はてなキーワード: 同人活動とは
もうすぐ30になる。
子供の頃から本や漫画が好きで、気がついたら中学高校では友達と絵を描き合って楽しんでた。
田舎の高校生だったからコミケへの憧れが異常に強くて、大学は秋葉原やコミケに近い都内を選んだ。
大学でいわゆる漫研のようなサークルに入り、同人活動を始めた。
友達は少なく、知人は全てイベント経由の人、恋人も同人関係の知人から。
自分を表現できる場所は同人誌の中だけだと、本当にタイトル通り、自分が周囲と繋がるには同人活動しかないと思っていた。
部数や数字で見えるものに悩んだり焦ったりしても、自分にはこれしかないからと続けてきた。
でも、最近地元に戻り、地域内でオタク以外の活動をするようになって、同人から足が遠のき始めた。
同人やってなくても、私が絵を描けなくても、飲みに誘ってくれる知人がいる。遊びに行く友達がいる。
未練も全くなく、今は好きなゲームや本を、他の趣味の傍ら楽しんでいる。
とらは事前納付や予約販売をうけてくれ、、これも買い手にとって取り置きによく似た利益があるシステムにはなっており「ついうっかり会場で見かけて買っちゃった」ことのペナルティがちゃんと買い手にいくようになっているので、そちらに誘導した方が良いと思う。35%の手数料上乗せの通販価格は若い人には痛いかもだけど、第三者が入って客観化できる。
というか、昔はイベントで買い逃すと自家通販しか入手できなくてな、そのときのルゥルがもうくっそめんどくさかった。取り置きの要望はあの「同人作家が個別に通販作業スタッフをかかえていた時代」に戻れという要望なんだから、やはりあの時代の知恵の結実であるとおり「自作宛名シールと送料分の切手と定額小為替を同封して申し込め、既刊感想お手紙(時候のあいさつ付)も必須」にすればイイと思うよ。あーとらの手数料が35%くらいで済んでほんとによかったー。
本当に分からない。
どうやら、修正を入れないと頒布できないというのに、自分でプリンターやら買って印刷する気配もない。
https://twitter.com/macaronicheese0/status/852924068898643968
けど、男性向けではコピー本は無料配布と思われるのか?よく分からんが、コピー本だとか自分で刷るとか色々あると思う。
本当にこの国は北朝鮮みたいだ
本題なんだけど、コミケは「コミケの存続ガー」ってやたら振りかざして法に対抗するつもりもないよな。
マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話。
それ、純粋に疑問に思うんだけど。
ネットショップでも出来るじゃん。海外サイトならそういうもので検閲受けないし、BOOTHなら見本誌チェックなどない。普通に売れるし。
抵抗権でもっと言えば、ヨハン・クライフの息子がジョルディって有名やん?
クライフに息子が生まれた時、当時フランコ将軍により『ジョルディ』とかカタルーニャ系の名前を禁じていたわけ。
それでも『ジョルディ』って名付けた訳だよ。「オランダの出生届のコピーだ」ってアリバイも作った。
まあこれは、その前日に5-0でバルサが買ったこともあるんだよな。
なんで俺がこうやって増田さんに愚痴ってるかと言うと、純粋に疑問に思うわけ。
なんでこんなろくでなし子裁判でも批判が吹き出てるのに、抵抗権を行使しないのか。
世間体ってのもあるんだろうけど、本当に自分のこと信じられるならそんなモン乗り越えられるだろ。
清岡純子が一昔前は普通にあったんだが今はタブー視されてるんだぜ?
そんな風に世の中は変わるんだよ。すぐに。
世相なんてこんなモンだろ。
頭のおかしい痛い一部のやつが世間という皮を被って糾弾するわけで、それはかつての部落解放同盟のつるし上げとかまなざし村と変わらん。
これは個人的な意見になる上、私は表現規制を推進している訳でも何でもないんだが、覚悟が無いなら同人活動やるな、同人活動に文句言うな。
あれだけ印刷所が「成年向同人誌は何時でも逮捕される可能性がある!」って煽ってんだよ?
そんな煽りを真に受けるなら「覚悟のないやつはしない」が正解じゃん。
何を言ってんの。
俺の思う同人活動が違うのか、抵抗権を行使して無修正で頒布するのはカウンターカルチャーの一つとして見るべきか。
FF5で、例えばモンクのアビリティをすべてマスターしたあと、すっぴんにジョブチェンジしたとき最大HPが30%上がる(モンク時と同等になる)じゃないですか。
何が言いたいかっつうと、10代、20代の頃に昼夜を忘れて没頭した趣味によって身についたスキル(同人活動なら原稿作成から印刷屋への手配とかイベントスペースでの机上レイアウトとか、バンド活動なら楽器演奏とかライブハウスとの交渉とかチケット売りとか)が、その活動自体をやめてもその後の人生のあらゆるところで役に立つような現象のこと。
自分自身はまあわりと恵まれていて、一生懸命やってきたことをほとんど後悔することなくそこそこいろいろ身について仕事にも生活にも役立っているんだけど、それを実感するのはだいたい5年から10年後なんだよな。
だから自分のまわりの若い人には「長い目で見れば一生懸命やったことは無駄にならないんだよ」「一生懸命やりなさい」といつも言うんだけれど、周りの同年代以上の人はあんまりそういう感覚で生きてないようで、無駄に熱血な痛い人みたいに扱われるのが地味につらい。
で、今度子供が生まれるんだが、「ある程度の期間を一生懸命やれば何かがちゃんと身についていい感じに生きられる可能性が上がる」を教えても嘘にならないか、かえって子供を苦しめる結果にならないか、みんなの意見を聞いてみたい。
そういう風に親から言われたせいで、かえってどん詰まりになってしまったパターンがあれば詳しく教えてほしい。
ちなみに自分自身は基本的に「お前みたいなやつはろくなものにならない」とかばっかり言われて育った感じ。
あと、「お前はやればできるんだからコツコツ努力しなさい」とも言われてたけど、ADHDっぽくてすぐ飽きちゃうし、小中高と宿題とかほとんどちゃんとできなかった。
小学校の高学年くらいから「自分はだめな奴だから、せめて得意なことで何とかやっていくしかない」と思いはじめて、興味のあることをエサにその周辺のことを一生懸命やってるうちに今は何とかやっていけてるけど、それはほとんど運がよかったおかげだと思ってる。
そもそも自分にとっての「一生懸命」って、ただの過集中の症状だったのではとすら思えてきて、それを定型発達の人に期待するのは土台無理なことなのかもしれない。
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)
その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、
傍から見ると画家として順風満帆な人生を送ってきたように見えると思う。
戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、
駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、
そのせいでうちの家系はアート関係の仕事に対して風当たりが強い。
父が美大ではない一般の大学を出、一般企業にサラリーマンとして就職した際は
孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。
(私も祖父も都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)
父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父が子供の面倒を見る事はなかったが、
絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。
祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。
幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。
それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。
やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。
放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番のコースになった。
小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。
でもテレビでみかけた新体操の選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操の教室を探してきてくれた。
数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。
家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。
