はてなキーワード: 一朝一夕とは
保守政党は地域での相互扶助というコンセプトが大好きだから、何らかの形で制度化したいんじゃないかな。
共助社会の実現ってやつね。
既存の民生委員システムを活用するのも良いし、今イマイチパッとしない地域型保育事業にバリエーションを加えてもいい。
町内会単位で寄付しあうとか、それを税額控除するとか、NPOやNGOが仕切っていくとか、いろいろできれば良いだろうけど、
一朝一夕には実現できなさそう。
今は子育て政策が重要だというコンセンサスがあるので、公共セクターが税金を投入して何かするのが手っ取り早い。
← いやいや、人はそんなことで恋に落ちるわけじゃないでしょw
なんか勘違いしてない?
イケメンでもモテない人はゴロゴロいるし、かと思うと、全然イケメンでも二枚目でもない火野正平みたいなのが芸能界では女たらしで有名だったそうだし、恋とはそういうものでしょ。
では、人はどのようにして恋に落ちるかと言うと、恋愛体質(というか気質)の人にはそれはあまりに自明で説明の必要も無いし説明できるようなものでも無いのに対して、恋愛体質でない人にとっては摩訶不思議でわけわからん、ということらしい。
そいじゃあ恋愛体質でない人は恋愛できないかと言うと、決してそんなことはないのだけれど、元々恋愛体質の人のように自然にはできないので、やり方を意識して学ぶ必要があるということかと。
ただ、それも一朝一夕には成果が出ないので、意を決してある程度の期間は熱心に学ぶ必要があるようだ。(短くても1〜2年、人によっては数年かかるとか)
だから、若いうちに恋愛したいなら、それなりに早めに恋愛の学びと実地経験を始める必要があるわけだよ。(もちろん30歳を過ぎてからでも可能なんだけど、それだと成果が出る頃には結構な年齢になってそう)
https://anond.hatelabo.jp/20180320195213
この記事の追記
Vtuber黎明期の海外オタク(と俺)の貢献を新参のVtuberファンに知らしめる事が主目的だったのでホッテントリに入って多くの人に見てもらえたのはありがたい
しかし、あまりにもアクセス稼ぎ用の煽り部分に反応する人が多かったので一応増田のマナーとして反論してみようと思う
支持されていたブコメをざっと見た感じ、こういった意見が主だろう
「世間の流行とは無縁に個々の趣味を探求するのがオタクなのだから、オタクと世間の流行を結びつけて論じるべきではない」
こういう反応はある種のオタク像を語るとすぐに返ってくる凄くありがちなテンプレートだ
なので、まあ、くるだろうなとは予測していたが…
(とはいえここまでなんの捻りもないテンプレート反応が支持されるのか!?
botかなにか?キズナアイちゃんなの?これが今のはてなのレベルかと思うと少し悲しい…)
さておき、このオタク像は実際正しいのだろうか?
まあ、少しでも立ち止まって考えてみれば違う事くらいわかるだろう
というのはディープ層ライト層問わず今のオタクならかなり一般的な事だ
それでも新しい知識を取り入れることを是とするのもオタクだろう
しかしなぜ世間ではこういった「オタク特殊論」のような言説が支持されてしまうのか?
そこにはなにか、彼らの中の理想像として
というものがあり
その背景には
「文化とは個人それぞれに価値がある相対的なものであり、優劣がつけられるものではない」
「だから世間の流行に流されず個々の趣味を探求するオタクは尊い」
といった幻想があるように思える
「マウンティングをするな!」
といった声や
といった単純な反応だ
しかしこれらの反応はあまりに純粋すぎるし、現実の状況からはほど遠い
文化には間違いなく優劣がある
そして文化というのはこの優劣を競うことで発展してきたものなのだ
例えばヒップホップ文化ではよくfakeという言葉が使われている
お前の音楽やスタイルはfake、偽物であり俺が本物であるというスタンスを示す言葉だ
そこには俺>お前という優劣で競い合い
(もちろん模範、サンプリングという肯定の積み重ねもそこにはあった)
文化を支えてきた批評のシーンでは優劣をつける行為は避けては通れない
評価するもの、評価しないものを選べばそこには否応なく優劣がついてしまう
このように文化の優劣、マウンティグというのは文化の発展のためには不可欠なものである
とはいえのこの優劣はあくまで個人内の価値で相対的なものでしかない
一つは単純に経済の話だ
「万人に消費された文化は優れている」
たったこれだけだ
「ハンバーガーとコーラは世界一売れている、だから世界一美味い」
「amazonで円盤のランキングをチェック!人気のアニメを推さえるぞ!ニコニコで100万再生!?早く見なきゃ!俺こそ最先端のオタクだ!」
これじゃあ「世間に流されないオタク」が理想となるのも無理はない
これらの言葉はそういった勝馬乗りマンへの侮蔑の言葉として存在するのだろう
そして、本当に文化の価値を見極めることのできる「最先端のオタク」をめざすべきだ
とある例をあげよう
ドストエフスキーが生きた時代、ロシア内の識字率はわずか1割であった
有名な話だろう
ではその当時のドストエフスキーの小説に、ゴッホの絵には何も価値がなかったのか?
