はてなキーワード: 博物館とは
ほんじつはおひがらもよく、真昼の多治見市中心部では牛車の温度計が38℃を示しましたわばがにっ!!
海なし県は空だけなので半分、青いですわ。プッシュしすぎですわ。
瑞浪市化石博物館で開催されている「ホロタイプこれくしょん」展を見て参りましたわ。
その種の基準となる標本のことらしいですわ。
ホロタイプのファンネルとして、いくつか指定できる「パラタイプ」もあるそうですわ。
かなり多いそうで、貝類から甲殻類、ほ乳類までそろっていますの。
日本で記載されただけに学名に日本人の名前が入っている種が多くて、
タナベイやワタナベイには笑ってしまいました。
極めつけは「アルカエア・コバヤシノブアキイ」でフルネームは欲張りすぎだと思いますわ。
岐阜県土岐市で見つかっても、トキエンシスと付けられていますわ。
人口数千人の田舎生まれ田舎育ちのアラフォーの個人的な感想を書いてみる。
引きこもってても文句言われない
ネットが通っている
治安が良い
山は標高差500m以上、海は遠浅
雪の日が少ない
まとめると、条件に合う地域で、移住者の多い新興住宅地とかに「別荘」として住むのが現実的なんじゃないかと思う。俺は都会に住みたかったよ。
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
ワールド……GO……パクリ……みたいの見てちょっと悲しくなったから書いてる ワールドは触ってない というかスシテンプラもやってないし元祖本家の記憶も曖昧だ……
無印のゲームの話します これもぼんやりとした記憶なんですが 許せ ぼんやり共感したりぼんやり読み流したりしろ
無印のゲーム、妖怪ウォッチが馬鹿みたいに(馬鹿みたいに)流行る前にプレイしてた。何年前のゲームか忘れたけど、なんかショボそうだけどプレイしてやっかwwwくらいの気分でプレイし始めて、当時も既にじゅうぶんいい大人だった自分があ〜〜おもしろいな……とじわじわ感動してハマったゲームだった。
妖怪ウォッチ、世界観が素晴らしいゲームだった。うーーん、世界観と言ってしまうと通常イメージされるものと違いがあるかもしれないが……うーーん、世界がとにかく丁寧に作ってあった。リアリティとワクワクがギリギリ共存できる最高のラインを丁寧に作っていた。
一旦妖怪の存在置いていい? 家とか街。家とか街が本当にしっかり作ってあるんですよ。ゲームプレイしたことがある人は分かると思う。ただ探検するだけで楽しい。一般的な住宅地があって、道路を車が走ってて信号や横断歩道があって(信号無視しまくってくると妖怪に怒られて追いかけ回されたりする)(横断歩道が近くに無いところで渡れば問題ない)(ストレスフリー)、いくつかの家は中に入って間取りや何が置いてあるかまで見ることができて、学校の中も探検できて、学校のそばには裏山があって虫捕りとかできて、主人公の友人には高級住宅街に住んでる子も居て博物館とかまである地域がある一方で、しょうもない商店街の店とか、寂れた寺とか、団地らしい団地の雰囲気があるマップがあったりとか……実際こんなにしっかり個性ある街並みが近くに同居してる街ってのは無いと思うんだけど、こういうもの全てが「あったら楽しい、行けたら楽しい」そして「非現実的でない、有り得る」レベルで同居してる。異国情緒ある町を次から次に旅するゲームもいいんだけど、丁寧に作られたあり得そうなありふれた街の中でちょっと間の抜けた妖怪を探して、仲良くなって……てのがめちゃくちゃ心地よくて楽しかったんですよね。妖怪もだいたい「ちょっと面白いな……」と「くだらね〜……」の中間あたりのやつばっか。褒めてる。案外バトルは楽しい。本当に夏に良いゲーム。今から無印買ってきて夏の思い出にしていいぞ。
話が進むとばーちゃんの住む田舎までお出かけもできた。ひとり(妖怪はいっしょだ!)で電車で移動する。これまた「ちょっとした冒険」感があってわくわくする。一回行って帰って来れば妖怪のパワーでワープもできる。ストレスフリー。また電車でガタゴト乗りついでも行ける。やった。ばーちゃんの田舎もこれまた趣がある良きクソ田舎で夏休みに遊びに行くには理想的すぎる。みんな遊びに行け。
あーー面白かったなあ。またやりたい。無印はウィスパーも馬鹿じゃなかったんだ。あの馬鹿じゃないウィスパーが好きだったんだ。
アニメが先かマンガが先か知らんけど、ウィスパーが大口叩く無能とかケータくんが普通に悩むとか子供向けっぽくギャグが目立つ設定や展開になっていって、まあそれはそれで爆裂ヒットしてたようなので良いんだと思うんですが。マジでそれだけではなかったんですよ。ゲームはもっと良いところがいっぱいあった。ちょっとアニメ見て「ジバニャンジバニャンジバニャンばっかりのやつ」くらいの認識でいる人間は超多いと思うんですが、それは残念なので……ゲームが好きな人間はぜひ妖怪ウォッチをプレイしてください……自分もとりあえずワールドをやる……。
私の両足には第二内くるぶしがある。
「あーアレね」と共感できる方、
全く意味が分からない方、
両極端に分かれると思う。
