はてなキーワード: 忠告とは
努力をする、という行為はそもそも矛盾であって、人間は努力をしないようにできている。更に言えば、人間は努力をしてはいけないという命令を脳から受けつつ生きる。
というのは、努力をする、という行為が必要な時点で、それは努力するべき価値のない物事だからである。夢中は努力に勝る、という言葉があるように、本来成功する努力とは無意識的なものである。つまり、「努力しなきゃ」という客観的観点と、有意義で効果的な努力は不協和なのであって、「努力しなきゃ」とか意識してる時点で、貴方はその物事に向いていないし、もっと言うと、その物事に関して努力をしたところで極めて期待値が低く、恐らくコスト(努力)に比してあまりにも小さなリターンしか手に入らないか、あるいは全くリターンが手に入らないか、最悪、リターンどころか自身のマイナスにしかならないということなのである。
脳はそのことを知っているので、そもそも客観的に見て「努力が必要」と感じた時点で自分の体にブレーキを掛ける。「努力が必要=期待値が低くあんまりやらない方がいいこと」なのである(それが我々人類におけるこれまでの生存戦略だったのだ)。本当に向いていることは「努力しなきゃ」とか考えるまでもなく体が動くし、特に意識なく精進していけるものであって、要は才能がない人間の努力は無駄どころかその人間の心身を蝕むことになるという厳然たる事実を脳は知っているのである。だからこそ脳は人の体にブレーキを掛ける。「やめとけ」と。だから、人は努力ができないのが普通なのだ。
例えば、もし原始時代において、あんまり期待値が高いわけでもない試行を繰り返す個体(努力をする個体)がいたら、周りの人は彼にこう告げるであろう。「お前そんなことしてないでもっと向いてることやれよ、コミュニティを存続させるために重要なこともっとあるだろ、あるいはそういうのはもっと向いてる奴に任せとけよ。コミュニティが存続しねえとお前も生きていけないんだから、お前がやるべきことは他にもあるってことくらい分かるじゃねえか」と。はい。明らかにこのような忠告は正しいし、正鵠を射ている。そういうわけで、「努力をしない」あるいは「努力と感じられるような努力はしない」が人間の生存戦略となっているのである。これは極めて合理的なことで、人間は要するに努力できないように作られているのであるし、努力という行為は人間の生存戦略上の矛盾なのである。
とは言え、原始時代はともかくとしても現代においては、一人の人間が期待値の低い努力をしていたところでコミュニティの存続には特に関係がないので、そういう「努力」が許容されるようになっている。しかしながら、「努力」と認識し「努力しなきゃ」と思っている時点で人間の生存戦略に矛盾していることには代わりない。脳は、そのような努力をしている人間に対して、絶えず命令を送り続ける。「やめとけ」「向いてねえぞそれ」「多分ほかのことやった方がいいと思うぞ」などなど。
繰り返すが、そのため人間は脳の影響によって「努力」というものができない(やりにくい)のである。
才能のあるやつにはそういうことがない。あるいは、あったとしてもごく少ない。脳は才能あるやつにこう告げる。「その調子だぞ」「向いてるぞ、それ」「その研鑽は期待値高えからそのまま続けろ」などなど。というわけでこの文章は才能のあるやつには向けられていない。才能のあるやつにおいて努力は努力じゃねえので生存戦略において矛盾はない。彼はそれを殆ど無意識に行い続ける。多分ドーパミンとかそういうのも結構出るので、むしろ努力をやめることができなくなる。
とにかく「努力しなきゃ」と考える時点で貴方は凡人である。脳としては「やめとけって……」の無限打診を続けるしかない。とは言え、そういう負のスパイラルに没入しても、原始時代においてはそういう期待値の低い試行をし続ける人間は下手するとぶっ殺されちゃうんだけれど、現代においてはぶっ殺されずにそのまま負のスパイラルを続けることができる。この文章は、そんな負のスパイラルを続ける人間に向けて書かれている。
俺は凡人である。つまり、努力をしている人間である。期待値の低い試行を繰り返している人間である。
というわけで基本的には努力とかせずほかの事柄にリソースを割いた方が明らかにマシなんだけれど、そういう合理的な判断能力はとっくの昔に欠落している。
さて、そのような凡人にとって、基本的に努力というものは期待値が低く、努力なんてことはせず別の行動をした方が絶対いいんだけれど――アンチテーゼを敢えて唱えるならば、「凡人にも最高効率の努力がある」というテーゼがそれに当たる。
凡人――最も努力の費用対効果(コストパフォーマンス)が低い人間にも、その人間にとって費用対効果の高い努力というものが存在する。それは事実である。「努力は矛盾である」という原初的命題(テーゼ)を止揚(アウフヘーベン)するために、このアンチテーゼを用いる。これによってジンテーゼを生じさせる。
