はてなキーワード: 係長とは
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
https://anond.hatelabo.jp/20241116063656
某中核市勤務です
↑の増田で20年以上前だが地元選出国会議員の傍若無人ぶりを思い出したので書いてみる
・その議員に何か書類を渡す場合、同じものを数十枚印刷して机の上に並べて見比べて1番汚れが少ない綺麗に見える書類を選んで渡す
残りは捨てる
・その議員が市役所に来る場合、歩くルートを直前に担当職員総出で清掃する
窓を拭いたり蛍光灯を拭いたりポスターを新しいものに張り替えたり
・アポも取らず名前も名乗らず唐突に市長室に電話かけてきて「市長を出せ」と言う
万が一名前を聞き返そうもんなら手がつけられないぐらい激昂して幹部が東京まで頭を下げに行かないといけなくなる(実際あった)ので、
こういう声でこういう喋り方の男性から市長宛に電話が来た場合は即課長につなげと暗黙のルールがあった
エレベーター係や車止めを外すのはうちも当然あったよね
ちなみにこの国会議員さんは今も現役ですw
他自治体や霞ヶ関の似たような過剰接待話があるならぜひ聞いてみたいから教えてくれ
(追記)
それに今の職員に聞くともう訪問や電話も全く無くなってるみたいなんだよね
市長も市議会議員も代替わりして顔なじみがいなくなったせいじゃないかなと思うが
だいたい上に書いたエピソードのうちアポ無し電話はともかくそれ以外は議員本人から指示されたわけじゃなく、
当時の係長がおもてなしと気配りの権化のような人で、そいつから出すお茶の銘柄から応接室に飾る花の色まで逐一指示されて動かされてたのが実態
だからどちらかと言うと当時は議員本人よりもあまりにも環境に過剰適応した上司の方にムカついてた(そんな人だったので市議会議員からのウケはめちゃくちゃよかった)
ここが辛いよ
・公務員なんぞ志望するようなカスみたいな人間性の部下が沢山来るよ
・公務員試験に受かっただけなのに「俺IQ130ぐらいあるんすよね~~~」みたいに調子こいてるアホが部下だよ
・上は根性論世代だから「俺が若い頃には100時間ぐらいの残業当たり前だったな~~~」とか抜かしてくるよ
・コンプラが緩いことが前提のインチキな仕事の仕方ばかりしてきたツケが回りだして組織が完全に壊れてるよ
・最終的に全てが崩壊したツケを払わされる立場の末席として全てが降り掛かってくるよ
・もう辞めたいよ
・でも公務員の経験しかないアラフォーの行く末を考えると辛いよ
ここがいいよ
おとといデータベース技術者時間を受けたら周りの平均年齢が高く、普段から身なりを気にしてない人たちが多かった。言えばいかにもなおじさん、おばさん達
休憩時間にTwitterを見て「なんとか合格しそう」なツイートのプロフィールを見たら90年代生まればかりで俺みたいなアラフォーは見当たらなかった
俺に手応えはなかった
多分データベース試験は30代前半くらいで受からないと一生受からないのかもしれない
試験が終わって教室を出ると向こうからPMの受験者が別の教室から出てきた
年は俺と同じくらいだけど格好はシュッとしてて爽やかだった
同い年の新卒組が課長クラスになってるが、自分はこのまま係長止まりなのが見えている
これが俺のあがりなんだろうなぁ
業界までは言えないが、観光の仕事をしている。イベント・行事をこなしていく感じの仕事である。
今日はちょっと悩みがある。ちょっと、どころではないかもしれないが。罪悪感がある。
私は役職でいうと、係長とかリーダーとかその辺である。40代前後なので、まあこんなものだろうか?
今の部署は5年目だ。ちょうど2年前、つまり部署3年目だった時の話をする。ちょっと長いけど読んでほしい。適宜フェイクを入れるが、本質は残したつもりである。
後で読み直したんだが、表現がなんか小説みたいになってる。これは、私個人が精いっぱい思い出そうとした結果である。ご容赦願いたい。
イベントや定例行事、式典の数が多すぎて辟易していた。係メンバーが私を含めて6人いて、その過半数はイベント関係の仕事を持っている。
かくいう私は、うちの会社が直接やるイベントはもちろん、関係組織のものまで含めて課長クラスと一緒に出る必要があった。土日祝日の出勤になる。正直、休暇日数は少なかった。有給は使い切れず、年間休日は110日を割っていた。
会社直営のイベントだと時間外手当が出るが、関係組織のものは顔を出して談笑するのが主で、接待を受けることもあったからか、勤務日とはみなされなかった。話の相手方は全員年長者で、けっこう気を遣うにもかかわらずこの扱いだった。
勤務日にしてくれてもいいのに、という愚痴は置いといて。私をよく手伝ってくれる女性がいた。私と同じ部署3年目の子で、Sさんとしようか。Sさんは仕事ができる系の女子だった。彼女が担当する仕事のイベントはもちろん、ほかの仲間が担当のイベントで人が足りない時とか、人が足りている時ですら休日に出てくれた。私が出るイベントは、おそらくすべて出てくれている。
あの子はまだ20代半ばで、一応結婚はしてるけど……遊びたい盛りのはずだ。それを、こんなに休日を犠牲にしてくれて。振替休日もまともに取ってなかった。私の上司としての甲斐性がないせいでもある。
クールキャラで、そんなに感情を出さない子だった。いつも黙々と働いていた。あ、でも笑う時はすごく笑う。でもあの子は、きっと我慢していたと思う。職場の仕事初心者とか、働かない年長者の代わりによくがんばっていたし、体力のいる仕事だって、身長小さめなのによくやっていた。
