はてなキーワード: ことのはとは
(ごめん中身は読んでない。またいつものメンバーが争ってるんだろうし)
人間の本能的な営みだしなんていうか根本的に人類にとってはポジティブ?なものと言えると思う。
死、恐怖、病、怪我、血飛沫…こうしたものは生物にとってネガティブなことのはず。
ホラー自体が怖くて嫌だしホラーというネガティブなものを好きな人がいることも正直怖い。
ホラー好きを公言する人は多いけど本来はムチで叩かれて喜ぶような隠すべき変態特殊性癖なんじゃないだろうか。
そりゃ一番ショッキングな場面やグロテスクな表現は見せないようにしてると思うけど映画館でもテレビでも普通にホラー映画の予告があるし(目を閉じて終わるのを待つ)ポスターもどこでも目に入る。
ビクッとするし嫌な気分になる。
街中にあふれかえる黒、オレンジ、紫の毒々しい色とガイコツやお化けやお墓のイラスト。
可愛らしくデフォルメされても死や恐怖のネガティブなイメージは付きまとうしリアル寄りのディスプレイが目に入ってビビったりする。
TwitterもといXでも流血メイクやら頭に刺さった釘やら血糊のついた包丁やらのコスプレ写真が流れてくるのがきつい。
ハロウィンは定着してほしくなかった……。
理解はできないけど消えろと言ってるわけじゃないです。
いや本音を言うと消えてほしいということになるんだろうけど、やっぱり表現の自由って大事だと思うし人の好きなものを尊重しないなら自分の好きなものも尊重してもらえないよねって打算的な意味もある。
お互いちょっとずつ許してもらってるって思えたらいいよね。
祝!今年のハロウィン終了!🥳🎉
今日は注射薬が効きすぎてだるいので勉強はしませんでした...
フォロワー数2万のTwitterアカウントを買って、blueにも登録しましたが、ツイート一回あたりのインプレッションはフォロワー0人のアカウントと変わりませんでした。
何か有益なコンテンツを作ってチヤホヤされたいのですが、私の発言は地味なので誰かに注目されることはありません。
Youtubeで発信しようとも考えているのですが、私の性格だと途中で馬鹿らしくなって辞めてしまうような気がするのです。
というのも私が過去に自然言語処理のブログを書いていた時はそれなりのアクセスを獲得しましたが、一部の人から「ネット上にゴミを増やすな」などと言われているような被害妄想に陥って辞めてしまったのです。
「Youtuberになりたい」という欲求は、夢に出てきたことさえあります。しかし、本当に高品質のコンテンツを作るために意識的な努力をしなければやっても無意味です。
コンテンツの質について自信が持てるようになるためには、それだけの時間・金をかける必要があると思います。
アテンションの獲得のために熾烈な競争をしている社会で、私ごときが発信する物事には何の価値も見出されないでしょう。
それともアクセス数やサブスクライバ数など気にせず、自己満足の世界で発信し続ければ良いでしょうか。
おそらく、私は身近に家族や友人がいることにもっと感謝するべきでしょう。大切な人がいるなら、インターネット上の関係やちやほやされることなど、どうでもいいことのはずです。
なんとかこの難局を乗り切ることしか考えていないという態度を隠そうともしないのが恐ろしい。
見え見えじゃないか。
おそらく、犯人が生きていたほうが話は単純だったのだ。
もちろん組織として犯罪行為に加担していた部分もあるはずなので、
であるなら、残された者たちがその罪を償うとすれば、
それでもって、はじめて、忌むべき犯罪行為の償いとなるはずなのだ。
しかし、一連の発表を見ていると、
なんとかジャニーズ事務所を存続させること、
そして本当に驚くべきなのは、
こうした局面に至っても、ジャニーズに対しての不買運動がジャニーズ支持層で本格的に起こらないことだ。
それは、結局犯人の犯罪行為を容認しているのと同じことのはずだ。
まったく呆れる限りだ。
