はてなキーワード: リーグとは
別の増田が回答しているので補足的に。
場所によってプレーに影響出てくる差ってある?
南米とかの標高の高いところにあるスタジアムが有名。酸素が薄いのでブラジルでも苦戦する。
あとは細かいパス回しが得意なチームが相手だとピッチに多めに水を撒いてボールを転がりにくくしたりする。
国(リーグ)によって違いってある?
敵味方問わず誰かが倒れたら選手が自主的に試合を止めるんだけど、
そこでボールを奪ったり、止めるふりしてプレーを続行したりすると批判される。
バロテッリが試合の前半で相手選手とユニフォームを交換して叩かれたり(ユニフォーム交換は試合が終わってからやるべき)。
あとネイマールがリードしている状況でヒールリフトを使って叩かれたこともあったな(派手なフェイントは相手への侮辱)。
時間稼ぎは、倒れたりよりは、セットプレーをなかなか蹴らなかったり、後ろで延々とパスを回すことが多いかな。
■スタジアムによって違いってある?
ピッチのサイズはほぼじゃなくすべて同じ。芝生によってプレー状況はかなり変わる。
あとはピッチと観客席の距離なんかもプレーに影響すると言う選手もいる。
■国(リーグ)によって違いってある?
■審判によって違いってある?
ルールは基本的には世界で一緒。ただ、どういうサッカーが好まれるかは国によってかなり変わる。
ファウル基準なんかも違うみたいよ。まぁこれは人間が判断するもんだしね。
日本代表はコンタクトプレーに弱いからJリーグのファウル基準を変えようなんてのは毎年出てる議論。
世界中でやってる競技だから、野球に比べると文脈を読むような場面は少ないと思うよ
去年の日本シリーズでジャクソンだったけ?大谷を敬遠したときとか、どう思った?
もしくは次投げなきゃいけないピッチャーが打席に回ってきたときに無気力打席するのと同じじゃね?
勝負しろよと思う人もいるだろうし、それこそが勝負だと思う人もいる。ひとつのプレーでも見方が変わるし
優勝のかかった試合か消化試合かとか、シチュエーションでも変わるよな。
ただそれだけのことで、そもそもサッカーに限らないよそういうシーンって。
時間稼ぎが成功することもあるし、非難されることもあるし勝負として立派と思う人だっているし
野球好きなのだが、サッカー好きの人に今聞いておきたいことがある
■スタジアムによって違いってある?
野球の場合、球場によって広さが違うからホームランに必要な飛距離も変わってくる
ファールゾーンの広さも違うからあの球場だったらアウト取れてたのに、ってこともよくある
サッカーはピッチの大きさはほぼ同じはずだけど、場所によってプレーに影響出てくる差ってある?
■国(リーグ)によって違いってある?
日本のプロ野球(NPB)とメジャーリーグではストライクゾーンや、使っているボールなどが違う
移籍した人がそれで苦労するっていう話もよく聞く
サッカーではJリーグと、欧米のリーグとか南米のリーグとかで違いってある?
■審判によって違いってある?
もちろんルールブック上ではちゃんと決められているんだけど、ストライクゾーンって結構曖昧なのね
同じ球でも審判によってストライクとボールに分かれることはあるし、解説の人も普通に「今日はここの球は取るんですね」とか言ってる
いわゆる暗黙の了解で、特にメジャーリーグでは大量失点しているチーム相手に盗塁をしてはいけない、などいろいろある
それを破るとわざとデットボールを当てることもあるくらい
サッカーではルールにはないけどやってはいけないことってある?
リードしてるチームって残り5分位になると急に痛がったり倒れたりするじゃない
別にそれを批判するつもりもないけど、サッカー好きの人はああいう場面をどういう風に見ているのか知りたい
煽ってるわけじゃなく、純粋にどう思っているのかを知りたい
日本人メジャーリーガーがどのチームで何試合出場したかを集計した。でかすぎて増田では見づらく、そぐわないのだけど、作った勢いでサブミットさせてもらう。
2008年ごろまで順調に拡大してきたが、近年は少し停滞気味だと感じられる。投手については頭打ちではあるか゜安定した需要があるようだ。
よくある集計と整合性を取るためこの表ではJeff McCurry, Steve Randolph, Craig House, Keith McDonald, Dave Robertsのみなさんは集計から除外した。
リーグ, チーム | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 00 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | チーム毎合計 |
A, Baltimore Orioles | 12 | 43 | 43 | 98 | |||||||||||||||||||
A, Boston Red Sox | 8 | 13 | 45 | 98 | 93 | 142 | 81 | 18 | 48 | 144 | 135 | 104 | 103 | 1032 | |||||||||
A, Chicago White Sox | 59 | 166 | 138 | 90 | 24 | 477 | |||||||||||||||||
A, Cleveland Indians | 14 | 1 | 57 | 28 | 59 | 1 | 160 | ||||||||||||||||
A, Detroit Tigers | 49 | 34 | 83 | ||||||||||||||||||||
A, Kansas City Royals | 22 | 32 | 15 | 7 | 34 | 12 | 132 | 254 | |||||||||||||||
A, Los Angeles Angels of Anaheim | 50 | 61 | 64 | 66 | 46 | 145 | 61 | 42 | 248 | ||||||||||||||
A, Minnesota Twins | 12 | 68 | 3 | 83 | |||||||||||||||||||
A, New York Yankees | 13 | 29 | 32 | 163 | 162 | 162 | 51 | 157 | 95 | 142 | 102 | 182 | 195 | 24 | 31 | 1540 | |||||||
A, Oakland Athletics | 40 | 10 | 141 | 5 | 196 | ||||||||||||||||||
A, Seattle Mariners | 1 | 6 | 16 | 63 | 226 | 271 | 257 | 236 | 209 | 305 | 296 | 274 | 217 | 162 | 161 | 186 | 33 | 28 | 20 | 151 | 3118 | ||
A, Tampa Bay Rays | 19 | 123 | 152 | 69 | 34 | 397 | |||||||||||||||||
A, Texas Rangers | 38 | 63 | 34 | 4 | 61 | 80 | 32 | 22 | 2 | 17 | 353 | ||||||||||||
A, Toronto Blue Jays | 19 | 10 | 2 | 96 | 82 | 23 | 232 | ||||||||||||||||
N, Arizona Diamondbacks | 16 | 16 | |||||||||||||||||||||
N, Atlanta Braves | 34 | 74 | 108 | ||||||||||||||||||||
N, Chicago Cubs | 150 | 152 | 130 | 87 | 15 | 28 | 8 | 14 | 584 | ||||||||||||||
