はてなキーワード: 絵画とは
横だけど実例を上げておく
アラフォー既婚。子供作んないの?と無神経なこと聞いて来る連中が大嫌い。躾が出来ない親とその子供、妊婦様、子持ち様も大嫌いです。同じ境遇の方とお話し出来たらなあと思っております。
本音と愚痴用。躾のなってない子供と図々しい子持ち様が嫌い。猫、読書、海外ドラマが好き。オカルト好き大歓迎。DINKS。ごちゃごちゃ色々とつぶやきます😙 クソリプやクソ引用RTは積極的に晒します💕
就職氷河期世代。世の中の理不尽を呟きます。脱原発、安倍の移民政策反対(技能実習生)、反マイナカード、監視社会や国民が望まぬ政策を強行採決する自公維国不要! 反日工作員とお姫様気取りの「子持ち様」「妊婦様」はクソ。大相撲、絵画、手芸、習字、ショパン、日本料理、日本語誤用論等趣味。クソリプとネットビジネス垢はブロックする。
#東北楽天ゴールデンイーグルス のファン。 Dorothy Little Happy白戸佳奈ちゃんは永遠の推し。 公金に集る #劇団員様 #子持ち様 #妊婦様 #逆マタハラ #逆パタハラ #毒親 が嫌い。 環境保護型反出生主義者(持続可能な人口規模へ)、武闘派。 子無し労働者の権利を尊重。 動物好き(特に犬)。
#子持ち様 #お局 #上司 #パワハラ上司 #社畜 #理不尽 #パワハラ #逆マタハラ #女性の活躍推進 についてのツイートしています。数だけ目標の女性の活躍推進大反対。逆マタハラが一般社会に浸透しますように。女性だけれど実態の伴わない「女性の活躍推進」には大反対。 ブログ始めました。
強産被害者。男嫌いだから寄ってくんな。安楽死はよ。 苦しく死ぬのだけは嫌だ。ネグレクトの結果厚生労働大臣お墨付きの障害年金2級。障害持ったまま生きてても楽しくない。 30↑ガキはすっこんでろ。子持ち様嫌い。筋の通らない反対意見→秒でブロック HSP.自律神経失調症.パニック障害.不安神経症.うつ病.副腎疲労症候群.LS
#独身貴族 #反出生主義 #フリーター #恋愛アンチ #性嫌悪 ですが、別に既婚者や子持ち様、正職員でバリバリ働くフルワーカーさんから蔑まれても、こっちだってそれ以上に蔑んでますからどっこいどっこいと言ったところだと思いますw誰からも固定観念にも縛られずに自由に生きる!良い意味で世界をぶち壊していきたい。
反出生主義者にして安楽死しか道が無い理由は、自分の親と姉と義兄が子持ち様な事、親や外国人の奇声とスポーツの叫び声・怒鳴り声とTVの音と外国語のアナウンスを聞かされ、受動喫煙被害もあり、外国語の文字を見させられる世の中な故、交通機関も無理だから。他は反狂育・反校則・反ブラック企業・反社内規定等の思考とASDと抑鬱。
鬱もち、ADHD、毒親育ちのアダルトチルドレン独身子無しナースです 結婚子供ノーセンキュー 子持ち様へのヘイト吐いてます 現在無職、障害手帳3級、障害年金2級にて療養中。
本音を吐き出す垢 躾をしない子持ち様が嫌い 関わりたくない DINKs 面倒な人をかまってあげる気も意見の合わない人と議論()する気もありませんので噛み付かれても晒して即ブロックします
子連れと言う名の異敵と戦う侍 公共の場を私物化する奴は💢😠💢 現在は電車内飲食が問題化してますね。 全員が全員、感染拡大を止めたいわけじゃないから広めたい人は飲食しますよね💧 #クソ子持ち様川柳
アラフォー。夫婦二人で仲良く暮らしてます。 うるさい子供と偉そうな子持ち様が嫌い。軽く反出生で人類は滅んでも良いと思ってます。極度の嘔吐恐怖症で30数年はいてません。パニック障害、会食恐怖症、鬱、などなどありますが現在は断薬し、通院してません。フォロー申請はお気軽にどうぞ🍏
