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2022-01-25

よくよく考えてみるとマトモな性教育というものほとんどの人間が受けてきてないのでは?

失敗出来ない歳の大人になってから何が何だかからなくなる

2022-01-24

夢を追うのはカッコ悪い

大人(アラサー)になって、夢を全力で追うのは世間ではカッコ悪い、ダサい、そう言われることに気がついた。

世間様では夢に関連ある仕事もカッコ悪いらしい。例えば漫画家になりたかった人がイラストレーターとか漫画アシスタント就職するとかね。少なくとも俺は現在進行形で笑われているし、それに笑い返す方法も覚えた。

大人なら正社員バリバリ働くべきだし、現実を見て事務とか営業とかなんかよくわかんないけど立派な仕事につくべきなのはわかってる。

でもさ、

本当はそういうちゃんとした奴らに笑われるのすごい悔しい。お前だって一緒に漫画家目指してきたじゃん。口だけで持ち込みすらしなかったお前に何がわかるんだと思う。お前は知らないだろ、出版社人間にディスられる悔しさも結果が出ないのに頑張り続ける虚しさも。

もも大人から笑って流さなければいけない。

お前、いい歳こいて恥ずかしくないの?ってよく言われる。しょーがねーだろ。漫画描くのが好きなんだから

趣味でいいじゃん。そうだな、そうしたかったよ。でもこれに一生賭けてえって思っちゃったんだよ。これで暮らしていきたいって思っちゃったんだよ。これで認められたいって思っちゃったんだよ。

そんな俺がこないだひょんなことからデビューした。

でもデビューしてもちゃんとしたやつに笑われるんだ。

俺、どうしたらいいのかな。

夢、叶ったはずなのに全然嬉しくないや。

誰にも認められないのは悔しいね

売れっ子作家になりたいって夢はまだまだ先。でもデビューが恥ずかしいことなら、俺は何をしてもみんなに笑われて、なんだか疲れちゃって、ああ、長い間ピエロでいたからみんな俺のこと見下していいんだって思ってるの伝わってきて何だか辛くなっちゃった

売れっ子作家になりたいっていう夢は恥ずかしいことかな?ダサいかな?カッコ悪いかな?

やっとついた担当も俺のことどうでもいいのが伝わってきてさあ。俺って何やってもダメで。

でも、やっぱり俺みたいなクソ底辺が元気になるような漫画が描きたくて、夢は諦められないよ。頑張りたいよ。

カッコ悪いよな、ダサいよな。

でもそうやって笑ってる人間が一番カッコ悪いって俺は思うんだ。俺のこと笑う奴ら、みんな悔しそうな顔してるから

現実と折り合いをつけれる人間は偉いけど、やっぱり俺はもう一回人生やり直せるよって言われてもカッコ悪い方を選ぶよ。

やだなあ、やめたいなあ、でもやっぱり漫画描くの好きだなあ。

自分にカッコいいよって言ってあげられるくらいの人間だったら、ちょっとは生きるの楽だったかもね。

2022-01-23

夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る

夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックス検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。

さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。

若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、

「私はあなたを愛していますI love you)」

などとはけっしていわない。

そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、

「いいお月さんですね」

そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。

日本人の知恵 - 林屋辰三郎 - Google ブックス

この『日本人の知恵』という本は、

なんと、昭和37年に発行された本で、その前年朝日新聞に連載された「日本人の知恵」を再編集したもの

日本人の知恵 林屋辰三郎、加藤秀俊、梅棹忠夫、多田道太郎 *** - 意思による楽観のための読書日記

ということらしいので、つまり1961年朝日新聞掲載されたのだろう。

それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。

もうひとつさらに遡って戦前1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。

第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。

沙漠の国: ペルシア・アラビア・トルコ遍歴 - Google ブックス

こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。

さらに「I love you日本語にうまく訳せない」という話に限っては、

漱石文庫」に残された漱石メモ書きの中に、ジョージメレディスというイギリス小説家作品を取り上げて、

"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.

I love you日本ニナキformulaナリ

と記した一節がある

夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したという伝説について - Togetter

これは漱石英国留学時代メモ書きだそうなので、1901〜1902年ごろに書かれたものか。

同様の主張が1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』に書かれている。

日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。

近代の戀愛觀 - Google ブックス

この厨川白村夏目漱石の教え子で、漱石とは恋愛観について議論を交わしていたというから、これは夏目漱石受け売りだった可能性が高い。

というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。

夏目漱石が「I love you日本語に訳せない」と言う

→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる

→じゃあ日本人恋人に何て言うの?

→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?

日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!

→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる

→なんかいろいろ混線して「夏目漱石I love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる

みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。

いかがでしたか

追記

国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたところ、1908年の『明治学報』に掲載された上田敏「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにこういう記述があった。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24

日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです、

上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンためいきの」などの詩訳で知られる。夏目漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だったという。夏目漱石上田敏かいずれが先なのかはさておき、どうも「I love you日本語に訳せない」というようなことは当時の教養人のあいだで盛んに言われていたようだ。

1927年の『帝人タイムス』でもこのような記述を見つけた。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6

西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス

いまのところ「月が綺麗ですね」系統の話についてはこれが最も古いか

2022-01-21

いまだに庵野秀明を許してない

新進気鋭の監督だったか何だか知らんが、俺の青春バイブル彼氏彼女の事情を半分素人学芸会したことを私はいまだにおこているよ。

2億歩譲って「生感」を出すためにリアル高校生採用したことは許すとしても、作画演出も手を抜きまくったことは許されないよ。

ただ小説家少女沢田亜弥に当時は単なる演劇科生だったが後に鶴屋南北戯曲賞岸田國士戯曲賞野間文芸新人賞大江健三郎賞三島由紀夫賞芥川龍之介賞を受賞する本谷有希子採用した眼力だけは認めてやってもいい。でも演技はヘタクソだったからやっぱりおこているよ。