第二内くるぶしというのは私が勝手にそう呼んでいた名前であり、正式名称は「外脛骨」というそうだ。
足の側面内側、土踏まずのアーチの上辺り、通常の内くるぶしのナナメ爪先寄り下側あたりにグリグリとした骨の出っ張りがあるのだ。
日本人では1〜2割ぐらいの人が生まれつき持っているらしい。
この第二内くるぶし、歩くとめちゃくちゃ痛い。
歩くだけではなく、1分以上しゃがみっぱなしになったり立ちっぱなしになったりしても痛い。
整形外科の先生によると、余分な骨に筋肉が引っ張られて痛みを起こすそうな。
外脛骨の中でも痛みを伴うものは「有痛性外脛骨」という名前で呼ばれるらしい。
思春期頃に発症、テーピングやサポーターなどで対処するケースが多いそうだが、私はこの痛みを病気(怪我?)と思わず数十年を生きてしまった。
治さないまま大人になってしまったので、完治するということはなく、「多少はマシ」というレベルにしながら一生付き合っていくという選択肢がベストだそうだ。
小学生の頃、遠足で長距離を歩いて帰ってきて、やはりこの第二内くるぶしが痛んだので
「足めっちゃ痛い」と母親に伝えたところ
「運動不足だね」と返ってきたので
『第二内くるぶしが痛むのは自分の運動不足のせい』と思い込んでしまったのだ。
実際インドア寄りな子供だったし。
体を動かすのは好きではなかったが、小学生ながら運動不足は良くないなと思ったので、一念発起して少年団のスポーツクラブに入り、中学では運動部に入部した。
それでも第二内くるぶしの痛みは消えなかった。
安静にしてテーピングしとくのが本来の療法なので当然である。
無理に動かすほど悪化するのだ。
しかし当時の私はとにかく自分の鍛え方が足りないのがいけないと思い込んでいて、筋トレを頑張ったりしていた。
社会人になっても第二内くるぶしの痛みは消えないままだった。
基本はデスクワークなので痛むのは通勤と買い物くらいになったが、時間が短くなった分痛みは濃縮されたように感じた。
自分では運動量が減って筋肉が衰えたからだと思っていた。
ある日友人と美術館の展示を見に行った。
美術館とか博物館とか、ああいう少し歩いて少し止まるような、スタート&ストップを繰り返す場所は特に第二内くるぶしへの負担が半端ない。
鑑賞を終え、カフェに入って一息ついた私は友人に
「美術館とかでゆっくり歩くのって第二内くるぶしめっちゃ痛くなるよね」と言った。
いわゆる『あるあるネタ』のつもりだった。
友人はスポーツ経験がなく私より一層インドア派だったので、同じ運動不足仲間ならこの痛みを分かってくれると思ったのだ。
「え、内側の2個目のくるぶし痛くなるでしょ?」
「いや2個目のくるぶしって何?」
「かかとにあるのが1個目じゃん、そのちょっと斜め下にさあ」
「ないよそんなん」
と噛み合わない会話をした後、
埒が明かないと思った私は
「触ったらわかるって!コレだよ!」と机の下でそっと友人に第二内くるぶしを触らせた。
「何これキモい」
第二内くるぶしを持たぬ者が、初めて第二内くるぶしを触った感想である。
その言葉にショックを受けた私は半ギレになりながら友人の足を触り返して、第二内くるぶしのないその足に重ねてショックを受けた。
そしてどちらが正常な足なのか多少の問答をしたあと、勝敗をグーグルに決めてもらうことにした私たちは
「内側 くるぶし 2個目 痛い」などのワードで検索して冒頭の事実を知ったのである。
それからというもの、歩く度に生じる痛みが一層辛くなった。
病院に通って、ダサくて高いオーダーメイドのサポーターや靴を作って、痛みそのものは軽減してないとおかしいはずなのに、前よりもしんどい。
世の中の運動不足の人間は全員同じ痛みに耐えていると信じていたのに、そんな事実はなかったことが耐え難い。
私以外にも第二内くるぶしが痛む人はいること、
第二内くるぶしどころじゃない辛い持病を抱えて生きている人はたくさんいること、
親はただ無知だっただけで嘘を教えたつもりではなかったこと、
全部理解しているつもりだが、
足が痛む度に「本当は感じなくてもいい痛みなんだよな」と悲しくなってしまう。
人目がないところだと歩きながら泣いてる時もある。
刀剣乱舞というゲームがある。私は刀剣乱舞の世界が好きだ。大好きだ。このゲームに出会えてよかったと心から思っている。
(もちろんこのゲームのことを嫌いという人のことを否定するものではないです。石を投げないでください!!個人的な感想なんです)
刀剣乱舞というゲームにはまってから、本当に世界が広がった。色んな人と出会うことが出来たし、舞台もミュージカルにも足を運ぶようになった。
俳優さんで応援したい、と思える人が出来た。美術館や博物館にも気軽に行けるようになった。リアル刀剣の勉強はなかなか進まないけど、それでも多少の知識が付いた。
何より「刀剣男士と一緒に人生を歩んでいる」「刀剣男士は、私が私であることを許してくれる」というのが何よりも強い。私の本丸で、私だけの刀剣男士がここにいる。
これが何よりも私の人生を強く支えてくれている。
刀剣乱舞でどこが好きかを詳しく語る前に、少しだけ自分の話をさせてください。刀剣乱舞と出会う前の話。