生まれも育ちも岡山県倉敷市 /猫と尾道が好き /FLYERS(SKY-HI時々AAA) /猛毒につき接近禁止!! /ダブルワーク /同業者さんフォロー歓迎 /デキ婚様・妊婦様・子持ち様・高齢者様、大嫌い(笑) /頭おかしい人切ります(笑)
アドレナリン垂れ流す子持ち女の愚痴垢。人間力向上のために自己啓発本を集めるのが趣味です。嘘です。/反日/老害/セクハラ性犯罪者/妊婦様/子持ち様/道路族/こいつら一人も日本にいらない/日本語不自由な奴は回れ右/基本通知は全てオフです
社畜。ワガママワーママ様の尻拭いの日々。上司役付き♂にも子供優先で同僚部下に迷惑かける子持ち様いて厄介。子なし独身に休日出勤や残業押しつけるな!子持ちの尻拭いは子持ち同士で! #子持ち様 #ワーママ様 #妊婦様 #ベビーカー様 大嫌い! #逆マタハラ #独身ハラスメント #子なしハラスメント 絶対許さない!
クソ家庭生まれ。大卒だけど正社員経験がコールセンターしかない将来お陀仏自○予定マン。汚客しね。投資も副業もしね。騒音起こす奴しね。高齢者と子持ち様が大嫌い。毎日愚痴と自32願望。今の世の中に疑問。災害か通り魔に遭遇して4にたい。業者はぶっ56す
貴腐人です。 犬が大嫌いですが、虐待反対! でも「動物こそが全て!」という考えも、断固拒否です。動物実験は必要です。 動物実験のお陰で、私は助かっております。 男性不信&男性恐怖症。 反フェミや糞男(ミソ男など)、キモオタ、糞ガキ、馬鹿親、子持ち様、妊婦様、それらの擁護派が大嫌い。 ちょっとだけフェミ寄り。
まとめサイト転載厳禁。ミソジニストと名誉男性、クレクレ子持ち様、トランスカルト信者はくんな。アンチ出生賛美。キラキラリベフェミとママニズムが嫌いなのでフェミニストを名乗りません
18↑/ゲイ/相方います/DID(解離性同一性障害)/AC/毒親育ち 趣味はゲームとお料理と創作 BL,おっさん,ショタ,筋肉が主食の腐男子 創作BLのみで絵と小説かくよ。創作小説はR18率高。うちよそは相方さんとだけ。 クソガキと子持ち様が嫌いで子持ち様への愚痴率高め。フォローはご自由に。18歳以下はフォロー非推奨
時短勤務で育児に勤しむ反出生主義者/15歳で洗脳が解けアンチハーンとなる/DINKSとして家父長制に加担/安楽死オフ会が生きる希望/ベビーカーに追突され粉砕骨折(2年ぶり15度目)/フードコートで子持ち様被害者を慰労し隊/ #反出生主義
旧ぐちって。です。情シスとは言えない業務側の要件定義者。反出生主義の勉強中です。多分アセクシャル、HSP。イクメンや子持ち様の奴隷はもう嫌です。 無言でフォローしてしまいます。よろしくお願いします。
愚痴、泣き言、本音吐き出し専用アカウントです。好きなのは動物、ぬいぐるみ、山などの自然。嫌いなのは妊婦様、子持ち様、障害者様、老害。要は属性関係なく非常識で無神経で傲慢なのは嫌いです。
クレクレ!配慮を!コドモガ〜!系の迷惑な子持ち様、ワーママ 、頭のネジも股もゆるいシンママ、イクメン気取りのバカ男や無能でプライドだけ高い男尊女卑クソオス、それをかわいいと思うスイーツ脳のバカ女、無駄に歳ばかり食った偉そうな老害、私の大嫌いなものです。好きなものは綺麗なもの。
Xジェンダー/難病/リベラル/安楽死推進/哲学/道路族被害者/にじさんじ/ 子持ち様を苦手としています。 リベラルはリベラルでも自己流であり既存の左翼観には反対です。
【関心は惚気垢さん・フェミニズム・LGBT・動物愛護・子持ち様妊婦様被害】過激フェミもミソジニストも愛誤も極端で嫌い主語のデカい人も嫌い。何で君らゼロか100かなんだ/児童・動物虐待許さん/毒親持ち/バイセク/性暴力被害者/殺処分反対/TNR/動物のお仕事/夫と息子ラブ。仕事比重大きめの雇われ店長。無言RTは大抵同意