2022-01-20

anond:20220120222759

何だかんだ言ってある日突然日常が終わる

否応なしに変化させられる

コロナ禍に学生時代を過ごした人たちは、青春の一時代を「予め失った」状態で過ごすことになる。

この失われた青春時代が、後の年代にどのように跳ね返るのか。表現就職、考え方、生き方、様々な面で影響が出るのか。

コロナ世代」と括られてしまったら、何だか可哀想だ。

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

2022-01-18

呉座氏騒動について誰かまとめて

最初からよく見てないか登場人物も何をやらかして誰がよくないのかよくわからないけどしょっちゅうホッテントリ入りしてて何だか何だと思ってる。

一昔前なら「騒動まとめwiki」とかに誘導されて今北産業してるようなところだけど、そういうのって今でもあるの?

2022-01-13

https://www.asahi.com/articles/ASQ1F3FCZQ1DPLBJ00F.html

猫の腎臓病を治す薬かあ

それも勿論いいんだけど正直羨ましくなるな

やっぱり需要があるんだろうな

それに比べると人間の歯の再生医療はどうしてあまり話題にならないのか

みんな何だかんだで虫歯もなく、歯にトラブルの無い人が多いのか

2022-01-04

anond:20220104115426

アホか。自民改憲案なんてクソだわ。

ていうか「公共の福祉」が消えたら上記理屈破綻するからな。

人権保障のない憲法憲法ではない。

しろ表現規制側の理屈は、「公共の福祉」より自民改憲案の「公の秩序」に近づいてるんじゃないの?

公の秩序」って、国家個人権利制限する際に、別の人権侵害要件としないというものからな。

何だかんだ言っても、ほとんどの萌え絵人権侵害に相当しないことは分かってるんだろ?

2021-12-31

占いのせいでうちの一家破綻しかかっててウケる

たぶん占い師のせいではないんだよな。

うちの母は占いがやたら好きで、よく行ってうちで占いの内容を話してるみたいなんだよ。

俺と弟が帰省した時も何だか嬉しそうに話してた。

母以外は頭っから馬鹿にしてかかってるが、敢えて言って喧嘩したりはしないし、俺らが内心鼻で笑ってるのを母は知ってる気がする。わからんけど。

人生は、前に楽をしたらそのツケを払わないといけないんだって、私(母な)が四十代の時は何も悩みがなかったから、そのツケが今来ているんだろうって」

とか何とか。

母もまだ働いてて、上長とソリが合わなくてストレスが高いんだなぁというのは俺も感じている。

人生は前の楽のツケを〜というセリフを母は気に入ったようで、何度か言ってた。大した内容とは思えんが、心に響くのは内容より雰囲気なんだな。

弟はこのセリフが気に入らないようでめちゃイライラしていた。割とニブチンな俺にわかるんだから相当なもんだ。

弟はイライラし出すと顔を合わせないように黙って場を離れるので、不安は強いが共感力が低い母は気づかなかったみたい。

言わなきゃわからんやつに、やめて欲しくてその場から離れるのも、相当なコミュ症だよな。こいつらよう似てるわ。

何度目かの占いの話で弟が爆発した。

「俺(弟な)が中学の時、あんた(母な)や兄ぃ(俺な)はいつも怒ってて俺は家に居場所がなかった。夜中に喧嘩して急に思い立って俺に八つ当たりして、ろくに寝る事もできなかったよ俺は。それも色々環境が変わってきつかったせいだと耐えたのに、それ全部占い師一言でなかった事にするな」

もっとキツい言い方だったけどこんな感じ。弟が不満を爆発させるは事はあんまなかったから、みんなビックリした。

母は謝ろうとしたら弟が「別に直したりできないのだから無駄なことは言わずに、占い師今日はいい日だって言ってもらいにいけよ」と取り付く島もない。

それでも母は許してほしくて弟に色々言うのだが、弟はそれを疎ましく思って、何かと理由をつけて実家に帰らなくなった。

今年は帰省するのか聞こうとしたら、連絡先変わってたわ。

母の無神経さは昔からから、今更どうこう言うことではない。占い好きなのも別に悪かないと思うんだよな。俺らに言えない事くらいあるだろう。

でも占ってもらった感想を共有したさに、弟の逆鱗に触れた上で丹念に追い討ちかけてら。

あと書いてて思ったけど、こいつら我こそは真の被害者であり、他は紛い物の被害者である、みたいな意識強すぎるんだよな。

母が謝罪固執して、それを嫌がる弟を無視して謝罪したがったのは、家庭内かわいそうランキングを脅かされる不安からじゃねぇかな。普通謝罪拒否られたらほとぼりさめるまで次の機会探すだろ。別居なんだから頭冷える時間くらいあるし、いきなり連絡先消したわけではないし。

弟も変わらないのわかってて途中まで上手くやる気だったなら、形だけ謝罪受け入れたら良かったじゃん。

母は情緒やばくなりすぎて、俺も少し会ったら今年は蜻蛉返りしてきた。いやはや。

仲良くしてくれよほんと。

2021-12-30

スリーサイズへの執着

二次元キャラクター紹介なんかで、女性キャラクタースリーサイズ執拗に書かれているのは何だかおかしい。

男性キャラクターと並んでいる場合身長体重共通だが、女性キャラだけスリーサイズが書かれていたりする。現実の肉体、体型に対する異様なこだわりや執着心が感じられて気持ち悪い感じがする。

男性キャラにいちいち「股間サイズ」が表記されていたら気持ち悪くない?

