はてなキーワード: ライバルとは
こういう事を言う時、自分がやられた側だったという設定を持ち出すと有利なことを俺は知っている。
だが俺は今回その裏技を使わない。
それをやってしまうと「本当にコイツが被害者だったのか確かめようぜ!」という方向に躍起になる奴らで溢れてしまうのも知っているから。
最初に言っておくが、俺が語れるのは俺のうろ覚えの光景だけだ。
当時のことなんて俺はもう正確に覚えてないし、グーグルもまともに引っかからない。
ジオシティーズやニフティのブログは消えていき、2chの過去ログも闇の彼方だ。
俺が物心つく頃には粗悪な中国製品を笑う文化が日本には根付いていた。
中国製=安物というイメージがあり、その一種として偽ブランド商品(SONY→SOMYとか)から発展した中国パクリ文化というイメージがあった。
日本と中韓の関係がどこらへんから悪化したのかはよく覚えてないが慰安婦問題とかでいよいよヒートアップしたように思う。
嫌韓流というどストレートな名前の漫画が発売された時期が2005年だったので、この少し前が嫌韓の加速下敷きであり、ここから5年ぐらいして下火になったはずだ。
当時の嫌韓がどんなものかといえば、主に「日本経済の深部に潜んだ日系韓国人が特権階級として利権を享受しているので倒そう」「韓国人は生活保護を不正受給している寄生虫だ」「韓国が日本のパクリで金儲けしていてズルい」「韓国人はキムチ臭い。あとウンコを食う」「韓国国内では日本を叩くのがブームだ」辺りが盛んに言われていたと思う。
2ch発祥のニダー<ヽ`∀´>というモナーのエラを張らせて目を尖らせたキャラクターが韓国人ステレオタイプの擬人化として作られ、このキャラクターに韓国にとって不名誉な発言をさせることがネットで大ブームとなっていたことを記憶している。
最初のうち嫌韓ブームは単なる外国人いじりだったが、それが段々と日本の国益を脅かす隣国との聖戦へと変化していった。
氷河期の影響で日本中が冷え込んでいたこともあり、不安に駆られたネット住民の何割かは「真実の悪」を求めて聖戦士としてネトウヨへ傾いていくのだった。
その当時のネットにおける韓国人へのヘイト行為は尋常ではなく、とにかく韓国人が日本人を嫌っているという扱いをされていて、そしてそのブームはテレビへも波及していった。
普通のおっさんがテレビで日本VS韓国のサッカーや野球の試合を見て、韓国人選手が卑怯な反則をしてくるんじゃないかと目を光らせ、怪しい動きがある度に韓国人の卑劣さを悪し様にあげつらうのだ。
そして韓国が負けた瞬間に、強豪国に勝ったかのような歓声がスポーツバーを包むのだ。
宿命のライバルではなく、倒すべき仇敵として韓国を扱う動きは日本中に広がり、政治家の中にも韓国へのヘイト感情を利用するものが出てきていた。
広がりまくった嫌韓のブームだったが、段々とその活性度は落ちていく。
韓国と日本の国交が正常化されたとか、日本人がまともになったとかではなく、他の興味対象が出てきただけだ。
2chで種火が産まれニコニコ動画で爆発した淫夢ブームと、なんJにおける超巨大ネットリンチ派閥 恒心教が、嫌韓ブームの中で暴れ回っていた暴徒たちを分散させた。
アメリカ発祥のポリコレブームにより人種を批判することは難しくなったことで嫌韓の勢いは衰えていったが、同性愛者を笑っているのではなく演技の下手さを楽しんでいるだけだという理論で淫夢は伸びていった。
同性愛者のアナルセックスをクソまみれと指さして笑うだけでは我慢できなかった者達は、より激しいリンチを求めて恒心教に入り、特定個人に脅迫状を送り付けたり、大声でウンチを漏らしているというキャラクターをつけて動画を作成したりしていた。
より安全で、よりホットで、より刺激的なコンテンツを求めているだけだ。
登場人物が小中学生なら「イジメよりも普通にサッカーしたりゲームするほうが楽しいぜ!」はハッピーエンドなんだろう。