もちろんそんな事はないだろう
そこに重要性がある
これは単なる経済の勝ち負けとは違う
前例のように経済のゲームで負けていたものが歴史に残ることは十分にありえるからだ
即物的な流行り廃りに惑わされず
しかし、ただ単に「世間の流行に流されないオタク」だけでは通用しない
何が歴史に残り、何が消えるのか、その見極めは難しい
あらゆる能力が大いに試される
さて、ここでけものフレンズとバーチャルユーチューバーを例に考えよう
うーん…
けものフレンズがいったい何を残したというのだろう
あれって何だったの?結局スカだったよねというのが大体の人の感想だろう
しかし日々、関わってくる才能や技術は更新され話題性はつきない
そういう可能性を大いに感じる
少なくともけものフレンズなぞよりかははるかに後世に残る可能性は高い
去年の今頃、
ほそぼそとバーチャルユーチューバーの黎明期を支えていた海外のオタク(俺)
今振り返るとあきらかに海外のオタク(俺)達は日本のオタクに勝っていたのだ
しかしながら、一方で海外のオタク(俺)達は数字に惑わされずに歴史を見極め、本当に嗜好すべき文化とは何かを知っていた
最終的に勝利した
増田が彼ら(俺)を「最先端のオタク」と形容したのはこういうことなのだ
いろんな国内外の言説の「元ネタ」の上にある事はお気づきだろう
とすれば一朝一夕に反論できる代物ではない事くらいはわかるはずだ
じゃあ何をすべきかはわかるね?
っとやめておこう
日本の新卒就職界隈には「スキルよりコミュ力が重視される」という傾向があり,はてな村住人を始めとするコミュ障の社会不適合者達は太古の昔から憤っていた.
私も若い頃は彼らのように憤っている一人だった.しかし,歳を重ねるごとに,色々な現場を見るごとに,この意識は変わってきた.
理由は以下の通りだ.
世の中の大半の仕事においてスキルが必要になる場面というのがほとんど存在しない.スキルはあるにこしたことはないが,仕事でのrequirementsなんてものは入ってから勉強すれば普通に追いつける程度のものが多い.もちろん高度なスキルを要する職もあるが,そのような職にはきちんとスキルを持つ人が採用されている.「スキルよりコミュ力を重視するなんてけしからん」と怒る人達はそもそも大したスキルを持ち合わせていないのだ.
そしてコミュ力は複数人で仕事を進める上で本当に大事だ.分かりやすい性格でコミュニケーションがきちんと取れる人は,多少能力が高くてもこちらの言うことをあまり理解してくれない人に比べるとかなり使いやすい.コミュニケーションが取れない人は一人で勝手に考えすぎて勝手に死んでしまうので本当に面倒くさい.
コミュ力なんてものは一朝一夕で変わるものではない気がする.恐らくコミュ力は性格と大きな相関があって,暗い人はコミュ力を養う機会に恵まれずネガティブスパイラルに陥りがちなのだと思う.一度このスパイラルに陥った人をすくい上げるのは本当に大変だ.だから最初からコミュ力があるやつを採用した方が楽なんだよね.
コミュ力もスキルの一つではあるけども,向上させるのは大変である.他のジョブスキルはよほどのシニアでもない限り別に大したものは必要なく,故にあとで向上させてあげれば済むので楽である.この2つを合わせて考えると,お前らが日本トップレベルのジョブスキル保有者でもない限り,コミュニケーション能力はクソ大事よ.
周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。
出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。
身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。
正確には、まだ微修正や製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。
ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポストも任期付きだが決まっている。
結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。
しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。
それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。
あまりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。
私の博士論文は、とても酷い代物だった。
「3年(あるいは5年)間の研究の集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、
非常にせこく、下品で、信念が無かった。
こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから。
博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)
「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」
博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。
長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題に盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。
なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。
本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。
私は問題の本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。
10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは
「複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。
個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリーは存在しない。
分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。
つぎはぎだらけの代物に、博士論文とタイトルをつけて提出したのだ。
元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。
私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。
なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。
恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。
それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。
私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。
これを誇れるだろうか。
博士号とは何だろうか?
「自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である」
お情けで頂いて良いはずがない。
恥ずかしい。悔しい。
それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)
見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから「博士号」に見合う人物になるしかない。
しかし、なれるだろうか?
私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。
いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。
少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。
私は、方向性の正誤はともかく、言い訳の余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。
その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?
努力したからえらい、結果よりプロセスが大事だ、なんて言えるだろうか?