この年はしんどかった。イベントの数も多かったが、とある特大行事があった。うちの部の責任者がゴリ押しで進めていたもので、そのうえ役員連中が政治力で開催地を勝ち取ってきた。
ざっくり言うと、昔プロ野球で大活躍した選手を何十人も集めて、地元チームと試合をしたり、少年少女に野球を教えたりするものだ。
で、その準備がまた大変だった。係総動員で挑んでも人手が足りないほどだったが、結局私とSさんがほぼメインで毎日残業して取り組んだ。そんな月日が三ヶ月以上は続いた。
あれは……開催まであと1週間というところだった。時期は6~7月かな。
その日は、開催場所(地元野球場)まで2人で車に乗って行って、選手観客の導線に無理がないかを確認したのと、台本に合わせて実際の全体の動きをデモンズソウルしていった。いくつかの問題点を見つけて、ああしたらこうしたらとまとめていって、終わる頃には日が傾いていた。
社用車で急いで職場に帰った。夜8時頃に事務所に入ると、その日にやろうとしていたグッズの数確認(検査検収)が全く終わってないのを確認した。私の仕事なので、終わらせて帰ろうとしてたら、Sさんが手伝いを申し出てくれた。
一緒に雑談しながら、しんみりとした疲労感の中でカウントしていった。何を数えていたかはもはや覚えてない。スタッフ用の記念Tシャツだったと思う。
今もそのクソダサTシャツは自宅の箪笥に仕舞ってある。正直クソダサTシャツではあるが、ぺこーらとかヒカキンとか、その他の著名Youtuberが着用したら一周回ってアリなのかもしれない。
結局、終わったのは夜9時過ぎだった。さあ帰ろうかとなったが、段ボールに入ったグッズを真っ暗闇の印刷室兼倉庫に運ぶ必要があった。
作業自体は10分も要らなかった。Sさんが手伝ってくれていた。印刷室の入口は電気を点けてない。廊下の明かりがちょっと漏れていたので。私の分が何往復かして終わって、あとはSさんの1箱分だけだった。
その時、Sさんから段ボール箱を受け取るところで、私が疲労のあまり躓いて、Sさんにぶつかってしまい、一緒に転びかけた。それで、気が付いたらSさんの手が私の肘のところにあって、段ボール箱は床に落ちた。
私が拾おうとしていると、ほぼ暗闇の中でSさんと目が合った。パッチリと合ったのだ。
私もSさんも疲れていた。私が「フフッ」と笑うと、Sさんも笑顔で吹き出した。私は気が付くと、Sさんの両手を握っていた。
「「あ……」」
そういう雰囲気だった。
Sさんの目をまっすぐに見て、一歩足を踏み出して、頭の後ろと肩のあたりをグイっと抱きしめた。Sさんの後頭部のあたりが汗臭かった記憶がある。私もおそらく臭かった。
Sさんが両手で、私の脇腹のあたりを猫の手みたいにして握りしめた。Sさんの胸部の感じが、私のみぞおちにあった。
やがて、抱きしめるのをやめると、暗闇の中にSさんの顔が間近にあった。
「ごめんね」というと、「なにが……? 何も嫌なことないですよ」って、震えた声が返ってきた。
それから、印刷室で段ボール箱の整理を終えると職場に帰った。Sさんが後ろから付いてきてる。PCをシャットダウンして、天井の明かりを切る前にSさんに「帰りは?」と聞いたところ、「自転車です」だって。
「もう暗いぞ。車で送っていこう」
「ほんとに。送ってくれるんですか?」
「いいです」
「お腹空いたな」
「空きました」
こんなやり取りだった。あと三行くらいはあったろうが、記憶はとうに消えている。
それからは、会社から離れた国道沿いのラーメン屋でご飯食べて、帰りの駐車場で車に乗ろうとする時、Sさんが運転席の辺りまで来て、私をずっと見詰めていて、それから……「どっか寄る?」「いいですよ」みたいなやり取りがあった……そして、駅前のシティホテルに車を停めて、罪悪感と一緒に……Sさんと一緒に部屋に入った。
どんな行為だったかな。ぎこちなかったと思うけど、意外と相性がいいところもあった。
ダブルルームに入ったら、すぐに扉を閉めて、Sさんにキスをした。扉に押し付けるようにして、ずっと長い間していた。Sさんはやや小柄な方だった。唇の位置を合わせるのがちょっとしんどかった。胸が思ったより大きくて、それがキスの障害になることもあったが、構うことなく続けた。
終わったら、Sさんの手を引いてベッドまで連れて行った。明かりをつけてわかったけど、Sさんはほぼメイクをしてなかった。「現場仕事だからか」と思いながら、ベッドの前でもう一度キスをした。今度は、何度も何度も、しつこく舌を入れて、ディープキスを堪能してから、そのまま行為に及んだ。
※シャワーは事後だけ浴びた。深夜が近くて時間に余裕がなかった
ベッドの中では……Sさんはすごく甘えてきた。お互いにいろんなところにキスをしあったけど、Sさんは前戯の時も、本番の時も、私のことをギュッと抱くようにしていた。昔ダッコちゃん人形というのを実家で見たことがあるけど、あんな感じだった。
私がSさんの上にいる時も、Sさんが上になってる時も、どっちかの手で、あるいは両手で私の体に触れていた。
やはり胸が大きかった。私も舐めたり、触ったりしたけど、なんだか固い感じがした。でも、ベッドの中で女性の体に触れるのは数年ぶりだったから、ずっと胸を攻めていた気がする。太腿とかも舐めたり触ったりしたけど、柔らかさよりも筋肉質な感じがした。
どんな体位をやったかは、鮮明に覚えてる。Sさんは基本、挿れている時はずっと同じ態度だった。よく言うと甘えるような面持ちで、悪く言うとマグロだった。
正常位の時も、バックの時も、対面での座位の時も、後ろから背中とか胸を攻めてる時もそうだった。甘えるような声はたくさん出すけど、そんなに動くことはない。
