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2021-09-20

ものすごくいい加減なディズニー映画史

ディズニー映画に埋もれた名作などというもの存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。

以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニーアニメーションスタジオ制作長編アニメ映画史を概観したい。

メイクマインミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。

1. ディズニー黎明期白雪姫』(1937年からバンビ』(1942年)まで

おすすめ作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ

ディズニー長編アニメ歴史アニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写ピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。

ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代価値観垣間見える。

例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心象徴としてジミニークリケットという名前コオロギが登場する。この「ジミニークリケット」という名前ジーザスクライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。

ピノキオ自体は退屈な作品ではあるものの、歴史時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。

ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。

2. 最初の低迷期 『ラテンアメリカの旅』(1942年からイカボードトード氏』(1947年)まで

おすすめ作品:なし

バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編物語映画はなく、とくにおもしろ作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリ総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。

この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観三位一体となった教育映画制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカ外交安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。

丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。

3. ディズニー復活期 『シンデレラ』(1951年から眠れる森の美女』(1959年)まで

おすすめ作品:『ふしぎの国のアリス』『眠れる森の美女

シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリードタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないもの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出成功する。

眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。

ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。

ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パン未成年淫行炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。

わんわん物語』では都市自由謳歌していた野良犬ペットとして不自由幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。

4. えんぴつ作画期 『101匹わんちゃん』(1961年からくまのプーさん 完全保存版』(1977年)まで

おすすめ作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』

眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフ描線作品構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。

技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。

『おしゃれキャット』は金持ちペット使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニー節操のなさがすごい。

5. 模索時代ビアンカの大冒険』(1977年からオリバー ニューヨーク子猫ものがたり』(1988年)まで

おすすめ作品:『オリビアちゃんの大冒険

この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。

前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワーク作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立メタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴である

『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。

シャーロック・ホームズ翻案であるオリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児パンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者集中力が乱される。

6. ディズニールネサンスリトル・マーメイド』(1989年からターザン』(1999年)まで

おすすめ作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン

この時期ディズニー批評評価興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニールネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。

しか作品クオリティ過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンス言葉通り、ある種の保守回帰時代に当たる。

おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術テーマ設定ではなく、安定して高品質作品を量産する社内の体制組織づくりの技術にあったのではないか

個別作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。

美女と野獣』でははっきりと他者理解テーマに打ち出し、また女性主人公男性から求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え他者尊重することを覚えた野獣が救われ、他者存在最後まで容認できなかった村のヤンキー破滅する。主人公読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解プリンセス側に一方的負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。

ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカン民族団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。

ターザン』もインディアンゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後白人研究者たちがゴリラ部落に居残ることでギリギリバランスを取っている。ここにはターザンポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。

ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画障害者活躍を描いた点は積極的評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本コンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。

そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術進歩を見て取ることができる。

7. 3Dへの過渡期 『ファンタジア2000』(2000年)からホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!』(2004年)まで

おすすめ作品:『リロ・アンド・スティッチ

みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり2D映画最後の全盛期に当たる。

作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスもの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要作品である

自分欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命スティッチが、貧困家庭ネグレクト問題SFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画からかい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。

残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観アップデート」を図ることになっていく。

アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディア宮崎作品みたいなものアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公オタク青年採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公イケメンマッチョではなく非モテオタク主体となっていく。

白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテ小人たちが「社会的にただしいとされる」物語主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本アニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板キャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。

ブラザーベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。

続く

https://anond.hatelabo.jp/20210920162554

実際にあって鬱陶しいのは「ご都合主義悲劇なのだが誰もその話は避けて通るのよな

ご都合主義ハッピーエンドいいじゃないか現実がままならないんだからフィクションぐらいご都合主義がまかり通るべき、という発言を見たので

 

そこは別に気にしてない

実際には逆だろ

ご都合主義で発生してる、不幸な悲劇的展開があふれてるだろ

ちょっと考えれば解決する技術トラブル無理難題みたいに吹聴したりとか

そのへんの絶対に死にそうな重傷のモブ治癒魔法回復してるのに、重要な仲間がよくわからない理由治癒不能で重傷でもう助からないで感動の泣けるシーンに突入とかだろ

 

だいたいファンタジーなんか作者の思いつきでいくらでもご都合主義に設定作れて

話の都合で「こいつはまだ使いたいから復活するけど、こいつは復活しちゃうと話が続かないから」て理由だけで設定でっちあげるのに、

それを見て「感動の泣けるシーン10場面」とかyoutube感想動画ピックアップで上がってくるのが鬱陶しいのであって

 

誰もナーロッパなんか気にしてねえよ。

「そんだけの卓越した魔法技術があるんならシンプル技術解決で泣き場面なんか回避できるだろ? なに感動しましたーとか盛り上がってんの?」ってだけだよ

 

繰り返す

ハッピーエンドはいくらでもご都合主義でいい

感動的な泣ける悲劇はその100倍は考えに考えて逃げ道ふさいでからやれ

あとクリエイター稼業が「ご都合主義ハッピーエンドいいじゃないか」とか話を逸らすな

2021-09-19

漫画とかだと「皇室なんて解体しよう!籠の鳥たちに自由を!」で拍手喝采ハッピーエンドだけど

現実だと

「籠の鳥に自由を!」

「でも皇室解体したくないよね!」

皇族結婚たからって逃げられると思うなよ!」

なんだよね。

フィクションを通して色んな物を学んだと主張する連中の出した結論がこれかよ。

人間から近代的な生き方を奪う皇族制度のものをこの機会にぶっ壊してめでたしめでたしじゃ駄目なのか?

2021-09-17

恋に年の差なんて

恋人が出来ないと嘆いている30歳の男が一目惚れした相手に猛烈にアプローチして苦労してようやく振り向いて貰えてハッピーエンドで終わるところでその相手女性中学生だとわかる叙述トリックホラーミステリ

デビューするからよろしく

2021-09-13

お姫様物語ってだいたい王子様と結婚してハッピーエンドなんだっけ

シンデレラの印象が強すぎるだけか?

