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はてなキーワード: 視聴者層とは

2018-09-25

今のVtuberに思うところ

去年の年末からVtuberブーム半年も過ぎ、あと少しもすればブームが始まり1年が経とうとしている。

私は流行る数ヶ月前からキズナアイ等を、ただ単に「可愛いな」って思う程度で見ていたので、現在こうなっているのは色々と驚いている。

ただ、流行って数ヶ月の時点で疑問に思っていたが、現状を見ていると尚更考えてしまうのは、

「これをVtuberでやる必要性無くない?」というVtuberが多い事だ。

ゲーマー系な奴がゲームをメインにやったり、アイドル系が歌ったりする動画を出したり、配信するのはまだ分かる。

だが、そういう系でもないのに雑談配信したりゲーム配信しまくるのは、それはもう、

素顔出したくない奴がキャラの皮を被ってやっているだけの存在ではないのかと。

余興として、たまにやる分ならともかく、それをメインにしてしまっては本末転倒ではないのかと思う。

折角、2D3D関わらず二次元世界での外見が与えられ、設定も与えられたキャラクターなんだから

そのキャラクターじゃないと出来ない事をやって欲しい。

まれキャラクターで、三次元現実とは違う物語を作って欲しいと考えてしまう。

有名な所で例を挙げると、鳩羽つぐやミソシタなどが該当する。

二人とも3D勢だが、3D勢ならVRなど現実では出来ない事をメインにやったら面白いと思うし、

2Dだって物語を作って展開させるのも面白いかもしれない。

正直な話、私もここまで言いつつもVtuber配信はよく見ているし、面白いと思う事もある。

でも、皆が皆、右へ倣えで雑談配信したりゲーム配信するのは、

Vtuber界隈としても停滞してしまうのではないのかと考えてしまう。

現に、個人的感想になってしまうが、どの配信動画を見てても、似たり寄ったりでマンネリを感じてしまう。

極一部しか見てない人ならともかく、複数いるVtuberの生配信を、

リアルタイムアーカイブ含め追うのを疲れてきている者もチラホラと見受けられる。

Vtuberになる者は未だに増えているが、現状が続くとなると視聴者層は今以上に減るのではないかと思われる。

多分、現状が変わる事は無いと思うし、そう長くないうちに大半が引退等で消えてしまうだろう(長く見積もっても10年以内)。

残るのは極一部のVtuberだけで、視聴者も減り、Vtuberという存在単語だけの存在になってしまうのかもしれない。

2018-08-01

半分青いの女優の演技

そろそろ設定年齢が実年齢をだいぶ追い越したせいなんだろうけど

演技下手だなぁ…

というかいまの旦那(の俳優)の組み合わせも最悪だ

あの絵面で「現実を見てない夢追い人」と「生活疲れた漫画家志望」の組み合わせだなんて誰も思わないだろう

「もう若くないんだよ!?」の学芸会感、メインの視聴者層はどのように受け止めたのか

美容室に置いてある髪形カタログみたいなドラマ

2018-06-29

ひそねとまそたん

ついったーでは「面白かった」「泣けた」という感想散見されている

ここまでくるとギミックや背景や理屈を"説明"しなかったのはメイン視聴者層的にも結果的にも正解だったのではないかと思えてくるな


えすえふな要素が出てきたらそれの解明を劇中でしてくれると無邪気に信じるのはオタクだけだという時代になったのかもしれん

全部その回限定舞台装置だと考えるとむしろ意図が見えるもの

インストリーラインだけは完走してるしね

2018-06-22

VLOGYoutuberが好きだ

VLOG(ヴィーログ/ブイログ)とはVideoLOGの略称で、BLOGテキスト日常ログであるのならば、VLOG映像日常ログという表現が解りやす

日本でよくあるような室内で商品レビューをしたり、ゲーム実況したり、馬鹿騒ぎしたりする日本Youtube動画フォーマットとは違い、北米を中心として発展した動画フォーマットで彼らをVLOGgerと呼ぶ

基本的アウトドアであり、普通日常生活で行った商店街飲食店ウォーキング自転車自動車移動、旅行などを一人称視点で時にはトークを交えながら日常を紹介するという動画フォーマット

商品レビュー日本のものとは一部違う部分があり、最大の違いが日常を映すというフォーマットなため商品レビューした商品が後日のVLOGにも登場し、使い続けている様子を観ることができるという違いがある(つまりレビュワー長期間使っている商品こそ良い商品だと判定できる)

日常映像・音声問わず不快な雑多なノイズが多いため、それらを機材や収録技術などで可能な限り廃して品質劣化を少なくしようとするというのもVLOG文化の特徴の1つ

映像作品としての性質も持ち合わせ、ドローンからの美しい空撮や、アクションカムによる激しい動き、洒落トランジション、挑戦的な色味表現など、日本によくある室内型では編集効率上で廃されてしまう部分にもこだわっているVLOGも数多い

