はてなブックマーク - 熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH324T4JH32PTIL01H.html
たまに登場する高校教諭増田です。ニュースとそれに対するコメントを見て感じたことや自分の考えの整理を書いておく。
学校外では部活動について多様な意見がある。「部活指導は外注すべき」から「やりたいスポーツなんて学校外でいくらでもやらせればいい」まで。
現場で働く個人としては、部活動は学校にはあるべきと考える。むしろ部活動はやりたい生徒たちにとって学校生活の大半を占めるくらい大切な時間であり、そういった場での同学校同学年の仲間たちの時間が人間形成に大きく影響する。あることに打ち込んで成果を出すという成功体験は学校外のクラブチームなどでできないわけではないけど、「部活動に打ち込んだ時間があって学校生活が充実していた」、「3年間毎日朝練をし続けたことがささやかな自信になった」というような経験のある人は少なくないと思う。もっと極端な例では、クラスでは仲間に弾かれて居心地が悪く、部活動が学校での良い居場所となり楽しい時間を過ごし、運動によりストレスの発散にもなるということもあったりする。
学校に部活動はあった方が良い。1年次は強制入部とかそういう変な学校もあるけど、やりたいという生徒たちには環境を用意してあげるべき。
教員の中には「俺は学校生活を部活動に捧げたし、部活動指導をしたくて教員になった」という人が教科問わずいる。そういう人たちは本当に部活動に力を入れている。10年くらいかけて「部活動を育てあげる」ということをやってのける。弱小で、チームとして何も出来上がっていない高校生たちを、何年もかけて、代の交替を見守りながら、練習に対する意識や指導者への礼儀、仲間同士でのコミュニケーションを教え、学校の特色とも言えるような部活動にしていく。
吹奏楽部なんて大きな組織づくりになるから本当にすごい。顧問は経験者であれど楽器は個々で違うので全てを指導できるわけではない。他校の顧問とのつながりから人脈を広げ外部の指導者を雇い、放課後や土日の練習に指導を依頼する。外注するだけでなく顧問ももちろん指導をするし、全体の演奏の指揮を執る。さらに顧問が行うのはそういった技術指導だけではない。生徒一人ひとりの性格を把握しパート毎にパートリーダーを決め、部長副部長とパートリーダーを中心とした組織づくりを行う。そういったリーダーとなる生徒たちには、リーダーとして必要なことは何かを考えさせる指導をし、また組織全体に、外部指導者に指導を仰ぐ態度や礼節を厳しく指導をする。そんな真剣な部活動の取り組みは、練習の中の躓きやそれを超える瞬間、コンクールでの成功の度に生徒たちにカタルシスをもたらし、かえがたい体験となる。このような指導を重ねていくと、部員全体が学校生活全体を通して凛とした(男子部員もいるがあえて全体にこの言葉を使わせてほしい)立ち居振る舞いをするようになっていく。そんなしっかり取り組む部活だから外部指導者を雇ったり楽器を修理する予算も下りる。運動部を指導しながら傍から見ていて、素晴らしい教育だなと思う。偉業と言っていい。
閑話休題。とにかく部活動を熱心に指導する教員は本当に熱心だ。そしてそんな教員を中心に、現状として基本的に部活動指導はその学校の教諭が行っている。
その現状について、最近は世間的に問題点にフォーカスされているが、まず良い面について述べておきたい。その良い面というのは、生徒たちと同じように、教員にとっても教室の外で生徒と関わる中身の濃い機会となるということだ。
教科の教員として、ある生徒を教室内だけで見ていても、どうしても一面的なことしかわからない。部活動の時間に好きなことに取り組んでいるときの表情は当然違うし、そういった場でも生徒とコミュニケーションをとれるというのは、生徒掌握や生活指導など様々な側面から大きなメリットを得られる。わかりやすいケースを挙げると、授業の時間の中で自分の部員に対し叱った後で部活動の時間にフォローをしたり、最近表情に陰りが出てきたようで気になる生徒に部活動の時間に声をかけて話を聞いたり、そんなことが可能なわけだ。