白雪姫はもともと姫で、王子様のキスで目覚めて結婚してハッピーエンド

親指姫はモグラのおじさんから逃げて花の精の王子様と旅に出る、でハッピーエンド

赤ずきんオオカミの腹から出て、これは関係いか

人魚姫王子様と結婚できず泡と消えてバッドエンド

こういうのを童話としてインプットされてれば、王子様との結婚幸せ、ってなってもおかしくないな

2021-09-07

anond:20210907214754

実際金が無いやつは弱いからな。金が無いってことを前提に食い物にしようという輩もいるし。

サブカルも食い物にして、食い物にして何が悪いの?と食い物にしたやつが開き直る暗喩とか、食い物にしようという上司王様を裏切って、魔王に加担してハッピーエンドみたいなのが増えている。

2021-09-06

王女を誑し込むために息子に民間の房中術を仕込む母と

誑し込まれ王女を取り戻すために王家秘伝の房中術を仕込まれ王女の弟

っていう設定のエロ漫画を読みたい。

  1. 民間母x民間息子
  2. 民間息子x王女
  3. 教育係(or王妃)x王女
  4. 王女弟x民間
  5. 王女弟x王女
  6. (王女弟+民間息子)x王女
  7. 王女弟x民間息子

最後はメス堕ちした民間息子が王女弟の性奴隷になって裕福な暮らしを得てハッピーエンド

追記

時系列だと1→2だけど、読みやすさなら2→1(回想)の方が良いか

読み手にとってはバッドエンドでも登場人物にとってはハッピーエンドだった場合物語自体ハッピーエンドいかバッドエンド扱いのどちらになるんだろうか

2021-08-29

anond:20210829121125

一括で出したら「この漫画ハッピーエンドじゃないクソだ」と購入者レビュー暴露して売れなくなる

すでに300話くらい書いているとしても小出しにして期待させたほうが良い

有名作家もやってることだ

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -3-

2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき

意志を持つということ

アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後ハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)

 しかし、物語ロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。

 彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスル葛藤は、その象徴的な物語だ。

 トップジョイスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。

 それまで、シルバーキャッスルメンバートップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスル好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。

 ラフプレーは、トップジョイスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。

 それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。

 フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスル意志であり、同時に、シルバーキャッスルシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定目的(つまり意志)を持った集団は、その目的意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。

 そしてトップジョイスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 シルバーキャッスルリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである

 そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。

 仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。

 トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから

アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。

 シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正から描き出す。

 しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。

 トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスル子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。

 しか最後トップジョイは自らの中にあった意志相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイ意志を固め、それを全うした。

 シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身トップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。

アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想ロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。

その旅路の果てに

アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並み申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。

 ロボットという存在が、人間隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かにアイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。

 結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界ロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである

アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間ロボットも、同じ意志感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。

 マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグ過去を、極十郎太は剣士としてのプライド固定観念を、キアイリュウケン自分に与えられた役割機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。

 S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である

 そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。

 そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子ども子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである

 覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというもの不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。

「正直に生きろ」マグナムエース第一話でそう言った。

 意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。

アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。

 そして、彼らの旅路の果てを、遅まきながら見届けたいと願う。

 おわり

※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品テーマというものは、作者が自分表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマ受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマ解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというもの存在しないし、作者が作品テーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手テーマを見出そうと見出すまいと、それは作品本質には何ら関係がないのである

anond:20210827002706

読んでてユイ関連で気になった個所があったので言及しとく。


シンジ「父さんは母さんを見送りたかったんだね」らへんのこじつけが難解

シンエヴァラストを難解にしてしまっている元凶は、この「ゲンドウはユイを探すアディショナルを諦める」→「なのになんか色々やってたら結局ユイが出てきてゲンドウの目的も達成されたように見える」っていう二転三転具合なんだと思う。

これ、なんでこんなことになるかと言うと、「初号機の中にユイの魂がいる」って言うエヴァファンなら誰でも知ってる設定に、劇中ではこの時初めてシンジが気付くからなんですよね。

破のダミープラグの流れを見るにゲンドウはこの事実に気付いてたみたいだけど。

でも結局シンジネオンジェネシスで自らを生贄にする、まさにそのときじゃないとユイは出てこようとしないわけなので、序からシンにかけてゲンドウのやってきたことはもう完全にただの空回り、意味が無かったってことになっちゃますよね。でもシンエヴァの着地点はそういうことらしいです。

ゲンドウが空回りなのはその通りで、ユイが初号機内にいるという点だけはミスリードしている。

というのも、言及しているシーンの手前で「ずっと僕の中にいたんだね」とシンジが言っていることからユイは初号機のコアユニット内ではなくシンジの中にいたとみるべきである

じゃあどこでシンジに混入したのかという話になるんだけど、結論から言っちゃうと序の初戦、おそらく暴走前(何ならエントリーした瞬間でもいい)になる。

あそこでシンジユイを取り込み、自身を初号機の制御システムとしたのだ。

なんでそう思ったか

理由は3つある。

1つ目は初戦後シンジが見た夢。

夢の中で碇夫妻が子供名前を考える会話が挟まれるが、これはシンジが生まれる前の出来事であり、本来シンジに知る術はない。

となればこの夢を見せた存在がいると考えるのが自然である

それが誰かっていうと、一人しかいないわけで。

ちなみに夢の中でレイ?も介入した痕跡があるが、それが却ってこの夢の不自然さをより補強していると言える。

なお、何故介入したかは明確な根拠を示せないことに加え、本旨からも外れるため割愛する。

2つ目は初号機のダミープラグの拒絶である

ゲンドウは「なぜ私を拒絶する?ユイ…」と訝しむが、これは明確な叙述トリックである

だってユイはもうそこにいないんだもん。コアユニットパイロットダミー)が揃ってようが、制御システムありきで動く機体なんだからそりゃあ止まるよね。

3つ目は先ほども触れた「ずっと僕の中にいたんだね」。

ずっとって言ってるんだから、昨日今日の話ではないことは間違いない。

なぜシンジ「ずっと」だと気づいたのか?分からん

・そこにいたのか、ユイ ←は?