最後はベッドのすみっコぐらしで、Sさんを正面から抱きかかえると、ベッドの端でゆっくり、ゆっくりと、お互いに座位で振動しあっていた。動きにくい態勢だったけど、それがよかった。もし私がAV男優だったら、よいしょっと持ち上げて、入口の扉あたりまで移動して行為をするのだろうか。私にそんな体力はない。
行為の最後に、Sさんと顔を近づけてる時、「愛してます」と伝えた。Sさんは、その場で大笑いしていた。「そういうものかと思って……」と伝えると、さらに笑っていた。
キスをして口を塞ぐと、Sさんも合わせてくれた。Sさんの涙かもしれない液体が、私の頬のあたりを伝ったのを覚えてる。
全てが終わった後、私がベッドの端に座って、付けていたゴムを取ろうとしていると、Sさんがベッドのすぐ下でしゃがんだ恰好になった。私のゴムを手でちょっと握ったと思うと、口を使って取り外してくれた。
それからSさんは、私のを舐めて綺麗にしてくれた。本当に、すべて綺麗になるまで舐め取ってくれた。終わった後で、私の汚い液体がSさんの顔とか乳房にくっついているのを見た。
「付いてるよ。拭かないと。私が拭いてあげる」と言ったら、Sさんは自分で乳房を動かして、自分の舌で汚いものを舐め取っていた。
その時、私はベッドの上からSさんを見下ろしていた。Sさんの体を覗き込んでいた。若々しい身体で、シミなどは一切なかった。女性が男性よりも美の努力をしてるだけかもしれない。
その後、一緒にシャワーを浴びた。名残惜しいと感じて、シャワーを浴びながら、Sさんを真横から抱きしめるようにしていた。お互いに頭の横をくっつけあって、シャワーを浴びてた――私の記憶はそこで終わりだ。
帰り道のことはあまり覚えてない。Sさんが旦那さんと暮らしてる新築の家の付近に車を停めて、深夜にSさんを見送ったシーンは辛うじて記憶に留めている。
野球のイベントは無事に終わった。あれから、Sさんとは普段どおりの関係に戻った。誰の目から見ても、普段通りの上司と部下だった。Sさんは仕事ができるクールキャラで、たまに大笑いをしていた。それも変わらなかった。
冬前になると、Sさんが産休に入ると言った。青天の霹靂だったけど、以前から覚悟はしていた。結婚してるんだし、そういうこともあると思っていた。Sさんの代わりとして、臨時雇いの人が来ることになったが、それからは残業が嵩むようになり……あれはキツい日々だった。
でも、Sさんが職場に帰ってきた時のことを思うと、此処を維持するためにがんばろうと思えた。
結局、Sさんが戻ってくるのに一年以上かかった。出産後、産後休暇を取得して子育てに専念したことによる。
今年に入っていつだったか、Sさんが乳幼児の子どもを職場に連れてきた。ベビーカーに乗っていた。1才くらいかな?
其処に集まった女性陣の後ろから、ヨイショッとその子の顔を覗いてみた。Sさんがみんなに見えやすいように抱っこしていた。
その時ほど戦慄したことはなかった。あんな感じは、人生で初めてだった。後悔とは違う。自分が後悔してないのはわかっているけど、それでも恐ろしい感じ。感情の名前が思い浮かばない。
Sさんが私の方を見ようとした時、私はちょうど目を逸らして、デスクに戻るところだった。もうちょっとでSさんと目が合っていたかもしれない。
あの女の子、私と目の感じが似ている。鼻もそうだ。そのあたりから下のパーツも似ている。一目でわかるくらい、それほど似ていた。
これって、もし、あの子が私の子どもだとしたら、バレるんだろうか? 旦那さんがDNA検査するとか言わなくても、病院が提供したデータでバレるんだろうか?
ここまで読んでくれた増田の人は、人生経験が豊かなのではないか? 私はまだ40前後である。どうしたらいいのかわからない。
私はどうすればいいのだろう。どういう心持ちでいればいいのか? 不安でしょうがない。どなたか、なんでもいいのでアドバイスがおありでしたら、何卒ご教示願いたい。
事務処理をミスし、それに気が付かず数ヶ月が経過してしまったことに先週気がついた。
新車を買っており、親がそのローンの保証人になってるけど、彼女との結婚のために貯めておいた貯金があるから繰り上げで返せそう。
実家暮らしだし他に借金もないから負債を残して迷惑をかけることはないはず。
スマホやパソコン、タンスの中の見られたくないデータや物の処分も始めないと。
後始末をすることになる係員や係長に迷惑がかかることだけが気がかりだが、それ以上に課長と課長補佐の机の前に立たされて事情を聞かれる「あ、あの人何かやからしたな」状態になるのが嫌だからな。
だからと言って休職すると「あ、あいつメンタルやらかして潰れたか」って目で見られる。
一担当・一係長が背負ってはいけないような案件を次々に背負わされていく。
ある事業における致命的な要素の決定権をごく一部だけ握らされ、その上で上司連中からは「早く何とかしろ」「絶対なんとかしろ」「俺はよく分からんからやり方は任せる」ばかり言われる。
現場の調整先からは「マジで困ってるんですけど?」という電話がしょっちゅう来るし、頼みの綱と思っていた業者からは「いやーこの納期じゃ無理っすねー」という断りがバシバシ入る。
そんな案件を自分の担当分で10個、部下達の分も入れれば20、30と抱えさせられる。
仕込まれた爆弾の数々は予算不足を旗印にトリアージを繰り返されてきた致命傷である。
「予算が足りないなら優先順位をつければいい」というちょっとだけ経営者感覚を齧っただけみたいな発言の元に何度もやってきたコストカットの影響が出ているわけだ。
「5年後に影響が出ますよ」を「じゃあ俺が別の部署に移ったあとに問題になるってことだから俺とは無関係だな」と考えられる奴だけが公務員の世界では出世する。
多分だけど、民間でも同じだとは思う。