またそれは部活動顧問一人だけで行うわけではなく、教員同士の連携も図れる。教育活動はチームワーク。「〜〜部の〜〜君、今日授業中にちょっと俺にキツく怒られてるんで、ちょっと部活の時の様子見てまた後で教えてくださいよ」とか、「部活のときに他の部員と揉めてたんですけど、最近クラスでどんな様子ですか?」とか、教員側で生徒に対してできることの可動域がぐっと広がる。
おいおい厚かましい教師どもだな、と思うかもしれない。中堅上以上の進学校だとこんなこともまぁ少ないのだけど、レベルの低い学校だと生徒集団も辺に幼い傾向にあるのでこんなこともしょっちゅうである。
こういうケースもすごく多いのだけど、自分は縁あって全くやったことのない競技の部活動顧問になった。その時の場合はまぁ環境と部員数はそれなりにできていて(前顧問が築き上げたものだ)、それを引き継いだ形だった。どのように取り組んだかというと、生徒たちからすれば目の前の顧問はこの競技はでないわけだし尊敬なんか全然しない。なので少なくともこの人はこの部活に対して本気だと感じさせるよう取り組もうと決めた。まぁ若手であり身体も動くので用具を一式揃え、生徒たちに交じって教え合いながら、怪我をしたりしながら、そんな中で技術に関しては俺よりも高いところにある部長と教員としてぶつかり合ったりもしながら、部活動指導にあたった。放課後は勤務校の定時制課程で非常勤講師を引き受けていたけど、それまでの1時間だけでも着替えて練習して汗だらけになり、土日には他の学校との練習試合や合同練習を取り付けては毎日練習をした。それだけ自分の時間を犠牲にしても、礼節指導、チームの構築、どのように引っ張っていくか、どれもやりきれず、異動となった時には反省点だらけで、部活動指導の難しさを思い知らされた。それでも生徒たちは自分の異動を泣いて惜しんでくれて、最終的には良い経験をさせてもらったなというところに落ち着くことはできた。
今になって振り返ると良い思い出になっている。それもあって、件のニュースのノートの写真なんかは心が傷んだ。自分もあそこまではせずとも、部活動のファイルを作りそれを使って生徒たちとやりとりをしていた。しかしその反面、当時は本当に大きなストレスだった。自分がいなくても練習に真剣に取り組む土壌が作れない。叱ればふてくされる。俺だけの空回りか。仕事は楽しいけど唯一部活動だけがストレスと言える状態だった。
しんどい。やりたくもない。
初めから仕事の一つとして挙げられているのだから教員になる段階で覚悟決めとけ、というのがまぁもっともな声だとも思う。けれど我々は主に教科指導で賃金をいただくわけで、その上に部活動指導が重なることで定時内でこなせる業務量を軽く越え、その上で残業代は小遣い程度のみなし残業代となると泣くしかない。
そんな中で、顧問はその名の通り顧問という立場なので、まぁ部活動を自分の好きなようにすることはできる。変な話やりたくなけりゃ適当なお遊ぶ部活にしてしまえば良いわけだ。でもそこに集まる生徒たちは真剣にそれに取り組みたい子が集まるわけで、教員としてはそれには応えてやろうとなるしかない。それはこちらの気持ちとしてもそうである上に、採用自治体もそんな教員であれと謳っている。それなら土日の賃金なり振休なりを保障してくれ、と思う。
そんな中で実際の現場の雰囲気はどうかというと、部活動に関してはあの人すごいよねと言われる人たちがいて(先述のような部活動志向教員だ)、まぁあそこまではできないけど頑張ってるよという中間層とも言える人たちがいて、部員もいるのかわからない名ばかり顧問もいる。割り合いはまぁ学校の特色によるけどだいたいこんなもんだ。その中間層には自分のような素人なりにやっている顧問も多くいる。
そんな中でどうにかしてくれと思うのが、部活動志向のおじさん教員たちの押し付けがましい説教だ。ただの愚痴になって申し訳ない。けどブコメにもあるし言いたい。