私は言えない。
私は非常に、信用できない奴だ。
でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。
今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。
そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。
他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。
自分に失望した分、他者を失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。
一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。
結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。
失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。
また1つ、恥を上塗りしてしまった。
しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。
博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。
私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。
それでも、頑張る。
3日も泣いて寝込んだ。
同じく18卒の子の増田がバズっていたのを見て、自分の就活も振り返りたくなった。共通するのは学年と性別くらいで、先に言っておくとそれほど努力もせずに内定を手に入れたという話なので、不快な思いをさせたくないしリンクは貼らない。
タイトル通り、私は某国公立大学18卒の女子で、業界にとしてはちょっとニッチなところに絞って就活していた。具体的な業界については、明かさないでおく。地域としては、実家からあまり離れたくないというのもあって実家のある地方一体のみに絞り、転勤のあるところは避けて探していた。
私の就活遍歴をざっくりと振り返ってみよう。小学生くらいの頃から大学3年までは公務員を志望していて、実際3箇所の公務員インターンに参加した。そこで自分が求めているものはこれじゃないなと思って、専攻に関連が強い某業界をメインに探すことにした。10社ほどESを送り、うち2社ESで落とされ、8社は面接まで進んだ。内定が出たのは1社で、第一志望でこそ無かったが面接の雰囲気が一番好きだったところだった。ちなみに金融系もこれに加えて1箇所受けたけど、なんか違うなと思って途中で辞退した。
スケジュールとしては、3月からぽつぽつと説明会に行き始めて、4月〜5月上旬まではほぼ就活とバイトでスケジュールが埋まっていた。5月末に内内定連絡をもらったが、6月いっぱいまで就活は続けた。といっても6月については、週1で予定があるかないかくらい。
それほど努力もせずに、と書いた理由は2点ある。①3月まで(インターン以外)殆ど就活に関することをしてこなかったから。②ES・面接について、殆ど対策したり相談したりせずに一朝一夕で拵えたもので挑んだから。
①について、私はインターン以外本当に何もしなかった。ポストに入ってくる大学からの就活案内の封筒を見ては顔を曇らせ、現実逃避をして開封もせずに3月まで過ごしていた。3月、さすがにマイナビリクナビの解禁的なものがあってようやく重い腰を上げた。
②について、自分の文章や面接についてダメ出しされるのがなんか嫌で、他人に全く頼らず、しかしそれ故に尻を叩いてくれる何かも無く、締切に追われながらESを書く日々を過ごしていた。内容について、適当だったかと言われればNOだが、書き方についてはなかなか適当だった。前半に出したESは全部「英検2級」と書いてある。「実用英語技能検定2級」略さず書くべきところだ。あと使い回しについて、業界を絞っているのもあって、内容は殆どコピペだった。ちらとHPや資料を読んでその会社の特色を取り入れることもあったが、軸としては殆ど同じことを書いていた。
こんな感じに適当にやって適当に終わった感じなので、後輩には「適当でも意外と何とかなるよ」と言うしかない。全員についてそうと言えるのか? 一つ言えるのは、学歴は大事ということだ。就職先の内定者は皆MARCH以上だったし、他の会社の選考で会った人も皆それくらい。こんな私も一応国公立大卒になるのでそれが功を奏したところは大きいだろう。これについては高校時代に思い描いていたとおりだ。就活で学歴足切りされるのが嫌だったし、面接は得意じゃないし学歴だけでもと勉強を頑張ってよかったと思う。
話が飛ぶが、つぎに就活中バイトを辞めるべきかについて書く。こんな感じに適当でいっかという気持ちがあったのもあり、それよりもメンタルをやられる危険性を考えて大好きだったバイトは就活中も週3で続けた。一人暮らしだし友達もいないので、バイトがなければ話す相手がいなくなってしまうからだ。結果的にこの考えは的を射ていて、バイトが息抜きになった。就活を主に行っていた地域は、バイト先から電車で1時間ほどと少し遠い場所だったが、多少の遅れなどには寛容なバイト先だったのも有り、就活直後にシフトに入ることもよくあった。理解を示してくれたバイト先の皆には、感謝しかない。ただ、バズっている増田のように真面目に振り返りなどをしながら就活したい人には多分オーバーキャパシティである。そこのところを自分で比較衡量して選択してほしい。親や友人など話せる相手が居て、生活費にも不安がないなら、続ける必要はないと思う。
最後に、私が就活中ずっと意識していたのは、「就活は相性」という言葉で、これを自分にいいように解釈してはサボり……息抜きをしていました。ダメだったら相性が悪かったんだなあと思うとか、ESも面接も自分を偽らないとか。
以上、思ったより長くなってしまった私の就活録でした。参考にはあまりならないかもしれませんが、こんな人もいるので。全員が全員ガチガチに縛られた就活をする必要はないと思っています。そこの具合は結局人によるので、自分なりに私の文章をうまく解釈してうまくいいと思ったところだけ持っていってほしいなあと思います。
がっつり努力する人を否定はしません。むしろ、それを実行できる人はするべきだと思います。なぜなら、そのほうが絶対リスクは少なくなるから。私は多少なりとも運があったから拾ってもらえたと思っているので(時代という運も含めて)。その運というのが怖いと思う人は、堅実に努力したほうがいいんじゃないかなと思います。
下調べもかなりしただけあって、お店の対応も女の子の対応も良かった。
女の子は顔はなかなかベテランさんな感じだったがそもそも自分もさして若くないし同年代くらいが好きだし、胸は大きく肉付きはむっちりとはいえお腹が2段になってるわけでもなく、話もそれなりに盛り上がったし普通に楽しかったし良い経験になった。
