はてなキーワード: ももちとは
特に印象に残らなかった。先は気になるといえばなるけど。夏の空気感の醸成にかなり手間かけてるのはまあ評価できるかな。なんだろう、このどうでも良い感。主人公のキャラが、いろいろどうでも良さそうな感じで、それがそのまま作品全体を覆っているのかなあ。そんぐらいの感じがリアルで好きって向きもあろうかとは思う。1巻買ってモヤモヤして、とりあえず2巻も読んでみようと読んだが、あんまり印象は変わらなかった。
向ヒ兎堂日記 2-4 巻 鷹野 久
1巻が気に入ったので、そのまま継続購入。
百年の孤独 - マシアス・ギリの失脚 - ヴォイニッチホテル とか言ったら大げかな。
フリーダムかつ脈絡のないエピソードで構成される叙事詩。それでいて笑いも取れてるとか。もちろん画も楽しい。
画やキャラの味付けが濃いので、ちょっととっつきにくいけど、なれると結構楽しめた。
くまみこ 4 吉元 ますめ
エンヤネタは笑った。警官2人のエピソードはあんな引っ張る必要あったんかね?
波よ聞いてくれ(1) 沙村広明
1話目のタイトルが「お前を許さない」なんだけど、個人的には「ブラッドハーレーの馬車みたいなグロを世に放ったお前を許さねーよ」とは思った。それはそれとして作品は面白かった。笑いを取りに行ってるとこで、ちゃんと笑える。登場人物が全員芸人脳。画ももちろん楽しめる。
1巻が気に入ったので、購入。完結してた。
表題作は不器用で誠実なおじさんと若い女性の恋愛ものなんだけど、最近こういう構図流行ってんのかね。マンガにカネ出す層が高齢化しているから需要があるのか、それともイマドキの若者がこういうの好きなのか。昔から常にあるのか。
話はどれも恋愛がらみで、バリエーションありつつもどれもイマイチ突き抜けない感じが。。とはいえ、それなりに読ませるし、つまんないわけではない。とけちゃう女の子の話は良かった。画は揺らぎがあるけど、後半の作品は良かった。人体に自然な立体感やパースを感じさせてるし、人の表情は大げさではあるけど、大味ではなくて好感が持てる。
サーバント×サービス 1巻 - 4巻
WORKING!! 13巻
それぞれ完結。サーバントは結構前に完結したみたいだけど、最近まとめ買いした。
サーバントでは控えめに、WORKINGでは盛大に、イカれたキャラたちが繰り広げるドタバタはギャグ要素だけではなくコメディ要素が強くて、それぞれ良い感じの日常感を作りだしていると思う。画はある時期以降うまくなった印象。基本的に顔アップとバストアップばっかりだけど。。まあ、4コマだしね。まひるとめぐみの顔が好き。
学園スポーツものと見せかけたお仕事マンガかと思わせて、ラブコメらしい。
すっごい面白いってわけではないけど、つまんないわけではない。
それでも町は廻っている(14) 石黒正数
アイディアが優れていて、話運びにはムダがない。洗練されていて、何度読んでも面白いってのが凄い。
なんど読んでも面白い漫画って、面白いってよりも、もはや気持ちいいって感じなのかも。
1巻と変わらないけど、やや進展も感じさせていて良いのでは。画は1巻のほうがよかったような?
俺がイギリスに留学してたのはもう何年も前だが、その時感じたことを今更ながら言うわ
ロンドンで一流の教育環境に身を置いている人間は、どこの国のどこの人種だから能力が低いとかいうことはない
別に留学したから何がどうってことはないけども、知らない国で、最先端のことを学んで、祖国に貢献しようとする姿勢はすげえ重要と思う
それに対して日本人は、友人と離れることを躊躇したり、就活や留年を気にするあまり、留学したいと思うやつが減っている
もちろん、日本でも最先端の学問はできるし、留学しなくたって国に貢献できるわけだけど、国内で学んで国内で頑張るだけじゃ、
国の得意分野は増えないし広がりがない
個人がリスクを最小にしようとするあまり、個人が最高のキャリアを得るチャンスも、国力が増すチャンスも減ってきていると感じる
国が、国が、って、そんなこと考えてねえよw 個人が国のことなんか考えねえよw って思うやつも多いことと思う
しかしさ、国が力を失って、国がお金を失えばどんどん暮らしにくくなることはわかるよね?
食品は値上がりする、ガソリンは値上がりする、税金は高くなる、海外旅行もどんどん行きにくくなるし、旅先での待遇も悪くなるぞ
実際さ、いまは中韓に対して日本人が、あいつら金持ってるからなーって言ったりするじゃん
一昔前は日本がそう思われてたんだぜ?
まだある程度は思われてるけどさ
つまりさ、ここ10年ほどで徐々に日本が暮らしにくくなってきてるのはまさに、日本が国力を落としてきてるからなんだよ
政府を批判するのもわかるが、政府も国も、国民が全員で作るものであって、任せっきりでサービスを受けることを期待したってそりゃだめだ
何が言いたいかって言うと、日本もかつてのように、国民がひとりでも多く、世界と戦わなきゃダメだってことだ
明治の頃のように、世界からいろんなものを学んで、国を豊かにしていく意識をもたなきゃだめだ
日本には、中韓を含め、アジア諸国を下に見ている風潮が存在していると思うんだけど、あれはダメだ
実際、勝ち誇っていい立派な部分はたくさんあるが、それの多くは先人が作り上げたもので、現代の若者が貢献して得たものじゃない
なので、多くの日本人において、日本は中韓に負けてないって思う気持ちは、他人のフンドシで相撲を取ってるようなもんだ
頑張ってるやつにタダ乗りしてるだけなんだよ
スネ夫くんが、「僕のパパは社長なんだぞ!」って言うようなもんだ
だからさ、中韓を下に見ていいのは、自分の仕事で中韓に勝っているやつだけだと思うんだ
自分自身に勝っているところがないやつは、中韓を見下すな、って言いたいわけじゃない
できるだけ早く、諸外国に勝てる何かを見つけて、フルパワーでそれを頑張れってことだ
そして日本国民全員が、自分の貢献度を根拠にして、日本人であることを勝ち誇れる社会になることが理想的だ
イチローや錦織を誇っていいのは、彼らの仕事に貢献した人間だけで、俺らは違う
俺らは彼らを誇りにするのではなく、お手本にして頑張らなきゃいかん
尊敬すべきであって誇るのは違うんだ
自分もそう思う。
だからこそ、これ以上痴漢冤罪に関する女性の権利を拡張させても、見掛け上の女性の権利が大きくなるばかりで、実際には女性にとってももちろん男性にとっても何の得にもならない。
例えば女性がAという点では弱者であるが、Bという点では強者であるとき、
往々にしてAという弱点を根拠にしてBの更なる強化が図られる。
結果としてAは放置され無視されることになるし、Bは更に女性を化け物じみた強者にする。
現在の女性の持つ痴漢冤罪に関する狂気じみた権力を減らすことが、ひいては女性の未だ残る弱者としての部分の保護に繋がると思う。
「お前らは女をモノ扱いしているから嫌われているだけ」って、いつのまにか「救ってもらえない」という話が「嫌われている」という好悪の問題にすり替わってますよね。ここでいう救済すべきという話は何も弱者男性に女性をあてがえなどという話ではなく、経済的支援の話でしょう。男性側が不当な要求をしているかのように印象操作するのは非常に悪質だと思いますね。
黒屋ぶるー@kuroya_blue
≫saavedra8902 個人的には経済支援に限った話じゃないと解釈してますけどね。男は明らかに金の有無で結婚率が変わるのだけど、金の無い男が独りで生きていくしかないという問題に対して、フェミは独り身も人生の多様性のうちだから否定的になるな(要は我慢せえ)程度のことしか言ってないじゃん、みたいな問題も含むかと。
≫kuroya_blue 貧困は経済苦ももちろんなのですが、結婚が困難なことも確かに問題です。しかしこういう事を言うとフェミニストは女は資源ではないのだとか、弱者男性に女を配給しろとは何事だとか、誰も言ってもいないことを言い出します。女性を人為的にあてがうことが無理だからこそ経済支援が必要だという話なのですが。
≫saavedra8902 いや、でもTL見ていると暗に「キモくて金のないおっさんにも女を配給しろ」とか思ってんじゃねえかっていう臭いがプンプンしてくるんだけどなあ。俺の気のせいかな?
