はてなキーワード: ダイナミズムとは
OECDから「日本の小企業は、古い企業であり、経済のダイナミズムの欠如を示唆 (slide#17) 」って言われてるぜ。
創業したての会社は、経済成長とイノベーションに重要な役割を果たしている。OECD諸国において、設立から5年未満の会社は、その規模にかかわらず、非金融業の雇用に占める割合は5分の1以下だが、新規雇用の半分を生み出している。
日本再興戦略は、企業の開・廃業率を 2004-09 年平均の 4.5%から、米国の 10%に引き上げるとしている。企業の誕生率が低いことを考えると、日本は年老いた会社が多いと考えられる。日本では4分の3の小企業が創業から 10 年以上経っているが、大半の OECD 諸国では半分以下である (図 10) 。
最近ヒットしたうちで最もリベラル的な思想に基づくメッセージ性を帯びたアニメは、間違いなくラブライブシリーズだと思うな。
海外ドラマのgleeを手本にしてるだけあって、多様性、寛容、自由博愛平等の精神がエンパワーメントしていく美しい世界を描いている。
スポ根ものなのだが、誰かが何か統率をとって一致団結して向かおうとした時はうまくいかず、各々がてんで自由にのびのび行動してみた結果、とたんに世界が動き出して、素晴らしい結果にたどり着く、そんな展開がお決まりになっている。
とはいえ保守的なローカリズムも同時に内包していて、たんなる左傾思想ではなくバランスの良い今時の思想になっている。
あとはガッチャマンクラウズシリーズかな。特に2期になるとがっつり政治色がでてくる異色の作品。
ある種のサイバーリバタリアニズムを推し進める爾乃美家累というキャラクターの存在が目立つが、
やはり主人公のはじめが「理想的なカリスマリベラリスト」のように描かれているのが大きい。
常識や既成観念に囚われず、豪快に行動するホリエモンのような性質を備えつつも、
それでいて傲慢さは極力感じさせない、かつ筋の通った思想を感じさせる、バケモノじみた大物感を纏った少女として描かれている。
2作あげてみたものの、実は、ほとんどの作品はリベラルな思想に基いているとも思う。
自由にのびのび活動する人間が生み出すダイナミズムと、きっと善き心の連鎖反応でうまくやっていけるという最大公約数的な人間の底力を、「信頼する」。
≫話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい
キャラ立てもっと大事にすべきでしたね。懸念事項ではありましたが、他者からはっきり言われると目標が明確になります
各イベントも登場人物の人間性が浮き出るシーンを中心に描写していこうと思います。
≫ストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがある
これです。気ばかり焦ってしまって、やはりキャラに感情移入してもらえるの大事ですね。
漫画として安定出力できる画風探っていきたいです!
ダイナミズム。雰囲気では分かるけどうーーーーん分かるけど言語化できない。精進します。
≫増田のような奴には売れてほしいと思う
まじで
設定やネタ、アイデアを沢山溜め込んでるのはわかるけど、話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい。
おそらくストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがあるのだとは思うが、細かい部分の説明なんかもあとがきの文章ではなく漫画でじっくり表現してくれ。
画力のバラつき、というよりはコマによって手を抜いている感じがあるなあ。絵はとても上手いと思う、それ故かえってそのバラつきが目立つように思う。
話はこれから面白くなるのだろうから何も言えないが、前述したように描き急ぐと漫画特有のダイナミズムもクソもない設定を読むだけの作品になりそうなので気をつけられたし。
友達が魔道士モノのWEB漫画から商業デビューして、売れずに今は会社員やってる。
身近にそういう人間がいたからこそ増田のような奴には売れてほしいと思う。
続き楽しみにしてる。がんばって。
「ときめきアイドル」という言葉には「ときめきメモリアル」にあったセンスを感じない。なぜか。
改めて考えると、「ときめきメモリアル」という言葉はとても語感がいい。
まず「ときめき」という響きがパワーを持っている。「とき」「めき」と、「き」を繰り返す韻律を持っている。
その後に「メモ」が続くのがよい。「き」の韻律から「め」の韻律へ展開して期待を煽っている。
と思ったら「リアル」で締めるのがなんといってもすごい。「ときめきめも」までなら日本語でもありえる音韻だが、そこに「リアル」という日本語にない音が続くことで、実は「メモリアル」という外来語だったことが判明する。ここで2文字のリズムから3文字のリズムへ広がるダイナミズムもすごい。
当時は全教科とも80点は取れていたと思う。
生まれた都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。
5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しかも登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。
現代文はセンター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分がセンター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。
現代文の文法問題を解きながら、現代文の文法は古文のそれに比べて難しいように感じた。
いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈の余地があるような気がした。
古文はとてもやさしい。
図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題が全然解けなかった。
余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。
中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。
みたいな問題があった。
地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。
生物の細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。
地図やグラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校の社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。
歴史の問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。
断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。
歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。
これはかなり易しく感じた。
これも、単純に高校の授業が中学の上位互換だったからだと思う。
英文読解が、将来の夢だとか、未来の地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。
簡単な文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。
全体を通してみて、思いのほか楽しかった。
高校の授業が中学の上位互換だった科目(古文、代数、英語)は、非常に易しく感じた半面、高校で選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。