ただフィニッシュは出来なかった。
彼女いない歴もそろそろ15年目を迎え、ずっと右手が恋人(時々左手に浮気)なので自分でやり過ぎて…というのは多分ある。
あとはもちろん初めてそういう所に行っているわけなので緊張もあったと思う。
でも一番ネックになったのは、心が通ってない感じがした事だった。
いや、そんなもん初対面の男女だし、心が通わないのが当たり前なんだが、お仕事としての物理的な刺激作業をいくらしてもらってもなんだかあまり気持ち良く感じられなくて。
それなりに高いお金払って行ってるのに、お店の女の子に気を遣ってしまって自分が本当にやりたい事やして欲しいことも言えず、なすがままで(向こうからすればこっちが何も言わないんだから当然そうなるわな)ああしよっか、こうしよっかと言われては言いなりになってる内に時間が過ぎてしまった。
あとは目がほとんど合わなかったのが何かな…こっちがシャイそうでわざとそうしてくれた可能性もあるけど。
そんでも一応自分のターンが巡ってきて、自分が上になってるときに首筋にキスしようと思ったんだけどバッと避けられてしまい、ああそういうのは嫌なのか〜…とか思いながら鎖骨や肩の辺りを舐めてその場を取り繕ったんだけど、そしたら何か急に元気がなくなってしまって、その後「口と手でもいい?」と聞かれた時も、実は自分は昔からパートナーに口や手でしてもらってフィニッシュした事がほとんどないんだけど、自分のも元気ないし入れっぱなしというわけにもいかないのかな…と思って了承してしまったんだが、まあ不完全燃焼ではあった。
途中、女の子の髪を撫でさせてもらったんだけど、そうしてる時が一番高まった感じあったなぁ。
やっぱりなんかイチャイチャ恋人プレイみたいなのを望んで行って、かなりお仕事感の強いプロ対応されたのがニーズとマッチしなかったって所なのかな〜。
服着ながらなんだかしょんぼりしてちゃいかんなあと思ってなるべく笑顔を作っていたんだけど、「そーんなしょぼくれた顔しないで〜」と言われたので多分何も隠せていなかった。
ただ、別にフィニッシュ出来なかった事がショックだったわけでなく、そんな場ですら相手に気を遣いすぎて肝心なこと(今回の場合したいこと・されたいこと)をちゃんと伝えられない自分に落ち込んだんだよね。
まあ肝心なことが自己主張できないのは一朝一夕には直らないとして、やっぱり俺としてはただ身体だけ繋がってもしょうがなくて、心の繋がりみたいな物を欲してるんだなという結論に至ったので、それがわかっただけでも収穫かなとは思う。
回転寿司でも充分美味しいと思えるし。でも仕事で食を扱う様になってから行き詰まっている。
元々は通信分野の会社なんだけど、最近自社レストランとか地場産業にも手を出してて自分にも仕事が回ってくる。ボロボロ問題が出てきた。
味の良し悪しがわからない
美味しい店を知らない
食べ続ければ舌も肥えてくると周りからは言われるが、仕事で求められてるのは今この時なんだ。明日もレストランで新メニューを試食するけど、多分「美味しい」しか言えない。ちなみに先日同僚達はサラダに入っている人参の糖度について語っていた。味覚センスが一朝一夕で身につく訳もなく、ほとほと悩んでる。
一度気になったら、食だけじゃなく自分の教養の低さまで気になって落ち込んできた。同僚は皆んな食通で会話レベルの質も高く、比べて落ち込む。味覚って家庭の教養レベルをダイレクトに映し出す気がする。
実家では両親共に倹約家で外食は殆ど無かった。でも両親には感謝してるよ。共働きで大変な中、毎日手作り料理をたらふく食べさせてくれたんた。それなのに家庭の教養レベルなんて考えてしまう自分が嫌で…落ち込む。
○と文字数が合っていない。
他はみんな○に1文字ずつ当てはめているのに、それを無視してスタートップだ。
しかし、○が1文字というルールは明示されていないので、一歩譲ってこれはよしとしよう。
「大正ロマンス」
「不」→「大」確かに字の形は似ているが、違う字ではないか。
他のブコメの中には「歪」と解釈しているものがあったが、これはよい(もし笑点なら、ずる賢い小遊三師匠あたりが出しそうな答えだ)。
みなが「一喜一憂」「一長一短」「一朝一夕」などと書いている中で、線を書き足して「一日千秋」「十人十色」と答えているようなものだ。
さらに、「大正ロマン」は聞いたことがあるが「大正ロマンス」という言葉は聞いたことが無い。
自分の無知を疑ってGoogle先生に聞いたら、やはり「もしかして 大正ロマン?」と、俺がバカにされた。
これらは大喜利として許されるのか。
ってよく見るけどよく分からない…
そもそも顔ファンとは顔から入ったファン、もしくは顔が好きなファンという認識であっているのだろうか?そう思い続けている。
この単語を知ったのはジャニーズ界隈で、事あるごとに叩かれてるのを見る。私が見るのは話題に上がってる時くらいなので大体はチケット当落の頃で、今日は水卜アナの云々で見た。水卜アナを応援している人はにわかの顔ファンらしい、知らんけど。
私はジャニーズ外に推しがいて、推しの顔が大好き。気になったきっかけは素敵な笑顔だったし、毎日更新される綺麗なお顔にうっとりする。推しの努力家で真面目な所が顔や体型に出ている、一朝一夕で手に入れられる肌や筋肉ではない。推しの見た目が大好き。
これは紛れもない顔ファンなのではないだろうか?紛れもなくなくても顔ファンである気がする、少なくとも顔ファンじゃありません!と大きな声では言えない。なんてったって推しを見たら顔が綺麗だと思ってしまうからである。
ただ、顔ファンは叩かれる。
私は人に高圧的、排他的に意見を押し付ける行為はめちゃくちゃ怖い事だと思っていて、叩くとかアンチとか最高に怖い。そのような行為をするということは「私は顔ファンとは違う」と明確な意志を持っているのだろう、叩いている人は顔ファンの要素がない人だ、と思っている。自分にその毛があるのに偉そうなのは流石に恥ずかしすぎるのでどんなに学が無い人でもきっとしていないだろう……してない体でいきます。
多分、顔ファンを叩く人は崇高な趣味をしているのだろうと思う。きっと推しの中身が変わらなかったらそこらへんの適当なおっさんの顔とかに変わっても好きなのだろう。素晴らしい愛だと思う、時代が時代だったらお伽噺になってそう。ただ私は絶対好きにならない。推しと同じ性格を持った推しと同じ年齢の男がいても推しの最強顔面を持っていなかったら好きにならない。あんまり関係ないけど容姿を売る職業の土台にブスがいる事が不愉快だと考えている。ブスいるんですようちの界隈、でもこういう人に顔ファン叩きはついてません。
顔ファンを叩く人によくある(私主観)のが「推しの明るいところが好き♡」とかである。顔が整っているからではなく、仕草や言葉に惹かれたという。はたしてあなたはその行為を顔が整った人間がしていなくても興味を持ったのだろうか?