結局アディショナルではユイは見つかりませんでした。でも初めてシンジと向かい合ったらそこにユイ面影を見つけましたよーってだけ。

ゲンドウがシンジに向き合った時点でハッピーエンド演出流れるってことは、破であのまま和解してればあそこでお話終了だった説が濃厚。

劇中の裏宇宙光景は、ほぼシンジ主観が反映されているものなので、シンジ認識できなくともゲンドウ視点では本当にあの瞬間ユイと邂逅できている可能性がある。

そうでなくとも、その後ヴィレの槍を刺した際に、ユイを抱きしめるゲンドウのカットが挟まれてるので、面影を見ただけで済んではいない。

なお、破で二人が和解したところでゼーレは補完計画を止めないだろうことに加え、シンジエヴァ処分に思い至る可能性が下がるため、ループが終了するかは怪しいと言える。


・やたらリアルな巨大綾波は結局なんやねん

アディショナルインパクト効果フォースインパクトは「全ての魂を一つにする」だけど、アディショナルは「全ての魂の中からユイを探す」なので演出的に綾波になった。特に意味はない。

意味はある。

初号機のコアユニット内にユイがいない事は説明したとおりだが、ゲンドウはこれを見落とし、ユイと会える唯一の方法と誤解したままアディショナルを実施した。

結果、エヴァイマジナリーユイの入っていない空っぽの肉体情報のみ、すなわちレイを出力し、あの有様に至る。

ユイを見つけられず、レイばかりを引き当てるゲンドウは困惑し、さらにはなぜかシンジと再会してしまい(ユイが入ってるから実はこの時点で目的を達成してしまっているのだが)困惑を深める結果となったのは劇中のとおりである

逆に、ユイは十何年も前に「あ、将来うちのシンジちゃんが初号機に乗ってなんやかんやあって生贄になろうとするから、その時まで初号機の中で眠っとこ」って予知をしちゃう電波キャラになるのが今作の難点よね。

まあエヴァっていう何十年分の巨大ストーリー無難にまとめるためには、設定の皺寄せがシンエヴァのどこかにまれしまうのは仕方のないことなんだけど、言わせてくれ。ユイ、お前は何者なんだよ。

ユイが何者か。

上記でだらっと述べてきたことを統合すると、シンジ自己犠牲を止めるのは当然として、それに加えて10年ぶりに再会した息子の奮闘を特等席で参観したかったお母ちゃんということになる。

共に初戦で痛みを分かち合い、共にトウジにぶん殴られ、共にトウジとケンスケを窮地から救い、共にミサトさんに叱られ、共に家出して、共にトウジを殴り返し、共に綾波おっぱいを揉む。

終日監視かよやっぱヤベエなコイツとは思わんではない。

だけど、シンジ過酷な戦いと甘酸っぱい青春ドタバタ劇を追体験し、夫と息子の付かず離れずの奇妙な距離感一喜一憂しながら眺めてたんだと思うと、ヤバいというのとは別に、なんだかエモく感じない?

俺はめちゃくちゃエモいと思った。

こちらからは以上です

2021-08-27

シンエヴァ造語がわかりにくすぎたので解説サイトで全部調べた

序、破までは普通に楽しめていた。

なぜなら新劇場版で登場するのは、TVアニメ版でも再三出てきた「人類補完計画」や「セカンドインパクト」など、ニワカファンの俺でも「あ~聞いたことあるアレね」なワードばかりだったからだ。


ところがエヴァQで出るわ出るわ、わけわからんワード。「アダムスの器」、「インフィニティのなり損ない」などなど。あれ?オレ観てる映画間違えたかな?

しかもQの悪いところは、登場人物たちが新ワード意味を、シンジくんに対してどころか我々視聴者にも教えてくれない!

いくらなんでもファンを置いてきぼりにしすぎだろ!


・・・とぼやいていたら、シンエヴァさらに輪をかけて新たな謎用語を投げつけてきて無事脳のキャパティオーバーしたので、劇場では思考放棄して映像を楽しむことにした。

ところが最近になってアマプラ配信が開始され、今度は自宅で気楽に何度も観返せるようになったので、とうとう重い腰を上げいままで理解を諦めていたシンエヴァ用語たちについて調べることにした。

以下、その自由研究の結果である。(もし間違っていたらやさしく教えてくれよな!)


アダムスの器

エヴァMark9、101112の4体のこと。

アダムス」というのは4機のヴンダーのことで、セカンドインパクト映像によく写っている4人の巨人のことらしい。なんで巨人飛行機になったのかは監督趣味からしか

エヴァ13号機もマリに「アダムスの生き残り」呼ばわりされてるので、じゃあこいつは5人目の巨人なのかもしれない。

元ネタウルトラマン


・カシウスの槍

破でニアサードを起こしたシンジくん+初号機に、カヲルくんがブン投げた槍。儀式を止めることができる。

実は破とQの間で起きた本物のサードインパクトの時にも活躍してたっぽい。カヲルくんがリリスに刺してサードを止めた(と思ったらゲンドウの策略でエヴァMark.6が第12使徒なっちゃって、結局サード継続?)。