何事も慣れなんだなと思った。
出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。
努力すれば、人はなんでも出来るようになる。
それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。
大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。
あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。
ロードムービーとしての完成度にある。
拡張と同時にディティールがクリアになる世界、出会いと別れ、繰り返しつつ前進していく日常、ある日唐突に訪れる転機、何もかもを明確とはしない終着点。
巨大ロボやメカニック、戦争というのは移動を引き起こすための装置だし、世界観やリアリティというのは移動の結果もたらされるディティールのダイナミズムのことだ。
ロードムービー形式はどこに比重をおくかで世界のミクロな部分とマクロな部分どちらにも焦点を合わせられる。1stガンダムはその上で、ミクロな世界とマクロな世界の両方と、その間にある空気を説得力をもって描きだしている。
http://anond.hatelabo.jp/20161012195410
子供の出会い系サイトとのことで、色々エグい内容が書かれている。ただ、さすがにちょっと信じがたい。
記事でも書かれているが今どき児童ポルノ画像が堂々と貼られている場所があるってのが信じがたいし、直接画像が見れるのに警察が動かないのも首を傾げる。何より謎なのが、そんなサイトがあるのにロリコンが騒がず記事にしても無視されてるって状況が謎すぎる。本当なら絶対2ちゃんで炎上する案件だ。
なので、実際に行って確かめてみた。
記事で書かれている3DS専用掲示板と、その管理者が運営してる外部2ちゃん風サイトは割と簡単に見つかる。
児童ポルノ画像で溢れかえっているように表現されているが、結論から言うとそのような画像は一枚もなかった。
隠しページもあったけど(懐かしいノリだな!)そちらも何もなし。
2ちゃん風サイトのほうは、とにかく糞スレに糞レスが書き込まれてるだけで画像を貼ってるやつなんかいない。
3DS専用掲示板はどんなシステムかというと、オープンなスレッドで3DSのフレンドコードを交換し、3DSのメッセージで共有したパスで鍵付きスレッドに引きこもるって感じ。
専用っつーけど3DS関係ないねこれ、たまたま子供の持ってるネット端末が3DSってだけで他のハードでも可能だな。
ともあれこっちの3DS掲示板は眉をひそめたくなるスレッドが目白押しで、特に鍵付きスレッドではエロチャットや画像の交換をしてる気配があり、いかがわしい空気が漂ってる。
しかし当然当事者以外は中を確認することはできないので疑惑でしかなく、オープンスレッドを見るかぎり中学生が猥談しつつ「学校だりー」とか「宿題めんどい」とか駄弁りながら、カゲプロとか戦国BASARAの話とかしてたまに鉛筆書きのオリキャラの画像をアップするみたいな場所らしい。
あれだな、子供の頃近所にあったエロ本秘密基地の全国版だなこれ。
管理人がその手のスレッドを削除して証拠隠滅したのかとも思ったが、それもちょっと違う気がする。
何が違うのかって言うとこの2つのサイト、とにかく閑散としてる。
時間を置いて何度か見たけど、まともに書き込みがあるのは極一部のスレッドだけで、その書き込みも常連らしいコテハンのくだらない馴れ合い糞レスばかりだ。
新しく立つスレッドも殆どないし利用者も少ないように見える。良くも悪くもゴルスタのようなダイナミズムは欠片もない。
まあ、管理者は間違いなく変質者のたぐいだし、鍵付きスレッドでは子供同士が顔を晒してエロチャットしてるっぽいので子供を近づけるべきじゃないサイトなのは確かだ。
そして勘違いしてる人が多いようだけど、どちらのサイトもPCやスマホでも普通に使えるわけで任天堂は基本関係ない。元記事では3DSでエロチャットしてるように書かれてるけど、そういう事ができないよう3DSのフレンド機能は制限が多く貧弱に作られてる。問題なのはブラウザなのだ。
全国の親御さんに伝えるべきは、小中学生のゲーム機はペアレンタルロックでウェブブラウザの使用を制限しときましょうってことかな。
追記
一晩立ったが3DS画像掲示板のほうは管理者が削除したようだ。
すでに見れないが、自分の見た限りだと児童ポルノなどは存在しない、子供の多い下品な掲示板だった。少なくとも表面上は元記事にあるような違法な画像が溢れるような場所ではない。
ただし、鍵付きスレッドの中では画像ありのエロチャットがあったようで、実際オープンなスレッドで鍵部屋でエロチャットしようみたいな誘いも見受けられた。外から見るぶんには疑惑でしかないが。
管理者が権限を使って覗き見して画像を収集することも、多分やっていただろう。
もしかしたら告発者の言うような悪い意味で活気のあった時期もあったのかもしれないが、自分の見たものと告発内容は完全に別物だった。
http://anond.hatelabo.jp/20150614100601
http://anond.hatelabo.jp/20090622091939
18歳から28歳の一番いい時を吸い尽くされた元嫁さんはどんな相手と結婚するんだろうね。
俺だったら、子どもを育てるためだけにそんな女と結婚したくないな。
異性の価値は若さ、人間の価値は経験~10代から30代まで付き合ってみて
http://anond.hatelabo.jp/20090622081819
真っ向から批判するコメントやブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。
そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
同じ女性と、10代から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、
「女の価値は若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的な真実だ。
もちろん逆説的に言うなら、「人間の価値は経験」というのも真実である。
10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対に面白い。
でも、それは人間として、なんだよね。
恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的なニュアンスを含む場合、
やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。
デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。
でも、若い時にしか経験出来ない人生のイベントってのは間違いなくある。
そのイベントの多くは、若さと恋愛とセックスが微妙に重なり合った部分にある。
もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。
でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、
現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女の時代から30代近くの
成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代の複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。
女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。
細かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。
元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。
それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。
最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。
これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が
肌で玉になって転がる時代があったということに。
異性として、より生物的な価値、もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、
何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが
自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。
元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、
俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。
そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。
でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが
別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。
人生におけるマクロな価値観と、ミクロな生活感覚が近いかどうか。
違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。
元嫁とは今も仲がいい。
でも、マクロな価値観も、ミクロな生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。
人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生の立ち位置が
同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。
自分たちの場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。
だから、別々の道を歩むことに決めた。
たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。
世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。
それは、凄く正しくて良い事だと思う。
自分たちの場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。
周囲の友人を見ても、子育ては人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。
個人的にも、自分の人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。
そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。
結婚ではなく、出産と育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。
でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合、
それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。
だって、それは人間の価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。
「若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。
それは、無駄な嫉妬や劣等感やルサンチマンや浮気や不倫や出会い系や風俗やスワッピングや
ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。
ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、
幸せになれるのかも知れないけど。
まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。
「若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。
そして、もうひとつ。
「若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。
いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、
逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
外見だけの話じゃない。
20代で散々遊びほうけてスレ切った女が、30代40代になって理想とする男は、遊ぶことを自粛してきた高学歴高収入の男。
全く反吐が出るわ。
そして思う存分若い女と遊べばいい。
http://anond.hatelabo.jp/20141125000307
たとえば女を「顔がかわいい」「乳がでかい」などの身体的スペック、「やさしい」「気が利く」「料理がうまい」など能力的スペックなどで測る。
学歴(医学部)、努力、IQ、筋肉、哲学など精神面、また自分は持っていないという「魅力」、恋人、容姿。どれをとっても、ある程度計量可能なスペックだ。
女にとってスペックは関係発展のきっかけにはならない。スクリーニング材料にはなる。
超高学歴と超低学歴が付き合うことがまれなように、だいたい似たようなスペックで、男の方が若干ハイスペックなのが一般的なマッチングだが、そういう釣り合う相手を選別するための指標としてはスペックは役立つ。
しかし、スペック自体が男女関係のdriving forceではない。
「あのとき私にこんなことを言ってくれた」「私のことを好きと言ってくれた」「私に優しくしてくれた」「私を笑わせてくれた」「一緒にいて楽しかった」などなど。
大切なのは「彼と私」という関係が動いていること。「彼」が「私」に働きかけていること。そういうダイナミックな関係性にドキドキするわけだ。
このダイナミズムにスペックがスパイスとして加わることはよくあるけどね。特に「先輩」というスペックの威力は計り知れない...
自らのスペックだけで女を得られる男というのは上位1%に限られる。
この男を見た女たちは、そのあまりのハイスペックさに目がくらみ、脳内で勝手にダイナミックな関係を妄想して惚れてしまう。しかし、脳内で体現された男はしばしば現実の男とは別人になっている。笑
関係性を動かすように働きかけなければ女は心を動かされない。
だからよくあるモテテクニックは「とにかく行動せよ」と焚き付けるわけだが、そのアジテーションの裏にはこういう理論があるわけだ。
関係性を突き動かすことさえできれば、内心でどれだけ女を「肉便器」などと見下していたとしても女は得られる。
逆に、なにも働きかけなければ、いくら「魅力ってやつ」があってもダメなんだよな。
★ダイヤモンドオンラインによれば、「2045年には、介護業従業員数は、製造業従業員数を上回る」(計算にならざるを得ない)らしい。
(野口悠紀雄氏の試算、http://htn.to/yyz6Qk)
これって、「消滅自治体が続出」レポートに勝るとも劣らない、衝撃なレポートなんじゃないか?