顔ファンを叩く人はブスでもいいのだろうか?ブスな男にそもそも興味を持つことがあったのだろうか?あなただって推しに興味を持ったきっかけは整った顔が土台にある行動じゃなかったの?
ここら辺がうまく自分の中に落とし込めなくて、いつも悩んでしまう。顔ファン叩く人が「私は推しのオーラが好きなの」とか言ってくれたら納得出来る気がする。
痴漢が司法の問題なのは自明のこととしても、一朝一夕に正されるわけじゃない。
明日にでも起こる痴漢や痴漢冤罪にどう対応すればいいかという話も同時に必要である。
痴漢行為を疑われて警察に取り囲まれても安易に従わず「正統な職務執行なのか」を問いただす方法が紹介されていたが、「痴漢されると怖くて声も出せない」のと同じで、警察に囲まれて毅然と対応が出来る人は限られるだろう。
また知識武装が冤罪の偽装に使われるという話は当然ありうることで、両手でつり革を持ったまま股間を当ててくる痴漢の話があったが、これも「つり革を持って痴漢していないことを示す」善良な一般市民の工夫を、姑息にも痴漢が利用している。こういう輩が増えると「両手でつり革を持つ」ことが冤罪証明にならなくなるわけで、こういう姑息な痴漢にはもっと怒りを向けるべきだと思うのだが……残念なことに痴漢冤罪の問題で「勘違い女」や「嘘をつく女」を怒りの矛先としている男性も一定数いる。
とはいえ示談金目的で痴漢冤罪をでっちあげる女性の存在もあり、実際に事件として明るみになったこともある。もっともこの事件は女に痴漢を仕立てるように指示した男の存在がいて、男の敵は男という案件でもあったのだが。まあ、痴漢や痴漢冤罪の問題において悪いのは犯罪者であり、男か女かという議論になった時点で非建設的ではあるのだが。
痴漢冤罪が大きな問題になるほど得をするのが痴漢でもある。したがって現状何の対策もとられないまま痴漢冤罪の認識だけが広がることは、痴漢を減らすことからも遠ざかる。こうした連鎖を危惧して「痴漢は女性にとって深刻な問題」と声を強くすると、「じゃあ冤罪をかけられた人はどうなってもいいのか」と反発を受けることがあり、解決どころか水掛け論に陥ってしまう。
同様の話で、女性側が「痴漢の方が深刻」と結果的に対立を煽ることになる言葉を使うケースもあるし、そもそも「男の敵は女」と思っているような男性に「痴漢は女性にとって深刻な問題」といっても煩いノイズにしか聞こえていないのだろう。
両手でつり革をもって冤罪偽装する痴漢もいれば、数人で謀って痴漢をするケースもあり目撃者の信頼度も必ずしも完全ではない。別の乗客に間違うように仕向ける痴漢もいるかもしれない。女性側も示談金目的かもしれないし、バックが当たったことを勘違いしたのかもしれない。痴漢騒ぎがあった時に、痴漢なのか冤罪なのかは当事者しか分からないが、その頼りとなる証言も第三者からすれば互いに疑わしいところは最後まで残る。
こういった状況でほくそ笑むのは痴漢や示談金目当ての犯罪者だろう。
犯罪者が本当に困るような方法で対策をしていくべきだと思う。
ちなみに度々話題になる監視カメラだが、東京メトロと都営地下鉄は2018年度以降に3,800両の全車両内に防犯カメラを設置する予定でいるそうだ。JR東日本は埼京線で一部導入しており、東急では2020年をめざして設置予定だという。
監視カメラがどれだけ効果があるかは分からないが、埼京線の導入車両では減ったという報告もあり、実際にカメラが現場検証に役立つというようりも、痴漢をしようとする人の心理的な抑止効果にはつながるのではないだろうか。
しかしそれも10年ほどを設置期間と見ているようで気の長い話ではある。
また、都合が悪い証拠を警察が改ざんした事件などもゼロではなく、正当な職務執行の事実を認めるリスクを避けて捜査に不正を行う可能性も否定できないし、冤罪偽装しながら痴漢を行った場合に別の人が痴漢扱いされるケースも考えられ、監視カメラで痴漢や痴漢冤罪を減らすことができても、全てを解決するツールとはならないだろう。
監視カメラ設置をした上で、鉄道会社が乗客数の上限規制をすることも効果があるかもしれない。無理にでも行った場合、渋々フレックスタイム制を取り入れる会社も増えるかもしれないが、サービス早朝出勤させられる労働者も増える可能性もあり、未知数である。
根本解決ができない以上、混雑する朝7時から9時半まで男女完全別車両にするほうが早いのではないか。これなら比較的コストもかからないし、何よりも痴漢と示談金目的のでっちあげ犯を困らせることができる。
他国から見れば過剰対応かもしれないが、もうすでに犠牲者も出てる上に、痴漢男女間の不信やヘイトが根深くなる一方の現状よりはマシなのではないかと思う。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
各論点はバズワード満載で耳触りが良いので、TLでは、概ね「今の論点がまとまっている!」や「日本ヤバい!」、「熱い!」みたいに、資料に肯定的な論調が目立つ。しかし、違和感を持つ人も少なくない。違和感の正体はなんなのか。
