印象派より前の絵画を鑑賞するのは難しいなーと感じていて、それは作品を読み解くのに背景情報、コンテクストの読み解きがどうしても必要になってくるから。
時代背景、技術的背景、画家のポジションや描いたタイミング、作品の影響、モチーフの意味、モチーフの背景に存在する宗教的な意味、権威・権力との関係性、当時の風俗・風習など、多角的な背景を読み解かないと、鑑賞できたと言えないんではないか、というプレッシャーがある。ハイコンテクストなのだ。
現代のちょっとした絵にだって、こうした背景情報の読み取りが必要だったりするはずだが、同時代的・同文化的な範囲内に自分もいると、前提を共有しているので、この読み解きをジャンプして飛び越えている。
今現在のいわゆる表現規制や、オタク的文化と他文化の衝突には、こうしたコンテクストの不理解、相互不理解が関連しているように思える。
相手の文化的背景を理解しないと、目の前の絵や言葉の価値を正確に測ることができない。自分が目の前のものを「適正に」見ることができるとは限らない、ということになる。