はてなキーワード: 一定の成果とは
過去に官公庁で後援名義だしたり、公的機関として地方のプロモーションに携わってた立場でちょっと所感を述べたい。
温泉むすめは現在観光庁からだけ後援名義をもらっていて、民間の後援企業はすでに撤退している。
この観光庁の後援というのは、正直申請書さえ出してしまえば大体通るし、書式が決まっているので細かいキャラクターの設定などは申請時には説明しない。企画自体が社会通念上よくないだとか、思想が偏っているだとか、その催しで参加者から法外な金額を徴収しているだとか、そういうことがなければだいたい後援名義を出してしまう。なので、温泉むすめに観光庁が後援名義を出しているのは、観光庁が温泉むすめを積極的にどうこうしたいだとか、公的に相応しいと思っているとかそういうものでもない。後援する側からすれば、サポートには大した意味は持たないのだ。
この官公庁の後援がいまだに取れないのは、これが官公庁の後援プロジェクトの「Your Japan2020」のコンテンツとして登録されている経過を受けてだろう。現在の価値観をもって「過去の登録は今の時流に合わないので訂正します」というのは官公庁的にはなかなか難しい。あるいは、温泉むすめは2020年に後援を受けたものだが、役所は単年度ごとで整理をつけるので、過去の時点では炎上しなかったので遡って名義を外すほどではないと考えている可能性もある。
ただし、先述したとおり、申請時にはキャラクターの詳細設定などは見ていないので、現在の炎上を経て内容を確認したところ「そもそも後援する要件を満たしていない」ということになれば、遡って後援名義を外したり、プロジェクトの認定を外したりはあり得ると思う。そしてこの場合の判断基準は、「企画が社会通念上よくない」かどうかになると思う。
キャラクター設定を見た所感だが、スカートめくりや夜這いについては個人的には好ましくないが、それだけでは後援は外れないかな、と思っている。ただ、「高等学校に通う少女が飲酒をして、それがポジティブな意味を持っている」というところは社会通念上よくないので、この部分が引っかかるかな、と感じた。彼女たちは神様で年齢の概念が人間とは違うため高校生でも未成年ではないし、そもそも高校はいつ入ってもいいので成人してから高校生になった人が飲酒するのもままあると思う。ただ、イラストの温泉むすめたちは皆制服姿の少女の姿をしていて、「大人びた雰囲気」「子供のように見える」などの形容詞がついていたので、何も知らない人が見ると一般的な16〜18歳の高校生と混同する可能性が高い。もしも過去に遡るなら、そこが争点になるのではないか。
公的なプロモーションはどうしても不特定多数が見るためにプロモーション対象のセグメントを絞りきれない。例えば「このアニメとのコラボは若い男性向けの企画で、この界隈の文脈ではこの絵や設定はおかしくないです」と整理しても、「でも子供を持つ母親が嫌がったら?」「お年寄りが不快に思ったら?」という明後日の方向からの一言があれば、大事をとって引っ込めたりしてしまう(千葉のVtuberの件が最たる例かと思う)。
個人的には、官公庁のプロモーションとアニメ、萌え系は相性がいいと思っている。ゆるキャラを作っても当たらないが、アニメ系なら一定の顧客がつく。プロモーションは見てもらう、知ってもらう、遊びに来てもらうが目的なので、訴求力が強いに越したことはない。ただ、それと同時に、官公庁はその性質上、上記のような明後日の方向からのツッコミにも耐えられないので、コラボする時には気をつけることがかなり多くなる。アニメなどが官公庁とコラボする時に露出が減るだとか、武器(銃剣など)を持たなくなるのはそのいい例だ。
長々と話したが何が言いたいかというと、官公庁で後援名義を出していた側からすると、温泉むすめは公的な存在になるにはちょっと危なっかしいと感じた、ということだ。プロモーションとしては一定の成果も出してそうなので、官公庁の後援はとらず、民間のプロジェクトだったらよかったなあと思う。今後温泉むすめから観光庁の後援名義が外れたり、都市の公認が外れたとしてもしても、それは別に炎上したからではないし、いわんやフェミニストがどうこうということではない。ただ、公的なものとして存在するにはツッコミが入りそうだから大事をとって下げました、というだけ。こうした不幸な事故が起きないよう、こういう企画をする方におかれては、官公庁コラボの場合は多方向からのツッコミが入らないかどうか検討を重ねてほしい。これはお願いベースですが。