しょうがないので加持さんがロンギヌスの槍Mark.6にぶっ刺し特攻してサードは完全に止まった、って幕間があったみたい。

こういう経緯があったから、Qでカヲルくんは2種の槍がセントラルドグマにあると思っていた(実際にはすり替えられていたけど)。


フォースインパクト

Qでシンジ+カヲルくん+13号機が起こしそうになったやつ。発動条件は「13号機が使徒を喰う」+「13号機が2本の同じ槍を持つ」

Qは「使徒Mark.6」+「ゲンドウ製の槍」で起動してしまったが、カヲルくんのファインプレーで止まった。


これ、シンエヴァ初見時は気づかなかったんだけど、実はシンエヴァでもアディショナルインパクトの前にフォースインパクトがきちんと発生してるのな。

シンエヴァでは「使徒アスカ」+「黒き月製の槍2本」をトリガーに発動しちゃってる。


・アディショナルインパクト

これも初見では意味不明だったけど、ようやく理解できた。

いわゆる「ゼーレのシナリオ」は「フォースインパクトで全人類の魂を浄化して、一つの生命体に進化させればオッケー(=人類補完計画)」って話なワケ。

でも、ゲンドウは「ユイにもう一度会いたい」をモチベーションにしてるからフォースが完遂されて生命が一個になっちゃうと困る。

なのでフォース中に別のインパクトを起こして儀式を乗っ取っちゃおう。ってのがアディショナルインパクト

トリガーセカンドインパクトと同じ。「リリス(今回はエヴァイマジナリー)」+「4体のアダムス(今回はヴンダー4機)」+「槍」


ゴルゴダオブジェクト

マジでポッと出てきて説明も無しに終わったかビビった。

マイナス宇宙にある、なんでも願いを叶えてくれる魔法場所らしい。

最近だれかのツイートで見たけど、実はエヴァQニアサーのシーンですでにチラッと登場してたらしくて感心した(ガフの扉の向こう)。

ポッと出とか言ってすまなかった。

アディショナルインパクト目的は、このゴルゴダオブジェクトの力でこの宇宙のどこかにいるユイを見つけることだったっぽい。


劇中で説明特になかったのは、メタ的に言えば「なんでも叶うスーパーアイテムなんてアニメ最終回ではよくあること。だから設定なんてどうでもいいし説明する必要もないでしょ?」ってことなんだと思う。

形状の元ネタウルトラマン


エヴァ8+9+10+11+12号機

冒頭のパリオーバーラッピング装備をゲットしたから使えるようになった8号機の新能力

この状態の8号機はめっちゃつよいのでマイナス宇宙に行けちゃう

元ネタウルトラマンタロウの合体能力ワードがそのまんまらしい。


アドバンス綾波シリーズ

エヴァMark.9〜12に乗せるためだけに作った人形

そっくりさんは元々こいつらと同じ仕事をする予定だったけど、Qでマリandアスカ感情を動かされて自ら離脱した。

それに冬月とゲンドウがキレたのかしらんけど、今度は感情のない肉人形にしたみたい。


↓ここからワードだけじゃなくて、ストーリーでわかりにくかったところの解釈


Qでは謎だったけど、シンエヴァで解明した事柄


・槍でやり直す(笑)って結局どういう理屈なんだよ

シンエヴァでようやく分かったけど、カヲルくんはあのまま2種の槍をつかってゴルゴダに行って「世界をやりなおす」って願い事を叶えてもらおうとしてたんだな。

要はシンエヴァのアディショナルインパクトっぽいことをQでやろうとしてたと。

ただのオヤジギャグじゃなくて安心した。


インフィニティってなんだったの

特に捻りもなく、元人類

人間サードインパクトで大地が浄化されるとエヴァインフィニティ化するっぽい。

中途半端ニアサーを起こしたから、なり損ないがその辺を徘徊するように。

このインフィニティ、シンエヴァ劇中の経過を追っていくと、フォースで魂浄化 → アディショナル(feat.ゲンドウ)で3Dユイ化 → アディショナル(feat.シンジ)で無事もとの人間の姿になってる。

エヴァにしては安直すぎるくらいのハッピーエンドである


ただこれキルラキルでも思ったことなんだけど、怪物化していた一般人人間に戻った時、空から降って(落ちて)帰ってくる演出はいかんでしょ。

生身だぞ生身。成層圏からフリーフォールしたら普通にぺしゃんこになるわ。


ミサトさんヴィレクルーシンジくんに必要以上に冷たすぎだろ

Q製作時点でここまで考えていたのかは怪しいところだけど、今回サクラの言った「碇さんは恩人であり、仇なんや!」で全て解決した。

「相反する感情が愛憎入り混じって生まれた態度」と解釈することで、Qの不快感を見事に反転させたのは今回シンエヴァで一番評価したいポイント

公開前は「もし万が一シンエヴァハッピーエンドになったとしても、シンジくんがQでかわいそうだった事実は消えないんだよなー」って思ってたから、この落とし所を作ってくれた脚本に感心した。


もし、俺が親や恋人を失ったヴィレクルーだと置き換えて想像してみると、うん確かにシンジくんに対してはひどく罵倒したいとは思わないし、逆にやさしく慰めようとも思わないだろうな。

それこそ、劇中と同じく「もうエヴァには乗るなよ」としか言えないと思う。よくできてる。


忘れがちですけど、破のシンジくんって「地球滅亡クラスの巨大隕石を止めた超怪力ヒーロー。でもそのあと彼が調子乗って隕石パンチしたせいで、割れた破片が降ってきてビルが倒壊しまくった」みたいな感じなんですよね。彼からすれば綾波を助けただけなんだけど。


シンエヴァストーリー全般でわかりにくかったところの解釈


アスカオリジナル式波?に連れ去られたのは何アレ?

13号機はクローン人間には乗れないので、シンエヴァでは「カヲルくん」+「オリジナル式波」の魂ダブルエントリーで動かしてる。

ミサトさんらはまだ誰も乗ってないと思ってたから停止失敗。(うっかりアスカシングルエントリーじゃなかったの!?」)

13号機の再起動にやたらと時間がかかっていたのは、Qで爆散したカヲルくんの体をLCL再生させようとしてたから(といっても完全復活ではなくただの肉塊レベルらしい?出典不明)。

ちなみに魂だけでは13号機は動かないので、シンエヴァではゲンドウ(ネブカドネザルの鍵の効果でヒトを捨ててる)が実質の操縦者。つまり使徒アスカを含めると4人乗りである


・やたらリアルな巨大綾波は結局なんやねん

アディショナルインパクト効果フォースインパクトは「全ての魂を一つにする」だけど、アディショナルは「全ての魂の中からユイを探す」なので演出的に綾波になった。特に意味はない。


・そこにいたのか、ユイ ←は?

結局アディショナルではユイは見つかりませんでした。でも初めてシンジと向かい合ったらそこにユイ面影を見つけましたよーってだけ。

ゲンドウがシンジに向き合った時点でハッピーエンド演出流れるってことは、破であのまま和解してればあそこでお話終了だった説が濃厚。


ネオンジェネシス(笑) で村の大人トウジとか委員長の子供とか居ないことになっちゃったの?