N, Colorado Rockies | 29 | 3 | 32 | 104 | 168 | ||||||||||||||||||
N(現在A), Houston Astros | 96 | 132 | 27 | 255 | |||||||||||||||||||
N, Los Angeles Dodgers | 28 | 33 | 33 | 12 | 62 | 63 | 52 | 17 | 72 | 63 | 76 | 21 | 31 | 32 | 35 | 630 | |||||||
N, Miami Marlins | 153 | 143 | 296 | ||||||||||||||||||||
N, Milwaukee Brewers | 29 | 15 | 21 | 22 | 18 | 30 | 151 | 155 | 441 | ||||||||||||||
N, Montreal Expos | 11 | 55 | 63 | 35 | 15 | 179 | |||||||||||||||||
N, New York Mets | 35 | 46 | 31 | 123 | 25 | 62 | 114 | 115 | 38 | 28 | 87 | 45 | 7 | 34 | 790 | ||||||||
N, Philadelphia Phillies | 45 | 92 | 137 | ||||||||||||||||||||
N, Pittsburgh Pirates | 19 | 54 | 9 | 82 | |||||||||||||||||||
N, San Diego Padres | 73 | 66 | 81 | 220 | |||||||||||||||||||
N, San Francisco Giants | 118 | 60 | 15 | 93 | 286 | ||||||||||||||||||
N, St. Louis Cardinals | 19 | 43 | 109 | 143 | 134 | 130 | 578 | ||||||||||||||||
N, Washington Nationals | 11 | 11 | |||||||||||||||||||||
年毎合計 | 28 | 34 | 131 | 154 | 251 | 248 | 528 | 624 | 635 | 853 | 971 | 851 | 1169 | 1264 | 989 | 844 | 806 | 697 | 684 | 656 | 428 | 494 | 13339 |
リーグ, チーム | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 00 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | チーム毎合計 |
A, Baltimore Orioles | 12 | 43 | 43 | 98 | |||||||||||||||||||
A, Boston Red Sox | 8 | 13 | 45 | 98 | 93 | 142 | 81 | 18 | 48 | 144 | 135 | 104 | 103 | 1032 | |||||||||
A, Chicago White Sox | 59 | 31 | 90 | ||||||||||||||||||||
A, Cleveland Indians | 14 | 1 | 57 | 28 | 1 | 101 | |||||||||||||||||
A, Detroit Tigers | 49 | 34 | 83 | ||||||||||||||||||||
A, Kansas City Royals | 22 | 32 | 15 | 7 | 34 | 12 | 122 | ||||||||||||||||
A, Los Angeles Angels of Anaheim | 50 | 61 | 64 | 66 | 46 | 61 | 42 | 390 | |||||||||||||||
A, Minnesota Twins | 12 | 12 | |||||||||||||||||||||
A, New York Yankees | 13 | 29 | 32 | 14 | 2 | 35 | 32 | 52 | 24 | 31 | 264 | ||||||||||||
A, Oakland Athletics | 40 | 5 | 45 | ||||||||||||||||||||
A, Seattle Mariners | 1 | 6 | 16 | 63 | 69 | 114 | 98 | 75 | 47 | 30 | 33 | 28 | 20 | 33 | 633 | ||||||||
A, Tampa Bay Rays | 19 | 19 | |||||||||||||||||||||
A, Texas Rangers | 38 | 63 | 34 | 4 | 61 | 80 | 32 | 22 | 2 | 17 | 353 | ||||||||||||
A, Toronto Blue Jays | 19 | 10 | 2 | 31 | |||||||||||||||||||
N, Arizona Diamondbacks | 16 | 16 | |||||||||||||||||||||
N, Atlanta Braves | 32 | 74 | 106 | ||||||||||||||||||||
N, Chicago Cubs | 15 | 28 | 8 | 51 | |||||||||||||||||||
N, Colorado Rockies | 29 | 3 | 32 | ||||||||||||||||||||
N, Los Angeles Dodgers | 28 | 33 | 33 | 12 | 62 | 63 | 52 | 72 | 63 | 76 | 21 | 31 | 32 | 32 | 610 | ||||||||
N, Miami Marlins | 1 | 1 | |||||||||||||||||||||
N, Milwaukee Brewers | 28 | 15 | 21 | 22 | 18 | 30 | 134 | ||||||||||||||||
N, Montreal Expos | 11 | 55 | 63 | 34 | 15 | 178 | |||||||||||||||||
N, New York Mets | 35 | 46 | 31 | 25 | 28 | 28 | 87 | 45 | 7 | 34 | 366 | ||||||||||||
N, Pittsburgh Pirates | 19 | 9 | 28 | ||||||||||||||||||||
N, San Diego Padres | 73 | 66 | 139 | ||||||||||||||||||||
N, San Francisco Giants | 60 | 60 | |||||||||||||||||||||
N, Washington Nationals | 10 | 10 | |||||||||||||||||||||
年毎合計 | 28 | 34 | 131 | 154 | 250 | 248 | 248 | 330 | 207 | 307 | 264 | 153 | 238 | 326 | 275 | 316 | 290 | 262 | 268 | 299 | 160 | 216 | 5004 |
関連エントリー http://anond.hatelabo.jp/20170214000243
