はてなキーワード: ももちとは
そーかなー。個人はダメ、職業ももちろんダメってことはないでしょう。たとえばお役所の人が公共的な何かの企画でオタク系女子へのアピールか何かで「メガネスーツビジネスマン男子」のポスター(イラスト:BL漫画家)でも作ったとして、一部オタク系女子にとってメガネスーツ男子は「エロい」存在なんだけど、そのポスターが海女イラストと同程度の反発を食らうかと言うとそうは思えないんだよね。つまり社会的に許されてしまう職業と許されない職業があるんじゃないかな。
オタクのみに愛されればそれでいいというわけではないだろう。
元増田はむしろ「オタクの子以外もほんとうに自然にオタク的なものを楽しんでいる」と書いているよね。つまり元増田はあのキャラがオタク的・性的文脈に回収されずに受容される可能性を示唆していると思われるから、「オタク」絡みで反論するならそっちの話に反論してあげたら。俺個人的にはあのキャラを見て「べつにゆーほど性的じゃねーし。フツーにかわいーだけだろ。」と感じるような層が出現しているとすれば興味深いな。実際元増田も「ごく普通にかわいい」と性的な文脈とは切り離した評価の仕方をしているんだよね。元増田の投稿で一番おもしろかったのはそこの話。
それどーかなー。マスメディアのなかの女性アイドルが男性からの性的なまなざしによって消費されていることなど誰もが知っていることでしょう。貴方の言う「おおっぴら」の基準がわからないから何とも言いにくいが、俺にはアイドル受容のされ方は十分「おおっぴら」と感じられる。ライブハウスなぞで女の客がバンドマンに向ける視線も十分に「おおっぴらに」「性的」だったりするうえ、バンドマンもその視線に応える。芸能の人に関しては良い悪いではなく現実として「性的な目」を向けても許されることになっているんじゃないかな。
1年くらい前、妻子のいる男性をめちゃくちゃ好きになってしまった。
もちろん片思い。
その男性も私の好意に気付いていて、何もリアクションしていなかった。
もちろんご飯を食べに行ったことも、二人きりになったこともない。
やっと最近になって気持ちの整理がついて、彼を諦められたけど、何だか罪悪感がスゴイ。
1歳3ヶ月の子どもから父親を奪うことになっていたかもしれないのだ。
彼の奥さん(専業主婦)は職探ししないといけなかったかもしれないのだ。
自分の気持ちひとつで誰かが傷付き、不幸になっていたかもしれないと思うと、怖い。
でも、彼を好きになってよかった。
今ももちろん普通に一緒の会社で働いているけど、別にギスギスせず依頼できる。
27時間テレビ見てて確信したけど、今のテレビが面白くない理由ってこの言葉に集約されるのだと思う。
言い方を変えると、編集に頼りきった番組づくりがテレビをどんどんダメにしているということ。
つまらない人間を映してても、だらだらとカメラ回しておいて後で切り貼りすれば意味も面白さもいくらでも後付できてしまうから、むしろ編集しづらいほどの個性をもっている人間のほうが使いづらいんだろうな。
垂れ流される生放送の脈略のなさを見てると、まるでストックフォトのサイトを眺めてる気分だった。
ある程度高品質でいて個性が強すぎない。こちらの意図する素材に近いものを探して、あとは切り貼りするだけ。
そう考えればyoutubeとかニコ動の生放送が受けている現実もある程度理解ができる。
テレビは産業として大きくなりすぎたせいでしばりが多すぎるっていうのももちろん分かる。
さんまでさえあれだけ空回りしてるのを見てると悲しい気持ちで胸が張り裂けそうだった。
さんまさんの腕が落ちたという可能性も当然考えられるのだけど、それよりも約束事が多すぎて窮屈そうな印象ばかりが目立ってた気がする。
江頭を朝から出演させたりと27時間テレビは今の規制の中で昔の破天荒さを表現しようとしてたんだろうことは伺えたのだけど、そんなことしたって炎上上等で自由なネット番組には勝てないよね。
今のがんじがらめな規制の中でも、十分にライブで見応えのある、プロデューサーや作家が予めストーリーを用意していなくてもしっかりと番組を成立させてくれるような魅力ある芸能人が育つ環境を用意しないと、本当にテレビは面白くなくなってしまうのだろう。
27時間テレビが終わりに近づいていく中で、不思議とテレビに対する嫌悪感が消えていくような気がした。
元増田です。多少情報が増えたので、面倒臭いので逃げていた漏電遮断器の話を多少書いてみます。長いので読んでも特にためにはなりません
今回の事件で一部報道とかで『電気柵の電源部分に漏電遮断器を設置しておけば防げた事件だった』という言い方をする人がいるが、これはある意味では正しいが間違ってもいるし、今回の事件にとっては本質的な要素ではない。