日本の経済、教育、文化、すべてにおいて「製造業ファースト」だったのが、「介護業ファースト」になる、そういう時代になってしまう。
★例えば「経済界」への影響だと、現在東証一部銘柄の半分程度が製造業だと思うが、
★地方財界の盟主も、今は「地銀」「マスコミ」「電力」「バス会社」辺りだが、
これが2045には「介護業者」が地方財界の要職を占めるようになる。
日経新聞なんかも、今は紙面のうち3ページ位はメーカーについて記載しているが、これがせいぜい1ページ程度になり、
代わりに1~2ページ程度、介護業界のニュースばかり載せるようになり、そして「日経介護新聞」が創刊される。
東京ビッグサイトの展示も、今は半分程度が製造業系の展示ばかりで、介護系の展示などは数える程度だが、
2045には、これも逆転する。
★教育分野で言えば、製造業向けの人材輩出母体である大学工学部とか高専とか、今の半分で済んでしまい、
★現状、今の介護業界は、マンパワーの大半は中高年主婦に頼ってる。
逆に言えば、中高年主婦のマンパワーだけでなんとか間に合っていて、若者新卒のマンパワーはさほど投入しなくても済んでいる。
これが2045には、「新卒の数割は介護業界に入社しないと間に合わなくなる」社会になる。
就活で学生が回る先の3割4割が介護会社、という社会を想像してほしい。
★30年前などは、そもそも「介護業界」という業界そのものが存在しなかった。
それが30年後には「全業界の中で最大の業界」になる。これほどの劇的な変化は想像しづらい
現代日本人は「製造業最適」な思考パターンになっていて、その証拠に小学校4年では「製造業から見た日本地理」を教育する。
これも2045には、小学校4年の社会授業は「介護業から見た日本地理」に変わらざるを得ない
2045の小学校社会科では、「愛知県でクルマを作ってます」とか「海岸にコンビナートを作ります」なんて授業は、もう必要とされない。
2045の小学校社会科では「老人ホームとサ高住の違い」とか「なぜグループホームは少人数、木造がいいのか? 」を授業してる。
あるいは、高校あたりで必修科目で「老人心理学」「老人行動学」を学ばせる、「介護」授業が高校(或いは中学)に入ってくるんだろうなあ。
★欧米では「今の小学生の6割は、まだ世の中に出現していない新職業に就く」とされてる。社会のダイナミズムを感じる。
・・・日本じゃ「今の小学生の6割は、介護業界に就く」てなハナシになる。
まあ6割よりは少ないだろうが
http://anond.hatelabo.jp/20140405141401
高校になると女子はスカートを短く履くようになります。もちろんこれにドキドキしてしまうのにはあえて贅言しません。
特に、ハイソックスとローファーのコンボは私の性的欲求を高めました。
男が履かない(私の知らない)女性ならではの世界がそこにはある。これに興奮したわけです。
更に、靴下を脱ぐ営為ですとか、素足でローファーを履くとか、そうしたあしを廻るダイナミズムにもとても興奮していました。
高校のころから今にかけての大きなパラダイムなのですが、自分が年を取るにつれてふっくらとした女性も許容できる、好きになって行くという傾向があります。
脚に関してもこれが当てはまって、昔は相当細い脚も好きだったのですが、今ではふっくらとした脚も好きになってきています。
勿論きれいな脚がいいってのが前提ですが、全体の傾向としてこうしたものがあります。
高校生の頃ストライクど範疇だった細い脚ってどれくらいかというと、今の芸能人で言うと小島瑠璃子くらいの脚です。
大人になった今では心配になるくらい細い脚なのですが、高校生のころだったら全く心を奪われていたでしょう。
高校の同級生でもこれくらいの脚の子がいてついつい見てしまいました。
最近だと宮澤佐江の脚(の太さ)が好きな脚の範疇に入りつつあります。テレビ東京の松丸アナだとギリギリ好きじゃない脚になります。
で、理想のきれいな脚で言うと、ぱっと思いつくのがベッキーです。
身長は決して高くはないのですが、とてもバランスの良い、すらっとした中に女性らしい丸みもあり…といった感じで好きです。
一般的な傾向としてはキュッとした足首と引き締まったふともも、ふくらはぎであればだいたい好みになりますね。
最近のだとドコモDビデオに出演している石山杏奈と小松菜奈なんかはかなりあしを顕にするシーンが多くてかなりいい感じですね。
あれくらいのバランスのあしは昔も今も大好きです。
そして多分あれは、あしのことよくわかっている人が作っているのではないかと思っています。
バタバタさせたり交差させたり、ダンスさせたりとあしのことに通暁した人が作っていると感じます。
https://www.youtube.com/watch?v=wd1BSx84HQQ
あとはどんな脚が好きか私の傾向性が解るように具体例に即して列記してみよう。
かしゆか>>>>のっち>>>>>>>>>>>>>>>あ~ちゃん
・菜々緒:細すぎ。
・道重さゆみ:かなり好き。
http://anond.hatelabo.jp/20130510210114
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130510210114
pachikorz 作画, 増田 作画厨という人種が好きなので面白い増田だった。直接会って話すには怖い人種だとは思うけど。 2013/05/11 Add Star
http://b.hatena.ne.jp/entry/sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-312.html
y-mat2006 アニメ 作画
作画オタクは優れた作画ならば普遍的に何でも愛せる者の事を言います。
「アニメーターの個性」と言われるようなキャラクターデザインを守らないスタンドプレー的な作画でも、いやむしろだからこそそこにダイナミズムやアニメーターの感情発露を受け止め感動する事ができるのが作画オタクです。
そしてより強い感動を得たいがために情報を集め、知識を高めるのです。
