はてなキーワード: 発言者とは
私も大学の教員をしているが、増田のような気持ちになることはたまにある。
この実家太い発言に納得できなかった理由は、発言者が、現在の増田を構成している要素から、過去の増田の努力や実績という要素を無視している事だと思う。
発言者の言う、実家の太さで代表されるような「運の良さ」も増田を構成する一つの要素であるものの、発言者も運がいいし、ブクマのコメントしてる人も日本に生まれているだけで相当運がいい。
運の良さを活かして、自分を作ったのは増田自身と思って差し支えないと思う。
解決策というほどのものではないが、運の良さを自覚しながら、今日もデータを解析し一文論文を書き、少しでも自分の構成要素の中の努力や実績の割合を増やすと良い。
「努力できるのも親の文化資本が。。」みたいな物言いは無視して良いと思う。なんら貴方の学術活動のプラスにならない。
偶々運良く素養や環境があったとしても、それを元に貴方を形作ったのは貴方の努力や実績であることを忘れずに、今日も研究頑張っていきましょう。
小学校の高学年になった頃だろうか、家族共用のPCに触らせてもらえるようになった。
しかし、見ていいのはyahoo!きっずから行けるページだけだった。
それでゲームのカテゴリからいろんなページに行ってみたけれど、どれもルールが難しくていまいちハマらなかった。
ただ、あるゲームに併設されていたチャットルームだけは同年代の子どもが多くて楽しく、あっという間にハマってしまった。
そのルームにいるのは小中学生が7割、残りは高校生と大学生と社会人が1割ずつぐらいだったと思う。
私は毎日のようにログインし、「こん」「何歳?」「アニメなにみてる」「私もそれすき」と一生懸命キーを打って会話を楽しんだ。
結構にぎわっているところだったので曜日や時間帯によってもメンツが違い、常に新しい出会いがあるのが嬉しかった。
そんな中、いつ行っても同じ名前を見かけることに気がついた。
近い音で表現すると、そのメンバーは「もちとろん」のような名前だったと思う。
彼は他の小中学生のように誰かと会話することはなく、時々思い出したように「もちもち……ぺたん」「ころころ……もち」のように擬音だけを投稿していた。
それで興味を惹かれた子どもが話しかけると「もちとろんは◯◯だよ」のように答え、答えられない質問には「もちもち……」と擬音でごまかして会話を終わらせた。
[※追記 botではなかったと思う。というのも、彼は相手によって話す内容を変えたり、以前に話した内容を覚えていたり、直近の会話に反応して転がり方のバリエーションを変えたりしていたからだ。何より、生身の人間の気配がそこにはあった]
幼かった私はそれを見て、「なんかかわいい生き物がいる!!」と思った。
それからの日々、私はもちとろんを見つけては果敢に話しかけに行った。
「男なの?女なの?」と聞いたら「もちとろんは男でも女でもないよ、ころころ」と言われた。でも、なんとなく男のひとなんだろうなぁという気がした。
「もちとろんはいくつなの?」とも聞いた。そうしたら、「りんごちゃんよりはずっと大人だよ」と返ってきた。
「おしごとは何をしているの?」と聞いたら「ころころ……ぺたん」としか返ってこなかった。
私はもちとろんをとても気に入った。
それで、少しでももちとろんと長く話していたくて擬音にもいちいち返事をするようになった。
たとえば、「ころころぺたん」と言われたら「もちとろんは丸いんだね」「丸いからころがっちゃうんだね」、「もちもちころん」と言われたら「もちとろんは柔らかいんだね」「もちもち」のように毎度律儀に返していた。
他の子どもがもちとろんに話しかけた時には、自分の方がもちとろんに詳しいことをアピールしたくて「あのね、もちとろんは男でも女でもないんだよ!」と先回りして答えたりもしていた。
そんなもちとろんとの蜜月だったが、中学に入った頃に部活や塾で家に帰るのが遅くなり、チャットルームから自然に足が遠のいたことで終わりを迎えた。
高校に入ればYahoo!きっずのページに入り浸っていたことすらも忘れ、そのまま大学を出るまでほとんど思い出すこともなかった。
けれど社会人になってから、ふと「あのページは今もまだあるだろうか」と気になった。
そうして、私は再びYahoo!きっずからあのチャットルームを訪れた。
チャットルームにはほとんどアップデートがかかっておらず、自分がいた時と同じ背景、同じ文字の色のままで当時とは違う小中学生たちが会話していた。
いい大人が子どもたちのチャットルームに入ってしまった後ろめたさから私はROMに徹することにして、しばらくの間ルームの動向を見守った。
そうしてある程度の懐かしさを消化して満足したあと、私はふと子どもたちの会話の間にひどく懐かしい文字列を見つけたのだった。
「ころころ…………ぺたん」
発言者は「もちとろん」だった。