電技解釈第4節「特殊施設」の第224条で[電気さくの施設]についての規定があり、
『田畑、牧場、その他これに類する場所のうち、人が容易に立ち入る場所に電気さくを施設する場合にあっては、電気さく用電源装置に電気を供給する電路には、電気用品安全法の摘要を受ける漏電遮断器(定格感度電流が15mA以下、動作時間が0.1秒以下の電流動作形の物に限る。)を施設すること』
下の方に書いてます。
http://anond.hatelabo.jp/20150724092101がよくまとまっているのでそれへの返事です。読んでも電気の知識のない人には意味不明です。
そもそも電流差で作動する漏電遮断機はこの例のように漏電させてナンボな用途には不適切じゃなかろうか。
2次端子A→(A)→電柵
2次端子B→(B)→アース
トランス2次端子A→漏電遮断器(の左側の端子)→(A)→電柵
トランス2次端子B→漏電遮断器(の右側の端子)→(B)→アース
という回路を作った場合、アースに繋いだ瞬間に漏電遮断器が落ちる可能性があるせいです。
例の、送電の勉強したときに出て来る静電容量の関係です。ちゃんと計算してはいませんが、それなりの長さで電線引っ張っていった場合、電線と地面の間をコンデンサが延々と繋いでる例の図っぽいものが再現されることになり、いきなり漏電判定される可能性があります、というかどっかの現場で似たようなことがあって原因に気付くまで大変でした(遠い目)。
保護回路いれるのなら、トランス2次側端子Aと電柵の間に電流制限する何か、
例えば mA で反応する高感度遮断機なりポリスイッチっぽい素子のような物を挟むのが正解なはず。
(それぞれ一般に売っているかは知らない)
これは現実的ではないでしょう。先述の静電容量による誤作動問題をクリアできていたとしても、別の問題、というかより本質的な問題があります。
つまり、電気さくは、人間が常時監視せずとも、ほったらかしでも動物を寄せ付けないのが最大のメリットです。高感度・高速型漏電遮断器を設置した場合、動物(や飛んできたゴミやら植物やら人間やら)が触る度に手動で再始動させてやる必要があります。
今回のような違法施工を行った設置主がそんな不便な装置に満足すると思いますか?
つまり、「漏電遮断器を設置していれば」というのは、「ちゃんとした電気柵用の電源装置を使っていれば」とか「専門の業者に施工を依頼していれば」とか「あんな高電圧を流してなければ」とか「あじさいぐらい鹿に食われてもええやん」と言ってるのと大差ないです。
ポリスイッチも、動作特性的に感電から人間を保護できるほど反応の速度の速い物があるかは疑問です。
「毎回の放電の度に、それこそ高速型漏電遮断器が動作した場合よりもさらに高速で電源を遮断している」
的な回路になっています。電流値を監視して一定値より大きかったら遮断しようとか何とか、そういうややこしい判断は挟まず、毎回毎回止める方が確実でしょう。
何にせよ2次側は2次側で閉じた系になるはずだから、1次側上流に漏電遮断機が入っていても反応し
ないんじゃなかろうか、ってのには同意。
この点はその通りです。と言いたいところですが、単巻トランス(一部ブコメで出ていたスライダックも単巻です)とか1次側2次側が非絶縁のトランスだと、縁切りできてないので、先ほど書いた「アースに接続した瞬間に静電容量のせいで漏電遮断器がトリップする」もあるんじゃないかと思います。まあよっぽど敏感でない限り作動しないとは思いますが、一応。
というわけで「漏電遮断器と電気さくの話はあまり関係ない」というのが結論になります。
電気解釈に書いてるとおりの場所に漏電遮断器を設置した場合の目的とは、
「電気さく用電源装置が故障して、装置から漏電していた場合の事故を防ぐ」
ということになると思われます(ここはちょっと自信なし。識者の解説希望)。
市販品の電気さく用電源装置は(ごくごく短時間動作の繰り返しとはいえ)、数千ボルトの高電圧を発生させています。こういう装置については、漏電遮断器を設置すべしと定めるのは、たしかに理に適っています。
電技解釈で漏電遮断器について書いてるのは第40条[地絡遮断装置等の施設]なんですが、これだけでは電気さく用電源装置が該当するかしないか分かりにくいので、第224条に明記しておくという方針は理解できます。
以上が本題です。以下は余談です。やる気がなくなったら書くの止めるし対象読者特に決めずに書き始めるので尻切れトンボになってたらお前ら察しろ
遮断器の一種です。漏電(electric leakage)が起きたときに、回路を遮断する機器(circuit breaker)です。一般的な略号はELB。