民間との違いは民間は自分の会社が潰れないために今その瞬間を死物狂いにならないといけない所があるけど、公務員は潰れることがそもそも出来ないという現実に対して「20年後、30年後も俺達はこの業界でこの仕事をしている」という視点で物を見ないといけないってことだ。
エッセンシャルワークとはそういうものだと思うが、その現実を頑なに受け入れない人間ばかりが上に行き、ソイツラが放りだした責任を結局は現場が取らされる。
どれか一つの案件にだけ注力できるならやり甲斐はあるだろうが、それを10も20も並行してやらされると、結局自分自身もトリアージを繰り返すことぐらいしか出来ない。
ヒト・モノ・カネは当然のように足りず、思いつきでつけ足され続けるセキュリティ制度のせいで業務効率は日々悪化する。
俺も全くそう思う。
就職先に悩んでいる時に町中の公務員スクールにフラフラと吸い寄せられ「公務員っていうのは基本的なことが身についている人ってイメージが強いでしょ?だから転職も有利なんだよ」とスクールの勧誘に騙されたのが良くなかった。
頑張って勉強した果てに通ったんだからと辞めるタイミングを逃し、流石にこのままではまずいと転職活動をするも「うーん。その年齢で経験したことがあるのは公務員だけ?うーん。ビジネス感覚がなさそうー」みたいな感じで次々と面接は落とされて今の仕事を続けている。
ある日職場でバッタリと倒れ込んで精神科の診断書でも貰えば用務員みたいな立場に入り込めるかも知れないが、その立場になったらなったで半端な「俺は公務員様だぜ?偉いぜ?」を令和にもなって引きずっている連中にアゴで使われるのは結局ストレスかも知れない。
俺も人のことは言えないが、公務員連中はマジで他人をアゴで使う。そういう態度での働き方を教育されているから、公務という神聖な業務を効率的に進めるにあたって民草に協力を仰ぎ公権力の力で労働力をほぼ無償で吸い上げることが業務の一環であるかのように考える空気が間違いなくあるし、それを前提として実際そうしないと回らないような業務量を押し付けられている。
公務員はクビにならないから異常者が多いという話があるが、実際私の職場にも私を含めて顔つきから自閉症を感じ取らせるような連中が沢山潜んでいる。
大体5人に1人ぐらいはうっすらと自閉症顔だ。
基礎学力と一般常識を教科書経由でひたすら積み上たテストの点数で半分以上の結果が決まるという世界は、自閉傾向の人間に対して(他の世界での就職活動と比較して)本当に有利だと思うし、実際俺もそのおかげで公務員様になれたのだと思っている。
自閉症スレスレのギリ健が公権力を振るうことを推奨されるような立場につくと、どうしても頭のおかしくなる奴が出てくる。
それは上司連中の中にも混じってきており、一部のキチガイが「こんなのは民間にやらせればいいだろう。契約前に作業をさせたら事前着工?シランガナ」と無茶苦茶な指示書をウォーターフォールの高みから放り投げてきて、「こんなの本当にこのままやったら全員捕まるだろ・・・」という状況に日々追い込まれたりもするわけだ。
俺はもう無理だ。
現場から上がる悲鳴を受け止めるには俺の心臓は小さすぎるし、上から降ってくる狂言をうまく躱すには俺の足腰は貧弱すぎる。
1◯年続けられた生活だから今後も続けられはするのだろうが、それはどこかで「働き方改革の波が来て公務員の職場環境も変わるし、クソみたいな連中は皆クビを切られ、そして日本も失われた時間を取り戻して予算が沢山つく」というありもしない希望にすがっていたからだろう。
もっと言えば「なんかめっちゃ転職しやすい市場になって、公務員しか経験のないアラフォーのおっちゃんでも普通にいい会社に潜り込めるようになる。つーかその状況で公務員の魅力化対策が行われて今の仕事もかなりマシになる」という願望を思い描けていたからだ。
もしかしたら「宝くじがあたって」とか「突然小説の才能に目覚めて」とか「株の配当が」などのよりありもしない空想を信じていたのかも。
いい加減もう無理だ。
現実に追いつかれた。
どのタイミングで人生をやり直せば良いのかと夢を広げるのもいい加減疲れた。
この時代のこの日本にこの自分として生まれ落ちた時点で半分ぐらい負けているわけで、IFストーリーの最適解は「もっと未来の豊かな時代に、優秀な遺伝子をコーデイネートしてもらって、人間なんぞじゃなくてご立派なAI様に育ててもらっていれば」なんだろうと思うわけだ。
疲れた。
上を見るから苦しいんだろう。
下を見なければ。
昨日、配達のオッチャンがこんな暑い中で汗だくになってプンプン酸味のある香りを立てながら荷物を持ってきていたが、アレは大変な仕事だと思う。
荷物はどれもお客様の大切な品であり、中には壊れたら取り返しのつかない特注品もあるだろう。
どこにでもある些細な荷物でも、明日の仕事に使うから今日中に届かないと困ってしまうものもあるだろう。
それを1日に100も200も丁寧に扱うのだ。
マンションごとにシステムの違うオートロックと格闘し、時には自動扉に荷物が挟まれそうになるのを自分の体でブロックし、そうして届けようとしたら留守だったり居留守だったり、そんな仕事をひたすらやって、賃金は最低賃金よりは少しマシなだけ。
きっと彼らの業界も公務員のように残業代がチョロまかされているのだと思う。
予算の関係というより、労働時間の上限と実際に受けている仕事量のアンバランスによって残業時間を誤魔化せとうい指示をきっと彼らも受けている。
公務員のおまけみたいなボーナスさえ羨ましくなるような、それこそ年間で10万×2とかのちょっとしたお小遣い程度で、普段の賃金は残業代や移動時間が誤魔化されて実質の時給は最低賃金未満になっていたら?
