にインスタグラムのDMが来た。(驚きすぎて、その日の夜は彼女と社長の彼と私の3人で遊ぶ夢を見た。悪夢だった。)
2日間ほどぽつぽつとやりとりをしていると、送られてきたのは「彼が浮気していて辛い。自分の思い描いてた幸せはこんなものじゃなかったのかもしれない」というメッセージだった。
「今更気づいたのか」以外の感情が沸かなかった。ていうか彼との関係が不安定になってきたから私に擦り寄っているようにしか見えないんですけど…。
ねえ、私たちってまだ友達なのかな。私がもっと優しい人だったら、今でもあなたの悩みに寄り添えるのかなあ。そう思いながら、興味本位で話を聞き続けた。彼女はいつのまにかポエマー気質になっていて、文章はとても読みづらかった。(彼も清水翔〇の書く歌詞のようなLINEをすると話していたことを思い出した。やっぱり彼氏彼女は似るのかと思ったし、良くないところばっかり似る気がする。勘弁して欲しい。)
ついきのう、彼にもう無理かと思ってると言われた、辛いけど離れようと思うと彼女から連絡が来た。これを伝えるためにライン1スクロール分くらい使って送ってきた。
ねえ、もう大学四年生の冬になるよ。失ったのは、たぶん彼に費やした時間だけじゃないんじゃないかな。学校での信頼とか、ご両親の信頼とか、私との友情とか。あなたはこれから、どうやって過ごしていくの?
あ、お願いだから、私にだけは頼ってこないでね。
そんなふうに思いながら自分の心の整理のためにメモ帳のアプリに書き起こしてみたら、想像以上に大長編になってしまった。とりあえず残しておこうと思う。
〜後日談〜
結局彼女はのこのこ彼と復縁をして、また頑張ってみると抜かしやがった。2時間電話して別れたのは正解だったよとテープレコーダーのように繰り返し声をかけ続けた私の虚しさを返してほしい。
怒り半分、悲しさ半分。この時の気持ちは、同じ経験をした人にしか分からない気がするが、ここまで読んでくれた人にはちょっとでも共感してもらえたらいいなとも思う。
気付いたら「なんでもいいけど彼の言うことしか聞けないならもう私に連絡してこないでね」とラインしていた。完全に友達を失ってしまった瞬間だった。(何度でも言うが、私は性格が良くない。)
発泡酒500缶2本、栄養ドリンクみたいなサイズのシャンパン1本、既に十分酩酊していた。
過去の失敗やこれからの不安が次々浮かんできて、アルコールの作用で思考が鈍っているはずなのに何だか冷めた、すっきりした気持ちだ。ふと、素晴らしい考えが頭の中に浮かぶ。
処方された二週間分の睡眠薬、残りを全て飲んだらどうなるだろう。
もちろん、死ねないことなど分かっていた。自殺企図を繰り返し、夜は気持ちが乱れて寝付けないことを精神科医に打ち明けるとそんな患者には薬は出せないと断られた。しかしでは、毎日苦しみ続ければ良いのかと食い下がると渋々といった風に安定剤と睡眠導入剤、レンドルミンを処方してくれた。
言っておくけど、と鼻で笑いながら彼は忠告した。この薬をいくら飲もうとせいぜい2日くらい目が覚めないで糞尿を垂れ流して眠るだけだ。変な気は起こすなとのことだった。
糞尿の処理をするのは嫌なので、オムツの代わりに夜用のナプキンをつけ、フローリングの床に枕だけ用意する。
レンドルミンをシートからプチプチ取り出して、酒のつまみみたいに飲み下していく。2日間眠るだけ。苦痛がスキップされるなら望ましいことだ。それとも、過剰摂取によって頭の中をシンプルにしてくれやしないだろうか。既にアルコールによる酔いでは多幸感も、離人感も得られなくなっているから。
吸収されるまでは時間がかかるので、急に様子がおかしくなることはなかった。心配していた、吐き戻してしまうこともない。同じ体験者がいないかネットで調べていた。記憶があるのはこの辺りまでだ。