≫susanoo 女性は自分より収入が多い男を好むという調査結果から考えうるルートとして①一夫一妻の前提で自由恋愛に任せる→女性の未婚化で少子化する②シングルマザーを支援して事実上の一夫多妻を作る→キモいおっさんが事実上の奴隷となり人権的にどうか③男性の収入を女性より多くする→男女平等としてどうか④諦めて高収入女性が男を養う→キモい男女は救われないが昭和レベルで成り立つ、というところ
「お前らは女をモノ扱いしているから嫌われているだけ」って、いつのまにか「救ってもらえない」という話が「嫌われている」という好悪の問題にすり替わってますよね。ここでいう救済すべきという話は何も弱者男性に女性をあてがえなどという話ではなく、経済的支援の話でしょう。男性側が不当な要求をしているかのように印象操作するのは非常に悪質だと思いますね。
黒屋ぶるー@kuroya_blue
≫saavedra8902 個人的には経済支援に限った話じゃないと解釈してますけどね。男は明らかに金の有無で結婚率が変わるのだけど、金の無い男が独りで生きていくしかないという問題に対して、フェミは独り身も人生の多様性のうちだから否定的になるな(要は我慢せえ)程度のことしか言ってないじゃん、みたいな問題も含むかと。
≫kuroya_blue 貧困は経済苦ももちろんなのですが、結婚が困難なことも確かに問題です。しかしこういう事を言うとフェミニストは女は資源ではないのだとか、弱者男性に女を配給しろとは何事だとか、誰も言ってもいないことを言い出します。女性を人為的にあてがうことが無理だからこそ経済支援が必要だという話なのですが。
≫saavedra8902 いや、でもTL見ていると暗に「キモくて金のないおっさんにも女を配給しろ」とか思ってんじゃねえかっていう臭いがプンプンしてくるんだけどなあ。俺の気のせいかな?
≫susanoo 女性は自分より収入が多い男を好むという調査結果から考えうるルートとして①一夫一妻の前提で自由恋愛に任せる→女性の未婚化で少子化する②シングルマザーを支援して事実上の一夫多妻を作る→キモいおっさんが事実上の奴隷となり人権的にどうか③男性の収入を女性より多くする→男女平等としてどうか④諦めて高収入女性が男を養う→キモい男女は救われないが昭和レベルで成り立つ、というところ
ヒールがオシャレとされる隠れた根源的な理由は、「こんな不自由な靴を履けるのは、誰かが運転する車で移動できたり、歩くときは腕を貸してくれる男がいるから」というステータスの現れである説がちらほら。
故にヒールで電車通勤・立ち仕事・一人で移動は貧乏人の背伸びでカッコワルイということになる。
ベルサイユで立ちションしやすいようにとか単純に足がキレイに見えるからってのももちろんだけど、あの不自由さは補助を前提としていないとおかしい。
もしくは女の着物やタイトスカートと同じで、動作を不自由にさせておいてそれを美しいと定義することで反発させないという戦略か。
いずれにせよ「オシャレ=我慢」の風潮は根強い。
http://potatostudio.hatenablog.com/entry/2015/05/16/090000
これなぁ、行政・公共施設と「地元」との関係であって、少子化の話とは分けて考えた方が建設的。
情緒的に「やめようよ」というのは本当に簡単だが、そうやって自分だけが安全圏でご立派なことを言うこのブログの下衆さはひどいものだと思う。
っていうか、このブログは馬鹿が書いた馬鹿ブログで、中身ゼロの中学生の感想文レベル。
本当に中学生だったらごめんなさい。っていうか中学生にしては文章うまいね。何か他のエントリ読んでも中身ないし本当に中学生かもしれないけど。
自分は建設系のコンサルをやっている。土地利用や公共施設の設置についてああだこうだ資料を作成したり、コンペ要項作ったり確認申請したりとか。
民間企業なのだが、大変ニッチな仕事なので自分がやってるブログでは書かずに増田に書くが、首都圏では保育園の建設ラッシュである。
行政によって、保育園の区分とか手続きの方法や建設補助金額とかはちょっと違うのだが、
1都3県で保育園新設の仕事をいくつかしてる中で思うのは、特に民営の保育園については、準備期間が短すぎる。
ひどい場合、そして多くの場合、設置希望時期(大体は3、4月)の半月前ぐらいに要綱が出たりする。
保育園業者は、役所から情報をもらいながら準備はするものの、申請時期は、建物や設備を準備する時間を考えたらギリギリスケジュール。
パターンとしては「この場所に保育園作りたいので誰か手を挙げて」という場合が多いのだが、
その場合、近隣住民がそれを知らされるのは要綱が出て、入札があって落札された後だったりすることも少なくない。
本当は役所が、当該の土地で保育園作るよって周知してほしいと思っているのだが、なぜかそれが全然周知されていない。
それは、役所がどこも人手不足で忙しいからだ。建設・都市計画関連ももちろん、保育関連の部署も死ぬほど忙しい。法に定められた以上のことが出来る余裕がない。
業者もスケジュールがカツカツななかでやってるもんだから、地元住民への周知や理解促進は後手後手である。
地元住民はある日突然、保育園側から「よろしくお願いします」とあいさつされに来る。それならまだマシな方で、
建設業者だけがタオル持って近隣説明をする場合や、もっとひどいと何も知らずに、いきなり保育園が出来てたりする。
保育園ママの送迎カーが多くなってこの通り何だか最近騒がしいねなんていって知る羽目になるケースもある。
もちろん建築に関する法律上近隣への説明義務はあって、その範囲のことは当然やっているので法的には問題はないのだ。
でも、地元民にとっては割と大きな変化なんだよね。
それがコンビニだったり自分にも恩恵があったり、完全に民間のものであれば環境変化に腹を立てる人もそのうち慣れる。
街の風景って大抵が、半年すると慣れてしまうので、色々あっても気持ちは収まる場合がほとんど。
でも、地元に住んでる人が、ただでさえ環境変化にナーバスになりがちな年寄りだったりすると、公共施設だからこそ、納得できない思いが生まれてしまうらしい。
そりゃ老害乙と言えばそれまでなんだけど、公共ってことは自分に害をなすことから一番遠いところにあると、誰でも思いたいものだから
それが、急に毎日騒がしくなったり、朝の散歩するのに何だか車が多いなぁなんて思ったりしちゃうと、嫌悪感だけが育ってしまう。
役所は、移動人口状況や窓口の相談件数や用地情報や予算やら、色々な条件を見ながら「ここに保育園」と決める。
もうちょっと準備が早くならないかとは思うが、でも、人手不足と、それ以上に保育園は需給バランスを取るのが本当に難しい。
それに、昨今の「市民の目」によって一番厳しく監視・評価される部門であるため、色々な問題もあるらしい。要するに市民団体あたりの外野がうるせー。
保育園業者は、自分たちがこれからそこで経営する責任があるんだから、近隣との円満な関係形成は大切だよと、実際に仕事してて何度も説明してきた。
しかし、割と世の中から褒めそやされているような業者でも、その辺はおどろくほど無頓着だ。
善意の結果の悪意というか、自分たちは絶対善をおこなっているという自負があるのか、近隣調整した方がと言ってもしてくれない。
人手不足金不足もあるのだが、今まで保護されてぬくぬくやってた業者なんかは、「近隣と調整」という問題があること自体が理解できないらしい。