野党共闘が成功だった、失敗だった、見直すべきだ、継続すべきだと意見が出ているけれど
主に立憲民主党や共産党の政治家、支持者からは「成功だった」「一定の成果はあった」「今度も継続」といった言葉が聞こえてくる。
だが、事実として立憲民主党は比例で23議席を失っていて、自民党は比例で6議席を伸ばしている。
一方で小選挙区では、立憲民主党は9議席伸ばし、自民党は21議席失った。
前提としては比例で23議席失うほどの人気の無さがあり、その状態から共闘によって9議席も稼げた、だから成功だ。
というのなら、その主張は分かる。
だが、立憲民主党は政権選択選挙と位置付けていたし、選挙後にも議席を失うとは夢にも思わなかった、と言ってる位だ。
比例代表は党自体の人気を測るには絶好のパラメータにはなる。コロナ禍に政権担当しつつ6議席分人気を更に伸ばした自民党に比べて、
比例で23議席も失っているほどの人気の無さが前提にあるとは微塵も考えてなかったのは明らかだし、すると成功という主張は矛盾する。
小選挙区では9議席伸びたが、比例では23議席を失ったのだから、失敗だという事になる。
直前まで政権交代を夢に見るほど、本当にワクワクして期待して待ってもらえる状況、とまで言っているほどの手ごたえを感じていた立憲民主党だが
その勢いが野党共闘によって失われてしまった、と考えれば、野党共闘は失敗になる。
事実として自民党は小選挙区では負けまくるほどには支持を失っている状態で闘っていたわけだから、その不支持票を取り込めてれば大勝したのは間違いないのだが
そうならなかった理由は、立憲民主党はそれ以上に支持されなかったからと考えるのは自然だろう。
と問われれば、俺はしないと思うと答えるね。
現実的な話として、自公連立で自民党が常に創価学会の組織力にアシストされているのに、野党が連立しなければ勝てないという志位の言葉はもっともなことだ。
立憲以外の反自民系野党の中で創価学会に匹敵する動員力を持つのは共産党だけなのだから、共産党との連携は避けられないという考え方は説得力がある。
その成果を確かめられたのだから成功だという、だが、それは毒饅頭だろう。
相手の出方次第で武力革命するといい、天皇制廃止、自衛隊解散を主張し、日米同盟を破棄しようとしている(連携の為に一時的に棚上げとは言ってるが)共産党への忌避感は
共産党側に寄った事によるネガティブ効果は小さくなかったと思うが、モリカケ桜追求メンバーの相次ぐ落選、枝野の大苦戦、23もの議席を失った事を見ても分かる様に、普段の立憲への評価も低かったのだろう。
有権者は立憲民主党と書くことを嫌ったという事実だけは残った。その理由は、共闘だけにあるとは思わないが、その理由に含まれないとも全く言えない。トータルで立憲民主党は信頼されないと言う事。
その上に、今やめたところで立憲は共産党と変わらないと考えてしまった層が、再び戻って来るまでには相当な時間がかかるだろうし、その間は共産党の票もないまま負け続けることになる。
やめなければ共産党との連携では負け続けると考える若手議員との溝が深まり、四分五裂することになるだろうし、時がたつほどに共産党を受け入れない人が離れて支持を失っていくだろう。
袋小路に陥った感はあるが、袋小路からの脱出の意味でも、連携継続を正解と考える古参議員と、連携失敗と考える若手議員との争いになる代表選の結果は、今後の党勢を占う意味でも重要になる。
個人的には継続して貰った方がいい。野党共倒素晴らしいじゃないですか、野党共倒は大成功だったと思いますよ。
嫌悪する人が離れて思想的に純粋化するまでシュリンクしていくのも良いでしょう。それでこそ、確かな野党、なのではないでしょうかね。
全体的にJRの言い分を批判してるのは分かるけど、いきなり茶農家の言い分はデタラメとかあって意味わからんのだが、普通に茶農家は大井川の水を利用してるぞ