現場で「漏電ブレーカー」という言い方もしますが、大変紛らわしいことに「漏電警報付きブレーカー」というものも世界には存在しており、それもよく「漏電ブレーカー」と呼んでる人がいます。間違えると困る場面ではちゃんと確認しましょう(電気屋以外そんな場面に遭遇しねえよ)。
基本的に電源というのは端子が二つ(以上)ついており、一方の端子から送り出した電気がもう一方の端子から戻ってくる、という形で電気が流れます。
※嘘です。送り出し端子と戻り端子に同時に触ると普通は感電してとても危ないです。
で、送り出した電気が、そのまま戻ってこないで、どこか違う場所に流れるのが「漏電」です。
「どこか違う場所」と書きましたが、漏電の場合には実際流れる場所はほぼ決まっており、アース、つまり「地面」へと流れ出すのがほとんどです。
これを「地絡」と言います。
慣用的に「漏電」と呼んでるものは「地絡」、つまり本来の電気が通る道(電路)の途中で電気の一部が漏れて、地面に流れ出してしまうことです。
送り出しの電路と戻りの電路に同時に触った事による感電事故ももちろんたくさんあるのですが、今回の事故、そして日常的にもよく発生するのは、こっちの漏電による感電事故の方です。
さて、先ほど書いたとおり、電源というのは端子が2つ(以上)ついてて、送り出しと戻りとがあって、両方を繋ぐことで初めて電気が流れます。
ですので、電気が流れ出さない状態であれば、たとえば裸電線に素手で触っても電気は流れず、感電もしません。
「地面には無限に電気が流れ込むから漏電(地絡)が起きる」と考えている人がいるかも知れませんが、そういうものでもありません。
たとえば、バッテリーを用意して、一方の極だけを地面に繋いでやって、もう一方の極は何も繋がない状態にしても、電流はほぼ流れません。
じゃあどうして地絡が起きるのかというと、電源の一方の極が、実際には地面に繋がっているからです。
さて普通の交流電源は、極の一つが接地、つまり地面に接続した状態で供給されています。家庭で普通に使うコンセントに供給される電源も同じです。
電源プラグをコンセントに差し込むときに、左右の向きを気にする人はあまりいないと思いますが、実際には左右で電気的な意味は大きく違っていて、普通は一方が接地側極、もう一方は電圧側極と呼ばれる物になっています(左右どっちがどっちかは本当は規定があるんですが、間違って繋がれてることが割とあるのでここでは書きません。調べるとすぐに分かりますし)。
接地側極に素手で触っても、普通は感電しません。一方、電圧側極に素手で触ると…感電しないことも実はたまにはあるのですが、普通は感電します。
電源の電圧側極→電線→コンセントの電圧側極→人体→(家とか床とか何か地面まで繋がっているもの)→地面→電源の接地線→電源の接地側極
という経路で電気が流れます。途中の家とか床とかの絶縁が完璧であれば、たぶん感電しないで済みます。
逆に地面の上に直接立ってる状態だと激しくびりびりします。この事故を防ぐのが漏電遮断器の役目です。
電源の電圧側極→電線→ELB(慣習的には左側端子)→電線→コンセントの電圧側極→何かの電気器具→コンセントの接地側極→電線→ELB(の右側端子)→電線→電源の接地側極
という経路で電気が流れています。ELBを通って流れた電気は、ELBを通って電源に戻っています。このとき、ELBは何もしません。
ここで地絡事故が起きると(話を簡単にするために地面の上に立っていたとします)、
電源の電圧側極→電線→ELB(慣習的には左側端子)→電線→コンセントの電圧側極→人体→地面→電源の接地線→電源の接地側極
という経路で流れます。先ほどと違って、ELBの右側端子を通らずに電気が流れていますね。そうするとELBは
「あ、左側端子を通っている電気と右側端子を通っている電気の量が違う! これは漏電だ、ヤバい!」
と判断して電源を遮断します(これをトリップするとか飛ぶとか言います)。
当然、停電するので、懐中電灯を用意して漏電遮断器の設置してある分電盤まで出掛けて
「あ、やっぱりトリップしてる」
と言いながら手作業で復旧動作しないといけません(で、漏電原因が取り除けてなくてすぐにまたトリップする、というのもよくある話です)。
ざっくり言うと、普通の電気柵は「地絡事故を起こしてその時の電気ショックで動物を追い払う装置」です。
ですので、漏電遮断器を直接繋いだ場合に起きることとは普通は「電気は流れっぱなしで漏電遮断器は作動せず、保護の役を果たさない」か「動物が触ると毎回毎回停電して手動で復旧しないといけない」のいずれかになります。
※電気さくには稀に「裸電線aと裸電線bに同時に触れると感電事故が起きてその時の電気ショック以下同文」というものもあるらしいですが、とりあえず今回の話には関係しない、と思われます。
上の方に書いた
トランス2次端子A→漏電遮断器(の左側の端子)→(A)→電柵
