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2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

anond:20240126051251

大人になってディズニーみると面白いよな、すごくわかる。

そして増田感想も的を射ていてすごく面白い

そのまま年代順でディズニープリンセスを見ていくと大変興味深いと思う。

ディズニープリンセスは何も出来ないただ待ってるだけのお姫様」という先入観に対してディズニーが(良くも悪くも)頑張ってきた歴史から

リトル・マーメイド

アラジン

ポカホンタス

ムーラン

魔法にかけられて(これだけ実写だがディズニークラシックを見た増田にとってかなり面白いと思う)

プリンセスと魔法のキス

塔の上のラプンツェル

アナと雪の女王

2024-01-24

anond:20240124163433

ほぼ一緒の年代だと思う

手術で治らん病気配偶者をかかえて生活するのは大変やと思う、誰にも言えんような辛いこともたくさんあるよね

でもできるだけ一緒におったってくれよな

弱者女性強者男性への嫉妬で泣く

強者男性(同年代)が嫌い。

ガチャ遺伝子ガチャ家庭環境ガチャ大失敗して障害者家庭に生まれ短大卒ブス。アラサー強者男性(アラフィフ)がめちゃくちゃいる会社で可愛がられてのんびり過ごしてる。勿論処女喪女プライドけが高くp大人3で納得できなかった過去がある。

今は水商売から足洗ってのんびり暮らしてるけどウチの会社に中途で新人が入ってきて嫉妬で狂いそう。

超有名大卒でめちゃくちゃイケメン、家柄が良く、真面目で努力家で仕事ができて同年代なのに私より上の役職

ムカつくよね。

僻みだってわかってんの。いつでも男と張り合ってるの。私が上がいいの。努力もしないで運と才能とコネだけで今の役職にいるくせに、努力してる奴が、男ってだけで、しかイケメンで、ってすごく嫌なの。

いいじゃん、全部持ってんだから

金も親もどうせ女もいるんだろ?選び放題なんだろ?全部持ってるなら見てると嫉妬で苦しくなるからこっちこないでよ。どうせ性病持ってんだろ。

結婚して子供産めば女はいいじゃんってなるでしょ。私も昔は思ってた。でも、生理も来なくなっちゃって、身体もすごく弱くて、アレルギーだらけの脳の欠陥がある出来損ないが子供作れるわけない、誰かに選ばれるわけない。

見たくないけどフロアでたまに会うから嫌だよ。あっちは私を認知してないから私が勝手嫉妬してるだけだけど。こんなんだから30人くらい友達いるんだけど全員から性格が終わりって言われてて、合コン行っても盛り上がるのは下ネタとかで、自分自分を大切にできてないのはわかってる。

何にも持ってない無価値人間から1番になりたい。なんでもいい、誰かに認められたい。

2024-01-23

なぜ任天堂から「パルワールド」が産まれいか

結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲーム素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執

任天堂に限らず多くの日本ゲームメーカーは家庭用ゲーム機ソフト成功してきた。

今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。

プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲーム成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。

当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカー就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。

そうしたある種のエコーチェンバー化しやす環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言

https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d

可能にさせるわけだ。

未だに「ゲームコンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。

当然、そんな人達が集まっているわけだからオンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。

なので、第一理由としては、作る人達ゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。





パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。

ポケモンの最大の魅力はそのペット性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験必然的帰着する。


このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験模索する試みがあった。

それからしばらく、この方向性には大きな進展がなくなった。

まあ当時はまだ技術課題が大きかったから仕方がない。

でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。

3D技術オンラインゲーム技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチゲーム体験ができるようになっていた。


ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。


ポケモンユナイトが出来てきたときは、流石に不安になった。

やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。

「今、バトロワ流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます

「今、MOBA流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます

こういう安直プレゼンが目に浮かぶ

IPの切り売りが始まってしまたか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。


ポケモンシリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。

なぜたった4人? 発想が通信ケーブル時代から進んでおらず、基本的ゲームオフラインに閉じている。

なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。

なぜ未だにストーリーのあるゲーム形式に拘るのか。

なぜ未だにコマンドバトル形式踏襲するのかも謎。それって全然ポケモン本質じゃない。

ゲームボーイ時代スペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。


こんな保守的ポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社ポケモンアップデートしたいと思うだろうか。

パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手想像する。





もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全ブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。

ゲーム面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲーム面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。