因みに名産品のお茶の品質にも影響が~って話もあるがそれは尻馬の出鱈目です。お茶は丘陵地帯で水が引けず耕作ができない処で発展したのが特徴ですので。
茶産地支える水利事業 一滴の重み、等しく共有【大井川とリニア 序章 命の水譲れない㊤】|あなたの静岡新聞
https://www.at-s.com/news/article/special/linear/805099.html
大井川の水は232カ所に上る水利用の貯留池「ファームポンド」や茶畑に配備された給水栓を通じ病害虫防除、凍霜害予防、かん水など茶栽培に不可欠な作業を支える。
【さらに詳しく】もう一つの用水―国営牧之原農業水利事業:関東農政局
https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/oigawa/keii/02_1.html
水の不足は茶葉の生育を悪化させ、収穫を減少させるばかりか、翌年から翌々年まで品質に影響します。また、茶栽培では年に10回を超える病虫害の防除が行われますが、これにも多くの水が必要となります。さらには、施肥(しひ)のための水、霜害・塩害防止に使う水など、栽培技術が進歩すればするほど、茶栽培における水の重要性は高まっていきました。しかし、台地の上には水源となる川がありません。「牧之原に水を」を合言葉に、茶農家の気持ちは、眼下でとうとうと流れる大井川の水へと向いていきます。
40年前に始まった「水返せ運動」は大井川の流量低下による環境悪影響によって茶の品質低下が起きて茶農家が怒りに怒ったから県知事も一緒になって動いて一定の成果となった(あくまで「一定の」で水量が元に戻ったわけじゃない。そんな中でリニアで水量が減るかもとJR東海が言ってきたから余計に怒っている)
昔の大井川は発電用や工業用ダムが取水が際限なく行われ70年代には水涸れが起き「河原砂漠」と呼ばれ川底の砂が舞って健康被害起きたり気温上昇したりした。茶に関しては川霧の消滅によって品質低下が起きる悪影響があった。だから全国に波及するほどの大きな水返せ運動が起きた。
そのことがあり今回も大井川流域市町がJR東海のリニア工事を大きく問題視している(「市町」が問題視してるんだぞ。バカみたいに「県知事は中国の手先だから~」みたいな陰謀デマをほんこんとかが広めてるけど県はあくまで市町の意見をまとめ述べてる立場な)
TwitterとかでJR東海に批判的な投稿を見てても丹那トンネルの水涸れの話ばかり例示されて大井川の水返せ運動の歴史的経緯についてほとんど触れられてないのが残念
知的に深刻なハンディキャップを抱えているわけじゃなさそうなのに、
義務教育レベルの物理・生物・化学・歴史の知識が無かったりする創作界隈よ・・・
もちろん、それらの知識がなくても生活していけるし、必要になったら検索や再学習できるので問題は無いが、
なぜか、調べる・再学習を一切しないんだよな
絵や文字表現に関しては調査や勉強、真摯な観察があり、美術解剖にも取り組んでいることもあるのに、
生物や物理には興味無しで、平然とドン引きなこと書く。『大丈夫?義務教育受けた?』みたいな
(わかりやすさを追求するあまり、正確性を完全放棄した科学読み物風の記事を載せてる日本のメディアや、
古い科学的な誤解に基づく都市伝説が修正されていないのも、極端な無知を生み出す原因のひとつになってそう)
美術解剖に取り組んでいるのに、まさかの生物にも物理にも興味無しなんだから、化学や歴史に対して期待することは難しい
まぁ歴史については、時代ごとの装飾 "だけ" 熱心に取り組むケースもあるが、そこが限界であることが多い
やはり『大丈夫?義務教育受けた?』と思わせるようなトンデモを平然と書く
興味の範囲が極端に狭いことが、絵や文章で一定の成果を出せる一因にはなっているとは思う
しかし、流石に『大丈夫?義務教育受けた?』レベルの極端な無知さについては、自覚が欲しい
あと、時折、極端な無知を全開にしている現役の大学生(美大生ではない)の存在に対して震えることがある
デッサンがどうのこうの、レトリックがどうのこうの、それ以前の問題やぞ?