トランス2次端子B→漏電遮断器(の右側の端子)→(B)→アース
と接続したとします。電柵に触ると、トランス2次端子Aから出た電気はアースを通ってトランス2次端子Bに戻ります。当然、漏電遮断器は「左側端子を通っている電気と右側端子を通っている電気の量が同じだ。これは漏電ではない」となります。役に立ちませんね。
さて、こう書きましたが、この漏電遮断器が実際には動作する可能性も少しはあります。なぜかというとアースに繋がれているのはトランスの2次側端子Bだけではなく、さらに上流の電源についても言えることです。この場合、
(略)→電柵→動物→地面→(略)トランス2次端子Bの経路以外に、
(略)→電柵→動物→地面→地面→大元の電源の接地線→大元の電源の接地側極、
という経路でも電気が流れる可能性があるためです。実際にどういう条件だとどうなるかは面倒で計算していませんが、そっちの別ルートで十分な量の電気が流れた場合、漏電遮断器はトリップして手動復旧する必要があります。
で、さっきまで書いたのは「電気さくに漏電遮断器を直接繋いだ場合」の話です。
次はツッコミ記事の時にも少し書いた「1次側の漏電遮断器」の話です。
といっても実際に起きることは9割方「動作しない場合」と同じです。
痛いのももちろんなんだけど、まず血管が見つからないとかで、ものすごく手間取る
右見てー、左見てー、また右見てー、を繰り返して、ぺちぺち叩かれて
でもなかなか出なくて
結局、手の甲から採った。
ちゅるちゅるちゅるーっと血が抜かれていく感触もなんかイヤ
あー、血が抜かれてるー、って感じがイヤ
でもまあ綺麗なお姉さんが眉根を寄せてうーんうーんと唸りながらぺちぺち叩いてくれるなら、それでもいいんだけど。
がんばれ♡がんばれ♡、とか言ってくれたなら最高なんだけど。
手間をかけさせてしまって心苦しい。
献血とかをして社会貢献したい気持ちも少しばかりはあるのだけど、
こんなに手間がかかることを考えると、腰が引けてしまう。
「純文学」の世界に、もはや「文学」のかけらなんて残っていないのだから。
よく知られるように、日本でもっとも権威ある文学賞(と思われている)芥川賞は「純文学」の賞であるが、世界的な文学賞で「純文学に贈る賞」なんて無い。ただ日本だけで、「純文学」とそれ以外の間に垣根を作り100年近く特権化し保護してきた結果が、この体たらくだ。もういいだろう。もうやめよう。
幸いなことに、「純文学」の垣根に守られず、「読者」という名の狼たちと、荒野で100年戦いつづけたたくましい文学者たちが、日本にはたくさんいる。風俗小説家、歴史小説家、ノンフィクションライター、SF作家、伝記作家、エログロ、哲学者、詩人・歌人や俳人ももちろん文学者なのだからコピーライターもまたしかり、だ。「文壇の著名人」から「増田の名もない書き手」まで…彼らの豊富な仕事に目を向け、再評価すべき時が来たということだろう。そして文学「研究」もまた、野に放たれるべき時が近づいているのだろう。
安倍内閣支持が37%まで急落したそうです。
とはいえ、いくら安倍内閣の支持率が落ちようとも、他に支持する政党がなければ現実問題、内閣が引きずりおろされるような事態にはならないでしょう。
民主党、維新の党、共産党など野党の体たらくを見るに残念ながら現状の安倍晋三内閣を支持してないないとしても次回選挙において自民党以外の党に投票してもどうしようもないじゃんというのが率直なところです。
そこで普段安倍内閣を批判されているお歴々に置かれましては、この機にぜひポスト安倍晋三となりうる人材を我々無党派という名の憐れな羊に示していただきたいところです。
特にid:scopedog、id:ikamaru、id:xevra、id:wideangle、id:hobo_king、id:Gl17、id:kojitaken、id:kowyoshi、id:tikani_nemuru_M、id:watto あたりにはぜひぜひお答えをいただきたいところ。
対案なし。でももちろんかまいませんが、そのような場合我々は不承不承安倍晋三内閣の存続を消極的であれ認めざるを得ないということになり、そのような事態は避けたいところでもあります。
参考としてid:enderuku、id:big_song_bird、id:m-matsuoka あたりのはてブ三大右翼(他にもいたと思うけどぱっと思い出せない)の意見も聞きたいところですが、現状安倍晋三内閣の方針に不満を持っている右翼はいないでしょうし、こちらは聞くだけむだでしょうかね。
あ、id:cyberglass さんは無理に言わなくても大丈夫です。ゆっくり休んでてください。
子供の成長記録をブログにするというサービスは10年くらい前からあって、
最近は限定公開・読者申請制での利用が主になってるんじゃないかな