最悪だろうな。
ああ最悪すぎる。
そういう人達のことを考える度に、「俺はまだマシなんだ」と希望が湧いてくる。
いざとなったら「あっ・・・メンタルが・・・あっ・・・」と倒れ込んでしまえばいいんだ。
責任なんてのは最終的に上の連中が取ればいいんだ。
人脈を繋ぐためだと毎日飲み歩いてもパンクしない程度の給料をアイツラがもらっている理由は、いざとなったら責任を取って腹を切るためじゃないか。
なんで俺がこんなにも必死になって全部自分の責任であるかのように背負い込まなきゃならんのだ。
そもそもを言えば、国民の側が小さな政府を望んできた結果が現状だろ。
公的な仕事をつくのに一番必要なのは「俺は最底辺よりはマシ」という心意気と「ぶっちゃけ俺が背負う責任ってごく一部だけだろ」という開き直りだ。
それだけはシッカリ身についているし、それしか身についていない。
国民もそれを望んでいる。
気づいたらもう37歳。
マネージメント経験でもあればいんだけど、なまじ大きい所に潜り込んじゃったせいで未だにほぼ平だよ。
名前だけ係長だけど、どうしようもねー新人を教育して書類チェックするだけの最低ライン確保要員。
仕事はすっげーつまんねえ。
技術と関わることが全く出来ねえのがしんどすぎる。
個別の顧客についての情報収集、事情聴取、特に相手が言い淀んでるネガティブな要素を聞き出すためになだめすかして貸し借り作るのがメインで業務の8割は「嫌われる勇気」みたいなのを出力することだ。
潤滑油とか緩衝材とかまさにそんな感じで耐え続けるだけのオッサンだ。
メンタル削られにいって、削られた分を回復して、また使い潰されるのが俺の仕事だ。
辛いぜ。
デリカシーのないクズ扱いされながら相手に踏み込んで、無能扱いされながら念の為の確認を繰り返し、そんで結局最後には相手が大事なこと言ってね―のが俺のせいになって全部組み直しだ。
くだらねえ。
つうか技術の世界だって結局は誰かの思いつきとその場しのぎばっかじゃねえか。
何年も使うような変数の名前思いつきで決めてるようなアホばっかじゃねえか。
マジでくだらねえよ。
要するにだ、どうせどこ行ってもつまんなかっただろうなってことだ。
マジでムカつくわ。
子会社に出向してそこの課長になるけど、そのいきさつを説明するよ。守秘義務があって詳細は書けないから、わかりにくい説明になると思うけどごめんね。
うちの会社は、商品の開発や製造以上に広報・宣伝に主力を置いた会社なんだよね。自分で言うのもなんだけど、私は広報・宣伝部門の係長だから出世コースに乗ってたんだよね。それで、つい直近までは、商品プロモーション活動の一環として楽曲のタイアップを広告代理店に依頼してたよ。
それにしても、広告代理店の人は優秀だね。どんな曲が作りたいですかってヒアリングを受けて以下のように要望を出したら、その通りの曲を作らせちゃうんだもん。
明るく楽しくポップな雰囲気で。具体的には、ホームパーティーでBGMとして流すのに相応しい曲だとなお良し。
炭酸飲料の炭酸感を、歌詞や効果音でさりげなく散りばめてほしい。
露骨に会社名や商品名が出るのは避けたい。タイアップとは関係なしに曲単体でも魅力のあるような曲にしてほしい。
アーティスト(歌手)やレコード会社にはあまり詳しくないので任せる。
完成した曲を受け取った時にはレコード会社の人と歌手に会えたよ。歌手はぱっと見でホストっぽい雰囲気の人だったけど、真面目で礼儀正しい好青年だったよ。事前に見ていた公式WebページとかYouTube動画と雰囲気が全然違ってギャップはあったけれども、要望通りの曲を作ってくれたのも納得だったね。
それでそのままMV(ミュージックビデオ)はどうするかって話をしたよ。MVの作り方なんて全然わからないから任せるつもりでいたけど、レコード会社の人から、
「基本的にはホームパーティーの場面をメインで行こうと思います」
「衣装や小物などにも、御社のイメージカラーを入れるつもりです」
とか言ってくれたよ。タイアップする当社への配慮が完璧すぎて思わず苦笑いしちゃったけど、これなら全面的に任せて大丈夫だと思ったよ。
完成したMVを社内プレゼンしたけど、評判はおおむね良好だったよ。ただ、嫌味を言う役の先輩から、
「大航海時代はちょっとイメージ悪いんじゃない? 大航海時代にアメリカに到達した人たちがサルだか原人だかを使役しているみたいで悪趣味と思う人もいるんじゃないかな」
って言われたのは、今思うとターニングポイントだったけどね。でも当時は、曲を社内プレゼンした時に文句がなかったのだから今さら蒸し返すなよ、としか思わなかったよ。だから、
「大航海時代が舞台なのは曲の内容に沿っていると思いますけれどもね。それに、以前曲を聴いてもらった際は特に反対意見などなかったのですが、ここで曲の是非を問うのですか?」って反論したよ。そしたら先輩は、
「いや、曲はいいと思うんだけどね。ただ、歌詞のほんの一部にあるフレーズからサルみたいなのを登場させて、しかもメインに据えるのはちょっと違うんじゃないかなと思うよ」と言うと、会議が少しざわついたよ。
でも、ざわついたのは先輩の発言に納得をしたからではなくて、「また、面倒ないちゃもんを付けたよ」などと多くの人が思ったからなんだけどね。会議なんて、何かを決める場ではなく、決まった事を確認する場なのは常識でしょ。決まった事を蒸し返すなんて普通ありえないでしょ。それで、上司たちが以下のようなことを言って、ようやく先輩は矛を収めたよ。
部長「曲名からして大航海時代が舞台だから、登場人物の服装や振る舞いから征服のイメージが付いてしまうのは仕方ないんじゃないかな。どうしたって血なまぐさい印象の拭えない時代だけれども、それを言ったら日本の戦国時代だって同じようなものでしょ。それでも戦国武将は老若男女に人気のキャラクターなんだからいいでしょ。今でもドラマ化されたりして……ちょっと前だと家康だったよね? だから、戦国武将と同じ時代を生きた大航海時代の偉人だって、人気キャラクターとして扱うのに問題ないでしょ」
次長「いわゆるアンチだとか、うがった見方をする人はどうしても出るけど、こんなことまで気にしていたらきりがないですよ」
部長「今後のプロモーション活動のスケジュールも決まっているから、ここであえてストップをかけたらそれこそイメージが悪くなるよ。コストや時間を余分にかければMVを作り直させることはできるけど、こんな些細なリスクを気にしてプロモーションを中断してイメージを悪くしたら本末転倒だよ。だから、もうこれでいこう」
こんな感じでMVが社内で承認されたから、広告代理店とレコード会社にOKを伝えたよ。もちろん、先輩がいちゃもんを付けたようなことは伝えてないよ。社内でも評判だったとか、当たり障りのないことしか言ってないよ。
それで予定された日にMVが投稿されたけど、すぐに削除されることになったよ。原因はMVが差別的な内容が含んでいるとのことで炎上したから。まさか先輩の言う通りになるとは思いもしなかったよ。まあこれも仕事かと思って戦後処理(?)をしていたけど、その翌日に部長から直々に呼び出されたよ。そこで部長に言われたのが、
「例のMVについてだが、当社としては事前に把握していなかったと発表することが決まった。その他のプロモーション活動は、人員を再度割り振って継続することにする。君はひとまずは待機してくれ。しばらくしたら今後のことを伝える」そう聞いて、全てのことに納得のできなかった私は、
「曲作りに最初から関わっておきながら知らんぷりはどうかと。当社としても謝罪文を出すべきです。そうした対応も私の仕事だと思いますが、なぜ人員の振り直しを?」と反論した。
「MVに関しては広告代理店の計らいによってレコード会社が気を利かせてくれたよ。まあ、当社の立場を考えたら、つまりウチが金を出していることを考えたら当然のことだろう。この件に関しては決定済みだ。だから、MVに関してはWebにアップロードされるまで知らなかったと答えるように。絶対にだ。いいね」
「……はい、わかりました」自分の仕事を全否定されたことと、知らなかったと嘘を付かなければならないことに衝撃を受けたよ。けれども、上司の指示に抗う術もなかったので従ったよ。
「わかってくれてありがとう。だが、社外への言い訳とは別に、社内の対応として担当者に責任を負ってもらわなければならない。それもわかるね」
「責任……ですか。わかりました」
(なんで私が責任を!? 会議の場で全会一致で決まったことなのに! 反対意見もあったけどそれに抗って積極的に承認したのは部長じゃないですか!)