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私は大学3年生になるまでいわゆる「オタク」というものではなかった。いや、読書も漫画もゲームもアニメも好きだったけれど、だからといって
自分で感想や考察をしたり、他の人とそういう交流をしたりということはしてこなかった。
というか「誰かとこれについて語りたい」という欲求は無かったし、そんな術も知らなかった。
(二次創作という単語も知らなかった。コミケ?よく知らないけど、コスプレをする場所なんでしょ、程度の認識だった)
ツイッターのアカウントは持っていたけど、鍵アカで大学の友達や先輩、後輩とフォローしあう程度だったし、
呟く内容も「今日は講義が無くなった」とか「パンケーキがおいしかった!」
というような本当に些細なことだけ。何もかも普通の、ちょっと読書が好きな大学生だった。
それがなぜ、青い鳥の世界の端っこで「刀剣男士が尊い!!!!」と叫ぶ人になってしまったのかというと、まずはとあるライトノベルに出会ってしまったことから始まる。
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大学2年生の冬、私は歯の手術で1週間ほど入院していた。体は元気なので暇つぶしに、と思って簡単に見終われそうな、このアニメを見始めたわけですが、
たったの12話なのにすべてが綺麗に収まり、登場人物はみんな魅力的で、見ていて本当に楽しかった。
アニメを見終わると今度は原作が気になり、外出許可が出た日に書店に向かい、並んでいる本を全て買い込んでしまった。全部読んだ。最高。
あまりにも私のドストライクすぎて、こんなにワクワクしながら読書をしたのは生まれて初めてかもしれない……と当時真剣に思った。
あまりにも最高すぎたので、この感動を誰かと共有したくて友達にも勧めてみたものの芳しい反応が得られず、欲求不満に陥る。
この辺りから私のツイッターオタクライフが始まる。とりあえず、この作品が好きです、と書かれている人を恐る恐るフォローしてみる。
本の感想とかにおそるおそるファボを付けて、皆様の考察とか感想を読みながら「みんなすごいな……言語化能力が高い……」と思っていた。
こうして、ポツポツとその作品が好きな人をフォローしてはその人たちの呟きを眺める、ということをやりながら日々を過ごしていた。
感想を言い合いたい!という思いでツイッターアカウントも新しい物を作ったはずだと思うのだが、フォローした人たちが感想を言っているのを眺めていたら
それだけで満足をして、私自身は特に何か考察をする、とか創作を始めるということはなかった。
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今思うと、ここが2番目の人生のターニングポイントだったのかもしれない(1番目は先ほどのラノベと出会ったこと)
大学3年生の冬、私はとてつもなく暇だった。サークル活動を引退し、就職に向けて何か行動をしないといけない、
でも何をやればいいのか分からない、という、今考えるととてつもなく
贅沢な悩みを抱えながら、ぼーっと就活サイトや、先輩の就活日記を斜め読みし、TLを眺める生活をしていた。
そんな1月、突然フォロワーさん達が口ぐちに「薬研ニキ……」「薬研」「何この子」「三日月が」と言い出した。最初は何も気にしていなかったものの、
あまりにも「薬研ニキ」「大将って」とか言い出すから気になって調べてしまった。
その結果、パソコンのゲームで、刀?が人になって育てるゲームがあるらしいと知った。ふーん、暇だしちょっとやってみるか……と本当に軽い気持ちでブラウザ登録をする。
そして、1月27日、私は山姥切国広を選ぶ。
最初に5人の中から1人選べる、と説明された。ポケモンみたい……と思いながらぱっと見たときに「あーーこの人、私が絶対に好きになるタイプ」と直感したのが
山姥切国広だった。こじらせ系は嫌いになれない。一応他の4人も見てみたけど、ピンと来たのが彼だったので、これまた軽い気持ちで選択した。
顔も綺麗だったが、すごい塩対応だったのでちょっと困惑した記憶がある。
とはいえ、やり始めたときは、ものすごくかわいい、とか格好いいとかは全然思わなかった
(いや、みんな格好いいと思ってたけど別にハマるほどではないと思っていた)
それが、今では……こんなことになってしまった……。
以下、刀剣乱舞を始めてから色んなことが変わったな、と思った点について。
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ツイッターって、色んな素敵なイラストが流れてくるじゃないですか。
私の推しは前田藤四郎なので、主に前田のイラストをよく探していたけど、審神者になった年の初夏、「同人誌即売会」という存在を知る。(遅い)
今までインターネットでオタク活動してこなかったんですよ!!死ぬほど魔法のiらんどは読んでだけど!!二次創作とかは知らなかったんです!!