「制限された状態から効率の最大化を求める行為は矛盾ではない」。
これがジンテーゼだ。
努力をしなければいけない人間は、能力に制限と限界(リミット)のある人間である。よって、そのような人間の行う努力は基本的に効率が良くなく、あまり価値がない。これまでその事実を俺は言い続けてきた。とは言え、全く制限のない人間というものが存在しているかと言えば、それは誤りである。例えばチェスの世界における現人類最強の人間はノルウェー出身のマグヌス・カールセンであるが、彼に比べれば、全ての人間は相対的にチェスの能力に制限を受けていると言ってもいい。もっと言えば、チェスコンピューターには流石に敗北を喫するであろうカールセンにしたところで、能力には制限が設けられている。つまり、人間には万民において制限が、限界が、リミットが存在している。
となれば、基本的に我々の取るべき生存戦略は次のことになる。「制限のある上でいかに効率よく振る舞うかを追求する」ということである。ここにおいては、次のテーゼも成り立つ。「制限の多い状況においてある行為が可能ならば、制限の少ない状況においては尚更その行為は可能であるし、制限の多い状態に比べればよりコストパフォーマンスも高くなる」というテーゼである。これは、ドラゴンボールにおける悟空の重力トレーニングを想像してもらいたい。重力が高い状態である程度のパフォーマンスが発揮できるならば、適正な重力下においては更に多くのパフォーマンスが発揮できるであろうということだ。
そう、この場合の「重力」という比喩は、我々における一種の制限、つまり「才能の無さ」と対応している。我々は、悟空が重力において制限を受けるように、常に「才能の無さ」という重力に晒されている。そこにおいて我々は、常に脳から「やめた方が良いぜ」という圧力、その行動に対する一種の重力を受け続けているのである。これは、寧ろ努力する人間に限らず、ほぼ全ての人間が常に晒されている恒常圧でさえあると言えるかもしれない。
そう、人間は、基本的に、何らかの重力に晒されている。だからこそ、その強い圧力下において、強い重力下において行動することに慣れなければならないのである。そう、つまり、我々は努力をするべきなのだ。そうすることによって、重力の低い事柄、例えば自身における「向いている」事柄において、更にパフォーマンスを発揮できる可能性が高まるのである。
ここから得られる結論としては、必ずしもある努力は、その努力している対象(例えばスポーツとかチェスとかその他の競技とか)そのものに対する努力ではないということだ。それは、重力それ自体に対して慣れるという努力なのである。重力をある程度克服するという努力なのである。そう、努力の対象を、自身の受けている恒常圧であるところの重力へと転換させること、そのことによって我々は初めて努力に意味を見出すことができるのである。あるいは、重力そのものを、つまりは才能のなさそのものを克服することによって、本来才能のない向いていない出来事に対しても、これまで以上のパフォーマンス発揮することも、決して夢ではないのである。
テキストとしては以上なのだが、些か抽象的な記述になってしまったので、具体的なアドバイスを一つだけ書いて終わりにしたい。
人は脳によって恒常圧、重力を受けている。なので上手く受け流して重力を克服するしか、我々才なき者には道はない。
誰もが言っていることだが、難しいトレーニングをすることは脳の負担を増大させる。脳からの重力を増大させる。なので、簡単なことからしなければならない。
例えば、「あいうえお」と記述することは誰にだってできる。文章の練習をしたいのであれば、毎日必ず「あいうえお」と書くことだ。そういうことから始めよう。
毎日あいうえお、と書いていると、殆どの人間は次のように思う。「『あいうえお』簡単すぎるわ」と。「何かもっと難しそうなことできるわ」と。ここにおいて、脳の恒常圧はやや薄れることになる。
そうなったならば、相対的に難しいけれど比較的簡単なことをすればよい。例えば、「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」から後を書くとか。あるいは、俺が実際に行ったトレーニングは、まずここに書いてある通り五十音を書き写すといったものであった。その後、脳の恒常圧がやや薄れたのを確認して、次のステップに移ったのだけれど、それは、昔暗記したとある小説のページをひたすら書き写すというものであった。自分の好きな小説のページを、同じページを書き写すのである。とにかく、物事は簡単なことから始めるのが大切だ。誰にでもできることから始めるのが、一番脳の恒常圧、重力を騙すにはうってつけなのである。