そんなことを思ったよ。というより、今でもそう思っているけどね。まあ、それを口に出すつもりはなかったけどね。
「君には責任を負ってもらうとは言ったけど、つまりは人事異動ってことだ。ちょうど君はプロジェクトから外れているから、手続きはスムーズだ。異動先では管理職としての経験を積んでもらうけど、わかるよね?」
部長からそう言われたよ。私がこのまま順調に広報・宣伝部門の係長を続けたとして、管理職になれる(課長に昇進できる)のは2~3年後のことだよ。だから部長の言う管理職ってのは、当社の管理職ではなくて子会社に出向してそこで管理職をやるってこと。それでも、子会社への出向とはいえ管理職になるなら栄転になるんだけどね。ただ一社を除いては。その会社は……
「……ボトルズですか?」
「そうだ。来月からボトルズへ出向してもらうよ。そこで君は課長だ」
ボトルズとは自動販売機へのドリンク補充(ボトリング)を事業とする当社子会社の通称名だよ。平均年収は当社グループの中で最も低いから、さらなる異名として「ボトムズ」とも呼ばれているよ。つまりは最底辺(ボトム)の仕事ってことだね。そこでの課長の仕事は、自動販売機補充員の管理。つまりはエリアマネージャーみたいなものだよ。基本的にエリアマネージャーたる課長自らが自動販売機に補充することはないと言われているけど、慢性的に補充員不足で課長自らが補充をしているといううわさもあるよ。そうなると勤務時間も必然的に長くなるけど、悲しいことに課長は管理職だから超過勤務手当(残業代)が一切つかないんだよね。これもまた「ボトムズ」と言われる所以なんだよね。
私は広報の仕事を続けたかったのに。大卒後の就職先として広告代理店やテレビ局といった大手メディアに希望しており、それらの会社には落ちたけど、それでもなんとか清涼飲料水業界のトップクラスで広報に強い会社に入社できたのに。入社して10年以上も広報担当として前線に立ち続けていたはずなのに。いったいどうしてボトリングなんかやる羽目になったんだ……。
子会社に出向してそこの課長になるけど、そのいきさつを説明するよ。守秘義務があって詳細は書けないから、わかりにくい説明になると思うけどごめんね。
うちの会社は、商品の開発や製造以上に広報・宣伝に主力を置いた会社なんだよね。自分で言うのもなんだけど、私は広報・宣伝部門の係長だから出世コースに乗ってたんだよね。それで、つい直近までは、商品プロモーション活動の一環として楽曲のタイアップを広告代理店に依頼してたよ。
それにしても、広告代理店の人は優秀だね。どんな曲が作りたいですかってヒアリングを受けて以下のように要望を出したら、その通りの曲を作らせちゃうんだもん。
完成した曲を受け取った時にはレコード会社の人と歌手に会えたよ。歌手はぱっと見でホストっぽい雰囲気の人だったけど、真面目で礼儀正しい好青年だったよ。事前に見ていた公式WebページとかYouTube動画と雰囲気が全然違ってギャップはあったけれども、要望通りの曲を作ってくれたのも納得だったね。
それでそのままMV(ミュージックビデオ)はどうするかって話をしたよ。MVの作り方なんて全然わからないから任せるつもりでいたけど、レコード会社の人から、
「基本的にはホームパーティーの場面をメインで行こうと思います」
「衣装や小物などにも、御社のイメージカラーを入れるつもりです」
とか言ってくれたよ。タイアップする当社への配慮が完璧すぎて思わず苦笑いしちゃったけど、これなら全面的に任せて大丈夫だと思ったよ。
完成したMVを社内プレゼンしたけど、評判はおおむね良好だったよ。ただ、嫌味を言う役の先輩から、
「大航海時代はちょっとイメージ悪いんじゃない? 大航海時代にアメリカに到達した人たちがサルだか原人だかを使役しているみたいで悪趣味と思う人もいるんじゃないかな」
って言われたのは、今思うとターニングポイントだったけどね。でも当時は、曲を社内プレゼンした時に文句がなかったのだから今さら蒸し返すなよ、としか思わなかったよ。だから、
「大航海時代が舞台なのは曲の内容に沿っていると思いますけれどもね。それに、以前曲を聴いてもらった際は特に反対意見などなかったのですが、ここで曲の是非を問うのですか?」って反論したよ。そしたら先輩は、
「いや、曲はいいと思うんだけどね。ただ、歌詞のほんの一部にあるフレーズからサルみたいなのを登場させて、しかもメインに据えるのはちょっと違うんじゃないかなと思うよ」と言うと、会議が少しざわついたよ。
でも、ざわついたのは先輩の発言に納得をしたからではなくて、「また、面倒ないちゃもんを付けたよ」などと多くの人が思ったからなんだけどね。会議なんて、何かを決める場ではなく、決まった事を確認する場なのは常識でしょ。決まった事を蒸し返すなんて普通ありえないでしょ。それで、上司たちが以下のようなことを言って、ようやく先輩は矛を収めたよ。
こんな感じでMVが社内で承認されたから、広告代理店とレコード会社にOKを伝えたよ。もちろん、先輩がいちゃもんを付けたようなことは伝えてないよ。社内でも評判だったとか、当たり障りのないことしか言ってないよ。
それで予定された日にMVが投稿されたけど、すぐに削除されることになったよ。原因はMVが差別的な内容が含んでいるとのことで炎上したから。まさか先輩の言う通りになるとは思いもしなかったよ。まあこれも仕事かと思って戦後処理(?)をしていたけど、その翌日に部長から直々に呼び出されたよ。そこで部長に言われたのが、
「例のMVについてだが、当社としては事前に把握していなかったと発表することが決まった。その他のプロモーション活動は、人員を再度割り振って継続することにする。君はひとまずは待機してくれ。しばらくしたら今後のことを伝える」そう聞いて、全てのことに納得のできなかった私は、
「曲作りに最初から関わっておきながら知らんぷりはどうかと。当社としても謝罪文を出すべきです。そうした対応も私の仕事だと思いますが、なぜ人員の振り直しを?」と反論した。
「MVに関しては広告代理店の計らいによってレコード会社が気を利かせてくれたよ。まあ、当社の立場を考えたら、つまりウチが金を出していることを考えたら当然のことだろう。この件に関しては決定済みだ。だから、MVに関してはWebにアップロードされるまで知らなかったと答えるように。絶対にだ。いいね」
「……はい、わかりました」自分の仕事を全否定されたことと、知らなかったと嘘を付かなければならないことに衝撃を受けたよ。けれども、上司の指示に抗う術もなかったので従ったよ。
「わかってくれてありがとう。だが、社外への言い訳とは別に、社内の対応として担当者に責任を負ってもらわなければならない。それもわかるね」
「責任……ですか。わかりました」
(なんで私が責任を!? 会議の場で全会一致で決まったことなのに! 反対意見もあったけどそれに抗って積極的に承認したのは部長じゃないですか!)
