はてなキーワード: 同人活動とは
某ラジオ番組に送った長文をそのまま載せますね(未採用)。思春期あるあるなのかなあ。当時もちろん誰にも言えなかったし今まで誰にも言えてない。たまたま女子同志だっただけで男女間でも男子同士でもあり得る話だとは思う。
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みなさんこんばんは。いつも本当に楽しく拝聴しています大好きです。35歳、女、既婚です。はじめてメールいたします。
当時、私はゲーム大好きっ子で、今で言うところの「腐女子」であり、ゲームジャンルのBL二次創作に手を染めておりました。夜な夜な推しキャラの絵を描き、さらに男×男のカップリングを妄想し、その滾る思いの丈と自らの性の芽生えをミックスジュースにして同人誌というカタチにしたためていました。
定期的に地元の同人誌即売会(以下イベントとします)に出店して、そこそこに売れてファンレターのようなものをもらったり、同じ趣向の友人が沢山できてイベント以外でも会って一緒に遊んだりして、普段の学生生活を凌ぐ楽しさでした。
彼女と出会ったのはその同人活動がきっかけでした。仮にSさんとします。
Sさんは私の3つ上のオネーサン。同じゲームが好きで、知人に紹介してもらって意気投合。初めは文通(メール文化はまだなかったので)からはじまり、電話で話すようになり、そのうち個人的に二人で遊んだりするようになりました。私が年下ということも関わらず、対等に優しく楽しく接してくれて、一人っ子の私は趣味の合う素敵なおねえちゃんができたみたいでとっても嬉しかったことをおぼえています。
Sさんとは、好きなゲームやBL妄想で盛り上がる他にも、イベントで知り合った共通の友人であるコスプレイヤーの男性に思いを寄せていることを打ち明けてくれて、ちょっと現実の恋バナなんかで盛り上がったりもして。
Sさんと二人で遊んでるうちに「M(私のこと)ちゃん、本当に可愛いねえ、すっごい好き」「私、本当にMちゃんのこと大好きなんだよー♡♡」など、ダイレクトな愛情表現が散見されるようになり、私ももちろんSさんのことは友人として好きだったので、その熱量に違和感を感じながらも「うん、私もSさんのこと大好きだよ」と普通に返していました。
二人で遊ぶようになってから4ヶ月程経って迎えたバレンタイン当日。その年のバレンタインはど平日で、私は学校から帰ってきて家でせっせと同人活動にいそしんでいました。夕方7時くらいに家の電話が鳴り出てみるとSさんからでした。
Sさんの家から私の家までは徒歩とバスを組み合わせて40分ほどかかります。
「うん、私は大丈夫だけどもう暗くなるし…これから来るの大変じゃないかな?家の人は心配しない?」
何だろう?とは思いましたが深追いはせずに、私はSさんがやってくるのを待ちました。
私は母子家庭で二人暮らし、母は看護師で夜勤もやっており、ちょうどその日母は夜勤シフトでした。帰ってくるのは深夜1時過ぎ。母が居ない夜に友達が遊びに来るという、ちょっとしたワクワク感と心強さのようなものもあり、遠いところ悪いなあと思いながらも深く考えずに来てもらうことにしてしまいました。
「いらっしゃーい」と出迎えた私に「急にごめんね、ありがとう」と言ったSさんの表情はどこか固く、家にあがってからもどこか雰囲気がぎこちなく心配になる私。「平日にMちゃんち来るのはじめてだね」「ああ、そうだね、今日はお母さん夜勤でいないんだ」など他愛のない会話を交わしていましたが、やっぱり顔つきが冴えないSさん。
「遠いところ来てくれてありがとう。でも、どうしても今日、って何かあったの?」
「あの…今日バレンタインだから。これ、Mちゃんに。手作りしたんだ」
と、手渡されたのは可愛いラッピングが施されたバレンタインの手作りチョコレートでした。
「えっ、そうだったの!私なんにも用意してなかったよー!ありがとう、うれしい!」
素直に驚きと喜びを伝えたら、Sさんは泣きそうとも笑顔ともとれそうな複雑な表情で私を見つめたあと、強く抱きついてきて「Mちゃん、本当に大好き」と囁くように呟きました。
「う、うん?私も好きだよ…?」
「でもきっと、Mちゃんが言う“好き”と私の“好き”はちょっと違うと思うんだ」
「えっ?…」
そしてそっと私にキスをしました。ほっぺにでも、おでこにでもなく、くちびるにです。これが私にとってのファーストキスでした。
とにかくびっくりしたけれど、不思議と嫌な感情は特には湧きませんでした。その後何を話したのか、どうやってSさんが帰って行ったのかもよく覚えていませんが、すっかり元気な笑顔を取り戻したSさんを玄関口で見送った画はしっかりと記憶しています。
その次の週末、Sさんの家へ遊びに行くことになりました。
キスのこともあってドキドキはありましたが、あれは何かのきまぐれだろう、きっと普通に友達でいられるだろう、と思っていました。その日、Sさん宅では二人でゲームをしたり同人活動にいそしんだりとこれまで通りの楽しい一日を過ごしました。特にこの間のキスの話題も出ませんでした。
私が「じゃあ、時間だからそろそろ帰るね」と、帰り支度をしようとしたとき「やだ、帰っちゃやだ、大好き」と言ってまた抱きしめられて、キスされました。何度かキスをされるうちに、舌が入ってきましたが、私はまた拒否もせず、受け入れてしまっていました。
その日から一緒に遊んだ日の最後は、こんなふうに抱きしめられてキスされることが多くなってきました。私からしようとしたことは一度もありません。拒否をするほど嫌だったわけでもなく、実際キスという行為はやわらかくあたたかく気持ちいいもので、拒絶することでSさんとの友情関係が崩れることを避けたかったこともあり、背徳感を抱えたままその関係を続けていました。
そんな関係が3ヶ月位経ったあるとき、私はとあるバンドに出会い雷を打たれたように骨抜きになってしまいました。そのバンドのことで頭が一杯の毎日、TVや雑誌などを追いかけるのはもちろんのこと、同人活動の土俵にもそのバンドを持ち込んで、また、同じバンド好きの新しい友達が沢山できました。私とSさんはともに受験生となっていましたが(私は高校受験、Sさんは大学受験)、電話は週に2、3回ほど、月に2回ほどは一緒に遊んでいました。ですが、Sさんは他の友人たちと一緒のときでも手をつないできたり抱きしめてきたりと過剰なスキンシップが多く、私はちょっとうざったいなあと思い始めていました。
だんだん私の興味がバンド一番になっていることに気付いて、Sさんはひどく寂しさを覚えてしまったのだと思います。バンド関係の友人と遊びに行くことにはじまり、そのうちSさんも交えて共通の友人と居るとき私が他の友人と話しているだけでも深い嫉妬をするようになりました。友人がいてもお構いなし、その場の雰囲気が悪くなるくらいあからさまに不機嫌になり、悲しそうな顔をするのです。周りの友人にも「SさんはMちゃんのこと好きすぎじゃない」「SさんってMちゃんにベタベタしすぎ」などとからかわれることも多くなってきて、私は正直もう面倒くさくなっていました。当時のモットーは友人関係は広く浅くみんなと公平に、束縛するのもされるのも本当に苦手でした。これ以上踏み込まれたくない、と私のSさんに対する態度はだんだん冷たくなり、そうなるとSさんがひたすら謝ってすがるようにさらに甘えてくることに辟易し、電話も合う頻度も自然と減っていきました。自分からきちんと嫌なことを嫌だとは伝えずに、冷たい態度をとることで私のことを嫌いになってもらってうやむやのまま自然消滅すればいい、と思っていました。私にとってSさんを傷つけ続けていることよりも、あの熱量の高い束縛から開放された安堵の方が大きかったのです。子どもですね。
