はてなキーワード: 係長とは
税の仕事をしてるのだけど、今年入った新入職員の子が、机の上にぬいぐるみを置いている。
なんなのこれ、と最初は思ったけど、職員同士の雑談でわかった。あれは「すみっコぐらし」のキャラクターのようだ。
それを見たほかの部署の人が、その子に「それ、かわいいね~」とか「○○のおかあさんだ」とか、からかって談笑してた。
それはまだ許せるんだけど、そのぬいぐるみは市民からも見える位置に置いてある……。
さすがにまずいだと思って、上司2人(係長と課長)に「あれはいいんですか?」と相談したものの、「いいよ、それくらい」とか「あれぐらいの年の子なら……」など、聞く耳をもってくれなかった。
あの子は未成年とはいえ、社会人だ。職場にあるデスクに手のひらサイズのぬいぐるみを置くのはやりすぎである。
地方自治体に勤務している。
課内のある係が崩壊した。
1つの係は6人〜9人で成り立っておりそれぞれの業務を担当している。
その係はもともと別の部署からの異動者が多い上に人数も揃っていない。
加えて異動でやってきた職員たちもメンタルで休職に入ったり、元々予定していた産休に入った。
そのため、その係は現在新卒と係長の2人のみで業務を行なっている。
他の係から人を回すという案も出たが、自分の係の人員が減ることを嫌った係長たちの抵抗により「各自手の空いた者が新人をサポートし、いない人の穴を埋める」という結論になった。
5月に入り、当初はデスクの近い係の人たちで新人に業務を教え、いない人たちの仕事を処理した。
新人も一生懸命自分で調べたり周りに聞きながら自分の仕事を行い先輩たちの穴埋めをしていた。
連休に挟まれた3日間の平日、当初の2日間新人はとんでもない勢いで仕事を覚えながら残業してなんとか仕事を間に合わせていた。
しかし、4連休前日の木曜日に係長が有給休暇を取得して、1人取り残されたことで崩壊してしまった。
その日、定時で退勤しようとした新人にうちの係長が「大丈夫?終わりそう?」と声をかけると「もう焼け石に水なので帰ります」と言い帰宅してしまった。
私は連休前に自分の仕事がなんとか間に合いそうな安堵感と新人を見て見ぬふりしていた罪悪感を抱いた。
自分の仕事のみを終わらせて他の係や他部署の同期と一緒に定時で帰宅するようになった。
係長が「もうちょっとこれ片付けてもらえない?」と言っても「どうせ間に合いませんし、〇〇さんもあがりましょうよ」という調子だ。
結局、私含めたみんなで休職者と新人に呪詛を呟きながら今日も残業してその係の業務を片付けている。
私はお仕事。
正直言ってザマァである。
元々あんまり好きじゃなかった(私がとある仕事のミスを連発したため、過去の完成形のデータではなく、せめて判断基準がかかれた引継書のようなものが欲しいと言ったら、そんなものはないあったとしてもこんな初歩で間違うなら理解できないよ。経験を積んで何とかしなさいと言われた。見限った)し一年しか下にいなかったけれど、マジザマァwwwとなっている。
当時他の部署(例として営業補助課)の若手係長に自分の仕事ふりまくってたんだけど、その係長が転勤で元上司が後任になった。
元上司の後任は別支社から転勤してきた今年度昇進した係長なんだけど、その人がきっぱり言う人で元上司が若手係長に押しつけた仕事を戻そうとしてるのをぶったぎって爽快すぎた。
「過去のメール確認しましたが、その仕事は元さんが若手さんに今後やるよう依頼してますよね?つまり経理でやるより営業補助でやる方が効率的だと判断したんでしょう。もちろん元さんが営業補助の仕事をした結果経理が適任だと判断したのなら、両方の仕事を経験した結果ということで私も尊重しますけど、新年度早々はないでしょう。私の今の印象、仕事押し付けられてるなーです。適任だから営業補助に回したんですよね?自分がやりたくないから若手さんに押し付けたんじゃないですよね?」と総務と人事の前で社内携帯で電話しててニッコリしちゃった。
早くに作った子供とすれば通用する位の年齢差の新係長に押し付け作戦ことごとく失敗して、過去の自分が押し付けまくった仕事に忙殺されて営業部長に配慮の申し出したらしいけど、適当に流されてた。
そしたらww五十過ぎのオッサンがwwww体調不良で休むとww連絡してきたwwwww
数日休んでひょっこり出てきたと思ったらwww本当に急ぎの仕事以外はしてもらえておらずww押し付けてきた仕事たちはそのままwwwなぜなら元は経理の仕事だから営業補助の人達は分からない。若手係長は後任が元上司だから仕事がわかってると判断して引継書は営業補助関連しか作成せずwww
元は経理部のヒラにヘルプを出そうとしたが新係長が対応!「あ、今電話全部私がとってるんです。皆さんに名前覚えてもらいたくて!あと大丈夫ですよ、(私)さんに聞いたんですけど元さん引継書無くても完成データみれば経験からこなせる優秀な方らしいじゃないですか!私なんかは凡庸なんで引継書っていうド素人をなんとか使えるようにする底上げがあってやっとな人間なんで羨ましいですよホント!」でガチャ切り。