そうすることでしか我々は重力を騙せない。後は、毎日最低限栄養のある飯を食べて、ちゃんと寝て、人と会話をしよう。そんくらいである。
才なき人々は、脳を騙して、重力を克服しよう。
すると矛盾は消える。
Q. 心臓マッサージが必要かの判断を正しく行なえる自信があるのか?
無い。
道端で倒れている女性がいて呼びかけに応じず、酒くさくて顔が上気しているが、万一瀕死だったらどうしようってとき。
一応口元に耳を近づけてみて呼吸の有無を確かめてみる。呼吸が微かだったら救命に入る。
ミスは起こるだろう。
でも、瀕死でないのに心臓マッサージをしてしまった場合は、AEDが「必要なかった」と教えてくれる。
心臓マッサージが原因で殺してしまうこともありうる。そのときはAEDが蘇生してくれるだろう。
呼吸が充分だと判断したのに実は瀕死だった場合、後の警察が気づく。
気づかずそのまま死んでしまった場合… 後悔することになるだろうが、何もせず立ち去って後に「あのとき彼女を見殺しにしたかもしれない」って後悔よりはマシである。期待値の問題だ。何もしなかった後悔は何もしなかったら 100% 発生する。
Q. 万一を防ぐためなら他人の肋骨を折ってもしょうがないと思ってるのか?
思っている。
命を助けるために必要なリスクだ。比較するとミスで殺した後悔よりは肋骨を折った後悔の方がマシである。訴訟を起こされたら闘う。
Q. どうやって勇気を得たのか?
救命活動の話を見かけるたびに自責の念にかられる。あのときの頭から血を流して倒れているバイカーが脳裏によぎる。
この場を借りてお前らに忠告したいのはこのことだ。お前らは「女性だったらリスクがあるから助けない」って言ってるけど、「助けないリスク」を過小評価している。
「ヒトを見殺しにした経験」は事あるごとに、人の生死の話題が出るたびにフラッシュバックする。
パーティとか幸せそうな状況に入るたびに、頭の中で仮面を被っているような離人感を感じる。
“でもここに紛れ込んでるオレは人殺しだ”
「自分はヒトを殺せる人間だ」って認識が長い時間の中でおれ自身の成長を歪め、冷淡で残酷な性格を形成した。価値観の多くの場所にツメ跡がある。“まあオレ自身ヒトを殺したことあるし、このくらいの悪はいいか”
サイコパスなんかになりたくなかった。これは勇気なんかじゃない。アタマの中でアラームが鳴るんだ。
「今度こそ絶対助ける!!」
「今度こそ絶対助ける!!」
「今度こそ絶対助ける!!」
俺は第二次安倍政権以降の自民党下で選挙権を獲得した20代男性だけど、これまでずっと野党に入れてきた
それは俺自身と保守的なイデオロギーとの親和性が少なく、またアベノミクスの恩恵を賜れなかった人間の1人だったからだ
あと様々な政治スキャンダルにおいて文書主義や立憲主義に反してるといった反感も、一応はあった
しかし後述するように俺はインテリに反感を覚えているので、文書主義や立憲主義といったインテリが築き上げてきた価値観を擁護することに心理的抵抗があったのも事実
表題の話に戻すが、ぶっちゃけると俺はスガーリンが学術会議のインテリどもを弾圧する様を見ていてめちゃくちゃ痛快だったんだわ
いわゆる大学人達が俺みたいな(俺は高卒である)大勢の有象無象の非インテリが払った血税を原資に学術会議等という大層な看板を掲げた象牙の塔に集ってなにやら難解な言葉遊びに終始していたわけで、スガーリンはそんなインテリどもが積み上げていた言葉遊びのジェンガを横から派手にぶっ壊してくれたんだよね
そりゃ痛快でしたよ正直に言って!!