個人的面白く感じるのが、特別な日にフォーカスしたものばかりてはなく、ホームビデオかと思うような本当に極々普通日常を切り取っているVLOGgerが少なくないこと

チキンレースのように過激表現に向かうのではなく、切り取られるのは日常の大切さや、家族愛友情、そして故郷の様子などであり、本当に普通生活を送る人がVLOGというジャンルYoutube動画投稿をしている

VLOGの影響は室内型で人気を博したYoutuberにも及び、突然人気YoutuberがVLOGという単語を用いて動画投稿をするなどの現象が起きている

ただ、既にVLOGへ興味をフォーカスしている人々は知っているだろうが、VLOG積極的投稿するのは30代以降が多く、その視聴者層も同様に30代以降が主流で、若者流入が非常に少ないという面を持っている

これは撮影機材やパソコンなどにこだわり始めると資本的な余裕が必要になること、映像制作動作編集一定以上の知見が必要なことに由来すると思われる

しろ1020代若者最近の興味はVLOGgerではなくVTuberの方で、刺激を求める彼らが何の変哲もない日常を切り取ったVLOGは少々つまらないのではないかと感じる

日本で主流の室内型Youtuberがどうにも合わなくてYoutubeをあまり観ないという人は、一度VLOG検索し視聴してみては如何だろうか

2018-05-21

ダリフラの異常な海外人気ってなんでだろう?

海外スレの反応見てるとすさまじい反響がある。

4chじゃスレ乱立しまくってるし、redditでも放送後のスレコメント数が他のアニメの数倍ある。

こないだTwitter脅迫騒ぎがあったけど、コメントしてるのは英語中国語だらけで日本語ほとんどない(もちろんわずかにはある、擁護リプだけど)


向こうの人にも軽く質問してみたら、re:zero視聴者層が被ってるなんて話聞いた。


海外日本の反応の差はなんだろうね。

2018-05-15

anond:20180515100200

ドラマ中心に中年女性主人公ヒーローはいくらでもあるけどな

「私失敗しない」とか「科捜研の女」とかスーパーヒロイン民放連ドラマに、実在人物モデル女の一生をおばさん期も含めて描くNHK朝ドラさらに2時間サスペンスドラマにはコミカルなこれぞ「ザ・おばさん」というコテコテのおばさんが事件解決するヒーローとなる。

 

そういうのに目が届かずに「魅力的なおばさんがいない」と言う意見が出るということは、やっぱり求める「魅力的なおばさん」像の意識が、アニメ視聴者層一般とで全然違うのだろう。

 

2018-02-24

anond:20180224172557

あれは五輪視聴者層に「え、バブリオヤジってこんな気持ち悪い(願望をもってるという前提でターゲットマーケされてる)の?」とドン引きさせる最高のエンタメだよね

2018-02-05

はあちゅうは鈍感だからHIKAKINになれない

はあちゅうがこんなツイートをしていた。

>私はお金を使ってくれない人はファンとは呼ばないと思う。クリエイター活動を続けるためにはお金絶対必要なので、お金を使って才能を伸ばすことに貢献してくれる人がファンだと思う。本を「くれるなら読みます!」イベントを「タダなら行きます!」とか言われるの腹立つ。それはファンじゃない。

https://twitter.com/ha_chu/status/959962555719405568

クリエイター活動を続けるためにお金必要なことは理解できるが、だからと言って、金銭的な支援をしない人はファンじゃないなんて言ってもいいのだろうか。

HIKAKIN氏の主な視聴者層小学生だと思うが、HIKAKIN氏の年収はこの小学生たちが支援したお金が大半なのかというとそうではない。視聴者動画を見ることでHIKAKIN氏を支援し、HIKAKIN氏は広告収入を得ている。そしてここから収入が大半だそうだ。

では、HIKAKIN氏は普段から自身動画を見てくれているが、お金を使っていない小学生たちをファンと思っていないのだろうか。

そんなことはないはずだ。それはHIKAKIN氏の過去ツイートからも分かるので、ぜひ見てみてほしい。

https://twitter.com/search?l=&q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%20from%3Ahikakin&src=typd&lang=ja

お金を使っていなくてもクリエイター支援する方法があるにも関わらず、「お金を払ってくれない人はファンじゃない」なんて言うのは、クリエイターとしていくらなんでも残念すぎる主張ではないだろうか。

その後もクリエイターとして残念なツイートがあるが、最終的にはこんなツイートをしていて悲しくなった。

スターバックスファンですけど、お金がないかコーヒーは買わず無料の水で店内で2時間粘ってます! は絶対成り立たないのに、こんなことが議論になることすらおかしな話です。

https://twitter.com/ha_chu/status/959995933751631872

これに関してはそもそも前提が違う。

これが成り立たないのは、スタバが想定していない席の利用だから非難されるのだ。飲食店における座席は、店内で購入した飲食をするスペースであって、お金を払っていない人が非難されるのは当然の話。