その後、私はバンドに熱を上げつつも勉強を続け、無事志望校高校に合格。Sさんからも東京の大学への進学が決まったとの連絡が来ました。
Sさんが東京へ行く前に駅前のマクドナルドで待ち合わせて二人で会いました。10月頃、同人誌即売会ですれ違って話したのが最後だったので、ずいぶん久しぶりでした。お互いの合格を祝って、近況やこれからの新生活についてぼんやりと話して、元気で頑張ってね、と言って普通に別れました。もちろん、好きだという言葉も抱擁もキスもありませんでした。
その後、一度だけSさんに会いました。私が19歳の夏でした。
私は高校を卒業して東京の専門学校へ進学しました。1年生の夏休みのことです。帰省して久しぶりに地元の同人誌即売会へ参加しました。その後、居酒屋へ流れて友人たちと飲みに行ったのですが、そこに遅れて現れたのがSさんでした。3年以上振りの再会。私たちはぎこちない笑顔で「ひさしぶり」くらいの最低限の挨拶を交わして、私を避けるようにして遠い席に座ったSさん。それぞれ周りの友人たちと盛り上がり、Sさんとは全く話しませんでした。ただ、居酒屋の喧噪にまぎれてSさんが自分の彼氏の話で盛り上がっているのが、ぼんやりと聞こえてきたのでした。
現在、私は同人活動からも一切足を洗って、イベントなども10年以上参加していません。当時の友人たちとも疎遠になっていて、Sさんがどこで何をしているのかは一切わかりません。
毎年バレンタインの時期になると思い出す、私にとっての忘れ得ぬ人です。
長文乱文失礼しました。
二次創作の同人誌描いてるけど描けば描くほどこれ大丈夫かなってなって
こんなの恥ずかしい発表したくないってなって
イベント会場でこんな本にお金払わせてすみませんってなって辛い。
もう本当に全てにおいて自信なさすぎて辛い。
キャラクターの解釈とか苦手なくせに同人やってんのも意味分かんないし
こんなんで何が伝わるのか分かんなくて辛い。
原作が好きで好きでどうしようもなくてこの気持ちをどうにかしないとやばい!ってなって同人やってるはずなのに
それでも描かなきゃ全ての技術は上手くなんないから次の妄想をもうちょっとマシな形で表現するための練習だと思って同人描いてる。
自信ない。辛い。誰か作品を肯定してほしい。誰かって誰だろう。
自信欲しい。でも褒められても自信にならない。嬉しさと想い出にはなるけど。
自信が持てる作品を描けるようになりたい。早くなりたい。
仕事も締切前はあんまり入れないようにして出来る限り人生を同人に傾けてる。
もちろん赤字。初動40冊弱。
売れるより自信のあるものが描けるようになりたい。
みんなみたいにワイワイしてみても楽しいより辛いが大きかった。
同人ってなんだ?
なんで同人やってるんだろう?
でも同人やらないと、止まると死ぬマグロみたいに死ぬと思うからやるけど。
同人活動がやりたいんだけど。
マイナーカプの大手と読み手が厄介人だと、同人活動が苦しいな。
このカプのイラストよく描くし、本も1年間ずっとそこそこ出してるのにも、
大手はずっとなんでこのカプは自分と他の大手しかいないの、辛いの呟きばかり。
このカプは人全然いないとまるで自分だけのもので、自分がちゃんと本出さないとなくなるの呟きしたり、
いや、私と他の描き手も1、2人くらいはいるですけど?私のこともフォローしてるから、私がこのカプの本出してるの、
分からないこともないし、イベントでも私が本出してるのみれるはずなのに、私が次のイベントもこのカプの本出しますよとの会話したあとも、
まだないものとされて、いったい何かしたいだろ?
最初はまあ、私別に大手ではなくて、絵も下手だし、仕方ないなと思っても、1年も書いたら流石に限界で、いつもそんな呟きで悲しいですよとやっと勇気出して言ってやったら、何日になったらな
ぜかブロックされて、この上、呟きで私みたいな人のこと我慢できない、私の悪口まで言い出しました。
このジャンルの人もただ相手のことを応援するばかりして、相手は大手だから仕方ないだろと思ったら、まさか友達と思ってた人までブロックされて
このカプの他の描き手まで相手のことを応援しるの呟きを見てしまった。
そうか、だから相手にいやならフォロー外せばいいのに、合わないな人と同人やりたくないとか、他の描き手もいるのに、なぜ私だけが無視されたと思うの理解できないとか言われますね。
いや、無視されたのは私だけとは言ってないですけど、でも他の描き手まで相手のことを応援したら、私が何言っても仕方ないな。他の描き手のことも大丈夫かな、辛いだろと思ってたけど、
悲しいのは私だけか。
マイナーカプで、このカプのことをエコザするのが楽しみなのに、エコザしたら、読み手まで相手のことどれほどすごいとか、
このカプはいくら検索しても、相手と他の大手しかませんとか、見れるものがなくて、めちゃ辛いのとか、
このカプのことを嫌いになれば、このジャンルから離れば、樂になれるだろと、他のカプの作品もいっぱいみましたけど、結局他のカプをハマることができず。
このカプのことを考えたら、このカプの漫画を書いたら楽しくなる。でもこのカプの大手と読み手が私の存在を否定してるの呟きばかりするの考えると辛い。
イラストを描くだけでネットに上げない、イベントも参加するのやめるしかないか。
好きなカプなのに、これを嫌いになるの本当にどうすればいいだろ
少し思うところがあって書く。
不快にさせたらごめんなさい。
何もかも自分に置き換えて考えてしまう性質があるから、ファンもアンチも同人も怖いと思う部分がある。
もし自分が作家だったとして、自分のキャラクターが本来でない同異性愛者にされていたり、全く考えもしていなかった設定にされていたり、貶されていたり、過剰に妄信されていたり、まるで別人のように描かれていたりしたら、かなり嫌だし、CPの解釈違いによるファン同士の罵り合いなんてとてもじゃないけど見ていられない(だってそもそも誰も同性愛者でない場合が殆どだ)。みんな好きには色々あるし、自分にも理解出来ない解釈やCPはあるけど、そもそもその作品は作者のもので我々のものではないし、つまり何と言うかもっとキャラクターと作品を大切にして欲しいと思う。愛故にとか、言い分は色々あるだろうけど、キャラクターはその作品を支える大切な存在で、読者の玩具ではないのだ。
あと思うのが、最近見かける同人作家さんはなぜそんな堂々としているのかということ。同人活動してるアカウントが公式のツイートをRTするなんて信じられない。棲み分けが出来てないどころか、公式にも自分たちにも配慮が出来てない。自分のことしか考えていないんだろうなと思う。
どうしても吐き出したくて書きました。自分も二次は好きだし生産はしませんが見ることもあります。ただその作品やキャラクターをまるで自分のもののように扱う人たちを見ていてモヤっとするのです。
人生は苦しい。
そのあまりの苦しさから、人はみな「億万長者になりたい」と願う。
例に漏れず、私も早速「億万長者になりたい!」と初詣で願ってきた。
また、そのための取り組みをしていないこともない。
だが、最近は『億万長者になったつもり生活』をしてみてもよいのではないか、と思えてきた。
そもそも、私の考える億万長者とはなにか?
