はてなキーワード: 一定の成果とは
・注目ののれん残高は4.1兆円。自己資本(5.1兆円)を超えてはこなかったが、その分、無形資産に振り替わった。
・無形資産残高は4.8兆円。製品開発プロジェクトコストのPurchase Price Allocation(取得原価配分)によるものだろう。
・それでものれんは自己資本の80%を占めている。無形資産は自己資本に比して94%。のれんと無形資産を合わせれば純資産をはるかに超えて、自己資本の175%相当となった。こういう会社は異常というしかないのだが、最近増えている。
・IFRSはのれんの定期償却を禁止しているが、超過収益力が見込めないとなったら減損損失処理が求められる。
・一方、無形資産は定期償却がなされる。武田の無形資産は3~20年で償却されている(前期の有価証券報告書によれば)。この償却費負担が利益の重しになる。ウェバーは償却費は無視してよいという姿勢のようだが。ご立派なものである。
・Shireの業績が当初計画を下回るというのが最悪のシナリオで(杞憂に終わればいいのだけれど)、これらのれんと無形資産の減損が求められれば武田が債務超過に陥ることもあり得る話。武田の株主はウェバーの手を通じてShireにfull betしている。
・'19年3月期の無形資産償却費はShire絡みが903億円。3か月分でこれだ。12ヵ月換算で3,612億円となる。これ以外も含めて無形資産償却費負担は年額4,390億円(毎年の償却費負担)。
・償却費は資金の流出を伴わない費用であるのはたしかにそうだ。しかしすでに支出されていて、これから費用処理されるというものだ。償却費は、過去に資金をたしかに流出させた、株主が負担する費用以外の何ものでもない。
・それを公然と無視し続ける経営者を雇い続けて、しかも年間12億円の報酬・賞与を支払って(前期の有価証券報告書によれば)いるのが武田の株主諸氏である。ウェバー氏が声高にいうコア・アーニングスとやらでは償却費が当然のように無視されている。
・翌期は統合費用1,540億円を見込む(何に使うつもりなのかよくわからないが)。
・短信の表現で「これらの一時的な費用及び非資金的な費用による影響を除きますと」翌期は営業利益+38.7%の増益見込みだそうだ。ちなみに無形資産償却費は一時的なものではない。
・表現がいちいち小賢しい。短信の文言のそこかしこから経営陣の不誠実さがぷんぷんにおってくる。悪臭を放つ決算書というものがあるとしたらこれである。
・コア・アーニングスの成長率は「力強く」「大きく伸張し」+38.7%だという。
・コア・アーニングスとはいったい何なのか。
→ 純利益から税金費用、持分法投資損益、金融損益、その他営業収益、その他営業費用、無形資産償却費、減損損失を控除して算出するという。償却費や支払利息はコアではないというのだ。
・では、それを負担するのは誰なのか。株主以外にいない。とんでもない借金を背負ってとんでもなく巨額の買収を行って、そのうえで利払いはノン・コアだという、その居直りっぷりは正常な人間のものとは思えない。しかしこういう経営者は少なくない。
・コア・アーニングスとは、ウェバー氏が手前勝手に計算した自画自賛するための利益概念である。都合の良い数字を持ち出して誇らしげにしているのが現在の武田の経営者である。よく恥ずかしげもなくこういうことができるものだと逆に感心する。
・さらに、コア・アーニングスには「その他、企業買収に係る会計処理の影響や買収関連費用など、本業に起因しない(ノン・コア)とマネジメントが判断した事象による影響を調整します」とある。そして、これをもってマネジメントによる業績評価に使用されているとある。事業部単位であればそういうやり方もあるだろう。ウェバー氏はじめ経営陣はどうか。これら「ノン・コア」を除外してわれわれの業績を評価するようなお手盛りとか、まさかしていないよなと不安になる。
・そんな手前勝手で都合の良い指標を持ち出されて、それを聞かされた株主が感心するとでも思っているのだろうか?読んでいてここまでばかばかしい気持ちにさせる決算短信は見たことがない。
・Shire買収のため、ウェバー氏は買収のための資金調達に大規模な新株発行を行い、発行済み株式数を2倍にしている(2019年1月)。その際の売り出し価格が短信から読めた。1株4,065円であった。資本金・資本剰余金の増加額を発行済み株式数の増加数で割れば出てくる。