粗相があってもいいように床で眠るはずが、気付くとベッドで目が覚めた。今では記憶が曖昧なのだが、恐らくこのときか、眠るとき転倒したらしい。人差し指に血がついている。トイレに向かおうにも真っ直ぐあるけない。便座に座り、下着を下ろすはずが体の制御がうまく行かずズボンを履いたまま用を足してしまった。
これはマズい、と考える力はあった。浴室に行って汚れた服を投げ捨てる。そこで洗面所の鏡を見ると、鼻の回りから出血していた。これが指についていた血の原因か。もう乾きかけているものの、まぁまぁな量だ。何だか面白くなって写真を取り、元彼に送る。
時刻を見ると午後2時、薬を飲んだのが深夜1時だったから、昏睡と呼べるような時間は経過していない。なんだ。こんなもんか、というのが正直な感想だった。顔を洗うと出血はほとんど鼻血だったのか、傷は小鼻の横の小さなものだった。その後も2時間ほどふらつきは残り、2度ほど転倒したが頭ははっきりしたので怪我には至らなかった。
顔の小さな傷と、転倒した際の痣だけが残り、気分も変わらず晴れない。こんな下らないことを繰り返すのも、死ぬ勇気がないからだ。たった一つの勇気さえあれば。
えー、初めまして。年齢はそこそこ。結婚する気はない人種です。
まず最初に、今ある仕事をやめて視野を広げたいと言うので、こちらにきてはどうかと提案しました。彼女は地方で私はどちらかといえば都会の方です。
1回目の面接を落ち、2回目の面接で見事就職が決まりました。さて、住む場所をどうしよう?私は(今となっては最大な誤算であったが)彼女は気配りもでき、年上の私をリスペクト(同じブランドの服を買ったりなど)してくれる子でしたので、彼女を我が家にすまわせる事にしました。
我が家は1LDK、はっきりと言って家賃としては高いです。そして彼女は就職前にこちらへ引越し、無職の間は私が家賃、光熱費等を全て負担いたしました。
ここで引越しの件。もしあなたが自分の愛娘を他所様のお家に預けるとして、一体何をするでしょうか?私であれば菓子折など、もしくは夕飯を御馳走したりなど、少しでも感謝を伝えたいと思います。
そしてそれは一切ありませんでした。彼女は私のベッドで寝て、引越しを手伝った父親は来客用の布団で寝、私はソファーで寝ました。
そして彼女がやっと仕事を始め、家賃として渡されたのは総額の3分の1でした。
それは構わないです。それぞれ給料が違いますから、でも何も相談なしに3分の1はおかしいと思いました。私であれば半分は行かずとも、4割は払いたいと思います。だってすまわせて貰っている状況ですから。
さておき、ここから彼女の態度が一変していきます。まず家に帰れば部屋が真っ暗で寝室を占拠している。
休みは別なので、私は土曜、それこそ家事に勤しみました。掃除機をかけたりトイレ掃除など、しかし共通の休みである日曜日、彼女はまだ寝室を占拠。
彼女曰く、私が10であるならば己は2であるとのこと。納得いかないままも、私は元気が有り余っているので笑 それでいいと承諾しました。
体調が悪い時はポカリなどを買って帰り、簡易湯たんぽなどを作り彼女を解放したこともあります。
逆に私が生理痛で布団に横になっているとき、30分ほど経ってようやく小さな湯たんぽを投げてきました。
そして半年が過ぎ。我が家のヒエラルキーは彼女が握っていました。
私は給料が不安定な職業でしたので、彼女に4割を負担してくれないかと頼みました。そして給料日、彼女が渡してきたのは3割でした。「いや、4割だって言ったよね」と言うと彼女は渋々残りを渡してきました。
そしてその月に私は自分のスニーカーが少しボロボロになっていたので、ネットショッピングで割引になっていたものを注文しました(ナ●キです)
元々厳つめのハイカットが好きな上に、セール価格で買えて有頂天の私に彼女は言いました「増やした家賃で靴を買ったように思える」