株をたくさん持っているおじさんであり、
要するにサラリーマンのように週5勤務でなく、年収300万円程度の生活を維持でき、
望まなければ人に会わなくともよい生活を送っている人たちである。
「じゃあ初めから仙人になりたいと言え!」という話だが、私はたとえ7億円を手にしても
15:00 バスで繁華街へ。無駄にカフェへ入りカフェインをとる。
18:00 野菜炒めセットと豚バラ、スーパーマリオRPGの中古を買って帰宅。
20:00 ゲームをする。大人になってからやっと回復系キャラの重要さを知ることができた。
00:00 就寝。
といった生活を送るにちがいないので、
ここでは「億万長者 ≒ 無職やニートと同じような生活を送る人」とさせてほしい。
本音で言うと「人がこわい」だが、建前を話しておくと、
とある精神疾患を発症してしまい、世間一般の生活を送ることが難しいからだ。
そんな夢のある夢のような夢でしかない夢を実現するには、たくさんのお金を持つしかない。
そう考えていたし、今もそう考えている。
世間から離れたいのに世間一般の考えを引っ張ってくるのは癪だが、
億万長者になることは難しい。というかほぼ無理である。
会社勤めで目指すなら、年収1,000万は必要だろう。キツい。そして飲み会に出なくてはならない。
起業をしても望みは薄い。部活でさえ後輩を持ったことのない人間に、果たして上司が務まるのか。
ならば相続はどうだ? 奨学金なしで大学に入れてくれた親父には本当に感謝しているが、おそらくそれほど遺産はない。
よし、株だ! 始める前から長期投資派なので難しい。FXは言わずもがな。
現在無職。雇用保険を計算に入れると、あと1年は慎ましい生活を送れる貯金はあるが、
実用的な資格もなく、実務経験もほとんどない。そもそもフルタイムで働けない。
「アフィ」という文字列を見ただけで、激昂する読者もいるかもしれない。
アフィリエイトの悪評はご存知の通りである。ここではあえて弁明もしない。
だが、そんなアフィリエイトでさえ、月10万円の生活費を稼ぐのは至難の業だ。
事実、開始4ヶ月目での収益はたったの1,000円である。お年玉の方がまだ高い。
実際、そのほとんどの時間は様々な学習に割かれており、実作業時間を考えれば、
また有象無象のアフィリエイターたちの数ヶ月目の報酬実績を見れば、悪くない滑り出しではある。
1年後にはなんとか10万円ほどをコンスタントに稼げているであろう。
そんな生活を送っているためか、最近は『億万長者になったつもり生活』を夢想している。
それはなぜか?
私は先ほど、人に会わない理想の生活を書き記したばかりだが、本気の本気で億万長者になった妄想を
眠りに落ちる前にひたすら繰り返す生活を何年も続けた結果、このような知見が得られた。
「寂しい」である。
そう、億万長者は寂しいのだ。
アーリーリタイア、つまり30代40代半ばで隠居生活に入った人たちのブログを読んでも、
なぜか?
「寂しいから」だそうだ。
会社へ行かなくていい生活とは、つまり会社へ行かない生活であるから、
町内会にでも参加しない限り、同人活動を行わない限り、人に会う機会がほとんどない。
だから、億万長者には「(そこまで稼げないが)人と会うことができ、楽しく続けられる仕事をする」人が多い。
これを億万長者でないままやってみよう、というのが『億万長者になったつもり生活』である。
そのメリットとはなにか。
億万長者なのだから、投資や貯蓄のための余剰資金をガンガン稼ぐ必要はない。
億万長者なのだから、絶えず話の行方に気を使い、いつ応答を求められるかに怯える飲み会に出る必要はない。
億万長者なのだから、資産を減らさない程度の、寂しくならない程度の仕事でいい。
スーパーマリオRPGだって100周くらいしてもいいのだ。
あいかわらず人は怖いけれども、週5フルタイムでないのなら、いくらか続けられはするだろう。
なんてことを言いつつも、なったつもりにもリスクはあるし、
踏ん切りだってなかなかつかない。
「え? 今さら?」
「もうみんな知ってたぜ!」
「義務教育で習っただろう?」
物事を始めるのであれば、できるだけ早いほうがいい。
そして正直、私はまだ若い。
時間というチャンスがある。
なったつもり生活とは、そのチャンスをみすみす捨てることだ。
もったいない教の信奉者でもある私にとって、これほどもったいないことはない。
「し、しかし……」と思い悩みながら、その悩みをこうして長文にしたためながら、
そのてんびんを私はひたすらに凝視している。そろそろ目が痛くなってきた。
こういう風に「なんで抵抗あるのかわからないけど嫌いなんです」みたいな事をわざわざ言う人は何がしたいのか?