2021-12-25

兄が死んだ

(性加害の話を含みます

兄が病死した。私にとって消えて欲しい存在しかなかった兄が本当に消えてくれた。涙はない。

さな頃はごく普通の兄妹の関係だった。7つ離れているから一緒に遊んだ記憶はあまりないけれど、優しかったし、何でも譲ってくれた。私が小学生になると、宿題を手伝ってくれたり、漫画CDを貸してくれたり。高学年になると、おかしなことが起こるようになった。お風呂あがりで裸の私がいる洗面所の扉を「間違えて」開けることが何度かあった。おかしいな、と思い始めた頃、ソファでうとうとしていた私の上にいきなり覆い被さって、私のスカートの中に手を入れてきた。混乱したが、それが、兄が私に対していやらしいことを企んでいると決定的に理解した瞬間だった。私は、ふざけんな、気持ち悪い!くらいの強い言葉を言ったと思う。気の弱い兄は、それ以上何もしなかったし、それからは直接触れてくることはなくなった。

ところが今度は親の目の届かないところで自慰行為を見せつけてくるようになった。ちょっとこっち来て、と呼ばれて兄の部屋に行くと、おもむろにズボンを下ろしそれは始まる。私はバカじゃないの、といいながら去るのだけど、何度か射精するところまで見届けた。私は兄のやっている行為を愚かしいと思いながらも、私の体に直接の被害はないので、まぁいいかと思ってへらへらしながら数分間眺めてたのだ。そんなことが3年くらい続いたが、私が高校生になると、さすがに明確に拒絶するようになった。というか、それなりに女子高生という雰囲気をまとって世の中怖いものなし、という風情を醸し出してきた私と、大学留年しまくってくすぶってた地味で冴えない兄の立場が逆転し始め、兄の方が私に近寄らなくなってきたのだ。

もともと大人しく社交的ではなかった兄は、大学生活で人間関係やら何やらにつまづいたらしい。数年留年しやっと卒業したが就職もせず引きこもりを始めた。毎日兄が家にいてうっとおしかった。兄が私に何かをしてくることはもうなかったが、私の中ではもはや兄は気持ち悪い人でしかなかった。一緒の食卓に座るのも嫌だし、話しかけられるのも見つめられるのも嫌、兄の入った湯船につかるのが嫌で真冬でもシャワーだけだったし、自分洗濯物は自分で洗って自室で干した。家に二人きりでいると何が起こるか怖くて、38度の高熱を出してもフラフラしながら図書館時間潰してた。私は大学生になると、実家を出たくてその資金のためにキャバクラバイトを始めた。それが親にバレて、お堅い父が激怒。半ば飛び出す形で実家を出て、それ以来自活。父も母も兄に甘かった。就職しないで引きこもる兄に3食を用意し、毎月のお小遣いを与えて、息子は繊細だからゆっくり時期を待ちたいと尻を叩くことはなかった。そう、親にとって、兄は「繊細」な息子で、私は「ふしだら」な娘ということらしい。その状況がいらだたしく、何度か兄がしてきたことを暴露してやろうかと思ったこともある。だが、それはしなかった。

大学卒業し、社会人になり、私は自分人生を生きることに一生懸命だった。私だって器用な方ではないからこの社会に馴染むには人一倍時間を要する。失敗したり落ち込んだり遠回りしながら生きてきた。30歳を過ぎた頃、私の中にあるいわゆる「生きづらさ」というのは家庭環境や兄のことがあるのだろうと、心理カウンセリングを受けてみた。でも言語化すればするほど何だか虚しくなり、数回通っただけで行かなくなった。兄や実家と向き合うのはしんどい物理的にも精神的にも可能な限り距離をおく、ということで適当にやりこなして生きてきた。気づけば私も30代後半。

兄が末期のガンだとの知らせが届いたのは半年前。会社勤めではない兄は当然ながら職場の定期健康診断もなく、区の健康診断やガン検診にも寄り付かず、発見が遅れたらしい。両親は自分たちの老後のために実家バリアフリー改装していたので、兄は訪問看護を受けながら在宅で看取ることになった。

電車20分という距離に住んでいながら、2〜3年に一度くらいしか実家に顔を出さなかった私。久々に対面した兄は、痩せてだいぶ老け込んでいたが、何の世間の垢もついていないつるんとした肌と、感性20代前半くらいで止まってるかんじは相変わらずで、当たり前のように父母の手厚いケアを受けていた。私は兄にはごく一般的な見舞いの言葉を、両親には私が手伝えることがあれば可能な限り協力するが、自分看護介護知識がないからその類の行為プロに任せたいと明確に伝えた。指一本、兄の体に触れたくなかったからだ。父母は私の事務的な態度をどう思ったかからないが、既に私は家族の一員として「諦められている」存在だったので、たまには顔を出しなさいよと言われただけで、何かを頼られることはなかった。その後、遠方からおじおばが見舞いに来るというので、その場に立ち会ったくらいで、積極的に兄を見舞うことはしなかった。

兄が死ぬことについては何の悲しみもなかった。むしろ、私にとって恥ずかしい存在がいなくなる、せいせいした、というのが嘘偽らざる気持ちだ。実家を離れたとはいえ引きこもりかつ性犯罪予備軍のような兄の存在は私にとって長年の恥でしかなかった。もともと結婚願望は薄かったが、結婚は完全に諦めた。普段から「お兄さんは何をなさっているの?」といった他人からの無邪気な質問も怖かった。子どもを狙った性犯罪ニュースを見るといつか兄もやるんじゃないかと戦々恐々としてた。引きこもり中年男性が世を恨んで無差別に人を傷つけるニュースも全く人ごとではなかった。兄がいなくなることで、これらの心配が無くなるのであれば、この先の私の人生は心穏やかに過ごせる。