いや、それ関係ねーから。そもそも私が多く負担しているの気づいていますでしょうか?水道代、電気代、NHKの支払い。その他もろもろ。
そして体調が安定したのか、彼女は毎晩モンスターをハンターするゲームに夢中でした。私もそれを買っていたため、一緒にやりたいと言っても四人集まっているから無理。まれに参加できても、その防具でよく行こうと思ったね。など、ライトユーザーを無碍にしました。
そうしたら彼女と、共通の友人である二人から責められました。何がしたいのかわからない。
私はただ、これ以上面倒な事になるなら、卒業すればいいと思ったための行動でした。
そして共通の友人(Aとしておきましょう)は酷く怒り、私の弁解を聞く気もなく。Aとは10年の付き合いです。さすがに勿体ない、と思い彼女に仲裁を頼む事にしました。
そして仲裁を実行されたのが彼女がAの家に泊まりに行った時です。どう考えても公平ではない。人間、側にいるものに対してそちら側に夜のは当たり前です。
そうして私は10年友人であったAと切れました。
そして「側にいるもの〜」に対して友人に指摘した時彼女は「私は中立である。そうできている」と言いました。いやいやおかしーだろうがよ笑
これから彼女の行動はエスカレートしていきます。毎日ゲームをし、それこそ大声でボイスチャットです。家主の私は静かにダイニングテーブルでイヤホンを挿し、youtubeなどを聞いて過ごしました。
たまに、同じ趣味であるバラエティを一緒に観よう?と誘ってみてもゲームやるから観ない。とのこと。
そしてようやく彼女が新居を見つけたと言う時、引越し前だと言うのにやはり大声でゲームをしていました。
(余談ですが、彼女の具合が悪い時や寝ている時は部屋を暗くし、イヤホンでゲームなどをしていましたが、逆に私の具合が悪い時、彼女は大声で2時まで電話をしたり明かりをつけっぱなしで遊んでいました)
私はSwitchを買ったと言う距離の離れた友達と、やっとあつ森ができると言うので、ラインで会話をしながら久しぶりだね!などと話していました。そうすると友人は立ち上がり、うるさいと述べ、イヤホンをしろと要求してきました。
友達はそれに遺憾し怒っていましたが、仕方なくイヤホンをし、二人で島生活を楽しみました。
この時点でヒエラルキーの頂点は彼女です。周りは私が優しいばかりに…と慰めてくれました。付け上がらせる要因があったのは仕方ないと思っています。
そして彼女が家を出て行った後。(なぜか大量の燃えるゴミを処分させられたのは言うまでもありませんが、甘えんなよ)
私はふと、家賃で靴を買ったと言うことを他の誰にも言わないように、と思いました。
何分、誰しもそんなことを言われればかなり腹が立ちます。私は言われた時に聞こえていないフリをしましたが、もし他人であれば大喧嘩になること間違いない上に、彼女の質さえ下げない言葉です。
今思えばこの考えは浅はかだったかもしれません。
その旨をラインで送り、帰ってきた言葉は論点がずれている、だの物事を歪曲されて捕らえられるの嫌なの、など。
まずこの時点で私の忠告を聞く気がないのがわかりました。私は冷静に説明をしますが、彼女はバーサーカーモードで一切こちらの話を聞きません。
私の善意はただのお節介だったようで、全く響かず、向こうが先にこんな事に時間を割いてられないと放棄しました。
(ちなみに、心療内科の先生に見せたところ、向こうの論点が外れまくっているとのことでした)
こちらの話も聞かない。忠告を忠告と受け取らない。何か言えば屁理屈で帰ってくる。そもそも会話が成り立たない。
と、言うわけで、私は彼女に最終宣告をしました。お前とは一緒に酒を飲むような仲になっても不快だよ。と
いや〜〜〜すっきりしました。その後Twitterで「人の話を曲解しまくって悲劇ヒロインぶって最後には同族しか残らない」