以前は子供の写真を完全公開で載せてた知人も、ずいぶん前から鍵かけてるし
危機意識のあるご両親はそういったサイトを使うといいのではないかと
より大勢の人に自分のかわいい子供を見せてコメントもらいたい!というならYouTubeで
追記:YouTube非公開設定できるようですね
http://anond.hatelabo.jp/20150711002502
昨日このエントリを書いたが、一つとても重大な不満を忘れていた。
既に何人もの人が書いてくれている通り、「自転車」は京都市内において最強の移動ツールである。
街には南北の非常に緩やかな傾斜がある程度で目立った坂はなく、渋滞に巻き込まれることもない。
外国人観光客が家族でレンタサイクルを使って観光している姿はもはや見慣れた光景である。
http://travel.cnn.com/explorations/play/asias-most-bike-friendly-cities-982373
このような記事も存在する程度には自転車の利便性が高い都市なのだ。
残念ながら日本人観光客には一種の公共交通信奉があるのか、あまり乗っていないように思えるが。
それはともかく、この自転車と言う移動ツールを行政側が疎んじているようにしか思えないのが京都市だ。
四条通や河原町通の繁華街部分では自転車通行が禁止されているし、その周辺の駐輪場は日中ほとんど常に埋まっている。
駐輪場が埋まっているからといってその辺りに停めてはいけない。瞬く間に撤去されて受け取る際には2300円が徴収されるのだ。
ちなみに僕が知る限り、とある撤去自転車受け取り場所には支払証明書の券売機が2台設置されているが1台は全く使われていない。
民間駐輪場も増えてきてはいるものの街中では全く足りていない。
「料金がかかっても停めたい」という人も停められないのが現状である。
しかし京都市は今年7月1日より「自転車撤去強化区域」の範囲を市内ほぼ全域に拡大した。
京都市建設局自転車政策課曰く、「マナーが先、駐輪場整備はそれから」だそうだ。
なかなか笑わせてくれる。
河原町御池で、烏丸今出川で、有料駐輪場に停めようとして停められなかった自転車がどれだけあるか。彼らは知っているのだろうか。
どうにもならない交通事情をなんとか成り立たせているのが自転車の自由度だというのになぜ自転車の使用を萎縮させるような政策を取るのか疑問で仕方がない。
念の為に言うが京都にはとても愛着がある。不便以上に得るものがある場所であることは間違いない。
歴史や文化といった観光的な面ももちろんそうだが、いかにも日本的な組織絶対主義と一線を画す社会こそ何よりも体験に値すると思う(異論は認める)。
日本政府が出展しないような旅行博覧会への独自出展や産官学連携の分厚さなど、京都市の戦略性には感心する部分が多い。
だからこそ、この点で不満は大いに募る。
猫とか、犬とかが可愛いのは、人類とうまくやっていくためかもしれないけど、世の中の動物は人間目線からしてもどうしてあんなにかわいすぎるのかな。動物は、あんなに可愛い必要は全くない。ずるい。可愛すぎてずるい。
例えばペンギン。何あのフォルム。ずるい。丸っこくて、歩き方もユニークってずるい。あざとい。ぶりっこな感じがする。「わたしぃ、とろくてぇ」みたいな。北極とか寒いところにいるのに、人間に媚びるような可愛さを身につける必要はなかった。エンペラーペンギンなんてもう、フォルムが芸術。すごい。あれ、絶対なにか芸術の神様か何かがつくたんだろうってくらい、デザイン完璧。それなのに、結構力強くて翼パタってすれば人間なんてイチコロらしいからやばい。まったく人間に媚びる必要がない。
あと、パンダ。でかい図体してるくせにかわいい。無邪気。女の子に例えたら少しどじっ子な巨乳。ぜったい巨乳。繁殖難しすぎるくせに子パンダ可愛い。もう、子パンダやばい。確かにあんなに可愛くなかったら絶滅してたかもしれない。人間はパンダの保護目的ももちろんだけど、絶対子パンダが見たいがために繁殖頑張ってるだろ。子パンダ、すごい可愛いもん。分かる。今日もパンダの飼育員の人には繁殖のために頑張ってほしい。そんくらいやばい。ずるい。
それからフェネック。天使。地上に舞い降りた天使。かわいすぎ。目の位置と良い耳の大きさと言い、配置が完璧。はいはい、かわいいかわいい。何もかも完璧な美少女系。もう、何の反論もできないくらい可愛い。ずるい。鳴き方も可愛い。砂漠にいるくせに。人間に媚びる必要なんてないくせに。ずるい。最近飼ってる人いてずるい。俺も飼いたいけど、フェネック半年分の給料分くらいだってさ。安月給つらい。