違うっぽい。(シンジくんも「世界を作り替えたり、時間を巻き戻したりもしない」って言ってるし)

正確な言い方ではないけど、いわば「エヴァのないパラレルワールド」を作って、シンジくんマリがそっちに平行移動しただけ。エヴァ時空のケンケンとかはそっちの時空でアスカよろしくやってる。


映画公開後のいろんな考察サイトでは、「ネオンジェネシスによりエヴァ時空は消滅した」みたいに書かれてるけど、いや、絶対そんなシナリオじゃ無かった、と声を大にして言いたい。

というかそうでないと、わざわざヴンダーから地表に投下したスイカの苗とかの加持さんが守った植物のくだりがぜんぶ無意味なっちゃうだろ!

実際に、13号機から切り離したアスカエントリープラグがケンケンハウス前に到着しているカットや、ペンペン末裔?たちの前にタンポポ種子が着水するカットを、わざわざネオンジェネシス発動後に差し込んでいる。

なのでエヴァ(新劇)時空は、色んな人が傷ついて多くのものが失われたまま続いていくけど、(ラストでも第三村の豊かな自然カット意図的に映し出されてたし)今後は復興していくんじゃないかな。退艦時にミサトさんから「(息子のことも含めて)あとはお願い」って言われてたリツコが実質的リーダーになるのかなーっていうのは俺の妄想


一方、2人だけは記憶を保持して、エヴァ存在していないパラレルワールドへ。

そして最後ドローン空撮で、この新パラレルワールドこそが、視聴者の住むまさに "この" 世界だと言うことが明らかになる、と。そういうオチらしい。

「なんか延期してる間にSSSSグリッドマンネタ被りしてない?」と言ってはいけない


イスカリオテマリアくん

意味はない。ただの学生時代あだ名をそれっぽいタイミングでそれっぽく言っただけ。

聖書ワード意味ありげに使って考察班を喜ばせたろw!ってこのへんの言葉回しは、あーTVアニメスタッフ匂いだなーと感じた。


シンジ「父さんは母さんを見送りたかったんだね」らへんのこじつけが難解

シンエヴァラストを難解にしてしまっている元凶は、この「ゲンドウはユイを探すアディショナルを諦める」→「なのになんか色々やってたら結局ユイが出てきてゲンドウの目的も達成されたように見える」っていう二転三転具合なんだと思う。

これ、なんでこんなことになるかと言うと、「初号機の中にユイの魂がいる」って言うエヴァファンなら誰でも知ってる設定に、劇中ではこの時初めてシンジが気付くからなんですよね。

破のダミープラグの流れを見るにゲンドウはこの事実に気付いてたみたいだけど。

でも結局シンジネオンジェネシスで自らを生贄にする、まさにそのときじゃないとユイは出てこようとしないわけなので、序からシンにかけてゲンドウのやってきたことはもう完全にただの空回り、意味が無かったってことになっちゃますよね。でもシンエヴァの着地点はそういうことらしいです。父がすべきは息子との和解だけ。


逆に、ユイは十何年も前に「あ、将来うちのシンジちゃんが初号機に乗ってなんやかんやあって生贄になろうとするから、その時まで初号機の中で眠っとこ」って予知をしちゃう電波キャラになるのが今作の難点よね。

まあエヴァっていう何十年分の巨大ストーリー無難にまとめるためには、設定の皺寄せがシンエヴァのどこかにまれしまうのは仕方のないことなだけど……言わせてくれ。

ユイ、お前は何者なんだよ。


・加持さん「渚司令。」←は?

これがシンエヴァ最大の蛇足なのは間違いない。

要は映画の尺的に「カヲルと加持を同時に退場させる必要があった」→「劇中接点のない2人なので、実は元々仲良しでした〜って表現する必要あり」

で、加持はカヲルくんの指示で動いてた時期もあるんですよ、ってことにしたけど、分かりにくいから、破とQの間でネルフの司令になってたことにしたって感じ。

 この設定いる?

普通に「ゼーレと内通してたときに仲良くなった」とかでいいじゃん。変なことするからゲンドウのクローンだのなんだの謎考察まれてるし。

(13号機がクローン搭乗不可ってのがQで言及されてるので、カヲルくんクローン説はダウトですね。)

ともかく、この「渚司令」はスタッフ悪ノリ説に一票。



なんかまだまだ謎はあった気もするけど、今日はもう思いつかないのでこの辺にしておく。


総評


ウルトラマンパロ多すぎだろ!!



2021-08-15

anond:20210815215947

まら人間だな

フィクションはどうせハッピーエンドかバッドエンドしかないってわかりきってるから見る価値ないってか?

消えろゴミクズ

anond:20210815121819

行政を悪役に仕立ててご都合主義的にハッピーエンドにしたっていうツッコミどころが、日本国民にとっては大した問題じゃないからでは?

多くの日本国民はこの映画を観ても、実際に虐待を無くそうと頑張っている人たちの事なんぞ気にならんし、児童相談所の過重負担とか本当にどうでもいいんだと思うよ。

仮にツッコマれても、現行の行政の悪例をチェリーピッキングして弁護しとけばいいわけで。

アニメーションとかキャラデザはやっぱり良いからな。

ディズニーのパクりとか言われるものの、ジン・キムさん起用してる時点でそれはそうだろとしか……。

ま、昭和やくざ映画ナチュラル女性に対する暴行表現をしていたのに大人気だったし。

2021-08-14

テセウスの船五話まで見た

追記最後まで見ました。我慢してみるほどではなかった。途中で切っててもよかった普通の話。どんでん返しみたいなおちはない。全ての謎が繋がるみたいなこと言ってるけどタイムスリップした理由とかの説明も完全にぶっ飛ばし別にシナリオが超面白ければぶっ飛ばしてもいいけど、それほどでもないって感じで。わざわざ時間かけて見なくてもよかった。



もしかしてこのドラマ大して面白くない?