うつのみやさとるがフルアニメーション的リアリズムへの回帰を望みつつもリミテッドアニメーション主流の日本アニメではそれがいかに困難であるか、その壁を乗り越えてリミテッド上でのリアリズムを模索追求していったか、それでも決定的な所でユンカースカムヒア(パイロットフィルム)やTHE八犬伝の浜路再臨で大平晋也に先を越されてしまったという、アニメーションの進化と大平晋也への功績讃えつつも自分でそれを成し得なかったうつのみやさとるの悔しさを理解しているか。
作画オタクはそれを感じられなければいけないのです。
それを踏まえた上で出てくる共通言語が「たまんね」なのです。
対して作画厨は全くの逆です。
どのような状況下に対しても作画の統一性"のみ"しか要求せず、些細なことでさえヒステリックになる連中の事を指します。
「この回はギャグだから元気のある作画にしたい」とか「いつもよりシリアスだからドライな感じを出したい」といったディレクション的な要求でさえ全く理解を示さずすぐに「作画崩壊だ!!」と叫ぶ奴等が作画厨なのです。
当然作画知識的なものなど何一つ持っておらず、アニメーションの制作工程すら何も知っておらず、無知なのを盾にして勝手な事をいい散らす迷惑なクレーマーでしか無いのです。
そんな奴等のためにアニメ業界は総作画監督制を強制され、曖昧な「クオリティ」のために個性を摘み取る作業を強いられ、全てのアニメは平均化され、アニメーターや演出家の体力やモチベーションは落ちていき、業界そのものが疲労していく。
作画厨はその存在によってアニメーションの進化を阻むどころかむしろ退化させて業界そのものの崩壊に導く害虫のような存在です。
河森正治監督がアクエリオンEVOLの開始前のインタビューで「本当は総作画監督を置きたくないんだけど、今回止むに止まれず置くことになってしまった」という趣旨の発言をしていた事を忘れる事が出来ません。
本当に何年も何年も前から作画オタクと作画厨の区別は付けてくれと私達は言っているのに、未だに解ってもらえないのが本当に悲しい。
■追記
アニメーターのふくだのりゆき氏がこのようなツイートをされていました
https://twitter.com/shuu1roo/status/336685202766184448
ふくだのりゆき@shuu1roo
@yaginuma_san @BlackCatJay 原作者、出資者自身がネットの評判を恐れて、作画オタクの太鼓持ちになってる、ってのもあるかもしれません。
作画オタクの太鼓持ちになっているならば、うつのみやさん達の作画はもっと広く受け入れられていた筈です
今の状況を作り出したのは決して作画オタクのせいではありません、このエントリで書いた通りの話です
同じ事は山本寛氏に対しても申し上げたいです。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010_3.html
■関連記事
http://anond.hatelabo.jp/20130520105912
作画崩壊厨と『鉄腕バーディーDECODE』の思い出
http://anond.hatelabo.jp/20130520234923 ← できれば「作画厨」じゃなく「作画オタク」に訂正してください。「作画崩壊厨」に関してはその通りなのでそのままでいいです
「人に見せるためだ」
これが僕の中での、正解の半分だ
(ハイ結論おわり
そういう話になった過程が気になった人は以下↓)
「同人活動は本来、自分の創作意志の充足のために行うものであって
過度に第三者から評価される、注目されることを目的とした同人活動は
不純である」
なぜならば
同人誌というものが、「俺得」であり続けることができなくなっているからです
同人活動がインターネットや各種SNS、デジタルデータの流通の網に
分かちがたく捉えられた現代では
付加されたのなら
誰が好き好んで、自分を代償のない道化師の位置に置きたいと思うだろうか?
いやない(反語)
具体例をあげるなら
この前、かなり特殊な嗜好をメインにした同人創作ゲームを作ったサークルが
本人がおそらくけして望んでいないであろう形で
あったんです
(胸糞悪かったんでブクマはしてないんで
ネットの発達で、同人活動がクローズな「俺得」であり続けることが
できなくなっている…
同人活動が、ネットとはコネクションしていないクローズな活動であっても
「第三者の視点」を望むと望まざるにかかわらず
意識せざるを得ない状況になっているし、また
不相応とも言えるくらいの悪意の視線にさらされるリスクがあると
そういう部分は確かにあるのです
だから
同人活動は
「人に見せるため」にやるもの
消極的な側面からはまず↑
積極的な側面からは↓
深夜のフジテレビで「ガンプラ世界選手権」のドキュメンタリーをやってたんですよね
そこに出てくる応募者の一人(PN・ざく太郎氏)にカメラは焦点を当ててたんですが
ざく太郎氏の作風は、
「子供の頃の、自分の(理想の)ガンプラ体験をそのまま充足させた」
みたいな作風で、
多分、作ってる時は心底ご自身の中で
充足感に満ち満ちた創作活動されてたと思ったんですけど
という結果だったんですけど~
「(こういう場で、他の応募者の作例を見ると)自分の作風が
「大会に出る人の心構えとして、『まず自分が好きなものを作る』…
出発点はそこからなんですけど
(その先に進んでいくには)どうしても人の目を気にしたものを作らなきゃならない
いくら『これが好きだ!』って声を大にして言っても
(受賞等のステージに行くには)難しい…」
的なことを言っていて
あぁ…趣味を深化させていくということは
向き合わざるを得なくなるということなんだ…
すごくずっしりと響いてきた感じなんですね
「ガンプラシーンのトレンドを踏まえ、なおかつ第三者に見られたときの印象」を
高次元で両立させていて
「さすがはプロだ…違うなぁ」という気持ちになったんですけど)
自分の中で
いつか趣味も
「自分のスタイル、自分の作風を頑として守り続け、自己充足のために行う」
「人に見せる(ことを第一義にして活動する)」
必ずやってくる
その時自分は
オリるのか?