からと言って、「お金を使わない=ファンじゃない」ってことはない。はあちゅうさんが下手な比喩を使ったから、話がややこしくなったので整理しよう。

お金を使わなくても別の形で貢献し、(HIKAKIN氏のように)本人にメリットがあれば、それは立派なファンだろう。

それに対して、無料の水で二時間粘っても、スタバにとっては何のメリットもない。

両者はメリットの有無に関して前提から異なっているので、そもそも引き合いに出すような話では無いのだ。自分で前提が違う話を持ってきているのだから、成り立つわけがない。

話を戻すが、価値を認めてくれた人からお金を貰うのは構わないが、お金をくれないからと言って、価値を認めてくれていないということはない。

別の形で自分に貢献してくれて、メリットが有るのなら、ファンと呼んでもいいじゃないか

すべての創作物所詮、無くても生きていけるものである戦争が起きたときはあちゅうさんの文章にいったい何の価値があるんですか?

そんな無意味もの価値を認めてくれているのに、「お金を使ってくれない人はファンじゃない」なんて鈍感なことが言えるのは、別の形で自分自身に貢献してくれている人に失礼極まりない。

価値が認められなくなったとき、困るのは自分たった一人であることに一刻もはやく気付けることを、お金を使わない一人のファンとして祈っている。

2017-12-18

anond:20171218123844

テレビ視聴者層として取り込みたいのはネット動画しか見てない層なので

そういう層にウケたウーマンを持ち上げたんだと思ってるよ

本当に面白い漫才してる人はこんな番組で優勝だのなんだの取らなくても人気になるよ

2017-11-20

ゲーム実況

ここ数年で誕生したジャンル

実況者がゲームプレイし、その様子を動画として投稿する。

実況するゲームは様々である。1人用ゲームレトロゲーム、最新ゲームネットゲームなど。

実況者が複数人になり対戦用ゲームを実況することもある。

視聴者にも、様々な層がいる。

ゲームプレイする環境がないけれど、そのゲームを楽しみたい、もしくは、昔遊んだゲームを懐かしみたい、など。

プレイが面倒で、ストーリーだけ楽しみたい、っていう人もいるかもしれない。

そういう需要があるから、実況者も動画投稿する。

でも、最近は、実況者を見るために、ゲーム実況動画を見る、目的ゲーム<実況者となる人が増えている。

多くの動画投稿しているうちに、実況者自身が人気となり、ファンがつく。

目的手段が入れ替わる、よくあるパターンである

こうなってしまった実況者は、次第に、自分のやりたいゲームや、自分面白いと思ったゲームではなく、流行りのゲームプレイしていく。

ゲームを楽しむことより、再生数を稼ぐことに躍起になる。

実況者を見て楽しむ視聴者は、ゲームを見るより実況者を見ることに忙しいから、これで関係は成立する。

しかし、ゲームを実況として楽しみたい視聴者には、ここで不快な思いをすることになる。

実況者は自分を見てくれる視聴者をメインとして動画製作する傾向が強くなるのである

まりこれは、ゲーム攻略していくことを疎かにする原因となる。

進行に関係ないところで時間をとる、プレイミスでウケを取る。

正直イライラするよ。

俺はお前のリアクションを見たくて動画見てるわけじゃねーんだと。

いや、実況が上手くて、ゲームとして成立しながらも面白いトークができる実況者もいるし、そういうのは大好きだよ。

なんかよくわからないけど人気になっちゃって適当トークしても許されちゃう風潮だからそれに甘えて稼いじゃおっていうのが大嫌い。

あとそれを好んで見る中身スッカラカンの視聴者層

ただでさえ内容のない動画を更に薄くしてるのに気付いていますか?

2017-11-05

男性向けアニメの方が平和な件

難民アニメって主に男性向けだけど

女性向けのどのアニメよりも平和で優しくてなんか不思議

女性向けのとことん優しい系アニメ足りてなくない?

 

__

 

ブコメなるほど

からさまに女性向け(=男キャラだらけ)で

優しさやほのぼのを売りにする日常系ってそもそも成立しづらいな

全員男キャラで全員泣けるほど優しいアニメってのも個人的に見てみたいけど

 

そういえばヘタリアってのを今思い出した、見てないけど

 

__ 

>というか日常系男性向けだと言ってしまっていいものなのかな 

 

いわゆる日常系特に難民枠の日常系)は、予想以上に男性向けだ

視聴者層を見ると、ビックリするくらい男性に偏っている、女性も1割程度は居るようだけど

最初自分も「このアニメは万人に愛されるに違いない」とか思ってたけど、実態は違うようだった

まりあジャンルは、ギャルゲーと同じく「女性同士はこのような会話をして欲しい」「このような会話をする女性同士が見たい」という男性の願望なのだろうと予想してる

女性視聴者が少ないのは、現実とのギャップに依るものだろうか??