俺はこれまで会社で新卒が入ってくる度に学歴コンプレックス拗らせてきたんだよね
俺は高卒中途採用組なんだけど、MARCHくらいの人達がよく入社してくる会社なので俺の学歴コンプレックスは高まる一方だったんだよね
それで俺もコンプレックスを補償する様に小難しい新書を読んだり朝日新聞取ったりしてきたわけさ
だけど根本的な部分でインテリに見下されてるっていうコンプレックスは解消されなかった
話変わるけど俺の同期にも高卒がいて、そいつは俺と違って大卒へのコンプをかなり明け透けに口にするんだよね
MARCH卒の新卒の後輩に対しても「大学なんて遊ぶ為に入るやつばっかでしょう?」みたいなことを言ったりする
俺はそれを端で聞いててソワソワするわけだけど、それ言われた後輩の表情には余裕が見て取れるわけ
「まあそういう人もいますね」とか言って同調してみせるんだけど明らかにアカデミアの内情を知らない高卒への余裕を感じて取れるわけ
こういう余裕に俺はとても敗北感を覚えるんだよね
まあそんな話はともかく、俺はスガーリンの学術会議虐めに正直言って喝采を送りたいよ
こういうこと言うとインテリどもは「菅政権は新自由主義政権だぞ!お前みたいな弱者が支持するのは肉屋を支持する豚に等しいぞ!」みたいなご忠告をして下さることが多いけど、じゃあお前らは俺達みたいな非インテリの為にどんなビジョンを打ち出してくれるの?って思うわ
インテリどもが支持してる立憲民主党だってマイノリティや貧困層への視点こそ分厚いものの俺みたいな能力的に劣る非インテリへの態度は多分に新自由主義的なんじゃねーの?
どうせどっち選んでも相手にされないなら俺はインテリどもが嫌がる政党を支持するね
デービット・アトキンソンでも竹中でも三浦でもインテリが嫌がるなら大いに結構
橋下徹だろうと高須委員長だろうとどんどん呼び込めばいいと思うね
まあ実際はインテリも馬鹿じゃないから大半のインテリは空気に逆らわずに文書改竄とかするわけじゃん
だからスガーリンが粛清できるインテリっていうのは自己の主張に意固地になる堅物なインテリに限定されるんだろうけどね
まさか俺だって現代日本でポル・ポトみたいなインテリ大粛清が叶うとも思わなければ望んでもいない
ただ学術会議みたいなインテリどもの巣窟が粛清される様には溜飲が下がる思いがしたよ
選挙はわかんない
正直また野党に入れるかもしれないし初めて自民に入れるかもしれない
それは事実なんだよ
課長の決裁を取るため、業務の個別案件の説明をしていたときのこと。突然「君はやる気がないのか?」と言われた。私はどう答えてよいか分からず、ただ「すみません」と言った(どう答えてよいか分からない場合は、別段悪いと思ってなくとも謝っておけば何故かうまく収まるという不思議な処世術を、私はいつの間に身に着けたのだろう。)。課長からは続けて、「担当者として、君はどう考えているんだ。この仕事をやれと言われて仕方なくやっているだけなのか?」と畳みかけられた。動揺した私は、しばらく黙り、頃合いを見計らってうつむいたまま、やはり「すみません」と答えた。
ほどなくして説教は終わり、私は解放された。少し時間がたってから私は思った。あのときどう答えたらよかったのだろう、と。課長は何も間違っていない。・・・だって、その通りなんだもの。むしろ、何故あの人は、私にやる気があるなどと勘違いしたのだろう。もちろん、私は仕事にやる気なんて持ってないし、会社との契約義務を守って給料をもらうために、仕方なく命じられた仕事をしているだけだ。だから、私は課長の言葉を否定するつもりなどない。でも、あの場の空気では、「はい、やる気ないっス」と爽やかに答えることが求められていないことだけは私にも理解できた。
・・・もしかしてあれか?他の人は仕事にやる気を持っているのか?上司の指示など待たずに仕事を見つけて、しかもできる限りの工夫をこらして、95点のレベルに仕上げてしまうのか?「業務は粛々とこなす」、「仕事は60点でOK(というか、終われば何点でも良し)」、「会社に期待し過ぎない」をモットーにして、「ああ、今日も行きたくないなあ」と思いながら毎日職場に来ている私が少数派だとでも?そんなばかな。誰か違うと言ってくれ。