まぁ部活動に力を入れてきた人すべてがそんな説教ったらしいわけではない。けれど一定数は「若いうちに部活動がんばらないでどうするんだよ」という考えのおじさん達がいる。俺は先に書いた通りに部活動をそれなりにやってきた自負はある。それでも部員数が減って燻っているさなか何度も飲み屋で説教を受けた。俺は分掌の仕事を全部後回しにして部活動を最優先にした。そのためなら残業をどれだけでもした。お前はどうなんだ。そこまで生徒とぶつかっているのか。
自分は自分なりに、生徒たちが部活動に臨むべき姿勢を考え、部活動を運営し、その結果の今であって、初めからやる気のない人間を集めてその部活を育て上げようみたいなビジョンははっきり言ってありませんよ。生徒がやりたくないならそれでいいじゃないですか。部活がやりたくて教員になったあんたみたいな人ばかりじゃないんだから押し付けないでください。それより同じ分掌のおじさんたちがろくに働かねーから俺が職員室にこもって学校運営の仕事ひたすらやってるんでしょう。
そんなことを何度も言いたくなりながらもビールと一緒に飲み下した。そうこうしているうちにその辺りの人と飲みにも行きたくないようになり付き合いは減らしていった。
ではそんな中でよく言われる、外注してはどうか、ということについて少し考えたい。
前提として先述の通り部活動がやりたい教員はいる。体育の教員なんかも「体育教員なんて部活動指導してなんぼやろ」という考えの人も多い。やりたい人はやって、それ以外は外注で補う形が良いのではないかなぁと思う。
ただ、技術指導に特化した人に丸投げというと、先に書いた教員顧問制度のメリットの部分が得られなくなる。名ばかり顧問としてでも名前だけは教員を配置した方が良いんじゃないかなぁ。その上で顧問や生徒の学級担任などの教員側と、外部指導員とで生徒たちについての意見交換ができるような場を設けるとかが考えられると思う。実際に学校ではスクールカウンセラーと教員同士が意見交換をするカウンセリング委員会みたいなものがあったりするし、そんな感じで。
本当はもう部活動要員を教員として用意してしまうというのが一番理想的だと思う。それぞれに与えられた役割に専念すれば良いし、同じ学校の教員として相互に教育活動に取り組むことができる。だけどまぁそれだけ地方公務員を増やすってのは無理なんだろうね。だから外部への外注なのかなぁと。
そして多分そんな風に環境が移行していけば、俺に説教をした部活動おじさんは多分また説教をしたくなる。若いんだから、身体が動くんだから、そのうちに生徒とぶつからないでどうする。おそらくそういった移行措置を採ったとすると、初めはそんな空気が流れるのだろう。
そりゃあそうだよ若いうちに生徒と距離の近いところでコミュニケーションをすることは教員としての力量形成に大きな影響があるよ。ただ過労で倒れる人が出ている中でそれを叫ぶのはもうだめだろう。だからまずその環境をなんとかして、その新しい関係で生徒と教員がどうやっていくかを改めて構築していくべきだろう。そう思う。
ただ、まぁそれも現実的ではないのだろうなぁ。これを実現するには莫大なお金がかかるし今の日本にそれをやれるほどの体力があるとは思えない。時代が代わり、生徒たちが代わり、昔の美談が悪しき風習となっていったまま残り、地獄はまだまだ続くなぁと思う。
ニュース記事のブコメに日教組への言及が散見されるのでちょっとそれについても現場から見た組合について少しだけ。
自分は組合員ではないけど、組合はありがたい存在です。組合が労働条件などについて交渉などの活動に取り組むお陰で我々の賃金や労働環境は少しずつであれ改善されています。休暇の取り方や範囲などの制度、女性や要介護者家族を持つ者にとっての労働環境、そういったものが守られているのは組合の取り組みの恩恵を受けられているなとは感じている。まぁ社会的に色々言われるし確かにねぇと思うところはあるので、少し言葉を濁してしまったりはするのだけど。