らしさの押し付けから逃れ、更に強え女になるためフェミニストに。子持ち様や自称弱者男性、表現の自由戦士が無理。植物やクラシック、ボサノバ、二次元のオタク。弱ペダの泉田推し。変態発言&BL注意!泉田総受けと悠葦にときめいている。女体化や男体化、擬人化、オメガは地雷
関係ないけど、モデルが居てそれを描く絵画ならエロ絵というよりヌード画として見れるしエロさよりも美しいとか素晴らしいとか思う、しかし現代のTwitterに居るエロ絵師の性癖全開な妄想を元に描いているエロ絵はイカ臭くて気持ち悪りぃと思ってる、なんでお前の性癖を通りすがりの全く関係ない俺が目にしなくちゃいけないんだよって思うな。例えばツイッター内で「緑茶」とサーチしてみ。
過去にエロ絵を描いた人が叩かれているらしい。なのであるエロ絵師の話をしたい
彼は貧しい農村の出身だった。家中の金をかき集めてボザール(日本で言う藝大)を出たものの、賞に落選した後は肖像画やエロ絵描きをしていた。
ここはちょっと説明が必要かもしれない。当時、絵画は写真の役割を担っていた。つまり売れない絵描きは金持ちのポートレート写真や、ポルノ写真で食い繋いでいたのである。暮らしは貧しかったらしい。ついに奥さんは結核にかかり亡くなってしまった。
あるときミレーは画廊の前で彼の絵を眺めている2人の若者を目撃した。若者の1人が「この絵の画家を知っているか」と聞くと、「うん、裸の女しか描かないミレーという画家だ」ともう1人が答えた。その会話を聞いたミレーは、生活は苦しくなるだろうが、もう二度とエロ絵を描くまいと心に誓ったそうだ。
彼は自分の故郷を題材に選んだ。清貧な農民の暮らし、貧しい中の敬虔な信仰を彼は鮮やかにキャンパスに描き出し、人々の心を打った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/落穂拾い_%28絵画%29
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jean-François_Millet_-_The_Sower_-_Google_Art_Project.jpg
「エロ絵を一度でも描いたことのある人間の絵を使ってはいけない」なら岩波書店アウトでしょう、という皮肉なんですが誰にも伝わってなさそうで絶望しています
ミレーも話してた若者も「エロ絵を一度でも描いたことのある人間の絵を使ってはいけない」的な価値観の言動をしているこのエピソードをそういう皮肉の意で使うのはおかしいのでは
えっ そんな言動していませんが?
当時のミレーはただのエロ絵描きと見られていた、若者の会話を聞いてブチ切れて好きな絵を描くようになったというエピソードです
https://ja.wikipedia.org/wiki/晩鐘_(絵画)
例えばこれ、ミレーの描いた「農民が神に祈りを捧げる絵」なんですけれど、サルバドール・ダリはエロ絵解釈してまして、
サルバドール・ダリは、男性を、交尾の後にメスに食べられる運命のオスのカマキリに見立て、勃起した股間を帽子で隠しているという独特な解釈を行い、それに基づいて『たそがれの隔世遺伝』(1933-34年)などの作品を制作した
こんなん。どう思う? 私はダリの絵は好きだけどこの解釈はないわーと思ってるわ。この絵だけじゃなくて大量に2次創作みたいのしているんよ。本人的には尊敬してるっぽいんだけどさ! ないわーー ほんとこの人の解釈ありえんわーー
でもダリの2次創作絵を無くせなんてことは言わないし、ダリが独自解釈するのも自由だし、私も自由に文句言うぞ。
いや、まじでダリの画集の解説よむたびにイラッイラしているのでつい書いてしまった。ごめんよ。
あとごめん、温泉娘のイラストは見た感じ私にはエロには見えなかった。ただ、そう見る人もいるんだろうね。
えええ?? あの絵でエロ絵描いてたん??! 作風ぜんっぜん違うじゃんか?! そっちのがびっくりだわ!