次の日からまた元上司休みwwwwしかも連絡してきたのはまさかまさかの~~~………嫁!!!自分でwww連絡しろwwwwww
「ねぇ、増田くん、『せっかく転職したのに、こんなはずじゃなかった』って思ってない?笑」
市役所に転職した1年目、6月の半ば、午後11時過ぎの市役所の3階。終電のある上司はPCの電源を切り、帰宅の準備を始めていた。
「営業車で事故死しないだけマシだ、ってこないだ妻に言ったら笑ってましたよ」
新卒で営業職を2年やって、ワークライフバランスやらなにやらを考え、地元の市役所に転職した。
営業時代は終電、あるいは終電後に営業車に乗って帰宅する日ばかりだったので、市役所に転職すれば憧れの9時5時だと思っていたが、わずか2か月でそれがかなわぬ夢だったということを悟った。
6月の残業時間は正確には66時間だったが、翌月、別室で新人研修中に管理職に呼び出され、廊下で「申し訳ないがこれは……」と言われた。
「わかりました」と答えた。給与明細を確認すると、44時間になっていた。
僕はそれからその部署にいた3年間の間、平均で60時間程度時間外勤務をしていたが、時間外勤務手当は毎月10時間で申請していた。
「えっ?俺、8時以降残ったこと今まで一度もないよ」
税金関係の部署に配属になった新卒ストレート同期と偶然昼飯を一緒に食べに行くことになったときに、同期がそう言ったのを今でも覚えている。(この8時というのは、たまにやる夜間の納税相談業務が終わる時間のことだ)
4年目、2部署目では課長補佐からパワハラを受けて、常に胃痛を抱えて仕事をしていた。朝食を食べても吐くので食べなくなった。
課長補佐はマイクロマネジメントで攻撃してくるタイプで、係長時代から担当を破壊しまくっており、前々任者も、前任者も病休に追い込まれていた。
1月ぐらいに人事課に相談し、人事課の用意したカウンセラーと話をした。
「こういう時、手に職でもあれば『やめてやる!』ってなるんですけどねぇ」と僕は話した。
結局、係長、課長補佐、課長の3人が人事課に呼ばれて何か指導をされて終わりで、課長補佐は年度替わりに異動していった。
「電話だって何を言い出すのかわからないから聞いてるのに」課長補佐が対面に座る係長に向かって、僕に聞こえるようにそう言ったのを耳にしたとき、いささか僕は驚いた。
「そうですね……前の部署で一緒に仕事をしてた外部の方と電話した後に、「なんだ今の話し方は」って言われたんですよ。相手とフランクに話すのも気に入らないんでしょうね」
どんな指導が辛かったですか? とカウンセラーに尋ねられた質問の答えを、本人の口から聞けるとは思ってもいなかったからだ。
係長とはもう一年一緒にやったのだが、「自身もパワハラに消極的には加担していたこと」だったり、前年度のパワハラによるデバフのかかった自分が評価基準だったので、ギクシャクしたまま一年を終えた。
6年目、新しい係長は自分のことを前々から買ってくださっていた方で、「前任からお前の評価を聞いてはいるが全く信用していない、一緒にいい仕事していこう」と言ってくれた。
実際、温めていた企画を提案して採用されたり、ワークライフバランスも最高に良くなった。仕事終わり、料理が係長と一緒にスーパーに買い物に行き、日テレの夕方のニュース番組「every」がやっている時間に帰宅し、妻の帰宅を待つ日も増えた。
「隣の係に異動してきたAが来週から病休に入ることになった。申し訳ないが、来週からAと配置変換してくれないだろうか」
Aはお察し枠の人間で、配属される部署毎に病休を取っていて、下馬評も最悪だったのだが、その災禍がまさか自分に降りかかってくるとは思ってもいなかった。
ちなみに、Aと同時に異動してきた隣の係長も定評のあるお察し枠で、最終的にその係長も自分の配置転換後、すぐに病休に入った。
係長不在の中、Aの担当していた仕事、Aが残した爆弾(やり方がわからないので手を付けてません、と付箋を貼った4月受付文書)やAが戻ってくるまで、戻ってきた後も前の係の仕事……そして最後にはコロナ対策の新規事業まで自分に回ってきた。
その日以降、帰宅すれば「every」はとっくに終わっていて、帰宅すれば「ニュースZERO」が始まっているようになった。
翌年度にはAが異動して、自分は元の配置に戻してもらえるものと係長も自分も思っていたのだが、結局引き取り手がいなかったため、Aは残留することになった。
課長に呼び出され「申し訳ないが、今の状況を見ればAとお前の配置を元に戻すことはできない」と言われた。
「わかりました」と答えた。
明らかに怒りに震えながら自席に戻ってきた自分を心配して、皆が集まってきた。