答えは簡単で何かを理由もなく、または「正しくない」理由で嫌う事に抵抗感があるのです。
腐女子やオタクに限らず人間は何かを嫌ったり叩くときにとにかくそれらしい理由をつけたがります。
大義名分を持つことで叩いている自分が正義の味方だと思えるからです。
だから嫌いなアニメを叩くために「腐媚びしてるからダメ」「信者のマナーが悪いからダメ」とか理屈つけてるんですよね。
もちろんそれが全部嘘で無理やり捻り出した理屈だとは言いませんけども。
で、某アニメが嫌いなのは自由なんですけどあのアニメには大義名分になるような叩き要素がまだないんですよね。
スタッフが迂闊な発言で炎上したわけでもないし、ストーリーがとんでもない超展開したわけでもないし、登場人物が犯罪や不愉快になる事をしでかしてもないし、ファンのマナーも(今の所)大きく取りざたされてませんし。
だから叩こうにも叩けずに「好きになれない私が変なのかな〜?」とかチラチラしながら匿名で日記書いて同志を募ってるわけですね。
勘違いして欲しくないんですがあのアニメを嫌いになるのも批判するのも自由なんです。
私が言いたいのは「とにかく嫌い」なものに対して大手を振って叩ける箇所を血眼になって探すのは非生産的で虚しいってことです。
同人活動という完全なる趣味の場で好き嫌いに理由つけたって自分が疲れるだけですよ。
嫌いなものは嫌いでいいんです。
好きな作家さんが移動してしまったとか原作者の態度が気にくわないとかフィギュアスケーターに親を殺されたとかなんでもいいんですがそういう「正しくない」理由で何かを嫌う自分のことを受け入れて自分の好きなものに集中していればいいと思います。
前は、イベント記念アンソロジーや好きなカップリングのアンソロジーの企画が発表されるとわくわくしてサイトを見に行ったり、イベントで購入するのが楽しみだった。
ただ、その頃は私も絵を描き始めて間もなかったし、到底アンソロジーに誘われるだけのレベルではなかったので、一読者としての楽しみであったのだと思う。
それから数年経ち、個人誌を出したり、頻繁に同人活動をするようになって初めて
アンソロジーに誘われないということは辛いことだ、と感じた。
公式が発行するようなものはともかく、同人活動の一環として発行されるアンソロジーというのは、そのくくり(カップリングだったり作品だったり)が好きな人たちで集まってワイワイ楽しむ、お祭りのようなものだと思った。
参加すると「私はこの作品(カップリング)が好きですよ」という印象も付く。
周りの、同じ作品やカップリングが好きな人たちがあるときから一斉に
「DM送りました!確認お願いします!」 「メッセージ送ります!」とざわざわし始めて、その後、企画がたちました!サイトができました!とアナウンスされるのを見ているのが辛い。
言い方はとても悪いが、仲間はずれにされている気持ちになる。
これが作品を生み出さずに喚いているならともかく、普段から作品を投稿したり、呟いたりを頻繁にしていても誘われないと、「その作品やカップリングを好きな人たち、の中に私はカウントされないんだ」と思ってしまう。
周りがその話題で盛り上がれば盛り上がるほど、どんどん惨めになっていく。
それが原因となり、この作品やカップリングをいくら描いた所でどうせ私の作品はいらないんだ、と思われているなら描かなくてもいいだろう、とジャンルから引いてしまったこともある。
自分の作品が技術的に稚拙だから企画には需要がないことは分かっているけれど、
分かっていてもそういった、「需要がある人たちだけで集まって作った作品集」のようなあからさまな形として見せ付けられるとどうしても辛くなってしまう。
以後、その企画に参加した人から自分の作品を褒めてもらっても、どうしても信用できず、とりあえずお世辞で言ってるだけなんだな、と全く嬉しくなくなってしまう。
自分の心が狭いことは分かっているけれど、そういうことをもやもやと考えるようになってから全ての企画を素直に楽しめなくなってしまった。
なんで自分を誘わないんだ!という怒りとかじゃない。ただただ今まで自分が好きで好きで書いてきたものは何一つ需要がないものだったんだなあ、と悲しくなるだけ。
私みたいに小さいことをウジウジ引きずる人がそうそういるとは思えないけれど、全く知らないジャンルやカップリングであっても、アンソロジー企画を見かけるたび、もしかしたら誘われなくて惨めな思いをしている人が居るかもしれない、とどうしても考えてしまって、素直に喜べなくなってしまった。
どうせやったことないのをプレイ動画で見てさも知ったようなこと書いてるんだろ?
コスパ良すぎだろ
現に金の掛かるアーケードゲームの話とかしても全く乗ってこないのが増田
艦隊これくしょんも同人活動やブラウザゲーの話は聞くけどゲーセンで大盛況のAC版艦これの話なんて増田では全く聞かない
それはゲームやってるつもりのプレイ動画視聴者が大半で金は払ってないってこった
アイマスやデレマスとかは流石に母数が違うから食い付きが違うが、
ほとんどのゲーム日記にコメントしてるやつはびた一文落としてないやつが大半だろ
今さらお前以外みんな分かってることを・・・という内容をツラツラと書いて
でもそんなこと書く馬鹿が定期的に湧いてくるのが恐ろしい
元増田です。
はてブでホットエントリ入りしていてびっくりした。皆さん読んでくれてありがとう。
少女漫画男子がこんなに現れるとは思わなかった。何となく白泉社が人気かと思ったらやっぱりそうなんだ。自分は他の雑誌社だと生々しい女子高生が出てきて苦手なことが多い。白泉社だと現実離れした女子が多いから、男性でもとっつきやすいのかも。
そもそも少女漫画が好きな人と現実で会う機会が、女性を含めても今まで本当になかった。だから、今、ネットと現実との落差に驚いている。コミケに行った時も、少女漫画ブースがBLに比べて活気がなくて残念だった(BL、百合の同人活動は男子も女子も活発だった)。
id:natsukitchen この増田とお見合いしたいです。なお123の条件が揃ったヒロインでいえば秋里和国『花のO-ENステップ』と清水玲子『輝夜姫』をオススメします。むしろ既読だったら結婚したい。
そこまで言っていただけると恐縮です。その二作は読んだことが無かったので読みたいです。
id:TokiMaki わかる。私はつねにヒロイン側に感情移入して読んでいるので、安易なパンチラやラッキースケベのある作品はあまり受け付けない。少女漫画の方がどちらかと言えば《萌え》の波長が合う。あと百合漫画も好き。
まったく同感ですね。ただ『山田くんと7人の魔女』のパンチラは許せます。女性作者の魔力でしょうか。
私も百合漫画好きです。最近だと『citrus』『捏造トラップ』読みました。『恋愛ラボ』も大好きですが百合ではないか……宮原るりのファンでもあります。
id:tokidokioh 僕も少女漫画大好きなんだけど、少女漫画のヒロインって残念美人、自己評価の低い子が多くて、自己肯定感の低い面食い男オタクからすると理想のタイプなのではと思っている
己の駄目な部分を指摘されたようで、一番堪えるコメントでした。私の自己評価の低さは自認してます。
ただ、自己評価の高い子もタイプではあります。むしろ「私って何の取り柄もない女の子なのに……」と思っているようなヒロインは苦手です。キャラが自分のコンプレックスでヘコんでいる姿に、萌える人がいますが、私は共感出来ないです。モデル体型が好みですが、「貧乳コンプレックスフェチ」はまったく持っていないです。
id:ata00000 萌え漫画の女性キャラは記号的というか自我のないロボットみたいに見えることがある。そういうのは苦手だ/理解できない人には、少女漫画の男キャラが好きと言われるとどう思うかを想像してもらえば理解されるかも?