この辺は、まぁ元記事や、一部のお花畑ブコメ見たら、まさに「外野のいい子ちゃん」メンタリティと一緒だと思う。
そしてお前外野じゃねーんだぞ、って思うことは多いが。保育業者ってホント酷いところは酷い。世間ずれしてなすぎというか。
保育園利用者の人たち、99.9%の親御さんには何の罪もない。もちろん奇声を上げる子供には一ミリも罪はない。ただ、0.1%のひどい親はいる。
この本当に一握りのひどい親が、「よく分からないうちに近所の環境が急に変った…」とくすぶっていた地元の人の神経を逆なでするという構図は、
割と多くの保育園で、立ち上げの1、2年の間に起こっている。
後もう一つには、保育園って、ほとんどの用途地域で建てられるんですよ。ダメなのは工場しか建てちゃダメな工業地域ぐらいか。
一方で、第一種低層住居専用地域というのがあって、これに指定されているのは、基本的には「超良好な住宅地」である。
でかい家しかないような場所。物凄く厳しい建築規制がされているし大きな建物も建てられないが、保育園は建てられる。
なので、今までは学校とか幼稚園保育園がなかったような場所にも、保育園が増えてたりする。建蔽率40%なんて、園庭にちょうどいいしね。
問題になってるケースがどれに当てはまるかは、まぁ知ってるのもあるけど知らないモノの方が多いから何が誰が悪いとは言わないが
少なくとも、真面目な中学生程度の情緒的な感想では、問題の解決はできないどころか、
ブコメ参照の通りに似非善意と現実の間の谷を深くしてるだけの罪深い文章である。
ブコメを見ると、お金で解決すれという人と、お金でどうやって解決するん?という人がいた。
が、それ以上に、近隣の人への理解協調促進する時間が出来やすくなる。実は騒音問題とゴミ屋敷問題は、地域問題・老人問題である側面も小さくない。
地域の困った老人は、適切なコミュニケーションと協調体制によって黙らせることができないこともない。
最寄駅は、アメリカ西海岸のマイアミのような街に、と嘘のような本当の話で命名された舞浜駅。
ここは異様に関西人率が高い。
駅前には日本でもトップクラスの売り場面積を誇るダイエー新浦安店があるが、この中を闊歩している関西人の多いこと。
震災、液状化現象の影響もあり、一時期ほどのブランド力はなくなったが、それでも理路整然と区画整備された道路、広い歩道、並木道、
そして何よりもあのネズミーランドの近辺ということで、関西人にとってはあこがれの土地らしい。
しかもタチが悪いことに、新浦安近辺に住んでいる関西人は自分のことを千葉県民だと理解していない。
関西の友人にも千葉県民であるとは伝えず、ネズミーランドに近い、家からネズミーランドの花火が見える、ということのみを自慢にしている。
自慢される側もUSJで対抗するのだが、やはりネズミーランドの魔法にはかなわないらしい。
それでも近年の魔法勝負なら、メガネ魔法小僧が関西人になったので、いい勝負になっているかもしれないが。
またこの手の関西人に多いのは、関西住む友人を新浦安まで呼びつけて、家に泊めてあげるから遊びにおいで、とまた要らぬ自慢をするのだ。
誘われるので試しに来てみると、新浦安の埋め立て住宅地からネズミーランドまでは結構遠かったりするのだが。
なんにせよ、私はネズミーランド周辺の住宅環境にあこがれて新浦安に住んでいる関西人が嫌いだ。
そんな奴らと付き合うくらいなら、ただ土地を持っていただけで超ラッキー的に金持ちになった漁師町浦安住民であるの一軒家成金のほうがよっぽどマシだ。
さっきTwitterで流れてきたはてなブックマーク?ブログ?の記事で、
ファボもRTもしなかったからもう流れてしまってそれがどこにあった記事だか
わからなくなってしまったのだけれど、その最近流行ってる?「鬱系漫画 (イラスト)」について私も少し書きたい。
Twitterで少し前に流行ってた「絵を描く人の苦悩」とか「絵を描くことを頑張る」的な
ちょっと鬱っぽい雰囲気がある漫画がよく流れてきていが、まずそこがおかしいと思う。
いや、人それぞれだし嫌なら見るな!って言われるだろうが、嫌じゃない、というか好きです、鬱漫画大好き!
そんな私も絵を描く。
二次創作にも手を出しているが、職業は漫画家とかになりたい。オリジナルの、しかも少女漫画家。
まあそんな話は置いておこう。私の就きたい職業の話はまた次で。
ちなみに私の絵のランク的には底辺レベル。いや、盛っておく、中位!ちゅうくらい!!中辺!!
どこにでもいるレベル。
少しはうまいかな!とか思っても私より上手い人はめっちゃくちゃ多いから下手な分類だろうって思う。
そんなレベルの私がそんな何千RTやファボされて流れてきた「絵描きの苦悩」とかいうのをディスるのは、
お前にこの気持ちがわかるかよ!って思われても仕方がない。石は投げないでくれ。
だが、言わせてもらおう!絵を描くことを趣味や仕事にしてる奴がうるさい。
絵が上手いくせにファボとかRTもらいまくってフォローよりフォロワー(ファン)多い奴がそんな鬱みたいなこと言っててどうすんだよ。
ふっざけんなこっちははらわた煮えくりかえるぞ。お前の気持ちは私にはわからないように、私の気持ちはお前にはわからないんだよ!
というかもう気取ったように文書くのがめんどくせえ!
私より絵が上手いやつは一切マイナスな事言うな!!!絵についてマイナスな事言うな!!!私の気持ちを考えて!!
その自己評価低い漫画読んで私がどんな気持ちになるかわかってるんですか!
スマホ枕に叩きつけて、
「うがぁぁぁぁぁああ上手いやつが!!!上手いやつが!!!!貴様の腕食ってやろうか!!!!」
「なにその絵!!なにその過去絵!!可愛いんですけど??意味わかんない!!」
「なにそのポーズ!!どうなってんの!!!わたし描けない!!!」
「うぎゃあああどうせ上手いって思ってんだろ!!!わかってるよな!!!自覚あるよね!!!!だってその絵とこの私の描いた絵比べてみ!!圧倒的差!!!殺す気か!!!」
しかもその人が私より年上ならあーーーーそっかぁ!年上だからね!!!私より長く生きてるからね!!!!!だよね!!!うま、上手いはず!!だ!!!
ってなるよ????だって生きてる年数の違いじゃん!!年数!日数!!長い時間を!!私より生きて描いてる!!努力してるんだよ!してますよね!?してるって言って!!
お願い!!!!!!!!わたしがしんじゃう!!!!!!!劣等感にさいなまれて死んじゃう!!!!!
で、年上の方ならそんなかろうじて自我を保ってるけど、年下ってなったらもう。
もう、
発狂だよね。
ふっっっっっっざけんなあああぁぁぁぁぁぁああああなんで!なんで私より生きてる年数少ないくせに!!!時間少ないくせに!!!そんなに上手いの!!!!神様かよ!!!!
そういうのが私を!!!!苦しめる!!!!ぐぎゅーーーーって首絞められてる!!今今!!!今絞められてるよ〜〜〜!!???
貴様のその上手いイラストとか漫画とかが私の喉をしめてるよ〜〜〜!!!殺しにかかってる!あっ!今死んだ!!今死んだね!!!?死んじゃったよもう!!!
って感じだね!もう勢いで書いてるからわっけわかんない文章だよ!!!いいんだよ!!どうせ匿名だから!!!言いたい放題に書きたい放題だよ!!!!!くそ!!!!
でぇ?なんだっけ?なんの話を書きたかったのか忘れたよ!!!!夜中だしお腹減ってくるし!!!このやろう!!!!
羨ましい!!!絵が上手いのが背景かけるのが!顔が可愛くかけるのが!デッサン狂ってるように見えてもそれがそうであるようにその人の絵柄になってるところが!!!