前のエントリーにはてブがついて、コメントでイニング数の集計が見たいという意見が見られたが、今回はイニングのデータを取ってないのでいずれ気が向いたらにさせてほしい。
Jリーガーだった。
つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。
山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。
田舎の中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブで練習をしていた。中学校を卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。
サッカー部の部員は100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部も寮生活も上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除や雑用もこなした。なぜか女子マネは雑用をほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストのとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。
3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブのスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後の全国高校サッカー選手権はスタンドで応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。
大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いのアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグのクラブとアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグで活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカーに真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活の顧問のコネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず、邪魔だから帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約のオファーが届いた。
C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金や年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学の女の子から告白されたりした。
ガラガラの会議室で入団会見をして、住み慣れない土地で寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約のオファーはなかった。そしてサッカー選手を引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。
プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校を訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループでサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームのファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号のユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号のユニフォームで応援やイベントに来てくれた。
引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブからの斡旋で、某民間企業のインターンシップを半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。
昨年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報、高校時代のチームの結果が載った新聞記事、サッカー部員として大学のパンフレットに載った時の写真、入団が決まった時の記事、Webで配信されたニュース記事を印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。
偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052
キャッシュ(ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)
○朝食:ヨーグルト
○昼食:焼あじ御飯(味ご飯、じゃなくて、魚のあじね)
○夕食:雑穀ご飯弁当(雑穀ご飯、レンコン、サツマイモ、ミニトマト、卵焼き、ひじきの煮たの、大豆、人参、お揚げ、カボチャ、ししとう、ツミレ、西京焼き、キャベツ、コンニャク、シイタケ、里芋、人参、ガンモ)、海鮮サラダ(キャベツ、レタス、人参、タコ、サーモン、エビ)
○調子
はややーっと仕事頑張った。
とりあえず叩き台的に書いたコードを見てもらって、いろいろ直すつもりでいたんだけど、あまりツッコミ所がなかったみたいで、ちょろちょろっと細かい指摘をもらっただけだった。
ただ、ちょろちょろ直しに思いの外苦戦した。
いやその、知ってる人なら楽勝なんだろうし、僕も調べればコードを書くのは簡単だったんだけど、それを調べるのに時間がかかってしまった。
なんていうか、基礎的過ぎてネット見るまでもない的なことを知らないのが悪いんだな、ちょっと独学で本でも読もうかな。
どこでもいっしょみたいな言葉覚えさせ要素と、鉄道ICカードの連動でその駅の情報をキャラクタに教えたりするゲーム。
ボイスロイド? ボーカロイド? 的な入力した言葉を自由に喋ってくれるシステムが特徴的。
「あおさ納豆」とか「はややー」とか「おはようはややー」みたいな、僕がよく使ってる言葉を喋ってくれるのは楽しい。
けど、ICカード使ってないから、毎日少しづつゲーム内通貨を貯める的な遊びができないから、毎日続けるかは微妙だなあ。
○FE覚醒
えー。
ちょっと間を置いたプレイしたからとか、そういうことじゃなく、ちょっと引くぐらいショッパイ展開だった。
ここがストーリー的には一番の山だったんだと思うんだけど、こう、えー、まじかーってぐらい、しょうもない話だった気すらしてきた。
未プレイ。
ノー課金。
○ポケとる
ログボのみ。
メガノオーのランキングイベントを、メガストーンがもらえる程度には頑張った。
ひょっとすると、メガスキルアップも貰えるけど、メガスキルアップってイマイチ何に使うかわかってないんだよなあ。
よく、メガレックウザっていうけど、まだメガレックウザすら持ってないしなあ。
キートレボ開けるぐらい頑張るか、と思ったら八連敗からの、リーグ降格。
完全にやる気が失せた。
アメフト(NFL)のほうが人気はあるけど、野球(MLB)の人気がないわけではない。
リーグ | スポーツ | 総収入 |
---|---|---|
NFL | アメリカンフットボール | 120億ドル |
MLB | ベースボール | 90億ドル |
NBA | バスケットボール | 50億ドル |