でもいい年こいた大人なら「自分が楽しいかどうかばかりを軸にして考えるのは社会の構成員としての態度として正しくない」に辿り着けなきゃバッドエンドだ。
元嫌韓の者達の多くは、単にもっと楽しいものが見つかったから嫌韓を下りただけだ。
今でも反ワクで暴れている人、パルワールドを楽しく遊んでいる人、誰かのトレパクを見つけて笑っている人、AI絵師と崇められるのに夢中の人、色んな道に進んだが、多くの元嫌韓が「今自分が楽しめるか」ばかり考えて「その結果として他人が迷惑を被るか」なんて全然頭にないままだよ。
せめて「まだ時効と決めつけるには早いし、変なこと口走らないで黙っておこうかな」ぐらいの頭は働かせられるならいいけど、それさえ出来ないなら、もうネットに書き込むべきじゃないと思う。
過去の罪が突然飛んできて「貴方はこのときこんなことをしてましたよね?じゃあ弁護士に相談します」って言われないとも限らないんだぞ?
想像力を働かせてくれ。
他人の痛みを理解するだけの想像力をいきなり働かせるが難しいなら、せめて自分が訴えられないで暮らし続けるにはどうすればいいのかぐらいは考えて動いてくれ。
少しずつ頭使っていけば段々マシになるはずだから。
なんでフリゲが衰退したのかってことについて、1日ぐらい俺もこのことについて考えたんだけど、やっぱどうしてもここに行き着くんだよな。
フリーゲームって結局はゲーム買う金も作る金もない学生の遊び場なんだろうな。
その昔凄いフリーゲーム作ってた人が後々にプロになったりして当時の年齢を逆算していくと学生時代にやってたことが判明したりするじゃん。
学生時代の趣味の延長で大人になっても続けている人はいるけど、基本的にはやっぱ学生が作るものなんだと思うわけよ。
そういう意味では学生サークル製のゲームって凄く理想的な制作環境なんだろうな。
ニュー・スーパーフックガールがまさにそんな感じで作られていてこういうの実在するんだなと思ったし、凄くいい思い出になってるんだろうなとも。
作ってるのが学生なら、プレイしてるのも学生なんだろうと思うわけよ。
大人になるとゲームをやるにもタイパ重視になってきて、そうなるとフリーゲームってなんとなーくテンポが悪く感じるんだよな。
あと学生時代には読み込めなかった難しい本とが読めるようになると、作者の哲学に触れたいなら古い有名文学漁ってきゃいくらでも会えるじゃんってなるわけ。
そうしてくとゲームに求めるものは優れたレスポンスや入念なゲームバランス・レベルデザイン・経験値テーブル、そして美麗なグラフィックや豪華声優となっていくわけでさ。
すると少なくともインディーズゲームが最低ラインで、フリーゲームはちょっと刺激が薄すぎるようになっていく。
学生の場合は金が無いからタダなのが嬉しいってのもあるんだろうけど、それとは別に自分自身が作る側だから他のフリーゲームも遊んでみたくなるってのがあるんじゃねえかな。
同人誌即売会に参加する人は自分も同人誌作ってる人が多いのと同じで、素人同士でお互いに作品見せ合うってこと自体を楽しんでる感じ。
アレはまあ割りとオッサンも紛れ込んでいる気がするけど、お互いに自分の作ったのを見せあって互いに影響されあうのを楽しんでる。
ゲームを通して自分を晒して、他人がゲームを通して晒してきた赤裸々な部分を見て楽しむ、ヌードビーチ的なノリの文化があるんかなと。
まあそうなると結局楽しいのは作ってる人間同士だけで、フリーゲームを作ることに人生を使えない変に忙しいおっさん達は金払ってプロメイドのゲームを遊ぶようになっていく流れがあるというのが俺のイメージ。
まあ結局さ、「お前がフリーゲーム終わったと思うのは、お前がオッサンになって時間がないからフリーゲームじゃなくて有料ゲーばっか遊ぶようになったからじゃね?」って思うわけさ。
ぶっちゃけ作らない側だったとしても心のどっかで「まあ俺もツールがもっとよくなったら作る側に回りますし?その前にライバルの実力とかリスペクト対象とするようなロールモデルでも探しますかね?」と考えながら遊んでたんじゃねえのかね?