元増田です。私の愚痴のようなエントリにお付き合いいただき、ありがとうございます。皆様からのブコメは全て業務時間中に拝読しており、右斜め向かいにいる課長からの視線が、いつも以上に心に突き刺さっているところです。申し訳ございません。また、課長からの指摘の背景が分かりにくい、というご指摘がありましたので補足します。事業計画を説明する際に、私が前例踏襲的な提案ばかりするので、「去年の焼き直しか」と怒られ、上記の発言があったという経緯です。
日本的雇用形態を論じる際に、よく「業務の範囲が明確に定まっていない」と言われますが、「やる気」とか「仕事のクオリティ(60点?または95点?)」という言葉についても、その指標がないことが様々な軋轢を生んでいるのかもしれません。ちなみに私が「60点」を指すときには、ギリギリの合格点というか、相手が渋々ながらも受け取ってくれるラインを指しています(満足はしていないが返品はできないレベル)。
ブコメでは私に対して厳しいご意見もいただきましたが、ほとんどは社会人としての最低限の心構えというか、「そんな姿勢では、いつか増田に不利益が生じるよ」という忠告であり、ありがたく受け止めさせていただきました。これからは私も心を入れ替えて、「仕事中のブコメはほどほどに」、「給料が一定なら出来るだけ労力をかけないことで労働生産性は向上する」、「冨樫が連載再開したら本気出す」をモットーにして、リーマン道を歩んでいこうと思います。誠に申し訳ございません。
ペットが衛生用品の中に入ったり作業を妨害したり家を荒らした画像をSNS上で見かける機会が多いと感じるが、あれがめちゃくちゃ苦手だ。
共有したり微笑ましいと思って拡散する人は、少し言い訳の聞かない家族の失敗というような気持ちであげているのかもしれないが、ペットを飼おうとしたことのない自分からすると得体の知れない怖さを感じてしまう。小さな生き物に対してなのに。若干潔癖症なのも関係するかもしれない。
最近「安易にペットを飼うな、彼らにはこれだけのコストがかかる」というような忠告をよく見かけるが、そんなことする以前に先述したような画像を見て羨ましいなうちにも1匹迎えようと感じる人がいることの方が驚きなのだが、実際そう言う人は多いんだろう。
自分は完全にペットの動物を家族として迎え入れることができない側の人間だと思うし、迎えている人はそれを受け入れている人だと思っているからその点の価値観の相違は認めていて、ペットを愛らしいと感じている人を異常だとは思っていない。
ただ、当たり前のようにそう言う様子が微笑ましいものとして共有されてくると、若干身構えてしまう。もっと他人事として笑えば良いんだろうか。
たとえアメリカの一流大学にいってたとしてもだぞ、純粋数学を学んでた人間が Python を1年学んだぐらいで世界的な人工知能開発者になれるわけねーだろ。世の中を舐めすぎ。次にくるのが AI だという理由で、金融工学から鞍替えするのも、信用がならねえ。
そして人工知能はノイズキャンセリングや形態素解析エンジンのことである、というのであればそれで良い。問題なのは、そのエンジンを自作できないでラン○ーズやクラウ○ワークスに投げているのばどういうことよ。それにライブラリを使うだけだったら、学歴はいらねーぞ。普通はその経歴だったら、CUDA なり C なりで高速に動作する人工知能のコードを書くことができるひとなんだと思われるぞ。Python だけしかできないなら、無能は無能らしく黙っておけよ。高々、年収500万で「統計とC言語と設計ができて人工知能開発も可能」という求人を出すな。反社か。
お前さん、アメリカでクスリ使うことだけを学んで帰国しただろ?変な痩せ方したり、鼻が赤かったり、呂律がまわらなかったり、足し算ができなかったり、急にキレたりするのはそういうことだろ。
もう諦めなって。あなたを救ってくれるのは、警察だけだよ。人工知能で詐欺も、資金集めも要らない。刑務所でじっくりとクスリ抜いてもらって、職業訓練をする。そうしないと【何もできない】人工知能でクスリを手に入れるためだけに、これからも生きていくことになるぞ。