一方葛飾北斎は「ちんちんヌルヌル」みたいなフェミ激怒レベルのPNを用いエロ絵を描きまくった
まあ、外人とサヨからしたら小島のジャップ猿の作品なんぞただの落書きなんだろうがね、ミレーという世界的有名画家と比べるな!とかキレそうなので
ひゃぁーーーー 葛飾北斎は別格だわ!! そうだね、浮世絵があったね。増田は頭いいなぁ。
近代美術史に思いっきり影響を与えたのが浮世絵ですよ浮世絵! 影響大きすぎてどこから話せばいいかわかんない。
モネとかドガとかセザンヌとか・・・ えーと、『印象派以降の絵画ってよくわかんないなー』みたいなこと思ったことない? その辺り、芸術が一気に自由になったその大元凶が浮世絵なんですよ。
西洋美術って、写真のかわりみたいな発展の仕方したのね。写真みたいに正確に、解剖学とか遠近法とかきっちりした絵を描いていたわけ。でも、浮世絵はその辺全部無視して 思いっきりデザイン的な絵を描くのね。大胆な構図重視でおもいっきり誇張したりデフォルメしたり、色彩表現も独特ですごい鮮やか。トーンつけたり(影を入れたり)しない。絵ってこんなに自由でいいんだ・・・!って当時の人たちにものすごい衝撃を与えたの。それでみんながいろんな手法を試し始めて現在に繋がるの。
ポルノとかブロマイド写真、観光土産のポストカードといった、微妙な立ち位置だった浮世絵が、美術史に多大な影響を与えたなんておもしろいし、現在の価値観で下賤なものでもなるべく規制しない方がよいのだろうね。
関係ないけど、モデルが居てそれを描く絵画ならエロ絵というよりヌード画として見れるしエロさよりも美しいとか素晴らしいとか思う、しかし現代のTwitterに居るエロ絵師の性癖全開な妄想を元に描いているエロ絵はイカ臭くて気持ち悪りぃと思ってる、なんでお前の性癖を通りすがりの全く関係ない俺が目にしなくちゃいけないんだよって思うな。例えばツイッター内で「緑茶」とサーチしてみ。
ははぁ、なるほど。それは同情するなぁ。
私もエロは苦手なんだけど特に嫌な目にあってないのは Twitter をやってないせいかもしれないな。
Twtter 側でどうにかできないものだろうか
なんで世の中萌え絵ばかり溢れるかって、それ以外にお金を出してくれる人がいないからだよね
最初の一歩は萌え絵以外を描いているひとを支援することではないかな
たとえば Pixiv で「オリジナル」タグで検索して気に入ったイラストにいいねしてコメントして回るだけでずいぶん変わると思うよ。
陶器のようにすべすべで白い肌、大きすぎる目、解剖学を無視したプロポーション。
彼の持つ美的センスはあまりに異質で、当時誰も理解することができなかった。
彼の名はドミニク・アングル。女性の"シワを描かない"ことに異常にこだわり、しばしば解剖学を無視した絵を制作した。
それが公開されると批判と称賛を同時に浴びた。
「椎骨が3つ多い」
批判派には解剖学的間違いが指摘されたが、後にそれは「故意にやったのだ」と理解されるようになる。
美術の歴史は自由の歴史と言える。常識を打ち破りより自由な表現へと進化を続けてきた。アングルは「美の追求のためなら解剖学を無視しても良い」と教えたのだ。
彼の描く女性像は当時の人に違和感を与えたらしいが・・・残念ながら我々はそれを窺い知ることはできない。つやつやの肌も、大きすぎる目も、解剖学を無視したプロポーションも、我々にとってはあまりにも普通だからだ。でもそれは逆に、アングルが伝えたかった美を我々は純粋な目で鑑賞できるということなのかもしれないな
https://ja.wikipedia.org/wiki/グランド・オダリスク
全ての萌えオタは見ると良い。そして讃えると良い。これが巨匠アングルのグランド・オダリスクである。
女性のシワが出ないようにポージングや構図をめっちゃくちゃ工夫して頑張っているのでその辺もよくみてください。お願いします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/泉_(絵画)