私は萌え漫画の女性キャラは記号的であると同時に男性的でもあると感じます。逆に少女漫画の男キャラは中身が女子であることが多いですね。『ラストゲーム』は柳が女子っぽいので、半分百合として読んでましたwww
id:ruka98 私は漫画全般好きだけど特に少女漫画が子供時代から一番読んでるから嬉しいですし身近にいたら話したいですけどね。その辺り読んでる世代なら清水玲子さんとか知ってますかね?/谷川史子さんとか好きですか?
お二方の名前は知っているんですが読んでないです。申し訳ないです。私は20代半ばなので、その年代の有名作家がすっぽり抜けています。花の24年組の時代の作家は母の蔵書を借りてよく読んでいました。『輝夜姫』読まないと……
id:etr “花ゆめいと”では無いことだけはわかった。
下野さんと島崎さんのラジオですか?最近存在を知って、ちょくちょく聴いてます。確かこの前男子リスナーのお便り読まれてましたね。数少ない仲間かと思っていました。
id:pyhu 同じく少女漫画男子。男が少女漫画読むのキメエってなる風潮が辛い。増田よかったら俺のブログ見に来てよhttp://tekitounakansou.hateblo.jp/
ありがとうございます!参考にさせていただきます!
id:twikkun 放浪息子が少女マンガだと……という下らないツッコミは置いといてさおりん最高クソメガネ滅びろ/挙がってるの最近の作品が多くて現役バリバリ感ある。僕は量は読めてないけど吉住渉先生の作品が大好きです
志村貴子は言われてみると連載誌が青年誌ですし、少女漫画とちょっと違うかもしれませんね。夏目房之介の説に引きずられていました。でも表現方法からすれば少女漫画でいいとは思います。
千葉さんが二宮くんを選んだのは多くの読者の欲望を裏切るものですが、千葉さんの視点からは現実的な判断だと感じます。明らかに作者が読者の欲望を意図的に裏切ったのだと思いました。『青い花』の杉本先輩の変貌も同様の意図なのでしょうね。読者の欲望をあえて否定することが、志村貴子作品が他の恋愛マンガ(特に百合)と一線を画す点かもしれません。
id:yokoshimauma 支援!!少女漫画男子大歓迎!!男子目線での新しい発見がありそうだから語り合いたい。/漫画のジャンルわけは便宜上で、少女漫画→少女のためのものってわけじゃないと思う。少年漫画好きの女子もメジャーだし。
ありがとうございます。語り合える場所があったらいいですね。
ただ、少年漫画と少女漫画の非対称性はあると思います。女性→少年漫画は多くても、男性→少女漫画が少ないのは、多岐にわたる構造的な理由がありそうです(恐らく読み方の文法の違いに起因するかと。また少女漫画の流行の後を少年漫画が追っているという、宮台真司の論考は読んだことはあります。それも関連しているかも)。
作品内容とツイッターでの性格とリアルの性格は全て別なのはわかってはいるけれど、
ツイッター上で繋がりがある人とイベントで会ってから、ツイッターでメチャクチャ揚げ足取られて煽られている。
会う前はビクビクしていたのだが、スペースで挨拶した時はそんなこと全然なくて、かなりシンプルな服装で、結構痩せていて、とてもナチュラルメイクの方だった。
かなり緊張しつつも挨拶して、話をして、何事もなく終わった(気がした)
そして、イベント後、私はとりあえず感想を送れる人には送った。
思ったことをメモした付箋を貼り、付箋の中から良かった部分をピックアップし、文章が気持ち悪くないか、解釈は間違っていないか、読むのに長くないか…。
そういうことを気にしながら感想を送る。交流のある人には大体送っている。
感想を送るのは好きだ。
相手が喜んでくれて、何より次の本を書く原動力になるなら嬉しい。
でも、そういう気分の時ではない時がある。
ヘルニアの痛みがひどいとき、作品を作っているとき、上手く生活ができないとき、次の本の内容を考えている時など。
イベントが終わってからすぐの約2ヶ月、私はヘルニアの痛みと謎の胃痛にやられてほぼ寝ていた。
痛くない時はなるべく感想を送った。
とりあえず、ツイッター上で交流のある人で、ちょっとトラブルに巻き込まれたり、悲しんでいる人から先に送った。元気になってもらえればと思った。
だが、そこがいけなかったのかもしれない。交流に順位をつけられてると思われたのかもしれない。
数週間後に煽り人が表垢で「感想くれるって言ったのに!」って空リプしていた。
私が以前「今度長い感想送りますね!」というリプを待ってくれたらしい。
(有言不実行になってしまったので、かなり長文になってしまったが感想の手紙を書いた)
私は「今度感想送りますね!」という一言をもらっても、その一言でもう感想をいただいたようなものです!と思っているし、
忙しいと思うのでその力は他の神本の作者さんに使ってください!とも思っている。
もしくは、前回のイベントで新刊を買ってくれた方が今回のイベントで新刊も買ってくれたり、既刊の在庫数や、支部のブクマ数も感想だと思っている。
けど感想は貰えたらそれはもう嬉しい。メチャクチャ嬉しい。痛みと折り合いをつけつつ、次の本を頑張ろうと思える。
締め切りが間に合いそうになくて、泣きながら原稿している時の活力だ。
だが、自分の作品で感想がなかったものには「きっとその程度の作品だったんだ…ではこんな形はどうだ!?」と思って次の本の構想を考えている。
感想についての考え方は人それぞれなので、私と煽り人の感想について考え方が違うのだろう。
私がその人に対して過敏になってしまっているのかもしれない…と思ったが、あまりにも失礼なリプライが来た時に「もしや…意識的に煽ってるな…!?」と思って検索をかけたら、
煽り人の友達が「イラレの使い方でメッチャ煽ってたねw」「やっぱり?やり取り見てウケたわ~」という一文を、煽り人の鍵垢にリプしていたのを見て確信した。
煽り人は煽り意識があって私を煽っていた。私はかなり親しい間柄でないと煽ってくる人を好ましいと思えない。
年齢について、イラレの使い方について、PCの不具合解決方法について、同人誌を作るための機材について、ヘアメイクについて…。
気に入らなければブロックしてくれて構わないのに…と思っているが、粘着煽りが好きなのかもしれない。
今度、同じカプの他の人も交えてオフ会を開く約束をしているのにも関わらず、煽りリプライが来る。
会うのに煽るのってすごいな…手紙渡したらその場で燃やされないかな…と思いながらマジレスを返す日々。
作品で殴ってやる!と思ってウェブに作品を上げたが粘着は止まない(作品のパワーが少なかったのかもしれない…)
私が煽り人に何が気に入らないのか聞いて直したとしても、多分わかりあえない問題だからどうしようもないんだろう。
ただ、少なくともこのカプが好きで、モヤモヤが消えなくて作品にしないと消化できない!まだ足りない!もっと書きたい!