思わず「もちとろん、久しぶり!」まで打って、送信ボタンの直前で手が止まった。
このままもちとろんと会話したら彼が10年以上このチャットルームにいることを他の子どもたちが知ってしまう。彼らはそれをどう思うだろう。
そして、私が小学生だった頃に「ずっと大人」だったもちとろんは今年何歳になったのだろう。それを彼に自覚させるのもなんだか気が引けた。
子どものときには見えていて、大人になると見えなくなる妖精というのがいる。
けれど、彼は大人になると見えすぎてしまう妖精だったのだと思う。
あまり知られてないようで驚くんだけど、そういうテクニックがあるんだよ。
特定のスタッフが鈍臭かったときに、「こいつダメだな!」って叱責すると角が立つ。
だから、
と対象を拡大して罵るんだ。
同じように
のような個人攻撃は集団リンチにしかならないし、それはイジメだ。
加えて、女性差別者が次から次へと就任しかねない状況では個人攻撃は役に立たない。
だから、
『高齢者はアップデートできない!』『九州のおじさんによくいる』
とする。
『またもや、はてなブックマーカー達が差別してる』
とした方がいい。
配達業者がピンポン押した後に、住人の女性の連絡先を聞いてきた事件がありましたね。
ではなく
『背の低い男には人権がない』
とするのは有り得る攻撃だし、この場合、人権がないとは “女の私の好みではない” という意味なのは明らかなのだが、世間は理解しなかった(フリをした)のは、発言者が女性だからだろうか。
ChatGPT
「増田」は一般的な日本の姓や名前の一つです。ただし、具体的な人物や場所に言及しているのか、それとも他の文脈での「増田」について尋ねているのか、詳細がわからないため、もし特定の増田に関する情報を求めているのであれば、もう少し詳しく教えていただけますか?
はてな匿名ダイアリーのことです
ChatGPT
はい、理解しました。はてな匿名ダイアリーにおいて「増田」とは、投稿者が匿名で行うコメントや投稿のことを指すことがあります。はてな匿名ダイアリーは、はてなブログの一部で、ユーザーが匿名で記事を書き、コメントを残すことができるサービスです。
このコミュニティでは、「増田」という用語が特定の匿名の発言者やコメントを指す俗語として使われることがあります。掲示板やオンラインコミュニティにおいて、匿名性を活かして率直な意見や感想を書き込むことができるため、これを指して「増田」と呼ぶことがあります。
ただし、具体的な投稿やコンテキストによっては、「増田」が異なる意味合いで使われることもありますので、具体的な文脈によって解釈が異なることに留意すると良いでしょう。
発言者からしてみれば、おそらく当該分野の専門性がないことを普通の人だって言ったのだろうし
増田からしてみれば有名人だから全然普通じゃないじゃんって思ったんだろうし
議論をしていれば言葉足らずだったり誤解だったりでこういう言葉の意味のズレって頻出するから、お互いに細かい揚げ足取りをやらないっていう暗黙の了解がないと話が進まないんだが
今回話題に上がってる人とかは巷で言うところのストローマン論法で、言葉をさらに曲解したり揚げ足取りに終始していて議論する気すら疑わしい(煽る気しかないんじゃないか?)ので顰蹙を買っている
論客みたいな顔をするなら議論をしたいのか論破をしたいのかはっきりしろって感じだし、そもそも全然論破できてないし、論破できてる風の雰囲気をいかにうまく醸し出せるか選手権をやりたいなら時間の無駄だからお笑い番組でやれって話
https://note.com/000gwen/n/nd2d09053cc18
以前からトランスジェンダー当事者として発信を続けていたアカウントの次のようなツイートが、日本語圏のSNSで「シスジェンダー女性の性的・身体的安全を脅かすトランス女性」への不安を裏付ける証拠として取り上げられ、繰り返し参照されることになる――
「あたしとか、チンコまたにはさんで、「ちーっす」とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?」。
これが実話であったにせよ、あるいは発言者が後に説明したようにフィクションであるにせよ、ここで語られているのは女湯に入ったことが問題にならなかった/なっていないエピソードであり、その意味でこれは視認/露見detectionを免れて女性として通用した話にほかならない。女湯にいた他の女性客は、またにはさんだペニスを視認しなかったか、あるいは、(それを好ましいと思うか思わないかは別にして)ペニスをまたにはさんだ状態で風呂を利用できる身体との女湯における「選びとられたわけではない近接性」を共有してその身体を女湯を利用する身体として通用パスさせ、後から管理者に通報したり苦情を述べたりはしなかった――明らかにこの話のポイントはそこにある。
あたおかやね…
…ではあかんの?