クリスマスを前にして、兄は父母に見守られ四十数年の人生を終えた。静かな最期だったらしい。朝方に死去の連絡を受けたが、私はその日も普通仕事に行った。何の心の動揺もなくいくつかの打ち合わせと事務処理を済ませた後、家庭の用事でとだけ伝えて、昼過ぎに早退をした。色々事情を聞かれるのが嫌で忌引きでなく普通有給をとることにした。1日だけ。

兄はたぶん安らかな顔をしていた。あんまり見ていない。父母も最後まで自分たちで世話をしたのだから、まぁすっきりした表情だ。一度も社会に出なかった息子を困ったといいつつも、可愛がっていたのだろう。兄は引きこもりではあったが、家庭内暴力などはなく、父母やごく近しい親戚とは普通コミュニケーションをとっていたし、親の買い出しに付き合って車を出したり重い荷物を運んだりと家の事には協力的であったらしい。家族想いで優しかったが、優しすぎて一般社会には適応できなかった、というのが父母からみた兄だ。

それもまた事実であろう。私だってあの出来事がなければ、兄をそう捉えたかもしれない。でも私は兄がした行為を許すことはしない。許すことはしないが、もう遠い過去となった。あの時の記憶は消えないが、あれから私は自分人生を生きて別の体験をたくさんすることで、あの記憶を隅へ隅へと追いやった。それが正しい対処方法なのかはわからない。もっと周りに助けを求めたり、自分心のケア第一に考えることもできたかもしれない。或いは正面から向き合って本人に謝罪を求めても良かったかもしれない。でももういい。私にとって兄は消えて欲しい存在で、そして今やっとその通りとなった。それだけのことだ。兄の愚かな行為を今後も父母に話すつもりはない。それは兄のためでも父母のためでもない。私がエネルギーを使いたくないから。

補足)

これは愚かな兄をもった、愚かな妹の駄文です。もしこれを読んでいて、今現在家族問題で苦しんでいる未成年の方がいたら、どうか信頼できる大人相談してください。私は自分一人でなんとか対処してしまったように書きましたが、それは20〜30年前の当時はスクールカウンセラーも普及しておらずインターネットも浸透してなかった状況で、子どもに対する権利擁護情報アクセスしづらかったという事情によります。今は適切な機関支援がありますあなたの心を守りながら、一緒に考えてくれる大人はきっといます

2021-12-22

anond:20211222144551

おめでとうございます

ハイスペ強者が実のところどうやっても得られずに苦しんでる、非物質的で値打ちのあるもの何だかんだでゲット出来る低スペ男って現実世界でもいるよな。

anond:20211222150326

何だかんだ

まず遭遇しないだろうと内心は笑ってる放火殺人事件より

ケチャップをいきなりぶつけて荷物を奪うとか

・置き引きとか

給湯器や電動自転車バッテリーのみの盗難

ナイフサラダ油ほどではないけどタックルほど弱くはない傷害事件

順調に日本治安悪化してるね

2021-12-21

海外発送の手間が増田ネックっ値出す間が待てのウソ排外か(回文

おまえはMEXICOのお客さんから問い合わせを受けたことがあるか?

MEXICOのお客さんの問い合わせに返信出来てこそ真の男だ!

MEXICOのお客さんの問い合わせがなかったら、おまえはだたの腰抜けだ!

今日はオレがその真の男へなるためMEXICOのお客さんの問い合わせの返信の仕方を教えてやる!

真の男になりたくなければ家で大人しくナチョスでも食べてろ!

おはようございます

あのさー

細々と世界展開しているビートゥーシーの問い合わせがあって

各国から年に2~3回は問い合わせが来るんだけど

なんだか地球の裏側から問い合わせが来るのは感慨深いものがあるわよね。

もう英語ことなんか分かんなくても、

とりあえずイキフンで翻訳で行けちゃってるから

大丈夫なんでしょうね?

お客さんには翻訳サービス使ってるから勘弁してちょんまげ!って前置きをしているか

いままで、

お前の英語ポンコツだ!だなんて言ってくる人はいいか

まあ通じてるんでしょうね。

便利な世の中でもあるとともに、

いまや世界の裏側にもお荷物が届けられる便利さはゴイスーだわ。

ただ一番面倒くさいというか手間だというのが

送料の算出がいちいち重さを量って全部手作業になるのが手間っちゃー手間なのよね。

国内だと大手運送会社サービスを使った伝票発行システムシステマチックに揃ってるから

何件あっても瞬時に出力ができるのよね。

海外発送がそこがネックだわ。

件数が多くなってきたら手間だけど、

その時考えましょう。

きっと問題解決するソリューション解決してくれることをイノベーションでありインスパイヤネクスト日立アンドスーパートシクンでもあるわ。

でも我ながら、

メキシコの人から問い合わせがあって返事してるときに思わず

メキシコの人!聞こえてますかー!って心の中で唱えてしまっちゃったわよ。

心の中でよ。

あとさ

海外の住所ってさ、

県とか州とか市とか何が何だかどれがどれだか分からなくない?

どれをどの行に住所入力すればいいのよ!?って

メキシコメキシコ州とかなんかメキシコの中にメキシコがある感じで

日本で言う静岡日本平って日本日本と続くとなんかこれ正解なのかしら?って疑ってしまうわ。

名前もさー

例えで言って書くと

ラミエル増田増田

これ同じ字面が2つ続いてるけど間違いじゃないのかしら?