 

という前提に立った上で、男性向け(作者も男性)なのに優しい話多いのは不思議だなぁと思った

何か飢えているのか、逆に新鮮に感じてしまうのか

 

ブコメでもあるけど、女児けがとても近い雰囲気なんだよね

女児アニメを見る男は難民枠も見てるイメージがあるがどうだろう

身体おっさんだが、中身は女児みたいな人が一定数居るのか?

あるいはおっさんの中の女児の部分に刺さってるのか(どんなだ)

 

女性が描いてる日常系とかもたくさんあるし、面白いんだが

一定対立が描かれることが多い気がする(りぼんとか。流石になかよしまでいくとなかよしなんだけど)

難民枠は異常なほどに対立がなく、あったとしても5分ももたない

 

あれ、でもけもフレはどうなんだろう

女性結構見てるっぽいけど

でもあれはそもそも枠にはめられるような代物ではないか・・・

 

___

 

まだまだ開拓が終わってない可能性もあるね

女児なお兄さんがいるなら、頭女児なお姉さんはもっといるよな?

2017-10-22

anond:20171020223313

まずはてなーアニメを語る時に見落としがちなのが、ターゲット視聴者層レベルな。

深夜アニメなんだから子供が見るわけじゃないだろーとか考えてるのは甘い。

 

んで、アニメガタリズで言うと「元ネタわかったー俺すごーい」って満足してるのが一定数おるねん。

https://www.anikore.jp/anime_review/11224/

 

キッズウンコチンコネタ爆笑してるのを批評してるようなもんじゃぜ?

2017-09-23

anond:20170923113509

テレビを見る層の学歴に合わせてデザインされてるだけ。

翻って、テレビが育ててきた視聴者層がそういう学歴に収まっているという話でもある

2017-08-08

テレビ新聞情弱を騙せれば良いから質がどんどん下がっていく

テレビ新聞の主な購読者視聴者高齢者DQNなので、広告ターゲット高齢者DQN

新聞を読むことが教養の一部で、NHKスペシャルテレビニュース報道番組を見れば教養が身につくと信じている一部の人々だ。

高齢者DQNターゲットなのは広告を見ていればわかる。

インターネットで物を売れないが金を持っている高齢情弱企業テレビ新聞をありがたがって広告を出すのだ。

からテレビ新聞高齢者DQN向けの番組を作ったり記事を書いたりしている。

高齢者スマホを使わないし、使っていても有効な使い方ができい。DQNスマホゲームしかしない。

かくして視聴者層に合わせてテレビ新聞の質はどんどん下がっているのだ!

嘆かわしい。

2017-04-25

貴族探偵視聴率について

タイムリーネタをぶっこんできたり、小ネタがあって面白いところもあるとは思うんだけど、

つの大きなポイントが致命的かと。

その1

テレビ東京深夜かテレビ朝日の深夜でやってるドラマっぽいキャスティング

もうね、生瀬勝久刑事な時点で「トリック」か「警部補矢部謙三」じゃないかと。

あのクセの強さはもうトリックしか見えない。 その内、ズラネタぶっこんでくるんじゃないかな?とも思ってしまう。

Siri役、あれは仲間由紀恵無駄遣い…

他にも松重豊は今クール孤独のグルメの主役と掛け持ちであっちの印象が強いし、

滝藤賢一は俺のダンディズムで主演しているのも「テレ東感」が強い。

その2

月9放送である必要性が無い感じ。小ネタぶっこむドラマだったら、別に月曜9時にする必要性があったのか?

と思う。これは土曜深夜の枠だったら高評価だったと思う。

あとは他のニュース記事にも書いている通り、ヒロイン役にもう少し格上をキャスティングしてほしかった。

武井咲だと、「はつかーさんじゅにちぃーーごぱーせんとおっふーー」 って言いそうな雰囲気だし。

中山美穂は良い味出しているとは思う。武井咲役は石原さとみ綾瀬はるかガッキー上戸彩クラスキャスティングしてほしかった。

視聴率上げるにはどうするか?

1)小ネタもっとぶち込む。 出演者が出てた他のドラマのパクりネタを入れるとか。 狙った視聴者層では無い人には人気が出ると思う。

2)出演者の強化。 1話完結ものなのだから、毎回犯人役として大物俳優女優)をキャスティングする。

 ここ半年以内のドラマで主演張ってたクラスとか。 嵐のメンバー出演はマストでしょうな。

2017-04-09

けものフレンズのヒットは世相を反映してる説

見た目に騙されがちなので、まずCGという要素を取り除いて考えてみたい

 

するとこのアニメの要素は

 

・旅、出会い友情

世界の謎

・ほのぼの

・ゆるい笑い

・ゆるいバトル

美少女動物園

 

あたりだ

 

無い要素としては

 