理想は広範な知識や視野を持つことがだが、それをすべての人に期待するのは無茶な要求だと思う
近しい間柄でも知らなくていい、聞きたくもない身の上話ってのはある。
俺も語りたがりな性分ではあるが、それでも明け透けってわけではない。
だが世の中の人間は星の数ほどいる。
そして数多の星は無理やり並ばされ、こじつけられて星座になっていく。
……今の喩えは我ながら意味不明すぎたな、忘れてくれ。
まー、つまりだな、そういう事柄を抵抗なく話せる奴もいるだろうなってことを言いたいわけだ。
なんなら嬉々として語る輩もいるだろうな。
しかし、それが両親ともなると、身内としては居心地が悪いったらありゃしない。
特に馴れ初め混じりの昔話なんて最悪だ。
「その馴れ初めの結果として、お前たち子供が生まれたんだ」って、そう遠まわしに言われているようなものだからな。
そりゃあ、俺の思考回路が繊細すぎるのもあるが、やっぱり親のイチャコラなんて聞きたくない。
ほら、言うだろ、夫婦の組んず解れつなんて犬も食わないって。
いや、もしかしたら犬は食うのかもしれないな。
じゃあ、今回は個人的な羞恥心を捨てて、飢えた畜生向けに両親の昔話をしようじゃないか。
話は20年ほど前まで遡る。
そして両親たちも誰かと結ばれ、子供を授かる可能性なんて想像していなかった。
そういった願望が自身にあるかどうかすら真剣に考えたことはなかったという。
それは、この当時の“忙しなさ”も理由としてあった。
なにせ、今でも社会の授業とかで長々と学ばされるほど激動の時代だ。
他に気にしなければならないことが多すぎて、大半の人にとって子供だの結婚だのは二の次ですらなかったのである。
特に著しかったのが技術革新であり、それに伴う社会の意識改革(アップデート)だった。
俺の視点から現代を顧みるに、その結果は間違いなく一定の成果をあげているように見える。
しかし変化とは必ずしも進化を意味せず、その経路は綺麗に整備されてもいない。
新しいパソコンのOSが使いにくく感じたり、サイトのデザインが変わって見づらくなったりするのと同じだ。
今まで確かだと思われていた価値観が根元から崩れ落ち、改悪を嘆く者も多くいた。
もちろん、必要性を理解している人も多くいたが、新しく不確かな価値観は慣れるまで時間がかかる。
なのに日夜、行われるメンテナンス。
人々はその激流に身を任せるか、必死にもがくことしかできない。
そうして蓄積される不安、不堪、不可、不穏、不軌、不平、不満……
それらは渦となり、新たな渦を呼び、より大きな渦を巻く悪循環を生む。
ある時、いよいよ、その“渦”が明確に形となり、若かりし母と父は巻き込まれることになる。
2年ほどオンライン英会話やTOEIC勉強を地味に続けてきた、そのかいあって結構話せるようになったし英文記事もそこそこ読めるようになったと自信がついていた。
12月に返ってきたTOEICの結果は800を超えてた。ネットにはそれくらい高得点ホルダーはゴロゴロいるように見えるが、この成績は統計上は上位20パーセント内に収まる。自分でも一定の成果が出たし、そろそろ勉強を落ち着かせてもよいかと思い、俺は月1万払っていたオンライン英会話を退会し、テキストも開かなくなった。ただBBCニュースを読んだり字幕動画でリスニングだけはしていた。
そして一ヶ月、異変に気がついたのは外国人の友人と久々に通話した時だった。
「あれお前の英語下手になってね?」
たしかに単語は頭の中にあるが、英文法的な組み立てが明らかにぎこちなくなっていた。
そして英語的な発音を生む口や舌の動きも鈍くなったことで日本語的なアクセントが強まってしまい、友人に今なんて?と聞き返されてしまう始末。
ショックだった。
子供の頃走るのが得意だった人が久々に身体を動かしたらすぐ息切れて、あれ?こんなはずではと戸惑う。たった一ヶ月でそんな感じだった。
調べたところ、リーディングやリスニングの理解力は落ちづらいが、スピーキングやライティングなどアウトプットの面は言語学的にも使わなければどんどん能力は落ちるらしい。腑に落ちた。
・美術館巡り
でも見てる内に面白くなるんだろうか?