「自分を活かそうとしてくれないこんなクソ職場、辞めてやりますよ……」と言う自分を係長は諫めてくれた。
7年目は部署に新卒の新人が来て、自分が教育係となった。これは大変いい経験だった。すぐに仕事を覚え、ミスも少ない優秀な後輩だったが、仕事のストレスの症状まで自分をミラーリングしてしまい、胃痛を抱えたまま出勤し、胃薬を分け与えて二人で飲んだこともあった。
この年もAは病休を取り、未練の残る仕事をまたやらされる羽目になった。
その年、異動の内示が出たのは係長と自分で、Aだけが課に残ることになった。
「なんか馬鹿馬鹿しいよな。俺たちの2年間はなんだったんだろうな」と係長はタバコを吸いながら僕に言った。
「本当ですね」と僕は言った。
8年目、3部署目は現場対応から政策的なことまでなんでも取り組む部署で、それまでやってこなかった議会関係、議員の”オネガイ”対応もやることになった。
数人の(あるいは1人の)支持者からの陳情を持ってくる議員、やっていることは議員としては正しいかもしれないが、もう少し取捨選択してくれというか、まぁいい。
12月のある日、既にその係での年数が長く翌年度異動がカタい、仕事がものすごいできる先輩が、上司に「もう今の時点で既に100時間は土日出勤している」と言ってるのを聞いてしまった。
先輩が異動したら次に「土日100時間出勤する」のが誰か、それは火を見るより明らかだった。
それから転職活動をし始めた。リクルーターに言われるがまま何十社もエントリーし、面接には8社呼んでもらい、3社最終面接まで行ったがうまくいかなかった。
3月下旬に9年目の人事異動が発表された、できる先輩は異動が決まり、自分が異動希望を出していた課にパワハラ課長補佐が異動になっていた。
「あ、もうこれはだめだ」と思った。
その日の夜に応募した企業から、この水曜日に内定の連絡をもらった。
「はっきり言うと、毎日何十件も応募がある中で、増田さんが選ばれるとは思ってなかったんです。増田さんの年齢で異業種、しかも希望年収よりアップするなんて奇跡ですよ」とリクルーターに言われた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/844018cccc955042ff8c014db3b721c90f662f3a
皆さまへ
増田の人は優しいのですね。
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昨年から、とある部署の係長になった。当方は40代を過ぎているが、これでも出世は早い方である。
この度、部下の指導方法について教えていただきたいと思って投稿した。
数か月前、同じ階のほかの部署から相談に来た子がいた。見た目がボヤっとした子で、話し方がたどたどしい様子だった。いわゆる発達障害っぽい子である。
その相談を受けたのが部下の子なんだが、彼が帰った後で、「なんやあいつ、キッショ!! 関わったら負けやぞ」と同僚の子と一緒に話していた。窓口にいた市民にも聞こえていたかもしれない。
その時すぐ、やんわりと注意をしたのだが、本当に聞いているかはわからない。また同じことをする可能性もある。
下手に注意をすると、反発をする恐れもある。彼はそういうキャラだと、増田に投稿する前の事前の調べでわかっている。この場合、私はどのように注意や指導をすればよいのだろうか。
多分10年くらい前までは通用したコスパの良い人生選択。今も通用するかは知らない。
迷わず工学部の機電系に進めば良かった。貧乏人なら国立の工学部に進めばいい。
偏差値50近辺の学科でも就職には何の問題も無いし、後期ならほとんどセンター試験のみで合否判定する地方国立がそこそこあった。
センター7割後半取っておけばどこかしら就職で不利にならないレベルの進学先は確保出来る。
・1留
・GPA1.0未満
・リーマンショックの余波
このスペック、環境でも機電系なら就活で苦労することはまあ無い。最終的に学科推薦を使った某自動車メーカーに就職した。
あとは普通に仕事するだけ。メーカーは薄給と言われるが、人並みの生活を送れる程度の給料は出る。
業界上位でもなんでもない俺の勤務先で言うと、平社員の頃はかなり薄給で30歳になっても年収600万円程度だが、30台前半で係長級に昇格すると700万円台に乗る。
その後は同期間でも多少差が出るが、平々凡々の俺の場合で35歳800万円くらい。扶養家族がいると手当で多少増える。
その先はTOEICで600点程度の英語力があれば問題なく管理職に昇格出来る。早い人だと40歳で1000万行くかどうかみたいだけど、平凡な人だと900万円くらいかな。
これよりコスパの良いルートがあったら教えてほしい。大学受験から就職後まで、特段努力が必要ないのがポイント。
今でもこんな感じなのかな?