もう!!!全てが羨ましい!嫉妬に狂うよ!そのうまさ!!嫉妬の業火で焼身自殺!!!ネットに在住してるくせに絵がクソ上手いやつ何なのなにその上手いの!
貴様の家庭環境とか!設備とか!なんの本読んでなんの漫画が好きでなんの漫画を読んでんの???
何かデッサン帳とかやってんの????何かお手本にしてんの???どうなの???
使ってる画材は?よく使うBGMは???どうしてそんなになったのか一から説明してよ!ボカさないで!!!!!
あーもう!!
絵が上手くなりたい!!!
量か?量だよね??才能とか言う言葉は聞こえないし聞きたくない。
私は才能には何しても勝てないと思ってる!努力次第でその才能人にも限りなく近づける。って言う方もいらっしゃるけど!
私も一時期そう思ったけれど!でもさ?その才能人が努力したら?才能に甘んじるのではなく才能を活かして才能人が努力して!
そしたら?????もうここら辺で考えるのよそうぜ!凹んでくる!!!!べっっこべこだぜ!!赤べこじゃないよ!赤くもなけりゃ首も降らないよ!くそが!!!
まだまだ書きたいことが山ほどあるんだけどそれはまた次回、どうせいつも支離滅裂な絵に対する気持ちは山ほどある。
どうせ支離滅裂なひっどい文章!読む気も失せるね!!うっさい石を投げるな!読むんじゃない!!
こうやって文字打ち込んでる時間とか、何か二次創作にはまってCP絵とか描く間に創作の話がいくつかける?
その虹創作ではまってるCPの原作にももちろんはまってるのだろうけど、原作の雰囲気を出そうと自分の絵柄に練りこんだ挙句
絵が劣化したのは何故だ?
TwitterではまってるCPのイラスト投下すればそのCP関連ではまった人が無差別にそのCPだけって理由でファボってくれてるのを甘んじて、
自分の画力が下がったと自覚できなかったのは何故だ?ふっざけんな。私はそうなりたいのではない。
一番何が手にしたいかって考えて、私はその当時。って言ってもまだ1年くらい前?のCPだけど。
虹創作は大好きだから全然見るし描くけど前より描かなくなった。というか自主的に描こうとしなくなった。
そしたらどうだ、どんどんリムブロ祭りじゃ!!でもその方がいい!!絶対に!!!な、泣いてなんかないんだからね!
あなたのイラスト好きです〜〜!って言ってくれた方からのリムブロ祭り!おいお前!それは私の絵じゃなくってそのCPが好きなだけじゃねーか!!!散れ!!!
あぁぁぁもう数行前のところで終わらせるつもりが続いてんじゃねーかよ!!!くそ!
もう三時だよ!夜中の!!!!
ちなみに今は!創作漫画のラストの部分が思いつかなくって死ぬ!死んでる!!神代降りてこい!!!!
降りてきて。。。。まじ切実。
読み返すと文章が頭悪すぎなのがにじみ出てきててやんなっちゃうね!
これでも二十歳になるんだよ!つらい!!!!!!!むり!!!!!!!!
中学生が書いたみたい!って言ったやつ校舎裏で待ってるよ!♡
ようやく春がやってきた。道行くサラリーマンがコートから解き放たれ、その尻が白日のもとに晒されるのだ。
そうです。わたすがお尻大好き尻女です。プリンケツピーチです。
男の価値は尻で決まると思う。男の尻の価値について、世の男どもはあまりに鈍感すぎると思う。世の女性達は男の尻をよく見ている。
駅で屈んでいるイケ尻リーマンの尻を女性達がチラチラ見ていることを私は知っている。
筋肉質な尻。少し脂肪がのった尻。プリッと上向きの尻。薄いスーツの下の肉球はまさに芸術品だ。体の線は細いのに尻だけがプリッとしているのも素晴らしいし、筋肉質で引き締まっているのに大きい尻ももちろん絶品である。
ちょっと年のいったおっさんでも、実は素晴らしい尻の持ち主だったりするから面白い。逆にどんなにイケメンだったとしても、尻が魅力的じゃない男には惹かれない。垂れてる尻を見た日には、100年の恋も冷めるというものだ。
わかるだろうか。エスカレーターで目の前にイケ尻のリーマンが乗った時の気持ちが。それはボディコン女性が胸を大きくはだけて無防備にこちらを向いているのと同じこと。本当に至福の瞬間である。あー顔埋めたい。
そして素晴らしいのは、女の胸と違って男の尻は鍛えることで美しいものに作り変えられるということだ!
この前富士山に上った時、最近は中国人ばかりだとオッサンが喚いていた。昔はこんなことは無かったと。
土産物屋で「どうしてこういうのを売ろうと思った」と言われるようなおもちゃや、長年放置され過ぎて包装のビニールが
カチコチになってしまったようなものまでなんでも買って行ってくれる。
食べ物はバスで分け合って即食べるらしく、人数分色んな種類を沢山買って行く。
いま日本の地方の観光地を支えているのは間違いなく中国人だ。日本人は全くお金を使わない。
そりゃそうだ、俺だって上に書いたようなものは買わない。だけど中国人は買う。
中国との関係が悪化したら収入が減るリスクももちろんあるし、日本人を呼び込めないような観光地じゃないのが悪いと言われるかもしれない。
だけど俺たちだって生き残りをかけて必死に中国人バスを誘致し、中国語パンフレットを作り、中国人店員を雇ってるんだ。
中国人誘致を始めてから明らかに前向きになった。久方ぶりに在庫が入れ替わり、観光用の歩道の整備もできた。みんな念願の公共無線LAN設置もできた。
別に日本人にもっと金を使えとは言わない。そんな事が言えるほど物凄い観光地なんてほとんどないから。
だから中国人が嫌いなら観光地に来ないでくれ、来ても嫌な顔しないでくれ。あのオッサンみたいに、あからさまに侮蔑したような顔をするのは止めてくれ。
デパス(エチゾラム)を服用し始めたのは二年前、進学のため地方から上京し一人暮らしをはじめて間もない頃だったと思う。
もともと人付き合いが得意でなく、対人関係における不安感があった。
また大学という新しい環境に馴染むことができず、その当時軽度の抑うつ状態にあった。
心療内科等の医療機関を受診することには抵抗があったし、その必要もないと感じていた。
ネットで調べてみるとで抗不安薬を個人輸入することができると知り、安易な気持ちでジェネリックのエチラームを購入し使ってみた。
服用し始めてた当初は、一日に一錠(1mg)服用するだけで不安感は消え、気分もどんよりとした曇り空が青空になったような感じがした。
以前より社交的になり友人の数も増えた。
しかし薬物依存陥る典型的な例にもれず、一日一錠が二錠になり、三錠と四錠と増えていき、今では平均十錠ほど服用している。
断薬を試みたこともあるが何度も失敗した。自分自身が経験した離脱症状としては、慢性的な身体のだるさ、気分の落ち込み、活動意欲の低下、またイライラしやすくなった。
デパスにももちろん副作用があって、自分が顕著に感じたのは記憶力の低下だった。つい最近では友人の名前をど忘れして自分自身ショックを受けた。
言いたいことは、簡単に手に入るからといって安易に飲んじゃいけないってこと。
ちなみに大学は中退し、皮肉なことに今は精神科で助手として働いている。働き始めて薬の恐ろしさを思い知った。職場の人間は俺がデパスを飲んでることは知らない。
目上の人以外との出会いは皆無。この環境はあと2年ほどは変えられない。もっとかも?