まず、経済産業省の資料として、一番不安を煽るのは、経済成長について正面から議論していない点。1人あたりの実質GDP成長の効用が逓減したとしても、デフレ環境下での生活満足度が信用できるのか、幸福度が指標としてワークするのか非常に疑問。ましてや経産省が経済成長から逃げてどうする。今では有名な話だが、人口減の先進国も普通に経済成長しており、日本だけが馬鹿真面目にデフレを継続させていて、立ちすくんでいた。
また、経済成長なしでの、資源の再分配は必ず社会的分断に繋がる。この資料では、1.若者への再配分が上手くいってない、2.女性への再配分が上手くいってない、3.高齢者へのパターナリズム的福祉抑制で予算捻出だと思うが、パレート最適はありえない。人口動態から、激しい政治的対立が予想される。高齢者にも現役世代の「産めよ殖やせよ」を忖度させるとする。それを全体主義と言う。
2.国家観の古さ
今更、「誰もが不安を不満を抱えている」(そうじゃないのは、不安や不満を表現できない共産圏くらいでは?)、「人生には目指すべきモデルがあった」(良い大学を出て、官僚になるとか?あと、共産圏)、「人類がこれまで経験したことのない変化に直面」(ここ100年くらいでも、明治20年代の日清戦争前、昭和20年代の敗戦期の方が大きくないか?)など、いろいろ古い。これでは、数十年前からバズワード(今だとAIやIoT、VR)だけ変えて立ち上がる、情報社会論やポストモダン社会学である。
行政が生活をどう定義しようが、定義した頃には既に生活が変わってしまっている。市井の生活はそもそもダイナミックなのに、今更エリートがそれを「発見」する。80年代、主にアメリカが考えていた、日本の高度経済成長が通産省によるものという神話に取り憑かれてるのではないか(79年ヴォーゲル、82年ジョンソン)。経産省がライフスタイルや個人の幸福に口出しは余計なお世話で、そんな不透明な指標で制度設計されてはたまらない。時代遅れの国家観、国民観は語らず、経済問題に特化すべき。「子不語怪力乱神」というわけだ。
3.具体的な政策
「バズったから議論の土台を作った」とか考えてたら最悪で、単に大衆がバズワードを使ってポジショントークしてるだけ。要は単なるポピュリズムで、当の女性やマイノリティは困惑している。何故ならば、「弱者」として「発見」されて、マウンティングに利用されている気分だから。では、何をすべきか。
そもそも、民主的なプロセスや市場の原理で実行されないことを目指すべき。官僚はそもそも民主的なプロセスで選出されていない。専門的な課題を解決するなは、必ずしも民主的なプロセスは向かないから(e.g.BrexitやTrump)。レポートで指摘するような、世代間の再分配は、確かに国家的な課題なので、1.経済成長を進め、2.馬鹿馬鹿しいポストモダンを捨てて、3.真面目に取り組むべき。
2017年現在、完全雇用を実現しているリフレ政策は、たまたま安倍晋三が、第一次安倍内閣後にマクロ経済を勉強したから実行された政策。全く民主的なプロセスとは関係ない(その継続は高い支持率に支えられて民主的)。短期的には、資産を持つ高齢者に課税して、若者含む雇用を生み出す政策(フィリップス曲線)だか、もちろん、消えてなくなるのも偶然。日本でもマクロンのような、見た目の良い構造改革派によって、民主的なプロセスに則り、消え去る可能性大。
また、日本やドイツのようなメインバンク制の強い国では、ゾンビような大企業でも存続し、新興企業に資金が還流しない。欧米に比べて資金供給が少ないのではなく、中韓などのアジア諸国と比べても後塵を拝しているのは国辱と言ってもいいだろう。もちろん、民主的なプロセスでは、既存の大企業が力を持ちがちだし、新興企業はそもそも争点にならない。これが原因で、生産性の低い、古風な企業に人材が滞留する。自然とto doではなくto beで働くようになり、モチベーションが落ちるわ、自殺するまで会社を辞められない。
シリコンバレーの金融環境も一朝一夕でできたものではなく、徐々に成功企業によるMAが増えて拡大したもの(9割以上はMAによるexit)。中国もBaidu,Alibaba,Tencentの活動に寄るところが大きい。日本でも企業の内部留保もデフレ環境下で拡大したので、資金がないわけではない。MAを行いやすくする環境を、政策により整備すべきである。これにより、流動的なキャリア形成(液状化した笑)の受け皿が整備される。若者や女性と雇用の問題も本質はここ。
2017年の完全失業率は2.8%で、ほぼ完全雇用状態にある。しかし、これはよく言われるが、労働市場が流動的な国では、自然失業率高く出る。国ごとの単純比較で失業の質は分からない。上記の流動的なキャリア形成を実現した場合、当然転職が増えることになるので、失業率は上がる。政治的な争点としては、もちろん批判の対象になるだろうが、雇用の質を改善するには必要な政策。また、現在のハローワークは若干懲罰的で、失業期間を支えるセーフティネット整備も合わせて必要だろう。
ただ、政治的な配慮の上、論点を探られたくなくて、わざと混乱した資料を公開したのであれば相当の策士だと思う笑
興味のある方はこちらもどうぞ
痴漢疑われた男性逃走 ビルから転落し死亡 | NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170512/k10010978981000.html
なぁ。
誰を恨めばいい?