それがもう完全に自分はゲーム作らない側の人間だって分かり切ってくると、段々とゲームの奥に造り手の拘りを見出すセンスが錆びついていき、工数がバリバリかかったコンテンツからしか興奮を摂取できなくなった……こういう仮説はどう思うね?
まあぶっちゃけ、これは俺のことだな。
俺がまさにそうだったと思うわけだな。
なんかもうさ、フリーゲームやるのが面倒になってきてるんだよな。
というか名前の全然売れてないゲームに手を出す余裕が全然なくなった。
日本中でマジスゲーって言われてるゲームやるだけでもう時間がねえんだわ。
ブルアカとか原神とかウマ娘とかACVとかのメインストーリー追うだけでもう結構時間がカツカツっていうかな。
もうゲーム選びで失敗する余裕さえないんだ。
フリゲによくある後半の難易度急上昇とかぶん投げ脚本とかそういうのにつきあわされる時間が人生にもう残ってないような肌感覚というかだな。
ほんのちょっと話題になったフリーゲームを片っ端から齧って5時間10時間してから口に合わないって吐き出して次のゲームにどんどん移るようなバイタリティはもうないわ。
まあフリーゲームでもその年で一番面白そうな3つぐらいは遊ぶけどね。
5年に1度ぐらい急にやりたくなって3ヶ月ぐらいで10作ぐらいババって遊んでまた5年触れないとかそんな感じ。
そういうのんびりした距離感でフリゲ見てる自分からするとフリゲもまだまだ全然元気に感じるけどな。
インディーズに行ったゲームもあるけど、その前にフリゲとして公開して話題になったから完全版開発したとか、同じコンセプトのブラッシュアップ版を作ったとか、踏み台にされてる感じはあるにしろ後にインディーズで話題になる作者がフリーで公開してたりするわけじゃんか今も。
全然元気じゃねと思う。
ロザリオーとかそのうちやろうとしたんだけどさー気づいたらダウンロード出来なくなってやんのー。
でも今落とせてもやらなかったと思うわ。
シナリオがよくても何十時間もフリゲのSRPGやるだけの覚悟がもう俺にねえんだ。
魔法少女もはよやらんと公開停止になるんかなー。
今のうちに落とすだけ落とすかー。
普通のPCゲーでもWIN11対応してないからWIN10のうちに遊んでおかないといけないゲームがあったりするんだよなー。
もう遊べずに終わったゲームは諦めるか。
ワートリお付き合いしたいキャラ(順不同)
・ユーマ
可愛い。
お膝に乗せて色々お話し聞きたい。
・日佐人
可愛い。
・木虎
格好いい。
管理されたい。
・穂刈
格好いい。
・橘高
美人。
一緒にどっちがお風呂我慢できるかの風呂禁対決してたまった体臭で勝負する。
エッチだねえ。
1/26の15時頃、ウマ娘界隈に衝撃が走った
過去にウマ娘化されていない馬主の所有馬がモデルかつアニメ1期主人公のスペシャルウィーク産駒の超大物がなぜこんな何もないタイミングで…?