バグって2回送信されてる?

同じ単語が2つ並ぶような名前ってあんの?

私の知ってるそういう名前前田前田ザ・たっちしか知らないわ。

あんまり発送には関係ないけど名前で謎なのは

ドルネームの謎よね。

ドルネームって何?あだななの?なんなの?

ちなみに私のミドルネームミランから覚えておいてね。

でもまあ、

無事毎回毎回海外発送できてるから

怒られたこともないし、

とりあえずメキシコとにもやりとりできたから、

私が腰抜けでないことは確かね。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドよ。

朝起きれなかったのでおにぎり握れませんでした。

気持ちは握っていたのよ!

夢の中で!夢の中で!

今日はもう早く寝ることを心に誓っていきたいと思うわ。

デトックスウォーター

冷やしておいた炭酸レモンフレーバーウォーラーよ。

炭酸切らしちゃうと切らしちゃうので、

いつか買い置きしておきたいところだし

いっそのこと

炭酸水発生装置を導入してみることも思い付いたわ。

いいの探してみようかしらね


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-12-20

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない。ポケットに手を突っ込みハイヒールでズンズンと駅へ向かう私もその一人。あの男。18年ぶりにTinderで再会し、手コキで果てた神奈川大卒の男。美しい思い出を性欲で汚した愚かな男。そして、彼を見下し、利用しようとして報いを受けた慶應卒の愚かな私。

 

私は私の人生がかわいかった。腹を痛めた我が子のように。当然だ。様々な苦しみを食べてこの人生は育ってきたのだから教育ママ日能研のバッグ。中学受験女子校人間関係大学受験。滑り止めの慶應経済就職活動。いろんなものをすり抜けて、私のソコソコ幸せなこの人生があるのだ。

 

中央林間のあたりで生まれて、小学校までは地元公立に行っていた。色んな人がいた。「じゅんやくん」とは母親同士がママさんバレーの友達で、家も近かったからよく遊んでいた。青い屋根瓦の古い平屋。中に入るとワサビみたいな匂いがした。夏も冬も、いつもヨレヨレのタンクトップを着ていた。

 

じゅんやくんはモテた。足が早くて、サッカーもやっていた。土曜日に校庭に遊びに行くと、真っ白いソックスを膝まで上げたじゅんやくんが中盤からいいパスを出していた。かっこいい。顔はよく覚えていない。小学生恋愛なんてそんなもんだ。初めてチョコをあげたのもじゅんやくんだった。

 

女子学院への進学が決まった。じゅんやくんに伝えると、お前のことちょっと好きやったで(笑)と言われた。ちょっとって何だよ、と思いつつも純粋に嬉しかった。それから人生で、ちょっとでもいいから私に好きだよと言ってくれる人は他にいなかったから。その日は二人でマックに行っておしゃべりした。

 

メルアドを交換して多少のやりとりはしたし、全然更新しない彼のアメブロくらいは見ていた気がする。でもお互い新しい環境で新しい友達ができて、思い出話と近況報告以外に特にネタもないし、そして何より、小学生の「好き」なんて、その程度の曖昧ものなのだ大人のそれも似たようなものだけど。

 

JGの新しい友達はみんな「きちんとした子」が多かったし、母もそれを喜んでいた。特にじゅんやくんやそのお母さんの話はしなかった。もしかすると、私の人生自分作品のように思い込む短大卒の教育ママである母にとって、あん公立校の人間関係なんて忌むべきものだと考えていたのかもしれない。

 

そんな背景もあり、私は次第にじゅんやくんのことを忘れ、何事もなく人生は進んでいった。第一志望の東大は落ちたけど、滑り止めの慶應経済に入った。慶應卒の父はそれはそれで喜んでいた。塾高生の目が届かない弱小テニサーでは、志木高生が俺たちこそが内部生と言った顔でオラついてて可笑しかった。

 

サークルゼミの先輩たちに色々手伝ってもらって、リクルートスタッフィング内定を決めた。キャリア内定者の何となく見下してくる感じはムカついたが、腐ってもR。腐っても銀座OL。初めての一人暮らし。限りなく浜松町に近い田町の月10万の1K。まいばすけっと自炊を頑張ってみたがすぐ飽きた。

 

仕事は楽しかったし、なによりRの空気は私に向いていた。JGと慶應経済の面倒なところを煮詰めたら多分Rのそれと同じような味がする。電話をかける。ビルを倒す。派遣された高時給のエンジニアたちがちゃんとやっているかフォローする。いくつか賞ももらった。私の人生は引き続き順調だった。

 

唯一の問題私生活にあった。慶應卒のかわいくない総合職女の子、ほどの恋愛における弱者はいないんじゃないかと思った。ルッキズムには排除され、オレが養ってあげたい派より年収が高い。共働き尊敬し合える関係が、とか言ってるやつも、だいたい前掲のどちらかを心に持っている。行き場がない。

 

入社2年目くらいのときに、三菱商事との合コンがあった。商事の中でも三軍みたいな連中。微妙顔面高慢な態度。「派遣とか竹中平蔵じゃん(笑)」「お前はどうしたいの?っておれに聞いてみてよ(笑)」内心分かりやすハイスペ好きで、今日合コンのためにまつパに行った自分を殺してやりたかった。

 

そんな行き詰まりがずっと頭の中にあった。何となく始めたTinderゴミの山だった。日東駒専大東亜帝国なんて現物と会ったこともない。なんと高卒も!世の中の広さを思い知らされる。この国では生きる世界が何層にも分かれていて、コンビニレジとか、違う世界の人は目の前にいても透明に見える。