2015年7月開催の粟田口オンリーイベント「はっぴーあわーたいむ」覚えている人いますか?
ツイッターで、なんか知らないけど絵を描いている人が「はっぴーあわーたいむ」って言ってる……何の話だ……と思って調べた。
というレベルの初心者だったけど(支部でイラストや小説の存在は知っていたけど、それを本として売り買いをしている、という概念を知らなかった)
「本!!!買いたい!!」と妙な行動力を見せ、漫研の友人にアドバイスを求め、小銭を大量に用意して、
動きやすい格好をして、地図と場所をメモして、生まれて初めてビックサイトに行った。
覚えている。日傘は迷惑になると書いてあったのでフードとタオルとサングラスで怪しい格好をしながら一般参加の待機列に並び、
ドキドキしながら印刷したサークル配置図を眺め、回る順番を考えたあの日のことを。
会場は蒸し暑くて、至る所に粟田口の素敵なイラスト、本、グッズで溢れていた。そこらじゅうで「新刊下さい」「ありがとうございます」という声が聞こえた。
オンリーイベントだから当たり前なんだけど、どこを見ても粟田口!!かわいい粟田口のイラストがたくさんある!!!
すごい!!!楽しい!!!お金??払います!!言い値で買います!!!
緊張しながらお目当ての本をゲットして、ふと辺りを見渡すと、刀剣男士たちが仲良く買い物をしている姿が目に入った。
そもそもコスプレ自体をテレビ以外でほとんど見たことが無くて、テレビでしか見たことが無い光景だけど、
でもコスプレ姿の人たちが買い物をしてる……すごい……生きてる……なんだここ……
とっても興奮した。刀剣男士たちがお喋りしてるんですよ、小銭とか出してるんですよ、すごくないですか!!??生きてるじゃん!!!!
いや、もう、本当にかわいいイラストが買えて、色んな刀剣男士が存在してて、すごい、とっても楽しかった!!!!というのが私の同人誌即売会の初体験の感想。
この経験をしたおかげで、これの大きいバージョンがコミケな訳ね、と概念を獲得した。これはオタクにならなければ絶対に知りえなかった概念だし経験だった。
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刀剣を見に色んな美術館や博物館に行くようになったよ!!でも刀剣の勉強はあまり……進まない……
なんだろう、用語がまだ耳馴染みが無くて、刀を見ても「綺麗だな」という感想しか出てこない。
もったいないことをしている自覚はあるのでもう少し詳しくなりたい。 そういって4年目になるな?という顔をするのは止めて山姥切国広。
私の友人で、刀剣そのものに詳しくなって、刀を見ただけでこれはここがこういう刃紋だから刀派は~、とか分かる人がいて、本当に尊敬する。すごい。
知識はあればあるだけ世界が楽しく見えるんだな、というのを今実感している最中です。勉強も趣味も全部最終的には娯楽につながる(かもしれない)
世界を楽しめる人になりたい。
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○ 創作がしたいと思った件
ここ3年ほどはずっと素敵な作品にファボを付けて、あとは私が神と崇める作家さんにはお手紙を出したりもしてたけど、今まで自分で創作をするって考えたことも無くて。
文章はまだいいんだけど、絵は本当に私、壊滅的にダメで、ずっと興味が無かったんですけど、最近「絵が描けるようになりたいなー」と漫然と思い始めて。
なんでかっていうと、絵にも物語があるんだな、ってことを強く実感した絵師さんのイラストを見て、私もこんな風に絵が描けたらいいなぁ、とか少し考えてまして……。
で、でも絵なんて中学の美術以来落書きレベルでも描いたことが無かったので、デッサン教室で少しだけデッサンとかやってきました。
結構楽しかったです!!意外に、私も絵が描ける(レベルは考えないでほしい)んだな、というのを体験しました。真っ白の紙から、例えばボールが描けたりするの、楽しいね。
でも、デッサンやりながら思ったんですけど、絵を描くって大変ですね!!!絵を描く人、超すごい……絵描きさんすごすぎでは?絵を描く人、というか創作する人のこと尊敬する……
だって、全然自分が描きたいような線出せないし、体力いるし、本当にすごいと思った。
『絵を描くことは大変』という知識はもちろんあるし、絵描きさんのことは尊敬しているけど、より一層尊敬の念が高まった。まじで。本当に。
デッサンとイラスト、やることが違うのでは?と思ったそこのかた。その通り。
でも人間を描くのはもっと大変……まずね、人のシルエットにならないんだ。