76歳にして完成させた『泉』は熱狂をもって迎え入れられました。陶器のような肌、理想化された肉体、古代ギリシャ彫刻に端を発するコントラポスト。新古典主義の傑作として後世に影響を与えました。
まあつまりさ、「お前の描く人間は腰が細すぎる 解剖学的に間違っている」みたいなことを言われたら「それは18世紀にすでに通った道である」みたいな返しすればええんよ。芸術ってやつは自由でいいんよ。好きなもの追求してください。
なんか飽きたからここでやめる
言い当て妙だなと思う
でも、往々にしてそれは「髪がピンクと緑でもいいよね」「男がスカート履いてもいいよね」というレベルだ
若者はたいてい、世界には自分の想像の及ばないけれども紛れもなく人間であるという存在が当たり前にいる、ということをまだ感覚できていない
現実社会のレベルでみたときの多様性とは、老人がいて、若者がいて、子どもがいて、性別を手術で変えた人がいて、足のない人がいて、…という、これでもまだ一般的すぎるような話なのである
アニメの世界や漫画の世界では実に多様な絵柄が存在できる…はずだがやはり、オタクの人々が好むのはその中でほんとうに特定の方向性の絵柄だ
もしその絵柄のなかにドップリ浸かるオタクとして生きていたら、目の描き方とか、線の処理とか、そういったディティールの機微によって「萌え絵の絵柄は多様である」と言いたくなるものだろう
だが本当の意味での豊かな絵柄の世界に目を向ければ、たとえばより文化的に近いばすの日本のマンガの世界ですら、萌えにとらわれないもっと「多様」な表現の海が広がっている
海外のコミック、イラストレーション、絵画まで幅を広げれていけば、視覚表現というのは如何様にもなしうるものであり、かつそれらは本質的には萌え絵と呼ばれる表現と地続きであることを感覚できるだろう
つまり、どちらの表現ももう片方に接近できるくらい共通のものでありながら、こんなに離れて感じられる言う存在が世界にあることを感覚できるだろう
若者が「多様性」を重んじているつもりでも、社会に触れてみると実際は自身が「若者」しか受け入れてなかったことに気づくというのは、これと同じ構造をもつことによるものだ
外部から「多様性がない」と評価されることにオタクが難色をしめすというのは、したがって老人から無理解を示されたと感じる若者というアナロジーが非常にマッチしていると感じられる
販売中止に至った理由は関係者以外にはわからないことも含め多々あるとは思うけど、今回の件で個人的に思ったのは以下三点。
1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いを十分理解しないまま商品化が企画された。
2、グッズ化する商品が作中で差別を象徴するものであると同時に現実の差別を象徴するモチーフと類似していた。
まず1、「作中で描かれること」と「グッズ化すること」との違いについて。
漫画の作中で悲惨さ・凄惨さ等のいわゆる「負の部分」を描くことは、全く非難を受けない訳ではないけど、
現実のできごとを馬鹿にしたり面白おかしく伝えるような描き方でなければ、
販売停止とか発禁処分みたいな厳しい対応にはならないのが普通だと思う。(グロテスクさや露骨さの度合いにも寄ったりするけど)
でも、今回はその「負の部分」を商品化した。
悲惨さや凄惨さを伝えるみたいな文脈を持たない、一部分を切り取って、商品化した。
するとどうなるか。
現実の世界にそれを売っている光景と持っている人が現れる。(今回の件では受注生産だけど、転売等の可能性もあった)
欲しがって買う人の笑顔や、買って着けたり飾ったりして嬉しそうにツイートしたりすることが現実の世界で現れる。
作品の中で描かれれば、それを直接知るのはその作品に触れた人だけだけど、
いろんな人が現実に現れたその作品の一部を見たり聞いたりすることになる。
作品を知らない人からすれば、「あれは何だ?」「〇〇に似てるな」「馬鹿にしてるのか?」
