マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)
相手を窒息させることに興奮を覚える系・・?
そんなん手足切り落として達磨にしたり、女の内臓ひきずりだすのに興奮するリョナラーに比べたら大人しすぎんじゃん