一回だけ口を滑らせて「美大とか美術系専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。
父は大激怒、あんな鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。
「お前に祖父のような才能はない」
「美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」
「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。
でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。
隠れてノートに絵を描いてはいたものの、普通の大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。
それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。
この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、
祖父のコネでもらった展覧会のチケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。
画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つのは大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。
ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。
あぁ、幼稚園・小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。
後、大学で一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。
同人イベントで金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。
親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。
でもこの趣味で出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。
そしてその人達のほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、
卒業後普通のOLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。
祖父が自営業の画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。
何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。
美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉は
嘘だった。
そして思ってしまうのだ。
正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。
もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。
甘い考えだってのはわかっているけれども。
父の口癖はこうだった。
「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫は戦争中、絵の具がなかったから自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」
きっとそうなのだ。
私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。
バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費は自分で賄えばよかったのだ。
そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。
ないとは思うけど、明日北朝鮮のミサイルが東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。
そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。
そういうところなのだ、親戚が「芸術家はろくでなしだ」と言うのは。
明日のおまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブックが燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから。
本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。
因みによく一緒に公園へスケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大に合格。卒業後は有名なゲーム会社に就職した。
彼女がものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。
でも北朝鮮のミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?
私が趣味の世界で出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?
紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?
幼馴染とは今でも仲がいい。
同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。
積極的に美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊のネタになるかもとワクワクすることもある。
でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。
日本が火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。
一時期このもやもや感から逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。
スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。
このスポーツ団の制服が可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。
お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。
彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。
ある日、彼が番組の企画でファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。
その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。
小さい頃から歌う事が好きだった事。
歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大に合格した時泣いて喜んでくれた事。
色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。
「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女は美術大学に通っているんだ。」
頭を鈍器で殴られたような感覚がした。
今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。
この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。
だからどんなにイケメンのアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、
どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。
特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。
でも彼の口から「美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。
音楽も芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。
彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。
美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。
彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。
お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操の教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。
美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。
もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身の友達。
皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。
そしてただでさえ狭き門である芸術系の就職活動を成功させる為に、
血反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。
きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。
大好きなアイドルと彼の従姉妹だって、日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国で音大・美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。
音大に合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。
でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父のレベルに達しているとは思えない。
祖父が彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人目から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。
家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮のミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。
もしかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。
彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。
祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザイン系OLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が
祖父が天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。
祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。
でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。
そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。
(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)
絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父。
お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父の遺伝なのかもしれない。
でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。
そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。
ま、女なんてどんな趣味もってても、
結婚しちゃえば、家庭にこもっちゃう(がんばって家庭と職場(と保育園)の往復にするくらいが体力的にせいいっぱい)もんなので。
同人活動の大敵って、世間の目じゃなくて、結局は女の幸せがラスボスだよねーとおもいます。
同人やってるような人はやっぱりカップルでのイベントごとなんかも大事にする(相手を楽しませつつ自分も楽しむのが上手い)。
そこからエッセンスを抽出してまた意中のキャラを幸せにする話にしたりと、ぐるぐる還流してるんじゃないの。
20年したらまた会えるような長い友達の種を撒いてるだけ、よかったというか、若くて幸せそうで羨ましい話。
そのうちまたもどってきてねーって本も友達も放流する。
廊下ですれ違うたびに「今日ももっさりしてるな……」と思う数人がいて、
その数人の一人が彼女だった。
おそらくきちんと乾かさずに寝ているだろう髪の毛はなんとなくしっとりし、
全体的に加齢と睡眠不足を感じさせる顔だ。
そのうえ、控えめに言っても「ぽっちゃり」に分類されるだろう体形のくせに
やたらとフリルやレースのついた安っぽい布の服装を好んでいて、
フレアスカートから大根のようにずんぐりした足をむきだしにし、
すれ違うだけでも
「もっさりしていてやだな……」
「その魔法少女みたいなハートとリボンまみれのスマホケース何なんだよ……」
「せっかく美容院に行ったなら毎日のヘアケアもきちんとしろ!」
「30代になってサマンサベガのカバンを使うな! アニメキャラのマスコットもつけるな!」
といった感想がうかんでしまう相手と同じチームに配属されたのが、去年の9月。
歓迎会で「あ、増田さんって26歳なんだね。私より2つ下とは思えないくらいしっかりしてるね」と言われて、彼女がまだ20代であることを知り、非常に驚いた。ついつい「先輩こそいつもかわいいお洋服を着て若々しいので、もしかして私より若いのかも……?とか思ってました(笑)」と思ってもみない返答をしてしまったくらいだ。
だからこそ、周囲にオタクや腐女子であることがバレないよう、そしてバカにされないよう、身だしなみに人一倍気を使ってきた。
努力が功を奏して、オフの人間関係では、休日は一人BLを読みふけりPixivを回遊してはオンリーイベントに出陣しているオタク女だとバレることもなく、「そこそこリア充」ぽく見せることができている。「美人」と言われることはほとんどないが、自分の素材を生かしつつTPOと清潔感に配慮したファッションを心がけているので、自分よりも土台のいい女の子から「かわいい」「おしゃれ」「その服どこで買ったか教えて~」と言われることは少なくない。好きなキャラのグッズを買うことはあるけれど、身に着けていくのはオンリーやファンイベント、オフ会のときだけ。
今の会社はIT系だし、ソーシャルゲームの部署もあるからオタクも多い。比較的自由な服装がOKな気風で、男性エンジニアなどはアニメキャラのTシャツで出勤したりもしている。それでもうちの部署は比較的外回りが発生するし、つねに「会社の一員としてどうみられるか」「年相応の落ち着きを伴っているか」も意識しながら、ヘアスタイルや髪色、日々の服装・バッグ・ネイルの色などを選択している。痛ネイルをしたくなっても、イベントの前の日の施術してもらって、終わったらすぐオフする。彼氏がいるときは、休日の服装には彼の好みを取り入れる(ちなみに現在はフリー。相手の地方赴任で遠距離恋愛になってしまった彼氏と自然消滅して以来、今のところ彼氏はいない)。毎月の美容院、毎週のジム通いに、毎日のスキンケアと、日々のさまざまなメンテナンスも欠かさない。おしゃれは努力なのだ。
もちろん、それはあくまで私の自己満足であって、他人に押し付けるつもりはない。それでも、隣にもっさりした人がいたら不快感が生じてしまうのまでは止められない。同じチームではあるが直属の上司部下というわけではないから、できるだけかかわらずに過ごそうと決めた。
決めたのだが……その決意はすぐに覆された。なんと、先輩に「増田さん、もしかして〇〇ってアニメ好きじゃない? この間のオンリーイベント出てなかった?」と私がオタクで腐女子であること、ジャンル、そしてオンリーに出展していることまで当てられてしまったのだ。そのアニメのグッズを持っているところを見ていたので警戒はしていたが、まさか同じCPだったとは……。
「気づいたにしても本人に黙ってろよ!これだからデリカシーのねえオタクは……」という気持ちはあったが、現場をおさえられている以上否定するわけにもいかない。次のオンリーも出る予定だったし。やむをえず認めたものの、「ぜったいに内緒にしててくださいね。ランチおごりますから」と念を押し、二人きりで初めてランチを食べることになった。
「えー、〇〇好きな人、うちの部署にも結構いるよ。一緒に話したかったな」