知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。

仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。

から本気でゲームをやりたい人はPCゲームに逃げる。





ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションライフラインになっている人も多い。

にも関わらず、任天堂玩具にとどまり続けようとしている。

そのことを上層部株主理解しているのか。


20年とか40年スパン想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。

それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体目的化する」価値観への変化。

ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常憧憬として消費されている。

これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係希薄になることの埋め合わせと考えられる。

まり、ある時期からコンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。

ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション欲求ゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。


パルワールドとは、そのような新しい欲望価値観の中で生まれオンラインゲーム体験ベースにある。

からゲームゲーム空間に対するガチ度合いが違うわけ。

ゲームあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。


このような価値観の変化を任天堂幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。

理解できないならそれが分かる若い世代に席を譲れ。

anond:20240123155834

年代資産額もまあまあ近いけど、大事なのはこれから収入でしょ。

年収500万以上を安定して見込めるなら、年収分はガンガン使っていったら?

ワイは今は1000万あるけど、不安定職業なのでまったく安心できないか貯金する。

2024-01-22

anond:20240122173707

いつまでたっても決断をせず先延ばし先延ばしでフワフワしてるうちに、同年代の女の需要から外れた存在になり、若い女からおっさん区分のど真ん中に入ったって感じだな。

既に上がっている既婚を除いた中の、結婚できる、増田から見て結婚してもいいと思える同世代女は、もう既にイケメンやら収入やらの+要素となるスペック重視で選んだ相手で失敗するなりして、最重要評価軸が安定感やら安心感に移っているのが大半で、自分とこの人なら結婚生活何十年を一緒に過ごせるってすり合わせが可能かどうかって辺りで相手探しをしている。

増田みたいになんとなくずーっと自分アラサー、まだ恋愛してる時間、そのうち結婚したくなる相手が見つかるだろう的な意識でいるアラフォー結婚できない側に片足を突っ込んでいる。