と、思ってイベントに出て、素敵な本をその場でゲットできるうちは波風が立たないようにしたい…。
だが、私はアカウントを消す。ツイッターがなくても同人活動はできる。
同人活動は、私の萌えを聞けぇ~~~~ッ!ってスタンスだし、人付き合いが下手なので、あまり交流に深入りしないようにしよう。
Twitterで、なんとなく他の人と壁があるなと感じてる。
呟きもこのキャラのこういうところが好き~っていう萌え語りしかしてないし、同人活動のあり方とかを説いて学級会を開こうとかもしてない。
政治や宗教の話もしないし、私生活の話もしない。愚痴をいったりもしてない。何かを批判するような攻撃的なツイートもしてない。人を不快にさせるツイートはしないように気をつけてるつもり。
○○が可愛いかっこいい、○○×▲▲が萌える~って呟いてるだけなのに、周りの人と違って交流が出来ない。
TLを見てると、萌え語りに対して「わかります!○○って可愛いですよね~」 「私も○○×●●好きです!」とかやり取りしてて、なんで私はこうやって人と仲良く出来ないんだろうかと思う。
そして、フォロワーとご飯行った~とか、イベント一緒に行った~遊んだ~とかを見てると、いいなあと思って見てしまう。
自分より後に相互になったフォロワー同士がTLで、遊びましょうよ!詳細DMしますねとかやり取りを見てると、羨ましくて仕方なくなる。
「そんなの、自分から行動しないでウジウジ言ってるからだよ」 と指摘されてからは、素敵だなと思った作品やツイートには、積極的に感想やリプライを送ってる。重たくならないようにさらっと、とんちんかんだったり馴れ馴れしくしないように気をつけて、素敵です、面白いですって。
でも何も変わらなくて辛い。
感想を送った人からは「ありがとうございます、うれしいです」って返信は来る。でもそこから何も続かない。仲良くなれない。
でも、一人で黙々と絵を描いてアップして、萌え語りしてるだけなのが辛い。
同じ作品やキャラが好きな人とどこが好きなのかとか、このシーンが好きだとかそういう話がしたい。スカイプで萌え語りがしたい。オフ会にも参加したい。遊びたい。
淡々と萌え語りとイラストを上げ続けているから話しかけにくいって言われたことがある。描く機械みたいと言われたこともある。
高尚様なんかじゃないつもりなのに、気をつけてるつもりなのに。
教えてほしい。
件の鉄道むすめの話が、どんなものかと思って公式ページを見てみた。
http://tetsudou-musume.net/contents/chara/?kana=a
http://twitter.com/orz404/status/787882634026160128
そして、この解説を見て、なるほど、と思った。(実際の時系列は解説見たのが先だが)
ただ、他のキャラクターとくらべてこの子だけ表情の作りが違うなと思ったので元ネタを見てみた。
https://www.facebook.com/ekino.michika
なるほど、頬が赤いのが1つの特徴だったのか。その要素をそのまま「萌え絵」的表現にするとこうなるのか。
私個人の結論としては、公式じゃないにせよ公認でこのイラストはちょっとNGなんじゃないかと思う。
それは東京メトロを普段使う利用者として、また、東京メトロの株式を46.58%の保有する東京都の有権者として。
(これが札幌市営地下鉄だったら私が意見する筋合いは無いのかもしれない。)
ただ、他のキャラクターは全然問題ないとも思うから不思議である。
その点、orz404氏の解説は、他のキャラクターとの違いを十二分に言語化してくれていると思う。
性的なものでも公共物に利用して問題ないだろというラジカルな意見を除けば、公共に掲示するものに極力性的要素は排除する、というのは大多数の意見であると思う。
では、「その線引はどこなのか」が焦点だと思うが、文脈や人にもよるだろうし、同じ人でさえも時間や状況によっても変わる。
そこに境界線は存在せず、グラデーションですらないと思う。ぼかしがかかったモザイクくらいか。
何の変哲もない無機物単体に欲情する人もいるだろうし、しない人もいる。
缶コーヒーを女性器に突っ込んでいるJKの無修正画像を思春期に見た人は、缶コーヒーを真上から見ただけで少し性的興奮を覚えるかもしれない。
今まで意識していなかった人と成人してから中学校の同窓会で久しぶりに会い、しゃがんで缶コーヒーを飲んでいる姿を見て、急に異性を感じ、帰宅後に卒アルの写真を出してきておかずにすることだってあるはずだ。
私だって思春期に無修正画像を見なかったら、缶コーヒーで興奮などしていない。卒アルもおかずにならなかった。
そうした多様な人々の、多様な性の線引きで、すべて人が性的でないと判断する表現・創作活動など不可能だ。
解決するには、どこかで多数派が納得する程度の「あいまいな線引き」を「創作者」が行い、「住み分け」をするしかないと思う。(ある程度安全マージンがあると望ましい)
その線引のひとつの基準として、orz404氏の解説は的を得ていると私は思った。
結局、「俺の見たくないものを俺の前に出すな」という身勝手な話なのだろうと思う。
多数派により性的だからNGとされた表現手法を(性的に興奮するかしないか別として)愛好する人にとっては、多数派による圧迫にしか感じないと思う。
私は缶コーヒーに欲情するのに、おそらく缶コーヒーが公共物のポスターでNGとなることはないだろう。
この文章をいま書きつつ、強者の論理だというのは承知している。
しかし、その住み分けを放置した先には、獲物を見つけた多数派による袋叩きが待っているに違いない。
最近というほど最近の文化ではなくなってきたかもしれませんが、同人誌の「お取り置き」についての話。
知ってる人がほとんどだと思うけど、同人誌の「お取り置き」がどんなものかというと、即売会の前に作者に「この本が欲しいので、私に売る用の分を売らずに取って置いて欲しい」とお願いするものです。
この「お取り置き」システム、即売会で欲しい本が必ず(サークル側にミスがなければ)手に入る神システムだと思います。確かに神システムです。
ただ、このシステムがほとんど一方的に、買う側にしかメリットがないことを知らない人も多いんじゃないかなあ、と最近思うようになりました。
・取り置きは頒布物を取って置いてもらうものなので、お金を払う必要がある。
・取り置きはサークル側の義務ではないため、していないサークルに当たり前のように頼まない。
同人活動のスタンスは人それぞれなので色々思うことがあると思いますが、上記二点はほとんどの人が同じ認識だと思います。
さすがにこの二点は当たり前だろうと思っていても、この二点すらわからない・知らないような人をそこそこ見かけるのが恐ろしいと思います。