それとも意識を切り替えて
「どうやったら第三者にもっと見てもらえるんだろう?」
そういう部分をモチベーションに、心底できるのか?
実のところその辺迷い始めてから
自分のキレキレ具合が悪くなってきてる気がするんで
こういう文章書いたわけなのでした☆
男性エロにはネタ要素を求めずにはいられない。みんなも、もう1冊の方は見なかったことにしたいんだろ?
わあい月見荘のあかり あかり月見荘のあかり大好き。あかりちゃんの曇り無きハッピースマイルを見るたびに湧き上がるバッドエナジーがクセになる。
ドバト先生の描くロリの健気さっていいですよね。ゴージャス宝田にいじられるドバト先生萌え。
2012年のトンデモ枠。圧倒的な触手描写と、手の込んだギャグ設定が楽しいです。
前作「ピンクトラッシュ」からシリーズ続いたねー。メンズヤングは休刊したけど、けろりん先生の人気はむしろ高まってきてるかな。
話題を巻き起こした表題作。続く裁判傍聴はちょっと露悪的過ぎたかも。
シスケ先生のエロ漫画モチベーションの高さには惚れ惚れします。
ドライブ感溢れる鬼畜展開がナイスでした。青年誌の方も段々ノってきた感じ。
紙魚丸ワールドが単行本にまとまって良かったです。しかし蕾秘(ライヒ)って誌名、格好良すぎませんか?
10.駄菓子 「純潔の終わる日々…」
光源フェチが表紙に現れてないの惜しい。乳首ガチガチなの、イイよね。
BL創作同人で注目され、2010年にはふゅーじょんぷろだくとから「ミ・ディアブロ」が刊行された梶本レイカの代表作長編が、2012年遂に単行本にまとまった。グロテスクでショッキングな展開と尖りにとがった描写は、鬼畜BLという枠組みを超えた強度と鮮烈さを持って読む人に叫びかける。サブカルコミックが鳴りを潜め、マンガ表現のホットトピックはもっぱら萌え4コマという昨今にあって、BLジャンルが表現の極北を担っているというのは決して言い過ぎでは無いだろう。ウェブ掲載分の収録は2巻で終わり、現在は新規ストーリーがふゅーじょんのオリジナルBL誌「comic Be」で掲載中。山奥の男子校で繰り広げられる暴力と退廃に満ちた肉体関係は、新たな広がりを見せている。
市川けい 「スロースターター」
高校野球部・キャッチャーの攻・エアリーヘアの受。大きく振りかぶりそうな2人の出会いは、通学の車内だった。互いの学校生活の話で盛り上がり、ふと会えない日が出来ると少し寂しくなり……。友情からのBLというのは、自分の気持ちに戸惑い、相手との距離感を測りかねながら縮めていくのが王道だ。「通学/通勤電車でいつも一緒になる」という巡り合わせは、こうしたストーリー運び非常に相性の良い舞台装置で、天丼設定とまでは言わないがそう珍しくはない。市川けいが出色なのは、それを踏まえた上でガラ空きの電車内におけるあの間延びした空気感を、コマの間合いで巧みに表現していることだ。モノローグの入れ方、固定ショット・コマでの人物の動きなどの「間」を取るセンスが独特で、意図的に停滞させられたテンポは、2人の進展のじれったさと絶妙にマッチしている。反面、肝心のプロットは2人が結ばれるまでダレることはない。各話の山場の見せ方も上手く、特にキスシーンの甘酸っぱさたるや爆発甚だしいリア充になっている。内容的にも若く爽やかな仕上がりが心地よい。とてもしかしそのキスシーンが駅構内のトイレってのがまた何とも……電車好きすぎじゃなかろか。
夏糖 「花咲き道理」
「その人の持つオーラが花や泡の形で見える」不思議な力を持つ主人公と、彼が属する劇団を舞台にした群像劇。能力設定、といっても物語中でそれが意味を持つシーンはごく数箇所で、主眼は公演に向けて活動する劇団の人間模様にある。劇団員各々の交流の中で主人公の取る立場は概して淡白なのだが、それは画面の中にこっそりと映りこむオーラの花と同じように、作品に安らいだ雰囲気を与えてくれている。ラストで主人公が心情を吐露するシーンも、劇団の居心地の良さが読み手に伝わってくるような、素朴な優しさが感じられる。抑制の効いたストーリーで、主人公の存在に癒される話。
掲載された茜新社のBL誌「OPERA」はキレの良い新人をいくつも擁するが、単行本まで結実する作家はそう多くない。群像もの、しかも演劇というメタストーリーが絡む複雑な設定で1年以上に亘って手がけた事実は、それだけの力量を物語っている。現在はリブレ出版の「Citron」でも執筆しており、今後の作品にも期待したい。
磯野フナ 「委員長のおもちゃ性教育」