オレも別にいいと思うよ。
一度でもAVに出演した人は教育関係の仕事に従事してはならん、なんて暴論がまかり通るわけないのは理屈で考えればわかることだけど、それと同じくらい、「自分の子供が性産業従事者に日常的に触れ合うのは感覚的に嫌だ」と思う人はいるだろうし、内心の自由だからそれは止められない。
結果、そんな人が教えてる教室には子供を通わすのは止めよう、という人が出てくることは容易に想像できるし、そうなれば商売でやってる以上「ちょっとうちでは雇えないです」となることも出てくる。
もちろんそれ自体はとても良くないことだと思うけど、実際に起こり得るよね、っていう話ね。
でも、AVを始めそうした性産業のギャラがその労働時間や労力に対し比較的高く設定されているのは、正しくそうしたリスクや、周りからそういう目で見られることを含んでのことのはず。
グラビア撮影会中止ついでに話すカメコのポートレート撮影術というエントリを投稿した増田です。
水着撮影イベントと「あいちトリエンナーレ」は違う? 不勉強なのは津田大介さんだったな のブコメページで気になるブコメがあったので引用します。
これね、水着の撮影を阻止するのは戦略が間違いです。表現の自由が盾だと潰せないもん。価値を潰す間接アプローチ戦略の案件です。LGBTに配慮し、男女並んでの撮影が必須と立法すればカメオタは泣いて引っ込みます。
結論から言ってしまえば「引っ込まないだろうな」というのが正直な感想。単に男女一緒に撮影するだけ。
カメラってシャッターを切れば切るほど、構図を考えれば考えるほど、レンズを工夫すれば工夫するほど、様々なシチュエーションを探れば探るほど上手くなるのよ。
プロやハイアマチュアなんて年間数万枚を撮影して作品として公開するのが数万枚の中の数%ってだけなんだ。
世の中には作品として公開するため関係者の同意が事実上必要なシチュエーションの撮影環境ってのがある。
著作権法的に写真は撮影者が著作者なわけで編集・加工・修正・公開なども撮影者が自由に行えるのだけれど、肖像権の視点もあり撮影した作品を撮影者が完全なフリーハンドで自由に扱えるのか?と言えばそうじゃない。
例えば盗撮なんかはこれらを語る上で参考になる事例と考えることができ、盗撮は撮影者・著作者自身による作品の利用という行為が法の制限下にあることを意味する。犯罪指定による作品利用制限ってわけだ。
もちろんコレは撮影のモデルとなり自身を作品として表現する被写体自身にも掛かる制限がある。
いわゆる公然わいせつと呼ばれるもので、表現者は社会一般においてフリーハンドで自由な服装もとより裸体でいることはできず、法の制限下にあるわけだな。
もしも水着撮影という行為が社会一般において犯罪もしくは犯罪に類似し、社会通念上の倫理に反し、水着を撮影した者に責任が問われるとしたならば被写体の水着と水着姿やポージングも責任が問われるものとなり、水着撮影に関わった共同責任者という立場となる。
だからこそ写真撮影会という関係各所が相互に合意をもって安心して撮影及び作品利用ができるシチュエーションを用意するという結論に至った。
被写体のモデルは撮影者が安心して作品利用できる水着そのものやポージングを選択する責任があり、撮影者は自身が作品利用ができるように配慮して撮影する必要があり、それらをもって合意が成されている。
これは撮影者と被写体モデル双方が犯罪者にならないための合意であるわけだ。
ポートレート撮影というものを実践的に修練を積める相互に安心した環境が様々な撮影会なのだ。
そもそも公然わいせつというものは物凄く恣意的な解釈が可能な概念で、もしも今回の水着撮影会の件で勢いのまま規制をしたら影響する範囲は正直に言って予想が付かない。
例えばアイドル界隈にも撮影会は存在する。チェキ会などと呼ばれるもので、アイドル界隈の中にいわゆる地下アイドルやメン地下も含まれる。