複雑な事情の説明は省くがそういう状況だ。
休日に部屋に1人でいると、友達のいない自分が物凄く価値の無い人間に思えてくる。
どんどん精神が病んでいく。
だから心という焼け石に、美味しい食事や店員さんの笑顔という水をかけてもらうため休日も外に出る。
日々の挨拶の成果か顔馴染みの店員さんがフレンドリーになってきて嬉しい。
けど顔馴染みの店員さんは友達ではない。正直かなりしんどい。そろそろ限界が近い。
1人でディズニーシーにでも行ってみようか。
あそこを1人で楽しめたら、1人でいることの辛さが減ったりしないだろうか。
只々悲しいのだ。
本能と言われても悲しいのだ、
男性は美人が好き。それは否定しない。女の自分もかわいい子は好きだし、純粋に自分に持っていない所にあこがれる。
一応、自分のやりたいことをやらしてもらって、なんだかんだでそれ系の仕事に就いてて満足はしている。
そもそも、私には結婚願望が無い。パッと見でわかる身体的特徴があり、目を背けられること、男性含ももちろん含む他人と比べられることが多く、嫌がられることも多い。
自分はモノサシになるのは慣れている。でも、私の隣に立つ人は慣れてはいない。
私が隣に居なければ、比較されて嫌気持ちになることは無いのだ。
こんな私でも、好意を寄せている人がいた。
けど、彼が選んだ女性は、日本舞踊の家元で、超お金持ちのお嬢様で、お父様はデザイナー関連の仕事で、生まれ持ってハイセンスの中に暮らしていて、
それに比べて、私は自然豊かな場所で育ち、小さい頃の遊びは近くの山に行って同級生と駆け回ったり、ごくごく平凡な育ち。
ちなみに家は団地w
私自身の性格も、現場大好き!泥にまみれるのどんとこい!な性格である。
「僕は美人が好きなんです」と。
そりゃ、結婚して、家に帰ってきたときに、美人が出迎えてくれたら仕事の疲れも吹っ飛ぶでしょうし、
なにより、男性は美人は見ていて気持ちがいいから、せめて家では美人を見てゆっくりしたいでしょう。
また、美人を連れていると、他の男性に「俺の彼女、美人だろぅ」と自慢したくなる生き物のようだ。
もちろん彼女は、私が彼の事を好きだということは知らない。
邪険に扱ったりしないけれど、心はもう限界なのかもしれない。
でも、好きな彼から選んでもらえることのない状況は、やっぱり辛い。
そして、疲れて帰ってきた時に、美人さんがまっててくれたら、疲れがふっとびますか。
こんな私は、結婚を諦めて一人で生きていった方がいいのでしょうか。
その気持ち悪さを感じるのは自由だし表出ももちろんそうだ。個人的には気持ち悪い、ってのにも同意できる。
でもあそこに描かれてるのはその一歩先のものだろ。
ある個人が「俺の内面の問題、苦痛、絶望その解決は社会全体の存続や幸福に勝る」って考えた時、それを抑制する権利は社会側にはない。公共の福祉とやらの理念において、仮にそういう権利だか規制あったとしても現実的に抑制する手段がない。ある個人が個人暴力をもって優先を決意した場合、その暴力を止めることができない。警察が駆けつける前に5人やそこらは死傷できるってのが秋葉原の事件だし、同じく爆発テロの本質だろ。
そしてそう言った社会破壊は碇シンジだけの問題ではなく。気持ち悪く感じているマスダでさえ可能なんだ。「俺はそういうことはしないよ」と思うかもしれないけど、問題はそこじゃなく「可能だ」ということそのものが問題なんだ。俺たちは、そういう、つまり万民が万民に暴力をふるうことが可能な世界に住んでいるし、その地獄めいた世界をかろうじて現在の形に保っているのは、わずかな理性というより公平とか幸福の幻想なんだ。そういう幻想が壊れてしまったとき、俺たちは「自分自身を守るために社会に宣戦布告」をせざるを得なくなってしまう。つまりは碇シンジだ。あいつはエヴァンゲリオンを持ってるから大規模にできるけど、俺たちだって手持ちの包丁や自家用車で十人程度は殺せるだろ。
その気持ち悪さを感じるのは自由だし表出ももちろんそうだ。個人的には気持ち悪い、ってのにも同意できる。
でもあそこに描かれてるのはその一歩先のものだろ。
ある個人が「俺の内面の問題、苦痛、絶望その解決は社会全体の存続や幸福に勝る」って考えた時、それを抑制する権利は社会側にはない。公共の福祉とやらの理念において、仮にそういう権利だか規制あったとしても現実的に抑制する手段がない。ある個人が個人暴力をもって優先を決意した場合、その暴力を止めることができない。警察が駆けつける前に5人やそこらは死傷できるってのが秋葉原の事件だし、同じく爆発テロの本質だろ。
そしてそう言った社会破壊は碇シンジだけの問題ではなく。気持ち悪く感じているマスダでさえ可能なんだ。「俺はそういうことはしないよ」と思うかもしれないけど、問題はそこじゃなく「可能だ」ということそのものが問題なんだ。俺たちは、そういう、つまり万民が万民に暴力をふるうことが可能な世界に住んでいるし、その地獄めいた世界をかろうじて現在の形に保っているのは、わずかな理性というより公平とか幸福の幻想なんだ。そういう幻想が壊れてしまったとき、俺たちは「自分自身を守るために社会に宣戦布告」をせざるを得なくなってしまう。つまりは碇シンジだ。あいつはエヴァンゲリオンを持ってるから大規模にできるけど、俺たちだって手持ちの包丁や自家用車で十人程度は殺せるだろ。
この前、友人の結婚式の披露宴での余興ムービを短い時間の中で作った際に、得られた知見をまとめる。
参考にしてもらえると嬉しい。
▶状況を徹底的に把握する
ここで注意したいのは、ムービーを流す場には、どういう人がくるのかということを徹底的に把握しておくことである。
そんな中で中高時代や大学時代のお友達(親族にとったら誰が誰だか分からないような人たち)が
同じ表情で同じポーズでうつっているだけのムービーを流されても親族の方はなにも面白くない。
新郎新婦に向けたムービーだが、親族のことも踏まえて、独りよがりにならないムービーをつくる必要がある。
※逆に二次会のような友達が多く集まる場では、身内ネタのようなムービーを作っても問題はないと思う。
▶メッセージを入れる
では、独りよがりにならないムービーにするためにはどうすればいいのか。
簡単に言うと誰か分からない人がうつっていても感動するムービーを流せばよい。
例えば、音楽に合わせて口パクで歌うよりかは、一人一人が「おめでとう」以外の簡単なコメントを言う、などが挙げられる。
友人にムービーを送ってもらう際に、オフショットも一緒に送ってもらう。
例えば、メッセージを言う前だったり、言い終わった後の素顔の様子も送ってもらう。
途中でオフショットの様子を小出しにすると、飽きずに見ることが出来る。(これで笑いがとれたらなおよし)
▶統一感を持たせる
例えば、『ムービーを撮るときの指定として花を持って撮影してほしい』や
『「おめでとう」と持った紙を持って撮影してほしい』などとあらかじめお願いしておく。
一番の感動ポイントは親や兄弟からのメッセージを入れることである。
このメッセージは、わりとどれだけ長くても良い。
わたし自身もご両親のメッセージをいただいて音楽の途中で流したが、終わった後は自然に拍手がわき起こった。
それぐらい重要なムービーの要素のため、どこに入れるかはよく考えたほうがいい。
▶その他
その他の簡単なところでいうと
例えば「外で撮影する」だとか、「高画質で撮影する」だとかが挙げられる。
当たり前の話しだがみんななかなかしてくれない。
あとは、「画面を横向きで撮影する」が一番忘れがちで大事な要素だと思う。
▶みんなが主役になるようにする
結婚式の中でも一番面倒なところは、今まではあまり仲良くなかった人たちも
だから、ムービーにうつる人たちはすべからく平等に、すべからく主役にうつす必要がある。
(誰かムービーでみんなをうまい具合に気持ちよくする方法があれば教えてくれ)
とにもかくにも5分くらいの簡単なムービーづくりでも少し凝っただけで3日間ぐらい平気で使ってしまう。
しかし、終わったあとにはとても達成感があるし、皆からも感謝されるため、やる価値は十二分にあると思う。