仕方ないから俺が教えてやる。
こんな事も知らないで親になったバカなお前らに教えてやる。
あのな、赤子を連れてる時は「乗る」ではなく「待つ→乗る」なんだ。
いいか?すべての行動に「待つ」がつくのが赤子を育てるという事なんだぞ。
階段やエレベーターを降りている時、ホームに見えた電車は「乗れるかも」ではなく「乗れない」んだ。
エレベーターのドアが空いてても「次の最初」を待って乗るんだ。
今までお前らは自分の都合が最優先で、自分の都合を世間の仕組みにいかに合致させるかが器用さだと思っていたはずだ。
でももうお前のこの先の人生、自分の都合が「親」という都合を上回る事なんて一生ないんだよ。
お前はもう嫌でも親として生きなくてはならない。
閉まりかけた電車のドアにベビーカーを突っ込む奴は、赤ちゃんを土足で踏み台にして高いところの物を取ろうとしてるのと一緒だ。
バカ親よ、本当の親になれ。
アンソロやると報連相めちゃめちゃ大事というのが身に沁みて解る。
締め切り守らない。連絡もない。連絡乞うても原稿催促しても梨の礫。よくあることだね。
それを見越してかなり余裕を持った締め切り設定ではあった。
やっぱり連絡のつかなくなる(主に理由は体調不良)人はちょくちょくいた。
でもまあ最終的にはほぼ原稿は出してくれた。
ただ締め切り数日前に「うっかり締め切り忘れて旅行(海外)来ちゃいました」って人がいたのには脱力した。
帰国予定日が締め切りの少し前だったので「○日くらいなら伸ばせます」と言ったら「頑張ります><」という。
が、待てど暮らせど結局原稿はこなかった。連絡もなかった。
その後相手は普通にTwitterに出没し、悪びれた様子もない。結局しばらくしてから耐えられなくなってミュート・ブロックした。
絵は今でも好きだけど、振る舞いに嫌悪感を抱いてしまったら修復はできない。
たまに思わぬ経路で絵を見てしまうことがあるのがちょっと苦痛なくらいに。
上記のアンソロのときは別のイラストレーターさんに急遽お願いして描いてもらった。
最初の告知のときと顔ぶれが違ったので勘の良い人は察したかもしれない。
連絡をしなかった理由は「面倒になった」「やっぱり間に合いそうになくて怒られるのが嫌だった」「そもそも乗り気じゃなかった」とか
色々あるかもしれない。でも無理ならまず断れという話だし、「嫌なこと見たくないから蓋してないない」とか幼児かよという。
正直その人への信用はもう完全にゼロだし、今後もし周りの人が仕事とかで関わる機会があったら多分一応忠告すると思う。
報連相のない人、連絡なかったら相手がどうなるか想像したことあるのか?
「ダメそうです」って連絡するだけでこっちは打つ手があるかもしれないのに、連絡しないってその選択肢すら蹴ってる行為だぞ。
そこに辿り着くまでにアホほど神経すり減らしてる主催がいる。
趣味のアンソロ程度にも連絡しないなら多分こっちが仕事として振ってもしない。
逆に何度か参加お願いした人はちゃんとできてる人ばかりだったので応援しようって気にもなるし信頼もしてる。
報連相できない者は連絡しないその日数で自分の信用度がぐんぐん溶けていってることを自覚してくれ。
待ち合わせで連絡なし大遅刻だったらどうなるか程度のこと考えてくれ。
・どのアンソロも発行部数・ノベルティなどの関係から主催である自分は赤字だった(織り込み済みである)
・参加者には少ないが謝礼を出した
被ってるんじゃなくて膝上80cmで穿いてるだけだぞパンティーとは何事だパンティー!!語尾にパンティーは意味が分からないからやめなさいパンティー!!それは本来あてがう部分にあてがってないパンティー!!!本来のパンティー!!本格派のパンティー!!いい加減にしろパンティー!本格派のパンティーは孤島の洋館でパンティー事件が起こるのかパンティー!!そして誰もパンティーを被っていなかったパンティー!!クローズ・ド・パンティー!!お前はマスク・ド・パンティー(マスク・ド・パンティーって何だパンティー?)の仲間かこらパンティー!!仲間かって聞いてるんだよパンティー!!!今すぐ質問に答えろパンティー!!