好意でパスタソースを引越し前に渡したら「私もいらないパスタソースでただのゴミ」といっていたそうです。私はともかく食べ物にゴミはねえだろ。
半年以上、彼女に気を配り少しでも楽になればと手助けしていた私の好意は一瞬で無駄になりました。
はい、と言うわけで、猫被りちゃんが同棲してみたらクソ野郎だった話でした。
(ちなみに、友人からはそれDVだよ。と言われ…これがDVかあ…と、DV処女を卒業した事に気づいたのはそれから少し経ってのことでした笑)
最初に。
この文章は特定の誰か(特に『32歳〜』の作者やそれ関連の増田を書いた人)への敵意で書かれているものでは無く、むしろそれを読んだ32歳より若い、自分にとって同年代や下のオタク、特に女性にとってひとつこういう文章があればと思って書いたものだ。
題名で強い言葉を使ってしまったのも少しでも多めの人達に開いてもらえればと浅知恵をはたらかせたもので、もし不快になった方がいれば本当に申し訳ないと思っている。
その上で。
自分は学生で、腐女子だ。具体的には中学で黒バスが流行り、高校に行くか行かないかの所から松が流行り始めた。18↑ではあるがまだ言ってしまえば「幼い」部類に入るだろう。腐女子としても、人間としても。
若い人間は、社会がどうなっているか知らない。何をすれば死なずに済むのかと漠然とした社会への恐怖をうっすら持ちながら、それでも目の前のことに夢中なままだ。
数日前。同期と繋がっているTLは、「32歳腐女子〜」がバズり、C陰謀説や百合カプでふざけるツイートが大半を占めていた。
しかし、ごく少数。「メイクしっかりした方がいいのかな」「洋服変じゃないかな」という不安も流れていた。
友人たちは今モラトリアムの中にいる。
好きな服を着れるようになった。それを考え無しに買えてしまうほどには幼い。
しかし、何が正しくて何が間違っているのか自分で決めてしまえるだけの強さも無い。
自分も勿論幼い。自分のタンスには何着かしまむらがあるし、バンTにインターネットで買ったシルバーを巻いて足元は厚底スニーカーだ。頭髪に至っては自然界に無い色彩で、馬鹿学生丸出し、むしろイキった高校生にすら見えるだろう。
今だってバイトを入れば髪色は暗くし、初対面の人であればプライベートでも大学生〜社会人一年目くらいのミドルブランドを入れつつなんとか見えるようにやっている。
オタクの言いそうな事だが、本職の「女子大生」に適わないまでもそれなりに見れる格好になっている(と信じたい)。
好きでしている格好なのに何故か?
例えバイトの規定に指定がなくとも、このドンキの前に屯ってそうな格好でいれば周囲の奇異の目だけでなく、「こんな格好で行ったらどう思われるか」「面接で落とされないか」「常識が無いと思われないか」、と家を出る前から起こってもいない不安で仕方なくなる。
精神が擦り切れないための予防、自分は社会的で無害ですよというアピール。
きっと、気を遣いがちで空気を読むことに長けるような人、少し悪くいえば人の顔色を伺う心の弱さとも言えてしまうような人ほどこのファンを顕著に感じ、実行している。
「32歳腐女子の友人」にあたる人達は、多くはこれを意識的にでも無意識的にでも行い、実行しているはずだ(周りを何も見ていない、気にしていないのなら極論裸でもいい。それをしないどころか『お洒落』なのは、とてもリーディングスキルに長けているからだ)。
では逆の、「32歳腐女子」の層はどうだろうか。
おそらく彼女らも服飾に興味はそこそこある。
では我を通すだけの強さがあるというよりは、精神の幼さ故の客観性の欠如、といった方が正しい。
服飾のセンスだけでなく客観性に欠けると、周りの価値観に合わせることも出来ないことが多いだろう。
女性の多くが人生の変革期を迎えがちな30代に価値観がこれの人間は友人として面倒すぎるだろうとも予想できる。