・株価が安くなったタイミングで大量の新株発行をしようとしているなと苦々しく見ていたが、ずいぶんと安く会社を切り売りしてくれたものである。シャイアー買収が報じられる前は6,000円を超えていたのだ。
過去に武田は自社株買いを行っている(2008年)。当時の自社株の買い戻し価格は平均して5,238円。当時の経営トップは長谷川閑史(ちなみにウェバーを後任に据えた張本人であり、今も相談役に居すわっている)。そのときは株価が十分安いと判断したがゆえの自社株買いだったはずである。それから10年以上経った今、ウェバー氏はこれよりもかなり安く(▲22%)売り払ってくれている。無謀な買収提案で会社の評価を引き下げて後の大規模な新株発行。既存株主の価値を大規模に流出させ、希薄化させ、でかい面をしている。見事なまでの企業価値の破壊者っぷりである。ウェバー氏にしてみれば武田の価値などその程度なのだ。株主のことなど屁とも思っていない。ウェバーに同調した他の取締役も同じ穴のむじなである。
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No.1035
ウェバーはシャイアーの買収を通じて武田の既存株主からシャイアーの元オーナー達へ巨額の価値移転を行った。これがシャイアー買収の本質である。シャイアーの元オーナーたちはウェバーに借りを作ったことになる。
ウェバーはこの買収がうまくいけばそのまま武田に居座って巨額の報酬を貪っていれば良いし、うまくいかなければ(その可能性は高い)シャイアーの元オーナー筋のどこかの会社で役員に納まるといった筋書きを持っていたりしないだろうか。今のところただの陰謀論だがもしそうだったとしても私は驚かない。
共謀したとしたら投資銀行筋ではないか(巨額のアドバイザリーフィーを受け取ったJPモルガンあたりがあやしい)と当たりをつけてはいるのだが、シャイアーのアニュアル レポートを読んでも元オーナーの顔ぶれは見えてこない。
No.1034
コア アーニングスは会計基準と…
2019/07/04 00:06
コア アーニングスは会計基準とまるで関係なく計算した数字だと決算短信に書いてありますよ。会計基準は無視して作った数字ですよと。
そもそも決算短信は監査の対象外だし、仮に有報に載せたとしても、コア アーニングスは会計基準に則っていないこと(会計基準は無視して作った数字であること)が明記されているということで、付加的な情報として扱われるだけ。監査法人の監査証明はこの数字に責任は負わない、というつくり。
わかりにくいでしょう?こういう分かりにくいことをぬけぬけとやっているのがウェバーを初めとしたここの経営陣なのですよ。
コアアーニングスなんていうもの…
2019/07/03 22:41
コアアーニングスなんていうものはウェバーとその取り巻き経営陣が自分たちの業績(巨額の損失を出しておいてお笑い草ですが)を自画自賛するためのでたらめな数字ですよ。会計基準をまったく無視して都合のいい数字だけ積み上げて(都合の悪い数字を片っ端から取り除いて)作り上げた数字ですから。株主を愚弄しまくっているのが報酬17億をお手盛りで分捕っているウェバーという男なのですよ。
No.1027
No.960
シャイアーの業績が当初見込みを下回ればのれんだけでなく買収時に無形資産に振り返られた分も併せて減損となる可能性が高い。そうなれば一気に債務超過だ。そうなれば配当原資はなくなり配当できなくなる。やれば違法配当になる。
No.875
No.42
シャイアー買収が良い経営判断だったとは内心誰一人思っていないのでしょう取締役連中は。そしておそらくウェバーですら本音はうまくいくわけがないと思っているはずですよ。こ奴らは高額の役員報酬さえ貰えればそれでいいのであって、他人の(株主の)カネで大きな仕事をやったと思われさえすれば、次の転職先も安泰と考えているのでしょう。しかし私は武田の価値をずたずたにしてくれたウェバーと無能な取締役連中を絶対に許さんですよ。
No.11
Core earningsなどというものは経営者自身の高額報酬を正当化するための、自画自賛のためのものですよ。
これが最大の謎。シャイアー買収が既存株主の価値を大幅に毀損すると分かっていたはずなのに。
買収承認の前後でシャイアー買い・武田売りの裁定取引が大規模に行われていたようだが、顔の見えない大株主連中はそれに参加していたのだろうか...?