 

同じ社会に生きる透明な人たち。彼らが可視化されるのが面白くてTinderにハマった。何を売ってるのか、こんな国語力で本当に売れるのか分からない謎の営業たち。ホテルマンと車のディーラーはやけに多い。恵比寿フレンチで働いてるシェフ何だか好感が持てる。そんな悪趣味Tinderをやっていた。

 

マッチゴミの山を漁っていたら、一人の男が目に止まった。神奈川大学卒。神奈川大学?白楽だか東白楽だかの果てにあるらしい。体育会サッカーをやっていた。今は営業をやっている。また営業。こんな営業会社に来たら嫌だな。Junya。30歳。Junya?彼だ。

 

18年ぶりに幼馴染みと再会した。よりによって、このゴミの山で。身分を超えた恋、と言えば美しいので、そう呼ぶことにした。すぐに彼からメッセージが来た。はじめまして😆✨よろしくお願いします❗冷静になった。●●小のじゅんやくんだよね?すぐに返信が来る。当たりだ。

 

話すことはたくさんある気がするから、私からすぐに飲みに誘った。家も職場横浜のあたりと言うから東横線で出てきやす渋谷にした。店知らんから任せていい?🤣と言われたから任せられた。ラフな感じがいいな、ラフな感じでいいやと思って道玄坂の「どうげん」を予約した。

 

彼が人生の曲がり角になる気がした。ハイスペを追っては追い返され、低スペは追われる前にドアを閉める。私のかわいい人生恋愛ときで躓かないよう、学歴や社名で相手を選んできた。スペック依存しない私の新たな人生幸福が、おそろしく低スペな幼馴染との再会で始まるんじゃないかと期待した。

 

金曜。どうげんに焼肉を食べに行くだけとは思えないほど気合いの入った格好で山手線に乗ってしまった。この日のためにアリエクで買ったスカートは思ったよりピチピチだし安っぽかったが、神奈川大の男にはこれくらいのほうがいいんじゃないかと前向きに履いた。慣れないハイヒールはやっぱり慣れない。

 

20時。彼は少し遅れて来た。黒のカナダグース。ピタピタの白ロンT。膝の破れた明るい色のピタピタデニムナイキスニーカー。顔は、調子悪い日の槇野に馬を足した感じ。真っ黒に焼けていた。TikTok流行っている音楽に詳しそうな雰囲気をしていた。「久しぶり😆✨」発言の末尾に絵文字が見えた。

 

彼は私のアジアン隅田似の顔に少しギョッとしたが、お酒を飲むとどうでもよくなったみたいだ。よく飲む人だった。一息でジョッキを半分くらい飲み干した。杯を乾かすと書いてぇ〜😆顔カンパーイ😆✨よく食べる人だった。りんごを巻いた肩ロースを何枚も吸い込んだ。営業接待で大変なんよ🤣

 

話は割と盛り上がった。中学高校でもサッカーを続け、インターハイにも少しだけ出場したこと。強豪大からは声がかからなくて神奈川大に進学したことプロを目指したがまるでダメで、今は横浜部品会社営業をやっていること。大学時代マネージャーと付き合っていたが、浮気されて別れたこと。

 

1時間も経っていないのに、彼はかなり仕上がっていた。てかスカートめちゃエロくない?😍(笑) 急に空気が変わるのを感じる。性的質問が増える。テーブル席の向こうから、彼の鍛えられた足が妙に触れてくる。ZARAのいつ買ったかも分からない安そうな彼のデニム。昨日きちんとムダ毛を剃った私の脚。

 

私は変に冷めていた。話が合わない。共通話題がないとかじゃなくて、会話の技法とか、語彙の辞書そもそも違うような感覚ロシア語ポーランド語のような関係。分かるが分からない。目に見えない学校から目に見えない会社に入り、目に見えない人たちとテング酒場男梅サワーを飲んできた人。

 

私の期待は外れた。当たり前だ。私たちは同じ国の、目に見えない違う国で育ったのだ。それが交錯するのが首都圏公立小学校であり、そこを出れば二度と交錯することはないし、交錯すべきでもない。美しい思い出は美しいまま、卒業アルバムと同じダンボールに入れて二度と開けなければよかったのだ。

 

迂闊にも、実家ホコリを被っていたそれを開けたのは私自身だ。それも、美しい思い出とその中にいる彼を、私は見下し、見下したそれらが私の人生好転させてくれると期待した。最悪だ。そして最悪な彼は、自分のために着飾ってきたブスに勃起している。彼にはその権利があるような気がした。

 

例によって、このあとホテルに誘われた。お店に入って1時間余り。モクモクとしたどうげんのテーブル席。私の美しい思い出が、トイレから帰ってきたらこっそり近所のラブホ検索していた彼が、ニタニタ勃起しながら最悪の誘いを投げかけてくる。すべてが面倒になり、割り勘をしてホテルに向かった。

 

緊張緩和のためか、途中のコンビニで買ったストゼロを彼はガブガブと飲み、結果勃たなくなった。少し待つと復活したからまずは手でしてあげると、アッアッというピトーに脳をいじられたポックルみたいな声を出してすぐに射精した。そうして二度と勃たなかった。手を洗うときに鏡で見た私の無表情な顔。

 

時計を見るとまだ22時で、なんだか疲れたから私だけすぐ帰ることにした。ライン教えてよ、と言われたけど、ラインやってないので… とそのままドアを閉めた。通りに出るとゴミみたいな人たちがいっぱいいた。何の仕事をしてるのかも知らないが、おそらく一生知ることもない、違う国の人たち。

 