それでも自分は、32歳になって、友人がバカみたいな幼くいても、友人のままでありたい。
これこそ幼すぎる考えかもしれない。そして、この文章は八つ当たりになってしまうかもしれない。ただただ「32歳〜」がバズらなければ良かったとしか言えない。その上で正直まだ幼い人間にとって、「10歳上」の言葉は、絶対に感じてしまうのだ。
人間関係にとやかく言う気は無いし、異物の排除は人類が身につけてきた集団を維持するための知恵で、合理的だ。
でももし、1人でも「32歳〜」とその関連を読んで「自分も変わらなければならないのだろうか?」と不安になっている人が居たら言いたい。
そのままでもいい。
75になってアクシーズファムを着ていてもいい。
子供を持たなくてもいい。
恋人は一生2次元でも2.5次元でもいいし、どこにも居なくてもいい。勿論3次元に居てもいいし、人間じゃなくてもいい。
もし友人や親友だと思っていた人に陰口を言われたり、忠告されたりしたらその時考えればいい。
縁を切るか、友人に合わせるかすればいい。
友人の方が好きだったら言われた通りにすれば良いし、友人より大切だったら切ればいい。
友人が他に欲しければインターネットが今はある。
こんな単純な話では無いのはわかっている。「ダサい」人の多くはこんな増田で擦り切れるほど繊細でないし、「お洒落な」人にとっては苦にもならない日常だろう。
しかし、もしこの文章を読んでいる人が、もし少しでも擦り切れていたら。
あなたの服装が、言動が、内面がどうであろうと自分はそれを肯定する。そしてこの世のどこか、近くか遠くかできっとあなたの居場所が必ずある。
そう32になっても言える人間に、なりたいとだけ願う。
意識の切り替えのために、捨て書かせてもらう。
結局ここでこんなことを呟かなきゃ気が済まないところがダメなのだけれど、
これが最後だ。
https://anond.hatelabo.jp/20200706165448
https://anond.hatelabo.jp/20200709170615
事の発端
最近腐女子界隈のtwitterで、上記のようなものが最近よくバズって流れてくる気がする。
色んな人がいるもんだよねと、腐女子で同じくプロ作家でもある友達と作業通話をしているときに、この話題を振ったのは私からだった。
そこから話が色々と派生して、創作活動をする側の腐女子のSNS運用についての話になって、
その時に友人がふとこう言った。
「でもあなたのSNS運用は、構ってちゃん腐女子そのものだから当然だよね」
衝撃だった。
家族や恋人以外で、こういった指摘をしてくれて、けれど、以降も関係が壊れない存在なんて大人になってからいるものだろうか。
少しの自己嫌悪と、それはそうと自分のことを注意されたことにたいするイラつきと、指摘してくれた感謝。
何より、意識していなかった自分の欠点に気づけたことが嬉しかったので、そのまま自分のおかしいところを指摘してもらった。
10代で同人誌を作り始め、同時にSNSアカウントを作り、活動を始めたその年にコミケでスカウトされて商業誌デビューし、同人と両立させつつ今に至った。
いわゆる「神」みたいな圧倒的な才能があったわけじゃない。ただタイミングと運が良いだけだ。
それが誰かにとってはのどから手が出るほど欲しいものなのかもしれないが。
SNSのフォロワ数は、覇権ジャンルばかり通ってきてる中、短期間ちょっと集中して絵を連投すれば五桁に届くねって程度。
仕事が好きだし同人活動も楽しい。読んだり見たりしてくれる人も好きだし、
腐女子特有の連投ツイートや妄想ツイ、思ったことをなんでも呟いてしまう痛い自分に、
しかし最近、萌え語りやジャンル・仕事のこと以外に、日常の全てを呟かないと気が済まないくらい、SNSに依存していた。
コロナの自粛ムードもあって、外に出たり人に会うこともなくて、人恋しさもあったんだと思う。
