はてなキーワード: 液状化現象とは
田舎は道路が少ないから、その道路が土砂崩れや陥没すれば簡単に陸の孤島化する。
都市部であれば、いくつも道路があるからいくつかの道路が被害にあっても大丈夫。学校の校庭のグラウンドがいくつかあれば支援物資を空輸してもらう回数が増える。
報道で観た倒壊した家って瓦屋根ばかり。地震の揺れに加えて上にある瓦が重くて倒壊した。
2018年の胆振東部地震で札幌市は震度6を記録したが、揺れで倒壊した家はなかった。
今回倒壊した家が多かったのは瓦が重いから。重い瓦を支えつつ震度6前後の揺れに耐えるのは厳しい。怖くて住みたいとは思わない。
災害のことを考えて住むところを決めるなら、ある程度人口がいる都市部で非瓦屋根住宅が良い。空から支援物資を運べる大きい校庭がある学校の近くなんか良いな。
3・11の地震では都市は震源地から離れていたこともあり、それほど大きな被害には遭わなかった。
でも都市で同じ規模の地震が起きたら多大な被害が出ることがわかった。地震でビルは倒壊し、津波は地下街をも飲み込む。液状化現象で沿岸部は住めなくなるかもしれない。
じゃあみんなで地盤のしっかりした高台に引っ越そう。電力も地方に負担を強いるのはやめてみんな分散して暮らそう。とはならなかった。
新型コロナウイルス禍では、都市は感染リスクが非常に高いことが明らかになった。
人が密集して暮らせば未知のウイルスを前にひとたまりもないことがわかった。人が多すぎると医療ももたないこともわかった。
なかには人の少ない地方に移住しようと叫ぶ人もいた。実際に移住した人もいた。
じゃあ都市に残っている人もなるべく地方に移住しよう。これからは分散して暮らそう。ひとつの場所に人間が密集して暮らすのは良くない。とはならなかった。
未知のウイルスに感染するリスクがあっても人は都市に住み続けている。
結局、人間は田舎では暮らせないのだ。それにはいろいろな要因があるのだろう。
都市部はリスクがあるかもしれないけれど、自分だけは大丈夫だろうという正常性バイアス。
やっぱり人は人がたくさんいるところで暮らしたいという心理もあるのかもしれない。
震災のときもそうだけど、民衆に大きなストレスが掛かると厚かましい人たちだけがあぶり出されたように街なかに溢れ出すことに気がついた。
なぜなら理解のある他人に配慮できる人は、自粛して表立った行動をしなくなるからだ。
マスクは感染予防に役に立たない。トイレットペーパーはデマだから品薄にならない。
そういわれても、想像力を働かせることができず不安で仕方ないから買い占めに走る。
想像力を働かせることができないから自己中心的で他人への配慮ができない。まさに悪循環だ。
これは大小どこの組織でも言えることで、組織にストレスがかかったとき声高に文句ばかり言う人を絶対に信用してはならない。
その人は必ず、より大きなストレスが掛かったときに他人を蹴落としてでもまず自分の安全を確保することから始めるからだ。
上澄み液のようにその部分だけをそっと取って捨てることができれば、あとには丈夫な地盤が残る。
俺は多分この増田よりちょっとだけ歳が上。あの頃俺は大阪北部で暮していたけど、あの日の記憶が薄れるなんてことはないよな。
俺は当時箕面市の南の方に住んでいた。国道171号線(通称イナイチ……京都方面から大阪北部を経由して神戸方面に至る、東西に走る道)沿いだったけど、この国道に並走するかたちで、あの地震の震源になった六甲・淡路島断層帯が走っていて、今見返してみると丁度国道と断層の間に挟まれるようなところだった。まあ、そのせいか……揺れましたよ。幸い家が倒壊することはなかったけれど、大学に復旧作業に行って、さあ家に帰ろうとイナイチに出たら、神戸方面行きの車線が全てクルマで埋めつくされていた。沿道のコンビニには食べ物はひとつもなくて、コンビニが何とか提供しようとしたカップヌードルのケースの段ボールトレイが山のように積まれていた。あの晩、結局何も食べられなかったが、そんなことは何も気にならなかった。というか、そんな位で気にしようなんて、とうてい考えられなくて、水をたらふく飲んで寝たのだった。
それから2年位経って、当時の彼女のクルマで六甲アイランドに行った。あそこ、大きな遊園地(AOIAってのがありましてね)あったよね、今どうなっているんだろう、って。甘かったよ。遊園地のあった筈の敷地に着いたら、おそらく液状化現象が起きて、その後舗装を全て剥ぎ取ったらしい赤い土の見える広大な土地。そこに縦横一面に仮設住宅が建ち並んでいた。あの光景はもう一生忘れられない。言葉もなく大阪に戻ったよ。
買ってきたアイスを冷凍庫の中に入れ忘れてシャバシャバに溶けてたってこと。
そう言えばアイスどうしたっけ?って
探したら袋の中で液状化現象と化していたわ。
液体感が半端なかったのでつかんだ瞬間思わず笑ってしまったわ。
あのさ、
いつも思うんだけど、
切手代とか郵便代金を払うときの電子化ってしないのかしら?って。
郵便局で郵便代を払うのがいつも現金なのがめんどくさいってだけなんだけど。
あともう1円や2円の余計にかかる切手とか貼るのも、
それって進歩と言えるのかしら?