・お酒
酔うと時間取られるし
うーん
少食なので気が進まない
せめてジャンルを絞っていきたい
何が良いだろうなあ
最近はじめた
自分の好みがわかってきたくらい
・タバコや葉巻
うーん却下
案外良い気がするんだけど
これもジャンル絞りたいよね
犬猫関連とかは人気すぎるしどうなんだろう?うちペット不可だし、都内は野良猫みかけないし
・創作系
一定の成果はあったんだけど、どうしても時間が取られるのとオタクっぽくなっちゃうのと体が鈍る
こっちは良いや、どうせ何かやるだろう
・ダンス
友達がやってるけど陽キャ度があまりに高すぎて流石に・・・うーん
うーん
良いと思うんだけど
・ジム
もうやってる
・華道
花は好きなんだけどどうにもセンスがな
あと突き詰めると盆栽っぽくなりそう
・料理
誰か食べてくれる人が居れば良いんだけど
・カメラ
センスがない
あとこれも孤立しそう
・服
まとめ
どんだけ世界に対して興味ないんだよ
___
それをブログにするとか
・学問としてはともかく、社会運動としては一人一派でも問題ない、むしろそれが自然なあり方であると考えている。個々人社会の中で置かれた状況も価値観も異なるのに、インターネット越し思想を隅々まで統一・一致させろというのはナンセンスだと思う。厳密な統一がなくとも案件ごとに個々連帯することはできるし、MetooもKutooもその方式で一定の成果を上げたと認識している
・一方で、「フェミニストの総意として、一人一派でいきましょうとコンセンサスが取れた」なる事実はないと思っている
・なので、フェミニストは一人一派である、という前提で批判するのもそれはそれでおかしい。そうした事実に同意したフェミニストがいるならその個人や団体を批判することはできるかもしれないが
・昨今「一人一派」はアンチフェミニストがフェミニストを攻撃するための呪文のように機能していて、批判として内実を伴っていない(と私は思っている)
・学問としてはともかく、社会運動としては一人一派でも問題ない、むしろそれが自然なあり方であると考えている。個々人社会の中で置かれた状況も価値観も異なるのに、インターネット越し思想を隅々まで統一・一致させろというのはナンセンスだと思う。厳密な統一がなくとも案件ごとに個々連帯することはできるし、MetooもKutooもその方式で一定の成果を上げたと認識している
・一方で、「フェミニストの総意として、一人一派でいきましょうとコンセンサスが取れた」なる事実はないと思っている
・なので、フェミニストは一人一派である、という前提で批判するのもそれはそれでおかしい。そうした事実に同意したフェミニストがいるならその個人や団体を批判することはできるかもしれないが
・昨今「一人一派」はアンチフェミニストがフェミニストを攻撃するための呪文のように機能していて、批判として内実を伴っていない(と私は思っている)
現状でtwitterや、はてブコメントで見られる新型コロナウイルス対策への意見に対して、どうしても違和感を覚えることが多いので、私の考えをここに記します。私は物書きの専門家ではないので冗長な文章になると思いますが、できればどうか最後まで読んでほしいと思います。よろしくお願いいたします。
現状で実施されている一般的な対策といえば、「マスクをする」 「手洗い・うがいをする」 「3密を避ける」 「不要不急の外出・遠出はしない」などが挙げられ、それらは感染拡大を抑止するという面で一定の成果を上げられたと思います。私も現在に至るまで、それらを忠実に守って生活しています。
しかしながら今後、我々が考慮し実施すべき対策というのは、そのような「抑止」を目的とした対策を超えて、「感染することを前提とした対策」ではないのかと。それが「正しく恐れる」ことではないのかと思います。
ここで批判を覚悟で敢えて申し上げると、今、この私の文章を読んでいるのは、先に挙げた対策を忠実に実施して感染を免れた誠実な方々がほとんどだと思います。しかしそれは、貴方や私が自粛を頑張ったからではなく、
に過ぎないということです。なぜなら上記の対策は100%感染を防ぐものではなく、その確率を下げることしかできないものであること。つまり、いくら自粛しようが感染するときは感染するし、逆にパチンコに出入りしようが、昼カラオケに行こうが、沖縄旅行しようが、感染しないときは感染しない。単なる確率論だということです。