No.632
その通りと思う。
No.50
No.1071
・Shire買収のため、ウェバ…
・Shire買収のため、ウェバー氏は買収のための資金調達に大規模な新株発行を行い、発行済み株式数を2倍にしている(2019年1月)。その際の売り出し価格が短信から読めた。1株4,065円であった。資本金・資本剰余金の増加額を発行済み株式数の増加数で割れば出てくる。
・株価が安くなったタイミングで大量の新株発行をしようとしているなと苦々しく見ていたが、ずいぶんと安く会社を切り売りしてくれたものである。シャイアー買収が報じられる前は6,000円を超えていたのだ。
過去に武田は自社株買いを行っている(2008年)。当時の自社株の買い戻し価格は平均して5,238円。当時の経営トップは長谷川閑史(ちなみにウェバーを後任に据えた張本人であり、今も相談役に居すわっている)。そのときは株価が十分安いと判断したがゆえの自社株買いだったはずである。それから10年以上経った今、ウェバー氏はこれよりもかなり安く(▲22%)売り払ってくれている。無謀な買収提案で会社の評価を引き下げて後の大規模な新株発行。既存株主の価値を大規模に流出させ、希薄化させ、でかい面をしている。見事なまでの企業価値の破壊者っぷりである。ウェバー氏にしてみれば武田の価値などその程度なのだ。株主のことなど屁とも思っていない。ウェバーに同調した他の取締役も同じ穴のむじなである。
・コア・アーニングスの成長率は…
2019/05/14 21:57
・コア・アーニングスの成長率は「力強く」「大きく伸張し」+38.7%だという。
・コア・アーニングスとはいったい何なのか。
→ 純利益から税金費用、持分法投資損益、金融損益、その他営業収益、その他営業費用、無形資産償却費、減損損失を控除して算出するという。償却費や支払利息はコアではないというのだ。
・では、それを負担するのは誰なのか。株主以外にいない。とんでもない借金を背負ってとんでもなく巨額の買収を行って、そのうえで利払いはノン・コアだという、その居直りっぷりは正常な人間のものとは思えない。しかしこういう経営者は少なくない。
・コア・アーニングスとは、ウェバー氏が手前勝手に計算した自画自賛するための利益概念である。都合の良い数字を持ち出して誇らしげにしているのが現在の武田の経営者である。よく恥ずかしげもなくこういうことができるものだと逆に感心する。
・さらに、コア・アーニングスには「その他、企業買収に係る会計処理の影響や買収関連費用など、本業に起因しない(ノン・コア)とマネジメントが判断した事象による影響を調整します」とある。そして、これをもってマネジメントによる業績評価に使用されているとある。事業部単位であればそういうやり方もあるだろう。ウェバー氏はじめ経営陣はどうか。これら「ノン・コア」を除外してわれわれの業績を評価するようなお手盛りとか、まさかしていないよなと不安になる。
・そんな手前勝手で都合の良い指標を持ち出されて、それを聞かされた株主が感心するとでも思っているのだろうか?読んでいてここまでばかばかしい気持ちにさせる決算短信は見たことがない。
No.904
2019/05/14 21:38
・'19年3月期の無形資産償却費はShire絡みが903億円。3か月分でこれだ。12ヵ月換算で3,612億円となる。これ以外も含めて無形資産償却費負担は年額4,390億円(毎年の償却費負担)。
・償却費は資金の流出を伴わない費用であるのはたしかにそうだ。しかしすでに支出されていて、これから費用処理されるというものだ。償却費は、過去に資金をたしかに流出させた、株主が負担する費用以外の何ものでもない。
・それを公然と無視し続ける経営者を雇い続けて、しかも年間12億円の報酬・賞与を支払って(前期の有価証券報告書によれば)いるのが武田の株主諸氏である。ウェバー氏が声高にいうコア・アーニングスとやらでは償却費が当然のように無視されている。
・翌期は統合費用1,540億円を見込む(何に使うつもりなのかよくわからないが)。
・短信の表現で「これらの一時的な費用及び非資金的な費用による影響を除きますと」翌期は営業利益+38.7%の増益見込みだそうだ。ちなみに無形資産償却費は一時的なものではない。
・表現がいちいち小賢しい。短信の文言のそこかしこから経営陣の不誠実さがぷんぷんにおってくる。悪臭を放つ決算書というものがあるとしたらこれである。
No.900
ゴーンがかわいく見えるレベル。
2019/05/14 21:21
ゴーンがかわいく見えるレベル。
No.899
2019/05/14 21:19
・注目ののれん残高は4.1兆円。自己資本(5.1兆円)を超えてはこなかったが、その分、無形資産に振り替わった。
・無形資産残高は4.8兆円。製品開発プロジェクトコストのPurchase Price Allocation(取得原価配分)によるものだろう。
・それでものれんは自己資本の80%を占めている。無形資産は自己資本に比して94%。のれんと無形資産を合わせれば純資産をはるかに超えて、自己資本の175%相当となった。こういう会社は異常というしかないのだが、最近増えている。
・IFRSはのれんの定期償却を禁止しているが、超過収益力が見込めないとなったら減損損失処理が求められる。
・一方、無形資産は定期償却がなされる。武田の無形資産は3~20年で償却されている(前期の有価証券報告書によれば)。この償却費負担が利益の重しになる。ウェバーは償却費は無視してよいという姿勢のようだが。ご立派なものである。
・Shireの業績が当初計画を下回るというのが最悪のシナリオで(杞憂に終わればいいのだけれど)、これらのれんと無形資産の減損が求められれば武田が債務超過に陥ることも
どうやらまだ減るらしい
リストラしているわけではなく(実質そんなようなものだけど)、派遣や契約社員という望まない立場に長期間留まっていることに納得いかず辞めていく人が後を絶たない
結果、給与待遇の良い正社員ばかり残る形になって、業務単価はどんどん上がっていく、業績はどんどん悪くなる
そういう螺旋につっこみつつある
幹部たちは皆叩き上げで(それ自体悪いことではないと思う、ただ悪いところばかり目立っている)管理のノウハウも豊富とは言えず、どうもその下にいるとおままごとをしている気分になる
順風満帆な仕事よりは刺激があって良いのかもしれないけど、業績を上げるつもりなら成果の出せない正社員こそどんどん切っていかなきゃいけないのではないか
がむしゃらにやってるだけだといつか急に詰みそうな感じがして、立ち振舞いを考えるついでにここに書き込んでみる
ブコメトラバ全部見てます、ありがとうございます
機を見てお返事します
なお、特定を避けるため「もっと詳しく話せ」系の質問にはあまり答えられません
うっかり開示をご期待いただければ幸いです、申し訳ありません
そうかもしれません
たとえばシックスシグマとかPDCAとか標準原価とか、上っ面だけになりやすい言葉を具体的に実務に落とし込んでしかも一定の成果を上げることのできる人材がそれほど多いとは自分には思えません
うちの人なんか売上と利益の違いすら分かっているか怪しいけど(上述が管理職の条件というわけではないです、念のため)、よほど自分が優秀でない限りどこに行っても一緒なのかなあと
「私がなんとかしてやろう」みたいなの皆ちょびっとくらいねえの?