今年で30歳になります。帰りの山手線、窓ガラスに映った自分の顔にギョッとしました。頑張って生きてきたのに、恋愛肯定されることがなく、そのことは私の人間価値のもの否定されたような気分になります。家につきました。男たちの欲求狭間で、私は今夜も真っ白な天井を眺めています

 

実は― きょう彼にああやって求められたのが、一瞬、少しだけ嬉しかったのです。でも、やっぱりダメでした。致命的な知性の欠如。合わない人とは合わないほうがよいのです。それが分かると見下してしまうから。じゅんやくんのお母さんを何となく見下していたのを思い出します。

 

当然の報いです。美しい思い出を利用しようと段ボールガムテープ剥がした私。そんな私の手を汚い欲求で汚した彼。身分を超えた愛?Tinderを開くと彼からメッセージが来ていますが、何も見ずにマッチを解除します。ビールを飲みながら、早慶以上の人にだけいいねを送ります。今年で30歳になります

出典元:麻布競馬場 @63cities https://twitter.com/63cities/status/1472400671387582467

2021-12-19

タックル大改め脱税出身だけど

世間では何だかんだ言われててこの前HUBで飲んでたら横の席の(話聞くに)中高卒のウェーイグループに「あそこバカレベルじゃんwww」みたいなので盛り上がっててHUBドリンク並みに薄ーい気持ちになってたりするわけだけど、まあ偏差値的には確かに可もなく不可もなくど真ん中な立ち位置なのは確かで。

いいとことしてはOBOGがそこかしこにいるので(学部が違えば他大レベルとはいえど)そこそこコミュニケーションきっかけになるのでつかみはOK死語)になってそこから話広げられたり、あといわゆる偏差値20差の法則で旧帝でもFランでもどっちにも対応できる。

その辺オールマイティーに卒なく熟せるのは入学難易度考えたらコスパはいいかなーって思った。

コロナ後に新事業に手を出す中小零細多すぎジャネ???

まぁ自治体やら国がポストコロナ補助金出してるのもあるけど

コンサルだか何だか知らんが、社長さんを唆してるヤツがいるような…

それの原資、雇用調整助成金じゃないッスよね?ってのも気になるけど

2021-12-17

じみーな少年漫画のすすめ

いまは月刊誌ジャンプでやってる「ワールドトリガー」って漫画は、少年漫画らしい部分とらしからぬ部分があって、昔は少年漫画を読んでいたけど、最近全然読んでないな〜、みたいな人にもオススメだよ。

一例として、主人公が弱い。外界から攻めてくる敵との戦い、それにそなえた味方組織内での訓練というのが長らーく描かれているんだけど、主人公最初から弱く、味方組織に「素質なし」として入れなかったくらいに弱く、そしてそれが修行パートでも根本的には覆されることはなく、周りの方が常に強い。

でもそれでも魅力的なのは、強くない自分に向き合って、弱い自分に何ができるかを常に考えて行動して、チームとして戦力を高めて、何とか目標に向かっていくところ。何だかすごい現実的な魅力なんだね。カリスマがあるわけでも、知性が圧倒的に優れるわけでも、ビジュアルが人を引き寄せるわけでもなく、それなりの知力と戦略で周りの力を集めて高めて、ある種のクソ度胸で戦いを乗り切っていく。

「遅効性SF」というキャッチコピーが相応しい、地味な魅力に溢れた漫画なので、時間がある人にはぜひ読んでほしい。

2021-12-13

昨今の発達障害マンガについて

十歳の時に弟とセットで発達障害診断されたまだギリアラサー女性増田です。

昨今の発達障害エッセイマンガ読んでるともやもやするので文章にする。

 

かれこれ二十年ほど前、弟がいかにもなアスペ(今はASDか)だったので、母が大きい病院に連れて行ったら、何となくついていった私も

お姉ちゃんのほうもガチめのアスペぽいん検査してください」

みたいなこと言われて検査したらバリバリ文句なしアスペだった。

しかも「この先普通に進学できると思わないでください」とか言われるレベルだった。

 

だったけど、私は幸いというべきか

感覚過敏じゃなくて感覚鈍麻(過敏の方がフォーカスされがちだけど鈍麻も少なからずいる)

・とにかくぼーっとしてる方のアスペ(注意力散漫)だったので、多動がなかった

・私の世代比較的穏やかかつオタク陰キャ)多めだったのでいじめにあわずコミュニケーション問題があまり目立たなかった

そのため、検査されてから二十年間、何の支援もなしにほったらかしにされていた(笑)

一方弟は、ガチガチ典型アスペでとにかく難ありだったため、母も弟にかかりきりだった。

 

そんな背景の中で、私は家庭でも学校でも何の支援も受けずに、小中高大と就職まで駆け抜けてしまった。

と言うと、「一般社会にうまく溶け込めたアスペ」という感じだけど、誰にも何もサポートしてくれなかったから、自分で全部やるしかなかった。

小学生の時は感覚鈍麻すぎて帰り道で漏らすから自分トイレスケジュール立てるとか、

コミュ力も実地訓練と試行錯誤の繰り返しで何とか一般人ぽく振る舞う術を覚えたり、

注意力散漫も手にメモ書きまくったりで何度も何度も自分対策した。

発達障害って言うと犯罪者予備軍だと思われるから外で言わないことって母に言われたから、学校先生も誰も私がアスペだってこと知らなかった。

血のにじむような努力、とは言えないが、はっきり言って何の支援もなしによくここまでこれたなって思う。

 