NHL | アイスホッケー | 37億ドル |
MLS | サッカー | 4.9億ドル |
だそうです。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
Bリーグの助っ人外国人に大相撲の力士並みに日本語ペラペラになってもらって「日本大好き」アピールさせて面白ろホンワカ外国人としてスター選手になってもらえば人気は上昇すると思うよ
①ルール多すぎ
せいぜい自演禁止、スパム禁止、買収禁止くらいではないだろうか、非経験者が知っているのは。数多のルールがありしかもそれが年単位で変更されている。互助会の基準もコロコロ変わる。わかりにくすぎる。
無理じゃん。日本向いてないじゃん。増田が流行ったのって基本は「保育園落ちた!日本死ね!!」的な話じゃん。全然そんな要素なくね?ブクマ。クソ雑魚ナメクジが絶対的に不利、絶対に。
あれほどブクマを日本に浸透させたメディアがあったろうか。少なくとも互助会の半分はあれに影響されてブクマしていた。それゆえ、それゆえ、それゆえブクマはクソだらけなんだ。日本人の大好きなブログをもってしても根付かなかった。誰でもソラで書けるくらい浸透したブコメがあるのに、だ。(例:「ブクマがしたいです」「運動と瞑想が足りない」「恐ろしい恐ろしい」「きっつー」「大脳が壊れたメンヘル」)
お分かりいただけただろうか。
今までも何度もプロブクマを盛り立てようとやっている。知ってる。
でも無理だ。
悲しいが、事実だ。
①ルール多すぎ
せいぜいトラベリング、ダブルドリブル、30秒ルールくらいではないだろうか、非経験者が知っているのは。数多のルールがありしかもそれが年単位で変更されている。トラベリングのルールも途中で変わった。わかりにくすぎる。
無理じゃん。日本向いてないじゃん。Jリーグが流行ったのって基本は「やべぇ!日本のサッカー世界に通用する?!」的な話じゃん。全然そんな要素なくね?バスケ。チビが絶対的に不利、絶対に。
あれほどバスケを日本に浸透させたメディアがあったろうか。少なくともバスケ部員の半分はあれに影響されて入部していた。それでも、それでも、それでも日本でバスケは根付かなかったんだ。日本人の大好きな漫画をもってしても根付かなかった。誰でもソラで言えるセリフがあるくらい浸透した漫画があるのに、だ。(例:「バスケがしたいです」「左手はそえるだけ」「近かったから」「だぴょん!!」「魚住は線を引いた」)
お分かりいただけただろうか。
今までも何度もプロバスケを盛り立てようとやっている。知ってる。
でも無理だ。
悲しいが、事実だ。
と思うのは、自分が広島在住であることと無関係ではないだろう。
ここは、日本のバスケ界が抱え続けた爆弾の、言わば爆心地なのかもしれないからだ。
ご存知の方も多いかもしれない。リーグ分裂時代の広島では、ドラゴンフライズとライトニング、
新リーグのチームを改めて見てみると、東京にやたらチームが集まっていて、
これでやっていけるのか心配になるレベルだが、広島の規模では2チームが生き残るのも難しい。
結局、県のバスケ協会はドラゴンフライズを支援する一方、ライトニングへの支援は拒否。
チームの戦績や経営基盤は、外から見る限りどっちもボロボロだったと思うのだが、
政治的な何かでも働いたのだろうか。
とにかく、この時点で、広島に残るのはドラゴンフライズに決まったことになる。
一応、試合の結果だけは新聞にも載るのだが、表記は「広島」のみ。
忘れた頃に記事になることもあるドラゴンフライズに対し、ライトニングはラの字も出ず、
チーム自体も1勝51敗と負け続け、広島のチームのはずがやたら山口県での開催が増え、
しまいには試合の開催すらできずに不戦敗になるなど迷走を続けた。
結局、シーズン終了と同時に活動を停止し、以後の行方は不明である。
果たしてこの不毛な戦いは、広島にいったい何を残したのだろうか。
残ったドラゴンフライズも新リーグでは2部スタートで、プレシーズンマッチでは島根に負けた。
五輪やカープ優勝、サンフレッチェに比べれば、これでも妥当なのかもしれない。
ただでさえバスケ自体に興味がないのに、こういう話ばかり聞かされて、いい加減うんざりなのだ。
今すぐリーグごと消えてくれて構わない。
※以下の内容は【悲報】連盟サイトが改悪される 2 http://echo.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1474089061/ の810、821、822、824、830、833、844から
※日本将棋連盟ウェブサイト http://www.shogi.or.jp/
色々と突っ込むわ。
将棋なら、相手玉を取ることが最優先の目的だと認識していないと、訳の分からない将棋を指すことになる。
長期的目標は
・将棋の普及。
これだろ。
ヘッドのメインメニューの一番右に連盟概要があるけど、こんなのはフットメニューやサイドメニューでいいわけ。
「よーし、連盟概要を読むぞ」と思って、サイトを見る人間が何人いるのかと。
気持ちは分かるけど、それ目当てでサイトに来る人間は何%なのか考えたか?
10回目にサイトを見たファンにとって、概要や指導員募集が一番目立つところにあると邪魔なんだよ。
もっと知りたいことがある。
「支部・指導員」の次が「棋士会館案内」、そして、「情報公開」だけどさ、そんなに会館の4階が対局室で、3階が事務室だという情報が、サイト訪問者にとって大事かね?
会館案内をクリックしたら一番上に、そういった情報があるけどさ。
次の「情報公開」もさ、「え?ここまで、概要に指導員募集要項に、会館案内と、ずっと情報公開しているけど・・・(戸惑い)」、となるよ。
それと、とにかく重いんだよ。
そして、ヘッドのメインメニューにマウスを当てたら、子メニュー一覧が出るようにしろよw
「財務処方」
「定款」
「活動報告」
概要も情報公開も、いちいちメニューをクリックして次のページに行かないと駄目だろ。
孫メニューまで作ると、これはこれで複雑になるからしなくていいが、メインメニューを親にして、子メニュー一覧が表示されるようにするのは基本だよ。
そして、繰り返すが、メインメニューの中身が、サイドメニューやフットメニューで問題ないモノが多い。
本当にこれを一番上のメインメニューにして良いのかね?
対局情報(終了した対局の結果、これからの対局スケジュール)とか、所属棋士情報(成績、勝率、棋風、キャリア等)とかさ、もっとメインメニューにするものがあるだろ。
メインメニューに「所属棋士情報」を作って、居飛車か振り飛車党か、攻め棋風か受け棋風か、年齢、キャリア、所属リーグ、成績等で検索できるようにするとかさ。
「30代男で居飛車で攻め棋風のプロ」で検索すると、条件に該当するプロが出て来る。
そのプロの棋譜をようつべのソフト将棋で見れるようにするとか。
左美濃急戦で検索すれば、その対局をソフトで再現したようつべの動画一覧が出て来るとか。
そうやって、「このプロの棋風いいね。ファンになろうかな」というふうになるんじゃないの。
ヘッドに重要度の低いメインメニューがあるわ、マウスを当てても子メニューが表示されないので、いちいちクリックして次のページに行かないと駄目だわ、
そしたら、次のページの表示がこれまた重いわ。
疲れているところに、メインメニューの下の画像の下に中央メニューがあるwww
またメニューかよw
メニューの基本は、
ヘッドメニュー → 重要度の高いメニュー ※数多くしすぎない。本当に重要なものだけを厳選する。
フットメニュー → 一番下までスクロールした人のために、ヘッドメインと同じメニューを置くと、いちいち上まで戻らずに済む。※これは下手くそなりにしている。
そして、重要度の低いメニューがあれば、それも置く。※サイドメニューを使わない場合とかに。
そうならない為のメニューだろ?