「会社で、趣味の話をするつもりはないんです……。すみません」
自分のスタンスを明確に伝えると、先輩はそれ以上無理には押してこなかったが、「でも増田さんっていつもおしゃれで爪先にまで気を使ってるし、全然オタクだと思ってなかったから、オンリーで見たときはびっくりしたよ。会場ではたしかにいつもよりもラフな格好だったけど、やっぱり周りに比べて垢ぬけてたもん」と私を褒めまくった。
しかも「実は増田さんのところのサークルの本、いつも買ってるんだよね。私が行くときは売り子さんがいることが多かったから気づかなかったんだな。表紙とか装丁もやっぱおしゃれだし、二人の気持ちの流れが丁寧に書いてあって、本当に好きなんだよね……書いている本人といっしょに働いてるなんて、すごいうれしいな」と言う。
「なんだもっさりしてるくせに意外と見る目あるじゃん……」とうっかり調子に乗った私はついペラペラと自分の話をしてしまった。
「見栄っ張りなので、『やっぱオタクだからダサいんだ』みたいに見られたくないし、オタクだからこそ人一倍身だしなみにも同人誌のデザインにも気を使ってますね。彼氏にも、『え、オタクだったの!?』と驚かれることが多いです」
「徹底してるなあ……。私、ここだけの話、ずっと女子校育ちで、彼氏できたことないんだよね。それもあってあまり人の目を気にしてこなかったな。ファッション誌もきちんと読んだことなくって、今まで少女漫画で読んできたかわいい女の子のイメージとか、そういうのをごちゃごちゃに取り入れてこの年齢まで来ちゃった。自分に全然合ってないのかも……とは思いつつ、オンリーとかライブに行ったら似たような服着てる同年代の人もたくさんいるし、まあいいかな~ってスルーしてたんだ。でも、増田さんの話聞いたら、ちょっと自分もがんばろうかなと思ってきた」
「見ていてかわいい服と、自分に合った服って違いますもんね。もちろん、『自分がテンションの上がる格好』も大事だと思うんですけど、『人は見た目が9割』という本もありますし、少しだけ自分の好みを譲歩して人にどう思われるかを考えながら暮らしてみると、思いもよらない反響があったりして、楽しくなりますよ。自己表現は、同人活動ですればいいんですよ」
「いやいや、見栄っ張りなだけなので……」
「ねえ……もしよかったらなんだけど、私の服装についてちょっとアドバイスに乗ってもらったりはできないかな? 実は、最近思い切って婚活アプリに登録したんだけど、全然マッチングしなくて……。素材がアレだからしょうがないかもしれないけど、増田さんの話聞いて、もう少し頑張る余地がある気がしてきた」
まさかの展開である。なんでそんな面倒な頼みを引き受けないといけないんだ……。断ろうかとも思ったが、一瞬考えたすえ「私でよければ……」と応じた。面倒ではあるが、さすがに同じチームの先輩である。オンリーに出ていることも、活動ジャンルもCPまでバレている。見栄っ張りの私としては、先輩がそれを言いふらす危険性をできるだけ排除しておきたい。
それに……もっさりしている怠惰な人間は嫌いだが、努力して改善しようとする人間は嫌いじゃない。私も、中高時代はもっさりしていて、スクールカーストでは底辺オタクグループに入れられていたから。
「その代わり、ちょっと厳しい意見も言うと思いますし、運動とかもしてもらいますよ? お金もかかると思う」
「え、運動?」
「ファッションには体形も大切です。今の体形にあった服装を選ぶのでもいいですが、彼氏を作るのが目的なんですから、体形とか髪型とか、ふだんの過ごし方から見直したほうが絶対にいいです!」
「そこまで親身になってくれるなんて……。精いっぱいがんばるよ!」
結論として、先輩はきちんとミッションを遂行した。私がいい教師だったということなのだが、この9カ月、ずいぶんと頑張ってくれたと思う。
体重は7kg減ったまま週2のジム通いで維持しているし、髪の毛はすすめた美容院できっちり整え、清潔感のあるボブスタイルにしてもらった。たまのイベントの際に施術していたというジェルネイルも、ゴテゴテしたデザインをやめてもらい、綺麗な塗り方を覚えさせ、自分でピンク系のワンカラーをほどこしてもらっている。メイクも、適当に買ったプチプラの集合体を一つずつやめさせて、年齢に合ったデパコスに置き換えつつ、BAさんから顔に合ったメイクのアドバイスを聞くように指導した。
服も、既存の安っぽい服のほとんどはメルカリで売ってもらった。フリルやレースのついた服、アシンメトリーのスカート、個性的な柄のワンピースなどが上級者のたしなみであること、サマンサベガのバッグはどう考えても年齢に合わないこと、などを丁寧に伝え、休日に恵比寿のアトレにいっしょに赴いて、シンプルで使い勝手と質のいい服をコツコツと買ってもらった。
きちんとしたプロがトータルでアドバイスしたらまた違う結果になるかもしれないが、少なくともこの8年ほど見栄をはりつづけてきた私の基準でも、納得のいく「小奇麗なアラサー」ができあがったはずだ。実際先輩も、前より鏡を見るのが楽しくなったと言うし、つづけている婚活アプリでも、マッチングして食事デートくらいまではするようになっているそうだ。
「ただ、相変わらずコミュニケーションスキルが低いから、結局アニメやマンガか、仕事の話しかできなくて、あんまり話が弾むところまではいっていないんだよねえ……練習あるのみかなあ……」
それでも私は知っている。社内の男性社員たちが、先輩を見る目がなんとなく変わっていることを。そして街を一緒に歩いているときの、周囲の男性のまなざしも変わってきたことを。肉体とファッション改造をしてもらううちに気づいたのだが、先輩、思ったよりも素材が良かったのだ。私なんかより全然美人である。笑うと、元AKBの大島優子に似ている。
自分が指導した成果が世間にも評価されていることがうれしい反面、最近、先輩が婚活アプリで出会った男性について話すときに、胸がチクチクする自分にも気づいてきた。つい話をさえぎって、自分からアニメやマンガの話を不自然にねじこんだりもしてしまう。先輩が彼氏をつくれるようにサポートしたはずなのに、先輩が男の話を自分からするのを聞くのが、イヤなのだ。
この気持ち、一体なんなんだろう。
Pixiv二次同人小説の件、晒された方も二次だから法的にはグレーとかアウトとか言われてるけどあれシロじゃん
著作権法上の保護対象は表現であって漫画やアニメ・ゲームのキャラクターや設定を借りて書かれたファン小説は法的にはシロ
クロになることも全くないわけじゃないだろうけど極めて特殊な場合だけだ
現実的にはありえないが当該二次小説を原作側が裁判に訴えたところで違法はないと判断されるだろう
今回の件で、二次同人作家を盗人と呼ぶ人が多いが本当にそうだろうか
二次界隈のオタク女は原作サイドにとって大金を使ってくれるお客様でありブームの作り手
二次同人オタク女ももともと原作の熱狂的ファンだから原作側の利益にはできる限り配慮している
具体的には原作絵には似せない、同人作品には公式でないことを明記、同人グッズは公式と競合しないデザインにする、などだ
また、いかに原作への愛(金)を貢いでいるかをファンコミュニティ内で張り合っている
ただし二次創作オールOKを原作サイドが明言すればそういった紳士協定を無視してビジネスをする者が出るだろう
公式サイドは面倒を嫌って表立って二次創作OKのお墨付きを出していない
今後はニトロプラスのような二次創作ガイドラインを明らかにする制作者も増えるはずだ
原作と二次同人界隈はこういった文化を形成することで共存共栄している
二次同人界隈は息苦しいムラの掟で御神体を守っているつもりになってる
こういった事情を見れば二次同人小説の作家は法的にも社会的にも盗人ではないと思う
それなのに二次同人小説の作家本人は「盗人」を自称してるんだよね
同人コミュニティの中で我々は盗人ではないと少しでも仄めかせば袋叩きにされて追放される
だけど振る舞いは盗人のそれじゃない
堂々と全世界に向けて同人活動を公開してるしささやかでない金銭的利益を上げてる人もいる
盗人であるというタブー感によって秘密結社的なワクワクを楽しんでるのかな
「グレーゾーンの二次創作の書き手が学会発表で引用されたことを非難するのはダブスタ、ブーメラン」って指摘もあるけど。
特に今回扱われていたみたいな
の場合、そもそも著作権法に抵触していないという解釈もできたはず。
TPPでの著作権法非親告罪化をめぐっては、コミケ主催団体のみならず版権ホルダー側である日本書籍出版協会からも「二次創作の保護を」という意見が出ている。
刀剣乱舞の版権元であるニトロプラスは同人誌に関するガイドラインを出していて、過度に営利的なもの以外は認可(むしろファン活動としての二次創作を推奨)している。
おそ松さんのアニメにも二次創作BL同人誌をネタにしたエピソードがあったよね。
商業作家が並行して二次創作同人活動をしているのなんてもう珍しくもないし、二次創作同人誌の書き手が公式のファンブック企画に掲載する作品を依頼されることもよくある。
今回のようなことが続いて二次創作が縮小するのは、版権元だって望んでいないことじゃないの?