アイドル撮影会にはハグや頬にキスなどの"オプション"の存在がアイドル界隈では認知されているけれども、これらは水着撮影の件から勢いのまま規制に走るとおそらくは影響してくる。
当然ながら撮影のシチュエーションとしては男女揃った状態であり、水着でもないし勢いのまま規制を明文化するとアイドル界隈は"レギュレーションに準拠した撮影会"を企画する。これが明るみになった場合、倫理上の問題で裁かれるのは当然ながら推しのアイドルとチェキを依頼したファンだ。共同責任者だからね。
今ある自由を制限するときは本当に慎重な議論が必要だし、もしも誤った解釈で冤罪の憂き目にあった場合の保障も必要だと考えている。誤った解釈で急な中止になった場合の補填とか。
そしてこのエントリを作った者として訴えておくけれど、件のブコメの人を非難しないししたくはない。あのブコメがなければエントリ書いてなかったから。
老若男女が犯罪者にならないで済むことは我々が愛する自由への開放へ繋がることだと思うよ。フェミニストだろうが表自戦士だろうが急に犯罪者にならないことは良いことのはずだ。
※長めの追記あり
けっこう忘れ去られてる事実かもしれないが、ちょっと昔は、左翼は「不謹慎万歳」だった。
ポルノは体制の抑圧に抗する人間性解放の象徴だとして称揚していた。
「不健全な表現は存在してはならない」なんて、宗教右派か特高警察かみたいなこと言ってる現在とは正反対だ。
「昔の左翼はえらかった」などという話ではない。だってあんまりメンツ入れ替わってないからな。共産党の主たる票田は昔も今も団塊世代だろう。
いかに左翼の正義が何にでも結合するのかということだ。無農薬野菜にも反原発にも、エログロにもポルノ廃絶にも、アニメにもオタクバッシングにも、反戦にも戦争賛美にも、宗教にも宗教弾圧にも、何にでも取り憑いて寄生してしまう。
まあそれはそうなんだけど。もっともな動機に根ざした暴走こそタチ悪いというのもあるし。
のもその通り。
いわゆる保守・体制側は、締め付けるにしても緩めるにしても風向き次第・エライサンの胸先三寸というところが元来有る。
本邦において左翼に期待される役割は、そういうヌルヌルの動きに要所で釘を刺すことのはずだ。
保守は伝統と呼ばれる暗黙知をベースに共有してる(ことになっている)からなんとなくで動いてもいいんだ。
左翼はそうであってはいけない。理屈で動かないと意味がない。でももう「戦後」ももはや「歴史」になり、左翼にもなんとなく感覚的に依拠できてしまう「伝統」が生じてしまったんだろうな。
もちろんここで左翼とか保守とか雑語りしてるのは「敢えて」なんで、細かいツッコミは無視で。
結局のところ「日本社会って変だね」という話ではある。ウヨサヨ相克史という切り口からはむしろその変さは整理できないだろう。
ところで「けしからん表現の取り扱い」については欧米もたいがいわけのわからない紆余曲折を経てきており、それが本邦の国内状況に混乱を添えている。
そこで保守に期待される役割は「うちにはうちのルールがある」という毅然たる態度のはずだがおとうさんもうふにゃふにゃだからな。
その辺のディテールは言わなくても知ってる同士(というか世代)での書き方しかしてないからな。ちなみに78年生まれで愛のコリーダだののリアタイ世代ではない。
表現規制とかセックス・ジェンダー関係の話ってウヨサヨヘイトプロレスのネタとして消費されやすい。
別にただちに生き死にに直結する話でもなし、まともな人は火の粉をかぶらないよう距離をとることが分別ではないか、基地外と踊るべきではない、そのように受け取られがちだ。
でもそうじゃあないんだね。こういうのをグダグダのままにしておいたら我々はクソみたいな「戦後」の文化言論空間をどこまでも(団塊の死後も)ズルズルひきずることになる。
売れないkpop系アイドルのファンをしていた。そして、たった今そのファンクラブをやめた。どうしてやめてしまったのか、自分の思考の整理のために書こうと思う。