「そんなこと言われなくても分かっている」という人が多いと思いますが、最初の違和感として、それを認識していない人が多いと思います。自粛している自分が感染しないことが「当然のこと」のように思い、自粛しない(できない)人をあからさまに叩く行為などは、それを表しています。「たまたま感染しなかった者」が「不幸にも感染してしまった人」を叩くことの浅はかさにどうか気づいてほしい。たとえそれがフーゾクやらキャバクラなど夜の街に出入りして(従事して)感染したとしてもです。感染した人にかけるべき言葉は、「どうか1日も早くよくなられますように」だけです。なぜなら自粛している貴方も私も、今後感染してクラスターを発生させる可能性が0ではないからです。
つまり、今後考慮しなければならない対策とは、「感染を前提とした」対策=「クラスターが発生しても大丈夫」な対策です。それが「ウイルスと共存する対策」であると私は思います。ですが世間は未だに「ソーシャルディスタンス」やら「新しい生活様式」やら、言葉は生まれても「抑止」の域から出ていない。…そこに大きな違和感を覚えます。「抑止」は間違ってはいませんが、今後は次のステージへ移行すべきだと思います。
本来、今実施している「自粛=抑止」対策も、「医療崩壊」を起こさないことが目的であって、「感染しないこと」が目的ではなかったはずです。もちろん誰も感染などしたくはありません。今回のコロナは場合によっては症状が急激に悪化して肺炎から様々な合併症を引き起こし、最悪は死に至らしめるものとしてインフルエンザなどとは違うものです。しかしながら完全に撲滅することができない以上、インフルと同様の捉え方をせざるをえないものと私は考えます。
ここで、なぜ人はコロナを恐れてインフルは恐れないかを敢えて書きます。インフルは実は今回のコロナ以上に毎年それが要因と考えられる死者を多く出しています。しかしそれをほとんどの人が恐れないのは、ある程度治療方法が確立しており、それが一般に認識されているからです。ワクチンもあれば対応薬もある。だがコロナはそれが今のところ確立していない。だから
「感染したら俺も死ぬかもしれない。俺は死ななくても周りの家族を死なせてしまうかもしれない…恐い恐い…」
この過剰な不安が「コロナ恐怖」の本質であると思います。まずはこの恐怖を取り除かない限り、私が先に挙げた「ウイルスと共存する対策」は浸透できないと思います。なぜならそれは「自粛を必要としない」対策、究極の意味では「マスクもしない」「3密も守らない」という対策なのだから・・・
「バカかお前は。そんなことしたらまたクラスターが発生して感染者が増大して今までの努力が水の泡になるだろうが!」
そういう声が聞こえてきそうです。そのとおりです。私が言うのは「クラスターが発生しても大丈夫」な対策ですから最終的に自粛は必要ないことになります。果たしてそんなことが可能なのか・・・。私は可能だと思っています。それにはまず我々の「意識改革」が必要です。
ここで皆さんにお聞きしたいのですが、「もし貴方が今、まさに新型コロナウイルスに感染したらどうしますか?」と質問されたときに、どう答えるでしょうか? …多くの人は「最寄りの医療機関に電話する」「保健所に対応策を確認する」「最悪は119番する」などと答えるのではないでしょうか。…少なくとも私はそうです。
ではその対応をとった後、具体的にどの医療機関に運ばれて、どのような検査をして、不幸にも感染が確認されたらどのように治療が進むのか完全に把握している人はいるでしょうか・・・。ほとんどいませんよね、私もそうです。でもそこに「コロナ恐怖」の本質があると思っています。
「感染したらどうなるか分からない」 「ちゃんと医療が受けられるか分からない」 「場合によっては、たらい回しにされて手遅れになるかもしれない」・・・
ワクチンなどの治療方法がまだ確立していないことも相まって、このような医療体制に対する自身の不明確さが「感染したらやばい!」=「自粛」という意識につながるのだと思います。無理はありません。誰でもそうです。しかしそれを改善していく努力=意識改革が今後必要であると思います。そしてそれはワクチンなどの治療方法が確立する前から必要なものと考えます(なぜならワクチンとて100%完全治療に足りえるものとならないのだから)。