ちょびっとあります
自分一人にできることには限界があるとは思いつつ、社内で自分のフォロワーを増やしていつかてこの原理でぐわっと動かせないかなあと夢見たりもします
「がむしゃら」という言葉はそういう意味で使いました、分かりにくいですね
成績悪いだけで正社員切るのはとても難しい
確かに、減給さえ簡単にはいかない世の中ですから、切るというのは言い過ぎだったかもしれません
彼らとうまく付き合うにはどうすればいいのでしょう
コンサルもあまりに召喚主が酷いと見限るケースがあるみたいですね
それくらいありふれた事例ということですね
自民党政権下においては弱者排他主義が推し進められ性差に関する公平な国家としては国際的には後進国レベルの水準に陥っている。それにも関わらず、安倍政権は大企業経営者から成る経団連や就職活動に強い興味を示す若者年代からの強い支持を中心に、依然として最大支持政党として盤石な体制を築きつつある。社会的弱者への排他主義(国際男女平等ランキグン114位)・経団連の駒となる労働者からの権利剥奪(働き方改革)・基礎科学の根幹からの弱体化(ネイチャー誌による2017年の批判・及び国立大学縮小改革)などこの政権下において進められた改革という名の行政行動に従って、この国は福祉・人権・科学に於いて再起不能とも言えるダメージを負った。この世で真に正しいはずの自由と平等・権利といった概念は、多数決という名の暴力に取ってすげ替えられた偽りの民主主義によって地に落ちたのである。これらが示すことは、この国家は安定した負のスパイラルの潮流の上に乗り、2度と戻ることのできない底無し沼で沈み続けるということである。未来はすでに失われた。
一方で、洗脳教育においては一定の成果を挙げ、教育水準が格段に低下しているにも関わらず(https://www.asahi.com/articles/ASKC36GYCKC3UTIL01K.html)、軽犯罪を中心とする犯罪率は格段に減少した(https://www.nippon.com/ja/features/h00068/)。人々は自分を取り巻く世相への理解に鈍くなる一方、穏やかになり荒げた行動を示さなくなった。オウム心理教によるサリン事件実行犯への一斉死刑執行などにも妥当であると理解を示した(http://news.livedoor.com/article/detail/15080532/)。オウム心理教への破防法適用以降、組織的な強硬的無差別殺人は起こっていない。
一見して、世の中穏やかな人々が増え平和になりつつあるように見えるが、冒頭で示した通り国家の未来の礎を築くための萌芽は摘み取られつつある。ここにある仮説を立てたい。即ち人々は自分の意識の外で、いつの間にか国家にその精神を支配されてしまったのである。社会的弱者への排他・排除への批判に理解を示し、後退しつつあるはずの国際的な評価を無視して、極めてニッチでかつバブル期までに成長を築き上げた分野における国際的存在感(https://seattley.hatenablog.com/entry/2017/11/04/141432)への強制的共感(いわゆるホルホル)による自己陶酔。大中小企業で強制残業が深い問題になっているも関わらず、労働者の芽を摘む施策への支持。この国家の国民は爽やかな笑顔で自分自身の首を締め付け自死に追いやっているのである。
恐怖の無い平穏な雰囲気を形成した上での国民の支配。まさに映画「マトリックス」の世界。かつて世界で猛威を奮った共産主義国家が、未来の先に思い描いたユートピアのその先、ディストピアが今の日本でないだろうか(https://ja.wikipedia.org/wiki/ディストピア)。いや、支配的状況を平和と自由と錯覚している人々が大多数のこの国はディストピアさえ凌駕した修正ディストピアと言っても過言は無いかもしれない。この先起こりうる具体的なディストピア事象としては、東京五輪への強制(ボランティア)参加であろう。すでに粛清の対象も挙げられている(https://togetter.com/li/1212415)。もうすでに始まってしまって、予言もへったくれもないが...さらにその先、この国には何の救済も無い絶望を突き進むのは間違いない。
北朝鮮とアメリカの武力衝突、中国との東南シナ海での覇権争いなど破滅的武力行為による日本の国家崩壊を期待して自民党に投票された方もいらっしゃるかもしれないがそれらすら期待できなくなりつつある。安定的負のスパイラルに乗りディストピアを突き進む日本。一体全体、いつディストピアに陥ったのだろうか...僕のようなド素人ではなく有識者に論を讓りたい。
ペースは週2回、1回1〜2時間くらい。
PowerPointはよく分からないのであんまり教えてない、てかアニメーションとか要る?