自分の知見を参考にしてくれると嬉しい。
自分より5歳年上だったんだけど、スレンダーで清潔感があって質問にも的確に答える美人さんでした。
ただちょっと、ほんとうにちょっとだけ人より感情的になりやすいなって思えるくらいところ以外、本当に普通の人って印象でした。
その会社辞めてからしばらくしたある日、酔っ払った勢いで電話をかけたら思いのほか好感触で食事に誘うことができたんだ。
高嶺の花だと思ってた人からの思わぬ好感触で浮足立ってたのはあるんだけど、結局楽しい時間を過ごせたしと思い切ってデートに誘ったらそれもOKもらってこれなんてエロゲ?とか思ってたんだけど怖かったのはそこから。
次の日お礼と一緒にデートのプランを相談しようと電話したら、すでにものすごく緻密に計画が立てられていた。
分単位でどこに行くとかっていう緻密さももちろんなんだけど、例えば”絵画展見に行ってちょっと芸術的気分に浸った後にプラネタリウムに行ってロマンチックな気分になる”というような、心情の移り変わりまですでに計画されていたわけよ。
しかもその話をしている最中はこっちの意見とかを挟む間もなく、ひたすら楽しそうに喋ってるの。
その時は彼女なりの冗談かなって思ってたんだけど、いざデートに行くとその通りの気分にならないとすごい機嫌が悪くなるんだよね。
機嫌が悪いというかもうヒステリック状態。
電話の最中は途中から冗談だと思ってたから最後の方普通に聞き流してたんだけど、「次どうしようか?」とか聞くと、「わたしの話聞いてなかったの?デート楽しみじゃなかったの?」みたいに泣き出す始末。
それでもその後もしばらくお付き合いをしたのだけど、とにかく妄想というか自分の中での考えが膨らむし曲げないし、ずれると人目をはばからずに怒るは泣くはで機嫌が悪くなるしで大変で、いつの間にか家族全員参加の食事会に呼ばれてて義理兄さんに「妹を幸せにしてくれてありがとう」って言われたのをきっかけに別れる決心をしました。
それからというもの、予定の話をするときに人のことと考えないで話を進めようとする人とか、あんまり共感できないことに対してすごく怒ったり悲しんだりしている人をみると全員メンヘラに見えて話するのが怖くなってしまいました。
だって気づくとその人の人生計画に組み込まれてそうじゃないですか。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
に触発されてひとつ僕の話と考えを。
僕はいま21歳だ。
同じ時期に入った友達は4月からは4年生だが、僕は事情があり休学していたので4月に復学し3年生になる。
少し長くなると思いますが僕の過去の話を。(結構個人的な話で大した面白い話も無いのでとても暇な人だけ読んでもらえればと。)
僕は家からすぐ近くの市立中学をヤンチャな人達とも適度に仲良くしながら、僕自身は道を大きく外すことなく適当に勉強したり部活したり恋愛したりして卒業した。
高校受験は奇跡的な倍率1.5倍のおかげで面接試験のみで市内有数の校則の緩さでありながら、偏差値やランクは中の上ぐらいの校舎がクソボロい第一志望の県立高校に合格した。
高校時代は部活には所属せずに夜は居酒屋でのアルバイトをしながら、髪の脱色をしたりピアスを開けたりして校則の緩さを楽しみながら、授業はほとんど寝ているかサボっていたので、テスト前には赤点を取らないように適当に勉強し、友達と馬鹿なことをしたり、人並みに恋愛をしたりして過ごした。
同級生の中には2年生のうちから予備校に通い、大学受験に備えていた人ももちろんいたが、僕が高校卒業後のことをしっかりと考え始めたのは高校二学年を修了してからだった。
僕はそれまでデザイン系の専門学校か美容師学校にでも行こうか、それか簡単に入れそうな適当な大学に行ってみるか等とボンヤリと考えていたのだが、高3になって間もない頃に僕の二歳上の女子大に通っていた姉と話していて、その時姉の言った「良い大学に行けば行く程遊べるよ。」の一言で〝良い大学〟を目指す事に決めた。
それまでの高校生活のせいで成績が芳しくなかった+モロに文系タイプの僕には指定校推薦などは無理だと判明し、親に頼み予備校に通わせてもらった。
夏終わりの予備校の自習室、肌は日焼けで真っ黒になり鼻の頭の皮が剥けているのは僕ぐらいだった。
予備校の模試の成績ランキングにも入るようになってくると「なんだ。受験なんて大げさに戦争だなんだ言っといて余裕っぽいな。」ぐらいな感じに思っていた。
後から聞いた話だが予備校内では僕は一部から相当嫌われていたそうだ。(僕はそんなにメンタルが強くないので当時それを知らなくて良かったと思う。)
いまでも忘れられない僕にとっては気持ちのいいエピソードがある。
高校三年の受験直前の冬、僕は廊下に貼られた学部のジャンルごとに分かれた偏差値ランキング表のようなもの(説明しづらいです。すいません。)の前に立ちボーっと眺めていた。
そうしているとたまたま通りかかった二年生の時の担任(まぁまぁウザくて嫌な奴)が僕の横に止まり、「おぉ◯◯。お前も大学行くのか。どこ目指してるんだ。」と聞かれ、僕は第一志望であった現在在籍している大学の学部を指差して「ここ。」と言うとそのまぁまぁウザくて嫌な奴の教師は「お前にそんなとこ無理に決まっているだろー。」と言って笑いながら去っていった。
まぁそんなこんなで僕は第一志望の都心にある大学の一番独特な何やっているか分かりづらい学部に合格し、高校も無事に卒業し現役で大学に入った。
いわゆるザ・大学生との温度差を感じサークルにも所属しなかったのだが幸いにも数は多くないが誇りに思えるような気の合う捻くれ者の良い仲間はできた。
そんな仲間達とサークルに入っているキャピキャピしている大学生を小馬鹿にしながら、時には僕たちも馬鹿な事をやっていたらあっという間に時が過ぎてしまった。
僕はこれまで〝自由〟だとか〝遊ぶ〟だとか〝楽しそう〟ってだけで進路を選んできた。
語れるような将来の夢っぽい夢というものは小学校低学年の時以来持ち合わせていない。
いま振り返れば大きな挫折なく「なんとなく」で大抵のことはなんとでもなってきた。
周りの人間にも「やれば出来る」や「◯◯君って何でも出来るよね。」などとずっと言われてきた。
これは全く自慢したくて記事にしている事ではない。
『自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。』(
適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)
この点は僕も全く同じだと思った。
何を仕事にしても嫌になりそうな気もするし、第一これで飯を食って行きたいと思えるものが無い。
お金持ちになりたいかと聞かれれば答えはNOでは無いが、本当にやりたくない僕がダサいと思う事はいくら仕事といえど僕はやりたくない。
っていうかそんな事をやらされる仕事には就きたくない。
就活をしないという選択を取ったとして何をすればいいのかも分からない。
『フリーターや一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。』(適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)
その通り。とても分かる。
世の中の就活生はどんなことを考えて就活というものをしているのだろう。
高校のとき付き合っていた、指定校推薦で中の中ぐらいの大学に行きサークルでキャピキャピしてたっぽい僕の苦手なザ大学生みたいなアイツは今何を考えて就活しているのだろう。
僕は冒頭にも書いた通り休学している為、復学しても3年生だ。
同じ年に大学に入った友達は次から4年生ということもあり、話したりしていても全てが悲観的なものばかりではないが、将来や就活の話がどうしても多くなる。
だが僕の仲のいい友達の中には学校に通わずモデルとして仕事をして充分生活できている奴や、学生をやりながらモデルとして仕事を取れている奴や、俳優事務所に所属している奴、他にも大学院に行く事を決めた奴や留学していたため卒業が遅い奴や卒業後留学に行く事が決まっている奴など、〝大学4年で卒業→スグ就職〟というレールから外れた友達が多い。