いつまでも「二次創作は著作権法に違反した悪いことだけど版権元の温情で見逃されているだけだ、権利意識を持つなんて図々しい」という認識でいるのは、もはや時代遅れなのではないかな。
長くなる。同人に興味が無いひとはどうぞスクロールしてもらって構わない。注釈等も特には入れていないので。
ここ最近Twitterなどで見かけるシーンが増えたツールだ。やっとはてなIDなるものを手に入れたので淡々と綴る。
同人活動を始めた。
オンラインで活動をしていないとは言わないが、本当にpixivに2、3作品あげただけで、大量にブクマをかっさらうようなものでもなかった。
でも、本を1度出してみたい、その思いだけで初めて同人誌を作って、東京まで売りに(頒布か)行った。
少部数で、しかも小説で、オンラインでもそこまで活動しているわけでもないし、旬ジャンルでもない、全部持って帰らなきゃな、と覚悟もしていた。
結果、全部捌けた。どうしてだろうと今も疑問でいっぱいだ。
それ以上に、私が作った本を手に取って、お金を出してくれる人がいたという事実に大きな喜びを感じた。楽しかった。
今まで一般で入ったことは何度もあったが、サークル参加だから、と知り合いの社会人の方にアフターにまで誘ってもらった。イベントも、アフターも、こんなに楽しくていいのかと思うほど、楽しかった。
地元に帰ってきて手に入れた戦利品を読みながら、次の本はどんな話にしよう、次のイベントはいつが出られるだろう、申し込みはいつしようかと考えていたら、友達から話しかけられた。
「夏休みは暇じゃん!USJか、ディズニーか、みんなで行こうよ!ね!増田も!」
思考が止まった。私にそんな余裕はない。
夏は夏インテだって行きたいし、秋はスパークに行きたい。それに合わせて新刊を出したいからお金に余裕は持たせたいし、そのためにはバイトもしなければ。
お金が2倍あればもちろん、行きたい。友達とディズニー、めっちゃ楽しい。盛り上がる。学生時代の思い出になる。去年友達と行ったUSJもとっても楽しかった。
しかし、スパークの直前に行ったせいでイベントに持っていける軍資金は減った。
言い忘れた気がするが、私はまだ学生だ。
お決まりの使い古された台詞で断ったら、剣呑な視線で刺された、気がする。
「増田、いつもそう言うよね。じゃあ増田が行ける時に合わせてみんなで行こうよ」
えっ…
じゃあスパーク終わってから?いやでも、一月のインテも行きたい。来年から就活が始まるし就職してからじゃ全然本出せなくなるかもしれないから今のうちに本を出したい。イベントに出たい。
じゃあやっぱり、無理では。
あれ、これ私が悪いのだろうか。
私の友達は私が同人活動してることも知っている。みんな同人はやってないけど、ある程度のオタクで、舞台とか、俳優とか、あんスタとか、ジャニーズとか、それぞれ好きなものがある。
その金はどこから出ている。
私の金遣いが荒いのか??
でも、同人誌はイベントに行かなきゃ買えないものもいっぱいあるし、本も今しか売れない。友達と遊びに行くなんて、そんなのはいつだってできる。
そこまで考えてビックリした。
友達と大人数でテーマパークに遊びに行くのだって、きっと今しか出来ないのだ。
社会人になったらみんな予定が合わなくなって、就職するのもみんな地元とは限らないし、たぶん長期の旅行も難しくなるのでは。
同人活動ありきで考えていたけれど、私がこのCPに冷めたら(そんなことは考えたくもないが現実として)本を買ってくれた人とも、アフターで繋がってくれたひとともオサラバだ。友達はそうじゃない。
でも私は、同人に回せるお金をそちらにかけたことをきっと後々後悔する。今回のイベントだって、予算が足りなくて泣く泣く諦めた本もたくさんあった。
言い訳をしながら、こうやって無意識に友達と同人を計りにかけ、結果として友達を切り捨てている自分に反吐が出る。
でも同人を切り捨て友達を取ったら、「何故こんなことに金をかけるのだ…」と絶対に思う。同人誌がこのお金でいっぱい買えたのにと思う。本が出せたのにと思う。そうやって考えてしまうことにも反吐が出る。
まぁ結局、私は同人を取るのだけど。
現在28歳のいい大人、今年初めてまともに彼氏と呼べる人ができた。
「まともに」というのはこれまで付き合っても何もせず数日で別れたり、
今回は数ヶ月続いていてそれなりに進展(?)しているからだ。
しかし、いざ付き合ってみて、彼氏という存在がこうも自分に合わないものとは思わなかった。
元々恋愛に疎いため、付き合ってく中で少しずつ感情を育てていきたいと思っていたし、
彼にもそういった旨を伝えていたが、
残念ながら何度会っても私の心には変化がなかった。
彼は私のことを非常に好いていてくれているのか、そのことを何度も伝えてくれる。
「こんなに好きになったこと今まで無い」「時間とともにどんどん好きになっていく」「好きだよ」
「好きになってくれた?」「付き合って◯ヶ月だね、なにか感想ってある?」「これからも彼女でいてね」
みたいな言葉を2人きりのときに言われると、どんどん心が冷めてしまう感覚に陥った。
彼の大きい好意に対して私の返せる好意はかんたんに潰せてしまうぐらい小さいもので、
後ろめたさと煩わしさを一番に感じる。
どうしてそんな事を訊くの?