換算一問一答とか、今使われてるのはSI単位が多いけど例外もあるよ、とか、トレーサビリティってのがあって世界中の計測器は〜、とか。
緯度と経度とか、大陸の名前とか、国当てクイズとか、大航海時代とか、メルカトル図法とか。
現状Hello Worldだけ。
ファイルシステムの使い方とか、巷でよくあるメモリを机上にたとえたり補助記憶を本棚にたとえるやつとか、Windowsのタスクマネージャーの起動方法と見方とトラブル対処法とか。
射出成形とかプレス機とかNC旋盤とかファクトリーオートメーションとか。
成果物として、毎日つけているOneDrive上のExcel家計簿がある。
普段はスマホで日付と金額と勘定科目?を入力してもらって、別シートにsumifs関数で期間と勘定科目の一致した金額を集計する。
大したものじゃないけど、自分で作ったから仕組みを全部理解しているというのが大きい。地方ならこれを提出するだけでも仕事もらえるんじゃないか。言い過ぎか。
この勉強が早速功を奏したかは分からないけど、今月の頭に某中堅製造業の契約社員になれることが決まった。
優秀なら学歴関係なく正社員になれるとのことで、本人のやる気があれば今の勉強を続けていこうと思っている。
たぶんしばらくは反復練習に充てることになるかな。
俺も勉強しなきゃ…
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20180420-00084246/
ロビイング活動で金盾の要請したのは明らかに愚行であり、間違っていると考えている。この一点において、完全に出版社に非があり、それを弁解する気はない。
これは個人的な恨みつらみを書いた駄文であり、すべては想像上の話である。
数年前まで日本では、雑誌こそが電子化の切り札であると考えていた。この理由として、①海外における電子雑誌の隆盛、②情報の更新速度とネットの親和性、③読者情報解析と広告マーケティングの親和性、④動画・音声メディアとの親和性があり、どれも理に適うものである。しかし、日本で電子雑誌は普及しなかった。この原因は、ネットの情報価値と、雑誌の情報価値の差が、課金の心理障壁を超えるほどでは無かったためと考えている。
しかしコミックは、読者が電子データに対して課金してでも読みたい、と思えるだけの価値があったらしい。
日本の出版業界内で書籍の電子化を推進したい人間にとって、コミックこそがその突破口であった。電子化への投資にあたり、上層部を説得するのに十分な売上げが全てを雄弁に語ってくれる。しかし、その電子化における救世主であるコミックにケチがついた。
電子化することで紙以上に売れてしまうコミックの弱点は、違法な無料配布に対する脆弱性である。雑誌の場合、半分以上が広告収入であり、情報の新陳代謝が早いため、違法な配布に対する耐久性がある。しかし、コミックは一度でも無料データが出回ってしまうとその売上の回収は事実上不可能となる。コミックの違法な無料配布は一般人が手を出せるレベルまで規模が拡大し、単純な売り上げ被害だけでなく、消費者に漫画はタダという価値観を植え付け、進みかけた日本の書籍電子化を停滞させるに至った。
出版社の違法な無料配布との闘いは10年以上前から続いている。漫画村ほど大規模にならないうちは、件の集英社が例に挙げたような草の根作戦は一定の成果を上げていた。
違法な無料配布の被害総額を見積もることは非常に難しい。そもそもネット上からどれだけダウンロードされているか計測することは不可能である。漫画村だけでも3週間で2億PVをこえたらしいが、これをハッキングを使わずに合法的に証明する方法は存在せず、警察に対して具体的な被害総額を提示することは(少なくとも素人である出版社には)不可能である。やまもといちろう氏ほどの凄腕ネットウォッチャー()であれば、たやすいのかもしれないが。
そんな状況で、漠然と被害を訴えても、刑事事件として立件させることは難しい。
と、やまもといちろう氏はおっしゃられている。
どうやら、インターネット業界的には、刑事事件として立件させるだけの合法的な証拠を提示できるらしい。星野ロミが漫画村の黒幕である事を証明し、引っ張り出す事ができるらしい。
自分の明日の飯がかかっている本職として、必死で情報を探し、ある程度闇の部分まで足を踏み入れても、残念ながらこれ以上の情報は得られなかった。人脈に限界があるからだ。我々出版社のネット素人集団では、残念ながら、警察を動かせるだけの状況証拠をそろえることはできない。
だが、やまもといちろう氏にそれが可能であるのならば、本来被害者である出版社に対して牙をむく前に、やる事があるのではないか?