目だけが肥えているので、「自分下手すぎ……」と落ち込むんですけど、描こうと思えば、何かしらは描けるんだな、と思ったので絵も描けるようにたくさん練習したいです。
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オタクにならないと知らなかったであろう感情として、「この人を応援したい」というのがある。
刀剣乱舞には現在、ミュージカルと舞台と、2ついわゆる2.5次元舞台がある。
一番最初の刀ミュ『阿津賀志山異聞』からチケットを取れたときは必ず見に行っている。厳島神社の公演を生で見ることが出来たのは私の人生の中でもトップクラスの自慢。
刀ステでは毎回死んでる。山姥切国広オタク、強く生きよう。そして今夏、一緒に死のう。(矛盾)
刀剣男士を演じたとある俳優さんのことが気になってしまった。何が、と明確に言葉にできないけれど、舞台上で動く姿に目を引かれた。
キャラクター的に表情豊かでよく舞台上を動き回る役ではあったけど、気が付いたら目で追っていた自分がいてびっくりした。
気になってツイッターで調べると、なんと来月バースデーイベントが行われると言う。
いや、さすがにおかしいでしょ、私、その俳優さんのこと全然知らないのに行っちゃダメでしょと思った。俳優さんのイベントなんていったことも無かったし、
どちらかというと、舞台上のキャラと俳優自身については分けたい、と思っていたので、あまり詳しく俳優さんについて知るのはちょっと…と思っていた部分もあった。
でも、フォロワーさんから「興味があるなら行っておいた方がいい」と後押しされたし、もう自分の経験上、自分が好きそうだと思ったことは遠慮なく飛び込んでいった方が
人生が楽しくなる、とこの数年のオタクライフから学んでいたので緊張しながらチケットを取った。
いざ!当日!……ダメだ、場違い感がすごい。みんなお洒落……キャッキャしてる……帰りたい。100回くらいそう思いながら開場待ちをして席に座る。
でもイベントが始まると、意外にも楽しかったです。(1年間の活動の報告、絵本朗読とかビンゴ大会とかやった)
そして、1曲だけ、ミニライブも行われた。彼はグループで歌手活動もしている人だった。ステージにその人が上がり、スポットライトが当たった瞬間、彼がキラキラ輝いて見えた。
この人は舞台が、スポットライトが似合う人だな……と思ったら、格好良すぎて何だか涙が出てきた。ファン期間が短すぎて歌っていた曲のことが分からなかったけど、素敵な歌声だと思った。
そして「この人のこと応援したい」「輝いている姿をもっと見たい」という感情が出てきた。
そのあとの写真撮影会で「刀剣乱舞の舞台見て来てくれた人みたいです!」と隣の席でお話した方がわざわざ伝えてくださり(その節は大変ありがとうございました感謝してます!!)
「どうだった?」と直接聞かれた。やばい、俳優さんに直接舞台のこと聞かれるってやばくない?やばい。
私は本当にパニック状態になったので「最高でした!!演じてくださってありがとうございます!!」と半泣きで言うのが精一杯でした……。でも私は、その舞台が本当に最高だと思ったし、
俳優さんの演技も素晴らしいと思ったので、直接お礼が出来てよかった、行けて良かったと思った。
今まで3次元の人間にハマったことが無かったから分からなかったけど、「この人を応援したい」と思う気持ちが初めて分かった。
その人が好きなことをして、この世界が楽しいと思ってくれると私も嬉しい。そんな感じです。
(その人は別の舞台で、『演劇が好き、舞台が楽しい』と仰っていて、演じる姿を見てファンになった私としては、推しの俳優さんがそんな風に言ってくれるのが本当に幸せだと感じてます)
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○「私の味方がここにいる」
私は大学4年で審神者になり、その後、無事就職して社会人になりました。
ただ、業務内容が辛くて、10回くらい「ここで死ねたら楽だなー」とか思ってた時期があって、別に本気で死にたいわけじゃないけど、でも当時のツイッター見てたら相当病んでて、うん。みたいなやつ。
でも仕事で怒られても本丸に帰れば「主」として皆から声を掛けてもらえる。私の刀剣男士たちは何があっても私のことを見限ったりしない、という安心感がある。
初期刀の山姥切国広も、何があっても私の側にいてくれるんだろうな、という信頼感がある。これはたぶん審神者になった日からずっと、本丸に戻って、みんなの声を聞いて、
一緒に大阪城を掘ったり、楽器を集めたり修行に行く人を見送ったり、出迎えたり、色んな思い出を作ってきたからだと思う。