まず第一に、私ら人気のあるものが好きだ。人の目を気にする性質もあってか、人気のあるもの=いいものだと認識している。いわゆるミーハー。熱しやすく冷めやすい。一つのものをずっと愛し続けてる人に憧れはあるが、どうしても続かないので仕方ないのだと思っている。
そんな私が売れないkpopアイドルを応援していたのは、オーディション番組で推しを見つけたからだ。そのオーディション番組というのは例により流行っていたから見てみたのだが、番組に出ていた一人にハマってしまった。だが、残念ながら推しはデビューに至らず、落選者の集まりであるセカンドグループに所属することになった。これが売れないアイドルグループを応援するはじまりだった。
推しも推しのグループもデビュー組に比べたら勿論人気がなかったが、私はそれでも好きだった。だから推しの所属するセカンドグループがもっと大きくなってほしかったし、CDも買ったし、Twitterで宣伝活動もした。
供給はそれなりにあって、最初は推しが見られるだけで楽しかった。だがいつまで経っても人気は出なくて、デビュー組との差はどんどん開いていった。
私にとってはこんなに素敵なグループなのに、どうして売れないんだろう。こんなに応援してるのに、ファンの数が増えないのはどうしてだろう。もっと宣伝しなきゃ。頑張らなきゃ。動画も回そう。フォロワー数増えないな。あっちは人気があっていいな。どうしたらもっと人気になってくれるんだろう。
ただの一ファンである自分の無力さを思い知ると同時に、楽しかった応援が苦痛へと変わっていった。
「今は売れないって言われることもあるけど、必ず大きくなります。だから応援よろしくお願いします」
うん、そっか。頑張って応援するね。推しくんの努力はすごく伝わってるよ。でも今は売れないって本人も思っちゃってるんだね。無力でごめんね。これからほんとに売れるのかな。ただでさえアイドルは若い方が売れるのに……。
要は、私が推しを信じきれなかった。絶対売れるって信じてあげられなかった。アイドルの応援は楽しいことのはずなのに、売れないことが自分にとっても辛いことだと認識してしまった。そして思ってしまった。こんな辛い思いやめてしまいたい、と。
私情だが私はリアルの方でも生活が上手くいかなくなっていて、それでいて「娯楽」であるはずのアイドルの推し活が辛いものになってしまうことに耐えられなかった。今でも推しのことが好きだけど、「好き」の気持ちより「売れさせてあげられなくてごめん」の気持ちが大きくなってしまった。ただのファンが何様?って感じだ。売れないのは私だけのせいではない。でも、人気のないグループを応援する自分に我慢できなくなってしまった。
もっと人目を気にしない性格ならよかった。自分の好きなものは好きと言える性格だったらよかった。そしたら、人気もフォロワー数もライブ会場の埋まり具合も気にせず、ただアイドルがくれる幸せを享受していただろう。でも私はやっぱり人気グループを応援したい。ファンが痛々しく盛り上げようと頑張るグループじゃなく、頑張らなくてもどんどん人気になってくグループがいい。気付いたら大人気グループになってて欲しかった。ごめん、私そこまで頑張れない。
かくして、私はファンをやめた。
決して嫌いになったわけじゃない。けど、しばらくは離れようと思う。
いや、やめなくてもいいんだけどね。面白いから。タイトルはあまり気にしないで。
ただ「なんでみんなこんなにおごり奢られ論争が好きなんだろう?」って一歩引いた目で見ているのは事実。
だって「そんなんケースバイケースすぎん?」としか思えないから。
たとえば先輩が後輩をご飯に誘うケースなら性別関係なく先輩が後輩に奢るのはまあ自然に思えるじゃん?
先輩後輩でもさほど年齢や収入に差がないと思われる場合は割り勘もありじゃん?
差があってもしょっちゅう飲み食いする間柄なら「今日はごめん、割り勘でいい?」とか「先輩、いつも悪いんで今日は僕が出しますよ」って日があったっていいじゃん?