とどんどん悪い方向に話が飛躍していってしまうことも十分ありえる。(意図してそういう方向に持っていこうとする人もいるだろう)
もしそうなったら、ビジネスとしての商品化は明らかに失敗だし、原作の評判にもキズをつけてしまうことになる。
作品の中で描かれることと、作品の一部を切り取って現実の世界でグッズ化することにはこういう違いが存在すると思う。
次に、グッズ化されたのものが差別の象徴であったことについて。
いくら「作品の中での差別だから現実の差別ではない」といっても、
それは作品の中でならの話。
1で書いた通り、グッズとして現実のものにするとなると、話が変わる。
とにかく、作中で「架空のキャラクター」が「架空の差別の象徴を身に着けること」と、
「現実の人間」が「実際の差別の象徴と誤解されかねないものを身に着けること」とは大きな違いがあるはず。
今回の件では特にグッズ化のマズさに拍車をかけた点が2点あって、
1つは上記の通り、作中で描いた差別の象徴が、現実での差別の象徴と類似あるいはそれを想起させるようなものだったこと、
もう1つは、世界的な情勢としてBLMやらanti-Asian violenceやらチベット・ウイグルのあれやこれや等で差別にとても敏感だったこと。
現実での差別との類似あるいは想起っていう燃えやすい材質を使って、
そりゃ燃えるよね、って話。
3つめは、グッズが主にコスプレ向けのものだったことについて。
エロやグロでも、世間から「芸術」とみなされれば批判は受けてもそこまで燃えない。
裸婦画とかゲルニカ、官能小説やビルマの竪琴とか。(エログロの音楽ってあるのか?あるんだろうなぁ……)
たぶん、良からぬ意図があると疑われにくいいジャンルほど燃えにくいんだろうっていう感じ。
だから、絵画より文学のほうがやや燃えやすいし、そもそも芸術として認めない人も多いようなジャンルではもっと燃える。
コスプレはどうだろう。
もう十分文化ではあると思うし、「作品」として十分成立する芸術的なクオリティのものもたくさんあるんだとは思う。
でも、ただの「作品」じゃだめなんだ。
悪くいえば「お高くとまったような芸術」みたいな地位じゃないと、
「芸術」としてはまだまだ批判を受けるジャンルなんだと思う。(映画、漫画、ポップスやロック音楽等もそうだとおもう)
その中でもコスプレは好き嫌いがはっきり分かれるものだと思うし、
作中での文脈なんて知らねーって人がいる以上、
「現実での差別を利用して金儲けをする原作側も、差別の象徴を身に着けて喜ぶオタク共もけしからん!」、
ってなる人が少なくないのも無理はない話、というかそれが現実だってことは受け止めないといけないと思う。
理想と現実も当然区別しないとそもそもお互いに議論にすらならないから。
大切な人が怪我しそうなら止めるのと一緒で、
犬、めちゃくちゃ好き。
もう1年くらい毎日通勤中に必ずすれ違う犬がいて、特に好きだ。あまり犬種に詳しくはないが多分なにかしらの大きい和犬で、焦げ茶色である。最近ちょっともっさりしてきて、冬らしい感じなのが良い。
品の良いご婦人と相当ゆったりめのペースで歩いており、やや前をとつとつ歩きながら、自信と活気に満ちた表情をしている。たまに振り返り、すぐまた前を向くのだが、その表情がすごく良い。自分が愛されているということに微塵の疑いもない様子がありありと伝わる、すんっ、というか、てんっ、というか、そういう収まりの良い擬音がつく顔である。
ほとんど毎朝見ているため、なんとなく犬のほうも私を知っているとみえる。角を曲がった先にいると、おっ、みたいな顔をする。そんな気がする。
そして犬というものは犬に敵意のない人間を理解できるのか、あなたは悪い人ではなさそうですね、そしてわたしに興味がありそうですね、というような表情をしている。そんな気がする。
先日いつもしていた白い首輪が赤いハーネス型のものに変わり、おっ赤も似合うじゃないの…と思いながら見ていたのだが、その目線も理解できていたのだろうか、彼または彼女のそれに対する反応も、分かりますか、いいでしょう…という感じの自信に満ちた様子があり、それもまた非常に良かった。