等々の戸惑いが起こる中、シーザリオの馬主であるキャロットクラブ(キャロットファーム)が最新の会報をWebで先行無料公開していることがわかった
https://carrotclub.net/office/news_dis_text.asp?No=4739
新ウマ娘のシーザリオも紹介されているので、これに伴う公表だったのであろう
私も読んでみたが非常に好意的かつヒットの理由を紐解く丁寧な記事やコラムに感動を覚えた
ウマ娘ファンはもちろん、ウマ娘に詳しくない人も是非読んで欲しい
同世代の牡馬にディープインパクトがいる史上初の日米オークス制覇
武豊によるいじわる(婉曲表現)をものともせずに差し切った日オークスも、圧倒的強さで現地実況を絶叫させた米オークスともに強烈だった
産駒からGI馬が3頭(いずれも種牡馬入り)、牝系からも重賞馬が生まれている
GI産駒の1頭エピファネイア(父シンボリクリスエス)は今や社台スタリオンステーションの看板種牡馬で
その産駒からGI3勝のエフフォーリアとウマ娘にも登場した無敗の牝馬3冠馬デアリングタクトが出た
そんな偉大な馬をモデルとしたキャラクターがウマ娘に加わることは、いち競馬ファン・ウマ娘ファンとして嬉しい限りである
なおウマ娘としてのキャラクターだが、競走馬・繁殖双方での優秀さが全面に出たものとなっており、同室の親友が誰なのか既に予想合戦が始まっている(同厩舎同馬主同世代のディアデラノビアが第一候補だろうか)
髪型にスペシャルウィークの特徴が出ているのもニクい。両キャラクターの絡みが今から楽しみで仕方ない
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
創通と共同で版権持って商売してたようなもんなんだから状況が違いすぎる
強いて言うならライバル・フォロワーだけど共作出したストリートファイターと鉄拳とか合同ライブやったアイマスとラブライブみたいな関係が近いんじゃない
同業の他企業は、「ライバル」「敵」とも言い切れない。時には身内、戦友、仲間だったりもする。
BTOBの業界では特に明らかだが、ソフトウエア開発のようなものを受託する時、自社だけでは請け負えなくて、溢れる部分については他社に持ってもらうことがある。範囲を区切って、自社分をはっきりさせて、他社分は発注元から別会社に仕事を渡すこともあれば、一旦自社で丸っと受託した上で他社に仕事を再度発注することもある。
このようなことを行う同業他社は(特に後者)一つの案件に関わる身内のような性格が出てくる。進捗をはじめとして情報の連携を行う必要があるし、発注元がいい加減な時に申し入れをする際は、ある程度事前に認識を合わせておいたりもする。
同一案件に入らない場合でも、コスト構造や行政から受ける影響なりといった状況も似ているので、協力し合うところもそれなりにあったりする。
いうまでもなく、自社固有のノウハウは他社には出さないとか、人事採用面では人の取り合いとして「敵方」に回ったりもするが、自分が社会人になるまでにマンガとかで見てたような「他社の奴らは絶対的な敵だ」みたいな単純な世界ではないのだと働き始めてから知った。
テレプシコーラは踊りを司る女神の名前で、「舞姫テレプシコーラ」はバレエ漫画である
ハンタのネフェルピトーの念能力の名前は、タイミング的には女神からではなく漫画から取ってると思われる
この漫画は現代日本のバレエ事情をよく描いていて面白いのだが、「バレエ漫画だよ」といって他人にオススメするには無駄に鬱展開が多い
一方で篠原妹の同級生・空美(クミ)ちゃんはろくにレオタードもシューズも買えないどころか風呂もなかなか入れない極貧限界家庭のブス
そんな空美ちゃんだが、伯母は元有名バレリーナで厳しく指導されてきたためバレエ技能は篠原姉妹を優に超える
伯母はバレエキチガイであり、飯が食えなくてもとにかく踊れという人間
「不遇な環境にあり軽んじられてる者が実はTUEEE」自体はありふれたプロット
でもそこで「空美ちゃんは親に売られてたびたび児童ポルノ撮影させられ、無職の家族を養ってる」という展開をブチ込んでくる
サッカー漫画や野球漫画でユニフォーム買えない貧乏少年が児童ポルノとかなかなかないだろ????