いろいろだと思うんだよね。
よくある炎上は男女間の「おごりおごられ」なのでそっちの話もしよう。
ネットとかで美人ぽい女が割り勘て言われて「奢れよw」ってキレてるのはいろいろな意味で「いやそれ公には言わんほうがええんちゃう?」とは思うけど、歓心を惹きたい側が奢るって考え自体は見当外れなものではない。男→女でも、女→男でも。男女じゃないけどビジネスでも。
ただ同じ男女の話でも、たとえばある男が気になる同期の女をメシに誘って奢ろうとしたならば、「いやなんで同格のお前におごられなあかんねん」と気分を害す可能性はある。上で「歓心を惹きたい側が奢るって考え自体は見当外れなものではない」といいつつ、裏目に出るケースも全然あるということ。難しいよね。
気分を害すまでいかなくとも、もう少しフラットに「いやいいよ。自分の分は払うよ」という反応は普通だろうし、「ありがとう、じゃあ次は私がおごるね!」なんていう理想的な展開となる可能性もある。反応は女が男女平等主義者かどうかによっても変わるし、男への好感度によっても変わるし、昨日ネットで見た「おごり奢られ炎上騒動ニュース」によっても変わる。正解などない。ケースバイケースである。
いわゆる「同格」じゃない場合はどうだろうか。
男か女かを問わず、収入も年齢も上の人間が異性を「そういう目的」で誘うならまずは「奢る」ベースで臨む場合が多いように感じるが、仮に何かの話のはずみで相手が割り勘主義者だと察したならば割り勘を提案することでみごと歓心を惹くことができるかもしれないし、裏目にでて「ケチ」と評価を落とすかもしれない。やっぱりこれもケースバイケースである。
はたまた、男女対等論者の男でも、「今日は無理言って付き合ってもらっちゃったから奢らせて!」と言いたくなることはあるだろうし、男女対等論者の女でも(ふむ。じゃあ奢られることでイーブンか)となって素直に「ありがとう」するかもしれない(しないかもしれない)。別に矛盾していない。ケースバイケースである。
まとめ代わりに私見を少し書かせてもらうと、あまり奢るとか割り勘とか、自分の主義を持ちすぎないほうがいいんじゃなかろうか。
精神衛生的には男女ともに「いつでもおごるよー」という気持ちを内に秘めつつ(たぶんヨッピー氏もそうなんだろう)、状況と相手の出方次第というスタンスが良さそうに思う。
婚活もそのスタンスなら「なんで男が奢るのがデフォやねん」「なんで女だからって奢られなあかんねん」と憤ることもないと思うんだよね。結婚が目的なのにそんなところで躓いてるのもったいないじゃん。
以上、世の中におごり奢られに関する絶対の正解などなく、ケースバイケースとしか言えないよねという話。
余談。
ちなそのケースバイケースというのを踏まえると、「下心チラつかせたおっさんが女性誘ってからの初手で割り勘」という、しばしば炎上するケース。俺が女でもやっぱり「いやそこは奢らんのかいw」って心の中で突っ込んじゃうと思う。SNSでは言わないけど。
真面目な話
https://anond.hatelabo.jp/20230215180746#
の返しをしてくるこいつはおそらく数学ができる人間側に帰属意識を持ってるはずだ。
それに対して
https://anond.hatelabo.jp/20230215181123#
はむしろ理系でもこの点では同じぐらいの可能性で知識を持ってると言っている。ヨイショしてるわけだ。
それなのにまぜっかえして反論を続けるのは自分で自分を否定してるようなもの。もっと大きな論理を見据えて戦ってるのかもしれないが、それは(数学が出来る人と丸山を知ってる人の対立構造であることが真か否か)どっちであろうとそいつには関係ないことのはず。
二頭を追う者一頭も得ず。なんでそこまでこだわるのか理解できないってわけだ。
とても丁寧に女性労働者の視点で自動車製造工程の現実を説明してくれたことについて先ず増田女史の労をねぎらいたい。文章も分りやすく明快で、知的な女性がこれを書いているという印象を持った。
発想が近視眼的になっている。標準男性の体格体力でないと不利なラインはいかに花形扱いしようが給与をあげようが働き手の絶対数が足りない未来では人手不足になる。ヤマトはダンボールのサイズと重量規格を見直した
「近視眼的」などという批判を彼女に向けるのは間違っているのではないか。彼女の文章は現状の報告である。先ずそこを受け入れるべきであろう。そのうえで将来的展望や改善策、それに向けての具体的な案、計画、そういうものを語るべきだろう。ブコメの文字数でそのようなことが記述できるとは思えないが、いきなり批判の言葉を投げつけるのは不躾であるとしか思えない。そして彼女の文章は現状を嘆く愚痴のようなものではなく、丁寧な現状報告であり、その現実がどこからきているのかを分析してもいて
ハッキリと言ってしまえば自動車製造業というノウハウ自体が男性が中心となって蓄積してきた仕事のため、自動車製造は女性ができるようにはなっていない
と明確に記述している。現状の報告と原因の分析もなされている。そして
とも書いている。具体的に皆で考えようと提案してくれているのだ。そのような内容であるにも関わらず「近視眼的」という批判はあまりにも増田女史に対する評価として厳しすぎると言わざるを得ない。
まだある。
"自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。"ここだけ主張すれば十分。
その結論に至るまでに現状の報告があるのではないか。このような軽薄で冷笑的な態度は何も建設的なアクションを産まないことを知るべきだ。自分のほうが賢明であることを気取っているようだが、貴様に増田女史と同じレベルの文章が書けるか考えてみるべきだ。
もうひとつ
女性が増えれば女性が働くにはどうすればいいか現場改革も進むのでは。国会議事堂のバリアフリーは車椅子議員が当選して初めて急激に進んだ。当事者が現場にいて困ることから始まる
本文を読んだのだろうか。増田女史は
自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。
まずは副ラインを女だらけにしよう!