どこに怒りをぶつければいい?
同じ人間が、電車に乗っていたら突然に将来を奪われ、挙句に自殺だ。
なんて叫べばいい?
女を恨めばいいか?
尻触られたぐらいで、人1人の人生奪いやがって、殺しやがって、本当にそいつが触ったのか?別人じゃないのか?
いや、女は悪くない。
春になったから余計に多い。
じゃあ痴漢した奴が悪いのか?
痴漢してたらそれは悪い。
してない事を証明しろだなんて悪魔の証明じゃあるまいし馬鹿げてやがる。
悪だよ。
馬鹿かよ。
証明も証拠もなにもないのに「女の子泣いてるし、死刑!ちーん」って馬鹿かよ。
ここは暴利を貪り人命軽視の利益優先。
マジモンのクズだよ。
ホームドアも付けない。
問題は”どうやって”北朝鮮の体制を潰すかであり、もっと言うならば”どうすれば、体制崩壊の混乱に伴い核&ミサイル技術の流出を避けられるか”だ。
元増田も指摘している通り、結局のところアメリカが北朝鮮を無視できないのは核兵器&それを運ぶ技術(弾道ミサイル)を持っているからだ。その点に異論は無い。
だが、不確定要素は多いにせよ、まだ北朝鮮しか技術を持っていないならば、差し迫った脅威にはならない。
金正恩にしても別に『自分の命に代えてもアメリカ人or日本人は絶滅させねばならない』のようなことを考えているわけではなくあくまで自分たちの生き残りを考えていて、
同時に「核を使ったら流石にアメリカも無視できないし、それで全面戦争になったら自分たちは絶対に勝てない」と金正恩は考えているだろうことを踏まえてアメリカも中国も動いている。
「北が核を使えば、アメリカは武力行使する」。相互確証破壊とはそういうことだ。
この前提が通用しなくなるのはどういう時かというと──北朝鮮がよく分からないけど物凄い勢いで国力を伸ばしたらそれはそれで覆るが、それは十年二十年どころかもっと先の話だ──核とミサイルの技術が流出する状況だ。
中国とロシアは、この点において北以上の技術を持っているから今更流出しても変わらない。韓国や日本に流出した場合、多少のパワーバランスの変化は起こるだろうが、それも喫緊の脅威ではない。
アメリカにとってもっとも困るのは、技術がテロリストに流出する場合だ。
先述したとおり、「北朝鮮が」核を使ったならば北朝鮮に報復攻撃すればいい。だが、テロリストが北朝鮮から流出した核技術を使い、アメリカや欧州や日本でテロを起こしたら、どこへ報復攻撃すればいいのか直ぐには分からない。相互確証破壊が成立しなくなる。
だからアメリカは単に北朝鮮を潰せばいいというものではない。問題は、北朝鮮崩壊の混乱に伴い、核燃料や技術がテロリストに流出する可能性を可能な限り潰さねばならない。
そちらの十分な目処まで現時点でついているのかというと…………おそらくCIA案件だから読みきれないが、一朝一夕にその目処が立つとは思えない。
だからもしアメリカが北朝鮮に全面的に(陸上兵力まで投入して)潰しにかかるとすると、『オバマ政権時代から核流出を阻止する目処は立っていたが、政権として武力行使をためらっていた』というケースだろうか。
ネットは「アニメの全体」学べる小さな社会 「眼鏡」監督に聞く
http://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/
https://dot.asahi.com/wa/2017040500085.html
・少人数チームである
・最低限の質を保って、できるだけ早くこまめにリリースする(12.1話も同様)
・フィードバックを反映する
・それらを実現するための体制を作ったり、工夫する
アニメみたいな創作でもこういうのできないのかなってずっと思ってたけど
監督がエリック・リースに見えてきた(年も同じくらいだと思う)
あと足りないのは数値分析だな(仮説検証は無意識的にできてるだろうし)
誰かたつきに青い本を渡すんだ
ただしこれは他が一朝一夕で真似できるものではないと確信できる
やろうと思っても5年はかかるし中々芽を出すのも大変だ
それよりならこれまで通りやった方が確度が高い
関係ないけど、今回のスタッフの中にはirodoriメンバーが入ってるっぽいね
(IIの続きです)
共感してくださる方、自分も頑張ると言ってくださる方がいらしたこともまた救いでした。ありがとうございました。
わたし自身が願望と現実の差に疲れ果てて書き込んだ身なので、大きなことは言えません。一緒に前に進もうとすることくらいしかできませんが、わたしがここで救われたように、それが少しでも励ましになれば幸いです。
自分を肯定し、人としての自信を持っていきいきと振る舞える女性になれたとき、どこかでお会いできたらいいなと思いました。
年下を好きな方に対して、そういった扱いをされる方がいらっしゃることに驚きました。自分が年上の場合、見栄を張ってしまったり、助言を素直に受け入れづらい場面が増えるのではという印象があるため、わたし個人としては器の大きい方なのだろうと感じた次第です。年下を好きな女性、素敵だと思います。
名曲としか言いようがありません。わたしも主体性というオールをしっかり握りしめていきたい。
言い訳をせずに向き合うことも、これからの自分次第ですね。自分なりに努力をしたから、と、そのときの自分を認められるように頑張ります。
人の手を汚すことでも自分の手を汚すことでもないと思うので、搾取された以上のものをこれから積み重ねていきたいです。