人に対する好意をわざわざ確認しなきゃいけないのが煩わしいし、
本当のところは本人の望みどおりのものでないのだから、返答だって難しい。
ウソで大好きだよとか言うのはむしろ相手を傷つけると感じるので言えない。
何の取り柄もない私のような女に好意を向けてくれるのは心底ありがたいとは本当に思うんだが、
それから先に進まない。求められるものを与える努力を無理のない範囲でしているが、面倒だ。
彼の好意を受け止めるのが、重くて、面倒だ。
長年喪女なのが災いしてるのか、こういう好意の表明しあいがしんどい。うまくやれない。
相手についていくことができない。
彼の(私にとって)重い好意が早く落ち着いてくれないかということばかり考えている。
のんびりやっていればそのうち私にも愛情が芽生えてうまく収まると思っていたが、
どうもこのままいっても私の気持ちは反比例的に冷めていくようにしか思えない。
彼への恋愛にもっと積極的に取り組めるといいのだが、ここ最近は何についてもモチベーションが低い。
恋愛はもちろん、趣味であるアイドルや同人活動においてもまるでエンジンがかからずまともに行動できていない状態だ。
これまでの原動力であったアイドルの活動が休止しているのが原因なのか、
それとも彼氏と向き合うのが億劫でそれが多方面に影響してるのか、判断はできない。
もっと私が相手に寄り添う努力、喪女の精神から脱却して変化していく努力、
このままエンジンなんかかけずに何も成長せずに相手を傷つけて終わらせてしまうか、
無理にでもエンジンをかけるよう頑張って何らかの行動を起こすか、
それの判断もできずにただ一人で地面にへばりついている。
私はどうなりたいのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160622100234
この記事を書いた者です。
年間アクセス7位になっているのに気付き、久しぶりに記事作成をしようかなと思い立ったのでこれを記しています。あとゴールデンウイークに突入し、暇なのもあります(笑)
本文、追記共に当時の自分の心の澱と人には中々主張出来なかった故の断定的かつ鬱屈した感情がみっしりと記されていて、書いた当人ですら読んでて疲れました。
ただ、この記事で自分の気持ちを発散したことで実に穏やかな気持ちになれたのは確かです。
この匿名ダイアリーという場で、多くの人に自分の実際に感じたこと、体験したことの一部を『わたし』という人間が見えない場所から発信し、意見を貰う。カウンセリングに行くよりもずっと効き目の高いセラピーになりました。
発信して初めてわかったことがありました。それは、私みたいな生き方をしている人間は思っているよりもいなかったことです。
自分が多数派だなんて考えは当然ありませんでしたが、「私と同じ悩みを抱えて、苦しんでいる人は多いのかもしれない。そういう人がいるんだよって発信したら、私みたいな人間は救われるのではないか」くらいのことは思っていました。
ただ、反応を見る限りだとそうではなかったみたいです。共感以上に、私や周囲の異常性、読み物としての感想が多く、もしかしたら私自身の考えや生きてきた人生というのは、自分が思ってた以上に異常なのかもしれないということにお恥ずかしながら初めて気付かされたのです。
もしかすると、普通は越えないような轍を何個も何個も越えてきてしまい、引っ込みすらつかないのが私の人生なのかもしれない。
そう考えると、ここに記した殆どのことは、実生活の私の「墓場まで持って行く秘密」にしないと、あまりにも受け入れがたい事実なのだなぁと感じました。その位、人には理解しがたい人生を歩んできてしまったのだと。
これはとてもさみしいことです。だからこそ、インターネットで発散できてよかった。もしそうでなければ、私はこの澱んだ感情をずっと抱えたまま死んでいかなければならなかった。誰も私を理解できないと、自分だけが思ったまま。
そんなことすら、人に認められないと自認できない。
承認欲求の底知れなさを思い知りました。そして、私は、そういうことと一生をかけて向き合うのかもしれないと。
そういう性質の性格なのだから、仕方ないですよね。今はそうやって自分と向き合えるようになりました。
同人活動なのですが、Twitter中心で細々と続けています。
エントリーに関するRTが流れてくるたびにドキドキしていましたが、誰もそれを書いたのが私だとは気づいていないみたいです。今では誰も話題にしていません。インターネットなんて、そんなものです。
二次創作を描けば1000を超えるRTを頂けることもありますが、そのことに関して前よりは落ち着いていられるようになりました。というよりも、RTされるネタの書き方みたいなものを感覚で掴みました。
完全に記事を脱線するので詳しくは書きませんが(そもそも感覚なので説明も難しい)、別に絵が上手いとか特別な技量がなくても伸びるときは延びるのだから、一喜一憂していたらキリがないなぁと。
即売会は、行く回数は減りましたが参加しています。ただ、もう新刊を作ることはないかもしれません。キャラクター愛やそれを人と共有したいという感情が前よりも薄れました。
創作が楽しくなくなったわけではないのですが(これに関しては後述します)、なんでしょう。これが年をとるということなのかな。自分の中で「思い出」になりつつあるんです。
好きなキャラやCPをきっかけにして、Twitterでつながったり、Skypeをしたり、自分で本を書き、人の書いた本を読み、萌えて転げて、アフターや日常でも仲間同士で集まって、そのキャラの話で花を咲かせて。
そういう光景を見かけると、楽しそうだなという感情にはなるのですが、参加したいなという気持ちにはならなくなってしまいました。
でも、気の合う子とのおしゃべりは今でもとても楽しいです。みんな会ったときは10代でしたが、今では大人になりました。結婚している人は多くないですが、会うとキャラの萌えを語るより、近況を話すことのほうが増えました。
そんな私をつまんない人だと感じる人は、どんなに仲良くしていたとしても離れていきます。でも、それでいいんだよなと。
今、一緒にいて楽しい人だけが「オタク友達」なんです、きっと。そこから先の「普通の友達」になるためには、それだけじゃ足りない何かが絶対必要になってくる。そしてそれは、誰とでも芽生えるものじゃない。だからこそ、オタクの友達はあまりにも即物的。でも真の友情が芽生える可能性もあるから、バカに出来ないなって思います。