これは決して自粛を否定するものでもなく、また現状の医療体制を完璧に把握しろということではありません。そうではなく今後は「感染することが前提」という意識改革のもと、全ての人が感染した時に慌てず恐れず適切な対応がとれる社会を、国民全体で一丸となって確立すべきということを言いたいのです。医療関係者だけではなく、政治もマスコミも、そして国民一人ひとりも全て…
分かりやすく例えると
「貴方、今日マスクとかしてませんね? 感染したらどうするんですか?」
「いやあ、感染したくはないですが、もし感染してもこれこれに連絡すればちゃんと対応してもらえて治療が受けられますし、万一重症化してもその後の入院施設も必要な機器も全て確保されていますし、その間の補償も確立していますから~。それでも感染が元で死んでしまったら、その時は寿命だと思って諦めますわ~(^o^)ニコー」
極端な話、誰もがこう言い切ることができる社会になればよいのではと。
繰り返しますが、これまでの自粛を主体とした対策を否定するものではありません。マスクも有効だし、手洗い・うがいも今後も励行すべきです。しかし「自粛」を基とした「新しい生活様式」には大いに違和感を覚えます。「ウイルスを克服する」とは「以前の生活に戻す」ことだと思います。
幸いにもいまだに要因が不明ですが、少なくとも日本国民には「ファクターX」と呼ばれる何かが存在し、欧米に比べて新型コロナウイルスによる「重症化」が低く抑えられていることが分かってきました。もちろん今後も更なる検証が必要ですが、「ねずみ算」式に重症者や死者が増えないことが今後も予測されています。これまでの統計的なデータや現状での医療機関の状況などを精査し、どれだけの感染者が発生したら、どれだけの割合で重症者が発生するか、またその切り分けを正しく判定する方法および、その後の医療措置(診断方法、病床、機材等)が確保される体制を確立すること。それを皆が理解すること。そうすれば徐々に現在の「自粛」中心の対策から以前の生活様式に戻していき、最終的には「元に戻しても大丈夫」な体制を確立することができるのではないかと。それが今後の実施すべき対策ではないかと思います。
1. 全ての人が感染することを前提とし、感染後の全ての対応が円滑に行われる体制を確立し、それを皆が理解することである。
2. そのためには全ての人の「意識改革」がまず必要である。「感染を抑止」しながらも「感染を前提」とすること。
これ、私は必ずできると思っています。そのためには、やはりまず「政治」にリーダーシップをとってほしい。日本国民は法で定められたわけでもないのに、お上から自粛しろと言われたらそれを忠実に守る、いい意味では「優秀」な国民です。しかしそれはひとたび方向性を間違えれば、「歪(いびつ)な正義」従って、それに沿わない「少数派」「弱者」「異端」等を排除する全体主義に陥る可能性も持っています。(正直、今回はウイルスよりもそっちの方に恐怖を感じました。) 現状を正しく検証し、明らかになった理論に基づいて元の生活に戻すための方向性を社会全体に打ち出してほしい。全ての人にコロナ以前の笑顔を取り戻すための「道しるべ」を示してほしい。それが政治の役割であると考えます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ここまでの内容に関して、様々なご意見やご批判、ご指摘があろうかと思います。それらは大いにしていただきたいし、また私の認識で誤っているところは今後も修正を継続していきたいと思っています。ただ「皆で現状を克服しよう!」ということ、そして「感染した人を叩かないこと」だけは重ねて申し上げておきたいと思います。ありがとうございました。
納得しかけたが、所々引っかかる。
まず「ブラジャーは敵」は頓挫というより、形を変えて現代にバリバリ根付いているのはないか。英語圏の話になるが、過度にダイエットを煽るのはやめて普通に食べよう的な運動、後はデブだけどモデルやってるよ!みたいな人、それぞれ数万人単位でフォロワーが付いてたり賛同されていたりする。