書き込みをしたときの心境から言えば、二度と立ち上がれなくなるくらい叩かれたいという自暴自棄も多分に含まれていました。
結局そのあたりも、自分自身で動こうとしない傲慢さの表れだったのだと感じています。
人としての在り方自体も考えていくべきだと痛感したので、人間性の充実をはかりながら向き合うくらいで丁度いいのかもしれません。
コメントを拝読して、あこがれが度を超え親友たちを神聖化していた面もあるのでは……とはっとしました。親友だと思っていたわりに、彼女たちときちんと向き合うことも放棄していたのかもしれません。
一人ではないことに気がつけたので、いずれは同じ思いを抱えた人のことも支えられるようになれたらと思います。
- これおっさんだったらおもろいな
だったらわたしも笑い飛ばしてすむ話だったんですが、いかんせん現実なのでこうなりました。
なんの救いにならないとしても、理解することで視界が開けると世界は大きく変わりました。ありがとうございます。
- 「愛されるよりも愛したい真剣で」
こちらもまた名曲ですね。人を愛することもそうですが、自分を愛することに対する能動性も身につけていきたいところです。
そんな未来を自分で掴めるように、自分も人も愛せる人間になりたいと思います。
人間には何かしら欠点があるという当たり前のことを知っていながら、自分の問題になった途端そのことをすっかり忘れていた気がします。友人たちとは長所も短所もひっくるめての付き合いですし、恋愛だからといってそれが適用されない道理はないですね。
- 乙女ゲーやろう
10代の頃に少しプレイしていたのですが、主人公に自分を重ねてキャラクターに愛してもらう、という感覚になりきれず途方に暮れた思い出があります。
心底そう思います。ありがたいことです。
自分でさえ見えていなかった本質を言語化していただき、コメントを前に何度も頷きました。自分の人間性を自分が一番信用していなかったのだと思います。
はい。いただいたコメントを糧に前を向きます。できることから一つずつ。
すべてのコメントを挙げさせていただくことが叶わなかったにも関わらず、まとめただけでもこれだけのお言葉をいただいたのだと改めて実感しました。
自分自身のことさえ見えずに(あるいは見ようともせずに)自尊心や願望を書き散らし、傲慢さを振りまくばかり。あの書き込みは見るに堪えない内容だったことと思います。
そんな書き込みでも、さまざまなコメントをいただいたこと。そこから多くの発見が得られたこと。これからの自分を考える切欠をいただいたこと。前を向く力をいただけたこと。
マイナスの部分しかない内容でしたが、不格好でも外に向けて自分を表現したことに対する成果としては身に余るほどの幸いです。
冒頭の通り、元の書き込みも、この書き込みも、今後立ち止まったときのための戒めとして残しておきたいと思います。
一朝一夕に変わっていくことは不可能でも、今のわたしを大切にした時間の先に、これからのわたしがあるのだと知りました。
次に増田へ書き込みたいという意欲が湧いたときには、人生楽しいぞ!という話ができる素敵な人でいられるよう毎日を重ねていきます。
本当に、ありがとうございました。
これは何も日本人に限らないことだけどさ。
普段どうやってるとか実際にどうかとか全く興味ないけど叩きやすそうだから叩く対象として今あなたに興味を持ちましたよみたいの多くね。
それが遊びや暇つぶしの世界だけならまだしもマジメに世の中の情勢語ってるときとか仕事の時にまで叩く対象としてのあなたには興味がありますけど結果を認める対象としてのあなたには興味ありませんみたいな態度取りまくってんじゃん。
いい加減そういうのやめねえか。
何かを叩ける時だけ生き生きとするのさ。
さっきまでボーっとしてたオッサンが噛みつける相手見つけた途端目をギラギラさせて喋りだす光景とかもう見たくねえよ。
本当にかっこ悪いもの。
叩いてマウント取って精神的に優位に立って一瞬気持ちよくなりたいってスケベ心出さずに生きてみれば少なくとも少しは格好良くなれるぜ。
そういう薄汚いこと一切しない人間だって評価は一朝一夕で得られる物じゃないけど、ちゃんと積み上げていけば見てる人はしっかりああコイツは信用できるなって評価するもんだから。
一瞬一瞬の上っ面しか見てない同士で醜い煽り合いしながら生きていく低いステージの人生を送ったままでいたいなら止めはしないけど本当にそれでいいのか。
保育園落ちる可能性が高い事なんて最初から分かり切ってるよね?
国が悪いといくら言った所で、その状況が一朝一夕に変わるわけがない事も。
なら落ちた時にどうするか考えてから妊娠するのが当たり前では?
実際世の中には、保育園入れなかったら退職すればいいや、って人もいれば
妊娠直後か下手すりゃ妊娠前から滑り止めの認可外予約してる人もいる
親だのシッターだのを頼って乗り切るつもりという人もいるし
いずれにしろ、そういう対策を考えてから妊娠するものではないの?
保育園落ちたから退職せざるを得なかった日本氏ねって人たちは、
退職せざるを得ないかもしれない事は妊娠前から覚悟の上じゃなかったの?
対策考えてたけど妊娠中に状況が変わった、ってなら気の毒だけれど
(専業になる予定が夫がリストラとか、親に頼るつもりが倒れたとか、激戦区じゃなかったのに近くにタワマン建って今年から阿鼻叫喚地獄になったとか)
大多数の人はそうじゃないよね?
地雷原に突入して地雷踏んだ!片足吹っ飛んだ!地雷撤去しない国は氏ね!って言われても