そんなこんなで今日も、動物の動画見てたら一日過ぎてた。最初AVみてたのに。アダルトな方。一発抜こうかなって気持ちだったのに、いつのまにかAnimalVideoみてんの、俺。アニマル。めっちゃアニマル。オススメ動画、動物か爬虫類しか出てこない。なにしちゃってんの、俺。悔しい。動物が可愛いのがずるい。あざとい。俺の休日返して。悔しい。可愛い。
今だとどうだろうなあ、多分この人と10歳も違わないわりに働かないでずっとインターネットやってるけど、
なんかもうインターネットが生活と世界の全てになりすぎてしまって、没頭したことを思い出すなんて余裕もあんまりないというか、
インターネットで起きて、見せつけられたことは全て現実であって世界そのもので、そんな若衆宿の笑い話みたいな浮き世離れした感じがないんだよね。
もちろんそれ以外の経験を積む機会が残念なことにあまりなかったからこういうインターネット中毒になったってだけなんだけど。
しかしAVをタダ見してオナニーみたいなのももちろんそれなりに実際の相手がいるライブ動画でも見るだけだったらタダだったりするんだけど、
結局インターネットではなかったはずの現実が全部容赦なく押し寄せて来てる感じしかしないんだよね。
今インターネットで見てたことを後で人に話すにしても、やはり経済だの外交だのの情勢がよくなくてこれから危機が起こるということはあれを見れば分かった。
インターネットが浮世とは別の何かだったという生易しいものではなかった、あれでそれなりに正しい勉強が出来てしまったことがむしろ残念だった、
みたいなしみったれた話をしていると思う。
小学生のとき、多分文集か何かだったと思うけれど、名前の由来や長所短所を書く親の欄に「長所・なし」と書かれたことがある。
母は私の長所が思い浮かばずにしばらく悩んでいて、どうしよう何を書こうと私に相談してきた。
何も思い浮かばないんだったらなしでいいんじゃないの?と言ったのは覚えてる。それもそれで面白いからいいや、と子供心に思ったのも覚えてる。
母は私の言葉通りに書き(え、ホントになしって書くんだと驚いたことも覚えているから、おそらく本当にそう書くとは思っていなかったのだろう。なんだかんだ言って最後には長所を書いてくれると思っていたのだろう)、それが文集になり皆の目にさらされるとは思っていなかったらしく、知らなかった「なし」と書くんじゃなかったと後から言っていた。
ああ、何も思い浮かばずに子供の言葉通り「なし」と書いたのに、それが文集にのると知ってたら違うことを書いたってこと?嘘を書いたってこと?
あ~思い出すなぁ。あの時感じた母への違和感。信頼感がなくなっていく感じ?
数年後かな。弟の部屋で何故だかわからないけど文集をパラパラと見ていて、そこに同じものがあった。両親が書く欄。名前の由来と長所短所。弟の長所は、もちろん「なし」なんかじゃなくてきちんと書かれていた。確か優しいところ、だのなんだの。泣きそうになったなぁ、あの時。ショックだった。ああ私の良いところなんて考えても出てこなかったのに、「なし」と書かれたのに、弟はこうやって書くんだ、と。当時の私はヒステリーが激しくて、機嫌が悪いときや嫌なことがあるとすぐにギャーギャー騒いでいたから、母はかなりしんどかっただろうと思うけれど、あれから20年以上たつのに未だにふとした瞬間に思い出すよ。これだけじゃない、今までのうらみつらみ。(って言葉は大げさ?)
不思議だよなぁ、してもらって嬉しかったことももちろんあるはずなのに、傷ついたことばかり思い出して、忘れられない。
女の子が欲しい、と素直に無邪気に言える人って、母親との関係が良好だったからじゃないのかなと思う。幸か不幸か分からないけれど、男の子をふたり授かりました。ひとりごと終了。
最近、広告で「オナニー好きのためのゲーム」みたいなあおりをみるようになった。
私はこれをみると悲しくなる。
何が悲しくて大のおとながオナニーに耽らにゃいかんのだと。ちっこいスマホの画面でしこらにゃいかんのだと。
別に我々はオナニーがしたくてしているわけでない、といいたい。
彼らはあえてその選択をしている、という点で我々と全く性質が異なる。
金持はべつに茶漬けなど喰らわなくてもよい。
その気になれば、高級なレストランで食事を摂ることもできるし、家にいたいならば、成城石井で買ってきた分厚い肉を煮込むことだってできる。
あるいは、そんなに気合をいれなくたって、近所をブラつき、ラーメンを食べるのもありだし、友達を誘って飲みに行くことだってできる。
そこで茶漬けを食らう。
一方で貧乏人はレストランに入ることももちろんできないし、肉だって高いから、そんなに手が出るものじゃない。
普段なら、近所のスーパーにいくが、月末でカネがない。
そこで、家にある米を食いつぶすのだが、茶漬けくらいしか食べるものがない。
そこで茶漬けを食らう。
この両者には、行動面の差は全くない。
彼らは茶漬けをディナーにしているのだ。そこで誰かが言う。