恋愛要素

人間関係的なシリアス(いわゆるドラマ

・流血レベルの戦い

・技名が出てくるようなバトル

学校のような舞台

・年齢の概念(先輩、後輩)

家族概念

 

などなど

 

簡単に言えば、これらの「無い要素」は中高生向けに作る際によく盛り込む要素で

それを一切排除した、「非中高生向け」に振り切った作品が盛り上がるというのは、今のアニメ視聴者層(世相)を反映していると思う

 

最近は、中高生向けなんだけど、メイン視聴者20代以上というよくわからん状況になっていて

舞台や要素は中高生向けなんだけど、ターゲット大人みたいな「股裂き現象」が起きていたのではないかと思う

おっさん中高生に戻ったつもりで作品を楽しむ必要があり、海外からは「何で日本アニメは皆17才なの?」なんて言われる始末

 

それを、完全に中高生ターゲットを絞ったのが「君の名は。

中高生要素を排除したのが「けものフレンズ」という風にカテゴライズはできるのではと思う

 

 

もう一点

何故中高生向けの皮を被った作品がこれだけ多いのか? だが

今は個別主義時代に入ってしまっていて、共通概念学校程度しかないのではないかと思う

共通概念が無いと、作品が作りづらいし共感も得にくい、それで仕方なく学校・あるいは学校的な作品が多くなる

 

翻ってけものフレンズを見てみると

テーマにしているのは「人間」「友情」「動物」「気候」など、視聴者層共通概念限界まで絞り込んだ物となっている

驚くのが、「年齢」「性差」「家族関係」「個体の大きさ」などもほとんど排除しているところだ

排除しきった上で、作中では余った差(例えば「得手不得手」)さえ積極的に許容するストーリーになっている

 

それらのおかげで、例えば視聴者家族関係がどうであれ、共通概念を作りやす構成になっており

話そのものに集中できるようになっている

 

もちろん、こういう作りは一般向けを目指す際によく使われる手法であり

作者の自力が完全に問われるため、普通は手を出さな領域

 

こういった分析をすると、今後のアニメで起こりそうな流れとしてありそうなのが

 

友情メインの作品が増える

キャラが男のみ、女のみ、あるいは性が無いような作品が更に増える(中高生向け要素を排除やすいという理由で)

 

があると思う。

以上です。

 

 

ところで、おそ松さんも同じカテゴリな気がするんだけどどうなんだろう(全部みてないんだよね)

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である

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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。

さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

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さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

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さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-22

今度公開される某映画について、

うそう、あれあれ。こんど公開される予定のあの作品ですよ、あれだよあれ。寝る前にあれのこと書きたくなった。

あれさ、予告を見る限り、細田守ファンタジー作品みたいなストーリーを匂わせつつ

岡田麿里作品のような思春期ローティーンの悩みや心の揺れ動きを描くような作りになっているように感じたんだけど、

今のところいったい誰がこの作品を見に映画館へ足を運ぶんだろうかと、すごく心配になるんだよね。

まず映画館一般の人が予告を観たとしても、”よくわからないオタク向け萌えアニメ”というカテゴライズがされる気がしてて

勝手な印象だけど、一般人萌えアニメへの拒絶反応萌え絵への不気味の谷のようなもの)に対していま流してる予告の絵面と内容では、

不気味の谷を超えてでも見に行きたい何かを提供していないように思えるんだよ。なので予告やCMを目にした一般の人に認知されて

その人達映画館に見に来るという状況にならないんじゃないかと感じるわけですよ。

次に、プリキュア的なプロットや必修化されたダンスなんかを作中要素に入れてるみたいなので小学校高学年くらいまでの女の子への

フックが効くように作ってるとは思うんだけど、どうしても上に書いたような萌え絵問題のせいでその子達のママさんの足は重いんじゃないだろうかと思うんだよね。

(今年のクリスマスの思い出にと、劇場萌えアニメを見せにいく母親がどれほどいるだろうか?)

あとさすがに女子中高生はJCJKにもなればプリキュア卒業してるだろうからいくらアニメ映画流行ってるからといって

わざわざ冬休み彼氏友達と連れ立ってプリキュアみのある作品を見に来ることは考えづらいと思うし、あてもなく映画館へ来た子や見たい作品が満員だった子たちがいたとしても

このアニメ作品を見るくらいなら公開終了が近そうな君の名は。か、この世界の片隅に へ流れてしまうんじゃないだろうかと思うわけですよ。

となると残るは我々男性オタクアニメ視聴者層となるのだが、これも心許ないんじゃないかな?