そんなことを思ったよ。というより、今でもそう思っているけどね。まあ、それを口に出すつもりはなかったけどね。
「君には責任を負ってもらうとは言ったけど、つまりは人事異動ってことだ。ちょうど君はプロジェクトから外れているから、手続きはスムーズだ。異動先では管理職としての経験を積んでもらうけど、わかるよね?」
部長からそう言われたよ。私がこのまま順調に広報・宣伝部門の係長を続けたとして、管理職になれる(課長に昇進できる)のは2~3年後のことだよ。だから部長の言う管理職ってのは、当社の管理職ではなくて子会社に出向してそこで管理職をやるってこと。それでも、子会社への出向とはいえ管理職になるなら栄転になるんだけどね。ただ一社を除いては。その会社は……
「……ボトルズですか?」
「そうだ。来月からボトルズへ出向してもらうよ。そこで君は課長だ」
ボトルズとは自動販売機へのドリンク補充(ボトリング)を事業とする当社子会社の通称名だよ。平均年収は当社グループの中で最も低いから、さらなる異名として「ボトムズ」とも呼ばれているよ。つまりは最底辺(ボトム)の仕事ってことだね。そこでの課長の仕事は、自動販売機補充員の管理。つまりはエリアマネージャーみたいなものだよ。基本的にエリアマネージャーたる課長自らが自動販売機に補充することはないと言われているけど、慢性的に補充員不足で課長自らが補充をしているといううわさもあるよ。そうなると勤務時間も必然的に長くなるけど、悲しいことに課長は管理職だから超過勤務手当(残業代)が一切つかないんだよね。これもまた「ボトムズ」と言われる所以なんだよね。
私は広報の仕事を続けたかったのに。大卒後の就職先として広告代理店やテレビ局といった大手メディアに希望しており、それらの会社には落ちたけど、それでもなんとか清涼飲料水業界のトップクラスで広報に強い会社に入社できたのに。入社して10年以上も広報担当として前線に立ち続けていたはずなのに。いったいどうしてボトリングなんかやる羽目になったんだ……。
実体験に基づく教訓。
俺はある地方都市在住のしがないSEで、子育てを終えて余裕出てきたから、ボランティアとして公民館で子ども向けのプログラミング教室を細々とやっている。
そんな俺に興味を持って話しかけてきたのは公民館を管轄する生涯学習課のAさんだった。
Aさんは役所の職員には珍しくパソコンが得意で、プログラミング教育にも高い関心を持っていた。
俺とAさんはすぐに意気投合して、もっと多くの人がプログラミングに触れ合えるようにするにはどうすればいいかを語り合った。
Aさんは40代の係長で、これまでの経験から学校や地域に多くのツテを持っていて、補助金にも詳しく、何より情熱と多くのアイデアを持っていた。
この人とならどんなアイデアでも実現できそうだ。
そう思って色んな事業をいっしょに考えた。
そして補助金をとって、いよいよというタイミングで、Aさんが全く別の部署に異動してしまったのだ。
ショックだったが、Aさんは「予算は取れているし、後任にもしっかり引き継ぐ。自分もいつでも相談に乗る。」と言ってくれたので、信じることにした。
だけど、この後任というのが本当にどうしようもないボンクラで、こちらの話を理解する能力が全くないやつだった。
こいつをBさんとしよう。
Bさんは30代と若いのだが、パソコンもExcelの関数すらろくに使えないレベルで、すぐに「それはどういう意味?」と聞いてくる。
それに答えて何度説明しても用語を覚えない。覚える気が全くない。
そのくせ、こちらを見下しているのがありありと見て取れる。
Aさんと雑談してた中で聞いた話からすると、たぶん年収はこちらの方がかなり上だと思うんだけど、そんなことは関係なく、どうも民間企業を全て見下しているようだった。
そんなBさんとはまったく話ができなかった。
会話が成立しない。
困ってAさんに相談して、Aさんから話してもらったが、改善はされなかった。
やはり直接の担当者でないから限界があるのと、どうやらBさんは、役所内でも優秀だと知られているAさんのことを一方的にライバル視しているようで、Aさんの反対をやりたがる傾向があるらしかった。
そもそも俺も働いているし、Aさんも新しい部署での仕事がすごく忙しそうだったので、Aさんと話せる機会は減っていった。
しかたなく、Bさんがわかってくれるまで話そうと、我慢強くコミュニケーションをとってきたが、ある日Bさんの上司から「もう少し接触を控えてほしい。」と言われてしまった。
なんでも「毎日通常の業務だけでも深夜まで残業してるのに、増田さんがしつこく連絡してくるので負担になっている。」と上司に訴えたらしい。
俺はその上司に「でもAさんは同じ仕事を勤務時間内に片付けた上で私ともっと密にやりとりしてくれてましたよ?」と返したが、その答えは「彼は特別だから。」だった。
その後、俺とAさんで考えていた事業は、しょうもない営利目的のプログラミング教室が落札していった。
意図的に俺を外すために入れたのだとわかる項目がいくつもあった。
きっと、役所側は何もしなくていいですよとうまいこと丸めこまれたんだろう。
結果的に、そのプログラミング教室は業務を表面上カタチだけ実施して、ホームページに大袈裟に実績として掲載したが、それっきりだった。
市も「補助金使ってこんなことしました」と宣伝したが、その後には何も残らなかった。
俺とAさんなら、と思わないことはなかったが、もうどうすることもできなかった。
俺は今でも、以前と同じように公民館で細々とプログラミングを教えている。
よく考えたら、これで満足だし、これを望んでやっていたのだ。
Aさんがいなければ、別に何か大それたことをしようなんて気持ちは無かったのだ。
よくわからない虚しさがあるだけだ。
その人がいないとできないことは、はじめからできないと思ったほうがいい。
これが今回の一件で得た教訓だ。
一日の半分寝てて、年収700万。