40代。
同年の人達は会社では係長、課長、早い人は部長や取締役になって
そんな最中、万年平社員で責任らしい責任もなく、扶養義務も負わず、自分ファーストオンリーな生活を幾数年送ってる。
唯一の楽しみはオタ活。
イベントや聖地巡礼をいろいろしてきたけど、最近は心から楽しめなくなってきた。
わざわざ考えなければいいんだけど。
でもどうしても上記の同年代の人たちの活躍を思うと、後ろめたい気分になる。
そんな気持ちが加担してか、オタ活してる最中も”こんな気持ち悪いのが来てしまってすみません”とか卑屈な気持ちが湧き出てしまう。
聖地で写真を撮りたいとき、「写真撮らせてもらっていいですか?」と訊くと誰もが「いいですよ~」と気持ちのいい感じで応じてくれる。
そんな善良な人に、気持ちの悪いオジサンが話しかけてしまってごめんなさい。
もう、引き籠っているほうがいいのか。
悲しいな。。。
無理して東大入ってなんとか卒業したはいいけど、正直コミュ力ゼロで就活に失敗し契約社員年収300万からの社会人スタート。2-5年に1度転職して4社目、10年がんばってやっと年収500万。
「結果をベースに転職してキャリア&年収アップ」というライフプランに先が見えなくなった。
転職市場って基本的に「能力」と「前職の実績」を踏まえてキャリアを上昇させていくものだと思ってる。前職でめっちゃ売り上げ出したから次の転職先で係長or課長クラスになる、みたいなね。
が、自分にはその「売上を出す能力」がなさそうだとわかりつつある。
局所的なスキルには自信があるよ。たとえば法務チェック不要なくらいに契約書読みこむ、みたいなね。でも法学部卒じゃないし法務でもないのでスキルセットのプラスにはならない。
で、思ったのよ。もしかして自分は「民間市場でガツガツ働いても年収1000万を超えることはできない」のでは?
20代の頃はそういう夢をみてたよ。大手会社に就活したりね(文系なら出版社、経済系なら外資系コンサル、理系なら今で言うGAFAを想像してみてほしい)。
でもそうはならなかった。ならなかったんだよ。ここでその話はおしまい。
ここまでは別に自虐ではないので、自虐風自慢のつもりはない。なぜなら公務員に転職したからだ。今どき退職金1500万もらえる身分への転職は万々歳よ。これまでの10年で退職金0だからね。そういう意味ではただの自慢である。
友人らは現状で既に自分と同じくらいの退職金もらえることが決まってる上、30歳で年収1000万越えとか割といる。はぁー私が30年勤めて取得する予定の金額を3-4年で稼げるんですねぇー!
という嫉妬があるかというと、別にない。だって今どきの世の中で30代年収500万あれば世間の上位半分にいるわけじゃん。まあ分相応だと思ってるよ。
今思ってるのは、久しぶりに会うときの店の予算帯が絶妙にズレ始めてること。あっちが普通と思って提案してくる店が微妙に予算外、みたいなね。飲み会の店を提案されたら素で6000円だったりするわけ。ほわーっって感じよ。
収入面では別にない。そこそこ生活には満足してるし、今から年収1000万になりたいとも思ってない。身の丈にあってるわけだ。
が、友人との階級層がズレはじめてるような印象はあって、そこだけはこわい。「この先もしかして自分はこの友人を失うのではないか」という恐怖感だ。
友人との交友関係を失いたくないという恐怖だけで、自分はこの生活でいいのだろうかと思い始めてる。もっと上流階級に行くべきなのだろうか。
東大にギリギリで入った奴って世の中の上位半分に入ってれば納得するのか
「学歴に対する世間的な期待値」と全く見あわない現状に恥ずかしい思いがないわけでもないけど、その恥ずかしさは自分の人生において「わざわざ払拭するほどのプライオリティ」として存在していないんですよね。「年収1000万になったところで何したいって希望も特にないので別に今のままでいいかなー」くらいの気持ちです。「他人からどう見えるか」への興味がゼロで、自分が楽しいかどうかが人生の判断基準。
生きにくそうで大変だなぁ〜
まだ失ってないし、自分も現状無理はしてないけど、今後友情関係維持する為に無理しなきゃいけないのかなって恐怖はある。
これは嫌味でもなんでもなく本心なんだけど、このコメント書いてくれた増田が人生に満足してるなら何よりだよ。他人が幸せなのはいいことだ。