いかんせんオリジナル劇場アニメから深夜作品ゲームのように熱心な層の地盤もなくて

さらに今期の美少女動物園作品惨状を見るに、さすがの萌豚さんたちも食傷気味なんではないだろうかと思ってしまう。

尚且つ、XX周年記念作品だと銘打っているけどこの制作会社の記念作品からという理由リピート鑑賞するような

熱狂的な信者がいるのかも疑わしい気がするし...。

というわけで君の名は。聲の形この世界の片隅にと、好調な波が来ているさなかここは何としても

ひと山当てたいこととお察ししますが、個人的には2.5億と予想を立ててみました。

あと一ヶ月あるので広報さん、プロデューサーさん頑張ってください。

それじゃ、おやすみ

2016-11-18

NHKのせいでTVが見れない。公共TVを返して。

最初に要旨をまとめると

貧困家庭では娯楽のためだけのコストとしてNHK代は受け入れがたい

貧困家庭でもスマホ必要なので、最低限必要情報はそちらから入手できる。

相対的TV価値が下がる

NHK存在公共TVを潰している。災害時の連絡網としてのTVを潰している

NHKがなければ、もしくはスクランブル化すれば、民放貧困家庭に対し、通信量のかからない高画質動画メディアとしてアピール可能NHK民放から顧客を奪っている

どうも、貧困家庭です。

自活できないほどではないけどギリギリ生活をしています

こんな生活だと、削れるものは削ることになります

娯楽に、仕事必要スマホは月1000円のプランです。

近頃はLINEで連絡事項を伝えるというイカれた動きや、

派遣の一部では、日々の勤怠連絡にスマホ必須という社会になってますので欠かせません。

底辺であろうと維持しないといけない必要経費なんですね。

携帯電話だけでいいとこはほんと稀になってしまいました。

仕事選択肢を広げるためにも、娯楽にも使えるスマホが月1000円。

TVを買うだけならランニングコストはそう高いものじゃないんですが、月1000円以上のNHK代は重くのしかかる金額です。

それに見たいのはNHKじゃなくてどこの曲でもいいのでニュース音楽番組、旅番組なんです。

1日の間でTVを見るのはわずかな時間しかも娯楽としてのみ。スマホ情報取得はそれなりにできる、となると貧困の中での取捨選択としては、TV優先順位を下げざるを得ません。

月1000円。そんなのがあればすき家の混ぜのっけ定食が3回食べれる、温泉に2回入れる、くりかえし読める本が買える。貧乏人としてはけっこう贅沢できます

最近職場TVを見る度に、ああ、TVがほしいなあと思っていますがその度に、NHK代がかかるから…と諦めている状況です。

公共放送自称するNHKのせいで、公共放送であるTVの視聴を阻害されるなんておかしな話だと思いませんか?

NHK契約者のみのスクランブルにしてくれれば、私はTVが見れるんです。

NHK災害時の放送を引き合いに出して、スクランブル化を拒んでいたと記憶していますが、

NHKのせいでTVをあきらめ、災害時にTVを見れない家庭は増えている現実はどう見ているのでしょうか?

NHK存在しなければ、スクランブル化してくれれば、災害時に民放を見ることが出来ます

NHKが嫌でTVを捨てた、諦めた人々という機会損失放送業界はどのよううに考えているのでしょうか?

NHKのせいで、民放各社は大きな機会損失を被っているのではないでしょうか?

NHK存在しなければ、民放無料TVは、Youtubeなどに対し、無料で見れる、通信料のかからない高画質な動画娯楽としてのアドバンテージを発揮出来るはずです。

一人暮らしスマホだけで暮らすような若者にはとてもありがたいメディアになるのではないでしょうか?動画を見るとあっという間に通信量がパンクしますので…

そんなわけで、民放各社でNHK圧力をかけ、スクランブル化をするか、NHK民放化してしまえば、インターネットに対しTVというメディアの少しの復権と、マスの獲得が見込めるかと思います

貧乏人といえど、数が集まれ社会の流れになります広告収入の元になります最近トランプ現象TVの、メディア凋落が叫ばれていますが、私はそんなことより、TVがみたいなと思ってますTVが見たいと思ってる貧乏大衆世論コントロールのためにも広告収入のためにも活用してみようとは思いませんか?そのために障害となるのがNHKです。

公共TVが取り戻されることを祈っています

無理なら今後もネット我慢ですね…

ただ、民放視聴者を増やし、世論ブームを作り、広告収入を増やすのが仕事ですから、いずれは放送業界のガンであるNHKをどうにかしない限り、今後も視聴者層は狭まっていくと思います