と書いている。これは先ず副ラインから女性の数を増やし、やがて主ラインでも女性が働けるような環境に持っていこう!という高らかな宣言ではないか。すでに本文で宣言されていることを再提案するブコメの意味は何なのだ?
そしてブコメでは「女性が増えれば」と書かれているが、増田女史は「女でも老人でも」と書いている。フェミニズムの本来の目標は女性解放だけではなく、全ての人々が公平で平等な世界を作ることのはずだ。本来のフェミニズムの目的を理解しているのはブクマカではなく増田女史の方であることは明らかだ。
まだあるぞ。
一体何と戦ってるんだ。自動車工場がどうだろうと、体力は関係ない高給取りの管理職の女性割合が少ないことには変わりあるまい。
増田女史の文章を読んで何と戦っているのか読み取れないのか?文盲か?彼女が今の職場で戦っていることが理解できないのか?
「高給取りの管理職の女性割合が少ないこと」も改善していかなければならない課題だが、工場で働く女性労働者の問題が提示されその改善を訴えることは無駄なことか?すべての改善が必要な場で改革が行われなければならないのではないか?「自動車工場がどうだろうと」といった特定の労働者を置き去りにしてもいいという考え方には職業差別が自身の中に内包されていることに気付くべきだ。
腐すばかりでは能がないので、良いブコメも取り上げておこう。
高身長の人だけが働く場所ならドアも作業台も高いだろうし、逆なら全部低いだろうし、そんな風に全部が男性基準で出来上がっちゃってるんだから最初から不利なんよ。男並を求めるのがもう間違ってんの。
増田女史の文意を読み取った適正な反応と言わざるを得ない。増田女史の文章は「男性基準で出来上がっちゃってる」ことの報告そのものであるし「男並を求めるのがもう間違ってんの」ということが女性進出への障害になっていることも示している。そのことをきちんと理解して100文字制限の中で端的に現している。このようなブコメが人気コメントに入っていることに救いを感じる。
賛同が必要だとか批判するなと言っているのではない。しかしブクマカたちは批判することが文章を提示した者よりも高位であると勘違いしていて、何が何でも批判しようとしているのではないか?必要であれば批判するべきだが、必要でない批判はするべきではない。ましてや筋違いの批判などもってのほかである。ブクマカたちは文章を提示した者よりも自身が賢明であることを誇示するために批判しようとしていないか?よく考え直せ。
服が臭うやつらが8割、体臭が原因のやつらは2割、というのが自分の考えです。逆に言うと、8割は自助努力で何とかなる可能性が高い。以前書いたのの再掲。
オタク界隈に多くて改善余地が高いのは、むしろ「服臭がすごい人たち」だと思う。体臭がキツくない人でも、一度服臭が出るループに入っちゃうと、ずっと服が匂い続ける。あれは雑巾みたいな悪臭なので、ムンムン系とか酸っぱい系の体臭と違うのはすぐわかるはず(体臭×服臭というハイブリッド型もいるが…)。
あの服臭は、衣服の繊維の中でモラクセラ菌が常在してしまうのが原因で、一度繊維内で繁殖してしまうと、普通に洗濯してても絶対になくならない。やつは中性洗剤にも乾燥にも紫外線にも強い。洗いたて・乾燥したての状態だと無臭になったように感じるけど、着用して少しでも汗の蒸気を吸うと、モラクセラ菌が活動してすぐに排泄物による雑巾の臭いが甦ってくる。汗だけでなく、少し雨に濡れただけでも一気に匂いが吹き出す。最悪。
その状態の服を他の服と一緒に洗濯すると、別の服にも次々とモラクセラ菌が伝播していく。そして一番怖いのは、一度鼻が慣れちゃうと自分ではこの匂いになかなか気づかなくなること。誰かに指摘されるまで、自分が臭いことがわからない。悪魔の細菌だと思う。