冒頭に述べたように、ロビイング活動で金盾の要請した愚行については、追及されるべきであると考えている。
ただ、引用文章から察するに、やまもといちろう氏には、当然、警察を動かせるだけの状況証拠をそろえられる能力があると判断して問題はないだろう(その能力が無いにもかかわらず「仕事をしているうちに入りません。」と言うのであれば、これは自分は仕事をしていません、と言っているのと同義だ。)
やまもといちろう氏は、漫画村の犯人を引きずり出せるだけの能力がありながら、なぜ、漫画村ではなく、出版社をたたくのか?
これは現在、出版社がネットから向けられている理不尽さ全てに対する恨み節である。
やまもといちろう氏は、上記質問に対して納得のいく説明をお願いしたい。
ごめん、これは私の主観だけども。
昔は「男性が社会を回してるから、不平等なのは男が悪いんだ」みたいな雑なまとめ方で男性が叩かれてたんだよ。
あとあと女性が賃金労働に参加していく中で「多様性を尊重すべし」って事になった。
「女性に向いた仕事」「適性」みたいな話ではなくて、多様な人材で構成されるべき、と。それは良い。
一方で男性側も「そう言えば男性にもいろいろいるよな。。。」と認識する事になった。
弱者男性とか、貧困や自殺の話だ(男性は救済されにくい傾向がある)さまざまな男性が可視化された。
一方で、昔からある「男社会がー」といった攻撃に慣れちゃった人はいるんだと思う。かつてフェミニストはその攻撃方法で一定の成果は出してる訳でさ。その辺の人が自浄作用とか、男が責任とれ、みたいな事をいってるように思う。
ニコニコ動画は、インフラ等の基礎の面で、体力的(財務的)に、
技術的に競合サービスに競り負けつつある、という言説には一定の確からしさがあるように思う。
その姿は、PlayStation 2やXboxの狭間で沈みつつあったゲームキューブの頃の任天堂に重なる。
映像美やマシンスペックを追いかけるハードウェアの開発競争は体力勝負的な面がある。
当時の任天堂は財務体質的には立派でも、ソニーやマイクロソフトのような国際的な大企業と
競い合うほどの技術を自社で抱えるための投資は難しかったと思われる。
任天堂はある時、具体的には、ゲームキューブの中期以降からそのレースをイチ抜けたと降りてしまった。
当時誰かがインターネットで書いていたが、マラソンレースの横でいきなり、卓球を始めてしまった。
その象徴が、ゲームボーイアドバンスで出た『メイドインワリオ』のような作品であったり、
任天堂は技術力、もしくはその背景にある資金力で戦うことをやめ
自分たちの強み(ローテク・低画質だけど面白いゲームやハードウェアとソフトウェアの一体感だとか)で勝負をしだした。
その戦い方は常識はずれの破れかぶれな戦いのようにも見えたが、その後10年以上、浮沈を繰り返しながらも一定の成果を出してきた。
ただ、声が聞こえていたとしても、ユーザーの希望に答えて画質・インフラを上げていく先に、未来はあまり拓けなさそうだ、と私は思う。
「マラソンには周回遅れでついていくくらいでちょうどいい、ローテクでも、自分たちの強みを伸ばせる技術を深めることが先だ」
それはつまり、マラソンレースの横の卓球台を選択することであり、かつて任天堂が活路を見出した場所だ。
ユーザーは自分たちの欲しいものは知らない、というのはちょっと引用するのもはばかられるくらいに知られた言葉だけれど、
やっぱり、ユーザー自身が知らない需要に光を当てることにサービス開発の面白さがあり、
今回は、果たして発表されたものが「強みを伸ばすサービス」であるのかどうかは私にはわからないし、
また、発表会での伝え方や今までのユーザーコミュニケーションにも問題はあったのだろう。
ただ、今のニコニコの方針は、その環境を踏まえるとそれほど悪手ではないと感じるし、
それ以外に未来につながる手もないように感じる。
特攻させられる搭乗員にとっても、沖縄で地上戦に巻き込まれた民間人にとっても、フィリピンでとんでもないクソみたいな戦闘をやらせれて共食いまでさせられた兵士にとってもたまった話ではないだろうが、これらは全部上手くいった。
戦争終盤のあらゆる戦闘が本土決戦の可能な限りの遅延を意図していた。そして、上記のような被害の結果、米軍による日本本土上陸作戦を断念させることに成功している。
そして、この結果広島と長崎への原爆投下という最悪の事態を招くことになった。
だがともかく特攻にせよ沖縄戦にせよフィリピン決戦にせよ一定の成果を挙げているのは事実だ。無駄ではなかった。
だが結局のところ、何が無駄かといえば対米開戦そのものが大いなる無駄なのだった。 1941 年において、既に日本は満州事変以来 10 年間中国との戦争を継続していたのであるが、 10 年かけて中国を全く屈服させることができなかった。ようするに日本軍の実力というのはその程度だったという話で、その程度の実力で対米戦をやったこと自体が大いなる無駄だった。
これはつまり、物事をどういう粒度で捉えるかの問題だ。「対米戦なんてどうやったって勝てる訳がないんだからどんな努力も全ては結局は無駄だ」、という姿勢と「それはそうとしてその場において目の前の問題を解決したという点は評価しよう」という姿勢は両立するはずだ(さらに、特攻、沖縄戦、フィリピン戦の残虐さについて批判するを姿勢を並び立たせることもできるだろう)。
自分のブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。
けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである。
この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。
アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。
こんな薄い言葉で表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。
本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。
「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ。
その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。
***
「けもフレ」人気のインフレーションの理由は、基本的にネット空間における「極性化現象」であるといえる。
アニオタ・コミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。