刀オケ、福岡に行ってきたんですけど、「私の本丸」の思い出が流れてきて、声を上げて泣き出さないようにするのに必死だった。
クリックゲーだから脳死周回しかすることが無い、と思っていたけど、思い出作れてるんだなぁ、と思って泣いてしまった。
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刀剣乱舞に出会わなかった世界も決して不幸だったとは思っていない。(この様子だと出会わなかった世界があったのか不明だけど)
なんだかんだ言いつつ、ほどほどに仕事をして、読書を楽しみ、友達と仕事の愚痴を言いながらおいしいご飯を食べて、そんな生活だって全然悪くない。
審神者業にかまけていないで、もうちょっと就職について真剣に考えていれば良かった、とかツイッターばっかしてないで仕事関連の勉強をもっとやればよかった、とか後悔していることも沢山ある。
楽しいことも多いけど、後悔も多い人生送ってるな、と苦笑いすることもある。
それでも、私は刀剣乱舞という存在に出会えて良かったと思う。このゲームに出会ったことに関しては何一つ後悔が無い。
刀剣乱舞に出会わなかったら、もしかしたら「この人を応援したい」という気持ちは一生分からなかったかもしれない。美術館や博物館を気軽に行こう、と思えなかったかもしれない。
旅行が趣味になってなかったかもしれない。もしかしたら、私の人生は私の住んでいるところ、知覚できる範囲だけに留まっていたのかもしれない。
そんな人生も幸せだと思う。自分の身の回りの世界を大切にする、それはそれですごいことだと思う。
でも私は人生が広がる楽しみを知ってしまった。刀剣乱舞を通じて、色んな人と出会って、色んな世界があることを知った。自分の知らない世界を知るのが楽しい。
そして、自分の知らない世界のことを想像して尊重することは、今後色んな場面で必要になってくると思う。
だからもう以前の私に戻ることはできない。
沢山の後悔もあるし、もしかしたらまた「死にたい」って思うような絶望的な出来事もあるかもしれない。それでも私は、私の刀剣男士たちと一緒にこの世界で戦っていきたい。
きっとまだまだ、このジャンルで色んな世界を見せてもらえるだろうし、私も私の世界を広げていこうと思うし、広げることが出来ると思っている。
都会に人が集まる理由として、雇用の次くらいに挙げられる事も多い
では文化資本とは具体的にどういうものか? と聞かれてはっきり答えられる人はどれくらい居るのだろうか
正直、俺はよく分からない
ド田舎で車なしで暮らしてたら、休日は外に出るより引きこもってた方がストレス少ない。
田舎の
・質の悪さ
・民度の低さ
・不便さ
に、外に出ると、ストレスが溜まる。
まずJRで一番大きい駅まで行って、それで一番大きい郵便局まで歩く。
喫煙可ではない場所で喫煙する、小汚いジジイ、歩道で信号待ちをしてたら、歩道に乗り上げてくる、軽トラ(中年男)
田舎は都会以上にクソな男が多いのかな、都会でも田舎でも女性はルールやマナーを守ってるのに、男は守らない人間が多くて、殺意がわく。
迷惑行為をするのって、男ばかりじゃん。
道端にゲロしたり、唾を吐いたり、男がしてるのは見たことあるけど、女がしてるのは見たことない、それだけで、男って存在は要らないし。
迷惑行為ばっかり。
この日も、好き勝手な場所で喫煙するクソジジイと、歩行者の安全無視な、クソ軽トラ男がいて。
低学歴低収入の底辺かつ男っていう人種が主に乗ってるから、まともなドライバーがいなくても、仕方ないのかも、だけどね…
軽トラだからって警戒しない馬鹿な人間(そいつも男)が、軽トラの危険運転にクラクション鳴らして、横付けされて怒鳴られて、私が嫌な思いしたから、その軽トラ男も許せないけど、底辺を警戒しないその男も許せない。
そいつは自分が底辺側で育ってるから、警戒心・偏見がないのかもしれないけど、そのせいで、危険な車に遭遇しすぎ。危険な車を避けないから。
その男みたく、初めて自分のお金で買う車が軽、みたいな、低学歴低収入の親のもとで育って、底辺側の価値観しかない人間も嫌い。
そうして、郵便局で用事を済ませて、20分ぐらい歩いて、文化施設について。郵便局からその施設まで、歩くっていう選択肢しかないのが、不便すぎ。
無料でやってる講演会に参加してみたものの、ど田舎の無料の講演会のレベルなんかたかが知れてて、低レベルで役に立たなくて。
そういう、田舎のコンテンツのレベルの低さ、文化資本の差だよね。
そもそも、美術館や博物館が少ないし、水族館はないし、映画館も県内に3箇所しかないし。