メニューを上手く構築できていないから、無駄に縦長のサイトになっている。
縦長トップページのど真ん中に、素人の書いたコラムがアイキャッチ画像付きで置かれている。
子メニューを作り、メインメニューにマウスを当てると一覧が出るようにする
アイキャッチ画像(サムネスクショみたいなもの)付きのボックスを、3つくらい並べて、今一番伝えたい情報を置く。※断じて素人の書いたコラムじゃないw
今だったら、羽生と糸谷の対局結果、対局に対するプロ棋士の論評、羽生と糸谷のインタビュー内容とか。
素人コラムとか、棋士会館の3階が事務室だとか、そういう重要度の低い情報はここに置かなくていいからなw
そして、サイドメニューに重要度の低い、概要や財務諸表といった情報を置く。これも子メニューつけてな。
最後はフットにヘッドと同じメニューと、それ以外の重要度の低いものを置く。
トップページはこんなもんでいいんだよ。
トップをゴチャゴチャしてどうするんだよ。
このゴミサイトは、素人コラムはど真ん中にアイキャッチ画像ボックスに置かれている。
これ、メインメニューの次に目立つわな。
そして、フットの一番下の方に、小さな小さな文字で、「プロ棋士・女流棋士へのお仕事依頼」のメニューがある。
あのさあ、棋士を売り込むのがサイトを公開する目的の一つなんじゃないの?
アマゾンだって「この商品をレジに入れる」ボタンは、目立つところに置いてあるだろ?
素人コラムは大きなアイキャッチ画像までついてど真ん中に置いているのに。
中継サイト一番も素人コラムより小さな文字だ。アイキャッチ画像も無し。
まあ、こういう中継サイト一覧をトップに置いているのも汚くて下手くそなんだけどね。
そういうのをヘッドメインメニューに「中継サイト一覧」として置かないと。
それと、サイトマップね。
一番上にあるけど、小さいわ。
そんなところにメニュー置かなくていいから、サイトマップをヘッドメニューに置けよ。
これは基本中の基本だぞ。
サイトマップは本て言えば目次な。
特に、こんなゴミサイトの場合は、もうサイトマップを見ないと迷子になるw
なんで素人の将棋コラムがど真ん中のアイキャッチボックスで、プロ棋士への仕事依頼やプロ棋士の対局中継一覧が下に追いやられて、しかも小さな文字なんだよ?
頭おかしいのか?
ヒットしたわけは分かるが
君は本当に彼らの口コミスピードと新しいもの好きを知らないんだね。
まずヒットした理由を3行で,
中高生に焦点をあてたボーイミーツガールだということ,そして彼らの口コミ伝播速度はまるでそこだけが別世界のようにはやいということ。
つまり,全体のアーリーグループに裾野まで収まるほど時の流れの早い中高生をメインターゲットにしたこと。
もちろん,この理由でなければ"メガ"がつかないなんてことはない。しかしこの作品はこれで"メガ"がつく。
---
他愛のない会話をすることにとっても慣れている。
しかもそれがとっても共感できる,キュンキュンできる作品なら…そりゃあとってもオススメするだろうね。
多感な中高生なら2時間で突然「君の名は。」のコアなファンになってごリ押しまくってもなにもおかしくない。(新海誠のそれではない。)
そこにRADWIMPSだ
彼らは中学生でも理解できる語彙を使って,中高生が惚れるような詩をかく。
胸が締め付けられるような詩 カッコよさで狂ってしまいそうになるような詩
/// 追記 - 201609152329
/// 君の名は。では
/// 「でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう」
/// が一番記憶に残った。これはRADの作家性をとてもよく表現した良い詞だと思う。
バンドなんてメジャーレーベルだけでも一人の人間が全部聞くのは不可能に近いくらい沢山ある。中高生に聞かれるのは一握り。
そのくらいにはRADは中高生に好かれてる。これ以上は日記がRADWINPSに寄り過ぎちゃうからコレでも置いとくさ。
http://music-book.jp/music/news/column/107155
9割(1割はマセた子)がRADも好きになる世代だから,観たやつはみんな君の名は。を"べた"褒めしてオススメした。
だから観に来るし,予約してないのにギリギリに行くから観れないと文句を垂れる。
彼らの熱量はすごい。__世界は若者の熱量供給で回っていると俺は思う。__彼らの影響力は大きい。
朝のニュースは彼らを取材して,彼らのコメントを拾い,そして私達はいつも彼らの声を聞く。
彼らは当然中高生並の感想を喋るが,熱量は伝わる。その熱量に気圧されて,アーリーマジョリティが動く。
---
また,中高生は新しいものを抵抗なく好きになれる。まだ知らないものばかりだからだ。
裏を返せばまたすぐに塗り替えられるのだが,上映期間の3ヶ月くらいは保つ。
知らないことばかりの彼らの時間は,大人と比べてとてもはやく流れる。
彼らの世代では既にレイトマジョリティまで届いているかもしれない。
彼らが受け入れられるものについて,彼らの裾野はいつもマジョリティの山まで引っ張られていると思う。
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この映画はリピートにもそれなりに耐えられるが,中高生には金が無いし,時間も土日にしかない。
彼らが受け入れたせいでこの映画の動員数は過去の曲線よりも頭を打つのが早くなると思う。
2% - 200万 - ヒット
5% - 500万 - 大ヒット
---
追記
『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした(境治) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160914-00062175/
CSが抜けている。
↓
クライマックスシリーズ(CS) ※各リーグ別に開催
・ファイナルステージ:ファーストステージ勝利チーム vs リーグ優勝チーム
↓
・各リーグのクライマックスシリーズの優勝チーム同士 →日本一
日頃プロ野球はみていないくせに沸き立つ町並みの映像をみているとこちらまで胸が高まるおもいでした。
ところで、リーグ優勝、リーグは・・・セ・リーグでの優勝。巨人に打ち勝った!