それゆえに昨今の乱立する発達障害エッセイ何だかもやもやしてしまう。

もちろん、その人の困っていることや苦しみを否定する気は毛頭ないし、私も少なから当事者から「あーわかる」となる部分も多い。

でも、

職場でもどこでも障害オープンにして理解してもらってます!」

理解ある彼君に支えてもらってなんとかやってまーすw」

みたいなノリを見るともやもやしてしまう。

特にタイトルはあげないけど妻が発達障害で~のマンガは、奥さんの方が

「一人じゃ生きられない(から結婚したい)」

みたいなこと言っててこれには流石に「はあああああ??」となってしまった。

自分の不出来なところを赤の他人押し付けるような厚かましさ、あれは自分には無理だ。

 

私は今まで誰にも言わないで誰からの助けももわずに、健常者より頑張って今の生活を手に入れたのに。

何かあっても「アスペから」なんて考えたこともなかった。それに甘えるのはいけないことだって母に言われていた。

少しでも周りとうまくやれるように自分の不出来な部分を必死に取り繕って生きてきた。

それなのに、このマンガ書いている人たちは発達障害免罪符にしてできないことを許されているようで何なんだろうって思う。

私のこれまでの努力は何の意味もなかったのかな。

発達障害みんなが私のような努力をすべきとは思わないけど、発達障害免罪符に不出来な部分を治そうともせず理解してくれない健常者への愚痴マンガにしてるのはどうなん?とは思う。

 

長々書いてしまったけど、実は別に生きづらいって思ってない。

ただ、ああいマンガ読んでると

「私アスペなんで迷惑かけたり不愉快にさせてもゴメンね。障碍者手帳でお得に生活してます自分一人ではやってけないんで、理解ある旦那暮らしてまーす」

みたいな厚かましさがあれば今の0.8倍くらいの省エネルギーで生きられるのかな、とはふと思ってしまう。

2021-12-11

anond:20211210093104

要するに「私はゲイレズなどの同性愛者の存在自体が気に食わない、そいつらに人権なんか与えたくない」とはっきり言えばいいんだよ。

それを言わずに、何だかんだ理屈をくっつけてもっともらしい理論を作っても、最終的には全てを見破られる。

Webライターって実際どうなん?という話

Webライターに限らず、SNS情報発信してる副業系やフリーランスの人って、どうにもキラキラしすぎていて実態がよく分からない。

月50万とか月100万とか、何か現実的じゃないし。

というわけで、フリーターをしながらWebライターで年90万稼いだ話をしようと思う。

月じゃなくて年なのでご注意を。

  

3月4月ごろ

勉強もしないままライティングサイト登録して、とりあえず書いてみた。

タスク形式案件があるところだと、SライティングとSワークスが有名だと思う。

Sライティング承認されやすいが1文字0.3円とかの世界

Sワークスはたまに非承認になるが1文字0.5〜1.0円くらい。

文句言いつつも、何だかんだそれで3万円くらい稼いだ。

  

5月

プロジェクト形式案件が多いと聞くCワークスに登録してみた。

プロフィールはなるべく有能そうに書いた。

それで最初に来たスカウトが、とあるキュレーションメディア記事執筆

1文字0.4円で、さらにそこからCワークスに2割くらい手数料が取られる。

買い叩きじゃんと思いながらも、納期とかノルマが極端に緩かったのでやってみた。

蓋を開けてみると、マニュアルがすごく細かい

ちょっと数字ごまかすが、例を挙げると

・1文は60文字以内、1文字でもオーバーすれば差し戻し

・1段落は3文以内、1文でも(略)

タイトルに含めるキーワードの細かい指定

などなど。

実際のルールもっと多く、PDF20ページ以上ものマニュアルだった。

文字単価安いのにやってられんということで、テストの5記事だけ書いて辞退した。

トータル5000円くらい。

  

6月

自分文字単価決めた方がいいなと思い、スキルマーケットで有名なCナラ登録

この時点でSライティングとSワークスで150記事くらいは書いていたので、とりあえず150件こなしたということをアピールポイントにしてみる。

さらに、サイト内での実績に乏しい新規参入者はなかなかサービスを購入してもらえないと考え、先着10限定で1文字0.5円と書き添えた。

そのおかげか、2週間後には案件相談が来た。

希望する内容を聞きつつ、無事納品。

☆5評価を1件獲得した。

それで3000円くらい。

  

7月8月

1文字0.5円のサービス爆速で売り切れたので、1円に編集して再公開。

相談が来るペースが伸び悩むかなと心配したが、ペースが落ちた分規模の大きい案件が増えた。

10記事1万円とか2万円とか。

バイトシフトを減らしてライティングにあて、この2ヶ月で15万円くらいの売り上げになった。

めでたくプラチナランク

  

9月

SEOについて勉強してみたところ、5月にCワークスで渡されたマニュアルが実は最適解であることに気がついた。

それを0.4円で発注するのは安すぎるんだけど。

当時のマニュアルを参考にいくつか練習記事を書いてみたあと、Cナラの単価を1文字1.5円に引き上げた。

依頼は途絶えるどころか、プラチナランクという肩書きもあってか増える一方。

結局9月10万円くらいだったかな。

  

10月〜12月

同じ調子10月は14万円、11月は21万円、12月は26万円。

強気になって、専門分野については文字単価2.0円のサービスも出した。

バイトは週2くらいしかやらなくなった。

  

というわけで、Webライターで月100万はどうか知らないけど、20万〜30万は現実的っぽいという話。

時給換算でも2000円を超えることがしばしば。

  

余談だけど、中学生の頃に小説を書いていた黒歴史と、タイピングが割と得意で寿司打で6.7key/秒くらい出せるのがいい方向に働いたかも。

来年キラキラSNSやって直接依頼探すか〜。

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