10人くらいのチームで係長やってて、ほとんど在宅勤務。たまに出社。
朝、メンバの進捗確認して指示出したら、昼過ぎまで二度寝する。あとは、ミーティング出席したり、たまに教育したりするだけ。
実質的に動いている時間カウントしたら、一日の半分も無いと思う。
こんなでも、上司からの評価は高く順調に昇進していってるし、お客さんからも指名で仕事もらってる。
それで、年収700万。
係長になる前は、もっと頑張って毎日ちゃんと働いてたけど、年収500万だった。
けど、やりがいとか幸福度とかは、年収500万で毎日がんばって働いてるほうが良かったな。
管理業務なんてやりたくない。人の管理なんてしたくない。静かにコード書いていたい。
自分がやりたいこと、自分ができること、周りから評価されること、うまく重ならないなあ。
このままいけば、そのうち課長になるけど、それは本当に嫌だ。心が死ぬ。
もう転職しようかなあ。
どうすればいいんだろうなあ。
もう辞めた会社の話だが、俺は生活指導をやらされていた。(NDAとまではいかんくとも、念の為に若干はぼかす)
職場にいくつかの「◯◯委員」のようなものがあり、たとえば「オヤツ部長」とか「宴会部長」的なヤツのもうちょい面倒なバージョンだ。
たとえば、健康診断の成績が悪いと「スポーツ委員」が昼の体操をちゃんとやらせてるのか運動習慣はつけているのか談話室にバランスボールを買ってやったが使っているのかと詰められるわけだな。
俺の担当は生活習慣だったが、仕事の大部分は「臭い奴指導員」だったと思う。
普通の神経ではなかなか指摘できないし、された側もイラっとくるような臭いについての話を「組織がね、やれって言うんだ。君もあと10年したら課長や係長のポストと一緒にこういう役目がついてくると思ってくれ」みたいなオーラを出しつつやらされていた。
いい大人がいい大人に「柔軟剤の匂いかな?エイトフォー?ちょっとキツいぞ。洗剤の量をちゃんと守ったり、無香料の物を使ったほうがいいかな」と指摘する権利なんてあるのかといつも疑問だった。
梅雨の季節に生乾き臭のする奴に部屋干しなら扇風機を使えと言ったり、オキシクリーンの回し者になったりするわけだ。
ワキガがキツい奴のためにデオドラント商品の選び方を調べたり、食生活についていくつかの頼み事をしたりだよ。
「あんまり臭いとね。やっぱ職場全体の雰囲気がね。そうなるとね、仕事を頑張っても評価とかにね」とわざわざ俺の口を通して言わされるわけだよ。
しんどかった。
なんで「体臭キツイのに深夜ラーメンでニンニクマシマシしてんじゃねーよ」をやんわりオブラートに包んで社会人に指摘させられとるねんと。
思うんだがな、やっぱ専業主婦・専業主夫というのが必要なんじゃないだろうか。
共働きの家庭ならハウスメイド的なのを雇うようにするべきじゃないだろうか。
なまじっか専業主婦が一般化したせいで日本という国から家政婦の文化が失われているように思う。
パワーカップルで年収2000万円あっても家事は全部自分たちでやるという人達をインターネットで見かけるがあれは非効率じゃないだろうか?(本当にいるのか?時給5000円の人間が洗濯や掃除を?と思うけどこの話題には便利なので乗っておく)
専業主婦・専業主夫というシステムが夫婦の力関係的に歪になりやすいのは分かる。
家電が発展してハウスサービスの需要が介護にばかり集中しているのも分かる。
プライベート意識が強くなって赤の他人に家の中弄られたくない人、伴侶であっても趣味の部屋を触られたくない人、色々いるのも分かる。
だが、現代社会で求められるレベルの家事を働きながら両立するのはしんどいだろ。
家電の力でなんでも自動化されたと言っても、洗濯機や乾燥機をちゃんと使おうとすればどうしても人間の管理が必要になるし、何の知識もない人間にやらせれば漂白剤か洗剤の片方しか入れずにやってハンガー吊るしでめちゃ臭になる。
つうかなんで皆こんなに働いてるんだ?
どうなってるんだ?
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市役所(郡部町村は都道府県)の福祉事務所(多くは〇〇センターなどの名称)に所属するケースワーカーが調査や面接を行って起案
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市役所(郡部町村は都道府県)の本庁保護部署が債権の有無や不正受給歴の有無をチェック
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保護部署の責任者(部長or課長)が調査結果を厚生労働省に持参(臣民の生存権に係る重要な書類であり郵送は禁止)
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厚生労働省社会援護局の保護課にて最終的なチェックが行われる(ここでは生活保護を支給するに当たって必要な書類が揃っているか、必要な調査が行われているかのチェックであり、保護の要否そのもののチェック権限はなし)
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宮内庁審議官と協議の上で日程を調整し、厚生労働大臣、厚生労働事務次官、社会援護局長が「下記の者について、福祉事務所に対する保護命令を発せられたく上申します」という書類を持参(臣民の生存権に係る重要な書類であり郵送は禁止)して皇居に向かう
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天皇陛下の決裁(事前に根回しと説明が行われており、この時点で天皇陛下が命令を拒むことはない)と命令
↓
福祉事務所は「朕の名において……下記の者を保護せよ」という命令書を受け取り次第、「保護決定通知書」を申請者に送付し保護費を支給する
気安く生活保護というが、これほどの労苦がかけられているのだ。