ストーリー構成いいと思うけど、なんか演出とかが間延びしててとりあえずテーマソング流せばいいだろうみたいな雑な編集になってる

見ててテンポが悪い

キャラ全般的情緒不安定前頭葉使ってないチンパンジーみたいな知能の低い行動が目立つ

ちょっと飽き始めてる。ここから面白くなるの?

追記

なんか話がちょっと進むたびに、キャラ演説タイムしょっちゅう挟まって最高にかったるい

みきお犯人説信じてもらえないくだりあるけど、首しめの跡が子供の手の大きさとか、ユースケ突き落とした目撃者いるのとか、証拠証言あるのになんで無視しているのとかも、んなわけねーだろ感が強い

追記

あー、うん。主人公の心が死んだけどお腹の心は幸せ人生を送るから、なんかテセウスの船的に心の人生まるっきり変わりつつも幸せになるからオールオッケーみたいな落語みたいなオチなんだろうって想像してたら当たった。当たるのはいいけど、別にカタルシスないし想像外のどんでん返しで、気分アゲアゲーって感じも微塵もない。はぁそうっすか。暗いの印象。

うんハッピーエンドでよかったね。

うーん想像範疇を超えない普通エンディングだよ。

マジ我慢して見るほどじゃなかったなぁ。やってしまった

真犯人別に未来から来たパラレルワールドの心じゃなかった。こっちの方が良くない?とんでもないエンディングっぽいことを言われてたから超期待して見てたんだけど普通の話だった。あっそって感じ。別に悪いドラマじゃ無いけど、俺がわざわざ見るようなものじゃなかったな。

世間評価が高すぎるわ

結局、首しめの跡が子供の手の大きさとか、ユースケ突き落とした目撃者いるのとか、証拠証言無視した件ってただの整合性が取れない脚本やらかしだったっぽいし

年代物の車集めたりとか演技とかカットとか丁寧に作られたドラマだけど別に特別面白いもんでもなかったか

世間評価が高すぎる。これに尽きる。事前に用意したハードルを完全に下回ってて、はあそおっすか、的な感想しかならんかった。

2021-08-09

徐々にオタクじゃなくなっていくのが分かる(30代後半)

複合要因でオタクじゃなくなっていく

 

・たくさんのコンテンツを見たことによる慣れ

ちびっこ向け、10代向け、20代向けなど。自分向けじゃなくても面白いコンテンツは多々あるが、やはり多量に摂取していくと飽きるのは早い

・30代向け、40代向けコンテンツは難しいしそんなの流行らない

仕事が忙しい

・性欲はあるが、初恋ToLOVEるラブコメあたりの青臭さが流石にキツくなってきた、まあ恋愛ものじゃないのに男女の絡み書くのがダルいというのは分かる

・見たくないものが増えた、青春家族もの、熱血

ハッピーエンドを願えなくなってきた

・年をとって何にもエネルギーを持てなくなりつつある(これは多分俺の遺伝問題、親もそうだった)

 

でも昨日は仕事しながら久しぶりに色々見た

クレヨンしんちゃんの某人気作品を見た、相変わらずつまらんかった

大豆田とわ子と三人の元夫見た、クソ面白かった、ナレーターが良いね

映像研には手を出すなを見た、とわ子のナレーターが主役の声優らしい、まぁまぁだった、だいぶマニアックだね

宇宙兄弟99話全部見た、それなりに面白かった、尻上がりだね

 

1.5日でどんだけ見てんだ

 

今一番欲しいアニメは初期のプリパラみたいなやつ

2021-08-07

ネタバレ有り】ひぐらしのなく頃に業・卒感想、沙都子と梨花について思った事。

某所で取り留めなく書いた物です。備忘録も兼ねて日記にしてみたいと思います

今更だけど業・卒は一度ハッピーエンドを迎えた話のバッドエンド巡りを何度も見ているようでやっぱりつらい

そのハッピーエンドと思われていた祭囃しが「実は問題残ってますよね?」って当時から言われていたから続編を作るならこういう沙都子周りを掘り下げる話になるのは納得なんだけども

100年間身内で殺し合ったり特殊部隊に殺されてきた雛見沢の住人が最後最後でやっと皆協力して最高のハッピーエンドを掴みました!って話の続きでまた仲間を疑ったり殺し合ったりしてますって、竜騎士07さん鬼だよ

最近「最終的に沙都子は許されるのか(許されて良いのか)」という事がよく話題になっているけど

罪滅し編で圭一が過去の罪を仲間に打ち明ける件で沙都子が言った

「前の町でどんな善行を積もうとも、こちらに来て嫌な人だったなら、前の町の善行なんか知ったことじゃなりませんわね」(※逆もまた然り)がそのまま業・卒での沙都子にも当てはまるんじゃないかと思う

沙都子が最終的に改心するならそのカケラに居る梨花達仲間は沙都子を許し受け入れるんじゃないか

他のカケラで犯した罪は当人が罪悪感を抱えて自戒する以外では持ち越さないのがひぐらしって作品だし

「…ふーん。…梨花ちゃんはお勉強家だからすごい素敵な大人になれそうだな?」

「……もちろんなのですよ。ボクは大人になったらスゴイスゴイのです。」

「あぁら、私も大人になったらすごいレディーになるんですのよ~?」

「沙都子はいくつになってもお子様だと思うぞ。賭けても良い。」

なんて業での高校生編を見越したような掛け合いが原作綿流し編の時点でもうあったというね…

恐らく梨花ちゃんと沙都子は将来的に道を違えるだろう事は初期の初期から構想にあったんだと思う

仮に今回の業・卒みたいに沙都子にループ能力が与えられなかったとしても

ループを繰り返して精神的にはもう子供とは言えない梨花ちゃまと良くも悪くもいつまでも子供らしさを残していそうな沙都子だと、絶対どこかで反りが合わなくなる日が来てもおかしくなかったよなってむしろ凄く納得した

カレー悪戯や少々過激すぎるトラップなんかもそうだけど、沙都子は少々他人に対して加虐的すぎる面もあったし

死ぬ事で何度でも同じ世界をやり直せる能力」を得た時部活メンバーの最も能力の乱用に歯止めが利かなくなりそうなのが沙都子なのも分かる(次点は罪滅しレナと目明し詩音?)