そんな、文化資本の観点から恵まれてない環境で、ずっと実家暮らしで、大学にも行ってなかったら、大人になっても常識やマナーを知らない、教養もない、何も知らない・見えてない人間が出来上がるっていうの、実際にそういう人間と深く関わって、衝撃だった。
そんな人間が勉強して、自分の置かれてる立場や世の中のことを知って、人並みに自分の頭で考えられるようになったら、「勉強しない方がよかった、馬鹿な方が生きやすかった」とか言うから、さらに嫌悪感を感じる。
無知なまま、搾取されてる側を望むとか、どれだけ頭が悪いの、と。
反知性主義ってやつなのかな、その発言への嫌悪感は強く、そいつとの関係修復は難しいかも。
その低レベルな講演会に、またまたキモい男どもがいて、ストレスを感じて。
田舎ほど精神障害者は多いと思うけど、キモい男も都会より多いのかな…
1人はじっとしておけない、精神障害者の男。
もう1人は身なりが不潔、禿げ散らかした頭に汚い服に汚い靴の、気持ち悪いおじさん。こういうのは、都会にもいるかも。気持ち悪い、清潔感のない中年男、全員死ねばいいのに。
男の一部は、自分たちの身だしなみに無頓着すぎる、自分たちが見られる側であるという意識がなさすぎる、気持ち悪い、死んでほしい。
後ろの男はずっとゴソゴソしてて、それも腹が立った。
女性もたくさんいたのに、迷惑な行動をするのは男ばかり、低レベルな男の多さに、腹が立つ。
なんで、女性ができることをできないの?
男だからって甘やかされた結果がそれなんじゃないの、って思うから、許せない。
その講演会が終わって文化施設からまた20分ほど歩いて一番大きな駅、その近くの、一番大きな駅の近くにある唯一のカラオケ屋に行ったら満室。
2時間は空かない、と。
ど田舎なら、一番大きな駅前でも、カラオケが一箇所しかない、終わってる。
あとは車でしか行けない場所に何店舗か集中してて、駅前には一箇所だけ、という…不便すぎ、くそすぎ。
駅前のビルのなかの、チェーン店の専門店で買い物したら、過剰接客にイライラするし。
このクソ田舎の嫌なところって、不便で民度は低いのに、市内に自然がなくて、働き方は都会に近いということ。
いくら不便でも、自然があって、のんびり働いてるなら(沖縄や北海道みたいに)ストレスも少ないだろうけど、不便で自然は近くになくて(市外には観光客が来るような自然が何箇所かある)働き方が都会に近い、ロボット的なものなら、ストレスの方が多くなって、当たり前だよな…と。
こんなクソ田舎、早く出て行きたい。
クソ田舎でずっと育って、世間知らずに育って、勉強して視野が広がって、勉強しない方がよかったとか言うような人間がいるところ、早く出て行きたい。
かつて好きだった相手を憎むのは、疲れる。
好きが無くなれば、憎しみもなくなり、無関心になるのかな…
すまん
それと先に書いておくと書いてる俺自身がクズ(真面目系クズ)すぎて
イライラを感じる人がいるかもしれないのでそれだけ断っておく。
とりあえずなんでそろそろ死ぬと思ってるかというと
人生が上手くいかなすぎて生きるのが辛いからです、すごくよくある話ね
「つらい、死にたい」ってさっきも泣いてたんですけどこれ鬱なんですかね
診断書もらってないどころか病院怖くておっくうで行ってないんでわからないですけど
現況はですね一応身分上は大学生で実態は不登校の引きこもり(実質二年目)です
不登校になった理由はほんとくだらないしありがちだけど後で書きます
やりたいことは腐るほどあるんだけどやる気力が全くない
アニメとか映画観たいしゲームもしたい、絵描きたいしプラモ組みたい、
買った玩具やフィギュアでブンドドしたい、学校は行けてないけど勉強したいことはたくさんある、
ほんとはあのコラボカフェ行きたかったしあのイベント行きたかったなあ…
やりたいことはあるのに一日終わってみると何もできてない、ごはんすら食べられてなかったりする
そしてこれが精神を削る原因になってる
一日のほとんどを布団の上ですごして今日も何もできなかったと思うのが辛い
ツイッターで他人がやりたいこともやりたくないこともやって人生を謳歌しているのを見て余計に辛い
その辛いが積み重なってもう死んじゃっていいやって思ってるわけ
どうせ不登校なら毎日街で飲んで朝帰りとか友達と徹夜麻雀とか徹夜カラオケとか
一言で言うならば「自滅」です
クソみたいな人生だった、いや、クソみたいな人生にしてしまった
この頃から「やりたいことはあるのにできない」という状態に陥ることは間々あったが
課題もちゃんとやって出してて成績も良かったからそれが辛いこととまでは思わなかった