なのでなんとなく僕の感覚も一般的な大学生の感覚に比べて麻痺してしまっているのかも知れない。
まぁそんなものどうでもいいのだけれど。
まぁとにかく言いたいのは不安だねってこと。
僕は文章を描くのが元々とても苦手な人間なのでこの記事もとても読みづらい記事になっていると思う。
それに同じ理由で僕の就活だとかに対する考えの全てをこの記事に出し切れているとも思わない。
なにしろもう相当眠いのでそろそろ適当に終わらせて眠りに就きたい。
買ってすらいないけど。
はてなブックマーク - 熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH324T4JH32PTIL01H.html
たまに登場する高校教諭増田です。ニュースとそれに対するコメントを見て感じたことや自分の考えの整理を書いておく。
学校外では部活動について多様な意見がある。「部活指導は外注すべき」から「やりたいスポーツなんて学校外でいくらでもやらせればいい」まで。
現場で働く個人としては、部活動は学校にはあるべきと考える。むしろ部活動はやりたい生徒たちにとって学校生活の大半を占めるくらい大切な時間であり、そういった場での同学校同学年の仲間たちの時間が人間形成に大きく影響する。あることに打ち込んで成果を出すという成功体験は学校外のクラブチームなどでできないわけではないけど、「部活動に打ち込んだ時間があって学校生活が充実していた」、「3年間毎日朝練をし続けたことがささやかな自信になった」というような経験のある人は少なくないと思う。もっと極端な例では、クラスでは仲間に弾かれて居心地が悪く、部活動が学校での良い居場所となり楽しい時間を過ごし、運動によりストレスの発散にもなるということもあったりする。
学校に部活動はあった方が良い。1年次は強制入部とかそういう変な学校もあるけど、やりたいという生徒たちには環境を用意してあげるべき。
教員の中には「俺は学校生活を部活動に捧げたし、部活動指導をしたくて教員になった」という人が教科問わずいる。そういう人たちは本当に部活動に力を入れている。10年くらいかけて「部活動を育てあげる」ということをやってのける。弱小で、チームとして何も出来上がっていない高校生たちを、何年もかけて、代の交替を見守りながら、練習に対する意識や指導者への礼儀、仲間同士でのコミュニケーションを教え、学校の特色とも言えるような部活動にしていく。
吹奏楽部なんて大きな組織づくりになるから本当にすごい。顧問は経験者であれど楽器は個々で違うので全てを指導できるわけではない。他校の顧問とのつながりから人脈を広げ外部の指導者を雇い、放課後や土日の練習に指導を依頼する。外注するだけでなく顧問ももちろん指導をするし、全体の演奏の指揮を執る。さらに顧問が行うのはそういった技術指導だけではない。生徒一人ひとりの性格を把握しパート毎にパートリーダーを決め、部長副部長とパートリーダーを中心とした組織づくりを行う。そういったリーダーとなる生徒たちには、リーダーとして必要なことは何かを考えさせる指導をし、また組織全体に、外部指導者に指導を仰ぐ態度や礼節を厳しく指導をする。そんな真剣な部活動の取り組みは、練習の中の躓きやそれを超える瞬間、コンクールでの成功の度に生徒たちにカタルシスをもたらし、かえがたい体験となる。このような指導を重ねていくと、部員全体が学校生活全体を通して凛とした(男子部員もいるがあえて全体にこの言葉を使わせてほしい)立ち居振る舞いをするようになっていく。そんなしっかり取り組む部活だから外部指導者を雇ったり楽器を修理する予算も下りる。運動部を指導しながら傍から見ていて、素晴らしい教育だなと思う。偉業と言っていい。
閑話休題。とにかく部活動を熱心に指導する教員は本当に熱心だ。そしてそんな教員を中心に、現状として基本的に部活動指導はその学校の教諭が行っている。
その現状について、最近は世間的に問題点にフォーカスされているが、まず良い面について述べておきたい。その良い面というのは、生徒たちと同じように、教員にとっても教室の外で生徒と関わる中身の濃い機会となるということだ。
教科の教員として、ある生徒を教室内だけで見ていても、どうしても一面的なことしかわからない。部活動の時間に好きなことに取り組んでいるときの表情は当然違うし、そういった場でも生徒とコミュニケーションをとれるというのは、生徒掌握や生活指導など様々な側面から大きなメリットを得られる。わかりやすいケースを挙げると、授業の時間の中で自分の部員に対し叱った後で部活動の時間にフォローをしたり、最近表情に陰りが出てきたようで気になる生徒に部活動の時間に声をかけて話を聞いたり、そんなことが可能なわけだ。
またそれは部活動顧問一人だけで行うわけではなく、教員同士の連携も図れる。教育活動はチームワーク。「〜〜部の〜〜君、今日授業中にちょっと俺にキツく怒られてるんで、ちょっと部活の時の様子見てまた後で教えてくださいよ」とか、「部活のときに他の部員と揉めてたんですけど、最近クラスでどんな様子ですか?」とか、教員側で生徒に対してできることの可動域がぐっと広がる。
おいおい厚かましい教師どもだな、と思うかもしれない。中堅上以上の進学校だとこんなこともまぁ少ないのだけど、レベルの低い学校だと生徒集団も辺に幼い傾向にあるのでこんなこともしょっちゅうである。
こういうケースもすごく多いのだけど、自分は縁あって全くやったことのない競技の部活動顧問になった。その時の場合はまぁ環境と部員数はそれなりにできていて(前顧問が築き上げたものだ)、それを引き継いだ形だった。どのように取り組んだかというと、生徒たちからすれば目の前の顧問はこの競技はでないわけだし尊敬なんか全然しない。なので少なくともこの人はこの部活に対して本気だと感じさせるよう取り組もうと決めた。まぁ若手であり身体も動くので用具を一式揃え、生徒たちに交じって教え合いながら、怪我をしたりしながら、そんな中で技術に関しては俺よりも高いところにある部長と教員としてぶつかり合ったりもしながら、部活動指導にあたった。放課後は勤務校の定時制課程で非常勤講師を引き受けていたけど、それまでの1時間だけでも着替えて練習して汗だらけになり、土日には他の学校との練習試合や合同練習を取り付けては毎日練習をした。それだけ自分の時間を犠牲にしても、礼節指導、チームの構築、どのように引っ張っていくか、どれもやりきれず、異動となった時には反省点だらけで、部活動指導の難しさを思い知らされた。それでも生徒たちは自分の異動を泣いて惜しんでくれて、最終的には良い経験をさせてもらったなというところに落ち着くことはできた。
今になって振り返ると良い思い出になっている。それもあって、件のニュースのノートの写真なんかは心が傷んだ。自分もあそこまではせずとも、部活動のファイルを作りそれを使って生徒たちとやりとりをしていた。しかしその反面、当時は本当に大きなストレスだった。自分がいなくても練習に真剣に取り組む土壌が作れない。叱ればふてくされる。俺だけの空回りか。仕事は楽しいけど唯一部活動だけがストレスと言える状態だった。
しんどい。やりたくもない。
初めから仕事の一つとして挙げられているのだから教員になる段階で覚悟決めとけ、というのがまぁもっともな声だとも思う。けれど我々は主に教科指導で賃金をいただくわけで、その上に部活動指導が重なることで定時内でこなせる業務量を軽く越え、その上で残業代は小遣い程度のみなし残業代となると泣くしかない。
そんな中で、顧問はその名の通り顧問という立場なので、まぁ部活動を自分の好きなようにすることはできる。変な話やりたくなけりゃ適当なお遊ぶ部活にしてしまえば良いわけだ。でもそこに集まる生徒たちは真剣にそれに取り組みたい子が集まるわけで、教員としてはそれには応えてやろうとなるしかない。それはこちらの気持ちとしてもそうである上に、採用自治体もそんな教員であれと謳っている。それなら土日の賃金なり振休なりを保障してくれ、と思う。