名探偵パンティー(名探偵パンティーって何だパンティー?)「この事件が起こる前、パンティーは密室だったパンティー。」
パンティー密室トリック意味わからんいい加減にしろパンティー!!さっぱり意味が分からないパンティー!!!なんか知らんけど犯人はお前だパンティー!!!そういえば推理小説界隈でひっそり行われた竜騎士07インタビューがマジのいじめ絶望案件だったのを思い出したパンティー。あれはよくないパンティー。うっかりというかマジな話がついこぼれたパンティー。とにかく、語尾にパンティーはやめとけパンティー。これは忠告だパンティー。
あなたの親戚にも一人くらい居ないだろうか
親戚の集まりの中でちょっと立場が弱めな、弟の嫁さんとか姪の彼氏とかを捕まえて、誰も興味ないような自己流ご高説を延々と垂れ流してるやつ
話を聞いてる側も色々としがらみがあるのでニコニコ相槌を打ったりして、傍から見ると「あーあ」って感じだが、話してる本人だけが気持ちよくなってるやつ
小さい頃から、「○○ちゃん、知ったかぶりはやめた方がいいよ」とガチの善意で忠告されたりするようなガキだった
今でもちょっと油断するとすぐ、SNSで半端な知識をさも知った風に書き散らしてしまう(だからはてなとかやってるんだけど)
自分がそうだからこそ、他人がそれやってるのを見ると非常にいたたまれなくなる
電車内でサラリーマンが新人ぽい子相手にオレ流仕事術を吹聴してるのとか、もう聞いてられない
それがだよ
この度、めでたく妹に彼氏ができたんだけど、それがめっちゃ傾聴力の高い良い人でさ
私のクソどうでもいい趣味語り(彼の趣味とはかすりもしない)とかを凄い真面目に聞いて、挙句の果てに「すごいですね!」とか相槌うってくれんの
そんでいい気になってベラベラやって、後日「やっちまった……」って反省してるところに、妹経由で「勉強になりましただって」とかいう追い打ちかけてくんの
やめて恥ずかしくて死にそう
このまま順調にいくと妹とその彼氏が結婚するので、死ぬほどウザい親戚のオバチャンが爆誕してしまう
でもアラフォーにもなってこういうのって直るのかな……
たまたま開いたらまさに過去の自分のような投稿だったから忠告しておく
そしてたとえこれからその痛みが治っても、もう一度痛くなったら必ず歯を抜いておけ
それを放置した結果、ある日突然激痛で一睡もできず、無理して出勤したら職場で口が開かなくなり、
市販鎮痛剤も一切効かずに早退して歯医者に駆け込んだ自分から言っておく
ちなみにそれは智歯周囲炎というやつらしい
http://www.health.ihe.tohoku.ac.jp/wp-content/uploads/2015/03/shiori-40.pdf
急性期の自分は本当にかなりの激痛に襲われて座っていることもままならなかったので
歯を抜かない限り振り返すものだが、歯茎どころかリンパ節まで腫れてしまったので抜歯ができない
うちの母は長らくアメーバピグとアメーバブログで見知らぬフレンドといいね!し続けてたのだけど、
ピグのPC版のサービスが終了したからか、とんでもない勢いでブログを更新し続けてる
Yahooニュースから記事をまんまコピペして、ちょっとコメントつけるだけの記事が大量生産されてたりして、
やばいよと散々忠告してるのだけど、開き直ってるのか全然やめる気配がない
一日に数件もらえるいいね!がモチベーションになってるだけみたいで
もともとリアルでの社交性が低いからネット上で承認欲求を満たしてるのは想像に難くないわけだけど
はてブ以外でリテラシー低めの高齢者が承認欲求を満たせるとこあるかね?
ちなみにネット上にうんこ記事が蔓延するのが忍びないので、アカウントはぜひ凍結されるべきと思ってます
社交性が低いとやんわり書いたのだけど、正しくは性格の障害に近い状態で他人に対して攻撃的で孤立しやすいのよね
そんな状態なのでネット上で承認欲求を満たせて居場所はここだと思ったのかなと