真面目な文章ばっか疲れんだよ! いいよねーこういうアホ丸出しの単行本タイトルって。ジュネットのピアス・JUNEって最近は描写の濃い萌エロBLの名産地だけど、磯野せんせーはたいへんイキがよろしい。コナかけられて顔を赤らめるとこ、イジられて涙を滲ませるとこ、ブッこまれて表情を蕩かすとこ、マジでエロ可愛いぜ。目の描き方を中心に絵柄もアニメ系っつーかまあ女性同人独特なんだけど、デフォルメもメリハリ利いてるし、描き慣れた感ある一方で性交シーンも手を抜いてないのがアツいね。あと女の子が可愛い(超重要)。BL作家の女体描写って成年マンガ家(男性向け)の男体描写よりレベル高い気がするんだけど、そんなことないですかね。偏見かね。コミックJUNEは休刊してしまったが、新人の弾数は色々あるので何とか次につなげて欲しいもんです。
良くも悪くも、創作同人臭の強い作風なんだけど、いいと思います。そういうの好きなんで……。くっつかずに悲恋でおしまい、とか、何となく悩みを打ち明けて心を楽にしてEND、だとか、そういうのは、商業誌だとあまり喜ばれないと思うけど、新人らしくて贔屓したい。描線にも不安な雰囲気が出てて、作風とはよく合ってます。
ここでは基本的に新人を紹介しているが、2012年の新人を一人挙げるなら、名取いさとを選びたい。心交社の「moca」とリブレ出版の「Citron」の掛け持ち連載で、同時期に単行本を刊行。それぞれほんわか友情モノと少し鬼畜な暗い雰囲気に仕上がっていて、ストーリーの幅広さがグッド。髪の毛1本1本まで行き届いた丁寧な作画も新人離れしており、「日陰蝶」では剣道着を着けての試合・会話シーンを(第1話で)こなすなど、作画に対する気合が窺える。無理のない人体描写と細やかな表情の描き分け、作者の萌えを垣間見せるキャラクター造形も多様と、BLマンガ家としての天分アリアリ。難を付けるなら、タフな仕事量にも関わらず安定した絵柄で既に初々しさを脱却していることか。女性キャラも可愛い(超重要)し、くたびれたオヤジから涙ぐむショタまで愛のある描写が光る。今後は一般女性/青年誌まで活躍の舞台が見込めるモンスター新人だ。
“君の鍵穴は私の鍵で開かれる!!”っつー単行本帯のアオリでちょっと話題になったよねコレ。まあピアスは単行本に限らず誌面でもアオリ文が横行してて、編集がいちいちナイスフレーズ捻り出してるわけだし、ちゃんと反応するのはいいことだよね。「股間もテントもピンコ張り!!全裸で楽しむ夏休み河原キャンプ」とか、綴込みの見開きイラストもイカしてるんだわこれが。しかし東条せんせーの手がけるショタはサイコーだな。桃尻のラインが犯罪過ぎる。超絶画力だからトンデモBL変態ファンタジーも安心して楽しめるんだよなー。貞操帯&お漏らしやら目隠しオナホプレイやら猫耳コスプレの尻尾アナルin(前作)やら、マガジン・マガジンって出版社は心得てるわ。この人って美少女絵も絶品だから(超重要)、Keyのゲームのコミカライズも好評連載中なんだぜ。まさに鍵穴ってやかましいわwww
葉月つや子 「白衣にひそむ熱情」
眼光も険しいサツバツな絵柄に慣れれば、有無を言わさぬ攻の気迫はBLでも稀有なストロングスタイル。葉月つや子といえば知る人ぞ知るレディコミの女王である。近年の主な活動場所はぶんか社の「まんがグリム童話」だが、レディコミ仕込のスピーディでパワフルな作劇はBLでも健在だ。怒気漲らせる攻が駆動する物語は、受を存分に振り回し、しかし最終的には見事に鞘に収まる。各読みきりの短い尺の中で怒涛のダイナミズムを見せ、その上できっちりハッピーエンドに収めるこのカタルシスはワザマエと言うほか無い。長いキャリアを持つ作家の2年ぶりとなるBL単行本は、そのいぶし銀の魅力を堪能できる一冊だ。いつもならヤクザや貸金のダークスーツ姿が映えるところだが、本作では医者の白衣が前面に出ており、少しだけ和らいだ雰囲気になっている。
トワ 「秘密にスキャンダル」
人気タレントである幼馴染との秘密の関係を描いた、作者の初単行本。BLのお約束というか、こうした立場関係では有名人側が惚れている構図が基本であり、本作もその例に漏れない。回想の幼年時代から現在は大学生としてのキャンパスライフ、進展後はサラリーマンとなった主人公との恋仲まで、柔らかなタッチによる登場人物たちは皆親しみやすく、ほのぼのとした作品だ。タイトル通りのスキャンダル疑惑や、ライバル芸能人の横槍といった筋書きも大体鉄板だが、本作は脇役がどれもキャラが立っており、悩める主人公とのやり取りに説得力がある。そのため個々のエピソードに感情移入が出来て、自然に楽しめる、という好例になっている。スピンオフによる余りものカップル救済というお決まりの続編展開も、キャラの読者人気を裏付けるものだろう。可愛い女子も沢山出てくるが(超重要)、特に主人公の妹の鈴ちゃんがイイ。鈴ちゃんヒロインにした少女マンガが読みたい。
作画:如月マナミ,原作:渡海奈穂 「純潔ドロップ 青坂高校シリーズ」