無料なら喜んで見たいという私のような人、結構いると思いますよ。

民放無料放送してんのにNHKのせいでTVという存在が有料になってる問題。真に公共放送を取り戻すためにもどうにかしてほしいものです

2016-09-25

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20160629010749

結構前の投稿だけど知らない間に、予想以上のブコメトラバがついていて驚いた。

フィクション全般否定しているように誤解されたのは俺の書き方が悪かったので反省

まあどっちかというと、そういう作品マンセーしてるやつが気持ち悪いってことなんだけど。

さざえさん等と誤解を招かないように、萌え系かつ日常系アニメって前提で話をすると

気持ち悪いと感じた要因の一つが、視聴者層が異常に現実を恐れていそうで怖いという点。

一部の奴の声が目立つだけかもしれないが、シリアスな展開が出てきただけで過剰に脚本否定したり、

キャラの登場や、存在を匂わすセリフ全否定したり、自分の見る幻想破壊されることを異常に恐れている感じがする。

アイドルタレント恋人がいることを嫌がる層も、幻想破壊を過剰に恐れていて、破壊された時御門違いの怒り方をするという点で似てる。

それこそフィクション偶像なのだから、都合の良さも悪さもまあフィクションだしな、と受容して楽しむ方法を見つければいいのにと思う。

から覚める瞬間の寂しさや名残惜しさ、作品によっては後味の悪さなんかも楽しむのがフィクションだろ。

2016-07-07

真夏の夜の淫夢ロンドンパンクは同じだ

緒言

 ついさっき、こんなエントリーを見かけた。

私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/20141116192322

 これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。

 その持論とはパンクロック淫夢根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツのものについて考えなければならない。

淫夢というコンテンツ

 ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢呼称)”とは、2001年コートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイトニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダル2002年の夏頃に週刊誌インターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。

 一方で、淫夢日本に於けるインターネット文化メインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画流行を発生される端緒となったMAD動画である霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画淫夢要素として登場したのが通称野獣先輩(役名:田所浩二)」である最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初アニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。

 そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢コンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツ占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つであるしかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである

ロンドンパンク淫夢

 パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアロック想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズ連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップ想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である結論を言えばハードメタルロック特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たち楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクセックスピストルズパンク代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢ムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである

 パンクロックの特徴の一つとして、演奏適当で、歌も酷く、歌詞過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。

 淫夢流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢アングラ文化である事に変わりは無かった。淫夢一般的にも受け入れられるようになったのは2013年2014年ごろの事である2014年の冬には女子中高生流行語として「微レ存」(“微粒子レベル存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。

参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン

https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba

 さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島問題が表面化し、更にGDPでは日中順位が逆転、対中関係政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)

 当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのもの淫夢価値として利用されるようになった。

 ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画占領するなどといった行為にそれは顕著であるニコニコ動画では卑猥動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画運営ある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造ロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズ契約を中途破棄した大手レコードレーベルEMIに対して中傷を加えるような楽曲EMI』を制作し発売している。

 かつては純粋同性愛者に対する侮蔑意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。

ロンドンパンク終焉淫夢の衰退

 ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズアメリカツアー中に解散し、それからロンドンパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバー喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズ時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。

 淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画淫夢流行りだしたとき流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。

 近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)

 淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画コメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値からまれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在淫夢では、無意味誹謗中傷を繰り返すタイプコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。

 セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである自分自身メインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンク現在淫夢というコンテンツ終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである

淫夢日本社会に残したもの、これから果たす役割

 攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。

 そしていずれも淫夢コンテンツに集っていた人間ユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的ムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツ占領する」という重要特性を発現し、それが日本アングラインターネット文化に与えた影響は大きい。

 パンクロックが「タブー無視した過激表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツ日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本一種意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢ニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツ拡散はこのコンテンツ特有事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。

 では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロック演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。

2015-08-30

Netflix vs Hulu日本では Hulu が勝つだろうなあ

テレビを観てる世代の大半は「昔の面白いコンテンツをまた観たい」という願望が強い

8時だよ全員集合、めちゃイケ、おかげでした、ガキの使い・・etc

Hulu日本テレビコンテンツに力を入れ始めている

そんななかでフジテレビ視聴率が底をつき、いよいよテレビ企業として倒産に追い込まれている

もし、先でフジテレビコンテンツ提供するようなことがあれば

テレビ視聴者層はどっと押し寄せてくるだろう

その可能性があるのは Hulu しかない

そして個人的にはギルガメッシュナイトが観たい・・

2015-06-04

フェミニスト大家非モテ芸人

爆笑問題のニッポンの教養 動画 「女と男仁義なき戦い上野千鶴子女性学)」 

http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-10689.html

番組開始して10分すぎても、上野さんがおもしろいことを言わない。

爆笑問題の2人は番組ホスト役だから聞き役となって、ゲスト上野に好きにしゃべらせている。テレビ番組としてだんだん困ってきたという感じになってきた。主役の上野自分テーマ提示として冒頭は好きに話していて、爆笑問題太田田中も相づちを打つような感じであるにも関わらず、とくにおもしろいことを言わない。男はもろいよねえ、とか、男どうしの張り合いはムダだよねえ、とか、その程度の話に終始していた。