Twitterのフォロワー数だって同じです。繋がるのに何の不自由もないからフォローされてるだけであって、共通項がなくなればそこで終わりです。だからこそ、数に拘るのは無意味なんだと思います。ずっと見てくれる人や、たまの落書きを何年も変わらずにいいねしてくれる人こそ、大切にしなきゃいけない人なんだと思います。相互片道関係なく。
ここまで書いてきて、また自分の「●●でなければいけない」癖が文章に反映されていて、苦笑しました。
誰かに伝える文章は、例えそれが自分に課している制限だろうと断定的に書くことで人を不快にさせるみたいです。それもここで知ったことです。
難しいですよね。でも「私はこう思うけど、あなたはどう考えても自由だよ」とその度に書くのはくどいと思うのでここで一回書いたことで許されようと思います。許して下さい(笑)
二次創作への情熱が薄れるかわりに、最近は一次創作が楽しいです。
まだ公表していません。それなのにこんなに楽しいことがあったのかとびっくりしています。
物語という形にすることで、自分の意志を表に出すことができる。そこには何の制限もありません。もちろん物語としての整合性を整えるのもひとつの楽しみですが、どうしても自分の主張したいことがあるなら、オリジナルのキャラクターにやらせる分には誰も文句は言えないのではないかと気付きました。
悪い部分もあってこその人間。仲のいい友人に見せると、とても生き生きと動くキャラクターだねと言われ、お世辞でも嬉しいです。
ここで数人が「実録としてエッセイマンガにしたらどうか」とコメントされてましたが、いまでもそれをする気はありません。やはり私は、事実をそのままマンガにするのは好きじゃないみたいで、だったら一次創作のキャラクターに、何らかの形で搭載したいです。
主人とは、つかず離れず上手くやっています。私も多少ちょろまかすという事を覚え、小遣い以外に稼いだ分から少し抜いた分で友達とランチへ行ったりしています。意外と気付かれません(笑)
私の場合、ささやかな幸せを幸せとも感じてなかったことがそもそもの間違いだったので、今はそこを目標に生活水準を下げています。意外となんとかなります。
一年経った今、自分のことを牙を抜かれてチワワになった狂犬みたいだなと思いますが、それでこのままチワワになれたらもうけもんです。
尖って尖って、非難されるような自分だったからこそ、なれるものがある。
それを誰かにバカにされたり情けないだなんて言われる権利なんてきっとない。
他人の人生を私が生きることが出来ないように、私の人生は私にしか生きることができなかった。
それがどんなに汚い生き方でも、一般的には努力の足りない人生でも、誇りに思っていいことだ。
そんな風に、思います。
そう思えるようになったきっかけは、間違いなくあのエントリー。
なんてステマ臭の強い記事なんだろうと思うけど、本当にステマじゃないです。最後まで読んでくれてありがとうございました!面白みがなくてごめんなさい!相変わらず長い!ただの感謝の気持ちです!
差し入れをいただくことが多く、その際に「来ていただきありがとうございます」と言えて、それがとても嬉しいことだ。
差し入れの内容は美味しいお菓子やお茶、自引きできなかったグッズ、アニカフェ限定のコースターなどなど…。
こんな弱小サークルに差し入れなんて申し訳ないと思いつつも「美味しい!」「推しがかわいい!」「こんなレアグッズもらっていいのかな!?」と、
一人キャッキャしながら名前と差し入れを確認してツイッターでやり取りができる方にはお礼を言って回る。
だが、本音を言うとそんなにたくさんんの差し入れをいただくと困ることもあるのだ。
行きはキャリーケースに36ページのコピー本数十部と10冊未満の既刊、設営グッズ、憧れのサークルさんへの感想手紙を詰め込み、普段使いのバッグを持って出かける。
帰りは運良くコピー本が完売すれば良いが、戦利品を押し込めばもうキャリーケースはパンパンだ。
それに加えて上記のようにたくさんの差し入れをいただくと、折りたたみ式エコバッグに差し入れを入れるのだが、入り切らなければ普段使いバッグに入れて帰ることになる。
戦利品と設営グッズと差し入れ、全部送ればいいじゃん!と思われるかもしれないが、売れ残った新刊や既刊を小さめのダンボールに入れて送るだけでも着払いは高い。
地方住まいなら迷わず宅急便を使うが、都内在住だし、せっかく手持ちで持って来ていただいたものを宅急便で送るのも何だか気が引ける。
加えてかわいくラッピングされて中身がわからない状態のカステラや最中は早々に食べなければならない。
別ジャンルの友達と合流し、アフターに行く際に差し入れをもらいすぎてキャリーケースにも入らず、
ノベルティの紙バッグに入れていたら持ち手が切れて大変な事態になったこともある。
そこで私は思った。「差し入れは同人誌の感想手紙が最強」であることを。
嵩張らず、すぐに仕舞えて、日持ちを考えなくて良い。手紙すごい。
だが、私だけかもしれないが同人誌の感想を書くのはかなり神経と精神をすり減らす。
普段は70~100P程の同人誌を頒布する小説サークルなのに、1冊24Pの同人誌の感想手紙(2500字程)を書くのに半日を費やしてしまう。
推しカプが一緒のコマにいるだけで幸せなのに、好きな作品のどこが良かったかを文章化して伝えるのはとても難しい。
「最高です」「好きです」「萌えます」「ありがとうございます」…大抵この4語が文末に来てしまう有様だ。
普段キーボードばかり打ってるせいか字は汚いし、文字を書く行為事態も疲れて(筆圧が強い)残りの半日は疲れで目眩を起こしたりする。
なので、自分でも「差し入れは同人誌の感想手紙最強論」を謳いつつも、
申し訳ないが本当に本当に好きな人や毎回忙しいのにコンスタントに新刊を出す友達、最近同人トラブルに巻き込まれた人、憧れのサークルさんにしか書けない。
今度スパコミがあるけれど、一生懸命書いているのにまだ1通も書き上げていない。
目標は5/4までに3通なのだが、思いを伝えるのにこれほどまでに「手紙」というツールが大変だとサークル参加を経験しなければわからなかった。
これを知ることができただけでも同人活動をやって良かった。
二次創作は企業が無視してるだけで著作権的には真っ黒な犯罪ですし、
猥褻な創作物を生産するような人が社会人として望ましくない事ぐらい分かりますよね?