自分でもSNSから離れたいと思っていたのだが、意志とは反対にどんどんツイート数が増えていった。
「〇〇萌え~中の人他ジャンルでどんなキャラ演じてるんだろう」
「流石に限界だったからテイクアウトでスイーツ買ってきた!おいしそうですねおいしいですよ!」
でも、それに比例するように、フォロワからのリプライやマシュマロが増えてきた。
SNSにずっといるんだから、リアクションを貰えることが増えるのは当然だけど、そんな反応を全部返さなきゃと思うと億劫になってきた。
承認欲求がないわけではないので、呟きや妄想・イラストや漫画がふぁぼりつされるのは嬉しい。
でも、こちらのツイート全部にリプライが来たり、全部にふぁぼしてきたり、適当な呟きを本気にして編集部宛にプレゼントが届く。
最初にリンクを貼った「承認されすぎてツイッターのアカウントを消した」の記事をRTして
「確かに困るんだろうな。でも疲弊するほど承認されることに疲れるなんて、やはり神様はすごいね」
みたいなことを呟いたら、
「本当にごめんなさい、そんなつもりなかったんです。遠まわしに私に対する注意をしてくれたんですよねしばらく消えます(要約)」
みたいなDMやマシュマロが何個か来て、フォロワ数もちょっと減ってた。
前は全部に返事してたんだけど、数も増えてきたし、返したらその倍くらいの返事が来てさらに返さなきゃならなくて、
好意を向けられることは嫌でもないし感謝もしてるけど、時間的にも大変だから、このあいだとうとう「もう全部返事しないことにします」って呟いた。
全部返事しないから、そのかわり好きにDMやリプやマシュマロ送ってくれていいですよって。
好意故に反応してくれてるわけで、それを否定したいわけじゃなかったから。
そういうところに問題があるんだと指摘された。
自認
「今日は〇〇食べたんだ~!」
「今度の新刊、〇〇で〇〇な本出そうかな…悩むな~」
「待って…〇〇尊い……嘘でしょ…ねえ…こんな尊いことある…?」
こういう発言全部別に呟かないで一人で考えてりゃいいのに、呟くからフォロワが反応するんじゃんと。
明らかに反応されたがってるんだろうなっていうツイートされたら、フォロワは私の喜ぶようなリプライを
送ろうと思うに決まってるじゃんって。
自分から誘うようなことをしておいて、いざ相手からリアクションが来ると「困る~><」ってやってるの、自覚なかったの?って。
自覚があると思ってたって。
構ってちゃんのくせに、いざ相手にしてもらえたら冷たくする。そういうことをしているんだよ、と。
びっくりした。
言われてみたらほんとにその通りのことをしていた。
実はアンチスレも作られていて、
どうも人をいらいらさせる才能があるのはわかっていた。
しかし、叩かれるのは、ツイートから流れる自分の性格の根本的な悪さや、アンチとの価値観の相性の問題だと思っていた。
違ったんだよ。
結構な人が嫌いな「相手にちやほやされるの待ち」の人間そのものだったんだ、私。
なんでこんなことにと思って、改善策というか、原因を考えてみた。
とか
「本当に下手だ…なんで上手くなれないんだ…」とかよく呟いていた。
そういう卑屈さゆえにアンチもついたんだろうと思っていたが、どうも話はもう少しややこしいようだった。
これを書くとまたすごい嫌味な人にしかならないんだけど、
どうも自分が思っているより、自分が描いたものは一定の基準を超える評価が貰えるようなのだ。
それをアホみたいに卑下して自分はダメ人間なんですって言ってるのが嫌味で愛されたがりそのものだったらしい。
本人は本気で自分の至らなさに落ち込んでいるつもりだったのだが、人にはそう見えない。
卑屈になるならひたすら卑屈にしていればいずれアンチに総攻撃して貰えて精神をやられたものの、
残念なことに、自分には他者から承認されまくったり、アンチに精神攻撃や嫌がらせを受けたこと