だいたい東のほうの球団。パシフィックというくらいだから太平洋側の球団が所属しているのかな。
あれ?でも巨人戦を東京ドームでやるしな・・・。巨人は東京だろ。なんで、セ・リーグ???
という頭の悪い人の日本地図みたいな混乱を経て、ちゃんとしらべたら特にチーム所在地は関係ないことがわかった。
まずセ・リーグしかなかったが新球団加盟で日本野球連盟が揉めて分裂したというプロレス団体的な経緯を経てリーグがわかれたという。
交流戦とか?
セ・リーグ、パ・リーグの優勝チーム同士が闘うのが日本選手権シリーズか。これは1試合だけなんだっけ。とにかくこれで日本一を決める仕組みか。
それが来月あたりにあって、セ・リーグからはカープが出場するのね。
調べればわかることだけどいまごろわかった。
ふと疑問に思ったんだが、よくバスケットボールを人差し指の上で回す人がいるじゃん
実はこんな歴史があったというウソが思いついたので書いてみようと思う
時は1904年、バスケットボールというスポーツが生まれてから10年少々しか経っていない頃のお話し
黎明期ということで例えばボールを持ったまま歩けるのは5歩まで、チームの人数は8人などと、今のバスケットボールとは大きく違っていた
アメリカ・NBCAリーグのミッドランド・ロックハウンズは5チームのリーグ中5位、シーズン開始から10連敗中だった
なんとかこの状況を打破しようと、当時のグアダルーペ・ビクトリア監督は秘策を思いついた
その作戦の実行は、1904年9月7日、リーグを首位で独走するグレートレイクス・ルーンズとの試合でだった
試合開始のジャンプボールでボールを奪ったロックハウンズのチャールズ・タッパーはなんとボールを人差し指の上でくるくると回し、そのままゴールへ向け走り出した
しかしタッパーはボールを乗せた指を高く掲げ、相手の守備を華麗にかわす
そしてそのままシュート
当時のルールには「ボールを持ったまま」歩けるのは5歩まで、と書いてある
つまり、指の上に乗せているだけなので、トラベリングには該当しないというのだ
前の試合が終わってからずっとボール回しの練習だけを続けていたロックハウンズ、この後も順調に得点をあげていく
ロックハウンズのまさかの作戦に焦ったルーンズの選手もボール回しを真似してみたが、そう簡単にはできず、ボールをこぼし相手に奪われてしまう
試合は終始ロックハウンズペースで進み、結局104-71という大差で終わった
1年後に当時の大統領から「これはバスケットボールではない」と申し立てがありボール回しは禁止になったが、ロックハウンズの奇策は伝説として語られ、いまだにバスケットボールプレーヤーの間ではボール回しはクールなプレイとして人気を博している
先日誕生日だったのだが、2か月前から自分で誕生会を企画し多くの友人が参加を表明していたものの当日になって多くがドタキャンという事案が発生。
意中の女性も来るというから、自分の誕生日だというのにシャレオツなケーキも用意して待っていたのにこのざまである。
そもそもここ数年の誕生日が肉親のガン発覚&鬱発症からの自殺宣言、古い親友の自殺、尊敬していた師匠との絶縁など散々なものだったので、今度こそ楽しい誕生日にしようと意気込んでいたのだ。
この日のために有給使って連休取って準備してたのにどうしてこうなった。もうヤケクソでごわす、というわけで気合を入れて用意したドンペリ(2006年のやつ、購入価格20800円+税)をこれでもかと無駄に消費することにしたのである。
ビールもたくさん用意していたのに全く減らなかったから自分にかけることにした。使ったものはアサヒ・スーパードライ500ml缶。
やり方はアメリカのプロレス団体・WWEで活躍したスティーブ・オースチンのように2本の缶をぶつけてから缶を握りつぶしつつぶっかけるものを採用した。
ちなみに日本のビールは"テキサスのガラガラ蛇"オースチンですら口に流し込むとフラフラになってしまう代物である。だから頭にぶっかけた。
以上です。よろしくご査収くださいますようお願い申し上げます。
追記
そういえば買ってあったので全部自分で鳴らしたのだが、ひたすらうるさい。そして火薬はくさい。
クラッカーなんて浮かれてないと買わないものなので、ひとりで鳴らすとさみしいものかと思ったが安物だったのでそんなでもなかった。
ほんとそれ。自分でも星飛馬のクリスマスのアレかと思った。しかし彼には家族との先約&勝負の場以外では合わないと心に決めた左門豊作という宿敵(とも)がいたのにかたやおれは……
【MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base
多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからとイチローを認めていない。
あとご存じの通り彼はMLBをNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチローに安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。
実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。
それにMLBはシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートだから、
国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。
賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。
イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。
日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。
イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。
NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打。王貞治は世界記録の868本塁打を打ったが2786安打。
755本塁打のハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打のベーブ・ルースは2873安打。
そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手のレベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンやルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。
MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順で試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLBで打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。
松井は日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代のキャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。
したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。
日米の単純な野球のレベル差というのも議論の余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。
ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすいNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアやボンズが日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。
実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後の打数で40本台に減っている。
日本だと試合数が少ないしさらに勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。
また、MLBのトップなら誰でも日本でMLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。
オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。
現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。
彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコ、シェーン・マック、元西武のフェルナンデスなど。
1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。
彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナルな活躍をしたかというと、そういう例は少ない。
特にフランコはMLBで首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラスの選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。