その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。
このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである。
ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である。
ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。
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基本的にアニオタというのは、他者を媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である。
どんなアニメが面白いのか、どんなアニメを自分が好きなのか、そのアニメが自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。
人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である。
アニオタは、基本的に自分が欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである。
なのでアニオタにとって重要なのは、作品そのものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメ・コミュニティ」という場そのものである。
この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。
このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要なポイントである。
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アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。
そこで上位を占めているものは、メディアがSNSを通じてステマ的に人気を煽り、ブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。
アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。
メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。
その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。
「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。
「神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチ・ステマ運動のアイコンに相応しい空虚な作品であった。
アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明な舞踏を開始した。
これは江戸時代に流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである。
アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法で相手にオウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである。
この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。
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アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。
しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情が病理的に発露してしまったかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。
戸塚ヨットスクールはなかなか面白い題材だと思う。この場合、とにかく体罰、暴力絶対ダメ! という議論になりがちだが、それは戸塚の半面しか見ていない議論だからである。
なぜ半面かといえば、ようするに戸塚は鞭と飴の使い方がある意味上手く、かつて軍隊が一定の成果を挙げた手法を踏襲しているからだ。
この飴部分についても論じなければ、泣いて感謝する卒業生がいることの説明にならない。
アメ部分とはつまり、身体的危機を救ってやったり、クズでも見捨てず面倒みてやったり、能力や人格を認めてやったりなどで、
これにより「恩義」や「構ってもらえた嬉しさ」から反抗心が薄れ、「お前のために厳しくしているんだ」という言葉を受け入れやすくなるのである。
人は飴なしには変わらず、それまで飢えていればいるほど飴は甘くなるのだ。そして一度でも飴を受け取れば、これに返礼する義務を感じ始める。
これは互酬性に基づく「規範や礼儀の成立の瞬間」に、より原始的でダイレクトに触れているとも言える。
軍隊でよくあるパターンとしては、生意気な新兵を憎まれ役の先輩がしごき新兵の鼻っ柱を折る→新兵の心が折れかけると、いつも厳しい教官が助けてくれつつ、厳しさの必要性や目的の大事さを訴える→
成果を出すなどすると、新兵たちの価値を大げさなほど認めてやる、といったような手法だ。
最初のしごきや人格否定がきついほど、この「認められた感、仲間や目的に貢献してる感」は強烈に働く。特に認められた経験のない者にとっては効く。
はっきり言って洗脳とほぼ同じ手法であるが、それだけこの肉体的危機+落としてから持ち上げる方法は強烈な人格改造に役立つ。
実はこれ、女が暴力夫に依存しちゃうパターンと同じ。「お前のために厳しくしている」と「本気で愛しているから手が出る」は同じやり方。
つまずく度に立ち上がっては,なんとか取り繕ってきたのですが,それももう難しそうです.
集団行動に慣れず,クラスに馴染めず,六年間いじめられていました.
そこで,地元の中学には行くまいと,多感な時期のあらゆる全ての時間を「お勉強」に費やし,中学受験をし,そこそこの学校に受かることができました.
無論,そんな私が中学に入れば変われるはずもなく,それどころか中高と,より陰湿ないじめにあいました.
そこでも私は「お勉強」という道で,つまずいたところから立ち上がり,青春の全ての時間を費やし,そこそこ良い大学に入りました.