ポルノの世界は撮影者が被写体を誉めに誉めてお姫様扱いだからそれがクセになるみたいなのを聞いたりするが
空美ちゃんは「ブス入ってたほうが生々しくて受けるけど流石にブスすぎる」とか無茶苦茶に罵られながら撮られる
空美ちゃんはバレエの天才であることを認められ費用を免除された上で活躍したりするも、一家で夜逃げし、転校届けも転居届もどこにも出されず消息不明になる
空美ちゃんはその後再登場とかしない マジでどこでなにやってるのか不明 なんだよこれ
第二部に、経歴が怪しげで謎に包まれた美女バレリーナが登場し、見た目は空美と似ても似つかないが踊り方が空美の特徴そのものであり「空美が整形し出自を偽った姿」ではないかという疑惑を読者に抱かせる
結局その答え合わせはなく消化不良のままで終わる
どうも作者はドロドロしたものを混じえつつ書いていこうと構想していたようだが、ちゃんと取材したりするうちに気が変わってドロドロ部分を放り投げたんじゃないか
おっとりマイペースな妹と違い、自分に厳しく鍛錬し勉強もできて中学受験では進学校にも行く
空美ちゃんという、それまでどこかの教室に所属していたわけでもないのに自分を超える能力を持つライバルの出現に燃えて張り合い、スポ根する
日常生活を送れる程度にはすぐに治ったものの、バレエをやる上では以前のように踊れず違和感があって上手くやれない
おっかなびっくり稽古をするうちに再負傷、治療中に二次性徴を迎え、体のバランスが大きく変わる中で踊れないのはバレリーナにとって命取り
篠原姉は踊れないうちは体が育たないようにと食事をこっそり捨てるなど病んだ行動を取り始める
生活はできるがバレエには苦労という微妙な問題を国内で対処できる医者がおらず、海外のバレエに詳しい名医に見てもらおうという案が浮上
篠原家は小金持ちだが大金持ちではなく、借金しようかとか祖父母の家を売ろうかという話になる
国内で数回手術したのも苦痛だった篠原姉は、元に戻れる保証もないのに親に多大な負担を与えてまで渡航して手術するのを嫌がった
勉強はできるので、バレエをすっぱり諦めてアスリートを助けられるような医者を目指したいと母に言う
しかし母は「それは逃げじゃないか、もう少し頑張ってほしい」と返す
篠原姉は学校からの帰り道に、タワマンに入っていく人を見かけ、ふらっと追従してオートロックを抜け、屋上から飛び降りて自殺してしまった
自殺までさせなくていいだろ
なんだこれ
スラムダンクの三井がバスケできないからって自殺するようなもんだ
篠原妹はバレエを続けていくが、周囲の天才であった姉も空美も消えていき、その他の子も勉強に専念とか美容体重キープを求められて摂食障害になったなどで辞めていく
M-1グランプリでの漫才の歴史は松本以前、以後に分かれるの惹句は盛りすぎ。ダウンタウンの漫才はさほど斬新でもそこまで面白くもなかった(勿論、新春ヒットパレードの外ロケで披露した2分間漫才を初見の所ジョージが絶賛するほどの力量はあった)。彼らの醍醐味はコントでより発揮される。「半笑い」という言葉に代表される日常のエアポケット、気まずい空気を言語化、表現(芝居)で笑いに昇華した。(ドリフやとんねるずのような)大掛かりな、特異な設定に頼らず飛翔と着地をやすやすと熟す。華丸大吉はごく初期の妖精コントに衝撃を受けて笑いを目指したという。斬新な世界観を伝えるためのメジャーリーガーのような細かな調整、テクニックを重視したコンビでもあった。中川家が一般人ものまね(新聞勧誘員の夫と行動を共にする妻)を初披露した時(明石家マンション物語)、その目新しさ、完成度に共演の有田上田、土田らは文字通り震え上がったのだが、さんまはこんなものは全国ネットで通用する芸ではないとクスリともしなかった(後にさんまが中川家に夢中になるのはご存知の通り)。ダウンタウンは修業時代にたまに花月の舞台に立ち、団体客のおっちゃんおばちゃんを爆笑させていたという。初見を独自世界に導く技術を備えていたのだ。さんま紳助巨人、上沼恵美子が初見で才能を見抜いたというが殊更自慢するような話ではないだろう。