緩い文化系の部活だったけど一応部活入ってたし生徒会もやってた
成績はどれくらい良かったかっていうと2回に1回は1位取ってた
少し後の話だが、このとき俺と実力伯仲してたやつ
俺が中学の時から目指してたのと同レベルの大学に現役で受かって
人間性を保てていたような気がする
といっても帰宅部だし生徒会も中学で面倒だったから高校ではやらないという
(ダメなタイプの)決心をしていたので思えばこの時からやばかったのかも
おまけにちょっとした自分のミスで(元々あまりなかった)受験勉強へのモチベを失い
さらに怠けクズが加速した、課題はこの頃から出さないのが出てきたような気がする
ちなみに何で課題にしか触れていないかというと勉強は課題しかしていないから
テスト前の詰め込みも二年のころからしなくなり三年ではほとんどしていた記憶がない
当たり前のように志望は中学のときから落としたが当たり前のように大学は落ちた、浪人した
「やりたいことがあるのに何もできない」状態がデフォルトになったし
なんで浪人したんだ、ほんとに
結局前年受けた大学に再挑戦すらできず駅弁になんとか滑り込んだ
この時点で「プライドばかり高かった成れの果てのクズ(既にダブリ)」のできあがりである
このときはまだ希望という名の未練があったから死ねなかったようだ、二年も余分に生きてしまった
さっきから触れている高校からの怠けクズメンタルと根本的文章力の無さ、
ほとんどレポートを仕上げることができず、提出するもん出せないのに講義に行ってもダメだよな…と
外に出ると学校の人に会うかもしれなくて怖いからね、だからたまの買い物も深夜か早朝に行く
教授もクラスの人たちもみんないい人ばっかりだったんだけどね、たまに学校行くと優しく声かけてくれるしさ
まあそれが余計に辛かったんだけど
コミュニケーション能力かやる気のどちらかがあればきっと20%くらいは
ましな人生になったと思うけど、俺にはどちらもなかったのでこうなってしまった
まあいいや、しても
読み返してみたら(やっぱり)自分がクズ過ぎて早く死んだ方が世の中のためだなと思った
親には予備校の分も大学の学費分も還元できてなくてすごく申し訳ないし、
どうして俺みたいな不良債権ずっと持ってられるんだろうと思う、勘当したいときいくらでもあっただろう
できれば消化する前に死にたいがな
こんな考えが幼稚で未熟で社会の歯車になる覚悟のない無価値な人間は死ぬべき!
本当に最後に。夢って何なんですかね、少なくとも持ち主に劣等感と無能感を植え付けて
苦しめるためのものじゃなかったと思うんですけど
今日はかすみがうら市水族館ですわ!この水族館は車がないと行きづらく、タクシーは約5000円、バスは駅前から45分+徒歩30分というなかなかの場所にありますわ。わたくしが選んだ方法はレンタサイクルですわ。駅前でも借りれるらしいのですが高いので10分くらい歩いたところに借りに行きましたわ。
水族館の他には水族館の近くの休憩所的なところでレンコンのフライを食べましたわ。ここら辺はレンコンの名産地らしいですわ。焼き芋焼酎をお土産に買いましたわ。焼き芋なので甘いお酒だとかなんとかですわ。
他にはかすみがうら市歴史博物館にも行きましたわ。建物がお城のわりに大名的な話があまりなかったのでファッションお城なんですの?小さな博物館でしたわ。日本のソーセージ作りの元祖は日本に収容されていたソーセージマイスターのドイツ人から教わったとか書いてあった気がしましたわ。別にソーセージの博物館な訳じゃないのでパネル一枚でしたわ。
一階にはナウマンゾウの模型らしき物がありましたわ。わたくしのナウマンゾウよりおっきい///
一階は後は狼の剥製があるくらいでしたわ。二階は哺乳類とか鳥類の剥製もありましたが虫の標本がたくさんあったのが印象的でしたわ。やっぱりデカイ虫のはときめきますわ。
三階は主に植物でしたわ。でも端に哺乳類の標本の作り方的なコーナーがあってなんか毛皮がたくさん干してあったのがすごかったですわ。
そしてなんと一階の受付の外にはミニ水族館がありましたわ!水槽は家庭でも置けるサイズが4つ、鯖に期待が持てませんわ。
後は倉敷美観地区とかも行きましたわ。デニムストリートでデニムバーガーとかいうパンがわたくし色をしてるのを食べましたわ。美味しく頂きましたわ。
他にはお酒を買いましたわ。枡が売ってたので一緒にお酒を買うルールですわ。本当は酒造の枡がよいのですけど倉敷って書いてある謎枡ですわ。
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