今思えば,人より時間があった分,少しだけ「お勉強」ができてしまったというのも,私の人生をこじらせている一因だと思います.
大学での勉強はそれなりに楽しかったし,生活環境も不自由がありませんでした.
しかし,ここでもやはりつまずいた理由は,人間関係やコミュニケーションにありました.
ここで人間不信になるような出来事に幾度か見舞われ,以降より一層,まともにコミュニケーションが取れなくなりました.
鬱になってから1年ほど,家に引きこもっていましたが,ここでもまた立ち上がって,自力で鬱状態から回復しました.
(改善が見られたのは,精神科に処方された薬をやめてからのことでした.)
大学院に入ってからは,やはりそれなりに楽しく過ごし,一定の成果を残すこともできました.
しかし,今度は「就活」という高い壁が待ち受けていました.ここでももちろん全社全滅するわけですが...
「適切にコミュニケーションができない.」
特にこの一点で,私は世の中から必要とされず,消えたほうが良い人間です.
私のせいで,不快な思いをした人達も,言外にそう言っていました.
しかし,不快な思いをした人達,そうでない人達のなかにも,家族など,私に今のままでいて良いんだよと言ってくれる人がいます.
そのことが余計に辛くもあります.
「お前はアスペルガーだから」と親に笑って言われた時,表面上では冗談っぽく笑って返していたけれど,本当はすごくショックでした.
しかし,普通の人が普通にこなしていることが,こうも上手く行かないと,親に言われたことはある種事実だろうと思わざるを得ません.
普通の人と自分の感覚がずれているせいで,普通の人の地雷を全力で踏み抜き,逆に普通の人は私の地雷をやすやすと踏んで,何故そんなことで落ち込むのか,訳がわからないといった顔をして,,
今度はどうやって立ち上がるか..
新卒二年目とかで退職エントリをドヤ顔で書いて、そのほとんどが「チャレンジしたい、20代だからリスクとってナンボ」とか言ってるじゃん。
あれ見るとさ、会社っつーか組織でロクに成果だしてない奴の逃げ道にしか思えないんだよね。
フリーになります!お仕事のお問い合わせはこちらまで!とか言ってもさ、そもそもそんな奴ゴマンといるし、ライティングの実績もなし。
コネもなし。営業力もたかがしれてるっつーか、ブログでクチあけて待ってるだけ。
なによりも、会社員時代の実績もロクに示せないから、万が一、発注しようにも企業からすれば稟議すら通らないわけ。
もしくは高知に行くとか。10万くらいくれるんでしょ、あそこ。
どーしようも無くなって、「やばい、もういっかい就職しなきゃ」ってなっても
自称フリーのブロガーなんてゴミよ。ニートより上だけどフリーター以下だね。
リスクテイクしてチャレンジ、ってのは、一定の成果や結果を出したヤツじゃないと
妄言なんだよ、実際。
新学期になったということで....略
悪いことは言わない。
塾講師なんてやめておけ。
コンビニ定員もだめ。
学生なんて学歴しか見るとこないから、その高学歴を活用して社交場でろ。
以下、蛇足。
個別指導講師3年。塾講師3ヶ月。の経験をもとに個別指導講師のアルバイトについて書きたい。
【放任主義】授業なんてするな
【人間だもの】
最後に
まず、生徒の人数が全然ちがう。
生徒が一人や二人は、その生徒が分からないことを教えてあげればいいので、
授業の質で勝負するしかなく、プロフェッショナルとしての能力が必要である。
入試ってのは、根本的な理解と、受験独自のテクニックを身につける必要がある。
学校の成績なんてのは、目先の点数アップが目的で、勉強すれば誰でも達成できる。
・塾:独力で勉強できる
個別指導の生徒ってのは、勉強の仕方が分からないって子が多い。
このバイトで仕事できないやつの1パターンは、ひたすら参考書とく奴。
強制的に勉強させらている人と、自主的に勉強してくる人では、成長が全く違う。
教える技術を持たないただの大学生が、他人の成績上げるには、自分を好きになってもらうことが最も簡単で効果的。
授業時間は、如何に生徒に好きになってもらうかが大事で、講義なんてのは話のネタや間を埋めるための材料みたいなもんだぞ。
所定の基準があって、それを満たせていないなら問題。それは己の能力が低いのか会社のシスムテに不備があるのか、まぁ本筋と逸れるから割愛。
1ヶ月休めるか否かなんて、個別指導講師がどうのこうのじゃなくて、その会社のアルバイトの運用に寄りけりだから。
バイトは法的に損害賠償責任負わないだけで、お金を貰って仕事を任せてもらっていることには変わりないから。
生徒に愛の告白される。
定期的に至近距離で年上の大学生とコミュニケーションとってりゃ、勘違いも生まれる。