ブラックジャック性癖を狂わされた

年上の芸能人ばかり好きになるようになった

しかし本当の幸せは同年代しか作れないのかもしれない

AIは同年代イケメンが出てくる手塚治虫漫画クリエイトするべき。

身長男性はいかにメンタルを保つか

身長165cmの男

身長を気にしない女性もいるが、同年代の9割以上の女の子から対象外にされてしまうため残り1割未満の女の子に当たるまで粘り強くアタックしていく必要がある

ただ、確率的に10人に1人は振られるので低身長男性はその間どうやってメンタルを維持しているんだろうか

あるいは彼女が既にいる低身長男性はどうやってメンタルを保ってたんだろうか

政治不信過去最高レベルに達しているのではないか

自民党裏金問題によって、遂に自民党政党支持率が14%台になったと言うニュースがあった。

今まで1980年代リクルート事件や90年代官僚汚職事件によって「政治不信」が叫ばれることはあったが、今回は今までと状況が違っていると思う。

まず自民党問題が起こると、野党支持率が上がるものであるが、今回はそれすらないのだ。

はてな界隈でも「政権交代を起こそう!」という声が全く上がっていないではないか

2010年代日本の政治は「自民一強」「安倍一強」と言われて、野党が支持を増やせないだらしない状況がずっと続いていた。

裏を返すと、自民党さえしっかりしていれば、日本の政治大丈夫なのだという安心感があったのも事実

その自民党ヤバい状況になり、その代わりになるはずの野党もいない。

立件民主ダメ国民民主も頼りにならない、維新は成長ののびしろ限界に達している、共産党は論外。

民主主義が機能不全に陥っていく過程リアルタイムで見ている。

anond:20240122044205

さいころ学校以外のコミュニティーに入れさせてもらえなかったんよな

かといって親にあちこち連れ出してもらった記憶もなし

親の価値観しかからいから、どうしても同年代より乗り遅れてしま

フィクションなら理解のある〇〇が登場するところだけど、そううまくはいかない

2024-01-21

anond:20240121222419

ありがとうございます

候補バンドYoutubeで全て聴きましたが、全て違いました。

あえて雰囲気が似ているバンドをあげると、

アイスランドアバンギャルドバンドBjörkが以前所属していた。」

です。

しかしたら、同地域で同年代バンドから似ているだけかもしれませんが。

anond:20240121103239

排卵している年代女性は、乳首が黒いことが多い

乳首が黒いのは遊んでいる女であるなどという男の妄想は、根拠のない、はた迷惑妄想に過ぎない

2024-01-20

屋根裏部屋の花たち」のwikipedia映画中心で描いてて原作やらドラマ化について全然書いてない

そのうち加筆しようと思うけどちゃんと調べるため読み返すのもなかなかだるい

数年ログインしてないしwikipedia文法忘れちゃったし

そのうち誰か書いてくれるかもしれんが

・ざっくりネタバレあらすじ

普通に幸せ暮らしてた両親+4人兄弟が、父親の死によって金無し貧乏になり、母の実家に戻ることになる

二子にして長女の女の子主人公

実は父母は、「叔父と姪」という許されざる関係の末に駆け落ち結婚していた

しか叔父不倫によってできた忌まわしき婚外子のため、祖父主人公の/母の父にして父の兄)はガチマジで二人の関係にいまだに激怒してる

祖父敬虔キリシタンでもある

大富豪である祖父は今病気で死にかけており、死ね遺産相続できる

死ぬのを待ち、母は4人兄弟屋根裏部屋にしばらく隠す(祖母や一部の使用人は4人のことを知っており、食事など運ぶ)

祖父は帰ってきた母を喜んで受け入れ、「あんな男と結ばれていたのは許せないが、近親相姦の子をつくるという禁忌までは犯していなくてよかった」と喜んだ

兄弟らは母が外に出してくれるのをじっと待ち続けていたが、母は豪奢な実家での暮らしに「ここが本来私のいるべきところだわ~」と浮かれ、次第に子供のことなんかどうでもよくなる

祖父がようやく死んでフリーになっても、子供たちにまだ生きていると嘘をついて屋根裏に閉じ込め、新しい恋をしてそちらに夢中に

から隔離された生活の中で長男と長女は同世代の異性が他にはいいからと近親相姦してしま

やがて末っ子病気になり、必死に手当するも医者にも見てもらえない中で死亡

3人は母に見切りをつけて屋敷から脱走

その後シリーズ化し、外の世界バレエやったり医者目指したり、他の相手恋愛するも結局長男と長女は夫妻になったりする

近親相姦の各媒体ごとの違い

原作では、美貌に自信があり年頃になったら恋愛したりしたいわ~と憧れていた長女が、そんなことできない屋根裏部屋の生活に不満を持つ

無邪気を装って、女性的になっていく自らの下着姿を兄に披露し、兄が恥じらう顔を見て「私ってやっぱり女として魅力あるよねー」と自尊心を満たしたりしていた

兄は長女にむらむらしまくるが妹相手なのでがんばってまともな兄のふりをしているが、同年代の子普通に学校に行けてる時期にまともに学べないストレスなどでだいぶ精神をやられている

色々あって兄は長女を強姦してしま

しかし長女の方も散々兄をたぶらかす振る舞いをして追い詰めていた自覚はあったので、互いに許し合う

この時点で兄17で妹15ぐらいだっけな?もっと前後してるかもしれない

映画では近親相姦設定展開はカットされ、普通に仲のいい励まし合う兄と妹

クソみてえな母親世間告発し、母親は死に、スカッと終わる

ドラマでは、兄と妹は強姦ではなく互いに求めあった結果として肉体関係を持つ

他は概ね原作準拠

anond:20240119120246

アニメは幅広い年代海外宣伝できる力を得たけど、特撮は親子とマニアからまだ出れてないから。

2024-01-19

親友」がいない

30歳超えて数年、ようやくわかった

自分には「親友」が作れない、リアルでもネットでも

小中高大、別にイジメも受けてない、でも今連絡を取る人は一人もいない

そもそもリアルでは友人一人もいない、そのおかげで結婚式なんてもんは呼ばれたことがない

30超えてんのにすごくない?ご祝儀払ったことないよ私

強いて言えば今の職場の人くらいか、遊びに行けるような仲は

なんか上手くいかない

趣味で知り合った人、どんな人だろうと興味を持った人と深く関わっていくと、そのうちダメになる

ここ10年は数人と仲良くなってから縁が切れた

嫌な気持ちになったことを「これは嫌だよ、やめてほしいよ」と伝えると不機嫌になられたり理解を得られなかったりした

めんどくせ〜と思って結局縁を切ってしまった

楽しく遊んだはずの思い出の写真日記も見返すと嫌な気持ちになる

もちろん自分に非があるパターンもあったんだろうな〜とは思うけど、思い出せる限りは自分から離れてる

唯一、二桁の年数付き合えてるのは旦那だけ

最近も交友関係が増えた、ネットの同じ趣味の人たち

コミュニティ的に年下が多い、同年代ももちろんいるけど

もう「親友」「最近一番仲のいい人」という存在は作らないように気をつけている、線を引いている

プライベートの話も少しできるような、特に仲のいい人も一応いる

けど向こうには「一番の仲良し」がいるし、何より頭が良くて、自分自分他人他人がよく分かっている

私の引いている線を理解してくれている

交友関係、考えること超多くて疲れるんだけど

いつメンとか友人親友多い人、どうやって生きてんの?