それがもし反社会的な内容であれば一発アウトです。
またオリジナルかつ全年齢向けの同人活動であってもオタクという悪いイメージが付き纏うのは当然です。
面接で同人活動の話なんか出さなきゃいいじゃんみたいな意見もあるみたいだけど、たとえば同人のことを黙ったまま採用されちゃって、会社に無断で同人活動してることが後になって発覚した場合って何か処分されたるするのかな?
こんなのただの趣味にすぎない
映画見ること写真撮ることアイドルの握手に行くこと盆栽を育てること等となんら違いはない
違法なことでない限り一切何もない
元ツイの人は同人活動以前に…て感じだ
先日、ネット上で婚活の成果がなかなか出ないことに嘆いている男性に会ってみたところ、その言動にそりゃ彼女できなくて当然だよと心底思ってしまったのでその話を書く。
私はアラサーのオタク女性で相手もアラサーのオタク男性、ブログや同人活動が趣味だという。
彼のブログの婚活苦労話エントリがたまたま検索に引っかかり、地域的にも近かった(あと、どうにも昔の知人に性格が似ていて他人事のような気がしなかった)ので、『今はとにかく交流を広げたいので気軽に声をかけてください』と書かれていたのでこちらから連絡を取った。
初対面での外見の印象は別に悪くなかった(30代男性の英字プリントTシャツは個人的にはモテに遠いと思うが、別に個人の服の趣味なら仕方ないし)
が、店に入って席につき、15分もしないうちに『これはおかしい』と思った。
まず、顔を合わせて早々に彼氏のありなしチェックが入る。
『今はいないですよ〜』と無難な答えをして別の話題に移ろうとしたところ、『今はってことは彼氏はいたことあるんですね? それはいつまでいたんですか?』とガツガツ踏み込んでこられ、この時点であっこれはちょっと距離感がおかしいなと思う。
しかし嘘をつくのもな〜と思い、『この間まで付き合っていたのは女性です。でも男性と交際したこともありますし、別にどちらでも気にならないですね〜……そんなに違うと思わないので……』と返しつつ『そうなんだ』くらいでもう終わらせてくれよというオーラを出していたつもりだったのに、彼はさらに『それって性欲とか湧くんですか? セックスとかどうやるんですか? できなくないですか?』(本当にこう言った)と返してきたので呆気に取られてしまった。
そ、それって初対面で15分も経ってない人間に聞く……?
いや、疑問として思い浮かんだり、頭の中で考えたり、百歩譲って仲良くなってからそういう話になった時に尋ねるならまだしも、いまこのタイミングで(そしてそれなりに混んでる昼のお店で)聞くのは普通に考えておかしくないか……?
という思いが抑えられなくなり、『そういうこと初対面で聞くのってすごく失礼だし一般的じゃないと思うんですけど……』と何とか絞りだしたら、
『俺はそういうことを聞かれても気にならないし、嫌なら単純に答えなければいい。それに私に興味がある・私のことを知ろうとしてくれてるんだ、と思う女性もいる。聞かれて嫌だと思うのはあなたの都合であって、それを普通だの常識だのに結びつけて一般論のように語るのは違うと思います』と言われ、あまりの理解のできなさに愕然としてしまった。
この後も彼は『人間としての好感と男性的魅力は別。事実俺はいつもいい人どまりだ』(これはある程度わかる)『だから俺はもう好感ではなく、初回から女性に男性的魅力を感じさせたい。そのふたつは全然別だから、いくら人間的に好感を稼いでも意味がないから』(???)(好感を持たない人に魅力を感じるほうが無いと思うんだけど……)などの持論・主張を展開してたけど、私はことごとく同意できなかった。
ダメ出ししてくれる友達とかいないのかなあ……いや、いてもそれはお前がそうだっただけでしょ? って無下にしてるのかな。きっとそうなんだろうなー。
まあ世界は広いので、ひょっとしたらそんな彼に付き合ってあげられる女神のような女性がいるかもしれないけど、この調子では出会う前に寿命が来てしまいそうだなーと思いました。
たつき とは、日本のアニメーション監督・アニメーターである。アニメ制作チームirodoriに所属。
アニメーション制作会社ヤオヨロズで3DCGアニメを制作している。
アニメ制作キャリアの初期の頃は映像制作企業に所属しつつ、同人活動としてirodoriにて自主制作アニメを制作していた。
2017年冬アニメの『けものフレンズ』で監督を務めており、コンセプトデザインの吉崎観音が決めたベーシスとなる世界観に解釈を
加えるかたちで物語の根幹や脚本などにも関与し、主導的な役割を果たしていると言われる。
プロジェクトチームへのインタビューにおいても、たつき監督のエピソードが多く語られており、
週に5日は仕事のCGを作り、残りの2日は趣味のCGに没頭している
など、監督の人並み外れたスキルと才能を垣間見ることができる。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%8D(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E7%9B%A3%E7%9D%A3)