話しかけてみたい、撫でてみたいという気持ちは常にあるのだが、あまり人様の家族に気安く手など出すものではないということ、もしも他人から触れられる行為が好きではない犬であれば可哀想だということ、何より、あのご婦人と犬の間に漂う一幅の完成された絵画のような静謐な雰囲気に私が立ち入ってしまうと、何かが壊れやしないだろうかという懸念もある。そうこう考えているうちに、今日も彼女と一匹は、アスファルトと爪が触れ合うときの、ちゃっちゃっとした快活な音を残して去ってゆくのだった。
彼または彼女だけでなく、あらゆる犬のことがかなり好きなのだが、それゆえに却って犬を飼うという選択肢が選べないでいる。というのも、私は独り身だし、出張や転勤もあるし、家には庭もない。それに大して収入もないから、有事の際に出来ることには限りがあるだろう。
そういった制約下でも犬を飼うことは一応できるだろうが、幸せにできる確率は客観的にみて有意に低いだろうし、またその自信もない。私の望むところというのは犬が幸せにあることで、犬を飼うこと自体は望みではなくその実現における一つの手段に過ぎない。
ここ数年はボーナスを貰うと保護犬シェルター等に多少の寄附をしているが、これも時期が予定されていてかつ生活の不自由にならない金額であって、犬を飼う人々やそれに関わる人々が、彼らの病気や怪我など生命についてまわる数々の不確実性に向き合っているその覚悟に較べれば、実に都合のいいものだ。
たとえば毎朝すれ違うあの犬の背中に賽銭箱か何かが付いていて、良いね…という思いを多少なりとも彼または彼女の暮らしに還元できればと思うのだが、そういう訳にもいかないだろう。
祈るばかりで特に何もできないことが歯痒くもあり、もどかしくもあるのだが、世の中にいるすべての犬が幸せにあらんことを、と思わずにいられない。そして犬を飼っているすべての方は、あなたによって幸せに暮らしている犬が、世の中の誰かにとって良く思われていることを覚えておいていただきたい。そして、可能であれば犬の写真や動画をインターネットなどによって見せて欲しい。
印象派より前の絵画を鑑賞するのは難しいなーと感じていて、それは作品を読み解くのに背景情報、コンテクストの読み解きがどうしても必要になってくるから。
時代背景、技術的背景、画家のポジションや描いたタイミング、作品の影響、モチーフの意味、モチーフの背景に存在する宗教的な意味、権威・権力との関係性、当時の風俗・風習など、多角的な背景を読み解かないと、鑑賞できたと言えないんではないか、というプレッシャーがある。ハイコンテクストなのだ。
現代のちょっとした絵にだって、こうした背景情報の読み取りが必要だったりするはずだが、同時代的・同文化的な範囲内に自分もいると、前提を共有しているので、この読み解きをジャンプして飛び越えている。
今現在のいわゆる表現規制や、オタク的文化と他文化の衝突には、こうしたコンテクストの不理解、相互不理解が関連しているように思える。
相手の文化的背景を理解しないと、目の前の絵や言葉の価値を正確に測ることができない。自分が目の前のものを「適正に」見ることができるとは限らない、ということになる。
何を知っていて、何を語ることができれば教養があるといえるのかを考えたとき、
例えば文学、音楽、絵画、物理学、数学、化学、生物学、医学、地球科学、歴史学、言語学、地理学、情報科学、日常生活に関する知識、芸能、スポーツ、時事問題……とかがあって、
流石に「これら全部において平均的な人より大幅に詳しい人」ってほぼいないと思うんだけど、そうすると「教養があると自称すること」とか、ましてや「他人を教養がないと批判すること」なんて出来やしないと思うんだよな
もし「自分は教養がある」と感じている人がいたら、そう感じる理由と自分が詳しいこと、詳しくないことについて聞いてみたい もしかして存在しない?