祭囃し編でも沙都子がかつて犯した罪が成算された訳じゃない、という所も合わせて

ひぐらしの続編で沙都子が闇落ちしてボスになるってむしろ滅茶苦茶しっくり来るんだ…

凄いよね…15年振りの続編で割と急展開な方なのに「そういう展開になった」事にあんまり違和感がないの…

業・卒の沙都子は旧沙都子と別人じみてるって感想をよく見る

自分も卒を見ていて「沙都子って仲間に対してここまで残酷になれる子だったっけ…?」と感じる時もある

でも今の沙都子って昔の沙都子とまるっきり別人なんじゃなくて、考えたら沙都子って確かにこうなる可能性は昔からあったな…って納得が行くんだ

例えば梨花ちゃまに対するあの加虐はルチーア入学後二回裏切られたってだけでは説明付かない気もするけど

ひょっとして沙都子って昔から親友梨花ちゃんの事をずっと嫌いだったんじゃ?って考えると妙に腑に落ちるんだ

梨花ちゃんと沙都子が同い年の女の子である事にも関わらず梨花ちゃんは村中から愛される恵まれ女の子で、逆に沙都子は村中から白眼視される嫌われ者であまりに差がありすぎる事は旧作でも描かれていたけど

幾ら親友当人には何の落ち度もなかったとしてもこれで嫉妬せずにいられるかって言ったら無理だと思うんだ

梨花ちゃんの方はループ経験成熟している分沙都子の事を「対等の友達」とは見てないし、どちらかと言えば可愛らしい子供とかペットとか、「好きではあるんだけど自分よりは格下」の存在として沙都子の事を見ていたし

梨花ちゃんと沙都子の関係って、AKIRA金田と鉄雄のような、「仲の良い友達なんだけど明確な序列存在する」下に見られている側の子が常にもう一人に劣等感不公平感を抱えているタイプ関係だったんだと思う

鷹野さんが沙都子に自分に似た物を感じていたのも梨花ちゃまに対して劣等感を持つ者の共感だったのかなと

綿騙し編の魅音に対して沙都子がやたら冷酷だったのも、雛見沢症候群発症した事が無い魅音発症する所を見てみたいって好奇心だけじゃなくて、沙都子が元々園崎家を大嫌いだったかあんな事をやったんじゃないか

沙都子からすれば園崎は北条村八分にして沙都子と悟史を虐げるよう村中に命令した明確な敵だから

表向きは仲良く付き合っていても普段から魅音に対して良い感情を持っていなかっただろう事は分かるし

鬼明し編で口だけとはいえレナに対して少し申し訳なさを見せた沙都子が綿明し編で魅音を足蹴にしてるのを見て「この子本当に魅音の事が嫌いなんだな…」って思ったもん

卒での沙都子のムーブ梨花ちゃん魅音という自分より上位の存在に対して上に立ちたいというマウンティングが大いにあったような気がする

今の沙都子は梨花ちゃまが自分制御下に入りつつある事が嬉しくてたまらないんだろうなぁ

あの二人の関係って友達としてお互いを認め合う対等な仲って感じじゃなくて

どちらが上どちらが下と明確に決まっていないとお互い納得行かない関係なんだろうなって思った

梨花ちゃんにとって沙都子は下の存在だし、沙都子にとって梨花ちゃん自分をずっと見下してきた存在から今度は自分が見下す側にならないと我慢ならないと…OPでバトルしてるのはそういう事なんだろうか

そういう意味でやっぱりあの二人って相性が悪くていじめっ子いじめられっ子って関係が素なんだろうね

今回の沙都子が語った沙都子が村中から虐められているってあながち嘘でも無いのが因果だと感じた

皆殺し編以前のカケラだと沙都子は雛見沢住人で一人だけ村中から嫌われ露骨無視とかされてきた訳だし

今回の鉄平への村人の陰口も以前は沙都子がターゲットだった訳で、沙都子の村への恨みは根深いと思う

ループの影響で皆殺し編のように村全体が沙都子の事を思っていて鉄平も改心した今のカケラで祟殺し&皆殺しを再演しようとするのが今のルーパー沙都子の悪趣味な所だけど

沙都子は丸くなった今の鉄平を利用する事に良心が痛まないのか?ひょっとしたら情に絆されるんじゃ?

って予想が郷壊し編の時に結構あったけど、沙都子って虐待記憶フラッシュバックするくらい鉄平への恐怖心を持ってるし今も利用するために嫌々付き合ってるだけなんだと予想してるなぁ

沙都子は「以前がどんな善人でも今が嫌な人なら以前の事なんか知った事じゃない」みたいな事を罪滅し編で語っていて、それはつまり「沙都子は昔の事を気にしないタイプ」なんだと解釈する事も出来るけど

沙都子から見た鉄平って「去年まで自分と兄をとことん苛め抜き100年分のカケラで一度の例外もなく自分虐待した人」なんだよね…トラウマに今でも苛まれているし沙都子にとって鉄平って現在進行形で「嫌な人」なんだと思う

上でも言われてるけど自分を虐められっ子の被害者だと思ってる沙都子が、かつて自分を虐めた事のある加害者を害したり利用する事に良心が痛んだり情に絆されたりなんてする訳ないよなぁと…

まさか2021年になってまた「ひぐらしがなく頃に」にハマるとは思いませんでした。これからも毎週最新話が楽しみです。

2021-07-31

anond:20210730221151

別に必要とされてないだろうけど。じゃあ解説しますかね

腐女子はたいてい高校生

マンガアニメ好きでファッション芸能に興味のない女子高校で疎外感

子供の頃からみていたアニメが実は意外と深い人物造形で、アウトローでも心折れない同年代でかっこいいキャラいっぱい

でも女性キャラは(男性作者による描写のため)全員ナイスバディの美人生理痛なし、個性強すぎ感情移入できない。そりゃそんなんだったら人生イージーモードだよねえ!