本拠地が千葉マリンのロッテに所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。
シェーン・マックは来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBとMLBそれぞれの通算長打率やOPSを見てもあまり差がない。
それらの成績を見るとNPBがMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。
また、マックは彼以外の日本で成功する外国人選手の共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。
野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手の成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。
その姿勢の問題でよくネタにされるグリーンウェルもバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。
日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。
日本から帰国後にMLBで最多勝を獲ったガリクソンや帰国後にMLBで本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国で活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。
井口や城島、福留、西岡などは故障や衰え、メンタルの問題などでMLBを去った後も日本で活躍したといえるのだが、しかし日本での全盛時に比べると物足りない。
岡島や五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家やマック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。
日本に出戻りではないが韓国のパク・チャンホも衰えていたとはいえ日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである。
あとは中島や松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本で簡単に活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本や韓国では1流以上というわけでもないようである。
今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。
マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガーが来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。
恐らく最もNPBのレベルが相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。
故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。
バース、マートン、ペタジーニ、カブレラ、ラミレス、ロバート&タフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本でレジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、
逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。
日本でいえばMLBでも通用した田口壮や新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋や中島裕之以上の打者といえるのか…など。
歴代最強助っ人のバースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本で適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。
一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田や江川の勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。
強打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。
もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。
落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。
MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本の専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。
そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合はメジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。
その際、イチローが「メジャーに自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、
落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。
日本人や韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本や韓国では大したことなくてもMLB で成功する打者が現れるのではないか。
既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国のチェ・ヒソプはMLBでレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらにレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓の数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。
もちろん、主に内野守備や球場など、総合的なプレーのスケールや文化のレベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。
韓国人選手はNPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプの打者が多いように感じる。
イ・スンヨプやキム・テギュンはNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合は環境への適応も課題だが。
実際に今年は韓国人野手が何人もMLBに移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打、イ・デホは起用が少ないながら10本塁打で打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打。
あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンがMLBで奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。
日本でも落合や清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者はMLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜も日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。
また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。
しかし関西出身野手のアメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原もメンタル的に微妙だったかもしれない。
つまるところ、全てのリーグで活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBでナンバーワンになった選手がNPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである。
もしかしたらマグワイアやソーサ、ボンズらはNPBでは松井や中村紀、カブレラやローズらより打てなかったかもしれないし、松井や中村、小笠原、松中らはKBOではイ・スンヨプやイ・デホよりも打てなかったかもしれない。
最近キューバのトップクラスの打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。
グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手がMLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。