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
いま東京都美術館でやっているゴッホ展に行ってきた。https://gogh-2021.jp/
ゴッホ展ではあるんだけど、実際にはコレクターだった富豪が収集したコレクションの展覧会だった。ゴッホの作品が多かっただけの話だ。邦題訳が頓珍漢な映画みたいだと思った。
お客さんの年齢層は高めだけど、老若男女とわずという感じだった。ゴッホへの興味の熱量の差はあれど、世代も住むところも価値観も通ってた学校もちがう人たちが古い時代の画家が描いた画を見たいと思うその魅力はどこにあるのか不思議に思った。
わたしの感想は、モデルの仔細な部分までよく観察された描写や力強さみたいなものを感じて、実際のその場面に思いを馳せるぐらいには引き込まれた。でも、それはゴッホが美術の教科書に載るほど有名で世界中で評価されていることを知っているからそう思っただけだろうし、絵画のえの字も知らず描けもしない私と比較した感想にすぎない。
コレクターだった富豪の人はゴッホの死後に集めたらしいので、世間で評価される前にゴッホの画に魅了されたということになる。
あのへんの性依存風の人達は禁書館だかなんだかだの萌え絵だの漫画だの含めて扇情的な女体すらどうでもよくて多分、今ここで興奮している俺の欲を否定されることがとにかく侮辱だと思ってるんだと思う。
欲望や感情を言葉に変換しないで生きてきたから女の具象を見てもただの興奮としてしか感じていないしそういう意味で自己が即物的な未熟な自己愛で客観性がないまま他人の感情も「フェミニストのお気持ち」と雑に処理しかできない
醜悪なオタクの絵を見ても自分がそういう風にカリカチュアされて描かれていると感じ取れないし、そういう意味で自己もわからないのだから他人や尊厳の意味もわからない、わかろうとしていないのだと思う。衝動で生きるだけなら昆虫でもできて
人間として生きる意味はまずは言葉そして音楽や絵画、で考えることなのに(そしてそこを踏まえて高度に理論抽象化する数学が最後にある)人間になれなくてかわいそうだなと思う。
よくいわれるように、結局のところ、ある絵画が性的であるかどうかはその絵そのものに内在する条件によって決まるわけではなく、それを見る視線の性質によって決まる。
性的に見る心があれば全身を布で覆っていても性的だと感じられるし、とくべつ性的と見なければたとえ全裸であっても性的ではない。そういうことでしょう。
…たしかに。この賢明な切り口によって、より問題点はクリアになったと思う。
絵が性的か? ではなく、性的にみられやすいとコンセンサスのある絵か?
それが問題だ。
☑︎ 躍動感の表現とかだろうか / わからない。その質問は「ドラえもんがなぜ青いか?」と同じだ。意味はあるだろうが、何を意図しているかは知らないし関心もない / 本人の気分では
——初見で見る人がどう思うか。
「僕個人のフェティシズムで興奮しているのだ」と判断するならば問題はない。
当人が、たとえばアイドル的ファッションを選好していたのだとしても、初見の人が「これを観てセクシーだと思う人多そう」と感じてしまうならば…
アイドル文化と性的興味の惹起は切っても切り離せない関係にある。アイドル当人も気づかぬうちに、文化が運んできた、その効用にあやかってしまっていて、リスナーが「あやかっていると判る」のなら…
採用した側は、女性性の使役をやっているのだと批判されても文句は言えない。
「性的にみられやすい絵。わかっててあえて利用しているんですよね」