まず、取り置きをすること自体、はっきりいってサークル側にほとんどメリットはありません。
人によって管理の仕方は違うと思いますが、まず取り置き分の名簿を作り、在庫から取り置き分を分け、人によっては取り置き分は一冊一冊封筒などに入れて渡す人もいます。
これは普通に頒布をすれば一切必要ない作業で、取り置きをしたからと頒布価格を上げるサークルというのはあまり聞いたことがないので、これはサークル側が好意で手間をかけてくれているだけです。
強いて言えば、印刷の発注をする前なら部数の目安にならなくもないですが、受注生産でもなければあまり意味がない気がします。
その上、取り置きをしてもそれ以降音信不通になり、取りに来ない人、もしくは「取り置きを頼んだけれど普通に買ったので大丈夫です」という人が時々いました。これをやられると普通に頒布すれば残らなかった在庫が手元に残ることになるので、結構つらいです(場合によっては取り置き以外手元にないため、頒布を断ることもあります)。特に後者は好意だったりするのが本当につらい。
どちらもすごい手間、リスクと言うわけではないので伝わりにくいかもしれませんが、こういうデメリットがありながら取り置きを許容しているサークルは少なくないと思います。
では、なぜデメリットばかりの取り置きがここまで一般化しているかというと、個人的には「サークル参加していて買い物に行けないサークル同士のやりとり」もしくは「友人同士のやりとり」が原点だったのかな~と思います。
それがTwitterなどの普及で「普段フォローしてくれている人に」と敷居が下がったのが現状だと思います。
サークルは必ずしも売り子をスペースに呼べるわけではありません。朝から頒布、落ち着いた頃に買い物、となると既に周りのサークルの本は売り切れ、ということはめずらしくなく、そういうサークル同士がお互いの本を買えるように、というものだったのではないかと思います。
私も人間なので、読みたいと思ってくれる人には頒布したいと思って取り置きを受け付けていたことがありますが、そもそも本を買ってくれている時点で同じく「読みたい」と思ってくれている人であることには変わりないのに差を付けるのはどうなんだろう?むしろ朝一で来てくれる人の方がどうしても欲しいと思ってくれているのではないか?と思って取り置きを受け付けるのをやめました。そもそもできるだけ売り切れないように刷っています。
サークル参加をしているため売り切れるまでにどうしても買いに行くことができない、事情があって会場に来れない、それでも欲しいと思ってくれている人への対応はしたいと思いつつも、Twitterだと周りに見えてしまうのでDMやスカイプなどでやりとりをしています。
それじゃあ仲の良い人にしか頼めない、と思うかもしれませんが、本来取り置きってそういうものだと思います。
これを「絵描きは絵描きしか贔屓しない」とか言われても本当に困るし、正直、一体何を言ってんだ!?と思います。
すごく意地悪な言い方をすると、取り置きをお願いして他のサークルの列に並ぶのって「並んでまで欲しい本ではないと思われている」って捉えられても仕方ないかな、と思います。普段から付き合いがある人ならともかく、イベント前だけ突然「取り置き良いですか?」なんて言われても、さすがに嬉しいとは思えません。少なくとも私はそうです。
手軽に、ほぼ確実に本が手に入る手段として重宝されている取り置きについてですが、ただの予約システムだと思わず、間違ってもお金を払わずに本をもらえるシステムだと思わず、少しでもサークル側のことを考えてもらえると助かります。
これは本当に、どうしても欲しい本が残部僅少、一般参加しかできないときに取り置きをして欲しいとメッセージを送るのが悪だ、と言いたい記事ではありません。
サークル側からの言葉だと上からになってしまうようで心苦しくはありますが、買い手でもある立場としても、取り置きをしてもらうことに最低限の感謝や礼儀は必要だと思います。
例えば、お願いする際にどうして取り置きを頼むほど欲しいのかという理由などを添え、他の人から見えない場所でお願いする、などの心遣いは大変ありがたいです。
もちろんそれでも断られることはあると思いますが、同人活動は趣味の範囲、個人と個人のやりとりなのでそもそも正解はありません。
この記事にだって「別に取り置き手間ではないし、どんどん受け付けたい」と思う人がいると思います。
ただ、すべての人がそうではないこと、快く受け付けてくれる人が当たり前であり、そうでない人が悪である、という考えが減ってくれたら少し心が楽になると思い、この記事を書きました。
「思います」ばかりのかなり主観的な記事であり、読みにくかったと思いますが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
3年前からやっていたスマホゲームをやめました。退会というシステムがないようなので、知人にデータを丸ごと移譲するかたちをとりました。
やめてしまったけど、わたしはあれはとても良いゲームだと思います。要はギャンブルみたいな趣味だったけど、少なくともこの3年間、わたしはすごく楽しかったし、何度か腹立って投げ出したこともあったけど、それ以上に何度救われたかわかりません。10年後くらいにまだゲーム残ってたらやってみたいな。
以下欝々とした補足。
あまりに家計が火の車なので知り合いのファイナンシャルプランナーさんに相談することになり、紆余曲折の末に奨学金の返還猶予をしたりとかいろいろすることになり、でまあそれだとさすがにスマホゲームなんてやってられねえだろうと。そういう感じに。
そんなに膨大な課金はしてないんですけど(月平均1000円くらいです)、お金以上に時間リソースの浪費が問題ということでした。まあ確かに、貧乏人ほど無為な時間の使い方をしがちですしね。
自己憐憫にまみれた感じで申し訳ない。でも貧乏なのは事実なので。
これまで、貧乏だけど心は錦をモットーに、文化的支出(スマホゲーだけじゃなくて本読んだりとか映画見たりとかそういう)に対してはできるだけケチらずすむようがんばってきたつもりだったけど、このままじゃお金が貯まらないどころか数年後にはあなた無一文ですよな状況なので。まあ自己憐憫に浸ることで支出が抑えられるならそれもまたいいんじゃないかなあと。そういうことを考えています。
同人活動も止め、水槽もやめ、ゲームもやめていったら、最近はわりと生きるうえでの愉しみがどんどんすくなくなり、週末が来るたびに憂鬱でとんでもなくみじめなので、もう少しローコストで愉しめる文化的趣味を模索してるところです。図書館通いとか?