そんな中で実際の現場の雰囲気はどうかというと、部活動に関してはあの人すごいよねと言われる人たちがいて(先述のような部活動志向教員だ)、まぁあそこまではできないけど頑張ってるよという中間層とも言える人たちがいて、部員もいるのかわからない名ばかり顧問もいる。割り合いはまぁ学校の特色によるけどだいたいこんなもんだ。その中間層には自分のような素人なりにやっている顧問も多くいる。
そんな中でどうにかしてくれと思うのが、部活動志向のおじさん教員たちの押し付けがましい説教だ。ただの愚痴になって申し訳ない。けどブコメにもあるし言いたい。
まぁ部活動に力を入れてきた人すべてがそんな説教ったらしいわけではない。けれど一定数は「若いうちに部活動がんばらないでどうするんだよ」という考えのおじさん達がいる。俺は先に書いた通りに部活動をそれなりにやってきた自負はある。それでも部員数が減って燻っているさなか何度も飲み屋で説教を受けた。俺は分掌の仕事を全部後回しにして部活動を最優先にした。そのためなら残業をどれだけでもした。お前はどうなんだ。そこまで生徒とぶつかっているのか。
自分は自分なりに、生徒たちが部活動に臨むべき姿勢を考え、部活動を運営し、その結果の今であって、初めからやる気のない人間を集めてその部活を育て上げようみたいなビジョンははっきり言ってありませんよ。生徒がやりたくないならそれでいいじゃないですか。部活がやりたくて教員になったあんたみたいな人ばかりじゃないんだから押し付けないでください。それより同じ分掌のおじさんたちがろくに働かねーから俺が職員室にこもって学校運営の仕事ひたすらやってるんでしょう。
そんなことを何度も言いたくなりながらもビールと一緒に飲み下した。そうこうしているうちにその辺りの人と飲みにも行きたくないようになり付き合いは減らしていった。
ではそんな中でよく言われる、外注してはどうか、ということについて少し考えたい。
前提として先述の通り部活動がやりたい教員はいる。体育の教員なんかも「体育教員なんて部活動指導してなんぼやろ」という考えの人も多い。やりたい人はやって、それ以外は外注で補う形が良いのではないかなぁと思う。
ただ、技術指導に特化した人に丸投げというと、先に書いた教員顧問制度のメリットの部分が得られなくなる。名ばかり顧問としてでも名前だけは教員を配置した方が良いんじゃないかなぁ。その上で顧問や生徒の学級担任などの教員側と、外部指導員とで生徒たちについての意見交換ができるような場を設けるとかが考えられると思う。実際に学校ではスクールカウンセラーと教員同士が意見交換をするカウンセリング委員会みたいなものがあったりするし、そんな感じで。
本当はもう部活動要員を教員として用意してしまうというのが一番理想的だと思う。それぞれに与えられた役割に専念すれば良いし、同じ学校の教員として相互に教育活動に取り組むことができる。だけどまぁそれだけ地方公務員を増やすってのは無理なんだろうね。だから外部への外注なのかなぁと。
そして多分そんな風に環境が移行していけば、俺に説教をした部活動おじさんは多分また説教をしたくなる。若いんだから、身体が動くんだから、そのうちに生徒とぶつからないでどうする。おそらくそういった移行措置を採ったとすると、初めはそんな空気が流れるのだろう。
そりゃあそうだよ若いうちに生徒と距離の近いところでコミュニケーションをすることは教員としての力量形成に大きな影響があるよ。ただ過労で倒れる人が出ている中でそれを叫ぶのはもうだめだろう。だからまずその環境をなんとかして、その新しい関係で生徒と教員がどうやっていくかを改めて構築していくべきだろう。そう思う。
ただ、まぁそれも現実的ではないのだろうなぁ。これを実現するには莫大なお金がかかるし今の日本にそれをやれるほどの体力があるとは思えない。時代が代わり、生徒たちが代わり、昔の美談が悪しき風習となっていったまま残り、地獄はまだまだ続くなぁと思う。
ニュース記事のブコメに日教組への言及が散見されるのでちょっとそれについても現場から見た組合について少しだけ。
自分は組合員ではないけど、組合はありがたい存在です。組合が労働条件などについて交渉などの活動に取り組むお陰で我々の賃金や労働環境は少しずつであれ改善されています。休暇の取り方や範囲などの制度、女性や要介護者家族を持つ者にとっての労働環境、そういったものが守られているのは組合の取り組みの恩恵を受けられているなとは感じている。まぁ社会的に色々言われるし確かにねぇと思うところはあるので、少し言葉を濁してしまったりはするのだけど。
経費削減だとか言って安物PCを購入させる上司はほとんどの場合が無能.
月1回だけ誰かが使用する何かの専用システムコンソールとかなら安物でも構わない.
まず,CPUは一番高いのを必ず選ぶ.
少し考えれば分かる.いつも開いているWordやExcelの起動が2,3秒早くなるだけで,一年を通してどれだけ作業が効率することか.
作業中のイライラが低減するだけでどれだけ会社の雰囲気がよくなることか.
コアが増えても速くはならない可能性もあるが,今後のソフトウェア進化に追従するためにも一番高いのを買っておくべき.
もちろん,普通に使っていれば使用することはないが,ディスクキャッシュとして使用すれば,やっぱりWordやExcelの起動が速くなる.
VMを使用することで作業効率を向上することも考えられるだろう.メモリが大いに越したことは無い.
ただ,容量を多くする必要はない.
大切なのは速度であって容量ではない.容量が多くなるとロストしたときのダメージがでかい.
別途NASなりクラウドストレージを用意してバックアップすることが基本.
注意するのはメーカー.怪しいメーカーのSSDはスピードが出ない場合もある.
安心のIntelを買うか,ベンチの情報をしっかりチェックする.
一般的な職種の人でも最近だとビデオ・写真の編集を行う場合がある.ただ,安物やチップ内蔵でも最近は余裕の性能がある.
ここだけは値段を確認しながら選ぶ.高すぎる物は買っても意味が無いし,消費電力が増えるだけである.
馬を乗り換えることはあっても鞍を乗り換えることはない.
その人にあったインタフェースを長く使うことでより作業が効率化する.
幼稚園や小学校などで出てくるモンスターペアレントの話もそうだ。
体は成長しても良識が伴っていないのだ。
本来人間は13歳−16歳ぐらいで体の変化が見られ大人となるはずだが
現在成人は良識がある年齢(と思われている)、20歳が基準になっており
しかしながらこれは子供の再生産を止めるに至っていない。これは基準として適当でないのだ。
そこで私は提案なんだが、簡単な微分積分を理解できる事を大人の条件にしたらどうだろうか?
簡単な微分積分なら知的障害でない限り理解できるだろうし、子供の再生産も防げるだろう。
Evernoteにifttt経由でSNSなどのライフログをとってる。バックアップ的な意味ももちろんある。過去のライフログをしてニヤニヤしたくてやってんだけど、ある欠点を見つけたって言うか、知らなかっただけかもなんだけど。
ifttt経由で画像をEvernoteに保存するとき、"Create image note from url"で保存する方法と"Crete a note"でhtmlで<IMG src=で保存する方法がある。前者はちゃんとEvernoteに画像として保存されるけど、後者は画像としては保存されないよね?htmlに詳しくないから分からんけど、後者はネット上の画像urlを参照してるだけだよね?</p>
ってことは、iftttやそのSNSがサービス停止したら、Evernoteの画像は見れなくなるよね?ちなみに、私の古いWebクリップのノートもいくつか画像が表示されなくなったものがある。みんなも確認してみて。
んで、何が言いたいかっていうと、Evernoteにライフログを残そうって紹介してるブログ沢山あるけど、上の方法だと全然ライフログにならないよね?いつかは見れなくなるよね?それを書いてるブログってないんだけど、みんな知らないの?