じゃあキューバの打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。
グリエルやデスパイネの成績から考えるとキューバと日本の投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまり、MLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。
ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。
推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。
だからこそ、NPBとMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチローは現代野球では歴史上唯一といっていいくらいケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。
また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである。
ここ数日、イチローの日米通算安打数がピート・ローズ氏のメジャー安打記録を超えそうだと話題になっている。
そんな中、とても残念なニュースが入ってきた。
ローズ氏がNPBのレベルが低いことに触れ、「高校時代に放った安打をカウントしている」と言ったのである。
メジャーよりNPBの方がレベルが低いのは間違いない。だからそう言いたくなる気持ちもわかる。
しかし、NPBはメジャーより「ヒットをたくさん打てるリーグ」ではない。むしろ打てないリーグなのだ。
イチローが一軍定着した2001年以降、NPBで活躍した7年間でのヒット数は1242本であり、メジャー移籍後7年間でのヒット数は1592本である。
彼の成績推移を見ると、2001年が安打数のキャリアハイであり、すでにメジャーで大活躍できる能力があったのは間違いない。
つまり、選手として完成されていたにも関わらず、試合数の少ないリーグで7年間を費やしたことにより、ヒット200本を損したと言えるのだ。
もしローズ氏がこの事実を知っていれば、イチローの記録が参考記録にとどまることに感謝して、あんな馬鹿げたことを言わないであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160529230713これに関して、
ブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160529230713)に若干、スポーツエリートへの蔑みが瘴気のようにうずまきつつあるんで、
陸上が、その後が華やかじゃないことについて、また駅伝の残念さについては大きく同意する。
陸連が相当マズイので増田は陸上でそこそこの場所にはいたのなら、中に入れるなら中に入って改善した方が良い。陸連は本当にダメ。
それと、私が知っている「彼らのその後」については、消息を知り得る人だけなので、生存バイアス的な情報ではある。
でも、「それなりに幸せで、自分なりに競技を続けてる」人はすごく多いということも知ってほしいので。
実弟
実業団でとある競技の選手をやっていた。1部~2部を行ったり来たりするチームの、一応主力。
当然というか、高校・大学・就職どれひとつ「試験」は受けたことがない。ただ、地頭は悪くなかったと思う。スポーツでトップキャリアになるには馬鹿じゃ無理なのよ。
現役時代も9-17で会社員をやって「残業」として練習を毎日やっていた。同僚や会社からは、それなりに応援はされていたように思う。
最後は膝の古傷がどうにもならなくなって30代前半で引退。引退後は、実業団チームのコーチを務めていたが、その後チームが売りに出される(不景気のため)。
買い手から、コーチ・ゆくゆくは監督で、と誘われるも、サラリーマンの安定が捨てがたくw 固辞。
完全にリーグから足を洗ってからは、お目こぼしてもらっていた社内資格試験などを泣きながらこなしつつそれなりに仕事をしている。
今もサラリーマンをやりながら、地元のその競技団体の協会長を務めつつ、子供たちをボランティアで教えたり、
学生時代の仲間とクラブチームを作って地域のリーグに参戦したりしている。楽しそう。
子供は3人いるけど、誰も彼と同じスポーツを選んでいないぐらいが、しいて言えば闇と言えるかも。やっぱりお父さんと比べられるのはイヤらしい。
実弟の友人たち
弟の高校時代のチームメイト。一応全国制覇はしているので他のチームメイトも実弟と同じルートをたどるかと思いきや、ぜんぜんそうじゃない。
優勝チームで、大学のスカウトがかかったのは実弟と同期一人、一期下一人の3人だけ、他の人たちの進路はさまざま、ごく普通の人生を送っていると思う。
実家を継いだもの、現役で大学いってサラリーマン、大学2浪してサラリーマン、など色々。
年に1度は集まって、スポーツのミニ大会兼同窓会みたいなことをしている。みんな家族も参加したりする。私も顔を出すけれど、楽しそうだよみんな。
「結局日が当たらなかった人生」ではなくて、どちらかというと「高校時代、超モテたんだ俺」な人生という感じ。
それぞれの地元でスポーツを続けてる人が多いけど、「メンバー集まらないんだよねー」と草野球チームに入っていたり、マラソンチャレンジしてる人とかも。
ちなみに弟は高校時代、モテすぎて家の前に女子高生の張り込みなどがあって大変だったので、そういうのはやめてください。
ラグビー、アメフト、アイスホッケーの体育会に属していた友人がそれぞれいた。みんな今はサラリーマン。
どれも、あんまり強くないチームだったからというのもあるか、就職については、大学名のネームバリューが良いので
「こっち(実業団)じゃなくて、そっち(大学名)のカードを切る」という感じで、超氷河期だったのに皆さん良いところにお勤めになった。うらやましい。
三人とも普通にサラリーマンをやっている。ラグビー、アメフトの二人については、今でもクラブチームに携わっている。
もうオッサンだから競技はやってないけどクラブチームの運営(会計とか協会との折衝とかそういうもろもろ)やってたりするらしい。
プロのスカウトに声もかけられたことがあるという人や、ユニバーシアード出ましたみたいな人やら、実業団でやってましたみたいな人やら、ゴロゴロいる。競技も様々。
共通してるのは「今でもその「草競技」をやってる」ということ。あと、普通にサラリーマンとして仕事をしている。
まぁ、出世するかというとしないけど、仕事できないかというと、普通かそれ以上に仕事できる。ほとんどが営業職だけどひとり技術職で元選手、という人もいる。
知人の中で一番の知名度を誇る「元スポーツ選手」は、一般人でも聞けば名前を知っているレベルの人だが、仕事で役立つかというと「ほとんど無いな」らしい。
競技は、実業団じゃないけど、会社の部活動的なものでやっていたり、学生時代の体育会のOB的なクラブチーム(がどの競技にも割とあります)だったり、
地元の友達を集めてやってたり、ひとりでこつこつ(個人競技だとこっちよね)練習しつつたまにシニアの大会に出たりとか、そうやって続けている。
「見に来てよー」と言われて「いいですよー」と見に行ったけど、まぁオッサンの草競技だけど、
和やかでゆっくりしてて、ただやっぱり全盛期すごかったんだろうな、と思わせるようなプレーも見られて、面白かった。
競技を続けていると、その競技団体の枠の中でそれなりにスポーツに関わり続けることができる。
ほとんどのスポーツには「○○連盟」とか「○○協会」という形で競技団体があって、地域~都道府県レベルまでピラミッド型に競技リーグ組織ができていたりする。
サッカーでJ1、J2、とあるようなもの。例えば東京のサッカーなら都4部とか5部とかあって、チームを作ったり選手登録して、いくばくかの金(登録料的なもの)を払えば、誰でも大会に参加できる。
テニスとか陸上なんかの個人競技についても、定期的に大会が開かれてたり、サークルで独自にトーナメント作ってやってたりもするしね。
なので、ある程度、競技を続けられる能力があれば楽しみ続けられる。
それに、体育会って、なんだかんだ言って就職が悪くない。サラリーマンとしての出世とか仕事で成し遂げたいと思うことがない限りにおいてはw。
スポーツを続けるということは「自分より強い相手の存在を常に認め続ける」ことでもあるので、「過去の栄光」に縋る人って逆に少ない気がする。
むしろ、フィールドを変えて「今の自分なりに、そのスポーツを楽しもう」という感じの人が多い。
ただこれは、「進学先の校風」とか「就職先の社風」とか「その競技特有の個性」によっても、変わってくるようにも思う。
もちろん、その選手当人の競技能力・精神的な能力と、親とのかかわり合いが大きなファクターを占めてるのはありますが。
「親子鷹でずっと野球一筋だったが、高校で肘を痛めてそっからぐれたよ」という人も知人にいるし、
私と弟の母校については、陸上と野球はすごく宜しくない噂がたくさんあった。たくさん囲い込む癖に怪我するとすぐ潰すとか…。
なので、これは生存バイアスでもある。やっぱりリスク高いよねスポーツ競技で身を立てようというのは。
ただ、「選手としては目が出なかったが、それなりに生きているし、競技もそれなりに続けてて、それなりに楽しい」と言う人が、一番多いんじゃないかな。
そこで「あの時にああしておけば」と黒い発想をしてしまう元選手がいたとしたら、それは脳筋トレーニングしかしてこなかったから、じゃなくて