「純潔ドロップ」は、とある高校を舞台とした原作を、2人のマンガ家が作画した双子作品の片割れである。体育科の完璧スポーツマンのモテ男と、普通科の文化部長である残念イケメンの確執から始まる学園BL。如月マナミの描くキャラクターは端正な顔立ちながら表情豊かで、特に赤面して眉を歪める描写が秀逸だ。文化部長が強気の体育会系に不意打ちする、逆転の構図もしくはギャップ萌えをメインに扱っている。その場の勢いやら体育会系特有の頑固さ(偏見)に流されて、つい一線を踏み越えてしまう運びは原作の鮮やかな手腕。双方負けず嫌いな性格がコミカルで、背伸びし過ぎな攻とオラオラ一転甘えたな受が微笑ましい。舞台である高校は共学で、2人の取り巻きには制服姿の可愛いJK(超重要)も色々出てくる。彼女達が当て馬やモブ扱いではなく、ちゃんと個性を持って物語に関わるのも好感度高い。
ちなみに、ここに挙げた他作品の掲載誌にリブレ出版の「Citron」、茜新社の「OPERA」、心交社の「moca」があるように、最近のBLジャンルは各社でオリジナルアンソロジー誌が創刊されており、新人のデビュー・活躍舞台もそちらが多数になっている。本作「純潔ドロップ」の発行元であるプランタン出版はその波に乗っている出版社だ。掲載誌「Canna」は創刊3年に満たないが2012年には500ページ超えという、BL誌全体の中でも上位のボリュームに到達した。価格や発売サイクルの違いもあるし、何より雑誌の厚さと発行の安定性は別物だから単純比較は出来ないが、見過ごせない存在感であることは間違いない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-4b86.html
という声もあるようですが、そこでいう「経済学の知見」って、どんなものなのでしょうかね。
ケインズはいうまでもなく、ポランニーもアダム・スミスもアマリティア・センも、いわんや権丈善一も経済学者ではないのでしょう。「殆ど無い」というくらいなので。
プロフィールより
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/profile/
「市場のダイナミズムを享受しながら、そこに生きる人たちが、尊厳をもって人間らしく生きていくことができ、かつ、ひとりの人間として生まれたときに備えもっていた資質を十分に開花させることのできる機会が、ひろく平等に開かれた社会はいかなるものであるか?」という問いを意識して研究している。 この問いに対して、現在のところ、医療・介護サービス(高齢者・障害者を含む)、および保育・教育サービスを、あたかもみんなが自由に使って良い共有地のように、所得、住んでいる地域、まして性別などにかかわらず、利用することができる、すなわちダイナミックな市場を共有地で囲いこんだような社会を作ればよいのではないだろうか。そしていまひとつ付け加えるとすれば、働き方を自由に選択しても不当に不利にならない、すなわち就業形態選択の自由が保障された社会を作ればよいのではなかろうかと考えている。 こうしたヴィジョンが、現代の社会経済がかかえるさまざまな問題と、具体的にいかなる関係をもっているのかについては、わたくしの仕事を参考にしてもらいたい。いま起こっている問題の多くは、人間が人間らしくない環境で生きているゆえに生まれているのであって、環境を整備すれば、多くの問題は自然と解消すると思っている。
もしかして、こういうことを考えるのは「ケーザイ学」じゃないのかな?
どういうことを考えているかだけでは経済学の知見を持った人であるかどうかは分からない。どんなに素晴らしいことを考えていますと言ったところで実績がともなわないのであれば、その人は経済学の知見を持った人であるということは言えない。学問なぞ一人でできるものではなく、これまでの多くの積み重ねの上に成り立つものであるから、思想信条がどうであれそれだけで経済学の知見を持った人であるとは第三者からは不明である。そして、客観的に経済学の知見を持った経済学者であるということを担保するものは、現代においては経済学の博士号と一流雑誌の査読付き論文しかない。本当に経済学の知見を持っているのであれば、これまでの研究を一流雑誌に投稿してもアクセプトされるであろう。それは本人にとって役にたつものであると同時に、所属する大学にとっても価値のある行為である。大学から禄を食む身であるならば、投稿すればアクセプトされる論文があるなら投稿するのは責務であろう。それをしないということは、つまり一流雑誌にはアクセプトされるような論文ではないということである。
権丈善一氏が「経済学の知見」を持った経済学者であるとみなされないということは、ある意味で当然であり仕方ない。いかに彼の目指すものや思想信条が優れていようと実力がなければ意味がなく、そしてその実力は誰からも見える形での実績として表れていないのだ。「経済学のものは殆ど無い」ということは「経済学のものは少しはある」ということであり、その少しに入るのはケインズ、ポランニー、スミス、そしてセンだけであろう。