親友」への憧れが強すぎて、広く浅くほどほどに、の方が自分にとってはマシってことに気付くのにこんなにかかっちゃった

anond:20240119155146

仰るとおり。小学生年代で超可愛かった子役とかが中学生年代で色々崩れちゃって……というのはあるあるだけど、中学生年代でも素に可愛い子は男女問わず本当に可愛いまま育つ。

特定少年死刑判決が出た事件を見て

数ヶ月前に恋人に振られたんだけど、相手が憎くて悲しくて仕方がなくて良くないことばかり考えていたのと犯人が同年代ってこともあって、判決を見てとても怖くなった

犯人は今何を考えているんだろうか

死にたいとは常々思っているけど、執行されるまでの10年くらいを外に出られず情報遮断されて1人で過ごすと思うと考えただけでおかしくなる

2024-01-18

「買いたいもの、消費したいものが無い」と言われて久しい社会だけど

家電IT機器も一通り持っていて、買い替えの時以外は特に欲しいものがない。

旅行についても日本全国行ってしまって、もうこれ以上旅行で金を使うこともないだろう。

しかし、こんな経済成長が止まってしまったデフレ日本でも、誰もがどんなに金を出しても手に入れたいものが残されている。

それは、やっぱり「容姿の美しい異性」の存在ということになるのだろうか。

もちろん恋愛対象結婚対象としてのね。

家電IT機器旅行供給過剰状態であるが、(各個人から見て)容姿の美しい異性については、圧倒的な「供給不足」になっている。

2020年初頭のコロナ禍初期の時のマスクのように、供給が不足している状態では、その価値が暴騰する(インフレって言うのか?)

実際に容姿の美しい男性女性はその希少性から、今も昔もその価値は高止まりしている。

2030年代経済成長は、この問題解決できるかどうかに掛かっていると思う。

とは言っても美男美女を人工的に増やすのは人権問題抵触するので、10年後も美男美女価値インフレになっている。

anond:20240117022024

割と子供食べ物の口移しって普通にあるからね、多分本能的なモノなんだろうね。

虫歯の移る原因」として取り上げられるくらいだし。そういった事を行った結果、ベロチューと普通キス境界線が無くなっていったんだろうな。


小児性愛判例を実際職業柄よく見るんだけど、表立って言わないし「犯罪者がそういっているだけ」「そう認識して言うだけ」とは表面上書かれているけれど、

男児女児の性欲・誘惑がきっかけの性的虐待」は結構存在する。

女性器を見せたり、自慰行為をしたりさせたり、キスをしたり、異性の性器を触る女児はそれなりにいるけど、その対象が同じ年代とは限らないんだよね。


男児だけじゃない、女児にも性欲はある。男児性的虐待に関してはかなり闇に葬られてる感じあるけど。

この場合女児の方が積極的に口の中の飴玉をせがんだり、ベロチューに類似する行為をし始めたんじゃないかと思ってる。


愛情と性欲は非常に密接で境界線が薄い。

性欲に関するスイッチは年齢に関わらず非常に浅い所にある。

相手が悪かった」と認識しつつも本人が傷ついていないのは多分主体性自分にあった自覚があるから、むしろ加害者としての意識が強いからやろな。

もしも自分性犯罪にあったら

想像してみる。

中小企業下請けで働いている自分が、取引先のワンマン社長らと接待で飲み後に送りの車内で無理やり性加害をされる。

当然のように下着の中に手を入れられてプライベートゾーンを触られたり口吻をされたり・・といったところであろうか。

さらエスカレートした行為をされる可能性もあるだろう。

もし性被害にあったら、証拠保全云々を考えるより、動機がしてパニックになってシャワーを浴びたくなる。体を洗いたい。

またその後、車が怖くなるかもしれない。

加害者と似たような年代性別人間が怖くなることも十分あり得そうだ。

被害を訴える難しさはジェンダー問題も関わり困難に感じる。

だが、このような展開になる可能性は正直想像していない。

しかし、女はこのような可能性を常に考慮しながら行動しているのか。

anond:20240118003728

小学校年代での歯の矯正とか明らかに女の子のほうが多い」のソースがない人にいわれたないわ

anond:20231222023922

まぁ釣り臭くはあるけど、衣類が女の子のほうが金をかけるとか普通だし、

小学校年代での歯の矯正とか明らかに女の子のほうが多いわけで

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