モデル業も、自主的にモデルをやりたい女性が自分のためにやるのであって、別に男のためにやるわけではない、みたいな言説が広く支持されている、気がする。俺の観測範囲では。キャプテン・マーベルとかアベンジャーズもバリバリポリコレだったし、フェミニズムは一定の成果を上げて、マジョリティに受け入れられているのではなかろうか。
最も引っかかるのは、あなたが提示してくれた女性の解放運動は、基本的に女が女として自主的にどう生きていくか、つまるところ男と距離を取ろうとしているのに対して、いわゆる「弱者男性」運動は、女が強い男しか選ばないのはズルいズルいと、むしろ女に執着し続けているところ。ベクトルが正反対だから、この弱者男性運動がフェミニズムと同じところに着地すると言われると疑義がある。
じゃあ今、民主党の残党勢やたしかなやとう共産党が政権取ったらどうなると思う
アベガーやアベノセイダーズには悪いけど、今を生きていくにあたって安倍政権が一番マシってレベルだから選択されている
オレっち幼い頃共産党市長が市政を行っていたところに住んでいたんだが、
教師は左巻きばかりで道徳と言う名の同和に関する授業、障害児の権利優先
昭和後期には周りの市はぞくぞく下水道が通り水洗トイレ化していく中で取り残され
昭和→平成→令和と時代が進んでも未だに汲取便所(簡易水洗トイレでさえない)が大多数
選挙に負けても、住民からの信任が得られなかったと考えるのではなく、コロナガーとか一定の成果があったとか言い訳している奴らに自分たちの生活を任せられないだろ
負けた言い訳にコロナガーって言ってるけど、お前らコロナに対して何やったんだよ 一番大事なときにサクラガーってロクに審議してなかっただろ
君たちは能力が高く何でもやりたい事や実現したい事に取り組んで
確かに一定の成果を上げているからその自信と高慢さを維持しているのかもしれない。
しかしだね、それは俺が君たちのような能力の高い人間が上に上がれるような仕組みを
自由と機会は表向きに平等なようで能力の高い人間にしか開かれてない
才能を開花させるためには一定の努力と競争という投資が必要不可欠であり、
それを行わせるために夢がある。
残った敗者たちの扱いが悪いと人々は夢をしようとしなくなり競争は不毛な生存競争へと切り替わっていく。
成長は低下し経済は停滞を始める。
今、君たちがやろうとしていること、やっていることが正にこれだ。
私が長年かけて築いてきた社会基盤に寄生するだけの力しかない君たちがしていることはこれだ。
それは社会といい、国という。
君が毎朝出したゴミを一体誰が回収するというのだね?
ところが君はゴミ袋1つを自力で焼却場まで運んで中身を分別し処分することさえできない。
しないのではなく、する必要があるのではなく、できないのだ。
私が作った社会を君は利用しなければできないのだ。
独りで生きていくことは決してできない。
君が蛇口をひねって出てくる水道水や、スイッチを押して照明をつける行為、
それら総てに対して私の手で作り出した社会というシステムを用いなければ何一つ実現しないだろう。
そして、それを実現させている部品こそが私が保護してきた怠け者で弱く貧乏人で能力のない人間たちなのだ。
能力の低い人間を下等だと切り捨てる浅はかで高慢ちきな君に彼らをこれ以上上手く使いこなせるか?
日々ご機嫌を取り、下らない人生の中でも日銭を稼ぐための希望をチラつかせ、社会の脈を止めないように常に監視していることができるか?
これは思いやりではなく、我々が我々の立場を存続させるためにも重要だという話をしている。
君たちの教育方針について私の判断が誤っているという事実は認めよう。
私が願望にも似た思いで君が変わることを期待していた事も認めよう。
しかし君たちは度が過ぎた。
今後は君たちにも社会による恩恵というものが失った時、どういった弊害が己の身に降りかかるのかを身をもって経験して欲しい。
そのとき私は君たちの姿をみて苦しみを共に味わい、自己の反省を促し、次に生かすことにする。
これはその前の最後の警告だ。
君たち、君はただ真っすぐに自己の研鑽を積み重ねるだけで良い。
余計な事を考えないことが最も幸福に近い。
君が迷わない事を切に望んでいる。