「熱湯使え」というアドバイスがよく出るのは、このモラクセラ菌を殺菌できるからなんだけど、正直、大量の衣服を一気に殺菌できるほどの熱湯を自宅で沸かすのは現実的じゃない。服も傷むし。
自分のおすすめはオスバンS。湯船で温めたオスバン溶液を作って、持ってる服や寝具をぜんぶ漬け込んで、半日おく。洗濯槽にもオスバン溶液を入れて、洗剤入れずにすすぎ洗いすることで、生活環のなかに棲み着いたモラクセラ菌たちを隅々まで殺菌する。服臭を何とかするならとりあえずこれが一番強力。次亜塩素酸系のハイターと違って色物にも使える。1本600mlが800円程度で、100倍希釈という殺菌力MAXの濃度でも湯船の1/3(60L)の量を作れて、たいへん費用対効果が高い。オスバンはポリアミド以外のプラスチックは冒さないので直接湯船でやっても大丈夫なはずだけど、念には念をで厚手のゴミ袋に入れて漬け込むのもいいかも。
あとは、日々の洗濯でワイドハイターPRO抗菌リキッドを使おう。ワイドハイター系は最近消臭系の派生製品がたくさん出ていて混乱するけど、消臭成分=殺菌成分じゃないので騙されてはいけない。やりたいのは匂いを消すことではなく匂いの元を断つことのはずだ。殺菌という切り口ならワイドハイターPRO抗菌リキッドが一番いい。
体臭はねぇ、すごい人もいるけど、けっきょくは体質の問題でしょう? 絶対数が少ないし、効果がある対策が少ないと思う。消臭ボディソープ使って、デオナチュレして、そんでも半日後にはやっぱり匂ってしまう人はいるんだよね。個人的には、「やるだけやってるけど、体質や生理現象に負けてる人」をそれ以上責める気にはならないな。
オタク界隈に多くて改善余地が高いのは、むしろ「服臭がすごい人たち」だと思う。体臭がキツくない人でも、一度服臭が出るループに入っちゃうと、ずっと服が匂い続ける。あれは雑巾みたいな悪臭なので、ムンムン系とか酸っぱい系の体臭と違うのはすぐわかるはず(体臭×服臭というハイブリッド型もいるが…)。
あの服臭は、衣服の繊維の中でモラクセラ菌が常在してしまうのが原因で、一度繊維内で繁殖してしまうと、普通に洗濯してても絶対になくならない。やつは中性洗剤にも乾燥にも紫外線にも強い。洗いたて・乾燥したての状態だと無臭になったように感じるけど、着用して少しでも汗の蒸気を吸うと、モラクセラ菌が活動してすぐに排泄物による雑巾の臭いが甦ってくる。汗だけでなく、少し雨に濡れただけでも一気に匂いが吹き出す。最悪。
その状態の服を他の服と一緒に洗濯すると、別の服にも次々とモラクセラ菌が伝播していく。そして一番怖いのは、一度鼻が慣れちゃうと自分ではこの匂いになかなか気づかなくなること。誰かに指摘されるまで、自分が臭いことがわからない。悪魔の細菌だと思う。
「熱湯使え」というアドバイスがよく出るのは、このモラクセラ菌を殺菌できるからなんだけど、正直、大量の衣服を一気に殺菌できるほどの熱湯を自宅で沸かすのは現実的じゃない。服も傷むし。
自分のおすすめはオスバンS。湯船で温めたオスバン溶液を作って、持ってる服や寝具をぜんぶ漬け込んで、半日おく。洗濯槽にもオスバン溶液を入れて、洗剤入れずにすすぎ洗いすることで、生活環のなかに棲み着いたモラクセラ菌たちを隅々まで殺菌する。服臭を何とかするならとりあえずこれが一番強力。次亜塩素酸系のハイターと違って色物にも使える。1本600mlが800円程度で、100倍希釈という殺菌力MAXの濃度でも湯船の1/3(60L)の量を作れて、たいへん費用対効果が高い。オスバンはポリアミド以外のプラスチックは冒さないので直接湯船でやっても大丈夫なはずだけど、念には念をで厚手のゴミ袋に入れて漬け込むのもいいかも。