男性キャラとかで「中性的」なキャラ実在女性で「中性的(少なくとも女性的といってもてはやされることはない)」存在である自分によりそってくれるように感じる

しかしそういうキャラが作中で報われることはストーリーご都合主義上ありえない(むしろ捨て駒キャラだったりギャグ専用)ので

二次創作して幸せをつかませることで自分幸せになったような気がする(代理シンデレラ

そして高校生だと最強主人公総攻めクンにおまえのそういうとこが気になってたとか乙女ゲみたいに告白されてハッピーエンド

まあちょっとひねくれたシンデレラパロですわな。まだ引き返せる。

あとでキャラの顔キレイにぬるより自分の顔にマスカラ塗るほうがだいぶ楽だってきづけてたらいいね

 

2021-07-26

anond:20210726025149

その説明はいらん説明だよね

おまえの疑問はどうしてそうもクソなの?という疑問をもったという説明をオレもくりかえさなきゃいけないわけでどっちもハッピーエンドはないよ

2021-07-25

シンエヴァラストについて解説する

そろそろまとめたいと思う。

ラスト意味合い

シンエヴァエンディングはいくつかの可能性があり、その回答は公式には存在しない。これは故意に余白としてファンに委ねているのではないかと思われる。

ファンの間では主に下記の解釈がなされている。※下記以外にもあるかもしれないが

□駅はまだマイナス宇宙

シンジ「行こう!」→どこへ?

・第三村のある元いたシンジたちにとっての現実世界への脱出を目指す

・DSSには位置情報を発信する機能がある

・反対ホームにいたアスカオリジナル)、カヲレイマイナス宇宙しか生きられない為ここでお別れ?

□駅はシンジの書き換えた世界

ネオンジェネシス改変世界に帰還した

・旧世界で知り合いだった人たちとは、出会い直す

・時は巻き戻さないと矛盾しているけど、書き換えなのでセーフである

可能性は無限だ、さあ行こう!エンド

□駅は死後の世界

シンジマリは死んでいる

・復活するための肉体が既に失われているため

Voyager根拠

・バッドエンドをハッピーエンド風にするためのシーンだった

□駅は(我々の住む)現実世界

・実写なので俺らの世界に来た

・第三村世界とは関わらないけどシンジマリの2人で幸せになります

・実はあのシーン全部CGマリ百合設定だったはずだけどそこは忘れよう

マリは元々現実世界からエヴァンゲリオン世界干渉しようとする特別存在から色々凄い

□その他備考

マリ考察無理ゲー過ぎる

ユイゴルゴダから来た=人外なのかも不明

庵野過去に「設定は思いつきでやってるので深い意味はない」的なことを言っている

諸兄はどのように受け止められたであろうか?

2021-07-22

気弱な子をデートに誘って断られる漫画

気弱で嫌なことを嫌だって言えない女の子がいて

空気の読めない男がその子を遊びに色々連れ回して

女の子限界に来て「嫌です」って言われて

男はショックを隠しつつ「ちゃんと嫌だって言えるじゃ無いですかー、言えないから言えるように仕向けてたんですよ、ははは」的なこと言って

女の子は、え?そうだったの?ありがとう!で悲しいハッピーエンド

的な話だったと思うんだけど

タイトルもどこで読んだかも全然思い出せない

誰かわかりませんか

2021-07-21

[]ルックバックの本当のネタバレ犯人タツ

マンガが得意な小4女子藤野

ひきこもり京本マンガの絵が自分より上手なのにショックを受けるが、そこから本格的に絵の勉強を始める。

努力をして画力も上がるが、小6の途中で京本との才能の差を感じて筆を折る。

先生卒業証書を渡してくるように頼まれ藤野

この先生のやる気のなさから京本不登校の原因はいじめで、それを放置する学校姿勢が透けて見える。

京本から藤野マンガ作品へのリスペクトを熱く語られる。

自分より上だと思っていた相手からの意外な言葉有頂天になる藤野

ここで藤野漫画の賞をとる話を考えていると嘘をついて京本を騙し、支配関係を作る。

自分学校に行っている間に、京本作画をさせて読み切り作品作成。共同名義で漫画の賞に当選読み切りも7本掲載。連載も決まる。

しかし、京本藤野に「無理 ぜったいムリ!」と反対されながらも藤野から離れて美大へ進学。

その後、京本学校事件に巻き込まれる。

藤野事件の後で思い出すエピソード

「だからもしさ もしウチら漫画を連載できたらさ すっごい超作画でやりたいよね」

中略

「じゃあ私ももっと絵をウマくなるね!藤野ちゃんみたいに!」

京本藤野よりも作画が劣っていると思い込んでいる。

「おー 京本も私の背中みて成長するんだなー」

と強がる藤野

一旦はあきらめた漫画を、入賞することができたのは、

京本読み手として、藤野の良い所を引き出す力があってこそ。

そして圧倒的な画力

京本がいなければ漫画家で成功することはなかった。

藤野自身が一番知っている。

しかし、編集者にも京本にも「京本は背景だけ」と話す藤野

別れる時も京本の才能、人格を認めずに支配関係を崩そうとしなかった。

いままでは自分支配していたが、離れてしまっては、京野は自分の才能に気がつき、利用されていたことを知る時が来る。

藤野犯人キックで倒すハッピーエンドでも藤野京本

最近また描き始めたよ!連載できたらアシスタントになってね!」

京本を再度、支配下に置こうとする。

ここでの犯人の言説に注目したい。

犯行動機は、京都アニメーション事件のように、自分作品盗作されたと盲信、というのとは少し違う。

男は

大学内に飾られている絵画から自分罵倒する声が聞こえた」

と話す。

男が犯行の時の台詞

「ちげーよ!!俺のだろ!?元々オレのをパクったんだっただろ!?ほらな!!お前じゃんやっぱなあ!?」

男の聞いた罵倒する言葉

「お前の作品はパクりだ」

という内容であったろう。

作品盗作していると批判されるのは、無名人間に向けられるものではない、作品が世に出ている人に対してである

では男は誰か?

成功した作家

そこには藤本タツキ自身の姿が現れる。

天才と称される藤本タツキの苦悩。

作品の中での人殺しは止まらない。

anond:20210722115509 タグ追加

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