見栄を張るのもやめることにしたいので、今後は今まで以上に飲み会や遊びの誘いを断ることが増えるのかな。
周りとどんどん話が合わなくなっていく。
楽しく生きるには、やっぱりある程度無駄遣いできるお金が必要なんだとわたしは思います。
甘えだと言われたら、でもきっとその通りなんだろうけど。
どうしても、この季節になると思ってしまうことです。
会場限定グッズはその名前の通り、頒布会場でしか手に入ることの出来ないものです。突発的に企画、製作されることも少なくなく、
需要に対して十分な供給が達成させられるのはごく稀で、その多くはイベントのルールを守らない徹夜組、利益を目的とした転売組の方々に流れてしまいます。
この人の作品は書店委託でも買うことが出来るけれど、会場限定グッズだからな行かなきゃ! と思ってイベントに赴いた一般参加者さんが、
何時間も並んだ上で手に入らないというのはとてもとても悲しいことです。(会場限定グッズに限らない話ですが)
「ユーザー」が笑顔になれないのは「クリエイター」としてはどのような気持ちになるものでしょうか。
もしも自分ならば、ルール違反した徹夜組や作品そのものは求めていない転売組の方々の手に自分の作品が渡るのは極力避けたい事態です。
可能な限り一人でも多くの「ユーザ-」に笑顔になってもらいたい、そう考えるからです。
けれどこれは思い違いだろうな、とも思います。
私は今、「需要」「供給」と言った言葉を使い、作品を作る方を「クリエイター」、一般参加者さんのことを「ユーザー」と呼びました。
これは「同人活動」ではなく「企業活動」に傾いた考えではないか、と客観視します。
同人文化はその字のごとく、同じものを好きとする人たちが寄り合って作り上げられた文化です。
そのような関係の中で「需要」「供給」「クリエイター」「ユーザー」という言葉はとても違和感、場違いの印象がある言葉です。
会場限定グッズに限らず、同人活動で作品を提供する側は自費製作である以上、需要だとか供給だとかいったことを考えるのはとても難しいことですし、
むしろ、「同人活動」においてただのノイズにしかなり得ない要素です。これは「企業活動」の場面で考えるべき要素です。
一方で、どんな作者さんでも、買ってくれようとする人を悲しませたがっている人はいないと思います。
どんな作者さんでも、徹夜組や転売組に大多数を手に入れてしまうのは、好ましく感じないと思います。
その観点に立つと、会場限定グッズというのは存在するべきではないのでは、そして徹夜組や転売組を一網打尽にするものでないにせよ、ある程度の効果はあるのでは、と考えてしまいます。
しかしながら、これは作り手の人に対しても、それを求める人に対しても、彼らの思っていることをないがしろにしたひどく失礼な考えなのではないかとも思います。
それでも、私は同人即売会の会場限定グッズが好きではありません。私は誰もが自分の好きを好きに表現できる同人文化が好きです。
そう思ってしまうのです。
今の会社は男ばかりだ。
その男たちですらそういった話をすることはない。
まあ自分のように隠してるのかもしれないけど。
その出合い系も、会えるのはカフェ巡りやファッションが趣味の人ばかりだ。
いや実はマンガやアニメの話題を積極的にしてくるホントに良い人とは出会えたんだけど、
その人に男として見てもらえなかった。
同人活動でもすれば良いのかな。
絵や漫画がうまかったら知り合えるかな。
おじさん頑張っちゃうよ。
でも画力はないな、多分。
あるのかどうか試してすらないから「多分」。
まあその辺は気合でのり切ろう。
そして独身貴族らしく液タブというのも買ってみよう。
今はiPad Proで描くのが流行りらしいからどっちを買うかも考えないと。
それで絵描いてツイッターでごきげんな事言ってれば良いのかな。
頑張っちゃうよ。
ハマったばかりのジャンルの公式イベントに、1人で出掛けてみた。
おひとり様の女性に、「この席いいですか?」と話しかけたのがきっかけで、しばらく一緒に会話する事になった。
一般漫画作品ジャンルで、9割がた女性ファンだが、純粋に漫画が好きで来ているファンも多いと思う。
まず隣の席に座ったとたん、
「A×Bの夏コミ原稿中なんだけど、締め切りやばくて」と、言われた。
自分に話しかけているのか、誰か知り合いがいるのか、一瞬のみこめなくて、キョロキョロした。
初対面で、となりの席に座って、最初の会話がそれですか。
相手が腐女子とは限らないし、仮にそうだったとしても、カップリング違うかもしれないし、
そもそも公の場で、公式イベント中に、そんな話をしてほしくない。
「あ、そうなんですか」
「A×Bもいいけど、クロスオーバーで、他作品C×Bも描きたくてー」
彼女の話を聞くのは耐えられないが、今から席移動をしたら、かなり後ろの席になってしまう。
前の座席の女性が、怪訝そうな顔で、私たちのほうを振り向いたような気がした。
私も同類だと思われているんだろう。
恥ずかしい……。
しかし席を移動するのも悔しい。
腐った二次創作なんか知らないフリをしようと、
と、返事してみたら、クロスオーバーや、他ジャンルの解説が始まった。
そしてスマホを見せてきて、
「これ、私の原稿。こんな絵を描いてます! Pixivにも載せてるんで!」
と、アピールしてきた。
なぜ自分の話ばかりするの?
私は原作のファンであって、同人作家のあなたのファンではない。
年齢を聞いたら、40歳前半の方でした。
ツイッターのIDを聞かれたので、せっかくの縁なので、相互フォローをした。
イベント後に食事に誘われたけど、すぐに帰らなければいけないと言い訳をして、別れた。
最近はてな匿名ダイアリーで二次創作や同人活動関連の記事をよく見かける。そのたびに私はこの人達はまだ絵や小説を作り出せるんだからいいじゃないか、と思う。
まず、私は絵がかけない。小さい頃からアニメにハマる高校生まで学校の授業でしか絵をかいたことがないような人間だったからかけなかったし1年程度練習もしたけどやっぱり人に見せられるような絵をかけるようにはならなかった。
じゃあ次は小説を書いてみようと意気込み2本書いた。Pixivにも投稿した。1本は閲覧数500強で評価回数20回程度、もう1本は閲覧数100強で評価回数は一桁だった。今自分で見返しても前者はまだ見れるが後者の話はクソつまらないと思う。この文章を読んでいる人なら私がいかに文章を書くのが下手かわかると思う。
MMDにも手を出した。元からニコニコ動画が好きだったからMMDもよく見てたしこれなら自分にでも出来るんじゃないかと思ったが再生回数は伸びず制作意欲も落ちていきいつしかソフトもアンインストールしていた。
二次創作や同人界隈は何かしら作品が作り出せる人間じゃないと友達さえも出来ない世界だと私は思っている。何も作り出せないつまらない私と仲良くしてくれる友達も居るがやっぱり創作している人のほうが友達は多いし楽しそうだと思う。
だから私はまだ自分にもなにか創作できるものはないか模索したいと思う。とか少しは思っているけどやっぱり何にも出来ない自分が死ぬほど嫌だな、とも思う。