これが日本フェミニスト大家なのか、という脱力感だった。というのは、自分は今まで本らしい本を読んだことがなく、ここ3~4年で社会評論の本を読むようになって、誰がスター選手なのかをだんだん把握しはじめているところだった。上野の本も何冊か読み、重要ポジションにあることを知るようになった。上野は、紅白に出る北島三郎和田アキ子みたいなランクにある。それを知ってから上野に絡むネット情報で、この番組存在を知った。実際に放送されてから数年経って見たことになる。

10分過ぎたところで上野は、秋葉原事件の例をあげ、ネットコミュニケーション否定してみせた。秋葉原事件犯人は、自分には恋人がいない、恋人がほしいということをネット掲示板で訴えてた。それはダメである上野は言った。

ここに太田はやっとというか、反論する場面を得たような感じで、ネットの会話が何が悪いのかと言う。

ネット書き込みダメだと言うのは、明らかに時代錯誤である。ここが上野のつまづきだった。単に古い人間だったことが露呈してしまったのだ。ブログもいいし掲示板もいいけど、LINEダメだというような、新しいものを怖がる素朴な大人のひとりに大幅にランクダウンしてしまった感じになった。

自分は、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』という本を読んだことがある。http://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667

加藤智大は、実生活での友人もおり、女友達もいた。また、男女関係ではないが、女友達の家に泊まったこともある。風俗にも行っていた。ゲームネットもやる。非モテではあるが、引きこもりではないし、それほど不利な立場にいたわけではない。異常な母子関係問題の核で、ネット問題二次的なものだと映った。

爆笑問題ふたりは、どちらもかなりの元非モテで、それが上野のとって相性が悪かったようにも思える。

上野は、男のここがダメだ、あそこがダメだ、ネットダメだ、男は変わるべきだ、男は生身の女と会話しろ(直接の声掛けとか電話とかになるのか)というばかりだった。論理を言わない。論理を聞きたいのに。

ここに、田中がついに反論してしまった。太田が吠える役なのに。男に変われと要求しているが、ジャニーズ事務所にキャーキャー言う女の子を見ても、女の子のほうだって何十年も何も変わっていない。フォーリーブスからたのきんトリオから光GENJIのように。田中は、自分の背が低いことをコンプレックスに思って育ってきて、モテる男性女性が寄っていくという場面をみただけで傷つくという主張をした。これに対して、上野説得力のある話を展開できなかった。

上野は、自分は弱いとカミングアウトしている男性には、歯がたたないということだったのか。強がっている男を叩くことには長けていても。

爆笑問題テレビ番組に出るということは、視聴者層がだいぶ違う。文化人にとって、実質的テレビデビューに近いと思う。文化人しか出ないの討論のテレビ番組視聴率が低く、何十年もテレビに出ていても認知度が大したことがないと思う。ここでコケたのは、ダメージは大きかったのではないか。

番組ロケ場所は、秋葉原メイド喫茶だった。そこに上野は、AKBみたいなミニスカート衣装を来て登場した。メイド喫茶で喜ぶ男はダメだということも言った。自分が嫌いなものをただ並べているだけで、これではマズイ。秋葉原メイド喫茶で、秋葉原事件の話を持ちだしたのだからロケ場所指定上野も関わっていたと思われる。自分の読者以外の視聴者意識して、媚びてしまったのではないか。

『ためらいの倫理学』(2001年http://www.amazon.co.jp/%E3%81%9F%E3%82%81%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E5%AD%A6%E2%80%95%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%80%A7%E3%83%BB%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4043707010 という本で、上野10年以上前から強烈に批判されていることを知った。

上野は、『マルクス主義フェミニズム』という流派であるらしい。他にも流派はあるらしく、アメリカ前衛派は、黒人差別男女差別を同列に扱い、その派生として、トイレも男女いっしょになるのかという極論もあったらしい。黒人は、レストランバストイレも、席が別だったという理由で。日本にも、脱・上野路線みたいなものがあるらしく、フェミニストどうしでも批判しあっているそうだ。

はてな記法がわからない。

2015-05-12

大人の遊び場はいつも子供に潰されてる

ネットがつまらなくなったのは子供大勢でつまらない情報を発信するようになったからだ

動画サイトがくだらないコメントで溢れかえるのは子供のちょうどいい暇つぶし場所になってしまたからだ

アニメの主役が高校生ばかりで表現の幅が狭くなったのはそれくらいの年代視聴者層ばかりになったか感情移入やすくするためだ

アニメに限らずエログロ規制を入れなきゃいけないのは子供も見るようになったからだ

子供情報発信して大人にプラスになることは何一つない

子供が発信する情報なんて何の役にも立たないし面白くもない

子供は大人が整えた場所を好きなだけメチャクチャにして去っていく

いや去っていくならまだよかった、そのまま居座る

居るだけならまだいい、しょんべん撒き散らして後始末は大人の仕事

「(面白い|価値のある)場所」が「(つまらない|無価値な)場所」になるのはいつも子供のせいだ

精神的な意味も含めて

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