あとは、日々の洗濯でワイドハイターPRO抗菌リキッドを使おう。ワイドハイター系は最近消臭系の派生製品がたくさん出ていて混乱するけど、消臭成分=殺菌成分じゃないので騙されてはいけない。やりたいのは匂いを消すことではなく匂いの元を断つことのはずだ。殺菌という切り口ならワイドハイターPRO抗菌リキッドが一番いい。
メールで11回の問い合わせを致しましたが、番付作成者の書き込みは全て利用規約上の問題がないと仰せられました。
よって番付作成者による反省と謝罪は全く行われていないものであると解釈します。
はてなは公序良俗に基づいた書き込みを常に求める会社なのに、妙な判断基準です。
AIによる自動返信だとしても、あまりにも間の抜けた返信でした。人間による最終確認がないようでした。
元オウム真理教信者のツィッターの使用法は非常に奇妙で、「一人しか使わないハッシュタグ」にこだわりを示すことがあります。
真実を指摘されると「妄想!」と連呼。ことのは騒動の頃からまったくなにも進歩していません。
ここまで進歩がないのですから、高齢者の書き込みであることは明らかです。
8月19日の午後まで、はてな株式会社AIとのメールのやりとりは続いていましたが、なんと私があるブクマカのダイアリー停止を望んでいる、と勝手に文面がAIによる自動返信によって解釈されたようです。
私はそのようなことは1度も主張していません。
「番付増田のエントリは削除したほうがいい。ただし削除するのかどうかははてな株式会社が勝手に決める」という主張、この点だけです。そのブクマカのアカウントを削除しろとは言っていません。
AIの性能にはかなり問題があるようで、話を頻繁に逸していました。さほど緊急の案件とは思えませんが、はてな株式会社には焦りの色があるようでした。図星を突かれているのかもしれません。
背中に手をまわされてやわやわとさわさわされたときのぞくぞくした感じとか
何でかだき合ってるとお尻のあたりばっかりぬれるからその下にバスタオル2枚敷いたりだとか
いろんなところがふれ合ってるだけで気持ちいいとかしあわせだとか
痛くない程度にどんなに強くぎゅっとしてももっとぎゅっとしたい感じが抜けなかったりとか
それをあのこに言ったらわたしも同じことおもってたって言われて笑い合ったりとか
腕枕で寝落ちしてふと目がさめたらこっち向いたあのこの寝顔が間近にあって
あのこが起きたあともろくに腕が動かないのを平然なふりして必死に隠して
しっかりバレてて耳元でささやかれてあやまられたあとすきだよっていわれて興奮して
恋人繋ぎしてるだけで興奮するからデート前の賢者モードは必須だし
それでも興奮しちゃうから手提げのかばんをさりげなく前に持ってってみたりして
やっぱり当たり前にバレちゃってて二人きりになったときに耳元でささやかれてからかわれてますます興奮して
そうしていつかはじめての日がやってくる
おれもあのこもはじめてで、ゴムの裏表がわからなくてうまくつけられなくて、そのあいだになんだかやわらかくなってしまう
なんとかつけて、足を広げて、入れようとしても入り口が分からない、ここかなと思ってもするするとすべる、そのあいだにもやわらかくなってしまう
やっと先の方が入ったと思ったら、とたんにあのこは痛がった
大丈夫だよっておれに言ったあのこの顔が本当に痛そうで、それでもう、すっかりやわらかくなってしまった
これはそんなにきれいな話じゃない
あえて書いてないだけで、おれは最低な人間だ
当然あのこにとってさえ
なんで痛いのはあのこだけで、俺はちっとも痛くないのか
なんでそういうふうにできているのか
だからというわけではないけど
おれは今日もひとりシコって寝る