「ディナーに茶漬けをすするなんて、よほど茶漬けが好きなのですね」と。
金持道楽はどうだろう、彼は好んで茶漬けを食べている。だから、気に留めない。
「ええ、たまに食べたくなるんですよね。」
しかし貧乏人は好きで食べているのでは決して無い。彼らは窮し、他に手段がなく、茶漬けを食べているのだ。これを好きなんかで片付けられるのは心外だ。
「別にすきでたべてるんじゃないわ。」
これと同じことがいえやしないか。
彼らは彼女といちゃいちゃセックスできるのに、オナニーをする。
これはオナニー好きにほかならない。
翻って我々童貞はどうか。
オナニーが好きなのではない。
どこかで変態じみた思想をもち、通常のセックスでは満足できない協力な性欲の持ち主と思っていないか。
そりゃそうだ。健康な成年男子だから、そういうこともいうだろう。
決して変態的でない、ということを皆には胸にとどめていてほしい。
(26歳 童貞)
松信章子
最近、心底残念に思った事件は、田中元外相の涙をめぐるコメントの数々です。小泉首相の「涙は女の最大の武器」という時代錯誤もはなはだしい言葉。改革を唱える小泉さんにしてこの言葉とは、天を仰いでため息をつくばかり。そしてこの発言に対し、バカにされおちょくられた女性側をふくめて、誰も深く追求しなかったことは情けないかぎり。反論しなかったことは認めたことと等しいと思えば、女性側の鈍感さと責任を問われても返す言葉もありません。まして数ある小泉内閣の女性閣僚の誰一人、この侮辱的発言に対し毅然として問題点を指摘しなかったことは残念無念の一言に尽きます。
「私も素晴らしい男性の前で涙を流し『武器だ』といわれてみたい」とおっしゃる川口新外相。百歩ゆずって不用意に出てしまった言葉だとしても、この言葉を聞いて裏切られた気持ちになった女性は多いはず。こういう言葉は、普通、一人前の女性なら絶対に言いたくないほど恥ずかしい言葉だと思うので。まして川口さんには古い体質を引きずった外務省たてなおしに国民の期待が高いのです。それなのに、ボケと突っ込みのようなこの首相お追従の言葉は、古い女性観、社会観を変えるのに何の役にも立ちはしないばかりか、女性は所詮こんなもの、という偏見を女性自らが追認したと同じこと。田中さんにしても、もし涙を「武器」として使ったのでなかったならば、小泉発言にきちんと異議を申し立てるべきではなかったでしょうか。どこぞのパーティに呼ばれた、呼ばれなかったという話より、こちらの方がよほど重要な問題です。なぜならこの問題は日本社会のゆがんだ女性観と深く関わっているので。これぞ本質的な「スカート踏みつけ」発言だと思うのですが。
いったい、女性の涙は何に対する武器なのですか。はっきりさせてもらいたいものです。田中さんの涙は小泉首相の決断に何らかの影響を与えたのですか。そんな様子はチラとも見えませでしたが。小泉さんは自分にとってなんら「武器」と思っていない田中さんの涙を「あの人は武器として涙を使っている」とおもしろおかしく論理を捻じ曲げることで、問題の本質をそらし、ワイドショー的な全く次元の違う話におとしめてしまったのです。ワイドショー的な事件となったために、田中人気が盛り上がり、小泉さんは墓穴を掘ったような結果になったのは皮肉としか言いようがありませんが。まったく演歌の世界じゃあるまいし、公の場で女の涙が本当に武器として有効であるならば、話は簡単。私たちは女性を一万人くらい国会の前に召集し、みんなで泣いてやろうではないですか。政、官、財をもっぱら牛耳ってきた男たちが作り上げた日本社会の構造的問題と無責任体制を嘆いて、泣き女に変身するくらいはお茶の子さいさいの話です。
泣くのは女だけではありません。男ももちろん泣きます。そう、鈴木宗男氏は、田中元外相よりもよほど派手に泣いたではありませんか。田中さんは「武器」として涙を使い、鈴木さんはそうではなかったと言うのでしょうか。あの二人の涙が、不随意筋の作用によるものであったのか、あるいは意図的な「武器」であったのか、真相は誰にも分かるはずもありませんし、どちらでもいいことです。首相たるもの自分の閣僚が大泣きをしようが、ウソ泣きをしようが、そんなことは一切無視すべきだったのです。それが「武器」を無効化するのに一番有効な手であるはずですから。そして、一国民として言わせていただければ、どんな涙を流そうが、涙だけであの二人に対する評価に何の変化もありはしないのです。