により疲弊して潰されてしまうような”正常な感覚”がなかった。
「まあアンチって自己主張の強い癖のある奴には絶対ついてしまうから」
「もっとのびのび絵を描いていたい。なんで我慢しなきゃいけないの。」
「自分のこと嫌いな人に配慮して活動するより、嫌われる覚悟を持ったうえで好きにしたい」
「がんばって描いた!下手だ!!つらい!!本当に下手だ!!でも、見てくれる人がいるほうがもっと上手くなれるからふぁぼりつ嬉しい!!こんなへたくそに!!」
こういうことも、考えるまではまだいいかもしれないけど、全部呟いていた。
こんなの、自分の描いたものを好きなフォロワ達がみたら、擁護してくれるのは当然である。
よしよしぎゅうぎゅうされるの待ちでしかない呟きだ。
「この呟きは自分への戒めのために、感情を整理したくて吐露しています。ほおっておいてくれるのが一番助かります。」
いや、だったら黙ってろよ。
猛省
しかし、考えたことをSNSに吐きだした瞬間、私は私が作家であり同人絵師であるがゆえに、絶対にフォロワに肯定されてしまってきたのだ。
私の痛さに耐えられない人間は去っていくから、フォロワは肯定してくれる人しか残っていない。
それでいてこの間まではそんなこと気付いてなかったから、
となるべく返事をして感謝を述べていた。
「肯定してあげなきゃ」
となり、
狭いコミュニティでの気持ち悪いよしよしぎゅうぎゅうちやほや地獄絵図が完成したのである。
あるラインを越えた評価を貰える人間は、卑屈にも自信家にもならない丁度いいバランスでSNS運用をしたほうがいいらしい。
当たり障りのない、日常のこともあまり呟かず、萌えまくってやばいときも、呟くより粛々と絵やマンガにぶつけるべきなのだ。
貰ったリプライやメッセージ、マシュマロにも過度に感情移入しすぎず、感謝してる事実だけをシンプルにたまに伝えるようにする。
そして、今回指摘してくれた友人のように、正直に言ってくれたほうが有難いことははっきりと言ってくれて、
後に尾を引かない関係でいられるような少数の友人とのみ親しくしていた方が、自分自身の行動への違和感や認知のゆがみを阻止できる。
せめてもう少し一本筋の通った腐女子でいたいなと思った。
変わりたいのだ。
今持ってるアカウントは気持ち悪さの塊に見えて仕方ないので、少しずつ低浮上になっていってふわっと消そうと思う。
匿名で正体を一切隠した腐女子アカウントを作ろうと思ったが、絵を見た瞬間わかる人には正体がばれてしまうので、
本気で身を隠したいなら絵は上げるなと忠告してもらった。
「ばれないよ!そんな才能も個性もないし!また新しいアカウント作って、呟き方や内容は改めるし、自己卑下は日記帳に書く!」
と言ったが、
「この一連のやりとりをした今、あなたと似たキャリアの人間以外が、その発言をきいたらどう感じると思う?」
と返されてぐうの音も出なかった。本当に良く今まで付き合ってきてくれたなと友人に感謝した。
もう手遅れだろうけど、また嫌われることを言う。
最大手でも、明らかに神枠認定できる程のフォロワがいるわけでもなくても、
描いて、だれかに見てもらいたい限り、私は「神」にならなくてはいけない。
どうしてそこまで描いたものを見てもらおうとするのか、自分のエゴの強さに少し呆れたが、
そのことについては
「描いたものを見てもらいたいという欲求は、描き手にとって自然なものだよ。」
と友人は言ってくれた。
過剰な自己卑下の中、描き続けてきたのは見てくれる人が当たり前にいてくれたからだ。
自己嫌悪でいっぱいになって描くのをやめようか悩んだことも沢山ある。
でも、見てくれる人がいたおかげで、あと少しもう少し上手くなりたいと思い続けてこれた。
どれだけ恵まれているかを自覚して、次のアカウントからはせいぜい神っぽい存在になることにする。