ダウンタウンがいなくても(或いは当初の予定通り松竹入りしていたら)サンドウィッチマンや猿岩石、霜降り明星、トゥナイトは存在しても、バナナマンや日社など後続のNSC出身者は世に出れなかったかもしれない。「日本のお笑いの歴史は松本人志以前、以後に分かれる」は決して過言ではないのだ。
最近でも「キングオブコントの会」でオオボケ枠だった東京03豊本を進行役、ツッコミ役で機能させ、ライス関町の存在自体をフューチャーするといった見事な手腕を見せた。
増田が初めて彼らの才に舌を巻いたのはNHKが東西の若手を集め、お題で即興漫才をするコーナーで披露した漫才コント。浜田がトラックドライバー、松本は夜道に佇む怪しげな女という設定。僅か一分あまりの漫才が二本。その斬新さ、面白さ、完成度は同じ若手は勿論、ゲストの先輩芸人もおそらく、一手も間違いがない、将来は貴方のライバルとなると大山康晴が断言した羽生善治少年を見る谷川浩司の心境だったと思われる。
とりとめもなく長々と書いたが「一人ごっつ」まで視聴していた浅田彰(今年は眼鏡が流行る)あたりが解説、言語化してくれたらなあと思う。
「2人は東京・堀越高校の同級生。3年間を共にしたクラスメートで3年生のときに交際に発展したよう。欠席が多かった剛は女子との交流が少なく、修学旅行がきっかけで打ち解け合い、ハーレム状態になったという話は有名。そのうちの1人が山口だったといいます。2人の共演歴はなく、当時、山口がまだ無名だったために周囲は交際に気付かなかったとも」(芸能ライター)
そして2001年4月、当時21歳だった2人の熱愛を『FRIDAY』(講談社)にスッパ抜かれた。同誌では、堂本の自宅に一泊した山口が顔を覆うようにマフラーをぐるぐる巻きにして朝帰りする姿が掲載されたのだ。
「交際が4年ほどとなり、山口も次第に名前が認知され出した頃。一方の剛は相変わらずの人気で多忙を極め、キンキとしてもリリースする楽曲は毎回1位を獲得し、主演クラスの役者へと飛躍していた時期。当時は大きな話題となりました」(前出・同)
「当時のジャニーズ事務所は恋愛に対して厳しい対応で、交際していたとしても否定せざるを得ない状況だったのでは。2人は破局や復縁を繰り返しながらも、一部では山口の両親や家族に剛を紹介し、公認の仲だったという話も。さらに、2001年11月にキンキがリリースしたシングル『Hey! みんな元気かい?』のカップリング曲で剛が作詞した『愛のかたまり』の歌詞の一文にかつて山口が語っていた『好きな男性の香りを街中で感じた時には、渋谷駅からセンター街まで尾行したことがある』というエピソードが歌詞の内容と酷似し、交際を裏付けていると話題に。ところが、その後の2人に進展はなく、ファンの間では同事務所が2人を別れさせたとされています」(芸能関係者)
ところが、こんな噂もある。
「2人の同級生だった女優・ともさかりえが95年から97年にかけて剛と共演したドラマ『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)と同シリーズの公開映画をきっかけに、熱愛説が浮上。ともさかをライバル視した山口は剛をめぐって三角関係に発展したといいます。一時期は山口と、ともさかの関係が悪化したとも」(前出・同)