親が子どもに触れて欲しくないコンテンツを禁止するんじゃなく、注意するって話。
親の価値観を感想として伝えるとか、ネットでシェアして効率化・自動化するとか、アイデア出すのは別に良いんだけどさ。そもそも、シンプルに「フィクションと現実の区別つけろ」じゃダメなのかい?
——… 今の とーちゃん による 風香 たちへの発言「何キロ太ったの?」はセクハラに当たります。一般にセクハラは関係性によっては看過される場合もありますが、発言者による一方的な信頼関係の主張は独りよがりである場合が多く被害者はショックを受けている怖れがあります。風香 の表情を確認してください。なおそのことを置いても成人男性からの未成年へのセクハラは関係性によらず加害になります。性的に問題だと冷静に判断し、即座にクレームをつけられる程の性的な分別が期待できないためです。被害を受けた時点では問題だととらえられずにスルーしても、成長した何年もあとで、突然トラウマとしてフラッシュバックして日常生活に支障をきたす可能性があります。個人の認識能力だけでなく社会で共有された性的価値観も時代と共に発展していくことに注意してください。
あくまで個人的な意見として聞いてほしい。俺は草津の事件について、むしろフェミニストの行動は立派だと思った。冤罪の発覚後、謝っていないことばかりが取り沙汰されているが、事の本質はそこではない。
今回の件でよく分かったのは、フェミニストはあくまで女性の味方だし、その姿勢を崩さないってことだ。確かに新井元町議は最初から怪しかった。普通の人なら話を間に受けなかっただろう。
でも、フェミニストは傷ついた、被害に遭ったと主張する彼女を受け入れて信じて連帯した。あくまで女性の味方であることを守り続けた。俺はフェミニストの活動や意義と言うのは本来そういうものだと思っているので、むしろその部分を裏切らなかったことに感銘を受けた。
その後、冤罪が発覚しても謝らなかったことでフェミニストは特にTwitterで酷い暴言を受け続けた。それでもフェミニストが折れなかったのは、あくまで個人的な考えだが、自分たちのしたことに対する矜持の現れだろう。いついかなる時でも女性に連帯する。その信念は間違っていないからこそ、フェミニストたちは明確に頭を下げなかったんだろう。
これについては意見の分かれるところだ。確かに、当時の草津に対するバッシングは行きすぎたところはあった。でも俺はフェミニストの行動指針としては納得できるものなので、下手に謝るよりはこれでよかったのではないかと思っている(もちろん、行きすぎたバッシングに対する諫言は甘んじて受ける必要はあるとしても)。
そして、もう一つの論点として、普段「優しい」を主張するはずの弱者男性に対して、草津の件はかなり自らの首を絞めることになったと感じている。
彼らの多くは、草津町の疑義が生じた段階から、新井元町議に対して嘘の証言をしているというバッシングを始めていたことを記憶している。彼らに言わせれば、事実関係が怪しいのだから疑うのも当たり前だという話なのだろうが、それは本当に被害があった場合、それはセカンドレ◯プにしかならない。
結局のところ、彼らは自分自身から「優しくない」ことを示してしまったのだと思う。事実関係が整理されるまで連対しない、というだけでなく、本質としては悪者を叩き潰したいという欲求があり、それを「優しい」と勘違いしていただけなんじゃないか(思えば、ジャニーズ問題が話題になり始めたときも、男の一部は「注目を集めるための嘘だ」と主張して、被害者男性を黙らせようとしていた)。
そして、その同じ延長線上として、弱者男性はフェミニストに対する誹謗中傷を行っている。被害者が声を上げたとき、断固信じずに連帯しなかったくせに、事後で冤罪が発覚すると、発言者も連帯者もぼこぼこにする。この行為には「優しさ」の欠片も存在しないだろう。
弱者男性やアンチフェミの多くは、自分たちは勝利したし、フェミニストを誹謗中傷する機会を得たと感じているだろう。でも、今回はたまたま冤罪だと分かりやすい事件だっただけだ。事実が不明瞭だった場合、立場が全く逆になっていた可能性は十二分にあるのだ。
俺みたいに感じている人もいることは覚えておいてほしい。少なくとも、俺だけじゃない、割と少なくない人間が同じ思いを持っているのではないか。