問題は「女の涙」のみ特別視されることです。そして「女の涙」を特別視し、それが「武器」だと思っている男の考え方なのです。いや、もしかして本心は「武器」とすら思っていないのにもかかわらず、「武器」だと言い張っているだけかもしれません。いずれにしてもこういう言葉が、公の場で国の指導者から出るということはなんとも許しがたい話です。なぜかと言うと「女の涙」発言の裏には「女は感情の動物で論理的ではない」、そして感情に訴えられたら「論理的」であるべき男は太刀打ちできない、といった思想が流れているのは明らかですから。小泉首相的な発言は、極論すれば「涙」くらいしか、女は男とわたり合う能力がないと言っているのと同じこと。まったく、小泉さんの女性閣僚は本心ではどういう気持ちでこの侮辱的発言を聞いたのでしょうか。そして、この偏った視点を全然問題にしなかった日本のメディアの鈍感さをいったいどうしたらいいのでしょうか。
残念ながらゆがんだ女性観は社会に蔓延し、仕事場であれ家庭であれ、日本の女性が始終直面している問題です。ですから、言葉尻を捕えているように思われようとも、「涙は女の武器」発言にきちんと異議を申し立てないわけにはいかないと思うのです。なぜって「女は感情的だ」という思想の延長線上には「だから、女と一緒に仕事はしづらい。女は仕事には向かない。女が組織をまとめるなんてとんでもない。」というような思想が展開するのはごく自然のことですから。女性が心しておかなくてはならないことは、こういう考え方は男性にとっては古着のように馴染んだもので、違和感なく受け入れやすい結論だということ。そして、こういう言葉は無意識のうちに、女性自身の視点、考え方にも影響を与えてしまうということです。でも、涙が「女の武器」だと信じられている間は、私たちは「泣く子と地頭」なみに厄介な存在だと思われていて、決して一人前の人間として対等に扱ってもらっていないと言うことをお忘れなく。まかり間違っても、涙を「武器」に社会をわたっていこうなんて思っても、必ず馬脚をあらわして、人の尊敬を勝ち得ることはまず難しいということもお忘れなく。
辛そうだな。
働き始めて一ヶ月たったか。傍で見ていた感想だが、お前さんはよく頑張ってきたと思う。
もし俺が同じ立場だったとしたら、きっと途中で挫けていたよ。
お前さんに向かって、頑張るな、とはいえない。それは今まで頑張ってきたお前さんの努力を否定するような気がする。
でもなんていうか、ちょっと頑張り過ぎじゃないか。仕事量はわかんないけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて、意識の高さのことだ。
素直さと真面目さはお前さんの長所だと思う。きょうびはてなで、お前さんくらいの奴は見かけない。
だがなんというか、もう少し肩の力を抜いてもいいと思う。仕事の仲間が時に、キツイ言い方するときがあると思うけど、そういう時はお前も悪態をついていいんだ。クソッ! あのファッキンプロジェクトリーダーなんだよあの態度! むきゅーむきゅーしてやるっ! 位の事言っていいんだ。もちろん面と向かっていうと向こうも傷つくかもだから(言ったほうがいい時ももちろんあるけど)、例えばここで吐き出してもいい(迷惑に思う増田たちはいるだろうが、その分逆にみんなの愚痴を聞いてあげればいいんだ。…いや、ダメかな? 無責任なこと言ってゴメンな皆 汗)。
ダメな自分(失礼)を許してあげていい。今日俺が食べたミスドのポンデリングとコーヒーはセット価格にならなかったけど、それを教えてあげたら店員さん必死に謝ってた。一昨日のモスバーガーでは釣り銭が少なかった。
でもいいんだぜ。それでいいんだ。皆頑張ってる。俺は知ってる。ちょっとくらいのミスでは困らないよ。他の人が(客の俺とかが)カバーすればいい。
社会人なんてそんなもんさ。ちょっとくらい頑張らなくたって、構わないんだよ。
あるいは俺は甘やかしているのかもしれない。厳しく言ったほうが店員さんのためかもしれない。そうしなければ他のお客さんが迷惑するのかもしれない。
でも知らないよそんなの。どうでもいいんだよ。
俺が嫌なのは、嫌だったのは、心をすり減らすことだ。自分の心をアスファルトに引きずって摺りおろしていくこと。頑張る、頑張る、つってどんどん自分を見失っていって、自分をいたわることさえ忘れてしまうこと。危険を知らせる非常ベルを、自ら叩き壊してしまうこと。俺達は社会人だ。社会人は仕事をして対価としてお金をもらう。だからその分ピッタリの労働力を提供すればいい。ピッタリ。ジャスト。それだけでいい。自分の本当に大切な物まで差し出すことはない。
そういうことは俺はもうしたくないし、俺の周りにいる人たちにも、してほしくない。
俺はエゴイストだ。勝手にマウントをとってエラソーにアドバイスを押しつけている。きっとお前さんの現実は、俺がぼんやり考えているのよりもっと切実だと思う。
だがなるべくなら、出来る限り、自分を大切にしてほしい。人はしばしば、誰かのために何かのために、自分自身を無視する。価値基準を知らず捨て去ってしまうことがある。少なくともかつての俺はそうだった。