令和のこの時代、
切手貼るシステムは複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れさまざまな謎や疑問を徹底的に究明するってのを誰もしないのねと思いつつ、
もはや宛名住所書きすらもしなくてOKなシナジー効果を得ているんだけどね。
後納とかだったらその都度都度窓口で細かい処理しなくてもいいけど、
明らかに慌てて出すの忘れてたでしょ?って夜中遅くに持ってくる会社の人っていたりするし
深夜も24時間窓口やってる郵便局を人間観察してると面白いわよ。
って私はその時間何してるかーい?って思うけど、
普通に寄り道で道端にある郵便局寄ってメルカリ出してるだけだよ。
なんかあの貼るってシステムが手がかかって古くさいのよね。
そこんところどうなのかしら?
あーでもよくよく考えてみたら、
送れる封筒などのフォーマットが様々で何でも切手貼っちゃったら送れるって仕組みからして問題だし、
スルメや木の葉に切手貼ってもちゃんと届いちゃうってことよね。
逆に言うと優秀な郵便システム故の皮肉な問題!ってことでもあるわ。
こういう郵便物のフォーマットを統一ができない限り無理なのかなーって
溶けたアイスは元には戻らないけどね。
うふふ。
トマトジュースのみよ。
なんか来週はまた連休じゃない。
グルメな旅ができたらだけの話しだけど。
朝になったらほどよい常温なので、
飲み頃美味しく頂いたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
最寄駅は、アメリカ西海岸のマイアミのような街に、と嘘のような本当の話で命名された舞浜駅。
ここは異様に関西人率が高い。
駅前には日本でもトップクラスの売り場面積を誇るダイエー新浦安店があるが、この中を闊歩している関西人の多いこと。
震災、液状化現象の影響もあり、一時期ほどのブランド力はなくなったが、それでも理路整然と区画整備された道路、広い歩道、並木道、
そして何よりもあのネズミーランドの近辺ということで、関西人にとってはあこがれの土地らしい。
しかもタチが悪いことに、新浦安近辺に住んでいる関西人は自分のことを千葉県民だと理解していない。
関西の友人にも千葉県民であるとは伝えず、ネズミーランドに近い、家からネズミーランドの花火が見える、ということのみを自慢にしている。
自慢される側もUSJで対抗するのだが、やはりネズミーランドの魔法にはかなわないらしい。
それでも近年の魔法勝負なら、メガネ魔法小僧が関西人になったので、いい勝負になっているかもしれないが。
またこの手の関西人に多いのは、関西住む友人を新浦安まで呼びつけて、家に泊めてあげるから遊びにおいで、とまた要らぬ自慢をするのだ。
誘われるので試しに来てみると、新浦安の埋め立て住宅地からネズミーランドまでは結構遠かったりするのだが。
なんにせよ、私はネズミーランド周辺の住宅環境にあこがれて新浦安に住んでいる関西人が嫌いだ。
そんな奴らと付き合うくらいなら、ただ土地を持っていただけで超ラッキー的に金持ちになった漁師町浦安住民であるの一軒家成金のほうがよっぽどマシだ。